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'''アルフォンソ・ギレアルド・ソリアーノ'''('''Alfonso Guilleard Soriano'''、[[1976年]][[1月7日]] - )は、[[ドミニカ共和国]]・[[サン・ペドロ・デ・マコリス州]][[サンペドロ・デ・マコリス]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]]、[[内野手]])。右投右打。 |
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== 経歴 == |
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2024年9月19日 (木) 23:23時点における版
ニューヨーク・ヤンキースでの現役時代 (2013年9月11日) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス |
生年月日 | 1976年1月7日(48歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 195 lb =約88.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 左翼手、二塁手 |
プロ入り | 1996年 |
初出場 |
NPB / 1997年8月5日 MLB / 1999年9月14日 |
最終出場 |
NPB / 1997年8月17日 MLB / 2014年7月5日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | ドミニカ共和国代表 |
WBC | 2006年 |
この表について
|
アルフォンソ・ギレアルド・ソリアーノ(Alfonso Guilleard Soriano、1976年1月7日 - )は、ドミニカ共和国・サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。
経歴
広島時代
プロ野球選手としての経歴は日本プロ野球の広島東洋カープから始まる。同球団が所有するドミニカ共和国の野球スクール「カープアカデミー」で才能を認められ来日。広島時代の背番号は74。
1996年はカープで二軍のウエスタン・リーグで三塁と遊撃を守り、57試合に出場し、打率.214(131打数28安打)、本塁打0、13打点。
1997年に一軍登録され、9試合出場。17打数で2安打。身体が細いにもかかわらず、この頃からすでに振り回すバッティングフォームであった。また足が遅いことで有名だったためあだ名はロバと呼ばれていた[1]。広島で遊撃手として守った時が、人生で一番精神的に疲れたという。当時を振り返り、「19歳(鯖読みをしており実際は21歳)だったんだ。自分の手は震えが止まらずにいたよ。誰も自分に向かってゴロを打って欲しくなかった。ポロリと落とすってわかっていたからね」と語った。黒田博樹は1997年の1年間、カープの寮「三省寮」で、同じ釜の飯を食べた仲[2][3]。
1998年、球団は4万5000ドルを提示するも代理人の団野村は18万ドルを要求したため年俸調停を申し立てたが、球団の提示額を妥当と調停が下るも、それに納得しなかった。
さらに野村は、ソリアーノが広島と契約したときにまだ未成年であり、さらに日本の法律上要求される法定代理人の同意を得ていなかったことから(日本の未成年選手が契約する場合は親の同意を得るのが通常である)、広島との契約が無効である[4]として自由契約を主張した。しかし、これも奏功せず、任意引退公示で退団となった[1]。
ヤンキース時代
1998年の9月29日、ニューヨーク・ヤンキースは、ソリアーノの保有権を持っていた広島に310万ドルを支払って保有権を譲り受け、ソリアーノと契約を結んだ。この一連の問題に関しては「カープに対しては恨みなどはない。確かにいざこざはあったが、感謝している。僕に初めてプロでプレーする機会をくれたチームだから」と語っている[1]。
1999年、AA級ノーウィッチ・ナビゲイターズで89試合に出場。打率.305、15本塁打、24盗塁を記録し、マイナーリーグ版オールスター、オールスター・フューチャーズゲームではMVPに選出された[5]。9月14日にはメジャーデビューを果たし、同月24日には自身メジャー初安打となる本塁打を放った。この年、メジャーリーグでは9試合に出場した。
2000年は開幕ロースター入りを果たした。シーズン序盤には重要な局面で本塁打を放つなどし、スタメン出場の機会も増えたが、打撃・守備面の不安定さからメジャー定着には至らず、AAA級コロンバス・クリッパーズを中心にプレーした。メジャーでは合計22試合に出場し、初盗塁も記録した。
