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「ノート:沖縄戦における集団自決」の版間の差分

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Dondokken (会話 | 投稿記録)
Dondokken (会話 | 投稿記録)
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以下に案を示します。ちなみに沖縄の集団自決を題材にしたフィクションについては私よりも沢山御存知の方々がこちらにおいででしょうから、皆様による加筆を待ちたいと思います。--[[利用者:Kliment.A.K.|Kliment A.K.]] 2009年4月10日 (金) 06:43 (UTC)
以下に案を示します。ちなみに沖縄の集団自決を題材にしたフィクションについては私よりも沢山御存知の方々がこちらにおいででしょうから、皆様による加筆を待ちたいと思います。--[[利用者:Kliment.A.K.|Kliment A.K.]] 2009年4月10日 (金) 06:43 (UTC)


:{{コメント}}下記の具体案に賛同を表明しておきます。--[[利用者:Dondokken|Dondokken]] 2009年4月10日 (金) 08:02 (UTC)
:{{コメント}}下記の具体案に賛同を表明しておきます。(追記)ただこうなると[[集団自殺]]との差がわかりにいくいのですが、このままにしておくべきなのでしょうか?--[[利用者:Dondokken|Dondokken]] 2009年4月10日 (金) 08:02 (UTC)


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2009年4月10日 (金) 08:09時点における版

このページは一度削除されています。削除に関する議論はWikipedia:削除依頼/集団自決をご覧ください。
/過去の議論1、2007年7月7日から2008年6月11日まで


[要出典]の貼り付けなどについて

記述への信頼性をあげるため、#集団自決に関する沖縄県民集会 の(「強制あり」でなく「関与あり」として可決され)という記述に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。

「戦後最大規模の」は、Wikipedia:大言壮語をしないの観点から削除しました。主催者発表で11万人という記述で十分であり、ここに「記事の話題を正当化をするような修飾語を付加する必要」はないでしょう。反対意見などありましたらご提示ください。 --mjft8499 2008年10月2日 (木) 13:51 (UTC)[返信]

[1]この編集はなんなのでしょうか?「集団自決という表現で」とはどういうことでしょう?なにを集団自決という表現にしたのでしょうか?出典と共にご説明ください。まさか住民殺害のことではないですよね?--Dondokken 2008年10月2日 (木) 15:24 (UTC)[返信]

出典はありがとうございます。後ほど要出典をはがして明示できます。

家永は検定意見を違憲としたのではなく検定そのものを違憲として、検定意見のほうは違法かどうか争ったのです。誤った表記になる編集を途中で加えないでください。教科書検定の憲法判断について書いていないところへわかりもせずに書き込まないでください。お願いします。

またこの裁判では住民殺害を記載するか集団自決を記載するかで争われたのは、あなたの好みに関係なく事実なのですから、妙な言いがかりはやめてください。

編集中のため割り込まないでください。性急な編集をしない というルールを守ってください。議論のために編集を中断しないでください。 議論が好きなら他でやってください。

2008年10月2日 (木) 15:07の版 (編集)Dondokkenをごらんください。あなたの版ですから。、"「集団自決」という表記で"となっています。よろしいですね。上記おいかわさんの2008年3月28日 (金) 06:09 (UTC)の意見も見てください。編集なさるときは要約欄に具体的に書き込んでいただけると助かります。--mjft8499 2008年10月2日 (木) 16:04 (UTC)[返信]

編集中ってなんでしょうか?一回で編集していただけませんか?それこそサーバーの容量の無駄遣いですから。それと大幅に変える場合はノートで提案してくださいね。--Dondokken 2008年10月2日 (木) 16:29 (UTC)[返信]

中断しないで保存しなければ無駄遣いにならないでしょう。人に絡まないでください。意味のない編集と多すぎる議論の方が無駄です。くりかえしますがそんなに議論が好きなら他でやってください。--mjft8499 2008年10月2日 (木) 16:48 (UTC)[返信]

あらあら、ちょこちょこと後から意見を付け足したんですね。裁判では住民殺害を集団自決としたんですか?出典お願できます?出典が出ないならば、「集団自決教科書に記載」[2]という何かが集団自決という名で記載されたというような表現はオリジナルリサーチとなります。「議論が好きなら他でやってください。」この発言はなんなのでしょう?議論拒否はブロック対象になりますよ?ご注意くださいね。あと「性急な編集をしない」の意味を理解しておられないようなので、「性急な編集をしない」とは何かをよーく中身をお読みになっていただけたらと思います。「中断しないで保存しなければ無駄遣いにならないでしょう。」この発言の意味が理解できないのですが、どういう意味なのでしょう。投稿ボタンを押して編集しておきながら「編集中だからジャマするな」などと仰るので、「一回で編集していただけませんか?サーバーの負担となりますので」という当たり前の注意をさせていただいたわけなんですが。--Dondokken 2008年10月2日 (木) 17:04 (UTC)[返信]

最初に要出典の明示のお礼だけは申し上げておきます。ありがとうございました。

>裁判では住民殺害を集団自決としたんですか? そんなことをどこに書いてくありますか? あなた以外そんなことを言っている人がいないでしょう。上からコピーしますよ。「この裁判では住民殺害を記載するか集団自決を記載するかで争われた」という意味もわからないなら、ここで編集しないでください。こちらも混乱します。 教科書検定の違憲合憲、検定意見の違法合法なんて当たり前のことなのに、検定意見の後に憲法違反なんて書いて、読者を混乱させるようなら編集しないでくださいと言ったのです。そんな知識で理屈を捏ね回して、自分の趣味に合わないからといって人の編集を邪魔しないでください。

本当にあなたのおっしゃるとおりなら、なぜ今まで同じことを言う人がいなかったのか考える余裕もないのですか。一回で編集できなかったのは、編集の競合画面が出て、ノートで「あなたに」対応しようとしたからです。悪かったなら今後は改めましょう。 「ここは、記事「集団自決」に関する議論をするためのノートページです。記事が掲げる主題についての全般的な議論をする場ではありません。」なのですから、 あなたと議論しなくてもブロックにはならないでしょう。

要出典の提示以外、あなたの書き込みのどこに記述内容に関する建設的意見が含まれているのですか。自分の政治的立場の宣伝のための中傷だけでしょう。

だから「単に議論が好きなら。他へ行ってください。」 なのです。--mjft8499 2008年10月2日 (木) 19:59 (UTC)[返信]

>「この裁判では住民殺害を記載するか集団自決を記載するかで争われた」
だからこの出典を出してくれと言っているわけなんですがね。あなたの意見は必要ありません。訴状や判決文を見ても家永裁判はそんな裁判ではなかったはずなんですが。「住民殺害と集団自決はどちらが人数が多かったのか?」「住民殺害だけでなく集団自決も書けという文部省の要求は適法か?」で争われたはずですが?あなたが示す裁判の争点は誰の意見ですか?要求している出典も出さずに喚いてるだけでは、意味がありませんよ。しっかりお願いしますね。
>一回で編集できなかったのは、編集の競合画面が出て、ノートで「あなたに」対応しようとしたからです。
おかしいですね。しばらく放置させていただきましたが、その後も何度にも別けてあなたは編集されておられるようですが。すべて私の所為にするとは恐れ入りました。
>単に議論が好きなら。他へ行ってください
これは問題ある発言ですよ。あなたの場ではないんですよ、ここは。私はあなたの行為、編集内容に異論があるから述べているだけなんですがね。人にレッテル貼って議論拒否のような発言は控えるようお願いしますね。とにかくまず家永裁判が「住民殺害を記載するか集団自決を記載するかで争われた」という出典と説明をこちらでお願します。出ない場合は本文を訂正させていただきますので。--Dondokken 2008年10月3日 (金) 03:59 (UTC)[返信]

Dondokkenさんについて、上記の通り、「この裁判では住民殺害を記載するか集団自決を記載するかで争われた」に「裁判では住民殺害を集団自決としたんですか?」などと質問して、それをもとに個人攻撃する方とは話すことは、私にはできません。

今までのノートの記述は、編集するのにとても勉強になります。何度も読み返し学ばせていただきました。しかしDondokkenさんとの記述はここを汚しただけです。勿論私にも責任があります。申し訳ございません。

今後一切この方との会話は拒否します。合意形成のための依頼も出しております。 私は以前の版に戻すなどの重大な編集をするときも、他のページでノートで販路オンしたくなったとき、いつもこう自分に言い聞かせています「本当に必要なら他の誰かがすでに同じことをしているのではないか」そして自重しています。ここでは安易にDondokkenさんに応じてしまいましたが、今後は自重します。 Dondokkenさん以外のご教示にはいつでも応じさせていただきますのでよろしくお願いします。--mjft8499 2008年10月2日 (木) 20:18 (UTC)[返信]

それの何が個人攻撃なんですか?あなたの行為・編集に疑問を感じて異論や苦言を呈すると個人攻撃なんですか?私を「議論好きなら他でやれ、出て行け」と言い、私にレッテルを貼って個人攻撃をしてるのはアナタなんですけどね。反対者から異論を唱えられ、出典要求もされて、拒否するならば、wikipediaでの編集は無理な方と言わざるを得ません。--Dondokken 2008年10月3日 (金) 04:08 (UTC)[返信]

リンク切れについて

参考文献の「沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣・櫻井よしこ」のリンクが有効ではありませんでしたから、同じ参考文献を載せている有効なリンクにかえました。(有効でないリンク http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/post_497.html)

問題の編集

一定期間経過後、リバートし対と思います。 「期間」は未定とします。(編集合戦を避けるため)。 リバートの理由は出典明記の記述を出典ごと変更してあるので編集では煩雑になりすぎるからです。

POVによる。出典を明記した記述の削除(履歴参照)。犠牲者数には集団自決も住民殺害の犠牲者の数が含まれる(自明=中学生程度、正確な数字が分からないことは戦場の死者の場合当然)、一方的立場による記述、偏見に基づく出典明示の脚注の除去、自ら故意に除去した出典に含まれる検証可能性の要求。 主観的な書き込み。 一方の(対立しているとまではいえない立場を含む)立場の記述を削除、従来から自分の同意こそがコミュニティの同意であると主張し続けた利用者による編集(以下のノートの記述を参照) (ここは集団自決全般の対話や議論をする場所ではありません。(このページのトップを参考)。記述内容に対する情報を提示しあってお互いに協力する場所です。集団自決全般の記述や一般常識の記述を私がせざる終えないような主張や編集に対しては対話も議論もできません。なぜ?は、以前の「書き込み」を参考にしてください。)。

参考 日本軍による住民殺害の例 久米島守備隊住民虐殺事件、  裁判所の住民殺害の事実認定 大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判 (大阪地方裁判所民事第9民事部(深見敏正裁判長 2008年3月28日 大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判判決文全文]

(私的感想)(軍の強制を否定・疑問視する立場 の参考文献出典でのリンク切れのチェックを始めたばかりで、出典の明記を充実させたり、 軍の強制によるものとする立場の記述から軍の強制を否定・疑問視する立場への参照リンクを充実させる(記述の順番による弊害の緩和)ことをしたかったのですが、中断します。 残念です。)--mjft8499 2008年10月3日 (金) 11:32 (UTC)[返信]

えーと、数がどうのこうので「住民虐殺には集団自決が含まれて記述されていたんだ」と記述していたのならば、それはあなたの想像力を働かせた独自研究でしかありません。だから出典を求めています。林の著書にそれが書いてあるというならば、それは林の意見であり、彼は集団自決を軍による強制とする論者ですので「集団自決を軍の強制とする立場」の部分で記述してください。ヒトツの意見を定説のように概要に書かないでいただきたい。しかし「集団自決も含まれた住民虐殺として教科書に記述された」などとは彼の論文には書かれてありませんけどね[3]自ら故意に除去した出典に含まれる検証可能性の要求。と仰ってますが、あなたが記述した表現はどこに書かれているのでしょうか?
概要全体についての出典は林よりも現在のもの(沖縄タイムス)で十分ですし、読者もリンクされているのでわかりやすいことでしょう。具体的な指摘もなく、自己の思い通りに書けないからと言って相手を罵倒し、喚き散らす行為はいかがなものでしょう。何の発展性もありません。何か疑問に思ったことがあるならば、ひとつづつ指摘して合意を目指せばいいのでは?住民殺害と集団自決の個人的思い込みによる混同した書き方は止めていただきたいものです。こちらは「集団自決」の記事ですので。この両者(住民虐殺と集団自決)を混同する主張は一方(集団自決を軍による強制とする論者)の「意見」を押すような書き方はお止めください。またリバート宣言をされているようですが、リバートしても編集合戦になるだけですし、無駄なことですよ。だからこそノートで合意を目指してくださいとずっと申しているのです。--Dondokken 2008年10月3日 (金) 11:56 (UTC)[返信]

編集について

ノートでの返信ありがとうございました。 「スパイ容疑で殺された」というのは久米島守備隊住民虐殺事件のように日本兵が住民を殺害したとされる事件のヒトツの理由であり、集団自決ではありません。「住民虐殺」とされるものと「集団自決」はまた違ったものですので、ここをあやふやに載せると混乱してしまいます。ここはしっかり別けての記事を作成すべきことだと思います。こちらは「集団自決」の記事ですのでご理解をしていただければと存じます。最後の編集を拝見しますと譲歩していただけたようで、感謝いたします。--Dondokken 2008年9月30日 (火) 06:10 (UTC)[返信]

Dondokkenさんへ

ここは2個人間の通信の場ではないので、「編集について」に暫定的に変更させていただきました。お気に召さなければ、お手数ですが、個人のアカウント名を含まない他のものに変更なさってください。

集団自決を強制死とする立場もあると理解しています。(軍による強制に否定的な立場からの批判で用いられることも含めて) 集団自決に添えて、強制死、強制集団死の記述はPOVではありません。教科書にも記述が認められました。「強制集団死」「強制的な状況」などと遠回しに軍の強制性を示す記述を認めた。産経 "2.2言葉について"の出典リンク先も参照してください。ご理解のほどよろしくお願いいたします。

私が上記にあげた立場とは限りませんので、よろしくお願いいたします。 ここが荒れないように心がけていきます。 ありがとうございました。--mjft8499 2008年9月30日 (火) 10:17 (UTC)[返信]

それは存じております。そしてそれに反対している論も多くあるわけです。教科書に今回「強制」が載った経緯は歴史検証などではなく、単なる人数膨張の沖縄の一部勢力によるキャンペーンによりおこなわれたものだと。そして教科書に書かれたことが正しいわけでもありません(もっとも教科書の「強制」とは「直接的な軍命でなく住民が心理的に追い込まれたとの文意が含まれれば容認する」というものですし)。両論ある中で、この書き方ですと[4]、まるで集団自決=強制死が定説となったかのような感を受けます。石原昌家のような集団自決は強制論者の一方の意見を定説としまう書き方はPOVではないでしょうか。--Dondokken 2008年9月30日 (火) 10:38 (UTC)[返信]

Dondokkenさんへ なぜ定説としてしまう書き方と感じられたのでしょうか。対立する意見を併記しているだけと思いますが。

上記のように教科書でも記述が認められましたし(少なくとも政治的宣伝ではない)、簡単に参考文献を示してその観点を実証することは容易であり明示されているものです。その他の出典を明示されているものも個人の判断で削除しないようにお願いします。

ほとんどのケースで重複しないように出典を一箇所にまとめていますから、その記述の近くに脚注番号などが示されていない場合があります。

逆に「集団自決=強制死が定説ではない」「沖縄の一部勢力によるキャンペーン」「教科書に書かれたことが正しいわけでもありません」という立場からの記述を本文に執筆なさるときは、少なくとも出典を明示なさるか同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げてください。出典を明示されても政治的宣伝はここではできません。(ここノートではOKでしょう)Wikipedia:独自研究は載せない(私はあなたの主張が少数派とか独自研究とか申し上げたわけではないので誤解なさらないでください。)

ご意見にも配慮させていただき、該当の部分は削除あるいは、「2.3.1 軍の強制によるものとする立場 」に移動をしました。 「沖縄県民集会の参加者数の問題」の"大々的に"についてですが、ご執筆の際に、記事の話題を正当化をするような修飾語を付加する必要はありません。Wikipedia:大言壮語をしない 他の言葉に置き換えて少し編集させていただきます。

よろしくお願いします。--mjft8499 2008年10月1日 (水) 02:08 (UTC)[返信]

[5]この書き方ですと集団自決は「強制死」が決定してる書き方に見えますが?ある意見を事実のように書くのはWP:ORとなります(Wikipedia:信頼できる情報源#用語の定義)。そして教科書に載っていることが「定説」になるのならば、その根拠もお願します。集団自決が強制かどうか論争が存在しているわけで、あなたの書き方では一方の意見を定説にしてしまってるわけです。「集団自決=強制死が定説ではない」という意見があるからこそ本文に「軍の強制とする立場」と「軍の強制を否定・疑問視する立場」という両論を載せる部分があるのですが、お分かりになっていただけませんか?「集団自決=強制死が定説ではない」とする出典は「軍の強制を否定・疑問視する立場」の所にいくらでも載っているではありませんか。--Dondokken 2008年10月1日 (水) 09:57 (UTC)[返信]

Dondokken さんへ

>両論を載せる部分があるのですが、お分かりになっていただけませんか?

あなたも私もアカウント取得から判断して初心者ですので、先輩の方々に笑われそうですが、 2008年9月26日 (金) 12:06 にあなたがアカウントを取得なさる前の2008年9月19日から、できるだけ 両論併記の形とするための努力をしてきました。 「軍の強制を否定・疑問視する立場」の記述のほうが分量的にも多いでしょう。

私の立場について先入観をもたれないようにお願いします。

本文の「履歴」をご覧になってご理解いただきたいと思います。

>集団自決は「強制死」が決定してる書き方に見えますが?

