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* 1872年(明治5年)町村役人廃止により[[大区小区制]]による地方行政制度に改められる<ref>{{Cite web |title=18_青森県史資料編近現代1 県史テキストデータベース詳細画面 |url=https://kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp/il/meta_pub/G0000004txt_Moda1-01-02-3-056 |website=kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp |access-date=2024-08-15 |publisher=青森県}}</ref>。徒士丁と称し九大区二小区の42村の一つに含まれた<ref>{{Cite book|和書 |title=新撰陸奥国誌 第5巻 (みちのく双書 ; 第19集) |year=1966 |publisher=青森県文化財保護協会 |page=147 |author=岸俊武 |doi=10.11501/2986970 |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/2986970/1/78 |access-date=2024年8月15日}}</ref>。 |
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* 1929年(昭和4年) 市制施行に伴い、徒士町は八戸市に属する<ref>{{Cite web |title=八戸市のあゆみ 八戸市 |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/soshikikarasagasu/kohotokeika/kohokocho |
* 1929年(昭和4年) 市制施行に伴い、徒士町は八戸市に属する<ref>{{Cite web |title=八戸市のあゆみ 八戸市 |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/soshikikarasagasu/kohotokeika/kohokocho/2/3894.html |website=www.city.hachinohe.aomori.jp |access-date=2024-10-03 |language=ja}}</ref>。 |
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== 世帯数と人口 == |
== 世帯数と人口 == |
2024年10月3日 (木) 07:12時点における最新版
徒士町 | |
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北緯40度30分30.8秒 東経141度29分06.7秒 / 北緯40.508556度 東経141.485194度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 八戸市 |
地区 | 長者地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.0229 km2 |
標高 | 18.6 m |
人口 (2024年4月30日現在) | |
• 合計 | 74人 |
• 密度 | 3,200人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
031-0053 |
市外局番 | 0178[2] |
ナンバープレート | 八戸 |
地理
[編集]八戸市の中央部に位置し、北に大字売市字輿遊下・長根公園、東に本徒士町、南に廿三日町、西に稲荷町が面している。地区の面積は22850平方メートル[4]。八戸市中心市街地の区域[5]、長者地域に属する[6]。
地名の由来
[編集]南部八戸の城下町によると、徒士町の徒士は「騎士の侍に対する徒歩の士の町に由来するとおもわれるので、本来は徒士階級の屋敷町として割り出されたものかと考えられる」と記載されているが、同書は当地名について八戸藩の記録には徒士階級の存在が確認されておらず、類似の地名に本徒士町、上徒士丁の地名があるものの「本当の町名の由来についてはわからない」と記されている[7]。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1872年(明治5年)町村役人廃止により大区小区制による地方行政制度に改められる[8]。徒士丁と称し九大区二小区の42村の一つに含まれた[9]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。徒士町と改め三戸郡八戸町に属する[10]。
- 1929年(昭和4年) 市制施行に伴い、徒士町は八戸市に属する[11]。
世帯数と人口
[編集]字 | 世帯数 | 人口 |
大字徒士町 | 41世帯 | 74人 |
合計 | 41世帯 | 74人 |
脚注
[編集]- ^ “地理院地図 / GSI Maps|国土地理院”. maps.gsi.go.jp. 2024年8月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 『[国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2986952/1/15 青森県地名辞典]』青森放送、1963年、15頁。doi:10.11501/2986952 。2024年8月12日閲覧。
- ^ “青森県八戸市大字徒士町 (022030090)”. 国勢調査町丁・字等別境界データセット. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “中心市街地の位置及び区域”. 八戸市. p. 74. 2024年8月12日閲覧。
- ^ “長者地域につい知ろう 住民自治推進懇談会”. 八戸市 (2013年8月22日). 2024年8月17日閲覧。
- ^ 『[国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9571069/1/54 南部八戸の城下町 : むかしのはちのへを偲んで]』伊吉書院、1983年10月、92頁。doi:10.11501/9571069 。2024年8月17日閲覧。
- ^ “18_青森県史資料編近現代1 県史テキストデータベース詳細画面”. kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp. 青森県. 2024年8月15日閲覧。
- ^ 岸俊武『新撰陸奥国誌 第5巻 (みちのく双書 ; 第19集)』青森県文化財保護協会、1966年、147頁。doi:10.11501/2986970 。2024年8月15日閲覧。
- ^ 『[国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/791068/1/105 現行警察提要 明治29年刊 下巻]』青森県警察部、明25-29、145頁。doi:10.11501/791068 。2024年8月17日閲覧。
- ^ “八戸市のあゆみ 八戸市”. www.city.hachinohe.aomori.jp. 2024年10月3日閲覧。
- ^ 『住所毎男女世帯数リスト(八戸市調査)令和6年4月30日現在』による。