2001年のオープン戦でも内野手として悪送球を連発したが、正二塁手チャック・ノブロックが肩を痛めたため、守備には目を瞑って二塁手に抜擢された[要出典]。158試合に出場し、打率.268、18本塁打、73打点、リーグ3位の43盗塁を記録した。新人王の投票ではイチロー、C.C.サバシアに次ぐ3位に入った[6]。
2002年、リーグ1位となる128得点、209安打、41盗塁を記録し、球団新記録となる打数696、157三振を記録した[7]。本塁打が39と40本塁打に1本足りず40本塁打、40盗塁は逃したが、自身初となる30本塁打、30盗塁、またトリプルスリーを達成した。オフのMVP投票ではミゲル・テハダ、アレックス・ロドリゲスに次ぐ3位に入った[8]。
2003年、打率.290、38本塁打、91打点を記録し、1996年、ブレイディ・アンダーソンが記録した先頭打者本塁打のシーズン記録12本を更新する13本塁打を放った[9]。また、35盗塁を記録し、史上5人目となる2年連続で30本塁打、30盗塁を達成[9]。ワールドシリーズでヤンキースはフロリダ・マーリンズに敗退。シーズン中は不動のリードオフマンだったが、ポストシーズン中、特にこのワールドシリーズで不振に陥り、両チーム最多の9三振を喫してしまい、5戦目にはついにスタメン落ちした。
レンジャーズ時代
2004年2月16日にアレックス・ロドリゲスがヤンキースへ移籍した大型トレードに伴いテキサス・レンジャーズへ移籍。また、この移籍の際にこれまで1978年生まれとされていたプロフィールが誤りで、実は1976年生まれであることが発覚した[要出典]。
2004年5月8日のデトロイト・タイガース戦では、レンジャーズ球団史上初となる1試合6安打を記録した[10]。オールスターではファン投票トップで選出され、先発二塁手として出場。初回にロジャー・クレメンスから3ラン本塁打を放ち[11]、オールスターMVPにも選ばれた。
2005年にはレンジャーズ球団史上初、自身3度目の30本塁打、30盗塁(36本塁打30盗塁)を達成。
ナショナルズ時代
2005年12月13日に、リーグ最低の得点力を改善するため、強打者を必要としたワシントン・ナショナルズが[12]ブラッド・ウィルカーソンとターメル・スレッジ及びアーマンド・ガララーガとの1対3の交換トレードでソリアーノを獲得[13]。ナショナルズの正二塁手には堅守のホセ・ビドロがいたため、ソリアーノは左翼手へコンバートされた。
2006年開幕前の3月に開催された第1回WBCのドミニカ共和国代表に選出された[14]。
3月20日のオープン戦ではレフトの守備を拒否し、試合出場をボイコットした[15]。これに対して、球団側は契約違反であるとして「今後、指示に従わない場合は給料の支払いをストップする」などの強硬手段をとると通告した。このため、一時は「メッツがソリアーノと松井稼頭央のトレードに関心」と報道される騒ぎになった[16]。結局、コンバートを受け入れたため騒動はひとまず落ち着いた。
シーズンでは俊足を活かした強打の1番打者として順調に本塁打と盗塁を積み重ねた。8月18日のフィリーズ戦で30個目の盗塁を決め、39本塁打と合わせて自身4度目の30本塁打30盗塁を達成[17]。8月25日のブレーブス戦で、通算200個目の盗塁を決め、MLB史上最速の929試合目で200本塁打200盗塁を達成し、1993年にエリック・デービスが記録した1053試合目での記録達成を更新[18]。9月16日のブルワーズ戦で、自身初、MLB史上4人目の40本塁打40盗塁を達成した。また、二塁打も40本以上記録し、MLB史上初の40本塁打40盗塁40二塁打を同時に達成した選手になった。本塁打数で初の40本台の大台に乗せ自己最多を更新した。オフの10月29日にFAとなった。ナショナルズは5年総額7,000万ドルで契約延長を打診したが拒否した[19]。
カブス時代
2006年11月20日にシカゴ・カブスと当時史上5番目の大型契約である、8年総額1億3600万ドルの契約に合意した[20]。
2007年シーズン開幕からは中堅手にコンバートされたが、若手の中堅手フェリックス・ピーエイなどの成長もあり、4月終盤から左翼手を守ることになった。6月に打率.336、11本塁打、18打点を記録し、月間MVPを受賞した。9月にはMLB記録となる7本の月間先頭打者本塁打を含む14本塁打を放ち、カブスの中地区優勝には貢献した。
2008年は4月15日に左太腿裏を痛め故障者リスト入り。4月は打率.175・2本塁打・5打点と不調だったが、5月1日に復帰を果たし、5月は打率.345・10本塁打・29打点と復調。復調の理由をソリアーノは「自分ではよくわからないが、開幕直後はバットの振りがブレていたのが、今は投球に対して真っ直ぐにバットが出ているからだと思う」と語っている[21]。しかし、6月11日に死球を受け、左手骨折で故障者リスト入り。シーズン2回の故障者リスト入りの影響でメジャー定着後最低の109試合にしか出場出来なかったが、29本塁打を放ち、9月6日の試合では1試合で3本塁打5打点を記録。