異なる説の表現をカッコ内に併記しただけです。定説と主張したことにはならないでしょう。

定説であるかどうか、さらに真実であるかどうかはWikipediaに載せるかどうかに直接関係ありません。検証可能かどうかでしょう。

誤解のないように申し上げておきますが、私は、自分も含めて自分の執筆や編集が絶対に正しかったとか規則に基づいて議論もせずに「議論の余地なく○○すべき」と主張するのは不適切であると考えています。(ですからここにいます)

あなたのように受け取られる方もいらっしゃることに配慮させていただいて、現在の版ではそこにはありません。ご批判はできましたら現在の版でお願いします。

>WP:ORとなります(Wikipedia:信頼できる情報源#用語の定義)

ならないと思います。 Wikipedia:信頼できる情報源#用語の定義 「その人がその意見を表明したのは真である」は「石原昌家沖国大教授が強制死と表現すべきという意見を表明したのは真である」と証明されています。「2.2 言葉について」に出典が明記されています。また、繰り返させていただきますが、「 ほとんどのケースで重複しないように出典を一箇所にまとめていますから、その記述の近くに脚注番号などが示されていない場合があります。」 参考 Wikipedia:信頼できる情報源#用語の定義より抜粋 「意見とは、誰かが抱いている見解であり、その内容は検証できる場合もできない場合もあります。しかし、ある人やグループがある意見を表明したということは事実であり(つまり、その人がその意見を表明したのは真である)、そのことが検証可能である(つまり、そうした人や団体が意見を表明したことを示す適切な情報源を参照できる)ならば、そのことはウィキペディアに含めることができます。」 

>教科書に載っていることが「定説」になるのならば、その根拠もお願します。

少なくとも政治宣伝ではないと申し上げているだけです。政治宣伝は検定でふるいおとされるでしょう。

>「集団自決=強制死が定説ではない」とする出典は「軍の強制を否定・疑問視する立場」の所にいくらでも載っているではありませんか。 そのような出典を求めてないでしょう? そのような説に立って記事を執筆されるときにその執筆内容の出典明記を提案したのと出典明記されているものを削除しないようにお願いしただけです。くりかえしますが、定説であるか否から載せるべきか削除すべきかを判断してはいけません。他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください

どうか、ご理解くださいますようお願いします。

よろしくお願いします。--mjft8499 2008年10月1日 (水) 13:55 (UTC)[返信]

>異なる説の表現をカッコ内に併記しただけです。

これが失敗のもとでは?この書き方では集団自決=強制死に見えてしまいますので。少なくとも私のようにそう「見えた」人間が居るわけで訂正すべきことでしょう。しかも集団自決に添えて、強制死、強制集団死の記述はPOVではありません。 と言い切っておられたので反論させていただきました。なんだかんだでお気づきになっていただいたようで削除していただいたので、もうとやかく言うつもりはありません。他の部分は十分反論もありますが、何かハナシが平行線ですし、無駄な討論にも思えますので、この辺にしときましょう。現在の版ならば反対もしませんし。記事が記事だけに新たに何かを書く場合はノートで提案していただき、相談の上、記載していただきたいと思います。--Dondokken 2008年10月1日 (水) 15:38 (UTC)[返信]

ヒトツだけ。意見ならば誰の意見なのか書かねばなりません。「集団自決(強制死)」という書き方では、石原の「意見(集団自決=強制死)」を「事実」として書いてしまっている形となってしまっております。少なくともそう見えてしまう書き方です。すでに削除されているのでこれ以上は言いませんが。--Dondokken 2008年10月1日 (水) 15:57 (UTC)[返信]

Dondokken さんへ

ある程度ご理解いただけたようでよかったです。                                                 >「集団自決(強制死)」という書き方では、石原の「意見(集団自決=強制死)」を「事実」として書いてしまっている形となってしまっております。                                                                    私はそうは思いませんが、集団自決(強制死)では併記でなく集団自決=強制死と受け取られご理解いただけない場合もありうる言うことは一応今後の参考になります。ありがとうございます。加えて、記述する場所が適当か不適当かは話し合いで決めるべきですが、私が「雪ダルマルール」によって明言を避けたものが実際にその通りとは限りませんので注意なさってください。もちろん、逆のケースもあります。ここでは真実より検証可能性ですが、本来、論議の場ではありませんから(ノートで議論するより編集に力を入れるべきと言う意味)、価値のあまりない労力は避けたいです。

>新たに何か書く場合はノートで提案していただき、記載していただきたいと思います。

こちらを参照してください。 Wikipedia:ウィキケット#ノートページの濫用を避けるためには

参考: 引用

「ノートページの濫用を避けるためには                                                      ノートページにコメントを書き込む前に、自分自身に尋ねてみてください: それは本当に必要だろうか? どうして自分はただ記事を編集して要約をつけるだけに留めないのか? 自分が何をしたのか、そしてそれはなぜなのかは、明らかではないだろうか?」

ノートページの濫用を避けるためには、まず要約と編集内容を見ていただき、あなたにご意見があればいつでもここで主張なさってください。

こちらも参考にしてください。 Wikipedia:基本方針とガイドライン

参考:引用

「あなたはウィキペディアの編集者です。ウィキペディアには、編集長はいませんし、百科事典の日々の進行の監視や承認をする中央のトップダウンのメカニズムもありません。」

第三者から見て、お互いに相手を管理しようとしているとみなされることはお互い好ましくないでしょう。(対立して編集合戦をしているとみなされることにもなりかねません。) 好ましいのは意見を取り入れてお互いに合意点を見つけることではないでしょうか。

上記の通り、ここでは特定の個人の見解による(或いは特定の個人の見解への)監視や承認はあってはならないものであるのです。 Wikipediaの方針やルールなどに反していないかどうかを相互にチェックすべきです。

ご意見には可能な限りここで説明したり譲歩するなり対応しますが、事前のノートページへの編集内容の記載は、上記の通り「ノートページの濫用」になる可能性がありますからできません。何卒ご理解ください。今後ともよろしくお願いします。--mjft8499 2008年10月1日 (水) 16:50 (UTC)[返信]

えっとこの記事は、これまで波乱万丈あり、議論あり、合戦あり、ソックパペットの荒らし参加あり、でやっと落ち着いてきた記事です。そうして何とか出来上がってきた記事を無言で提案や合意もなく大幅に編集されると、ふたたび編集合戦や無駄な編集履歴を残すだけとなります。実際に今回も私とあなたでノートで最初から話せばおこらなかった無駄な編集が何度もされているでしょ。

Wikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れない

現在も議論が進行中の記事もありますし、長々と議論をした末にできた項目もあります。そのような項目を深く考えずに大胆に編集することは避けてください。

論争になりそうな主題を扱った項目を編集する前に、ノートページのコメントに目を通してください。なぜ、現在のような記述になっているのか、その経緯を理解してください。論争の種となる項目を編集する前に、ノートに、編集したいところを抜き出して、どのように変更するかを提示してください。ノートに提示したあと、1週間程度待っても反応がなければ、その編集を実行してください。しかし、質問や反論が出た場合には、一定の合意が得られた後に本文を編集してください。

荒れないためにこれは基本的なことですので、頭に入れておいて頂ければと存じます。 --Dondokken 2008年10月2日 (木) 03:15 (UTC)[返信]

Dondokkenさんへ

強調表示が適切なもの以外除かせていただきます。強調表示は部分的にするから注意を促す意味があるのであって、全体的にすれば大声の意味になってしまいます。私の提案です。 私は強調表示しないことをお約束いたします。

そこまでおっしゃるのなら言わせていただきますが、ご自分が 日本教職員組合のページで2008年9月28日保護依頼がでて、「保護依頼S」がはられ(代理ではられたものです)。張られたタグ上に明示的にノートへの議論への参加が求められているにも拘わらず、あなたは、ノートへの議論への参加もしないで、他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいに反する編集がなされた結果、私に保護依頼時版のの意味を修復するための修正ををされたことをお忘れですか。(あなたの編集への削除を最小限にするために最小限の修正にしました。この保護依頼は私が出したものではありません。)

(私のリンクの仕方が未熟です。実際は外部リンクではありません。) 1度目 ]「左派系マスコミ」という表現はノート:日本教職員組合で問題となっています。あなたが最初に記述したものではないですが、ノートページでの私以外の方の意見もあったのですから、あなたに中立的観点を重んずる意識があれば書き換えるかすべきでした。

2度目 このとき私は要約欄に「M NPOV両論併記を損なわない形への修正。(出典を示してない部分 「対象となりやすい」「結果的に」などを出典済みの範囲で済む表現に修正など」と書きましたが、あなたはノートへの参加もしていません。

ここで、ノートへの議論への参加を促せたいのなら、保護依頼をださなければなりませんが、荒らしや編集合戦が予想されるでは保護依頼は受け付けられません。 私にもあなたにも平穏なページで議論を無理に作り出すことはできません。ご理解をお願いします。

私がここの編集を始めた後にアカウント登録なさったあなたが来るまで、全く平穏でした。 途中で編集に加わってくれた方もいましたが(2.3.2.1 死に向う意識)、位置の移動とその方の執筆へのリンクをはらせていただくなどさせていただいています。

私の編集が問題なら、あなたがアカウントを取得する前にでも、他の誰かがあなたの言うことと同じことを言わなかったのか、よく考えてください。

>荒れないためにこれは基本的なことですので、頭に入れておいて頂ければと存じます。

あなたの引用したものは、保護依頼がでるようなページで守るべきルールで、ここで守るべきルールではありません。

あなたは上記のように他のページでノートページで議論に参加することが求められているにもかかわらず、ノートへ参加もせず、勝手な(以前のの意味内容を変更するような)編集を強行しました。 ノートページをちょっと見れば、「編集を強行しないでください」との要請が見えたはずです。あなたの勝手な編集の結果、 私も含め、私のあなたの編集への修正が最小限過ぎて不適切だったことや、その後も荒らし行為が続いたこともあって、複数の方が以前の版へ復活することを含め、時間の無駄と労力を強いられたことを、どう考えているのですか。

ここは、他のページのことを論じるところではありませんが、あなたにご自分のおっしゃっていることの真の意味を見直していただきたくてリンクをさせていただきました。

あなたは、いかなるノートページでもご自分の意見を載せる権利がありますし、推奨されます。 しかし、荒れていないページで、個人の主観と予想から他人の編集を、上記のような場違いの(状況が異なる)場に無理に当てはめて、他の編集をコントロールすることは許されません。

いわんや、上記でご自分が引用されたルールが本当に必要とされ、守られるべき保護依頼のでているページでノートページへの参加を無視されたあなたがここで私の編集を上記のルールを口実にコントロールすることはできないことをご理解ください。

論議と言うものはほどほどで切り上げるべきものなのですよ。ここまで申し上げることは、私の本意ではありません。

保護依頼が出されているようなところでは、まずノートページに参加してください。それ以外のところでは、他の編集に干渉しないで、編集の要約欄を見た上でノートにご意見をお書きください。(くれぐれもノートへの事前のご自分による他へのカ編集に対するコントロールを無理に実現しようとして、実態を偽る個人の勝手な予想や思い込みで保護依頼はださないことをお勧めします。依頼しても(賛成)してくれる人がいないことですぐ分かってしまいます。) ノートページの濫用になるのでこの種のあなたのご主張には今後応じかねますが、私も欠点の多い不完全なものであることぐらいはじかくしておりますので、編集に関する、編集の要約欄を見た上での、Wikiのルールに従った(偽善的な誤適用は除く)ご意見には喜んで可能な限り応じさせていただきます。

最後に念を押しておきますが、ここは、議論をした上で編集する状況ではありません。だからといって、一般的なルールに反した編集は削除されます。 ルールに反した削除編集は荒らしになります。 その是非はあなたや私の個人的見解で決めるものではありません。ルールに従うこと、「敵のために編集」することもできるようにしてください。私はそれを努力し実践しようとしています。

追伸、今回あなたの提案で削除されたものはほとんどないです。ほとんど移動しただけですよ。私は意見を交わしながらの編集は無駄とは思っていませんが、事前の編集内容のノートへの記述は、保護依頼の基準に達している場合(荒らしの現実の進行中の危険が存在する)以外、おことわりします。

納得できないのなら、あなたと私の論争に決着をつけるには、あなたがここの保護依頼を出して、通るかどうか待ってみるしかないでしょう。 あなたに保護依頼を出すつもりがないのなら、上記に納得なさってください。 どちらを選ぶのもあなたの自由です。

ノートページの使用目的に合わない(濫用になるかもしれない)ので、今回はこれで終わりにします。今後応じません。その他編集のご意見などには応じます。

ここの本文とノートページは私のウォッチリストに入っています。ルールに反する荒らしがあれば報告します。9月以来1ヶ月、私が編集した期間1件ありませんでしたが、今後荒らしがでれば誰かの操り人形かも含めて、管理者の方に調査をお願いすることになります。私がしそこなっても他の方がしてくれるでしょう。本文ではないので誤字脱字のチェックは念入りではありません。ご了承ください。

では、ひとまずさようなら。Dondokkenさんへ

--mjft8499 2008年10月2日 (木) 06:18 (UTC)[返信]

>あなたの引用したものは、保護依頼がでるようなページで守るべきルールで、ここで守るべきルールではありません。

えーと。これは方針やガイドラインのどこに書かれているのでしょう?あなたのオリジナル「意見」ですか?私が引用したガイドラインがなぜあるのか?お考えになってください。荒れないために・編集合戦にならないためにあるのです。荒れやすい記事ではノートで提案し合意を目指すのが基本姿勢です。どうぞご理解ください。

こちらで日教組の話をされても困りますが、私は日教組の記事において、こちらであなた様がおこなったような無言で大幅な編集はしておりません。少なくとも、「あなたも同じことをしてる!」とおっしゃったということは、「ノートで提案しなくてもいい」という間違えた主張をしていたことをお認めになったと判断させていただきます。今後、ご注意ください。私も注意したいと思います。荒れやすい記事ではノートで提案し、合意を目指してくださいね。そして他者の署名入り発言をいじることはブロック対象にもなり得る行為ですので、ご注意ください。Wikipedia:投稿ブロックの方針#8.2項 他者の発言の改竄)--Dondokken 2008年10月2日 (木) 06:46 (UTC)追記--Dondokken 2008年10月2日 (木) 06:59 (UTC)[返信]

Dondokkenさんへ その論議は、もうやめましょうよ。

>あなたも同じことをしてる!

あのときあちらは保護依頼中であなたが引用したノートでの論議が要求のルールが適用されるべき状態でした。ここは違います。納得できないのですか。 あなたの引用されたルールがあてはまる場合を分かってほしくて述べたまでです。

あなたの監視がご自分の見解と異なる執筆の排除にならないことを祈るばかりです。

あなたはすでに文部科学省の検定もパスし、検証可能性も満たしている表現(集団自決/強制死)を私に本文から削除させていますので心配です。

>他者の署名入り発言をいじることはブロック対象にもなり得る行為

そうですか。そのとおりかも知れませんが「発言」はいじっていません。「飾り」を提案のつもりでいじっただけです。

あなたのご指摘でご指摘の趣旨とは異なりますが、誤編集(コピー編集での抜け落ち)が見つかり、感謝していると申し上げたではないですか。

>無言で大幅な編集

私のコピーアンドペーストの誤りでそういう印象を与えたのかもしれません。本当にあなたのおっしゃるとおりなら、あなた以外の人が同じように主張していたとは考えてみないのですか。 私はあなたと異なり、特定の概念を検証可能である限り削除させたりはしていません。

ここはあなたの個人のページでもなければ、私のページでもないことをご了解ください。私は常にノートページをウォッチしながら、できるだけ具体的に要約欄に書き込んでいます。

もう書き込まないつもりでしたが、分かっていただければと思い書き込みました。お互いにルールの誤用、勘違い、自分の見解に基づく他者への編集削除の強要は慎みましょうよ。

--mjft8499 2008年10月2日 (木) 07:36 (UTC)[返信]

やれやれ。荒れやすい記事でノートで提案し合意を目指すのは当たり前のことですから、それも理解できず、反論までしてしまうようでは方針熟読の期間が必要に思えますね。「ノートで提案しなくていい」なんて主張を押し通す方と初めて接しましたよ。--Dondokken 2008年10月2日 (木) 07:44 (UTC)[返信]

第三者へのコメント依頼の内容について

Mjft8499さんがコメント依頼をされたようですが[6] 、日教組において私は一部しかいじっておりませんが、ご自身は大量にいじっておきながら、他者の編集は「編集強行」などと印象操作・ミスリードをして第三者の方々にコメントを依頼する行為はお止めください。私に対してはもちろん、依頼される方々にも失礼にあたります。--Dondokken 2008年10月2日 (木) 07:07 (UTC)[返信]

ミスリードなどされないでしょう。(それこそ失礼ですよ)

第3者の方が履歴を見て判断しますから。あなたのおっしゃる通りなら、それが指摘され解決されるでしょう。

私は自分では気付かない自分の誤りも正したくて依頼いたしました。

私があなたを悪人に仕立て上げるつもりなどと絶対に思わないでください。

あなたとの「合意の形成のための依頼」なのですよ。あなたの行為についての依頼ではありません。 落ち着かれてご理解くださいますようお願いいたします。--mjft8499 2008年10月2日 (木) 07:36 (UTC)[返信]

