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「M15対空自走砲」の版間の差分

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[[image:M15_CGMC.jpg|thumb|250px|M15A1 MGMC 対空自走砲]]
'''M15A1対空自走砲'''(M51A1たいくうじそうほう)は、[[アメリカ軍]]が[[M3ハーフトラック]]の車体後部に対空砲塔を取り付けた[[自走式対空砲|対空自走砲]]である。M15は[[第二次世界大戦]]中から戦後しばらくにかけて使用され後に[[陸上自衛隊]]にも供与された。
'''M15A1対空自走砲'''(M51A1たいくうじそうほう)は、[[アメリカ軍]]が[[M3ハーフトラック]]の車体後部に対空砲塔を取り付けた[[自走式対空砲|対空自走砲]]である。M15は[[第二次世界大戦]]中から戦後しばらくにかけて使用され、戦は西側各国供与された。[[日本]]の[[陸上自衛隊]]にも供与され、長らく装備された。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[image:MGMC-M15-19430527.jpg|thumb|200px|M15 [[1943年]][[5月]]の撮影]]
1941年9月に開発が開始され、1942年6~8月にT28対空自走砲として生産された分が[[北アフリカ]]に上陸した米軍によって使用された。同自走砲が十分な戦果を挙げたため米軍は1942年10月に本車をM15MGMCとして制式採用した。
1941年9月に開発が開始され、1942年6~8月にT28対空自走砲として80両が先行生産され、[[北アフリカ]]に上陸した[[アメリカ陸軍]]によって使用された。同自走砲が十分な戦果を挙げたため、1942年10月に本車を M15 MGMC として制式採用し、600両の追加発注が行われた。制式採用を受けて追加発注された車両には、防盾を追加するなど実際に使用するにあたって問題とされた点が改良されたが、追加装備により重量が増加し故障を多発する要因となったため、軽量化を図った新型砲架に換装した改良型が開発され、これは「[[1943年]][[8月12日]]に M15A1 MGMC として制式化され、[[1943年]][[10月]]から[[1944年]][[2月]]にかけて1,652両が生産された。


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4角形の旋回式対空砲塔、37mm機関砲1門及び12.7mm機関銃2門装備兵員3名操作していた。
オープントップではあるが大きな装甲板で囲まれた六角形の旋回式砲塔を持ちM1 37mm機関砲1門及びM2 12.7mm機関銃2門装備され、兵員3名が砲塔内に配置されて操作した。


大戦中は[[第二次世界大戦#経過(欧州・北アフリカ)|ヨーロッパ戦線]]や[[沖縄戦]]など幅広い戦域で使用された。
大戦中は[[第二次世界大戦#経過(欧州・北アフリカ)|ヨーロッパ戦線]]や[[沖縄戦]]など幅広い戦域で使用されたが、[[1944年]][[6月]]の[[ノルマンディー上陸作戦]]以後は連合国側が制空権を握っていたためドイツ空軍の活動は低調で、M15は対空自走砲としてよりは主に対地火力支援車両として用いられた。


戦後も[[アメリカ陸軍|陸軍]]に配備され続け1950年の[[朝鮮戦争]]でも使用された。
戦後も[[アメリカ陸軍|陸軍]]に配備され1950年の[[朝鮮戦争]]でも使用された。


==米国以外の配備国==
==米国以外の配備国==
戦後米国は各国軍事支援プログラム(MAP)により各国に同自走砲を供与した。[[日本]]の[[陸上自衛隊]]にも181両が供与された(1990年に全車退役)
戦後米国は各国軍事支援プログラム(MAP)により各国に同自走砲を供与した。[[陸上自衛隊]]にも181両が供与され、各[[師団]]の高射特科隊に配備された。後継となる車両がないこともあり、一部の部隊では[[1980年代]]後半まで同車を装備していた(1990年に全車退役)


==関連項目==
==関連項目==
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[[Category:装甲戦闘車両|M15A1たいくうしそうほう]]
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2008年12月14日 (日) 10:38時点における版

M15A1 MGMC 対空自走砲

M15A1対空自走砲(M51A1たいくうじそうほう)は、アメリカ軍M3ハーフトラックの車体後部に対空砲塔を取り付けた対空自走砲である。M15は第二次世界大戦中から戦後しばらくにかけて使用され、戦後は西側各国に供与された。日本陸上自衛隊にも供与され、長らく装備された。

概要

M15 1943年5月の撮影

1941年9月に開発が開始され、1942年6~8月にT28対空自走砲として80両が先行生産され、北アフリカに上陸したアメリカ陸軍によって使用された。同自走砲が十分な戦果を挙げたため、1942年10月に本車を M15 MGMC として制式採用し、600両の追加発注が行われた。制式採用を受けて追加発注された車両には、防盾を追加するなど実際に使用するにあたって問題とされた点が改良されたが、追加装備により重量が増加し故障を多発する要因となったため、軽量化を図った新型砲架に換装した改良型が開発され、これは「1943年8月12日に M15A1 MGMC として制式化され、1943年10月から1944年2月にかけて1,652両が生産された。

ファイル:M15 MGMC.jpg
M15 側面

オープントップではあるが大きな装甲板で囲まれた六角形の旋回式砲塔を持ち、M1 37mm機関砲1門及びM2 12.7mm機関銃2門が装備され、兵員3名が砲塔内に配置されて操作した。

大戦中はヨーロッパ戦線沖縄戦など幅広い戦域で使用されたが、1944年6月ノルマンディー上陸作戦以後は連合国側が制空権を握っていたためドイツ空軍の活動は低調で、M15は対空自走砲としてよりは主に対地火力支援車両として用いられた。

戦後も陸軍に配備され、1950年の朝鮮戦争でも使用された。

米国以外の配備国

戦後、米国は各国軍事支援プログラム(MAP)により各国に同自走砲を供与した。陸上自衛隊にも181両が供与され、各師団の高射特科隊に配備された。後継となる車両がないこともあり、一部の部隊では1980年代後半まで同車を装備していた(1990年に全車退役)。

関連項目

外部リンク