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[[ロシア]]では南千島地震としている。釧路から根室にかけて強く揺れ、[[厚岸]]で[[八幡神社]]が4-5尺ずれ、地割れがあり、江戸でも有感であった。 |
2012年4月6日 (金) 18:11時点における版
十勝沖地震(とかちおきじしん)は、北海道の十勝地方の沖合を震源として起こる地震。
過去に数回発生しているため、一般的に発生年を付して「○○○○年十勝沖地震」と呼んで区別される。
概要
北海道十勝沖からロシア連邦のカムチャツカ半島沖にかけて千島海溝が存在しているが、この海溝では太平洋プレートが北アメリカプレートの下に年間数cmの速度で沈み込んでいる。このため両プレートの境界で歪みが発生し、その歪みの開放により発生する逆断層型の海溝型地震である。
想定される十勝沖地震のマグニチュード(M)は8前後、発生間隔は約60 - 80年と見られている。これまで M8クラスの地震が1843年、1952年、2003年と繰り返し発生している。400 - 500年程度の間隔で根室沖地震と連動してきた可能性があり、2003年の十勝沖・1973年の根室沖の次の地震が連動した場合の規模はM8.3程度と推定されている[1](後述)。なお、1968年の地震は震源域が「三陸沖北部」に分類されるため、この周期に含まれない[2]。
また、十勝沖では17.5年周期でM7前後のひとまわり小さい海溝型地震や27.3年周期で沈み込むプレート内部で発生するM7-8程度のスラブ内地震も発生する[1]。
500年間隔地震
十勝沖地震は、約500年間隔で根室沖地震と連動すると考えられている。連動間隔は最短で300年、最長で600年とされており、直近の連動は17世紀初頭とされている[3]。直近の活動については、1635年とする説[4]、十勝沖地震ではなく1611年の慶長三陸地震の津波痕跡であるとする説[5]がある。連動型地震では、現在の海岸線から2 - 3km以上が浸水、高さは10 - 15m以上の津波が発生したとみられている[3]。
津波の痕跡は、北海道大学の平川一臣特任教授らのグループが道東の太平洋沿岸で発見し、1998年に発表した[4]。2005年には中央防災会議が「500年間隔地震」と命名し、対策を始めた[5]。500年間隔地震による津波(痕跡)分布を説明できる断層モデルはM8.5[6]または8.6[4]のプレート間地震が算出されている。また、平川は道南の森町の地層で、500年間隔地震によるものとみられる紀元前後以降3層の津波堆積物を発見した。平川は震源域が十勝・根室沖だけでなく三陸沖北部の青森沖まで達することがあった可能性を指摘した[7]。
震源域の静穏化現象
1952年十勝沖地震の7年ほど前から震源域付近では小さな地震の頻度が低下する現象がおきていた。また2003年十勝沖地震の際も1990年以降同様の現象がおきていたことが研究者より指摘されていた[8]。太平洋戦争後からの記録によると、大地震発生の数年から十数年前に微小地震の回数が減る「第2種地震空白域」の形成が確認されており、この間にプレートの動きが滞り、強大なエネルギーが蓄積されると考えられている。
1843年
天保14年3月26日明方(1843年4月25日)。『國泰寺日鑑』、『釧路郡役所報告』などに記録がある。 ロシアでは南千島地震としている。釧路から根室にかけて強く揺れ、厚岸で八幡神社が4-5尺ずれ、地割れがあり、江戸でも有感であった。
津波が北海道太平洋側から千島列島に襲来し、厚岸で波高4-5m、番屋やアイヌの家屋が流失した。根室や国後島でも溺死者を出した[9]。
1915年
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1952年
概要
- 本震
- 各地の震度
震度 | 都道府県 | 市区町村 |
---|---|---|