えーと、10月1日になってもまだ日教組の編集をされているあなたに、ずいぶん前に少しいじった私が「編集強行」などと言われたことが心外でした。人にコメントをお願いするときは中立的表現でお願しましょう。--Dondokken 2008年10月2日 (木) 07:47 (UTC)[返信]

Dondokkenさんへ 確認しておきますが、あなたからの「当該記事はこれまで激しい編集合戦などが行われ、やっと落ち着いてきた記事です。ソックパペットの荒らしの常連まで出現する注意すべき記事です。大幅な書き換えをする場合はノートで提案し合意を得てからおこなってください。荒れるだけですので。--Dondokken 2008年9月30日 (火) 03:09 (UTC)」という提案には同意していますが、大幅な書き換えでない場合までノートには書きませんと申し上げているのですが。そう何度も大幅な変更を続ければ荒らしですよ。私がそうだとおっしゃりたいのですか。

どうか、保護依頼など出されていない状態での通常の編集では、要約欄を参照の上、ご意見くださいますようにご理解お願いします。

ご指摘の10月1日の「編集」は、重複するもののまとめと、麻生氏の発言のところの語句を正確になるよう修正したものです。履歴を見ていただいて、できるだけ保護依頼がだされた時点の版の意味内容を修復しようとしたものであることをご理解いただければ幸いです、私はそこでノートに参加していますし、私の編集への意見にも注視してきています。あなた一人の意見も尊重しなければなりませんが、その他の方の意見(保護依頼とか)も尊重しなければなりません。--mjft8499 2008年10月2日 (木) 09:18 (UTC)[返信]

>大幅な書き換えでない場合までノートには書きませんと申し上げているのですが

そうなんですか?こちらでは[7]そんなことは一言もそれを仰ってなかったのですし、しかも事前のノートページへの編集内容の記載は、上記の通り「ノートページの濫用」になる可能性がありますからできません。とまで仰ってたので、全否定されているように見えましたけどねえ。まあ、小規模でも編集合戦になりやすい場合はノートで合意が基本だと思います。私もあなたも注意していきましょうよ。--Dondokken 2008年10月2日 (木) 09:30 (UTC)[返信]

Dondokkenさんへ 前述の日本教職員組合は、編集合戦にならないように後片付けしてきた方々のおかけで、どうやら保護にならないで済みそうです。 私の修正は不完全だったようで私の修正部分(あなたの編集部分の)はほとんど削除されました。よかったです。これおを謙虚に教訓にしてください。 私も私の修正の不徹底さを教訓にします。

あなたのいう「大幅な変更」ですが、意味内容の削除はしないで、移動と加筆だけのものを勝手に「大幅な」と呼ばないでください。

私は他のページでも意味内容を変更するような削除を伴う変更のときは、ノートページにその旨を書いてから1週間経過後に編集しています。 私の履歴を見ればわかるはずですけどね。あなたはもう見ているはずですし、わかっているはずです。

規則を守ってやっていることを、さも守っていないように中傷する、あなた一人だけに約束しなければならないなどということなどはありませんということはご理解ください。

あなたが心配する必要もなどないのですよ。何卒ご理解のうえ、今後、絶対に悪意ある誤解に基づいた主張はなさらないでください。

あなた一人の要求でノートページを使うのは、いまもその状態ですけど「濫用」です。あなたがルールではないのです。誰もあなたの思い通りにはなりません。(もちろん誰も私の思い通りにはなりません) だから、私はあなたに何も要求していませんよ。それよりどこか保護依頼も出されていないところで編集加筆してみてください。そこで修正削除されても誰にもあたらないでください。 Wikiは自分の主張の正当性を確認する場所ではありません。 論議が好きならWiki以外でしましょう。

このノートの今回のあなたとの記述は意味がなくサーバーの容量の無駄遣いです。 まったく最後のあなたのメッセージを見て、今まで説明して損をした感じです。残念です。

ここでのあなたの編集、特にセクションの整理はよいと思っていたので、余計に残念です。 くりかえしますが、編集加筆で充実した時間を過ごしてください。議論はほどほどにしましょう。--mjft8499 2008年10月2日 (木) 11:38 (UTC)[返信]

サーバーの容量の無駄遣いと言いながら日教組がどうのと意味不明な嫌味まで語るってどういうことなんでしょうね。ちなみに日教組の記事ですが、残念ながら私が加筆した「本質を突いている」という橋元発言などしっかり残ってますけどね。頑張っておられたようですが保護にもならず思い通り運ばなかったようで、お疲れ様でしたとしか言いようがありません。 あなたの履歴がどうなのか知りませんが、「事前のノートページへの編集内容の記載は、上記の通り「ノートページの濫用」になる可能性がありますからできません。」 こういうノートで合意を目指す姿勢を持たず、編集優先するような発言は、恐らく誰にも支持していただけないと思いますので、気をつけたほうがよろしいかと思われます。(福島のipさんは違う方ですよね?)--Dondokken 2008年10月2日 (木) 11:55 (UTC)[返信]

提案

本文は適当と思われる版に差し戻しました。 私はここで新たにサイパンの集団自決の項目を執筆したいと思い、ウィキペディアに参りました。 有名な歴史学者でもある大学教授の信頼性を主観的に決め、その出典など取り除くようなDondokkenさんのような考えの方は、Wikipediaからお引き取り願えないでしょうか。 ノートページの荒らされた部分も後日削除するよう提案します。

 いかがでしょうか。以上の署名の無いコメントは、Cdtds1107am(会話履歴)さんによるものです。 -- mjft8499 2008年10月3日 (金) 20:37 (UTC)[返信]

Cdtds1107amさんへ。 はじめまして。 (署名を付記しました。)

今後ともよろしくお願いします。--mjft8499 2008年10月3日 (金) 20:37 (UTC)[返信]

ついでに提案ですが、せめてインデント変えてやり取りしませんか?文頭にハイフンを入れれば、その数だけ下げられますので。--Ks 2008年10月3日 (金) 23:01 (UTC)[返信]
ご教示ありがとうございます。申し訳ございません。
Cdtds1107amさん、もしかしてログインしないまま投稿されましたか?(少し前に私も失敗しました。)
他の方の新たな編集を尊重しましょう。
114.49.112.20さんの執筆を反映させたいと思います。下の妙なセクション名は修正させていただきます。--mjft8499 2008年10月4日 (土) 10:17 (UTC)[返信]
Mjft8499さんへ
114.49.112.20さんと私は別人です。
>114.49.112.20さんの執筆を反映させたいと思います。-賛成です。
リンクは相手が削除したからといっても、その人のも残すべきです。
(老婆心ながら)、「少し前に私も失敗しました」は消しといたほうがよいのではないでしょうか。
Dondokkenさんへ。
編集された主体に関する私に対する質問ですので、場所を割り込ませていただきました。
そんな態度が許されると思ってるのですか
さぞお偉い方なのでしょうが、ここではあなた一人の主張だけ通すことはできません。 個人のサイト(正確には大学のサイトの研究室サイトの関係サイト)だからといって掲載されている文献の信頼性に関係ありません。あなたのご主張には目を通しました。--Cdtds1107am 2008年10月4日 (土) 11:42 (UTC)[返信]
そんな態度が許されると思ってるのですか?議論拒否は危険ですよ。また、あなたと同じようにあなたの妙なセクション名は修正させていただきました。自己を鏡で見れるように期待します。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 10:56 (UTC)[返信]
Cdtds1107am氏へ。自由空間(漫画喫茶)からの投稿をしているようですが、どちらかのソックさんなのでしょうか?仰ってることが今ひとつ理解できませんが、あなたの編集って単なるリバートですよね?単純なリバートは荒れる原因となりますのでご注意ください。wikipediaは民主主義の場でも多数決の場ではないので、合意を目指す姿勢を持ってくださいな。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 12:36 (UTC)[返信]

ご忠告に従い、「消し」ました。ありがとうございます。 もしやご投稿いただけたのかと思いお聞きしました。失礼をお許しください。 賛成していただいてありがとうございます。沖縄タイムズのリンクも保持します。

114.49.112.20さん。ご投稿ありがとうございました。ご投稿が修復され、反映されるまで今しばらくお待ちください。

私もDondokkenさんの主張には目を通しましたが、「集団自決はすべて自発的なもの」という立場から、出典と共に記述を変更したり、その立場のみ記載する結果にするための「議論」にはのれません。 ここは集団自決の論争一般について議論するところではありません。それをなさりたいならここでは無理です。

例えば、 ①過去の呼称としての琉球人という用語に論争はありません。このレベルを持ち出せば、大東亜戦争も玉砕もそうなってします。沖縄人(誤訳?)や原住民は不適切でしょう。 ② このレベルでの新たな出展の要求はいかがなものでしょうか。出典はあなたの消した文献に載っていたと思いますが。(そのサイトで見れなくてもリンクをたどれば見つかります。リンクしないように要求されているページもあります。) ③ 集団自決はすべて自発的であり犠牲ではないと言う主張のみに偏った主張をのせることはWikiにはふさわしくありません。WP:NOTをお読み下さい。 ④ これは林教授の説ではなく、住民の体験談の研究の集大成からの通説ですね。リンク先でもカギカッコです。当時も研究は未完成進行中であることはご存知ですね。当時の歴史学研究の背景の説明を除かないでください。 以下同様です。 IPユーザーだからと言って、移動以外の新たな執筆分をすべて削除してよい訳ではありません。--mjft8499 2008年10月4日 (土) 13:28 (UTC)[返信]

>「集団自決はすべて自発的なもの」という立場
またレッテル貼りですか・・。私は出典を求めてるだけなんですがね。なぜ余計な言葉を入れてくるでしょう。
①「地元民」が一番最適です。何を言ってんですか、あなたは。自分の記載をお忘れか?もしなんでしたら、ここらにお詳しいUser:スミス16号氏のご意見をいただいてもよろしいですよ。②「林博史『歴史学研究』第831号 」これですか?これの何行目に何と書いてあるというのでしょうか?ご説明をよろしくお願いいたします。③全然質問の答えになってませんねー。私が確認したところあなたの提出した出典に書いてないんですよ。ということは、あなたは、虚偽の記述をしたか、もしくは独自の解説をしてしまったことになります。出典と説明をよろしくお願い申し上げます。あなたの解説はいりません。④なんていうのかな、そういう研究があったのはいいんですよ、別に。「集団自決と住民虐殺は表裏一体であるとする立場の住民殺害として教科書に載った」と書かれている出典をお願しているのです。あなたが書いた「その立場として教科書に載った」という出典をお願いしてるのです。研究結果は「軍の強制とする立場」あたりに記載していただければ良いのです。私は納得できればいつでも合意しますので、どうぞよろしくお願い致します。
ひとつこちらから言ってしまうと、集団自決まで含める「住民殺害」を表現しようとしたのは裁判前の家永の教科書なのでは?
  • 教科書記載の経緯
1974年の家永教科書
「沖縄県は地上戦の戦場となり、10万をこえる多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死に追いやられた」
ご覧のように住民犠牲のことしか書かれておりません。住民殺害も集団自決も書いてないのでは?しかしあなたは、これを「集団自決が含まれる記述」と独自に解説しているわけです。
1982年江口の教科書。ここで江口は「住民殺害」を書こうと思ったが検定で引っかかり、書けなかったわけです。
江口の検定が通った教科書
6月までつづいた戦闘で、軍人・軍属約94000人。(うち沖縄県出身者約28000人、鉄血勤皇隊・ひめゆり部隊などに編成された少年少女をふくむ)一般住民約94000人が犠牲となった。県民の死者は県人口の約20%に達する。
ご覧のとおり、沖縄の犠牲のみの記述であり、集団自決どころか住民殺害も書かれていません。だからこそ沖縄は抗議したのです。
そしてその後、文部省が折れ、住民殺害はOKとしたが、家永が集団自決も含めて「住民殺害」として書いたので、文部省は「集団自決と住民殺害は別けろ。集団自決の方が多いのだから」と検定意見をつけたわけです。そして裁判では国側が勝ち、集団自決が記載されるに至った。
これが経緯です。
つまりあなたの言う「集団自決と住民虐殺は表裏一体であるとする立場」の住民殺害を書いたと言えるとすれば、それは裁判前の家永の教科書である。
違いますか?--Dondokken 2008年10月4日 (土) 14:07 (UTC)[返信]

mjft8499さんへ 理のない要請とあなたが思われよう、検証可能性は必要でしょう。 調べる間、要出典をご自分で表示なさったらいかがでしょうか。 とりあえず、十分な理由もなく削除されたIPアドレスさんのご執筆は、すぐにでも修復すべきです。一点だけ、「反感」とあるところはそれに至る歴史の説明を加えるのが筋ですね。同意いただけますか。

Dondokkenさん 出張中にここを覗いていているだけです。ホテルのインターネットが使用できませんでしたが、今は利用できます。 インターネットカフェの店の名称まで公表するのは、さまざまな点から考えても不適切です。おやめください。 今度は私の宿泊しているホテル名まで公表しますか。管理者にチェックを依頼するのはかまいませんが、ご自分で軽率なことはしないでください。

>文部省は「集団自決と住民殺害は別けろ。集団自決の方が多いのだから」と検定意見をつけたわけです。そして裁判では国側が勝ち

カギ括弧の中の内容で裁判が争われたようにおっしゃられていますが、「集団自決を教科書に書け」とする検定意見が違法ではないと判断されただけです。

議論の拒否とおっしゃりますが、あなたこそ、議論を書いている外観だけ示して、新規の執筆を軽率な独断で削除して、合意形成の妨害をなさっているでしょう。ウィキペディアが民主主義の実験の場でないこととPOVの編集強行とは関係ありません。あなたに合意形成の用意があるのなら、いつでも歓迎します。--Cdtds1107am 2008年10月4日 (土) 15:29 (UTC)[返信]

信用されない行動は控えていただきたいものです。こちらはソックが現れやすい場ですので。話がかみ合ってませんが、検定意見が違法ではないと判断されただけというのは理解してます。論点はmjft8499氏が記述した形容詞についてのことです。下の「出典と整合性のない記述について」という場で詳細に説明しましたので、読んでいただければお分かりになっていただけると思います。また、カナダIP氏の記述は出典がなく独自研究ですので復帰は難しいです。出典と共に復帰するのならば賛成します。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 16:50 (UTC)[返信]
Cdtds1107amさんへ
>「反感」とあるところはそれに至る歴史の説明を加えるのが筋ですね。同意いただけますか。
ご教示ありがとうございます。勿論同意いたします。

Dondokkenさんへ

>「地元民」が一番最適です。
議論をすり替えないでください。差別語でもない戦前の呼称の併記を許さない姿勢がPOV問題なのです。沖縄県民とするほうが最適でしょう。
>住民犠牲
犠牲者にはもともと自決者を含みます。
>集団自決と住民虐殺は表裏一体であるとする立場」の住民殺害を書いたと言えるとすれば
検定→沖縄県の猛反発→記載復帰でしょう。
質問(議論)が全くかみ合っていません。合意に導く姿勢があるのでしょうか。別の話になりますが家永氏がわざわざ「非業の死」と書いた意味をご存知ですよね。--mjft8499 2008年10月4日 (土) 16:42 (UTC)[返信]
確かにかみ合ってませんね。地元民という表現は賛成します。「犠牲者にはもともと自決も含みます」犠牲者=死者なので自決を含まれていたと想像はできるかもしれません。そこには癌で亡くなったものも含まれているかもしれません。そしてその分類・人数ははっきりとわからず、教科書記載において集団自決なるものを意識的に含めていたのかどうか、国はそれを理解して検定を通していたのか不明ではないでしょうか。「検定→沖縄県の猛反発→記載復帰」は理解できますが、それはあくまで「住民殺害」の記述ではないでしょうか。教科書の「住民殺害」の中に集団自決が含まれていたかどうかは不明ではないでしょうか。そこらをはっきりさせる出典が欲しいものです。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 16:50 (UTC) [返信]
この私の発言は219.14.189.123氏の意見[8]にこたえたものでしたが、なぜか途中でMjft8499氏が手を加えて180度意見を変えたのでおかしなことになりました--Dondokken 2008年10月4日 (土) 17:13 (UTC)[返信]

よくわからないのですが。219.14.189.123=Cdtds1107am氏ということでしょうか?--Dondokken 2008年10月4日 (土) 18:04 (UTC)[返信]

219.14.189.123=Mjft8499氏なんですね。[9]--Dondokken 2008年10月4日 (土) 18:04 (UTC)[返信]

な、なんなんですか、これ?自演ですか???意見が180度変わってるんですが・・・。私の返答がおかしくなってるじゃないですか。219.14.189.123では確かに、「原住民」から「地元民」に変えてますね[10]。そしてMjft8499氏がそれを原住民にまた戻す[11]。どうなってんですか、これは。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 17:04 (UTC)[返信]

219.14.189.123=Cdtds1107am氏
彼の居たカフェ名まで突き止めておいて、白々しいでしょう。署名の下にPSしないでください。
>219.14.189.123=Mjft8499氏なんですね
そうですよ。私が最初に地元民を変えてますよ。慌てて取り消してしまい、その後ログインして編集しなおしています。
>な、なんなんですか、これ?自演ですか???
自演は署名の下に書き加えたあなたでしょう。履歴で確認できます。本当にこれを書いたのはあなたではないのですか。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%87%AA%E6%B1%BA&diff=prev&oldid=22147259

意見が180度変わってるんですが・
私は自分の意見を変えてませんよ。人の意見も変えていません。こんな夜中になにやっているんですか。
競合で4回ぐらい投稿できませんでした。--mjft8499 2008年10月4日 (土) 18:14 (UTC)[返信]

