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2020年1月22日 (水) 01:47時点における版
ニューヨーク・ヤンキースでの現役時代 (2013年9月11日) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス |
生年月日 | 1976年1月7日(48歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 195 lb =約88.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 左翼手、二塁手 |
プロ入り | 1996年 |
初出場 |
NPB / 1997年8月5日 MLB / 1999年9月14日 |
最終出場 |
NPB / 1997年8月17日 MLB / 2014年7月5日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | ドミニカ共和国代表 |
WBC | 2006年 |
この表について
|
アルフォンソ・ギレアルド・ソリアーノ(Alfonso Guilleard Soriano、1976年1月7日 - )は、ドミニカ共和国・サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。
日本メディアではソリアーノ、ソリアノのように表記されるが、実際には「ソリーアノ(発音:sore-ee-ah-no)」である[1]。
経歴
広島時代
プロ野球選手としての経歴は日本プロ野球の広島東洋カープから始まる。同球団が所有するドミニカ共和国の野球スクール「カープアカデミー」で才能を認められ来日。広島時代の背番号は74。
1996年はカープで二軍のウエスタンリーグで三塁と遊撃を守り、57試合に出場し、打率.214(131打数28安打)、本塁打0、13打点。
1997年に一軍登録され、9試合出場。17打数で2安打。身体が細いにもかかわらず、この頃からすでに振り回すバッティングフォームであった。また足が遅いことで有名だったためあだ名はロバと呼ばれていた[2]。広島で遊撃手として守った時が、人生で一番精神的に疲れたという。当時を振り返り、「19歳(鯖読みをしており実際は21歳)だったんだ。自分の手は震えが止まらずにいたよ。誰も自分に向かってゴロを打って欲しくなかった。ポロリと落とすってわかっていたからね」と語った[3]。黒田博樹は1997年の一年間、カープの寮「三省寮」で、同じ釜の飯を食べた仲[4][5]。
1998年、球団は4万5000ドルを提示するも代理人の団野村は18万ドルを要求したため年俸調停を申し立てたが、球団の提示額を妥当と調停が下るも、それに納得しなかったため任意引退公示で退団[2]。
ヤンキース時代
1998年の9月29日にニューヨーク・ヤンキースがソリアーノの保有権を持っていた広島に310万ドルを支払い契約を結んだ。この一連の問題に関しては「カープに対しては恨みなどはない。確かにいざこざはあったが、感謝している。僕に初めてプロでプレーする機会をくれたチームだから」と語っている[2]。
1999年、AA級ノーウィッチ・ナビゲイターズで89試合に出場。打率.305、15本塁打、24盗塁を記録し、マイナーリーグ版オールスター、オールスター・フューチャーズゲームではMVPに選出された[6]。9月14日にはメジャーデビューを果たし、同月24日には自身メジャー初安打となる本塁打を放った。この年、メジャーリーグでは9試合に出場した。
2000年は開幕ロースター入りを果たした。シーズン序盤には重要な局面で本塁打を放つなどし、スタメン出場の機会も増えたが、打撃・守備面の不安定さからメジャー定着には至らず、AAA級コロンバス・クリッパーズを中心にプレーした。メジャーでは合計22試合に出場し、初盗塁も記録した。
2001年のオープン戦でも内野手として悪送球を連発したが、正二塁手チャック・ノブロックが肩を痛めたため、守備には目を瞑って二塁手に抜擢された[要出典]。158試合に出場し、打率.268、18本塁打、73打点、リーグ3位の43盗塁を記録した。新人王の投票ではイチロー、C.C.サバシアに次ぐ3位に入った[7]。
2002年、リーグ1位となる128得点、209安打、41盗塁を記録し、球団新記録となる打数696、157三振を記録した[8]。本塁打が39と40本塁打に1本足りず40-40クラブ入りを逃した。MVP投票ではミゲル・テハダ、アレックス・ロドリゲスに次ぐ3位に入った[9]。
