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「甲府地方裁判所」の版間の差分

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2011年2月20日 (日) 10:44時点における版

日本の旗 日本地方裁判所
甲府地方裁判所
所長 金井康雄
組織
管轄区域 山梨県
担当検察庁 甲府地方検察庁
上位裁判所 東京高等裁判所
下位裁判所 甲府簡易裁判所鰍沢簡易裁判所
都留簡易裁判所富士吉田簡易裁判所
概要
所在地 〒{{{郵便番号}}}
山梨県甲府市中央一丁目10-7
北緯35度39分38秒 東経138度34分04秒 / 北緯35.66056度 東経138.56778度 / 35.66056; 138.56778座標: 北緯35度39分38秒 東経138度34分04秒 / 北緯35.66056度 東経138.56778度 / 35.66056; 138.56778
法人番号 1000013030009 ウィキデータを編集
甲府地方裁判所
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甲府地方裁判所(こうふちほうさいばんしょ)は、山梨県甲府市にある日本地方裁判所の一つで、山梨県を管轄している。略称は、甲府地裁(こうふちさい)。

山梨県を管轄しており、甲府地方裁判所には甲府市に置かれている本庁のほか、都留市の1市に地方裁判所と家庭裁判所の支部を設置しているほか、前述の2箇所にくわえ鰍沢(南巨摩郡富士川町)、富士吉田市の2箇所を加えた4箇所に簡易裁判所を設置している。また本庁には検察審査会も設置されている。地方裁判所の支部の数は、函館地方裁判所東京地方裁判所と並んで全国で最も少ない。

老朽化により庁舎の建替えを実施し2009年1月に新庁舎が竣工した。新庁舎は地上6建地下1階、法廷は裁判員制度に対応した造りとなっている。

所在地と歴史的景観

  • 本庁:山梨県甲府市中央一丁目10-7
  • 都留支部:山梨県都留市中央二丁目1-1

本庁が所在する中央一丁目は古墳時代からの定住が確認される。近世の甲府城ニノ堀郭内の武家地にあたり、甲府城下町の絵図類によれば甲府地方裁判所敷地から北側の甲府警察署敷地近辺は江戸前期には甲府藩柳沢氏家老滝口平左衛門屋敷に比定され、周辺にも柳沢家臣屋敷が散在している。甲府勤番時代の江戸後期には薬園(御薬園)が存在しており、北側には甲府勤番追手役宅や学問所の徽典館が所在しており、甲府裁判所所在地点西側はニノ堀が南北に通り、西側は追手小路(舞鶴通り)で甲府城追手門から内堀に囲郭された内城区域に至る。

明治期には甲府城の内堀・ニノ堀が埋め立てられ官公庁用地として開発され、舞鶴通りには藤村式建築と呼ばれる擬洋風建築の官公庁が立ち並んだ。1871年(明治4年)には司法省が設置され、翌明治5年には山梨県庁舎内に山梨裁判所が発足し、明治6年には富士川町(甲府市中央二丁目)に移転した。現在地には1945年(昭和20年)7月の甲府空襲による混乱を経て1947年(昭和22年)に移転され、戦後には戦後復興都市計画において東側の旧ニノ堀流路が平和通りとして整備され、市街地が整備された。

2007年度には庁舎新営工事に伴い山梨県埋蔵文化財センターによる発掘調査が実施され、陶磁器など近世の遺物が確認されている。

管轄

本庁
都留支部

※ただし、行政事件、合議事件は本庁で取り扱う。

歴代所長

主な所属裁判官

特筆すべき最近の不祥事

  • 同地裁が行った破産管財業務を巡り、1998年から2003年にかけて、管財人が総額1億5,833億円を横領し逮捕され、2005年に実刑が確定した。この件について、この管財人の後任者の弁護士が、2004年に、同地裁が被害拡大を招いたとして、監督責任を追及しようと調査報告書を提出したが、その後同地裁の担当裁判官が削除を求めていたことが、2010年10月に判明した。この件について、報告書を提出した管財人は、同地裁からの圧力だと感じたという。債権者らは、調査報告書の内容を知らされていないとして、同地裁の自己保身だと、憤りのコメントを出している[1]。また、同地裁が、横領の事実を把握していながら、事実を伏せたまま債権者集会の召集通知を出していたことも発覚している[2]

脚注

外部リンク