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* [[1889年]]([[明治]]22年)4月1日 - [[町村制]]施行。窪町は[[三戸郡]][[八戸町]]に属する。 |
* [[1889年]]([[明治]]22年)4月1日 - [[町村制]]施行。窪町は[[三戸郡]][[八戸町]]に属する。 |
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* 1929年(昭和4年) 市制施行に伴い、常海町は八戸市に属する<ref>{{Cite web |title=八戸市のあゆみ{{!}}八戸市 |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/soshikikarasagasu/kohotokeika/kohokocho/hachinoheshinoshokai/2/3894.html |website=www.city.hachinohe.aomori.jp |access-date=2024-08-12 |language=ja}}</ref>。 |
* 1929年(昭和4年) 市制施行に伴い、常海町は八戸市に属する<ref>{{Cite web |title=八戸市のあゆみ{{!}}八戸市 |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/soshikikarasagasu/kohotokeika/kohokocho/hachinoheshinoshokai/2/3894.html |website=www.city.hachinohe.aomori.jp |access-date=2024-08-12 |language=ja}}</ref>。 |
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* [[1978年]](昭和53年)2月1日 - 柏崎・小中野地区の[[住居表示]]実施に伴い、一部が柏崎一丁目に区画される<ref>{{Cite web |url=https://www1.g-reiki.net/city.hachinohe/reiki_honbun/c004RG00000050.html |title=町の新設 |accessdate=2024-10-03 |website=八戸市例規集 |publisher=八戸市}}</ref><ref name="jukyohyoji">{{Cite Web |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/soshikikarasagasu/shiminka/sumai_kotsuu_suido/1/1/4207.html |title=住居表示について |access-date=2024-09-05 |website=八戸市 |publisher=八戸市}}</ref>。 |
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* [[1982年]](昭和57年)[[2月1日]] - 内丸地区の住居表示実施に伴い、一部が内丸三丁目に区画される<ref>{{Cite web |url=https://www1.g-reiki.net/city.hachinohe/reiki_honbun/c004RG00000051.html |title=町の新設 |accessdate=2024-10-03 |website=八戸市例規集 |publisher=八戸市}}</ref><ref name="jukyohyoji" />。 |
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== 世帯数と人口 == |
== 世帯数と人口 == |
2024年10月3日 (木) 06:50時点における版
常海町 | |
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北緯40度30分46.5秒 東経141度29分36.9秒 / 北緯40.512917度 東経141.493583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 八戸市 |
地区 | 三八城地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.0081 km2 |
標高 | 11.6 m |
人口 | |
• 合計 | 76人 |
• 密度 | 9,400人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
031-0082 |
市外局番 | 0178[3] |
ナンバープレート | 八戸 |
地理
八戸市の中央部に位置し、北に内丸三丁目、東に柏崎一丁目、南に窪町、西に堀端町に面している。地区の面積は8103.9平方メートル。八戸市中心市街地の区域[5]、および、三八城地区に属する[6]。地区内は内丸地区(本八戸駅通り)内丸地区(本八戸駅通り) まちづくり基本構想の対象区域であり狭隘な生活道路や常海町通りが存在している[7]。
地名の由来
八戸町内風土記によると、「数百年前まではすぐ裏手まで海岸線が延びていたからだとする説」「庭にあるわき水が豊かで付近の住民がその水の恩恵に浴していたからだとする説」が記述されている[8]。
南部八戸の城下町によると「“常海”と呼ばれる堂舎に由来する」[9]と記されている
歴史
江戸時代の文久年間は、主に下級番士の屋敷地[9]だった。江戸時代は幕末にかけて奉行所が所在し、拷問された囚人の苦しそうな声が聞こえた。第二次世界大戦直後に、八戸文化服装学院が開校し1968年生徒数330人が在籍した[8]。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。窪町は三戸郡八戸町に属する。
- 1929年(昭和4年) 市制施行に伴い、常海町は八戸市に属する[10]。
- 1978年(昭和53年)2月1日 - 柏崎・小中野地区の住居表示実施に伴い、一部が柏崎一丁目に区画される[11][12]。
- 1982年(昭和57年)2月1日 - 内丸地区の住居表示実施に伴い、一部が内丸三丁目に区画される[13][12]。
世帯数と人口
字 | 世帯数 | 人口 |
大字常海町 | 47世帯 | 76人 |
合計 | 47世帯 | 76人 |
脚注
- ^ “地理院地図 / GSI Maps|国土地理院”. maps.gsi.go.jp. 2024年8月11日閲覧。
- ^ 八戸市 (2024年4月30日). “『住所毎男女世帯数リスト(八戸市調査)令和6年4月30日現在』”. 八戸市. 2024年8月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 『青森県地名辞典』青森放送、1963年、15頁。doi:10.11501/2986952 。2024年8月12日閲覧。
- ^ “中心市街地の位置及び区域”. 八戸市. p. 74. 2024年8月12日閲覧。
- ^ “三八城地域につい知ろう 住民自治推進懇談会”. 八戸市 (2013年10月3日). 2024年8月12日閲覧。
- ^ “内丸地区(本八戸駅通り)内丸地区(本八戸駅通り)まちづくり基本構想平成18年9月 八戸市”. 八戸市. 2024年8月13日閲覧。
- ^ a b 『八戸町内風土記』デーリー東北社、1968年、95頁。doi:10.11501/3449082 。2024年8月13日閲覧。
- ^ a b 高島成侑, 三浦忠司 著『南部八戸の城下町 : むかしのはちのへを偲んで』伊吉書院、1983年10月、88-89頁。doi:10.11501/9571069 。2024年8月13日閲覧。
- ^ “八戸市のあゆみ|八戸市”. www.city.hachinohe.aomori.jp. 2024年8月12日閲覧。
- ^ “町の新設”. 八戸市例規集. 八戸市. 2024年10月3日閲覧。
- ^ a b “住居表示について”. 八戸市. 八戸市. 2024年9月5日閲覧。
- ^ “町の新設”. 八戸市例規集. 八戸市. 2024年10月3日閲覧。
- ^ 『住所毎男女世帯数リスト(八戸市調査)令和6年4月30日現在』による。