2003年、打率.290、38本塁打、91打点を記録し、1996年、ブレイディ・アンダーソンが記録した先頭打者本塁打のシーズン記録12本を更新する13本塁打を放った[10]。また、35盗塁を記録し、史上5人目となる2年連続で30-30を達成[10]。ワールドシリーズでヤンキースはフロリダ・マーリンズに敗退。シーズン中は不動のリードオフマンだったが、ポストシーズン中、特にこのワールドシリーズで不振に陥り、両チーム最多の9三振を喫してしまい、5戦目にはついにスタメン落ちした。
レンジャーズ時代
2004年2月16日にアレックス・ロドリゲスがヤンキースへ移籍した大型トレードに伴いテキサス・レンジャーズへ移籍。また、この移籍の際にこれまで1978年生まれとされていたプロフィールが誤りで、実は1976年生まれであることが発覚した[要出典]。
2004年5月8日のデトロイト・タイガース戦では、レンジャーズ球団史上初となる1試合6安打を記録した[11]。オールスターではファン投票トップで選出され、先発二塁手として出場。初回にロジャー・クレメンスから3ラン本塁打を放ち[12]、オールスターMVPにも選ばれた。
2005年にはレンジャーズ球団史上初、自身3度目の30本塁打30盗塁(36本塁打30盗塁)を達成。
ナショナルズ時代
2005年12月13日に、リーグ最低の得点力を改善するため、強打者を必要としたワシントン・ナショナルズが[13]ブラッド・ウィルカーソンとターメル・スレッジ及びアーマンド・ガララーガとの1対3の交換トレードでソリアーノを獲得[14]。ナショナルズの正二塁手には堅守のホセ・ビドロがいたため、ソリアーノは外野手(左翼手)へ転向された。
2006年開幕前の3月に開催された第1回WBCのドミニカ共和国代表に選出された[15]。
3月20日のオープン戦ではレフトの守備を拒否し、試合出場をボイコットした[16]。これに対して、球団側は契約違反であるとして「今後、指示に従わない場合は給料の支払いをストップする」などの強硬手段をとると通告した。このため、一時は「メッツがソリアーノと松井稼頭央のトレードに関心」と報道される騒ぎになった[17]。結局、コンバートを受け入れたため騒動はひとまず落ち着いた。
シーズンでは俊足を活かした強打の1番打者として順調に本塁打と盗塁を積み重ねた。8月18日のフィリーズ戦で30個目の盗塁を決め、39本塁打と合わせて自身4度目の30本塁打30盗塁を達成。8月25日のブレーブス戦で、通算200個目の盗塁を決め、MLB史上最速の929試合目で200本塁打200盗塁を達成し、1993年にエリック・デービスが記録した1053試合目での記録達成を更新[18]。9月16日のブルワーズ戦で、自身初、MLB史上4人目の40本塁打40盗塁を達成した。また、二塁打も40本以上記録し、MLB史上初の40本塁打40盗塁40二塁打を同時に達成した選手になった。本塁打数で初の40本台の大台に乗せ自己最多を更新した。オフの10月29日にFAとなった。ナショナルズは5年総額7,000万ドルで契約延長を打診したが拒否した[19]。
カブス時代
2006年11月20日にシカゴ・カブスと当時史上5番目の大型契約である、総額1億3,600万ドルの8年契約に合意した[20]。
2007年シーズン開幕からは中堅手にコンバートされたが、若手の中堅手フェリックス・ピーエイなどの成長もあり、4月終盤から左翼手を守ることになった。6月に打率.336、11本塁打、18打点を記録し、月間MVPを受賞した。9月にはMLB記録となる7本の月間先頭打者本塁打を含む14本塁打を放ち、カブスの中地区優勝には貢献した。
2008年は4月15日に左太腿裏を痛め故障者リスト入り。4月は打率.175・2本塁打・5打点と不調だったが、5月1日に復帰を果たし、5月は打率.345・10本塁打・29打点と復調。復調の理由をソリアーノは「自分ではよくわからないが、開幕直後はバットの振りがブレていたのが、今は投球に対して真っ直ぐにバットが出ているからだと思う」と語っている[21]。しかし、6月11日に死球を受け、左手骨折で故障者リスト入り。シーズン2回の故障者リスト入りの影響でメジャー定着後最低の109試合にしか出場出来なかったが、29本塁打を放ち、9月6日の試合では1試合で3本塁打5打点を記録。