それは私の発言ですよ。誰が見てもわかるでしょうに。わかりやすいように署名をつけておきましょう。さて、単なる署名わすれと違い、あなたの行動をみてみましょう。 まずIPで『「地元民」で良い。なぜなら私が編集したからである』と発言[12]。するとその後に『議論をすりかえるな。沖縄民が最適だ』とアカウントの変化と共に言うことが180度変化[13]。つまり完全に意識的に自演をしていたことは明らかである。いくら努力する私でも、これじゃ議論できませんよ・・・。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 18:04 (UTC)[返信]

「夜中に何してる?」などと意味不明な反論しておられたり、ご自身の行為を反省していただけないようですね。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 18:22 (UTC)[返信]

いつそんなことを言いましたかね>「沖縄民が最適だ。」 後ほど版を明示してここに並べます。--mjft8499 2008年10月4日 (土) 18:27 (UTC)[返信]

「沖縄県民が最適だ」でしたね。並べる意味が不明なんですが、あなたの破壊的行為はすべて記録されてますのでいくらでもどうぞ。どうかまず反省をしてください。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 18:31 (UTC)[返信]

破壊行為と誹謗中傷はあなたでしょう。地元民が最適だorj地元民と編集したのは私だと沖縄県民のほうが最適だ がどうあなたの返答に錯誤を起こしえるのですか?
とにかくCdtds1107amさんとの同意通りします。あなたはCdtds1107amさんの言う通り、合意形成を妨害し新規の執筆を監視して気に入らないものを削除しているだけです。--mjft8499 2008年10月4日 (土) 18:50 (UTC)[返信]
私の意見に賛同したIP[14]。だからこそ私はIPに賛同する返答をしているのです[15]。すると私がIPへの返答を書き込んでいる間に私の意見に反対する記述に書き直したMjft8499[16]。一目瞭然じゃないですか。まったく反省の色を示さず、それどころかあれやこれやいい加減な言い訳までするようでは埒が開きませんので、第三者に意見を広くいただきたいと思います(できればご自身で反省の弁を仰っていただけることを期待していましたが)。また、あなたのノートでも書かせていただきましたが、複数アカウント(IP含む)による、他のユーザーを欺く行為は破壊的な行為と言うのです。お読みください自作自演による議論を妨害
そして、私がこれまで何度も同じ質問をし、ノート:集団自決#独自研究の記述についてまでつくってわかりやすく理解できるように述べた質問にもお答えにならず、なぜか「妨害」だの「監視」だのと意味不明な発言をおこなう姿勢はいかがなものでしょうか?自演、議論拒否、、、問題ある方だなと確信いたしました。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 19:08 (UTC)[返信]

一連の 編集に関して

①「琉球人」という用語は論争あり。「地元民」という表現がNPOVのため修正。

②大和民族がどうたらという編集者の独自研究を除去。

1983年以降高校教科書には「日本軍により(集団自決を)させられた」と書かれている 書かれていない。1983年から集団自決がさせられたと教科書に書かれていたする出典要請。

③「沖縄県は地上戦の戦場となり、10万をこえる多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死に追いやられた」 これは沖縄県民の犠牲の記述であり、これに「集団自決も含まれた記載」という解説は、編集者の独自研究。この頃の教科書には集団自決のことは書かれていない。また林の出典先にもそこまでは書かれておらず、たとえ林がそう主張していたとしても、それはひとつの意見であり、「集団自決も含む記載だった」と断言してしまうのはWP:NPOVおよびWP:ORである。まずはMjft8499氏が出典として出した林の論文のどこに「教科書の住民殺害記載は集団自決も含まれていた」と書かれているのかご提示願う。

④「集団自決と住民虐殺は表裏一体であるとする立場の住民虐殺として教科書に載った」 住民殺害は教科書に書かれたが、「集団自決と住民虐殺は表裏一体であるとする立場」で載ったかどうか不明。林もその立場で教科書に載ったとは書いていない。万が一、林が「その立場で教科書に載ったのだ」と主張していたとしても、それはひとつの意見であり、本当にその立場で教科書に載ったかは不明である。林の意見は意見として書くべき。この部分は編集者の独自研究による解説である。まずはMjft8499氏が出典として出した林の論文のどこに「集団自決と住民虐殺は表裏一体であるとする立場の住民殺害として教科書に載った」と書かれているのかご提示願う。

⑤林の論文を載せている個人サイトの除去。

⑥沖縄タイムスの出典除去を戻す。

以上、今回の訂正[17]。明確な回答をいただけないうちにリバートなどはご遠慮ください。それにしても、新アカウントさんやら、カナダIPさんまで急に現れたりしているので、驚かされましたよ。特に新アカさんはソックでないことを祈ります。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 05:04 (UTC)[返信]

私の指摘部分の多くはmjft8499氏が執筆したものです。しっかりとした回答をお待ちしております。反対者がいる場合はお互いに妥協点を見つけあい、議論して記事に反映させる姿勢を持ってください。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 12:38 (UTC)[返信]

--mjft8499 2008年10月5日 (日) 06:02 (UTC)[返信]

出典と整合性のない記述について

Mjft8499氏の独自研究と思われる記述について[18]

  • Mjft8499氏の記載 『集団自決を含む沖縄県民の犠牲に関する教科書への記載は、1974年に家永三郎著「新日本史」(三省堂)の脚注に「沖縄県は地上戦の戦場となり、10万をこえる多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死に追いやられた」と書かれていたのが最初である。』
  • Mjft8499氏の記載 『1982年の高校教科書「日本史」(実教出版)の脚注において、江口圭一氏が日本軍による住民殺害を書いたときは検定意見がつき、これに沖縄県が猛反発し文部省は次の検定より「住民殺害」を載せざるおえなくなった。集団自決も日本軍による強制で住民殺害に含まれると言う立場の記述が教科書に載るようになった』

上記の出典として彼は以下の二点を本文で出していた。

Mjft8499氏の記載①②を見ていただきたい。どちらも教科書にどのような内容が書かれたのか?を説明する記述である。

Mjft8499氏の記載①では「(1974年に)集団自決を含む沖縄県民の犠牲に関する教科書への記載」だったと彼は記述している。しかし彼が提出した出典先を調べてみると、出典のほうに、

「(1974年の教科書には)「沖縄県は地上戦の戦場となり、10万をこえる多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死に追いやられた」という叙述が書き加えられたのがほぼ唯一だった。」

としか書かれていなかった。どこに「集団自決を含む沖縄県民の犠牲に関する教科書への記載」だったと書かれているのだろうか?「集団自決を含む」という形容はMjft8499氏の独自解説であった。

Mjft8499氏の記載②では「(1982年に)集団自決も日本軍による強制で住民殺害に含まれると言う立場の記述が教科書に載るようになった」と彼は記載している。しかし彼が提出した出典先を調べてみると、出典のほうに、

「江口圭一氏が日本軍による住民殺害について記述したところ、検定意見がつき」「(1982年、沖縄の抗議などにより)日本軍による住民殺害の記述が教科書に載るようになった。」

と「住民殺害が記載された」としか書かれていなかった。どこにMjft8499氏が記述した「集団自決も日本軍による強制で住民殺害に含まれると言う立場の」という形容が書かれているのだろうか?この形容はMjft8499氏の独自解説であった。

ちなみに出典については何ら本文にあるような教科書の経緯を示すことは書かれておらず、単なる林という教授の「集団自決強制論」が書かれているだけであった。

Mjft8499氏が間違えて書いてしまったのか、もしくは「集団自決は住民殺害だ」と主張したいがためにわざと書いたのかはわからない。何度もこの辺のことについて質問しているが、何だかんだ理由をつけて明確な答えを頂けない状態である。質問に是非明確に答えて頂きたいものです。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 16:21 (UTC)追記--Dondokken 2008年10月5日 (日) 06:58 (UTC)[返信]


「合意により」などと言い、また強行編集しております[20]。一体どこに合意があるのでしょう。--Dondokken 2008年10月4日 (土) 21:30 (UTC)[返信]

こんにちはスミス16号です。琉球人の表記についてDondokkenさんの要請がありましたので書きます。さて沖縄戦当時の一般的なと判断できる表記は沖縄県民、沖縄県人です。これは当時の新聞(沖縄、本土とも)などからも確認できます。因みに琉球人表記は、その後のアメリカ統治時代には良く見られます。これはアメリカの意向により、その支配地域を琉球列島と呼び倣わしていたからです。従いまして沖縄戦当時とするなら、琉球人表記は不適当だと思います。IPの方は集団自決民族問題としたいとの意向と見受けますが、これも主張者はおりますので明快に出典をお示しになった方が良いでしょう。
またDondokkenさん以外の方にお願いなのですが、このノートでの記述、時系列順に上から下へ書いて頂けませんか。コメント依頼が出ていて意見を述べようにも、非常に議論の流れが分かり難いです、よろしくお願いします。スミス16号 2008年10月4日 (土) 23:41 (UTC)[返信]
はじめまして、Mjft8499 です。ご指摘の点修正しました。ご教示くだされば幸いです。(私は、2008年9月19日 (金) 15:15 219.14.189.123 に集団自決の概要で差別的な意味を含む語「原地民」>原住民を地元民に置き換えた者です)--mjft8499 2008年10月5日 (日) 00:31 (UTC)[返信]
こんにちは。Mjft8499さんと他の記述者の皆様が、集団自決を民族問題とされるのであれば、その旨と出典について記載して頂きたいと思います。そうでなければ、「(歴史→琉球王国、琉球人)」の部分は削除されることを望みます。--スミス16号 2008年10月5日 (日) 00:41 (UTC)[返信]
ご教示ありがとうございます。Cdtds1107amさんとの合意の中にもありませんし、これは削除させていただきます。 私は沖縄県民を少数民族とは捕らえていませんが、当時の沖縄守備軍は「原住民」などの表現を使って、「方言」を話すものをスパイ視し、集団自決と深い関係のある鉄血勤皇隊などに、きびしく方言を禁止していたなどの経緯もあると考えています。軍の情報を守るための投降の阻止との関係を主張する著書も少なからずあります。その辺の(軍側の意識の)背景説明を加筆したかったのですが、私の責任でこうなってしまいました。
私は25年ほど前に沖縄県宜野湾市に8年ほど住んでいました関係で、体験談を聞く機会も多くありましたが、差別と強制と集団自決を共に語る感想も少なからずあったと思います。これらについて、色々とご教示、ご叱責などいただければと思っています。勝手なことを申し上げて、本当に申し訳ございません。--mjft8499 2008年10月5日 (日) 01:29 (UTC)[返信]
お疲れさまです。それと保護依頼は取下げをお勧めします。またお節介かと思いましたが、見通しを良くするため過去ログ化と記事上部に議論中を示すテンプレの貼付けなどを行いました。--スミス16号 2008年10月5日 (日) 04:35 (UTC)[返信]
保護解除依頼しました。ご迷惑をおかけします。--mjft8499 2008年10月5日 (日) 05:46 (UTC)[返信]
現時点ではまだ保護依頼中で、保護はされていません。--影虎 2008年10月5日 (日) 05:49 (UTC)[返信]
すみません、取り下げの方法を教えてください。--mjft8499 2008年10月5日 (日) 06:02 (UTC)[返信]
取り下げの方法は、「依頼時点で対象が未保護の場合は、依頼をリストから取り除いてください。」と書かれているので、そのままリストから取り外しても問題はありません。ただ、他の方からのコメントもいただいているようなので、その方にお詫びとともに除去のお知らせを伝えておいた方が良いと思います。--影虎 2008年10月5日 (日) 06:12 (UTC)[返信]
ありがとうございます。それぞれの方の利用者会話ページにお詫びを伝え、依頼をリストから取り除きます。--mjft8499 2008年10月5日 (日) 06:36 (UTC)[返信]
スミス16号さんのご意見に、すべて同意させていただきます。民族論として書こうとしている方が確実におり、また私も琉球人表記に違和感を覚えておりました。ありがとうございます。--Dondokken 2008年10月5日 (日) 06:58 (UTC)[返信]

2008年10月4日 (土) 23:47 2008年10月5日 (日) 00:04 219.14.189.123の2つの編集

2008年10月4日 (土) 23:47 2008年10月5日 (日) 00:04 219.14.189.123の2つの編集は、私がログインし忘れて内部リンクの修復と1つの内部リンクの追加を編集したものです。申し訳ございません。履歴を参照してください。--mjft8499 2008年10月5日 (日) 00:18 (UTC)[返信]

IPとアカウントで意見を変えたこちらの行為については、まだ反省の弁をいただいておりませんが、どうお考えなのでしょう[21]。また私も注意すべきところはありますが、本文の編集において連続投稿が多すぎると思います。--Dondokken 2008年10月5日 (日) 07:02 (UTC)[返信]

現在の版への異議

現在の版

  • 「概要」のラストの部分。 「集団自決  教科書に記載されることになった」。この表現では何かが集団自決という名前で呼ばれるようになったかのような表現である。何が「集団自決  と  記載された」ことになったというのか? まさか「住民殺害を集団自決と記載された」という主張がしたいがために、このような表現にしたのだろうか?だとすれば完全な独自研究である。「集団自決  教科書に記載されることになった」がNPOVである。(これは前からmjft8499氏に指摘しているが、まともな答えもいただけず、ふたたび同じ表現で記載された。)
  • 「言葉について」の部分。「安仁屋政昭によれば」の除去行為。ある者の意見は意見としてはっきり書くことを求める。
  • 「軍の強制を否定・疑問視する立場」の部分。曽野綾子が「明確な態度を示していない。」は執筆者の意見であり、必要なし。

以上の部分について異論がなければ一週間後に訂正いたします。--Dondokken 2008年10月6日 (月) 05:44 (UTC)[返信]


    • 現在、本件についてコメント依頼が出ております。議論集結まで編集はお控えください。もし、編集を強行された場合、対話拒否とみなされる可能性もあります。--森藍亭 2008年10月6日 (月) 12:30 (UTC)[返信]
      • 一週間の時間を提供し、異論があるならば指摘してくれと提案しております。その上での編集を強行とは言いません。これは対話の準備・提供をしている証拠です。編集強行・対話拒否とはコメント依頼を出し、かつノートに反対者がいるにもかかわらず編集をするこのような行為を言うのではないでしょうか[22]。--Dondokken 2008年10月6日 (月) 12:37 (UTC)[返信]
        • 残念ですが、第三者から見れば、貴殿の行為も貴殿が例に挙げられた行為と同じです。まずは本記事に関する一切の編集を停止し、第三者の意見を聞くところから始めましょう。コメント依頼が出ている状況下でこれを無視し、独自に期限切って編集を試みることに正当性があるとみなすのは困難と言わざるを得ません。--森藍亭 2008年10月6日 (月) 12:52 (UTC)[返信]
        • (追記)Wikipedia:保護依頼おける当該記事についてのコメントもご覧ください。--森藍亭 2008年10月6日 (月) 13:00 (UTC)[返信]
          • 「反対者・異論者がいる中での編集」と、「反対者・異論者を募集して出なかった場合の編集」はかなり違うと思いますが。 一週間を「独自に期限切って」と仰いましたが、私は方針やガイドラインにあるアドバイスのままの行動をしたつもりですが、いかがでしょう(Wikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れない どのように変更するかを提示してください。ノートに提示したあと、1週間程度待っても反応がなければ、その編集を実行してください。)。一応アドバイスを受け入れ期間を伸ばして編集は控えるつもりですが、どれくらいの期限ならば良しとお考えなのか、ご教示願いますでしょうか。--Dondokken 2008年10月6日 (月) 13:10 (UTC)[返信]
  • (インデント戻します)期限については、最初のコメントにて「議論集結まで編集はお控えください。」と明示しております。具体的な数字ではありませんが、本件は期限について具体的な数字を出せる問題ではないでしょう。Dondokkenさんの対応は、他のケースも含め、ずいぶん性急なものであると受け止めています。まずは一度編集の手を止めて、落ち着かれたら如何でしょうか。--森藍亭 2008年10月6日 (月) 13:27 (UTC)[返信]
    • 「議論の終結」ですか・・。「議論」が一体どこにあるのですか?その議論を私が提案して待ってるのですが当事者すらお答えになっていただけない状態なんですけどね。どの議論の終結を仰っているのでしょうか?--Dondokken 2008年10月6日 (月) 13:36 (UTC)[返信]
      • 下にあるでしょう。「コメント依頼」の項が。提案したのはDondokkenさんではありませんけどね。慌てずに待ちましょう。--森藍亭 2008年10月6日 (月) 13:44 (UTC)[返信]
        • 相手は対話拒否で強行編集した者ですので、第三者のコメントは歓迎でお待ちしたいと思っています。ただ空欄のコメント欄を示して「下に議論がある」というのはいかがでしょう?また「反対者・異論者がいる中での編集」と「反対者・異論者を募集して出なかった場合の編集」との違いはご理解いただきたいきたいところです。『ノートで提案・指摘して対話を呼びかけ、一週間待っても異論が出なかった場合に編集しても、コメント依頼が出ている場合は「対話拒否」となってしまう』という論は初耳でした。ま、しばらくお待ちしたいと思います。--Dondokken 2008年10月6日 (月) 14:02 (UTC)[返信]
Dondokkenさんへお願いします。コメント依頼中は、過去の投稿の改変はいかなる理由があってもおやめください。論議が複雑化したり、過去の履歴や事実のの改ざんになる場合もありますから。--mjft8499 2008年10月7日 (火) 11:19 (UTC)[返信]
改竄とは何で、何が改竄ではないのかをしっかり読んでくださいな(Wikipedia:投稿ブロックの方針#8.2項 他者の発言の改竄)「会話ページ等で、見通しを良くするためにインデントを付加したり、----を追加したり、章立てに伴う記述位置の変更等の行為 (は改竄にあたらず)」。コメント依頼をいただくためにも正確に見やすくしておくことが必要です。意味不明「言いがかり」をしている時間があったら、あなたへ質問や指摘が出ているのですからいい加減に逃げ回らず、答えたらいかがでしょうか。--Dondokken 2008年10月7日 (火) 11:32 (UTC)[返信]
実は私もそれをお願いしようと思っていたところです。Dondokken様は発言後の修正が多く、その多くはごくわずかな修正、それも発言直後ですから、それは問題が少ないと思うんですが、時にすでにレスのついた発言の語句をいじっていらっしゃる。それも言葉を取り替えている例があります。これは明らかにルール違反です。とりあえず、お返事する前に一息ついて、よく遂行してからお書きになるのがいいのではないかと思います。--Ks 2008年10月7日 (火) 13:30 (UTC)[返信]
レスのついたものを修正したとはどのことでしょう?今回のことで言えば[23]修正箇所へのレスは付いておりません。しかもなぜこの言葉が変わったのか、その経緯はMjft8499氏が私の発言をいじったので、「納得いかない題名だったのかな」と考え題名を修正した部分です。そのため前後関係がおかしくなったための整合性をあわせる修正で何ら問題のないところではないでしょうか。何がルール違反なのか方針やガイドライン、根拠をご提示になって指摘していただければと存じます。--Dondokken 2008年10月7日 (火) 13:47 (UTC)[返信]
この発言にすでに1回の修正がある。落ち着きませんか?たとえば返事を書くのはせめて半日待ってからにするとか、ちなみにこれは私自身が一時行っていたことですが。--Ks 2008年10月7日 (火) 14:09 (UTC)[返信]
連続投稿のことでしたら、直して行かねばと反省はしております。連続投稿と今回の修正を混ぜて仰っており、ルール違反ですとか理解できないご発言がございましたので返答させていただいた次第です。連続投稿のことでしたら私以上のMjft8499氏へも中立的にご注意いただければ、説得力はより増すのではないでしょうか。--Dondokken 2008年10月7日 (火) 14:14 (UTC)[返信]
5分ですか…。--Ks 2008年10月7日 (火) 14:19 (UTC)[返信]
5分のようですな。--Dondokken 2008年10月7日 (火) 14:26 (UTC)[返信]
履歴を見るに、本記事について、この2、3日の間連続投稿を行っているのは、Dondokkenさんだけです。あなたの「連続投稿のことでしたら私以上のMjft8499氏へも中立的にご注意いただければ、説得力はより増すのではないでしょうか。」という指摘は的外れです。--森藍亭 2008年10月7日 (火) 14:32 (UTC)[返信]
この2、3日の間についての連続投稿の話とは思ってみませんでしたので、それは失礼しました。ま、連続投稿は気をつけたいと思いますよ。--Dondokken 2008年10月7日 (火) 14:37 (UTC)[返信]