2009年は、故障の影響で117試合の出場に留まりながらも9年連続で規定打席に到達した。しかし、成績は自己最低と言っていい数字が残った。得点・安打・打点・盗塁・打率・出塁率・長打率・塁打・OPS・死球・犠打・犠飛は自己最低ないし最低タイであり、出場試合数・打数・三塁打・本塁打は自己ワースト2位となる数字である。
2010年は、4年ぶり・カブス移籍後では自身初となる140試合以上の試合に出場した。しかし、本塁打は3年連続で20本台に留まり、盗塁もレギュラー定着後では自己最低の5盗塁に終わった。
2012年は、自己最多の108打点を記録、32本塁打と5年ぶりに30本台に乗せた。
ヤンキース復帰
2013年7月26日にコーリー・ブラックとのトレードで、ヤンキースに復帰した[22]。8月7日にNPB/MLB通算2000本安打を達成し、外国人選手としてはアレックス・ラミレスに続く史上二人目となる名球会入りの資格を得た[23][注釈 1]。その直後の8月27日にはブルージェイズ戦でメジャー通算400号となる28号ホームランを放ち、2013年のシーズンは打率.255・34本塁打・101打点・18盗塁を記録。2年連続で30本塁打と100打点をクリアした。特に本塁打は、2009年以降5年連続で本数が増加している。また、2ケタ盗塁を記録したのは、2008年以来5年ぶりの事であった。
2014年は開幕ロースター入りし、5月12日にはヤンキースおよびレンジャーズでの通算安打数が1000本に達し、史上7人目となる両リーグで1000本安打を達成した。しかし67試合の出場で、打率.221と結果を残せず、7月6日にDFAとなった[24]。7月14日に自由契約となった[25]。
現役引退
2014年11月4日、母国ドミニカ共和国で記者会見し、現役引退を表明[26]。
選手としての特徴
MLBの歴史の中で4人目の40-40(40本塁打40盗塁)の達成者。
代名詞は豪快なフルスイングであり、初球から積極的に打ちにいくことが多かった[27]。
右打席から一塁まで4.0秒で走るスピードを誇り[28]、シーズン40盗塁以上を3度達成した。
積極的に次の塁を狙うスタイルであり、通算289盗塁ながら盗塁死は84と多い[27]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | 広島 | 9 | 19 | 17 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | .118 | .211 | .118 | .329 |
1999 | NYY | 9 | 8 | 8 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .125 | .125 | .500 | .625 |
2000 | 22 | 53 | 50 | 5 | 9 | 3 | 0 | 2 | 18 | 3 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | .180 | .196 | .360 | .556 | |
2001 | 158 | 614 | 574 | 77 | 154 | 34 | 3 | 18 | 248 | 73 | 43 | 14 | 3 | 5 | 29 | 0 | 3 | 125 | 7 | .268 | .304 | .432 | .736 | |
2002 | 156 | 741 | 696 | 128 | 209 | 51 | 2 | 39 | 381 | 102 | 41 | 13 | 1 | 7 | 23 | 1 | 14 | 157 | 8 | .300 | .332 | .547 | .880 | |
2003 | 156 | 734 | 682 | 114 | 198 | 36 | 5 | 38 | 358 | 91 | 35 | 8 | 0 | 2 | 38 | 7 | 12 | 130 | 8 | .290 | .338 | .525 | .863 | |
2004 | TEX | 145 | 658 | 608 | 77 | 170 | 32 | 4 | 28 | 294 | 91 | 18 | 5 | 0 | 7 | 33 | 4 | 10 | 121 | 7 | .280 | .324 | .484 | .807 |
2005 | 156 | 682 | 637 | 102 | 171 | 43 | 2 | 36 | 326 | 104 | 30 | 2 | 0 | 5 | 33 | 3 | 7 | 125 | 6 | .268 | .309 | .512 | .821 | |
2006 | WSH | 159 | 728 | 647 | 119 | 179 | 41 | 2 | 46 | 362 | 95 | 41 | 17 | 2 | 3 | 67 | 16 | 9 | 160 | 3 | .277 | .351 | .560 | .911 |