2009年は、故障の影響で117試合の出場に留まりながらも9年連続で規定打席に到達した。しかし、成績は自己最低と言っていい数字が残った。得点・安打・打点・盗塁・打率・出塁率・長打率・塁打・OPS・死球・犠打・犠飛は自己最低ないし最低タイであり、出場試合数・打数・三塁打・本塁打は自己ワースト2位となる数字である。
2010年は、4年ぶり・カブス移籍後では自身初となる140試合以上の試合に出場した。しかし、本塁打は3年連続で20本台に留まり、盗塁もレギュラー定着後では自己最低の5盗塁に終わった。
2012年は、自己最多の108打点を記録、32本塁打と5年ぶりに30本台に乗せた。
ヤンキース復帰
2013年7月26日にコーリー・ブラックとのトレードで、ヤンキースに復帰した[22]。8月7日にNPB/MLB通算2000本安打を達成し、外国人選手としてはアレックス・ラミレスに続く史上二人目となる名球会入りの資格を得た[23]。その直後の8月27日にはブルージェイズ戦でメジャー通算400号となる28号ホームランを放ち、2013年のシーズンは打率.255・34本塁打・101打点・18盗塁を記録。2年連続で30本塁打と100打点をクリアした。特に本塁打は、2009年以降5年連続で本数が増加している。また、2ケタ盗塁を記録したのは、2008年以来5年ぶりの事であった。
2014年は開幕ロースター入りし、5月12日にはヤンキースおよびレンジャーズでの通算安打数が1000本に達し、史上7人目となる両リーグで1000本安打を達成した。しかし67試合の出場で、打率.221と結果を残せず、7月6日にDFAとなった[24]。7月14日に自由契約となった[25]。
現役引退
2014年11月4日、母国ドミニカ共和国で記者会見し、現役引退を表明した[26]。
選手としての特徴
初球から積極的に打ちにいき、四球は少なく三振が多いため打率は伸び悩む傾向にある。大きなスイングであるにも関わらず右打席から一塁まで4.0秒で走るスピードを誇り[27]、シーズン40盗塁以上を3度達成した。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | 広島 | 9 | 19 | 17 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | .118 | .211 | .118 | .329 |
1999 | NYY | 9 | 8 | 8 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .125 | .125 | .500 | .625 |
2000 | 22 | 53 | 50 | 5 | 9 | 3 | 0 | 2 | 18 | 3 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | .180 | .196 | .360 | .556 | |
2001 | 158 | 614 | 574 | 77 | 154 | 34 | 3 | 18 | 248 | 73 | 43 | 14 | 3 | 5 | 29 | 0 | 3 | 125 | 7 | .268 | .304 | .432 | .736 | |
2002 | 156 | 741 | 696 | 128 | 209 | 51 | 2 | 39 | 381 | 102 | 41 | 13 | 1 | 7 | 23 | 1 | 14 | 157 | 8 | .300 | .332 | .547 | .880 | |
2003 | 156 | 734 | 682 | 114 | 198 | 36 | 5 | 38 | 358 | 91 | 35 | 8 | 0 | 2 | 38 | 7 | 12 | 130 | 8 | .290 | .338 | .525 | .863 | |
2004 | TEX | 145 | 658 | 608 | 77 | 170 | 32 | 4 | 28 | 294 | 91 | 18 | 5 | 0 | 7 | 33 | 4 | 10 | 121 | 7 | .280 | .324 | .484 | .807 |
2005 | 156 | 682 | 637 | 102 | 171 | 43 | 2 | 36 | 326 | 104 | 30 | 2 | 0 | 5 | 33 | 3 | 7 | 125 | 6 | .268 | .309 | .512 | .821 | |