6 | 北海道 | 池田町 浦幌村(現・浦幌町) |
5 | 北海道 | 浦河町 帯広市 本別通報所 釧路市 |
4 | 北海道 | 札幌市中央区 函館市 森町 小樽市 岩見沢市 富良野通報所 苫小牧市 日高門別通報所 根室市 |
青森県 | 青森市 むつ市 | |
岩手県 | 宮古市 |
被害
北海道から東北北部で揺れや津波などの被害があり、28人が死亡、5人が行方不明、287人が重軽傷を負った。また、家屋被害は、全壊815棟、半壊1324棟、一部損壊6395棟、流失91棟、浸水328棟、焼失20棟、非住家被害1621棟であった。このほか、船舶被害451隻を出した。
北海道東部の厚岸郡浜中町の中心部霧多布地区では津波により家屋が大多数流出し壊滅した。この時期の流氷及び海氷が津波により押し寄せ、家屋の破壊が甚大になったと考えられている。この地区は8年後の1960年チリ地震津波でも街が壊滅し、死者11名を出す被害を繰り返す事になる。
津波は、厚岸湾が最高で6.5m、青森県八戸市で2mなど。津波警報制度発足後、最初の大津波だった。ただ、前日の3月3日が1933年に起こった昭和三陸地震記念日で警報伝達訓練や避難訓練も多数行われ、防災に大変役立った。
2003年
平成15年(2003年)十勝沖地震 | |
---|---|
本震 | |
発生日 | 2003年(平成15年)9月26日 |
発生時刻 | 4時50分07秒(JST) |
震央 |
日本 北海道襟裳岬南東沖80km 北緯41度46.7分 東経144度4.7分(北緯41度46.7分秒 東経144度4.7分秒) |
震源の深さ | 45 km |
規模 | マグニチュード(M)8.0 |
最大震度 | 震度6弱:北海道 新冠町、静内町、浦河町など |
津波 | 2m55cm:北海道 豊頃町 |
地震の種類 | 海溝型地震 |
余震 | |
最大余震 |
同日 午前6時08分 M7.1 震度6弱:浦河町 |
被害 | |
死傷者数 | 死者:1人 行方不明者:1人 |
被害地域 | 北海道 |
出典:特に注記がない場合は気象庁による。 | |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
概要
- 本震
- 発生:2003年(平成15年)9月26日(金)午前4時50分07秒(日本時間)
- 震源:北海道襟裳岬東南東沖80km 北緯41度46.7分、東経144度4.7分、深さ45km。 震源は1952年の地震とほぼ同じ
- 地震の規模:Mj8.0、Mw8.0(気象庁)[10]、Mw8.3(アメリカ地質調査所)[11]
気象庁はこの地震を平成15年(2003年)十勝沖地震と命名した。
この地震の震源付近では1952年3月4日にM8.2の十勝沖地震が発生している。
- 各地の震度
震度 | 都道府県 | 市区町村 |
---|---|---|
6弱 | 北海道 | 新冠町 静内町 浦河町 鹿追町 幕別町 豊頃町 忠類村 釧路町 厚岸町 |
5強 | 北海道 | 厚真町 足寄町 帯広市 本別町 更別村 広尾町 弟子屈町 釧路市 音別町 別海町 |
5弱 | 北海道 | 新篠津村 栗沢町 南幌町 長沼町 栗山町 中富良野町 清里町 北見市 訓子府町 苫小牧市 上士幌町 音更町 清水町 芽室町 |
4 | 北海道 | 石狩市 札幌市中央区 札幌市白石区 千歳市 恵庭市 函館市 上磯町 恵山町 南茅部町 砂原町 森町 知内町 上ノ国町 厚沢部町 北檜山町 小樽市 余市町 真狩村 倶知安町 妹背牛町 秩父別町 北竜町 滝川市 砂川市 奈井江町 浦臼町 新十津川町 雨竜町 岩見沢市 美唄市 三笠市 剣淵町 旭川市 富良野市 上富良野町 南富良野町 東藻琴村 女満別町 美幌町 斜里町 端野町 留辺蘂町 生田原町 丸瀬布町 伊達市 虻田町 洞爺村 白老町 平取町 えりも町 中標津町 羅臼町 根室市 白糠町 |