すでに空になっている利用者:Mjft8499/サンドボックス‎へ削除依頼のお知らせをはりつけたり、様々なお知らせを利用者会話ページにはろつけるのは、おやめくださるようお願いします。--mjft8499 2008年10月8日 (水) 04:54 (UTC)[返信]

サンドボックスにも著作権は適用されることは理解していただけたのかな?次は除去と削除の違いをご理解ください。--Dondokken 2008年10月8日 (水) 06:15 (UTC)[返信]

(インデントを戻します)

  • どうか、お読みください。GNU Free Documentation LicenseHelp:サンドボックス 他のウェブサイトや書籍などから文書や画像を無断で転載・コピーしたのではありません。利用者:Mjft8499/サンドボックス‎の履歴を参照してください。--mjft8499 2008年10月8日 (水) 14:06 (UTC)[返信]
    • 履歴不継承など、しっかり学んでいただきたい。あまりにも方針無理解ですとコミュニティーの迷惑となりますので、しばらくお休みして方針熟読期間を設けられたらいかがでしょう?ま、あなたに何を申しても理解能力がなく、無駄なので理解を求めませんが、おそらく削除されると思いますので「なぜ削除されたのか」をお考えいただきたいものです。--Dondokken 2008年10月9日 (木) 08:29 (UTC)[返信]

Wikipedia:即時削除の方針即時削除を出しました。利用者サンドボックスはサンドボックスと異なり自動的には削除されないのですね。Wikipedia:即時削除の方針には、6に「ウィキペディア内ページのコピー&ペーストによって作成されたページで、ペースト後に意味のある加筆が行われていないもの。ただしコピー&ペーストが有意な目的のためになされた場合は除く。」と書いてあります、意味のある加筆は行われていますが、サンドボックス或いはその操作の間違いによっての利用者ページでの、編集の過程での「2テスト」なのですから、私から即時削除すべきなのだと思います。アメリカ版でははっきりとサンドボックスでのテストのあとは Hangon (speedy deleteのテンプレート)を張っておくように書いてあります。もちろん日本版とアメリカ版はルールが異なりますが、日本でも即時削除がサンドボックスでのtestの削除を予定しているのが即時削除の方針の6だと思いますが。あなたのおっしゃるとおりなら、Wikipedia:即時削除の方針の、6は何なのでしょうか。明らかに既にあるページに加筆されたものが残っていることがありますが、サンドボックスではほとんど履歴の継承はされていませんが。追記、テストページが削除されるのは当たり前です。サンドボックスでは一定時間ごとに管理者の方が削除を行っています。利用者サンドボックスもそうだと思っていたことは、管理者の方々にお詫びいたします。全ページでテストしたのは注釈などの表示やリンクが正常か確認したかったからです。一つ疑問点があります。テストページに履歴を継承して何に使うのでしょうか。編集した結果は元へ戻すか破棄するかですから。すべき即時削除が長期間しなかったことは深くお詫びします。個人用サンドボックスで要約欄にどこまで書き込むべきかは、適切な場所でお聞きしてそれに従いたいと思います。--mjft8499 2008年10月9日 (木) 18:35 (UTC)[返信]

だめだこりゃ。失礼。(追記)まあ、とにかくここは「集団自決」のノートですので、その件は他でお願します。--Dondokken 2008年10月9日 (木) 19:07 (UTC)[返信]

「だめだこりゃ」ですか。
私の利用者サンドボックスおよび誤操作で間違えてテストに使ってしまった利用者ページが、本人の希望によるという理由で即時削除されましたのでお知らせします。以下、参照してください。(ここで参照用にするのは、サンドボックスの方だけです。)

"利用者:Mjft8499/サンドボックス" を削除しました。 (WP:CSD 利用者ページ1 本人希望 内容: {即時削除|テスト投稿}!--削除についての議論が終了するまで、下記のメッセージ部分は除去しないでください。もしあなたがこの...' (投稿者 [[特�)nowiki

尚問題の履歴の継承については問い合わせ中です。--mjft8499 2008年10月10日 (金) 00:44 (UTC)[返信]
あのー、だから最初からご自身で削除依頼してくれと申してたのですが・・・。意味不明な反論して何もしないから私が依頼したわけで・・・。そしてなぜ削除が必要なのか?それはあなたが要約欄に何も記載していないコピペしたからなんですよ。あまりコミュニティーに迷惑をかけないでくださいね。そして素直になりましょう。--Dondokken 2008年10月10日 (金) 08:02 (UTC)[返信]

コメント依頼

こちらから時系列順にコメントをお願いします。内容は、本記事とmjft8499さんの2008年10月2日 (木) 13:51 (UTC)の発言からです。--スミス16号 2008年10月5日 (日) 04:35 (UTC)[返信]

なんかゴチャゴチャしすぎてて何について意見を述べればいいのかよくわからない。とりあえず目に付いた現在の版への異議について。一応書いておきますがこれは個人的な感想です。
1. 別に「が」に変えても問題ないと思う。Dondokkenの「誤解を与える」という主張にも一理ある。
2. 名前は別にあっても困らないと思うけど、わざわざ書いてあると安仁屋政昭だけの意見なのかという印象を受ける。書かないで出展に名前があればそう主張してる人の一人なのかという印象。
3. 明確な態度を示していないというより、「私は疑ってるけど事実上真相解明は困難だ」ということではないのですか?何か色々と意見を述べた後で「真相は神のみぞ知る」では「私の持論を裏付ける決定的な証拠は無い」ということなのではないかと思いました。例えば自白なら絶対にしないと思いますし。--NAZONAZO 2008年10月13日 (月) 05:47 (UTC)[返信]
(コメントに返していいのかな?)コメントありがとうございます。3についてですが、彼女は真相を究明したと言うよりも、それまで強制の証拠とされてきたものを調べてみたら、どれも証拠と言えるものはなかったという結果を出しただけであり、だから「真相はなぞになった(真相は神のみぞ知るだ)」という発言になったので、「私の持論を裏付ける決定的な証拠は無い」という発言ではありません。「それまで証拠とされてきたものがなくなり、強制があったのかどうか(神のみぞ知る)」というものです。--Dondokken 2008年10月13日 (月) 10:20 (UTC)[返信]
だったら「明確な態度を示していない」でもいいような気がします。「ただし、彼女は軍命説の証拠に異を唱えただけであり、軍命についてはあったとも、なかったとも言っていない」とか。多少の説明は必要だと思います。でも、「年金受給のために多くの虚偽証言が生まれたと主張した」と矛盾するような気もします。「仮に軍命がなかったとしたら、軍命説はこうやって生まれたんじゃないか」ってことなんですかね。--NAZONAZO 2008年10月13日 (月) 14:12 (UTC)[返信]
彼女がいろいろインタビューしたところ「年金受給のために軍命があったことにした↓という証言を得られたので、軍命説が出た原因はそれではないか、とは言ってますね。そしてそれまで軍命の証拠とされてきたもの(鉄の暴風)は「神話」であったとしているわけです。そして「証拠がないので真実は神のみぞ知る」。私にはこれは「否定」という態度を示しているように見えますが、受け取り方は人それぞれなのでしょう。良く言えば中立的に語っている人間ともいえてしまうのではないでしょうか?例えば、「彼女は証拠はないので真相は神のみぞ知ると語っており、中立的な立場を示している。」とも解説できてしまいます。ならば、余計な編集者の「解説」はいらないのではないかと。「神のみぞ知ると語っている」で止めて、あとは読者の判断にお任せする、で良いのではないかと思うのですが、いかがでしょう。--Dondokken 2008年10月13日 (月) 16:36 (UTC)[返信]
コメントいただき、本当にありがとうございます。
1.についてですが、まず「が」ですと二者択一の意味にとる方がいることが予想されますので、Dondokkenさんの主張の観点から見ても大差はないと思います。(~と彼は言った)(~と記載されることになった)は特定の立場を表す表現ではないと思いますし、「が」の方が選択肢が他にあるような印象を与える可能性があると思います。NPOVに反しないなら、私の立場からはどちらでもかまいません。
2.は、私もそう思いますし、全く同意いたします。
3.は私が編集で加筆や削除した部分ではなく移動のみした部分です。これも私もそう思いますし、全く同意いたします。「神のみぞ知る」(=人智を超えているので判断不可能)に対する適切な説明は「証拠がないので真相解明は不可能に近い」であると思います。曽野綾子さんのお立場は、体験談を専門家が篩いにかけるなどして様々な検討を加えた結果である成書の内容でも、援護法の対象者となるための虚偽の体験談や、時間の経過で同一人物の異なる体験談もあり、疑念を感じる。自分の持論に対する証拠も反証もないのだから、(「ある神話の背景」が書かれた時点で)何も断定できない。という主張であると思います。但し、「援護法の対象者となるための虚偽の体験談」という主張は、軍命をのべる体験談が援護法の認知より以前のことなので、矛盾が生じ信じがたいものになっています。
コメントいただいきましたことに再度感謝いたします。--mjft8499 2008年10月13日 (月) 16:37 (UTC)[返信]

2について。NAZONAZOさんのおっしゃるとおり、「本文に名前を書かないで出典に名前があればそう主張してる人の一人」という印象を受けると私も思います。現状ではあのような解説をしているのは安仁屋政昭だけですので誰の意見なのかはっきりと示すべきと考えます。同じ説明をしている研究者が他にいるならば、出典をMjft8499なりに出していただき、名前をわざわざ出すスタイルではない書き方(現在のスタイル)でも良いと思いますね。--Dondokken 2008年10月13日 (月) 16:56 (UTC)[返信]

私は前述の通りNAZONAZOさんに「安仁屋政昭だけの意見なのかという印象を受ける。」という点も含めて同意させていただいていますが、Dondokkenさんに言いたいのは、まず、本文のその表現は私の加筆でも編集でもないということです。2008年7月12日 (土) 10:33の版[24] 「集団自決」という表現が沖縄タイムズによってその配布地域にひろまったという説明の後者部分のみに集団自決と言う表現に否定的な安仁屋政昭氏[25]の名前を記すことは、彼の立場も歪めるものになると思っていました。注釈として欄外に、という記載なら同意しますが、そのために、他の出典をもとめるというのは、同意できません。2008年7月12日 (土) 10:33の版を基準にして考えてもその部分に加筆または出典を示したいのは、私ではなくDondokkenさんの方です。戦後長い間米国の統治下であった沖縄で、第二次世界大戦で日本軍や民間人の投降拒否のために死を選ぶ行為に対して米側が用いた"Mass suicide"の表現に影響をうけたもの(本文の「沖縄タイムズ」)と、広く一般にも認識されていると思います。
付加的なものとしてなら私も探してみますが、欄外に記す条件にはなりえないでしょう。 上記下線部の同意に達しないのであれば、本文のこの部分はあせらず従来のままにしておいて、もう少し待ってみませんか。 よろしくお願いします。--mjft8499 2008年10月14日 (火) 08:23 (UTC)[返信]

あなたが「要出典タグ」のところへ出典を出し記述した部分ですし、またわざわざ「安仁屋政昭によれば」という記述を除去したのもあなたですので[26]、「本文のその表現は私の加筆でも編集でもない」という言い訳は通用しません。現在の状況では、誰の意見なのかはっきりせず、まるで一般的意見のようになってしまっております。「安仁屋政昭によれば」という記述を除去したからには、彼の「言葉について」の主張が一般的である出典を提出してください。出典が出なければ、1人の研究者の意見は意見として記述するべきですので、「安仁屋政昭によれば」という記述を加筆させていただきますのでよろしくお願します。一ヶ月はお待ちしますよ。--Dondokken 2008年10月14日 (火) 12:55 (UTC)[返信]