2007 | CHC | 135 | 617 | 579 | 97 | 173 | 42 | 5 | 33 | 324 | 70 | 19 | 6 | 0 | 3 | 31 | 4 | 4 | 130 | 9 | .299 | .337 | .560 | .897 |
2008 | 109 | 503 | 453 | 76 | 127 | 27 | 0 | 29 | 241 | 75 | 19 | 3 | 0 | 4 | 43 | 11 | 3 | 103 | 9 | .280 | .344 | .532 | .876 | |
2009 | 117 | 522 | 477 | 64 | 115 | 25 | 1 | 20 | 202 | 55 | 9 | 2 | 0 | 2 | 40 | 6 | 3 | 118 | 7 | .241 | .303 | .423 | .726 | |
2010 | 147 | 548 | 496 | 67 | 128 | 40 | 3 | 24 | 246 | 79 | 5 | 1 | 1 | 3 | 45 | 3 | 3 | 123 | 12 | .258 | .322 | .496 | .818 | |
2011 | 137 | 508 | 475 | 50 | 116 | 27 | 1 | 26 | 223 | 88 | 2 | 1 | 0 | 2 | 27 | 4 | 4 | 113 | 15 | .244 | .289 | .469 | .759 | |
2012 | 151 | 615 | 561 | 68 | 147 | 33 | 2 | 32 | 280 | 108 | 6 | 2 | 0 | 3 | 44 | 5 | 7 | 153 | 18 | .262 | .322 | .499 | .821 | |
2013 | 93 | 383 | 362 | 47 | 92 | 24 | 1 | 17 | 169 | 51 | 10 | 5 | 0 | 3 | 15 | 2 | 3 | 89 | 9 | .254 | .287 | .467 | .754 | |
NYY | 58 | 243 | 219 | 37 | 56 | 8 | 0 | 17 | 115 | 50 | 8 | 4 | 0 | 1 | 21 | 1 | 2 | 67 | 2 | .256 | .325 | .525 | .850 | |
'13計 | 151 | 626 | 581 | 84 | 148 | 32 | 1 | 34 | 284 | 101 | 18 | 9 | 0 | 4 | 36 | 3 | 5 | 156 | 11 | .255 | .302 | .489 | .791 | |
2014 | 67 | 238 | 226 | 22 | 50 | 15 | 0 | 6 | 83 | 23 | 1 | 0 | 0 | 4 | 6 | 1 | 2 | 71 | 3 | .221 | .244 | .367 | .611 | |
NPB:1年 | 9 | 19 | 17 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | .118 | .211 | .118 | .329 | |
MLB:16年 | 1975 | 8395 | 7750 | 1152 | 2095 | 481 | 31 | 412 | 3874 | 1159 | 289 | 84 | 9 | 54 | 496 | 68 | 86 | 1803 | 123 | .270 | .319 | .500 | .819 |
- 各年度の太字はリーグ最高
WBCでの打撃成績
年 度 |
代 表 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006[29] | ドミニカ共和国 | 4 | 15 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | .000 | .200 | .000 |
タイトル
- MLB
- 盗塁王:1回 (2002年)
表彰
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲームMVP:1回(1999年)
- MLB
- シルバースラッガー賞:4回
- オールスターゲームMVP:1回 (2004年)
記録
- NPB初記録
- 初出場・初先発出場:1997年8月5日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤドーム)、7番・二塁手で先発出場
- 初安打:1997年8月10日、対阪神タイガース17回戦(広島市民球場)、2回裏に中込伸から左前安打
- MLBの記録