青森県 | 青森市 五所川原市 平内町 蟹田町 今別町 蓬田村 平舘村 木造町 柏村 稲垣村 車力村 浪岡町 板柳町 金木町 小泊村 藤崎町 尾上町 常盤村 田舎館村 十和田市 三沢市 野辺地町 七戸町 百石町 六戸町 横浜町 上北町 東北町 天間林村 下田町 六ヶ所村 五戸町 名川町 階上町 福地村 南郷村 倉石村 むつ市 川内町 大間町 東通村 | |
岩手県 | 軽米町 大野村 二戸市 浄法寺町 矢巾町 | |
宮城県 | 迫町 |
- 最大余震
- 発生:2003年(平成15年)9月26日午前6時08分02秒(日本時間)
- 震源:十勝沖 北緯41度42.5分、東経143度41.4分、深さ21km
- 地震の規模:M7.1
- 最大余震の各地の震度
震度 | 都道府県 | 市区町村 |
---|---|---|
6弱 | 北海道 | 浦河町 |
5強 | 北海道 | 新冠町 |
5弱 | 北海道 | 厚真町 静内町 |
青森県 | 野辺地町 むつ市 東通村 | |
4 | 北海道 | 石狩市 新篠津村 札幌市中央区 札幌市白石区 江別市 千歳市 恵庭市 函館市 上磯町 恵山町 南茅部町 砂原町 知内町 厚沢部町 小樽市 滝川市 砂川市 奈井江町 新十津川町 岩見沢市 美唄市 三笠市 栗沢町 南幌町 長沼町 栗山町 中富良野町 伊達市 虻田町 苫小牧市 白老町 えりも町 鹿追町 帯広市 音更町 清水町 芽室町 幕別町 豊頃町 更別村 忠類村 広尾町 |
青森県 | 青森市 | |
岩手県 | 軽米町 大野村 二戸市 玉山村 浄法寺町 矢巾町 |
被害
北海道から東北地方の太平洋沿岸に津波が襲来し、最高で2m55cm(北海道豊頃町・大津で記録)に達した。この津波で、北海道では釣り人2名が行方不明となり、うち1名の遺体が2005年に発見された。また北海道(十勝川など)では、津波が川を10km以上も逆流する現象も発生した。津波による行方不明者の他には今回の地震による犠牲者はいない。
この地震で政府は地震が発生した当日に官邸内に対策室を設置し、また北海道庁は陸上自衛隊第5師団に災害派遣を要請するなどして対応した。
北海道東部(道東)の各地方都市を結ぶ鉄道・道路・橋梁が各地で多数破損したため、一時道東地方の交通は全面ストップし、その後、主要道路の通行止め解除には数日、完全な復旧には数か月を要した。また町村道のような末端の生活道路の補修には数年を要した。
鉄道に関しては、根室本線直別駅構内を走行中の特急まりも(8両編成)の先頭から2両目の車両が脱線し、乗客39名のうち1名が軽傷を負った、また、同本線の路盤・橋梁・信号施設、駅舎なども破損などの被害が生じ、ダイヤが正常に戻ったのは翌月8日に入ってからであった。
また港湾施設の被害は大きく、釧路港などでは液状化現象が多数発生した。釧路空港は管制塔の天井部分が壊れるなどして管制業務が出来なくなったため閉鎖された。ライフラインでは、厚真町の苫東厚真火力発電所4号機(出力70万kw)が地震により自動停止して発電や送電設備に影響が出、日高・十勝地方を中心に、釧路市と周辺6町の約2万4300世帯などが停電した。
また、地震直後及び2日後に苫小牧市にある出光興産北海道製油所で2基の石油タンクの火災があった。これは、震源からやってきて苫小牧市周辺の堆積平野で増幅された長周期地震動の周期と、石油タンクの固有周期が一致し、石油タンクの内容物が共振するスロッシングと呼ばれる現象が発生し、浮き蓋の上に溢れ出した重油やナフサが浮き蓋と側壁の接触との摩擦で発生した火花に触れて引火することによって引き起こされた。地震後、このような巨大地震によってもたらされる長周期地震動による大規模構造物の被害が注目された。
2008年
十勝沖地震(2008年) | |
---|---|
本震 | |
発生日 | 2008年9月11日 |
震央 |
日本 北海道襟裳岬南東沖110km 北緯41度46.56分 東経144度9.06分(北緯41度46.56分秒 東経144度9.06分秒) |