1. 確かに「が」でも二者択一の意味に取れますね。では「集団自決の記述が教科書に追加された」とかはどうですか?
2. 確かに安仁屋政昭についてしか根拠となる資料は示されていません。しかし「軍による強制を自決と表現するのはおかしい」という考えは論理的に間違っておらず、ある程度の賛同者はいる可能性が高いと思われます(強制か否かは置いておきます)。私にとってはどちらの意見も理解できるものであり、もう一人コメントしてくれる人ががほしいところです。
3. これについては本を読んでないのにあれですが、やはり多少の加筆はほしい気がします。「それまでの軍命説の根拠が疑わしいことを示し、取材で得た証言を根拠に年金受給のために多くの虚偽証言が生まれたのではないかと主張した。しかし、最後はこの問題の真相は神のみぞ知るであると締めくくった or 結論付けた。」とかはどうですか?他にも「具体的な証拠がなかったため」とか理由を付け足したいのですが、読んでないのでどういう理由で最後に「この問題の真相は神のみぞ知る」と述べたのかわからないんです。理由については何か述べていませんでしたか?--NAZONAZO 2008年10月14日 (火) 16:23 (UTC)[返信]
お世話をおかけします。1、同意します。2、気付いたのですが、そもそも「言葉について」の説明部分の論は「強制論者」の意見であり、「強制とする立場」の部分に移動するのがフェアではないかと思いました。「安仁屋政昭によれば」と記述するか、もしくは適切な場への移動を主張いたします。3、理由は 神と違って人間は、誰も完全な真相を知ることはできない。私は、「直接の体験から『赤松氏が、自決命令を出した』と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」と言うより他はない。 というものです。彼女なりに中立的に取材をしたが、強制の証拠が見つからなかったから「強制があったかどうか、完全な真相を知ることはできない(神のみぞ知るだ)」としています。「具体的な証拠がなかったため」という理由付きでNAZONAZO氏の提案文に同意します。--Dondokken 2008年10月14日 (火) 17:08 (UTC)[返信]
1. 「教科書に追加された」とすることで二者択一の印象はなくなるのですね。今後ともよろしくお願いします。
2. 本文欄外に13.「安仁屋政昭沖国大名誉教授 」の名前とインタビュー記事へのリンク、および14.石原昌家沖国大教授の名と同様の記事へのリンクもあります( 2008年10月11日 (土) 03:47の版現在)。両者とも「集団自決という表現には疑問だ」と主張しています。安仁屋政昭教授一人の主張ではありません。私は現状のままでよいと思いますがいかかでしょうか。 要出典タグ」のところへ出典を出し記述した部分(中略)またわざわざ「安仁屋政昭によれば」という記述を除去安仁屋政昭教授の主張されている部分は、「日本語の言葉本来の意味において」以下に対してのみです。[27](2008年10月2日 (木) 19:22の版)新聞向けの説明として付加して述べただけの彼の主張以外の部分の前から「安仁屋政昭によれば」とすると「戦後「集団自決」という言葉が多用されてきた」(2008年10月11日 (土) 03:47) の部分も彼一人の主張のような表現になり、POVの可能性が高いと思います。石原昌家教授も同様に「集団自決」という表現に疑問を主張していますから、どの部分に入れても矛盾したものになると思います。「言葉」に関する説を紹介しているだけと思うのですが、いかかでしょうか。
3. NAZONAZOさんの「それまでの軍命説の根拠が疑わしいことを示し、取材で得た証言を根拠に年金受給のために多くの虚偽証言が生まれたのではないかと主張した。しかし、最後はこの問題の真相は神のみぞ知るであると締めくくった or 結論付けた。」が、事実経過にも即していると思います。「具体的な証拠がなかったため」を付け加えるのはPOVの可能性があります。付け加えるとしても「体験談以外証拠がないため」がNPOVの観点から限度でしょう。この点は家永裁判から現在進行中である裁判の第一審の事実認定でも体験談が資料価値があるということで一貫していますし、学術的な問題の裁判所の事実認定は通説に依っているという点に留意すべきと思います。Dondokkenさんは軍命説と強制説を混同していると思います。真相は神のみぞ知るというのは、軍命以外の強制の部分に対する立場の表明と思います。軍命を否定する原告の赤松手記でさえ、軍の強制、誘導、関与について否定していません。林博史教授も、軍命がなかったとしてもそれをもって強制がなかったということにはならないから、軍命の有無はさほど重要ではないとの趣旨の意見を文科省の依頼に応じた意見書のなかで述べていたと思います[28]。軍命以外の強制が主因とする説に対して明確な立場を表明することを避けたとの解釈も妥当だと思います。確かに軍命否定説の立場の方は、強制説の多数が軍命以外を集団自決の主因としていると気付くのに少し時間を要したのかもしれません。--mjft8499 2008年10月16日 (木) 09:05 (UTC)[返信]
Mjft8499氏の2.について。「集団自決の言葉」の定義は「軍の強制とする立場」の意見として該当場所へ移動するべきでしょう。現在の状態では完全なPOVですから。安仁屋の主張の出典先にもあるように「住民が犠牲的な精神によって『集団自決』を遂げ、皇国に殉じた(ものが集団自決)」というもう一方の意見もあるわけですから、一方の意見を定説のように載せるべきではないでしょう。Mjft8499氏の3.について。著書にあるとおり「それまでの軍命説の根拠が疑わしいことを示し、取材で得た証言を根拠に年金受給のために多くの虚偽証言が生まれたのではないかと主張した。しかし、最後は軍命を証明できた当事者に一人も出会わなかったとして、この問題の真相は神のみぞ知るであると結論付けた。」でいかがでしょう。ほとんど著書のとおりであり、曽野の意見として示されているのでPOVの問題もありません。また「真相は神のみぞ知るというのは、軍命以外の強制の部分に対する立場の表明と思います。」と仰ってますが、証拠がありませんので、なんとも言えません。ただ当時は『軍命説』が定説であり、曽野の著書などから徐々に軍命説から「関与」に変化した経緯があります。だからこそ秦も『「関与」というあいまいな言葉にすり替えて軍の強制性を語る人間が増えている』とまで語っているのですから(2007年10月3日産経新聞)。まあ、ここで「強制とは何か?」「何を関与と言っているのか」は意見が分かれるところですし、今ここで討論しあっても収拾がつかなくなるので、とりあえず話を広げるのは止めましょうよ。--Dondokken 2008年10月16日 (木) 12:59 (UTC)[返信]
「言葉について」ですが、強制の立場のみに限定するのは無理があると思います。移動ではなく両論併記にするために、"戦争中は「玉砕」と言っていた。"(2008年10月17日 (金) 14:35の版)の部分に加筆して、「戦争中は、住民が犠牲的な精神によって皇国に殉じたという意味である『玉砕』という表現を用いていた。」とした上で、現在の位置に残すことにしたらいかがでしょうか。
補足
>「強制とは何か?」「何を関与と言っているのか」
本来、「強制にあたるのか?」も含めて、これらの異なる見方について要点を説明すべきと思います。慌てずにゆっくり相談しましょう。安仁屋政昭教授が「すべてが軍の統制下に 足手まとい恐れ死選ぶ 」「住民が犠牲的な精神によって『集団自決』を遂げ、皇国に殉じた」としながら、「言葉本来の意味において、沖縄戦では『集団自決』はなかった」としているように、「集団自決」を説明するときの基礎的な部分ですので、その説明を切り捨てるなどの結論を急がない方がよいと思います。
>証拠がない..など
日本兵が全くいなかったかほとんどいなかった伊平屋島、粟国島や、元々無人島で疎開地となった藪地島では、米軍の上陸後投降が障害なく行われ、集団自決は皆無でした。客観的なデータとして日本軍の存在と集団自決の相関関係が存在するのです(「藪地島」のリンク先 - 米軍進攻時の記録映像 - 沖縄県公文書館)。
大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判第一審(大阪地方裁判所民事第9民事部『深見敏正裁判長2008年3月28日』)判決文の事実認定部分より要約転載引用)(著作権法第32条より説明のために一部転載引用)

"本件各書籍に記載された通りの自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない"が、米軍に説得されて日本軍に投降を勧めた沖縄住民をスパイとして処刑したことや軍の手榴弾が自決用に配布されていたことなどの外的証拠から、"集団自決は軍の強い関与によって生じたもので、両守備隊長が集団自決に関与したものと推認できる。原告らは、梅澤命令説及び赤松命令説は集団自決について援護法の適用を受けるためのねつ造だと主張するが、梅澤命令説および赤松命令説は、沖縄で援護法の適用が意識される以前から存在していたことが認められる。援護法適用のために捏造されたものであるとの主張には疑問が生ずる。 また、隊長命令がなくても戦闘参加者に該当すると認定された自決の例もあったことが認められ、梅澤命令説および赤松命令説を捏造する必要があったのか直ちには肯定し難い。原告らの主張に沿う照屋昇雄の発言は、その経歴等に照らし、また宮村幸延の「証言」と題する書面も、同人が戦時中在村していなかったことや作成経緯に照らして採用できず、「母の遺したもの」によってもねつ造を認めることはできない。 「ある神話の背景」に、赤松大尉による自決命令があったという住民の供述は得られなかったとしながら、取材をした住民がどのような供述をしたかについては詳細に記述していない。取材対象に偏りがなかったか疑問が生じる。家永教科書検定第三次訴訟第一審の証言で、「ある神話の背景」の執筆に当たっては、富山兵事主任に取材をしなかったと証言しているが、それが事実であれば、取材対象に偏りがなかったか疑問が生じる。「ある神話の背景」は、命令の伝達経路が明らかになっていないなど、赤松命令説を否定する見解の有力な根拠となり得るものの、客観的な根拠を示して覆すものとも、渡嘉敷島の「集団自決」に関して軍の関与を否定するものともいえない。体験談の多くに共通するものとして、日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった場合には自決を促され、そのための手段として手榴弾を渡されたことを認めることができる。"(以上一部要約転載引用)

もちろん現在進行中で10月31日には第2審判決がでますが、裁判所の事実認定は家永教科書検定訴訟以来、一貫して通説によっています。基本的に沖縄戦に関する通説が反証され、かつその反証を大江らが執筆出版時にすでに知り得たということを立証しなければならないので、名誉毀損の認定もかなり困難でしょう。「ある神話の背景」は証拠として取材の方法が客観性に欠け、「母の遺したもの」では軍人が手榴弾を渡して捕虜になる前に自決するように言う場面があるなど、評価は客観的に明白なものでもあるので 表現の差異を除けば「事実認定」の「事実」部分の変更も難しいでしょう。もちろん裁判所の判決や意見に反する見解も発表されるべきですから、本文にも記述されており、私も含めてどなたも削除はしませんが、体験談を「証拠でない」とまでの記述を百科事典がするべきなのでしょうか。「体験談以外証拠がないため」とすべきでしょう。NAZONAZOさんの提案された「それまでの軍命説の根拠が疑わしいことを示し、取材で得た証言を根拠に年金受給のために多くの虚偽証言が生まれたのではないかと主張した。しかし、最後はこの問題の真相は神のみぞ知るであると締めくくった or 結論付けた。」がいかに事実に即した適切な(NPOV)の説明であるかについてもお分かりいただけたと思います。収拾をつかない議論にするためにお話したものではないことを理解してください。NAZONAZOさんのご提案の記述にすることで同意できないでしょうか?--mjft8499 2008年10月19日 (日) 03:23 (UTC)[返信]


"戦争中は「玉砕」と言っていた。"(2008年10月17日 (金) 14:35の版)の部分に加筆して、「住民が犠牲的な精神によって皇国に殉じたという意味である『玉砕』の現在の表現が「集団自決」であるとする見解がある。一方で~(安仁屋の定義)」という両論の主張どおりの書き方ならば同意します。
>慌てずにゆっくり相談しましょう。
その相談をずっと放棄して自称「合意」だとして強行編集してたのはMjft8499氏なんですけどね・・・。
長々と誰もがすでに知っている裁判について引用されてますが、そんな研究を私たちがする必要はないんですよ。単純な話なんで。曽野はなぜ『真相は神のみぞ知る』と言ったのか?それは「直接の体験から『赤松氏が、自決命令を出した』と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」から、と言っているのです。それ以上でも以下でもないんですよ。これは曽野の「意見(主張)」ですので、私たちが検証して「『体験談以外』証拠がないので」と勝手に理由をつくり解説する必要はないんですよ。曽野が「体験談以外」としていたかどうかは不明なのです(私が「証拠がない」と言ったのはこのことですよ?)。そんな書き方した時点で独自研究になってしまいます。NAZONAZO氏も仰っているように「なぜ曽野が『真相は神のみぞ知る』と言ったのか、その理由もわかるなら書いた方が良い」わけで、曽野が言っている理由のまま書けばよいだけです。どうぞご理解ください。--Dondokken 2008年10月19日 (日) 04:38 (UTC)[返信]
>一方で~(安仁屋の定義)」という両論の主張どおりの書き方ならば同意します。

安仁屋教授だけではないので(安仁屋などの定義)ですね。 >放棄して自称「合意」だとして強行編集してたのは その部分は編集していません。他の方の編集をDondokkenさんがばっさり切ったので一旦元へ戻しただけです。

>これは曽野の「意見(主張)」ですので....曽野が「体験談以外」としていたかどうかは不明

「命令説」の範囲で「証拠がない」主張したというのなら、同意できますが、NAZONAZOさんが「その理由もわかるなら書いた方が良い」とおっしゃったのは曽野さんの発言+適切な説明の意味でしょう。NAZONAZOさんの提案された記述も入れるべきで、「それまでの証拠から軍命説の根拠が疑わしいことを示し、取材で得た証言を根拠に年金受給のために多くの虚偽証言が生まれたのではないかと主張した。しかし、最後はこの問題の真相は神のみぞ知るであると結論付けた。」でどうでしょうか。

あなたが私と他2人の方のWikipedia:管理者伝言板/荒らしへの報告を取り下げてください。このままでは、対話をする姿勢ではないと思います。 合意のためのコメント依頼を私が取り下げます。議論活性化のためのコメント依頼は続けたほうがよいと思いますが、どうでしょうか。 編集開始は対話拒否にならないようにその後にしましょう。--mjft8499 2008年10月21日 (火) 11:01 (UTC)[返信]

安仁屋とまったく同じ主張をしている出典が出るならば「安仁屋によれば」は除去してもかまいませんよ。もちろん両論併記で前回私が提示した一方の意見も挟むスタイルで。
>NAZONAZOさんが「その理由もわかるなら書いた方が良い」とおっしゃったのは曽野さんの発言+適切な説明の意味でしょう。
その「説明」が執筆者の観点が入ってしまったらまずいでしょ。私たちが解説する必要はなく「直接の体験から『赤松氏が、自決命令を出した』と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった(から神のみぞ知ると結論付けた)」と曽野が言っているままに書けばいいじゃないですか。これの何が気に触るのか不思議でなりません。こんなところ普通の方なら「じゃそうしよう」で済む話なんですけどね。荒らし報告の件については、自演行為・議論無視した行為・著作権違反をしたにもかかわらず、それを指摘した相手を荒らし呼ばわりで騒ぐ等々、の謝罪はまだいただいておりませんので、相手に失礼があったと反省していただけるのなら取り下げますよ。他の方はネットカフェからのアクセスなどマナー違反があったので、それが解決するまでは取り下げるつもりはございません。--Dondokken 2008年10月21日 (火) 21:11 (UTC)[返信]
日本兵が全くいなかったかほとんどいなかった伊平屋島、粟国島や、元々無人島で疎開地となった藪地島では、米軍の上陸後投降が障害なく行われ、集団自決は皆無でした。

これについてですが、日本兵の有無と集団自決を結びつけると言うのは無理があると思います。阿嘉島には日本軍がいたにもかかわらず集団自決は発生していなません。宮古島・大東島・奄美大島・石垣島も同様です。またチビチリガマでは日本兵がいないにもかかわらず集団自決が起きています。日本兵がいたから集団自決が起きたという論は、日本兵がいたのに自決が起きなかった、いなかったのに起きたという事例に対抗できません。--おいかわ 2008年10月22日 (水) 18:01 (UTC)[返信]

おいかわさん、コメントありがとうございます。説明不足があったかもしれませんが、宮古・八重山諸島には米軍が上陸していません。自決の強要が投降を拒否させることにあったことを考えていただければ当然の結果と納得いただけると思いますが、この地域は沖縄戦前後にマラリアで亡くなった住民が異常に多くなっています。八重山では、3万1千人余りの住民の21.5%が亡くなっています。原因は食糧難の他に、八重山諸島の一つ波照間島は日本軍は駐留していませんでしたが、自称「山下」本名「酒井」という学校の先生が住民を井戸に毒を入れ家も焼き払うとおどし、マラリアの蔓延している地域に疎開を強要しています。この人は酒井喜代輔軍曹という日本軍の特務機関から派遣された秘密工作員だったことが知られています。くわしくは、「陸軍中野学校」中野校友会、石原昌家監修 石原ゼ ミナール・戦争体験記録研究会著「もうひとつの沖縄戦-マラリア地獄の波照間島」ひるぎ社、石原昌家「沖縄戦の全体像解明に関する研究 Ⅲ」をお読みください。 米軍が上陸しなかった場所の沖縄戦の期間にその他に何があったかはまだ完全にはわかっていません。阿嘉島には日本軍がいたにもかかわらず集団自決が起きていないのは事実です。一般の兵士がみな住民に投降をしないように強制したり自決を強要する信念を持っていたわけではないのです。阿嘉島の場合普段から「兵士も国のやめに死んではいけない。敵が来たら、私は投降するからね」と住民に語っていた少尉がいて、米軍上陸の際この少尉が日本軍の一般的な指揮命令系統を断ち切る役割を果たしたことがわかっています、集団自決との関連性で日本軍の存在を述べる場合には、指揮命令系統の有無が必要です。一般の兵士の多くは米軍上陸前には住民と親しくしていたものも多く、上官の命令で断腸の思いで投降拒否と自決を強制していたと思われる例もあります。同じように指揮命令系統で日本軍の存在を考えれば、根こそぎ動員で退役軍人も元従軍看護婦も軍属にされており命令系統に組み込まれていたと考えられます。チビチリガマは、米軍上陸直前まで日本軍がいたが上陸後は退避しています。その後も元中国従軍退役軍人と元中国従軍看護婦がいました。近くのシムクガマの避難民たちは、チビチリガマのような日本軍の代弁者もいなかった上に、アメリカに渡航経験のあった移民帰りの人が国際法の基礎的知識をもっていたので、全員が米軍に投降し助かっています。その他に前島では、退役軍人の分校長が日本軍の駐留に反対し集団自決は起きていません。退役軍人でも集団自決を防止する役割を果たした数少ない例です。 粟国島も日本軍はいなかったので、6月9日の米軍上陸時に全員保護されています。集団自決と日本軍の存在による強要の関連性は現在までの研究で明らかになっていますが、単純な存在の有無でろんじているわけではありません。林博史教授も「要因の解明には地域の戦争体制、支配構造の分析が不可避」としています。以上説明した以外の地域については、藤原彰編著「沖縄戦ー国土が戦場になったとき」青木書店などの文献をお読みくださるようにお願いいたします。
Dondokkenさんへ
最初に対話も拒否し同意もなしに一方的に編集したのはあなたのほうでしたね。あなたのことを荒らしではないかと言ったのは他の方で私ではなかったでしょう?私は「荒らしといえるかどうか」とはんたいしました。」謝罪すべきは関係のない他の方をソック人形呼ばわりし、管理者伝言板/荒らしに虚偽の報告をしたあなたの方でしょう。今も編集なさっているようですね。対話拒否ですので元に戻してください[6]。そこは私も誤っていると思いますが、コメント依頼は有効ですから対話拒否です。
>「体験談以外証拠がない」はPOV
POVではありません。曽野さんは、体験談が援護法の適用を受けるための嘘だとおっしゃっているのですから。これは思い出したくないつらい体験を無理に語った被害者の家族の心を傷つけたのみならず、この主張は、裁判所に事実認定でおっしゃっていただくまでもなく、援護法が認識される前に命令説が体験談から主張されていたと言う点で、もともと明らかな時間的な矛盾があります。NAZONAZOさんの説明はそれを踏まえているのですし、コメントしていただいたのですから、あなたがNAZONAZO さん私に対して対話拒否していないということにするためにも前回提案させていただいた、NAZONAZOさんの表現にあなたの主張を入れたものにすべきです。--mjft8499 2008年10月23日 (木) 21:41 (UTC)[返信]
えっと、反対者がいるなら私はいくらでも対話してますけどね。あなたはここのノートを見ればわかるように確実に議論拒否してましたよね。そして私という反対者がいるにもかかわらず、強行編集をし、それと同時になぜか保護依頼までし、皆様に「それはちょっと違うのでは?コメント依頼を出すべきでは?」とアドバイスまでされちゃいましたよね。あなたが強行だった証拠ですよ。まあ、ここらについてあなたに言っても無駄ですし、この辺にしておきます。
以後の文はいろいろとあなたの憶測だけで語ってしまっておりますね。あなたの論・推測は必要ありません。なぜ曽野が「神のみぞ知る」と語ったか?それは「直接の体験から『赤松氏が、自決命令を出した』と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった(から神のみぞ知ると結論付けた)」としているのですから、このまま書けば良いことです。曽野は「直接の体験談が見つからなかった」と言っているのに「体験談以外の証拠がない」ってなんですか?全然意味が違うんですが。オリジナルの解説はお止めになってくださいませんか?--Dondokken 2008年10月23日 (木) 22:56 (UTC)追加--Dondokken 2008年10月23日 (木) 23:18 (UTC)[返信]

