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「オウム真理教男性信者殺害事件」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
事件の被害者となった男性信者は、オウム出版の責任者であった[[岡崎一明]]の下で営業させられていたが、[[1988年]][[9月22日]]の[[オウム真理教在家信者死亡事件]]を目の当たりにし、オウムのやり方に疑問を持ち、責任者の[[岡崎一明]]に不満を述べた。岡崎は男性信者の不満を麻原に報告すると、[[麻原彰晃]]は男性信者を富士山独房に監禁し、両手両足を縛らせたが、益々反発して教団から脱会する旨を主張。麻原は脱会させると、オウム信者死亡事故が露見される恐れがあり、宗教法人取得を目指す教団にとって痛手になると考え、殺害するしかないと決意。
事件の被害者となった男性信者は、オウム出版の責任者であった[[岡崎一明]]の下で営業させられていたが、[[1988年]][[9月22日]]の[[オウム真理教在家信者死亡事件]]を目の当たりにし、オウムのやり方に疑問を持ち、責任者の岡崎に不満を述べた。岡崎は男性信者の不満を[[麻原彰晃]]に報告すると、麻原は男性信者を富士山独房に監禁し、両手両足を縛らせたが、益々反発して教団から脱会する旨を主張。麻原は脱会させると、オウム信者死亡事故が露見される恐れがあり、宗教法人取得を目指す教団にとって痛手になると考え、殺害するしかないと決意。


1989年2月深夜、サティアンビル4階の図書館に、[[早川紀代秀]]・[[村井秀夫]]・[[岡崎一明]]・[[新実智光]]・[[大内利裕]]の5人を集め、「ポアするしかないな」といって、男性信者の殺害を命じ、殺害された。先の事件の在家信者同様、マイクロ波を使用した[[ファイナル・クリーナー]]で死体を焼却して粉々に砕いた後、敷地内にばら撒いた。
1989年2月深夜、サティアンビル4階の図書館に、[[早川紀代秀]]・[[村井秀夫]]・[[岡崎一明]]・[[新実智光]]・[[大内利裕]]の5人を集め、「ポアするしかないな」といって、男性信者の殺害を命じ、殺害された。先の事件の在家信者同様、マイクロ波を使用した[[ファイナル・クリーナー]]で死体を焼却して粉々に砕いた後、敷地内にばら撒いた。


この後、麻原は殺人を肯定する「ヴァジラヤーナの教え」を初めて実行犯らに説いた。実行犯5人のうち、大内利裕以外の4人が[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]においても実行犯となった。オウム真理教ぐるみでの最初の殺人事件である。
この後、麻原は殺人を肯定する「ヴァジラヤーナの教え」を初めて実行犯らに説いた。実行犯5人のうち、大内以外の4人が[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]においても実行犯となった。オウム真理教ぐるみでの最初の殺人事件である。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2010年11月10日 (水) 10:48時点における版

オウム真理教男性信者殺害事件(オウムしんりきょうだんせいしんじゃさつがいじけん)とは、1989年2月10日に発生したオウム真理教信者による殺人事件。

概要

事件の被害者となった男性信者は、オウム出版の責任者であった岡崎一明の下で営業させられていたが、1988年9月22日オウム真理教在家信者死亡事件を目の当たりにし、オウムのやり方に疑問を持ち、責任者の岡崎に不満を述べた。岡崎は男性信者の不満を麻原彰晃に報告すると、麻原は男性信者を富士山独房に監禁し、両手両足を縛らせたが、益々反発して教団から脱会する旨を主張。麻原は脱会させると、オウム信者死亡事故が露見される恐れがあり、宗教法人取得を目指す教団にとって痛手になると考え、殺害するしかないと決意。

1989年2月深夜、サティアンビル4階の図書館に、早川紀代秀村井秀夫岡崎一明新実智光大内利裕の5人を集め、「ポアするしかないな」といって、男性信者の殺害を命じ、殺害された。先の事件の在家信者同様、マイクロ波を使用したファイナル・クリーナーで死体を焼却して粉々に砕いた後、敷地内にばら撒いた。

この後、麻原は殺人を肯定する「ヴァジラヤーナの教え」を初めて実行犯らに説いた。実行犯5人のうち、大内以外の4人が坂本堤弁護士一家殺害事件においても実行犯となった。オウム真理教ぐるみでの最初の殺人事件である。

関連項目