2006 | WSH | 159 | 728 | 647 | 119 | 179 | 41 | 2 | 46 | 362 | 95 | 41 | 17 | 2 | 3 | 67 | 16 | 9 | 160 | 3 | .277 | .351 | .560 | .911 |
2007 | CHC | 135 | 617 | 579 | 97 | 173 | 42 | 5 | 33 | 324 | 70 | 19 | 6 | 0 | 3 | 31 | 4 | 4 | 130 | 9 | .299 | .337 | .560 | .897 |
2008 | 109 | 503 | 453 | 76 | 127 | 27 | 0 | 29 | 241 | 75 | 19 | 3 | 0 | 4 | 43 | 11 | 3 | 103 | 9 | .280 | .344 | .532 | .876 | |
2009 | 117 | 522 | 477 | 64 | 115 | 25 | 1 | 20 | 202 | 55 | 9 | 2 | 0 | 2 | 40 | 6 | 3 | 118 | 7 | .241 | .303 | .423 | .726 | |
2010 | 147 | 548 | 496 | 67 | 128 | 40 | 3 | 24 | 246 | 79 | 5 | 1 | 1 | 3 | 45 | 3 | 3 | 123 | 12 | .258 | .322 | .496 | .818 | |
2011 | 137 | 508 | 475 | 50 | 116 | 27 | 1 | 26 | 223 | 88 | 2 | 1 | 0 | 2 | 27 | 4 | 4 | 113 | 15 | .244 | .289 | .469 | .759 | |
2012 | 151 | 615 | 561 | 68 | 147 | 33 | 2 | 32 | 280 | 108 | 6 | 2 | 0 | 3 | 44 | 5 | 7 | 153 | 18 | .262 | .322 | .499 | .821 | |
2013 | 93 | 383 | 362 | 47 | 92 | 24 | 1 | 17 | 169 | 51 | 10 | 5 | 0 | 3 | 15 | 2 | 3 | 89 | 9 | .254 | .287 | .467 | .754 | |
NYY | 58 | 243 | 219 | 37 | 56 | 8 | 0 | 17 | 115 | 50 | 8 | 4 | 0 | 1 | 21 | 1 | 2 | 67 | 2 | .256 | .325 | .525 | .850 | |
'13計 | 151 | 626 | 581 | 84 | 148 | 32 | 1 | 34 | 284 | 101 | 18 | 9 | 0 | 4 | 36 | 3 | 5 | 156 | 11 | .255 | .302 | .489 | .791 | |
2014 | 67 | 238 | 226 | 22 | 50 | 15 | 0 | 6 | 83 | 23 | 1 | 0 | 0 | 4 | 6 | 1 | 2 | 71 | 3 | .221 | .244 | .367 | .611 | |
NPB:1年 | 9 | 19 | 17 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | .118 | .211 | .118 | .329 | |
MLB:16年 | 1975 | 8395 | 7750 | 1152 | 2095 | 481 | 31 | 412 | 3874 | 1159 | 289 | 84 | 9 | 54 | 496 | 68 | 86 | 1803 | 123 | .270 | .319 | .500 | .819 |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- MLB
- 盗塁王:1回 (2002年)
表彰
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲームMVP:1回(1999年)
- MLB
- シルバースラッガー賞:4回 (2002年、2004年、2005年(以上二塁手部門)、2006年(外野手部門))
- オールスターゲームMVP:1回 (2004年)
記録
- NPB初記録