(インデント戻します) (以前お答えしていない分)-失礼しました。

>だからこそ私はIPに賛同する返答をしているのです

ご自分が勘違いして他人(味方)だと思い、がっかりされたことを人のせいにしないでほしいのですが。自分の都合の良いように情報を切り貼りして、情報を合成するのはお止めくださいませんか。あなたは人の編集にはノートでのご自身への合意を求めておきながら、ご自分の編集は対話も合意もなしに続けてこられました。ご自分の発言でもすでにスレがついているものを編集したこともあります。人の書き込みをできないように編集競合が起きるように繰り返してきました。地元民より県民の方が最適だと言いなおしたことだけに執念をお持ちになるのか理解できません。以前に地元民と修正したら県民のほうが最適だと発言してはいけないとでもおっしゃりたいのでしょうか。

>あなたはここのノートを見ればわかるように確実に議論拒否してましたよね。

返事をわざと遅らせて、編集者が冷静を取り戻し回復できるよう時間を与え、争いのさらなる激化を避けようとしたことに対してのあなたからの一方的な「対話拒否」との中傷はお止めくださるようにお願いします。上の方でコメントいただいた方からも注意されましたね。お忘れでしたら確認をお願いします。 対話も合意も待たずに強引な編集をしておいて相談に乗ってくれた他の方が見かねてリバートすると中傷し私とその方と他1名を荒らしと報告したのがDondokkenさんでしたね。あなたの編集をリバートしたのは私だけではないです。私が合意形成のコメント依頼を出した直後になさったWikipedia:管理者伝言板/荒らしへの報告を取り下げないのは、私に対する対話拒否に姿勢を示しています。確認をお願いします。 

>なぜ曽野が「神のみぞ知る」と語ったか?それは「直接の体験から『赤松氏が、自決命令を出した』と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった(から神のみぞ知ると結論付けた)」としているのですから、このまま書けば良いことです。曽野は「直接の体験談が見つからなかった」と言っているのに「体験談以外の証拠がない」ってなんですか?全然意味が違うんですが。

コメントしてくださった方も説明を求めているのですから、曽野さんの著作以外から例示してくれませんか? それがないのであれば、「直接の体験談が見つからなかった」のは裁判所から事実認定で指摘された「偏った取材」によるものだったとことを認めた記述にしたうえで、当該事実認定への反論を出典を明示して記述すべきです。曽野さんの発言のみで「あいまいな表現」による記述で済ますのは、Wikiの方針にも反しますし、それ以前にそんな主張はプログでも(炎上を避ける意味で)すべきものではありません。他の方の意見や、通説(裁判所の事実認定も含む)を根拠に説明しても強行編集をあなたが続けるために「オリジナルの解説はお止めになってくださいませんか」「あなたの論・推測は必要ありません。」「いろいろとあなたの憶測だけで語ってしまっておりますね」など、今回も私や他の方の質問など依頼に応じないで、話題を逸らすなどの行為を繰り返しています。私やコメントした方の文案を取り入れないで、根拠や出典を示して説明している私に「オリジナルの解説はお止めになってくださいませんか?」などとおっしゃるのでしょうか。撤回と謝罪を求めます。NAZONAZOさんの提案も私の提案も、あなた一人が出典などの根拠もないまま(曽野さんの発言のみを根拠として)拒否し正当化するおつもりにみえますが、いかがでしょうか。私のここでの発言が独自の研究などではなく通説や長年一貫してそれを採用してきた裁判所の事実認定や、今回コメント下さった方の提案に沿っている(おいかわさんとは対話を始めたばかりです)のは上記で明らかであると思いますが、いかがでしょうか。 何度対話をしても、こちらの根拠を示している内容を「独自研究」とか「オリジナル」などとおっしゃって、話題を逸らすなどの行為を繰り返すのはお止めくださるよう再度お願いします。(これで何度目でしょうか。) コメント依頼が有効な間はコメントしてくださる方の意見も尊重してください。話題をそらさないようにというコメントも他の方からDondokkenさんに対しあったこともお忘れでしょうか。NAZONAZOさんは「説明」が必要ではないかと提案なさったのです。議論はかまいませんが、話題をそらして対話を拒否することはお止めくださるよう、再度お願いいたします。--mjft8499 2008年10月28日 (火) 10:39 (UTC)[返信]

えー、相変わらず長文ですね(カッカしてしまってて内容はアレですが)。あなたの自演が私の被害妄想なんですかねぇ?だってこれを見ると、あなたはIPで出てきて私の意見に「もちろんです」と賛同し、「地元民と編集したのは私です。」と言っているのですよ?そして確かにそのIPが「地元民」と編集をしている[29]。つまり自分がIPであることを意識して出てきてますよね?その後、ログインして意見を変え、賛同意見から反対する態度となった[30]。いやー、これには私も混乱しましたよ。私の被害妄想だと仰るのでしたら、それでもいいですけどね。その後、あなたは反対者がいる中で強引に編集しました[31]。タイミングの良いネットカフェの方との二人の「合意」とやらで。この強引さにはびっくりしましたよ。その後なぜかあなたは保護依頼を出されて、そこで「これは合意とは言えない」と第三者の方からコメントされてしまってましたね。「合意」とはなにか学んでいただきたいと存じます。加えて、あなたの著作権違反を指摘させていただいたら、急に取り乱して怒り出し、「あほか」「サンドボックスだから関係ない[32]」などと暴言と方針無理解な発言までし、私の指摘を強行除去し、管理者の方に注意までされましたよね?[33] まあ、少しピックアップしただけでも色々と問題のある方だなとは思っているのですが、あなたに言っても無駄なことはすでに理解しておりますので、ここでこのような話は無駄になるので、できれば止めたいんですよね。
曽野の件については、「直接の体験談が見つからなかった」から神のみぞ知るだと曽野は言っている訳ですから、そのまま書けば良いことです。あなたの「体験談以外の証拠はなかった(逆に言えば「体験談は見つかった」)」という意味不明な正反対のオリジナル解説はいりません。読者に誤解を与える表現は止めてください。曽野の取材が「偏ったものだった」と書きたいのならば出典を提示し、こちらで提案をして、どこかに書けば良いのではないでしょうか。そのことと、曽野が「神のみぞ知る」となぜ語ったか?は別のものです。あなた(編集者)がAとBの資料を見て、それを合成して記述してはいけません(Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成)。気をつけましょう。PS. 必死に「NAZONAZO氏は自分と同じ意見なんだ!」としたいようですが、どこをどう読んでもそうなっておりませんので、ご本人に確認してきたらいかがでしょうか?都合よくなんでも解釈するあなたの悪い癖が出てしまっていると思います。--Dondokken 2008年10月28日 (火) 11:59 (UTC)[返信]
議論を離れていたので、一部誤解に基づく解釈があるかもしれませんが再度コメントを。
2. 言葉の定義については強制があったという立場と、なかったという立場で定義が違うのであれば両方とも書いてあった方がよいと思います。分け方については「言葉について」内で分けるか、「軍の強制によるものとする立場」「軍の強制を否定・疑問視する立場」内にそれぞれ書くかに分かれると思いますが私は前者の方がよいと思います。なんとなく言葉の定義は独立して上の方に書いてあった方がいいような気がするからです。分けた場合「安仁屋」は必要ないような気がします。強制があったなら日本語の意味において「自決」という表現は正しくないと思いますし。どうやら安仁屋一人の意見でもなさそうです。出典の方に名前があれば問題ないかなと思います。
3. 神と違って人間は、誰も完全な真相を知ることはできない。私は、「直接の体験から『赤松氏が、自決命令を出した』と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」と言うより他はない。
なかったことを証明するのは不可能に近いので「あったと証明できる人は一人もいなかった」という表現にしたように思われます。よくよく考えてみれば「なかった」とは証明できないんですよね。問題はこれをどう書くかですが、必要なのは「なぜ神のみぞ知るとしたのか」ですので、「それまでの軍命説の根拠が疑わしいことを示し、取材で得た証言を根拠に年金受給のために多くの虚偽証言が生まれたのではないかと主張した。しかし最後は、『神と違って人間は、誰も完全な真相を知ることはできない』とし、この問題の真相は神のみぞ知るであると締めくくった or 結論付けた。」ですかね?でもこれなら書き加えなくてもあまり変わらないような気もします。
私は、「直接の体験から~ の方は「なぜ神のみぞ知るとしたのか」の理由というより、彼女の結論のような気がします。もし入れるなら多少書き換えて「それまでの軍命説の根拠が疑わしいことを示し、取材で得た証言を根拠に年金受給のために多くの虚偽証言が生まれたのではないかと主張した。しかし最後は、『神と違って人間は、誰も完全な真相を知ることはできない』とし、『私は、「直接の体験から『赤松氏が、自決命令を出した』と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」と言うより他はない。』と締めくくった or 結論付けた。」ですかね。括弧が読みにくいのは勘弁してください。--NAZONAZO 2008年11月6日 (木) 07:24 (UTC)[返信]
貴重なコメントありがとうございます。
2. 同意いたします。両論併記ならばどちらでも良いかなと思います。「言葉について」のほうに両論のせるほうがわかりやすいかな、と思うので、反対がなければ、そのスタイルでいこうかと考えます。
3.最後に書かれた文案「それまでの軍命説の根拠が疑わしいことを示し、取材で得た証言を根拠に年金受給のために多くの虚偽証言が生まれたのではないかと主張した。しかし最後は、『神と違って人間は、誰も完全な真相を知ることはできない』とし、『私は、「直接の体験から『赤松氏が、自決命令を出した』と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」と言うより他はない。』と締めくくった or 結論付けた。」に同意します。もう一名の方の反対が出なければその文案にさせていただきたいと存じます。--Dondokken 2008年11月6日 (木) 12:07 (UTC)[返信]

10日以上、お待ちしましたが特に反応がなかったため、ノートにおける合意を本文に反映いたします。ご確認ください--Dondokken 2008年11月18日 (火) 11:13 (UTC)[返信]

3/11加筆&修正

3/11加筆&修正

  • 1983年からずっと「日本軍に寄よって集団自決をさせられた」などと教科書には書かれておらず、除去。出典先にも見当たらない文章です。
  • 「集団自決と住民虐殺は表裏一体である。」とする歴史学者たちの主張もあり、「住民殺害」という記述が教科書に載るようになった(この出典が沖縄戦記録・研究の現状と課題 - 林博史)。出典先にそのようなことが書かれていないため、除去。
  • 沖縄県民大会のラストに編集者の意見が書かれていたため、その部分を除去。
  • 沖縄の県議会は「強制」ではなく「関与」の決議をしたのであり、ミスリードをするかのような間違えた記述を「関与」に修正。
  • 「軍の強制を疑問視する立場」の部に、その立場ではない意見が書かれており、対象部分を除去。
  • 「軍の強制を疑問視する立場」の新証言を加筆。

判決が事実の認定かのように執筆されている方がいるようですが、裁判結果と事実は違うことですので、お気持ちはわかりますが重複して書きすぎないようお願いいたします。以上。--Dondokken 2009年3月10日 (火) 16:32 (UTC)[返信]

改名提案

  • 改名を提案させて頂きます。候補については一応集団自決 (第二次世界大戦)集団自決 (沖縄戦)」としましたが、括弧内については強い拘りはありません。本記事を括弧つきのものに改名出来ましたら、括弧無しの集団自決当面、集団自殺にリダイレクトさせるつもりでおります。が、いずれ「集団自決」単体の記事も作成しようと考えております、「集団自決 (沖縄戦)」と「集団自殺」をメインに、関連項目に「マサダ要塞」「アルカディ修道院」などを挙げる、曖昧さ回避記事とする事を提案します(「自殺」と「自決」では意味内容・ニュアンスに違いがあるため)。
  • 提案理由)普通名詞である集団自決をこの記事のみに代表させるのはPOVと考えます。集団自決は第二次世界大戦の太平洋地域においてのみ行われたものではなく、アルカディ修道院での事例にもみられる通り、世界中で類例のあるものです。Template:国際化を使って、この記事を世界化する事をお願いしようかとも思ったのですが、現時点での議論の白熱化の経緯をみていますと、この記事は独立させたままで置いた方が、分量的にも適切かと考えました。--Kliment A.K. 2009年3月25日 (水) 10:42 (UTC)[返信]
「集団自決は第二次世界大戦の太平洋地域においてのみ行われたものではない」という趣旨は賛成。集団自殺へのリダイレクトも賛成。ただし本記事の改名先は、私もいろいろ考えたのだが、沖縄戦における住民犠牲とするのが、中立的であり、記事内容の成長も見込めるのではないかと思う。「集団自決という言葉をたとえカギカッコ付きであっても使うべきではない」という主張があるくらいなのだから、「集団自決」を項目名にするのは中立的ではない。--Cave cattum 2009年3月26日 (木) 01:39 (UTC)[返信]
  • (反対)「集団自決」という日本語は大田なる研究者が唱え出した言葉であると自身で語ってるようです。集団自殺とはまた違う意味のものと考えます。私の知る限り「集団自決」が一般的な集団的自殺としての普通名詞として辞書に書かれたものを見たことがありません。集団自決とは、集団的な自殺のことではありますが、『第二次大戦時(特に沖縄における)の住民らの集団的自殺』のことを示す用語ではないでしょうか。wikipediaで「集団自決」と検索した者は一般的な「集団的な自殺」を探すために(知りたいために)検索しているでしょうか。間違いなく『第二次大戦時(特に沖縄における)の住民の自殺』について探しているでしょう。それを示す一つのものとしてネットで「集団自決」と検索すると、『第二次大戦時(特に沖縄における)の住民の集団的自殺』ばかりです(すべてと言ってもよいレベル)[34]。集団自決=『第二次大戦時(特に沖縄における)の住民の集団的自殺』のことであり、集団自決が「一般的な集団的な自殺」を指す言葉とは言えません。「集団自決」と検索した時に「一般的な集団的自殺」に移動させることはwikipedia利用者の利便性も阻害するものと考えます。集団自決という用語が一般的な集団的自殺を示す日本語である、という根拠があるならば、意見を変える考えもあります。--Dondokken 2009年3月26日 (木) 15:06 (UTC)[返信]
  • コメント
>集団自決という用語が一般的な集団的自殺を示す日本語である、という根拠があるならば、意見を変える考えもあります。
  • コメントCave cattumさんの意見には大体賛成なのですが、「集団自決」を使うな、とまでは私は思いません。ただ、Dondokkenさん仰る利便性を阻害する懸念は御尤もです。従いまして提案内容に若干の変更を加えました。改名がもし成りましたら、括弧無しの「集団自決」は曖昧さ回避ページにするという提案と致します。--Kliment A.K. 2009年3月27日 (金) 02:19 (UTC)[返信]
集団自決 (沖縄戦)という記事名には専らテクニカルな理由から反対。これでは「集団自決」という名称の何か完全に異質の事物(例えば酒や食べ物など)の記事名になってしまう。沖縄戦における集団自決なら許容する。--Cave cattum 2009年3月27日 (金) 03:27 (UTC)[返信]


色々な事例リンクありがとうございました。しかしそれらは一般的な使い方であるとは思えず、近年になって「集団自決」という用語が有名になり始めて使われたような気もします(私の想像でしかありませんが)。「集団自決」という用語は『鉄の暴風』の太田が作り出した造語とも言われています。

  • 「集団自決」という言葉について説明しておきたい。『鉄の暴風』の取材当時、渡嘉敷島の人たちはこの言葉を知らなかった。彼らがその言葉を口にするのを聞いたことがなかった。それもそのはず「集団自決」という言葉は私が考えてつけたものである。島の人たちは、当時、「玉砕」「玉砕命令」「玉砕場」などと言っていた。(1985年5月11~17日沖縄タイムスでの太田発言)
  • 「集団自決」という言葉は、戦争中から使われていた言葉ではなく、『鉄の暴風』で使用されて以来、使われるようになった。林博史
  • 「自決」とか「集団自決」という言葉は、『鉄の暴風』の筆者・太田良博が沖縄戦史として「集団自決事件」を書く時に、初めて一種の「造語」として使った言葉山崎行太郎

少なくとも、wikipedia利用者は「集団自決」と検索した時、「第二次大戦時(特に沖縄における)集団的自殺」の検索をしていることは明らかだと思われ、Kliment.A.K.氏の「曖昧さ回避ページ」の提案が『「集団自決」検索』→『曖昧さ回避ページ』→『「集団自決(沖縄戦)」ページ』という流れになるならば、賛成いたします。もしくは、この記事の冒頭に、『集団自決とは広義では集団的な自害のことであり、狭義では沖縄戦など太平洋戦争での民間人の集団的自殺行為のことである。本項では「狭義の集団自決」について述べる。広義の集団自決は「集団自殺」を参照のこと』などと記載しておくことも良いかと思います。--Dondokken 2009年3月27日 (金) 14:44 (UTC)[返信]

