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「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の版間の差分

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『'''トリッチ・トラッチ・ポルカ'''』([[独語]]:'''''Tritsch-Tratsch-Polka''''')作品214は、[[ヨハン・シュトラウス2世|ヨハン・シュトラウスII世]]が[[1858年]]に作曲した[[ポルカ]]。[[パヴロフスク]]遠征大成功の余勢を駆って書かれた作品である。
『'''トリッチ・トラッチ・ポルカ'''』([[独語]]:'''''Tritsch-Tratsch-Polka''''')作品214は、[[ヨハン・シュトラウス2世]]が[[1858年]]に作曲した[[ポルカ]]。[[パヴロフスク]]遠征大成功の余勢を駆って書かれた作品である。


「トリッチ・トラッチ」という[[ドイツ語]]は、「女のおしゃべり」と解釈することが出来るので、ウィーンっ子の[[ゴシップ]]好きに関係しているのかもしれないが、あるいはヨハン・シュトラウスII世は、[[オーストリア]]の[[役者]]で喜劇作家[[ヨハン・ネポムク・ネストロイ]]原作による、第1幕の[[戯作]]『井戸端会議』(''Der Tritsch-tratsch'', [[1833年]]初演、アドルフ・ミュラーI世の音楽による)を参考にしたのかもしれない。この[[戯曲]]は、ポルカが作曲された時代になってもまだ上演されていたのである。
「トリッチ・トラッチ」という[[ドイツ語]]は、「女のおしゃべり」と解釈することが出来るので、ウィーンっ子の[[ゴシップ]]好きに関係しているのかもしれないが、あるいはヨハン・シュトラウス2世は、[[オーストリア]]の[[役者]]で喜劇作家[[ヨハン・ネポムク・ネストロイ]]原作による、第1幕の[[戯作]]『井戸端会議』(''Der Tritsch-tratsch'', [[1833年]]初演、アドルフ・ミュラー1世の音楽による)を参考にしたのかもしれない。この[[戯曲]]は、ポルカが作曲された時代になってもまだ上演されていたのである。


この曲の雰囲気は、多くのヨハン・シュトラウスII世のポルカと同じく、軽快で威勢が良い。なおヨハン・シュトラウスII世の最初の妻ヘンリエッタ・トレフツが飼っていた[[プードル]]もまた「トリッチ・トラッチ」という名であった。もともとは合唱つきで、[[ウィーン少年合唱団]]などのレパートリーとして残っているのはその名残である。
この曲の雰囲気は、多くのヨハン・シュトラウス2世のポルカと同じく、軽快で威勢が良い。なおヨハン・シュトラウス2世の最初の妻ヘンリエッタ・トレフツが飼っていた[[プードル]]もまた「トリッチ・トラッチ」という名であった。もともとは合唱つきで、[[ウィーン少年合唱団]]などのレパートリーとして残っているのはその名残である。


日本国内においては小学校の運動会で比較的よく流される曲であり、知っている人も多い。
日本国内においては小学校の運動会で比較的よく流される曲であり、知っている人も多い。

2009年7月7日 (火) 06:54時点における版

トリッチ・トラッチ・ポルカ』(独語Tritsch-Tratsch-Polka)作品214は、ヨハン・シュトラウス2世1858年に作曲したポルカパヴロフスク遠征大成功の余勢を駆って書かれた作品である。

「トリッチ・トラッチ」というドイツ語は、「女のおしゃべり」と解釈することが出来るので、ウィーンっ子のゴシップ好きに関係しているのかもしれないが、あるいはヨハン・シュトラウス2世は、オーストリア役者で喜劇作家ヨハン・ネポムク・ネストロイ原作による、第1幕の戯作『井戸端会議』(Der Tritsch-tratsch, 1833年初演、アドルフ・ミュラー1世の音楽による)を参考にしたのかもしれない。この戯曲は、ポルカが作曲された時代になってもまだ上演されていたのである。

この曲の雰囲気は、多くのヨハン・シュトラウス2世のポルカと同じく、軽快で威勢が良い。なおヨハン・シュトラウス2世の最初の妻ヘンリエッタ・トレフツが飼っていたプードルもまた「トリッチ・トラッチ」という名であった。もともとは合唱つきで、ウィーン少年合唱団などのレパートリーとして残っているのはその名残である。

日本国内においては小学校の運動会で比較的よく流される曲であり、知っている人も多い。