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:1回(1999年)
- MLB初記録
- 初出場:1999年9月14日、対トロント・ブルージェイズ11回戦(スカイドーム)、8回表にダリル・ストロベリーの代走で出場
- 初打席:同上、9回表にPaul Spoljaricから左飛
- 初安打・初打点・初本塁打:1999年9月24日、対タンパベイ・デビルレイズ6回戦(ヤンキー・スタジアム)、11回裏にノーム・チャールトンから左越本塁打
- 初先発出場:1999年10月3日、対タンパベイ・デビルレイズ12回戦(トロピカーナ・フィールド)、1番・遊撃手で先発出場
- 初盗塁:2000年5月20日、対クリーブランド・インディアンス5回戦(ジェイコブス・フィールド)、2回表に二盗(投手:チャック・フィンリー、捕手:Einar Díaz)
- MLB節目の記録
- 100本塁打:2004年5月2日、対ボストン・レッドソックス3回戦(ザ・ボールパーク・イン・アーリントン)、8回裏にアラン・エンブリーから左中間越ソロ本塁打
- 150本塁打:2005年7月23日、対オークランド・アスレチックス12回戦(アメリクエスト・フィールド・イン・アーリントン)、6回裏にカーク・サールースから左越ソロ本塁打
- 1000安打:2006年6月29日、対トロント・ブルージェイズ3回戦(ロジャーズ・センター)、6回表にロイ・ハラデイから左中間二塁打[注釈 2]
- 200本塁打:2006年8月13日、対ニューヨーク・メッツ11回戦(ロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアム)、4回裏にスティーブ・トラクセルから左越ソロ本塁打
- 200盗塁:2006年8月25日、対アトランタ・ブレーブス13回戦(ターナー・フィールド)、3回表に二盗(投手:チャック・ジェームズ、捕手:ブライアン・マッキャン)
- 1000試合出場:2007年5月24日、対サンディエゴ・パドレス5回戦(ペトコ・パーク)、1番・左翼手として先発出場[注釈 3]
- 250本塁打:2008年5月16日、対ピッツバーグ・パイレーツ7回戦(リグレー・フィールド)、2回裏にトム・ゴーゼラニーから左中間越3点本塁打
- 1000三振:2008年5月30日、対コロラド・ロッキーズ4回戦(リグレー・フィールド)、3回裏にアーロン・クックから空振り三振[注釈 4]
- 300二塁打:2008年8月13日、対アトランタ・ブレーブス5回戦(ターナー・フィールド)、4回表にJorge Campilloから右中間越適時二塁打
- 250盗塁:2009年4月12日、対ミルウォーキー・ブルワーズ3回戦(ミラー・パーク)、3回表に二盗(投手:ジェフ・スーパン、捕手:ジェイソン・ケンドール)
- 350二塁打:2010年5月30日、対セントルイス・カージナルス3回戦(リグレー・フィールド)、4回裏にアダム・ウェインライトから左中間二塁打
- 300本塁打:2010年6月11日、対シカゴ・ホワイトソックス1回戦((リグレー・フィールド)、2回裏にジェイク・ピービーから中越2点本塁打
- 1500安打:2010年9月3日、対ニューヨーク・メッツ5回戦(リグレー・フィールド)、4回裏にR.A.ディッキーから左越2点本塁打[注釈 5]
- 1500試合出場:2011年5月10日、対セントルイス・カージナルス1回戦(リグレー・フィールド)、5番・左翼手として先発出場[注釈 6]
- 1500三振:2011年7月24日、対ヒューストン・アストロズ9回戦(リグレー・フィールド)、2回裏にジョーダン・ライルズから空振り三振[注釈 7]
- 400二塁打:2011年9月15日、対シンシナティ・レッズ18回戦(グレート・アメリカン・ボール・パーク)、9回表にフランシスコ・コルデロから適時左中間二塁打
- 350本塁打:2012年6月8日、対ミネソタ・ツインズ1回戦(ターゲット・フィールド)、1回表にP. J. Waltersから中越2点本塁打
- 1000打点:2012年8月18日、対シンシナティ・レッズ11回戦(グレート・アメリカン・ボール・パーク)、1回表にジョニー・クエトから左越2点本塁打
- 450二塁打:2013年6月18日、対セントルイス・カージナルス4回戦(ブッシュ・スタジアムIII)、1回表にAdam Wainwrightから左中間2点二塁打
- 2000安打:2013年8月11日、対デトロイト・タイガース6回戦(ヤンキー・スタジアム)、4回裏にジャスティン・バーランダーから左越ソロ本塁打[注釈 8]
- 400本塁打:2013年8月27日、対トロント・ブルージェイズ15回戦(ロジャーズ・センター)、3回表にJ.A.ハップから左越ソロ本塁打
- MLBその他の記録
- MLBオールスターゲーム選出:7回 (2002年 - 2008年)
- 最多安打:1回 (2002年)