- 初出場・初先発出場:1997年8月5日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤドーム)、7番・二塁手で先発出場
- 初安打:1997年8月10日、対阪神タイガース17回戦(広島市民球場)、2回裏に中込伸から左前安打
- MiLBの記録
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:1回(1999年)
- MLB初記録
- 初出場:1999年9月14日、対トロント・ブルージェイズ11回戦(スカイドーム)、8回表にダリル・ストロベリーの代走で出場
- 初打席:同上、9回表にPaul Spoljaricから左飛
- 初安打・初打点・初本塁打:1999年9月24日、対タンパベイ・デビルレイズ6回戦(ヤンキー・スタジアム)、11回裏にノーム・チャールトンから左越本塁打
- 初先発出場:1999年10月3日、対タンパベイ・デビルレイズ12回戦(トロピカーナ・フィールド)、1番・遊撃手で先発出場
- 初盗塁:2000年5月20日、対クリーブランド・インディアンス5回戦(ジェイコブス・フィールド)、2回表に二盗(投手:チャック・フィンリー、捕手:Einar Díaz)
- MLB節目の記録
- 100本塁打:2004年5月2日、対ボストン・レッドソックス3回戦(ザ・ボールパーク・イン・アーリントン)、8回裏にアラン・エンブリーから左中間越ソロ本塁打
- 150本塁打:2005年7月23日、対オークランド・アスレチックス12回戦(アメリクエスト・フィールド・イン・アーリントン)、6回裏にカーク・サールースから左越ソロ本塁打
- 1000安打:2006年6月29日、対トロント・ブルージェイズ3回戦(ロジャーズ・センター)、6回表にロイ・ハラデイから左中間二塁打[注釈 1]
- 200本塁打:2006年8月13日、対ニューヨーク・メッツ11回戦(ロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアム)、4回裏にスティーブ・トラクセルから左越ソロ本塁打
- 200盗塁:2006年8月25日、対アトランタ・ブレーブス13回戦(ターナー・フィールド)、3回表に二盗(投手:チャック・ジェームズ、捕手:ブライアン・マッキャン)
- 1000試合出場:2007年5月24日、対サンディエゴ・パドレス5回戦(ペトコ・パーク)、1番・左翼手として先発出場[注釈 2]
- 250本塁打:2008年5月16日、対ピッツバーグ・パイレーツ7回戦(リグレー・フィールド)、2回裏にトム・ゴーゼラニーから左中間越3点本塁打
- 1000三振:2008年5月30日、対コロラド・ロッキーズ4回戦(リグレー・フィールド)、3回裏にアーロン・クックから空振り三振[注釈 3]
- 300二塁打:2008年8月13日、対アトランタ・ブレーブス5回戦(ターナー・フィールド)、4回表にJorge Campilloから右中間越適時二塁打
- 250盗塁:2009年4月12日、対ミルウォーキー・ブルワーズ3回戦(ミラー・パーク)、3回表に二盗(投手:ジェフ・スーパン、捕手:ジェイソン・ケンドール)
- 350二塁打:2010年5月30日、対セントルイス・カージナルス3回戦(リグレー・フィールド)、4回裏にアダム・ウェインライトから左中間二塁打
- 300本塁打:2010年6月11日、対シカゴ・ホワイトソックス1回戦((リグレー・フィールド)、2回裏にジェイク・ピービーから中越2点本塁打
- 1500安打:2010年9月3日、対ニューヨーク・メッツ5回戦(リグレー・フィールド)、4回裏にR.A.ディッキーから左越2点本塁打[注釈 4]
- 1500試合出場:2011年5月10日、対セントルイス・カージナルス1回戦(リグレー・フィールド)、5番・左翼手として先発出場[注釈 5]
- 1500三振:2011年7月24日、対ヒューストン・アストロズ9回戦(リグレー・フィールド)、2回裏にジョーダン・ライルズから空振り三振[注釈 6]
- 400二塁打:2011年9月15日、対シンシナティ・レッズ18回戦(グレート・アメリカン・ボール・パーク)、9回表にフランシスコ・コルデロから適時左中間二塁打
- 350本塁打:2012年6月8日、対ミネソタ・ツインズ1回戦(ターゲット・フィールド)、1回表にP. J. Waltersから中越2点本塁打
- 1000打点:2012年8月18日、対シンシナティ・レッズ11回戦(グレート・アメリカン・ボール・パーク)、1回表にジョニー・クエトから左越2点本塁打