  • コメントまず、現時点で(まだ時間が経っていませんので「合意が形成された」などと申すつもりはありませんのでご安心下さい^^;)、反対されていないのは以下の項目と考えて宜しいでしょうか。
    • 括弧無し・修飾語無しの「集団自決」はDondokkenさん仰るような説明・誘導を伴う曖昧さ回避ページとする
    • 当ページは改名する
  • そして、現時点で意見が分かれて居るのは「当ページの具体的な記事名」と理解して宜しいでしょうか。現時点で出されているのは以下の項目名ですね。
  1. 集団自決 (沖縄戦)
  2. 沖縄戦における住民犠牲
  3. 沖縄戦における集団自決
  • 私自身は当記事の改名先としてはいずれでも構わないと思っております。括弧無し・修飾語無しの「集団自決」が、普通名詞としての説明を伴う曖昧さ回避記事になる事が私の主目的ですので…
  • 余談ですが、確か「風の谷のナウシカ」の原作コミック版第3巻で、クロトワの台詞として「一体何があったんだ、集団自決か…?」という台詞があったかと記憶しております(今、手許にその漫画が御座いませんので確証は無いのが申し訳ないのですが…)。これも事例として提示させて頂きます。--Kliment A.K. 2009年3月27日 (金) 15:07 (UTC)[返信]

私としては「集団自決」と検索した時に、こちらではない他の記事へ直接に飛んでしまうことだけは反対です(読者の目的と違う記事へ飛んでいる可能性が高いため)。曖昧さ回避のページをつくることには反対しません。また、上記に上がっている記事名は、「沖縄戦における住民犠牲」以外ならばどれでも良いと思っています。戦後、この件の論議が始まってからずっと「集団自決」と呼ばれている件ですので、その用語が含まれていない記事名では読者も混乱する可能性がありますし、「沖縄戦における住民犠牲」となると、より範囲が広がりすぎて、ただでさえ長文な記事が、さらに長文になってしまうため、反対します。--Dondokken 2009年3月27日 (金) 15:30 (UTC)[返信]

途中からで申しわけありませんが、移動には反対します。特定の歴史的事件を指す言葉が、別の似た事件を指すのに転用されるのはごくありふれたことです。これを曖昧さ回避(あるいはリダイレクト)にするということになれば、たとえばホロコースト冷戦ルネサンス産業革命宗教改革世界恐慌なども同様の措置が必要になります。もちろん一方では、世界大戦のように、意味が広がった結果、単に世界大戦といっただけでは1914年に始まったあの戦争を意味しなくなった言葉もあります。しかし、集団自決という言葉の使用状況は、ホロコーストなどのほうに近いでしょう。記事集団自決はあくまで沖縄の集団自決を主体にした記事とし、他の「いわゆる集団自決」は、扱うとしても付帯的な話題として扱うべきと思います。
(仮に移動するとしても)特に、集団自決を曖昧さ回避にすることは強く反対します。Kliment A.K.さんが挙げられた他の「集団自決」は、沖縄の事件と同類の事件だからそれに倣って集団自決と呼ばれているのであって、別のものがたまたま同じ名称になった、あるいは別ジャンルのもの(たとえば商品名)に名前が転用された、といったものではありません。世界大戦のように、集団自決全体についての記事を書くべきと思います。--Hisayama 2009年3月28日 (土) 21:26 (UTC)[返信]
Hisayamaさんの御意見について、全部の最重要の論拠となっている以下の一文につき異議を申し上げます。
>沖縄の事件と同類の事件だからそれに倣って集団自決と呼ばれている
そうでしょうか?事例として「白虎隊・集団自決の検索結果を挙げますが、白虎隊の事例は沖縄とは関係なく用語が選択されていると思うのですが…。白虎隊の飯盛山での切腹は沖縄の集団自決とは類似性の度合いは低いですし。--Kliment A.K. 2009年3月29日 (日) 15:01 (UTC)[返信]
曖昧な言葉遣いで混乱させたかもしれませんが、私には、白虎隊の集団自決は沖縄の集団自決と同類の事件に思えます。少なくとも、単に文字通りの「集団が自から決定する」というよりずっと多くの共通点があります。このような用法が偶然の一致とするのは無理があります。それとも、「白虎隊の切腹が集団自決と名づけられた経緯」のような資料があるのでしょうか。--Hisayama 2009年3月29日 (日) 17:03 (UTC)[返信]
>このような用法が偶然の一致とするのは無理があります。
別に「偶然の一致」と申して居るのではなく、「術語としての一般性・語義の普遍性」を示すために挙げた事例なのですが。--Kliment A.K. 2009年3月29日 (日) 17:08 (UTC)[返信]

で、結局どうしますか?このままにしておくのか、回避バージョンにするのか。いつまでも改名提案のテンプレ張りっぱなしもどうかと思うのですが。--Dondokken 2009年3月31日 (火) 12:02 (UTC)[返信]

Hisayamaさんの御返事を待っているところです。ただHisayamaさんも、「(仮に移動するとしても)(中略)世界大戦のように、集団自決全体についての記事を書くべきと思います。」と仰っておいでなので、集団自決についての一般論的な記事を作り、これを個別の事件への誘導的な記事内容とする事には最低限の合意が出来上がりつつあるのでは、と見ております。
ただ、時間をかけようとは思っております。元々熱くなり易い領域ですから、早急に合意が形成出来るとは考えておりません。--Kliment A.K. 2009年3月31日 (火) 14:49 (UTC)[返信]
「術語としての一般性・語義の普遍性」というのがそのレベルなら改名は不要だという意見を述べたと思います。先に述べたホロコースト等を超える、世界大戦等に匹敵する一般性を示していただきたく思います。(あるいは、今後ホロコースト等も改名提案を予定しているということなら話は変わってきますが)--Hisayama 2009年4月5日 (日) 13:06 (UTC)[返信]
>そのレベルなら改名は不要だという意見を述べた
>先に述べたホロコースト等を超える、世界大戦等に匹敵する一般性を示していただきたく思います。
文意がよく分りません…。「ホロコースト」や「世界大戦」は「一般的に用いられている用例」は殆ど皆無です(そもそも私は「ホロコースト」「世界大戦」に係る主張をしておりません)。
「ホロコースト」は固有名詞に近い。また「世界大戦」は普通名詞たりえますが、そもそも世界的な大戦というのが(今のところ)2回に限定されている以上、これも普通名詞というよりは固有名詞です。
しかし「集団自決」は全く違いまして、普通名詞としての用例が既に様々ある訳です。なぜ本件を「ホロコースト」や「世界大戦」などと同列に論じておいでなのか、全く分りません。「集団自決と言えば沖縄」というのは、沖縄だけを特別視するPOVでは?日本人・沖縄人としての心情は理解出来なくも無いですが、世界の事象・事物を扱う百科事典において、普通名詞を特定の日本の事件のみを指す言葉として用いるのは不適切です。--Kliment A.K. 2009年4月5日 (日) 17:04 (UTC)[返信]
あまり話を混乱させたくないんで、余計なことは言いたくはなかったのですが、Hisayama氏の意見はもっともだなと思っています。英語holocaustは本来「大惨害、大破壊、全滅」などの意であり、大量虐殺に限ったものでもありません。ホロコーストはアイリスチャンの有名な著書『ザ・レイプ・オブ・南京――第2次大戦の忘れられたホロコースト』でも使われており、ナチスに限られるものでもありません。しかしそれは希な例であり、確かに一般的には「ナチス」が犯したそれを指すような固有名詞としての使われ方をしていると思います(その出典はないが)。「集団自決」と同じことだと思いますがね。こちらを曖昧さ回避にするならばホロコーストも当然必要でしょう。--Dondokken 2009年4月7日 (火) 21:53 (UTC)[返信]
疑問なのですが、「ホロコーストと言えばユダヤ人虐殺」というのは大方の賛同を得られると思います。さて、「集団自決と言えば沖縄」という図式は成立するのでしょうか?『風の谷のナウシカ』を読んでいた時には全くそんな事は感じなかったのですが。
ちなみに大虐殺についてはより一般的な「ジェノサイド」があります。真偽の議論は別として、南京虐殺ホロドモール等についても「ジェノサイド」「大虐殺」など、より一般的な言葉で言い表す事が可能です。「ホロコースト」は「集団自決」のように、他に代替の無い言葉ではありません。
他方、「集団自決」は代替がありません。「集団自殺」ではダメなのです。「自殺」と「自決」は使われ方が違いますから。例えば戊辰戦争での白虎隊20人の切腹については、「自決」とは言いますが「自殺」とは言いません。やむをえずアルカディ修道院の事例ではリンクを貼りましたが、これがきっかけになってこちらの改善要求を出しています。「集団自決」という他に代替の無い普通名詞を沖縄の専売特許にするのは、NPOV違反でしょう。--Kliment A.K. 2009年4月8日 (水) 01:23 (UTC)[返信]
そのまま逆に同じことが言えてしまうと思うのですが・・・。つまり、
『疑問なのですが、「集団自決と言えば沖縄戦での住民自決」というのは大方の賛同を得られると思います。さて、「ホロコーストと言えばナチ」という図式は成立するのでしょうか?英語におけるholocaustという単語の意味、また『レイプオブ南京』を読んでいた時には全くそんな事は感じなかったのですが。』 とも言えてしまいます。
また、『「集団自決」は他に代替のない言葉で、集団自殺ではだめ』との意見のようで例として白虎隊を挙げられておりますが、白虎隊20人の切腹は「集団的な切腹」と言い替えることができますし、「集団自殺」と表現する者もいるようです(作家塚本邦雄と寺山修司の対談、及び巷での白虎隊の話題において[35][36])。このように「集団自殺」という用語で語られている現状がある中で「集団自決」は他の用語で「言い換えられない」「他に代替がない」というのはいかがなものでしょう。そもそも沖縄戦のことについても集団自決ではなく、集団自殺という人はいますし。
つまり「ホロコースト」も「集団自決」も使用が限られた用語などではなく、言い替えることのできる言葉はいくらでもあり、集団自決」を改名・曖昧さ回避をするならば「ホロコースト」をはじめとしたところも必要ですよね、という当たり前の意見を申したまでであり、「集団自決」のみに拘っておられるお姿に疑問を感じた次第です。--Dondokken 2009年4月8日 (水) 02:26 (UTC)[返信]
こちらを曖昧さ回避にするならばホロコーストも当然必要でしょうと主張されるのであれば、止めませんから、どうぞノート:ホロコーストで改名を提案してください。ここでの議論とは関係のない話です。--Cave cattum 2009年4月8日 (水) 01:33 (UTC)[返信]
Dondokkenさん
「集団自殺」という用語で語られている現状がある中で「集団自決」は他の用語で「言い換えられない」「他に代替がない」というのはいかがなものでしょう。
「『自殺』と『自決』はニュアンスが違う」と何度も申しております。「自殺」というネガティブな言葉を使う事を避けない人は、使うでしょうね。読んでいらっしゃるのでしょうか。
もう一度申しますが「集団」も「自決」も日本語の普通名詞であり、「集団自決」も普通名詞です。
「集団自決」のみに拘っておられるお姿に疑問を感じた
記事『アルカディ修道院』がきっかけだと既に申しております。もう一度申しますがちゃんと読んでいらっしゃいますか?読みもしないで疑問ばかりぶつけてこられても当方としては当惑するばかりです。他に何の意図も動機もありません。「アルカディ修道院」の記事作成日時と照らし合わせても明らかでしょう。--Kliment A.K. 2009年4月8日 (水) 10:31 (UTC)[返信]
Cave cattumさん、同感です。--Kliment A.K. 2009年4月8日 (水) 10:31 (UTC)[返信]
>「集団」も「自決」も日本語の普通名詞であり、「集団自決」も普通名詞です。
えっと、それを否定したのではなく、「ホロコースト」は辞書を見れば一目瞭然ですが固有名詞ではなく普通名詞であり、「集団自決」も普通名詞であり、そして両者ともに代替する名詞は他にもあり、実際に白虎隊についても「集団自殺」の名詞を使っている方々がいることを証明したまでです。ニュアンスが違うと仰いますが、例えば白虎隊(or沖縄戦)には自決のニュアンスがあっていて自殺のニュアンスはあっていない!と感じるのは個々の感覚によって違うものですから、どちらが正しいニュアンスなのかの判断は難しいところだと思いますよ。
私は「ホロコースト」といえば、ナチの行為が一般的な用法だと思いますし、「集団自決」と言えば沖縄戦のそれを指すことが一般的だろうという感覚を持っているので、現状の記事名のままで良いと基本的には思っておりますが、「普通名詞だから」との理由で改名&回避したいのならば、それも納得の行く提案であり、条件付で同意しますが、ホロコースト等の改名もご自身の主張に矛盾が生じないように行動していただけたら、説得力のある筋の通った提案だったのになぁ、と思った次第です。--Dondokken 2009年4月8日 (水) 12:35 (UTC)[返信]
>ホロコースト等の改名もご自身の主張に矛盾が生じないように行動していただけたら、説得力のある筋の通った提案だったのになぁ
意味不明です。「普通名詞が固有名詞であるかのような事例・事件名」全てについて私が責任を持たなければならないのですか?そもそも何度も申しますが記事:アルカディ修道院が今回の改名提案の動機・きっかけなのであり、アルカディ修道院の事例がホロコーストとは通例されない以上、ホロコーストについての私の動機が低いのは当然です。ちなみにホロコーストについて改名提案が出されても、私は反対しません(感覚的に集団自決よりは固有名詞性が強いと思いますので賛成はしませんが)。--Kliment A.K. 2009年4月8日 (水) 13:51 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 歴史Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 太平洋戦争Portal‐ノート:歴史認識と戦後処理に、議論への参加を呼びかけさせて頂きました。--Kliment A.K. 2009年4月5日 (日) 17:22 (UTC)[返信]
コメント 誰が提唱してどのような意味であるにせよ、人口に膾炙した挙句に意味が変質し一般名詞化した言葉というのは世の中に数多くあります(和製英語はその典型です)。さて、「集団自決」が一般名詞化しているかどうかですが、Kliment A.Kさんが(Wikipedia:検証可能性に従って)事例を挙げられているので、検証はされたものと考えてよいでしょう。 次に、原義の集団自決と、一般名詞の集団自決で名前が重複しているため、Wikipedia:曖昧さ回避の方針にのっとり、「平等な曖昧さ回避」と「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」のどちらにするかが問題になります。そしてこの場合、Wikipedia:曖昧さ回避#どの曖昧さ回避を使うべきかの、『どれを代表的なトピックにすべきか参加者間で対立がある場合には、「平等な曖昧さ回避」を使用するべきでしょう。』に該当すると言えるでしょう。したがいまして、「集団自決」は曖昧さ回避ページとするのが妥当だろうと考えます。--Kurz 2009年4月7日 (火) 03:19 (UTC)[返信]
コメント「集団自決」が一般名詞化しているかどうかについてはKliment A.K氏の出典明記により証明完了。私が主張する沖縄戦における住民犠牲については今回どうしてもというわけではない。集団自決 (沖縄戦)は既に述べている通りテクニカルな理由により不可。沖縄戦における集団自決で良いでしょう。--Cave cattum 2009年4月7日 (火) 08:42 (UTC)[返信]
コメントKurzさん、Cave cattumさんに賛成です。「沖縄戦における集団自決」という項目名案にも異議ありません。--Kliment A.K. 2009年4月8日 (水) 01:23 (UTC)[返信]
コメント曖昧さ回避のページをつくるとして、具体的にどのように記載するのかの提案が欲しいところです。--Dondokken 2009年4月9日 (木) 09:47 (UTC)[返信]
コメントDondokkenさんに確認なのですが、「集団自決」の「曖昧さ回避化」には賛成に転じられたという事で宜しいですか?折角鋭意ページ案作っても、「やっぱり駄目だ」というのでは労力が無駄になりますので…--Kliment A.K. 2009年4月9日 (木) 15:19 (UTC)[返信]
私の結論は既にこの時点で申しております[37]。よくお読みになってください。--Dondokken 2009年4月9日 (木) 17:06 (UTC)[返信]
それにしては随分反対色が強く出ていらっしゃいましたので、念の為伺いました。
案につきましては用意しております、もう少しお待ち下さい。--Kliment A.K. 2009年4月10日 (金) 05:53 (UTC)[返信]

改名後の曖昧さ回避ページ「集団自決」具体案

以下に案を示します。ちなみに沖縄の集団自決を題材にしたフィクションについては私よりも沢山御存知の方々がこちらにおいででしょうから、皆様による加筆を待ちたいと思います。--Kliment A.K. 2009年4月10日 (金) 06:43 (UTC)[返信]

コメント下記の具体案に賛同を表明しておきます。(追記)ただこうなると集団自殺との差がわかりにいくいのですが、このままにしておくべきなのでしょうか?--Dondokken 2009年4月10日 (金) 08:02 (UTC)[返信]

集団自決(しゅうだんじけつ)とは人が集団で自決を行う事。日本では沖縄戦における集団自決が議論の対象となる事が多い。

歴史上の事件の諸例

第二次世界大戦における諸例(戦後すぐを含む)

第二次世界大戦における諸例。

史実を元にしたフィクション

--Kliment A.K. 2009年4月10日 (金) 06:43 (UTC)[返信]