- 30本塁打30盗塁:4回 (2002年 - 2003年、2005年、2006年)
- 40本塁打40盗塁:1回 (2006年) ※史上4人目、同時に40二塁打達成は史上初
- 両リーグ1000安打 ※史上7人目
- 通算初回先頭打者本塁打:54(歴代2位)※リッキー・ヘンダーソンの81に次ぐ
- シーズン初回先頭打者本塁打:13(歴代1位、2003年)※従来の記録は1996年のブレイディ・アンダーソンの12
- シーズン三振数:157 (2002年) ※ニューヨーク・ヤンキース球団記録(当時)
- 1試合6安打:2004年5月8日、対デトロイト・タイガース2回戦(ザ・ボールパーク・イン・アーリントン) ※テキサス・レンジャーズ球団記録、延長回を含めない試合でのアメリカンリーグタイ記録
背番号
- 74(1996年 - 1997年)
- 66(1998年)
- 58(1999年)
- 53(2000年)
- 33(2001年)
- 12(2002年 - 2014年)
代表歴
脚注
- ^ a b c 無限の可能性 アルフォンソ・ソリアーノ『月刊スラッガー』2003年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、42-43頁。
- ^ 黒田 広島で同僚ソリアーノと再会.東京スポーツ(2008年5月28日).2016年12月22日閲覧。
- ^ ソリアーノ感激 「11年たってまさかアメリカで対戦するとは思わなかったよ。今日みたいな投球ができれば、メジャーで成功できると太鼓判を押した」.日刊スポーツ(2008年5月29日).2016年12月22日閲覧。
- ^ https://archive.org/details/meaningofichiron00whit/page/142/mode/2up
- ^ “Alfonso Soriano Awards” (英語). The Baseball Cube. 2008年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月26日閲覧。
- ^ “Baseball Awards Voting for 2001 - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。
- ^ “New York Yankees Batting Leaders - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。
- ^ “Baseball Awards Voting for 2002 - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。
- ^ a b “2003 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “2004 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “July 13, 2004 All-Star Game at Minute Maid Park Play by Play and Box Score - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、292頁。ISBN 978-4-331-51146-6。
- ^ “Alfonso Soriano Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年3月26日閲覧。
- ^ “2006 Tournament Roster” (英語). The official site of World Baseball Classic. 2015年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
- ^ Ladson, Bill (2006年3月21日). “ソリアーノ、外野での出場をボイコット”. MAJOR.JP. 2006年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月26日閲覧。
- ^ MAJOR.JP編集部 (2006年3月22日). “松井稼とソリアーノがトレード? NY紙報じる”. MAJOR.JP. 2006年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月26日閲覧。
- ^ “大谷翔平 ボンズ、カンセコらに並ぶ6人目の45本塁打25盗塁 元広島ソリアーノも”. デイリースポーツ online (2021年9月30日). 2022年8月25日閲覧。
- ^ “Elias Says ... ESPN.com” (英語) (2006年8月26日). 2008年1月30日閲覧。