- 450二塁打:2013年6月18日、対セントルイス・カージナルス4回戦(ブッシュ・スタジアムIII)、1回表にAdam Wainwrightから左中間2点二塁打
- 2000安打:2013年8月11日、対デトロイト・タイガース6回戦(ヤンキー・スタジアム)、4回裏にジャスティン・バーランダーから左越ソロ本塁打[注釈 7]
- 400本塁打:2013年8月27日、対トロント・ブルージェイズ15回戦(ロジャーズ・センター)、3回表にJ.A.ハップから左越ソロ本塁打
- MLBその他の記録
- MLBオールスターゲーム選出:7回 (2002年 - 2008年)
- 最多安打:1回 (2002年)
- 30本塁打30盗塁:4回 (2002年、2003年、2005年、2006年)
- 40本塁打40盗塁:1回 (2006年) ※史上4人目、同時に40二塁打達成は史上初
- 両リーグ1000安打 ※史上7人目
- 通算初回先頭打者本塁打:54(歴代2位)※リッキー・ヘンダーソンの81に次ぐ
- シーズン初回先頭打者本塁打:13(歴代1位、2003年)※従来の記録は1996年のブレイディ・アンダーソンの12
- シーズン三振数:157 (2002年) ※ニューヨーク・ヤンキース球団記録(当時)
- 1試合6安打:2004年5月8日、対デトロイト・タイガース2回戦(ザ・ボールパーク・イン・アーリントン) ※テキサス・レンジャーズ球団記録、延長回を含めない試合でのアメリカンリーグタイ記録
背番号
- 74 (1996年 - 1997年)
- 66 (1998年)
- 58 (1999年)
- 53 (2000年)
- 33 (2001年)
- 12 (2002年 - 2014年)
代表歴
脚注
- ^ “Alfonso Soriano Stats” (英語). Baseball Reference.com. 2017年10月27日閲覧。
- ^ a b c 無限の可能性 アルフォンソ・ソリアーノ『月刊スラッガー』2003年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、42-43頁。
- ^ [1][リンク切れ]
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- ^ ソリアーノ感激 「11年たってまさかアメリカで対戦するとは思わなかったよ。今日みたいな投球ができれば、メジャーで成功できると太鼓判を押した」.日刊スポーツ(2008年5月29日).2016年12月22日閲覧。
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- ^ MLB公式プロフィール参照。2016年11月7日閲覧。
- ^ “元広島のソリアーノが引退表明「愛情と意欲を失った」日米2000安打”. スポーツニッポン (2014年11月5日). 2014年11月5日閲覧。
- ^ スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2003年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、44-47頁。
注釈
- ^ 2006年6月21日、対ボストン・レッドソックス3回戦ではNPB・MLB通算での1000本安打も記録
- ^ 2007年5月14日、対ニューヨーク・メッツ1回戦ではNPB・MLB通算での1000試合出場も記録
- ^ 2008年5月25日、対ピッツバーグ・パイレーツ12回戦ではNPB・MLB通算での1000三振も記録
- ^ 2010年8月31日、対ピッツバーグ・パイレーツ15回戦ではNPB・MLB通算での1500本安打も記録
- ^ 2011年4月26日、対コロラド・ロッキーズ5回戦ではNPB・MLB通算での1500試合出場も記録
- ^ 2011年7月19日、対フィラデルフィア・フィリーズ5回戦ではNPB・MLB通算での1500三振も記録
- ^ 2013年8月7日、対シカゴ・ホワイトソックス3回戦ではNPB・MLB通算での2000本安打も記録
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 A.ソリアーノ - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Alfonso Soriano stats MiLB.com