「アントニオ・セルバンテス」の版間の差分
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'''アントニオ・セルバンテス'''('''Antonio Cervantes'''、男性、[[1945年]][[12月23日]] - )は、[[コロンビア]]の[[プロボクサー]]。身長175cm。元[[世界ボクシング協会|WBA]]世界ジュニアウェルター級(現[[スーパーライト級]])王者。恵まれた体躯を生かした強打で70年代の中南米ボクシングをリードした名王者。全盛期の強さは圧倒的で、同時期に活躍した石の拳[[ロベルト・デュラン]]にも匹敵すると評された。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
2009年5月13日 (水) 05:38時点における版
基本情報 | |
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本名 | Antonio Cervantes Reyes |
通称 | Kid Pambelé |
階級 | ジュニアウェルター級 |
国籍 | コロンビア |
誕生日 | 1945年12月23日(78歳) |
出身地 |
コロンビア San Basilio de Palenque |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 106 |
勝ち | 91 |
KO勝ち | 44 |
敗け | 12 |
引き分け | 3 |
アントニオ・セルバンテス(Antonio Cervantes、男性、1945年12月23日 - )は、コロンビアのプロボクサー。身長175cm。元WBA世界ジュニアウェルター級(現スーパーライト級)王者。恵まれた体躯を生かした強打で70年代の中南米ボクシングをリードした名王者。全盛期の強さは圧倒的で、同時期に活躍した石の拳ロベルト・デュランにも匹敵すると評された。
来歴
1971年12月11日、66戦目にして世界王座に初挑戦。WBA世界ジュニアウェルター級王者ニコリノ・ローチェ( アルゼンチン)に挑戦し、0-3の判定負けで王座獲得ならず。
1972年10月29日、WBA世界ジュニアウェルター級王者アルフォンソ・フレーザー( パナマ)に挑戦し、10回KO勝ちで王座を獲得した。
1973年3月17日、挑戦者ニコリノ・ローチェと再戦し、9回TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。
1973年5月19日、挑戦者アルフォンソ・フレーザーと再戦し、5回KO勝ちで3度目の防衛に成功した。
1973年12月5日、挑戦者ライオン古山( 日本)と対戦し、3-0の判定勝ちで5度目の防衛に成功した。
1974年3月2日、挑戦者李昌吉( 韓国)と対戦し、6回KO勝ちで6度目の防衛に成功した。
1974年10月26日、日本大学講堂で行われた唯一の来日試合で挑戦者門田恭明( 日本)と対戦し、8回KO勝ちで8度目の防衛に成功した。
1975年5月17日、挑戦者エステバン・デ・ヘスス( プエルトリコ)と対戦し、3-0の大差判定勝ちで9度目の防衛に成功した。
1975年9月20日、ノンタイトルマッチでバトルホーク風間( 日本)と対戦し、6回TKO勝ちを収めた。
1975年11月15日、挑戦者ヘクター・トンプソン( オーストラリア)と対戦し、8回TKO勝ちで10度目の防衛に成功した。
1976年3月6日、敵地プエルトリコで行われた11度目の防衛戦でウィルフレド・ベニテス( プエルトリコ)と対戦し、1-2の判定負けで王座から陥落した。
1977年6月25日、WBA世界ジュニアウェルター級王座決定戦でカルロス・ヒメネス( アルゼンチン)と対戦し、5回TKO勝ちで王座に返り咲いた。以後、6度の防衛に成功。
1980年8月2日、7度目の防衛戦でアーロン・プライヤー( アメリカ合衆国)と対戦し、4回KO負けで王座から陥落した。
獲得タイトル
- 第21代WBA世界ジュニアウェルター級王座(防衛10度)
- 第23代WBA世界ジュニアウェルター級王座(防衛6度)
関連項目
外部リンク
前王者 アルフォンソ・フレイザー |
第21代WBA世界ジュニアウェルター級王者 1972年10月29日 - 1976年3月6日 |
次王者 ウィルフレド・ベニテス |
空位 前タイトル保持者 ウィルフレド・ベニテス |
第23代WBA世界ジュニアウェルター級王者 1977年6月25日 - 1980年8月2日 |
次王者 アーロン・プライヤー |