- ^ 村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、383頁。ISBN 978-4-331-51213-5。
- ^ Carrie Muskat (2006年11月20日). “Cubs complete blockbuster with Soriano Eight-year, $136 million contract richest in team history” (英語). 2016年11月7日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 澤田敏典 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 シカゴ・カブス/CHC チームに勢いをもたらしてきたが……」『スラッガー』2008年8月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-8、83頁。
- ^ Josh Vitale (2013年7月26日). “Yankees bring Soriano's bat back to Bronx” (英語). MLB.com. 2016年11月7日閲覧。
- ^ “ソリアーノ、大台到達に「ハッピー」=米大リーグ”. 時事通信社 (2013年8月8日). 2013年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
- ^ Alex M. Smith (2014年7月6日). “Yankees designate Soriano for assignment” (英語). MLB.com. 2016年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
- ^ MLB公式プロフィール参照。2016年11月7日閲覧。
- ^ “元広島のソリアーノが引退表明「愛情と意欲を失った」日米2000安打”. スポーツニッポン (2014年11月5日). 2014年11月5日閲覧。
- ^ a b “元広島助っ人は「宇宙で最高の男」 MLB公式が米殿堂入り候補を特集”. Full-Count (2020年1月13日). 2021年7月12日閲覧。
- ^ スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2003年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、44-47頁。
- ^ 2006 WBC Player Hitting StatsMLB.com 2023年4月5日閲覧
注釈
- ^ ただしNPBではわずか2安打にとどまったこともあり、その議論も含め2021年現在入会には至っていない。
- ^ 2006年6月21日、対ボストン・レッドソックス3回戦ではNPB・MLB通算での1000本安打も記録
- ^ 2007年5月14日、対ニューヨーク・メッツ1回戦ではNPB・MLB通算での1000試合出場も記録
- ^ 2008年5月25日、対ピッツバーグ・パイレーツ12回戦ではNPB・MLB通算での1000三振も記録
- ^ 2010年8月31日、対ピッツバーグ・パイレーツ15回戦ではNPB・MLB通算での1500本安打も記録
- ^ 2011年4月26日、対コロラド・ロッキーズ5回戦ではNPB・MLB通算での1500試合出場も記録
- ^ 2011年7月19日、対フィラデルフィア・フィリーズ5回戦ではNPB・MLB通算での1500三振も記録
- ^ 2013年8月7日、対シカゴ・ホワイトソックス3回戦ではNPB・MLB通算での2000本安打も記録
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Alfonso Soriano stats MiLB.com
- 個人年度別成績 A.ソリアーノ - NPB.jp 日本野球機構
- ドミニカ共和国の野球選手
- 在日外国人の野球選手
- 在アメリカ合衆国ドミニカ共和国人の野球選手
- 広島東洋カープ及び広島カープの選手
- ニューヨーク・ヤンキースの選手
- テキサス・レンジャーズ及びその前身球団の選手
- ワシントン・ナショナルズの選手
- シカゴ・カブスの選手
- 盗塁王 (MLB)
- シルバースラッガー賞受賞者
- オールスター・フューチャーズゲーム選出選手
- オールスター・フューチャーズゲームMVP
- MLBオールスターゲーム選出選手
- MLBオールスターゲームMVP
- 野球ドミニカ共和国代表選手
- ワールド・ベースボール・クラシック・ドミニカ共和国代表選手
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック選手
- 在日ドミニカ共和国人
- サンペドロ・デ・マコリス出身の人物
- 1976年生
- 存命人物