震源の深さ | 31 km |
規模 | マグニチュード(M)7.1 |
最大震度 | 震度5弱:北海道新冠町、新ひだか町、浦幌町、大樹町 |
津波 | 18cm:浦河 |
地震の種類 | 海溝型地震 |
被害 | |
被害地域 | 北海道 |
出典:特に注記がない場合は気象庁による。 | |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
概要
- 本震
- 発生:2008年9月11日9時20分51秒(日本時間)
- 場所:北海道襟裳岬 南東沖110km(北緯41度46.56分、東経144度9.06分)
- 地震の規模:M7.1
2003年の地震の震源の近傍で発生した地震で、西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型。2003年の地震で余震があまり発生していなかった場所が今回の震源となった。
- 各地の震度
震度 | 都道府県 | 市区町村 |
---|---|---|
5弱 | 北海道 | 新冠町 新ひだか町 浦幌町 大樹町 |
4 | 北海道 | 南幌町 長沼町 厚真町 むかわ町 浦河町 様似町 えりも町 帯広市 音更町 幕別町 池田町 豊頃町 中札内村 更別村 広尾町 釧路市 白糠町 |
青森県東方沖
1968年の地震は上述の十勝沖地震とは震源域が異なり、また1677年、1763年、1856年に発生した八戸の地震もこれに類似するものと推定されている。
1677年
延宝5年3月12日戌刻(1677年4月13日20時頃)。『延宝日記』、『八戸藩史稿』、『三陸沿岸海嘯史』などに記録がある[12]。 八戸・盛岡で家屋破損の被害があった。三陸海岸に津波があり、波高3-5mで宮古で35戸の家屋流失があった[9]。
この年、延宝5年10月9日(1677年11月4日)には房総沖でも大地震があった。
1763年
宝暦12年12月16日申刻(1763年1月29日16時頃)。『宝暦年中八戸御領大地震并洪水略記』、『八戸藩史稿』などに記録がある。 八戸で大橋が落下、種市で堤防や橋が破損した。函館でも強く感じ、佐渡や江戸でも有感であった。津波は八戸・久慈で4-5m、
宝暦13年1月27日(1763年3月11日)の余震は八戸では本震より多くの家が倒壊し、津波もあった[9]。
1856年
安政3年7月23日午刻(1856年8月23日12時頃)。『時風録』などに記録がある。 7月19日に3回、20日に2回、23日に3回の前震があった。八戸で家屋倒壊の被害があり、三戸・五戸・七戸・野辺地・田名部・青森でも潰家があった。
津波が北海道から三陸海岸を襲い、波高は野田6m、大槌5m、田の浜17尺(5.1m)、小本12-15尺(3.6-4.5m)、綾里5-10尺(1.5-3m)であった。
八戸や宮古で家屋が流失、函館で浸水、浦河では船が沈没した。
1968年
1968年十勝沖地震 | |
---|---|
本震 | |
発生日 | 1968年(昭和43年)5月16日 |
発生時刻 | 午前9時48分53秒(JST) |
震央 |
日本 青森県東方沖 北緯40度44分 東経143度35分(北緯40度44分秒 東経143度35分秒) |
規模 | マグニチュード(M)7.9 |
最大震度 | 震度5:北海道 函館市など |
津波 | あり |
地震の種類 | 海溝型地震 |
被害 | |
死傷者数 | 死者:52人 負傷者:330人 |
被害地域 | 北海道 青森県 |
出典:特に注記がない場合は気象庁による。 | |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
概要
