コンテンツにスキップ

「安東金氏」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
18行目: 18行目:
始祖・金宣平は、新羅末期の古昌郡(安東)の有力者であった。新羅末期の[[後三国時代]]の争いに際して[[王建]]に味方し、[[後百済]]の[[甄萱]]との瓶山の戦いで功績をあげた。高麗建国後、開国功臣とされた。
始祖・金宣平は、新羅末期の古昌郡(安東)の有力者であった。新羅末期の[[後三国時代]]の争いに際して[[王建]]に味方し、[[後百済]]の[[甄萱]]との瓶山の戦いで功績をあげた。高麗建国後、開国功臣とされた。


李氏朝鮮後期、[[金祖淳]]の娘が[[純祖]]の后(純元王后)となった。以後、安東金氏は[[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]・[[哲宗 (朝鮮王)|哲宗]]にわたって王妃を送り、60年近くわたり外戚として勢威を振るった[[勢道政治]])。朝鮮末期の政治家である[[金玉均]]もその一族である。
李氏朝鮮後期、[[金祖淳]]の娘が[[純祖]]の后(純元王后)となった。当初純祖の摂政を務めていた[[貞純王后]]の死去以降より安東金氏は[[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]・[[哲宗 (朝鮮王)|哲宗]]にわたって王妃を送り、およそ60年り外戚として勢威を振るった(←[[勢道政治]])。朝鮮末期の政治家である[[金玉均]]もその一族である。


{{DEFAULTSORT:あんとうきんし}}
{{DEFAULTSORT:あんとうきんし}}

2009年11月26日 (木) 01:02時点における版

安東金氏
各種表記
ハングル 안동김씨
漢字 安東金氏
発音 アンドンギムシ
日本語読み: あんとうきんし
テンプレートを表示

安東金氏(あんとうきんし)は、朝鮮の氏族の一つ。本貫安東とする。

安東金氏と呼ばれる氏族には、新羅王族の金叔承を始祖とする家系(旧安東金氏)と、高麗建国の功臣である金宣平を始祖とする家系(新安東金氏)がある。李氏朝鮮後期に勢威を振るった安東金氏は、後者にあたる。

旧安東金氏

新羅敬順王の孫・金叔承を始祖とする。金叔承は高麗に仕えた。この家系からは高麗の将軍・金方慶が出ている。独立運動家の金九もこの家系に属するという。

新安東金氏

始祖・金宣平は、新羅末期の古昌郡(安東)の有力者であった。新羅末期の後三国時代の争いに際して王建に味方し、後百済甄萱との瓶山の戦いで功績をあげた。高麗建国後、開国功臣とされた。

李氏朝鮮後期、金祖淳の娘が純祖の后(純元王后)となった。当初、純祖の摂政を務めていた貞純王后の死去以降より安東金氏は憲宗哲宗にわたって王妃を送り、およそ60年間に渡り外戚として勢威を振るった(←勢道政治)。朝鮮末期の政治家である金玉均もその一族である。