この地震の発生メカニズムは前述の発生要因と異なり、地震調査研究推進本部の分類では「三陸沖北部地震」に該当し、本来の十勝沖のアスペリティが破壊されたものではない。 震源は、1994年に発生した三陸はるか沖地震の北東にあたり、本来であれば『三陸沖地震(または三陸はるか沖地震)』と命名されるべきものだったが、速報値の計算の際に震央が本来の位置より約50kmほど北に計算され、津波警報の発令など緊急を要する各方面からの要望により早急に地震の名称を決める必要に迫られ為、震源を十勝沖として発表した事から『十勝沖地震』と命名されたものである。また、S波の験測が困難で有ったため、深さが求められず 0km とされた[13]。
- 本震
- 発生:1968年(昭和43年)5月16日午前9時48分53秒(日本時間)
- 震源:青森県東方沖(北海道襟裳岬南南東沖120km)北緯40度44分、東経143度35分、深さ0km
- 地震の規模:M7.9(Mw8.2)
- 各地の震度
震度 | 都道府県 | 市区町村 |
---|---|---|
5 | 北海道 | 函館市 苫小牧市 浦河町 広尾町 |
青森県 | 青森市 八戸市 むつ市 | |
岩手県 | 盛岡市 | |
4 | 北海道 | 札幌市中央区 森町 江差町 小樽市 倶知安町 寿都町 滝川通報所 岩見沢市 旭川市 北見通報所 室蘭市 日高門別通報所 糠平通報所 帯広市 本別通報所 釧路市 根室市 |
岩手県 | 宮古市 大船渡市 水沢観測所 | |
宮城県 | 石巻市 | |
秋田県 | 秋田市 | |
山形県 | 酒田市 | |
福島県 | 福島市 白河市 いわき市 | |
茨城県 | 石岡市 |
- 最大余震
- 発生:1968年(昭和43年)5月16日午後7時39分01秒(日本時間)
- 震源:青森県東方沖 北緯41度25分、東経142度51分、深さ40km
- 地震の規模:M7.5
- 各地の震度
震度 | 都道府県 | 市区町村 |
---|---|---|
5 | 北海道 | 浦河町 広尾町 |
4 | 北海道 | 函館市 森町 倶知安町 旭川市 苫小牧市 糠平通報所 帯広市 本別通報所 釧路市 |
青森県 | 青森市 八戸市 むつ市 | |
岩手県 | 大船渡市 盛岡市 | |
秋田県 | 秋田市 | |
福島県 | 福島市 いわき市 |
被害
北海道から東北北部で揺れや津波の被害があり、52人が死亡、330人が重軽傷を負った。また住宅被害は全壊673棟、半壊3,004棟、一部損壊15,697棟にのぼった。特に青森県は、死者・行方不明者48名、建物全壊646棟、半壊2,885棟、一部損壊14,705棟と被害が集中し、青森市や、八戸市・十和田市・むつ市・三沢市をはじめとする県東部に大きな被害をもたらした。
青森県内の被害が大きかった地域では、前日まで3日間の総雨量が100 - 200mmに及んでいたことから、地盤の含水量の増加が原因とみられる地すべり・山崩れ・がけ崩れ等の地盤崩壊が24箇所で発生しており、名川町立剣吉中学校では本震発生後の避難中に生徒約40名が校舎裏の山崩れに巻き込まれて生徒4名が犠牲となるなど、青森県内の死者・行方不明者のうち33名が土砂災害によるものであった。また、むつ市早掛沼では堤防が決壊・流出し周辺が冠水したのをはじめ、主に盛土構造の崩壊とみられる道路損壊375箇所、鉄軌道被害34箇所、堤防決壊34箇所が青森県内で発生した。
津波は同10時20分ごろから三陸沿岸を中心に襲来し、三陸沿岸の一部で3 - 5m、襟裳岬で3mを記録した。これにより、建物浸水529棟、船舶沈没・流出127隻の被害が発生、八戸港内ではタンカー損傷による燃料流出事故も生じたが、干潮時だったことが幸いし、また、昭和三陸地震やチリ地震の津波を教訓とした施設整備等もあって、被害はそれほど大きくならなかった。
この地震により、十和田湖の名勝であった蝋燭岩が倒壊したり、南部鉄道が廃止に追い込まれることとなったほか、函館大学や三沢商業高等学校、八戸東高等学校、八戸工業高等専門学校、むつ市役所庁舎の倒壊(圧壊)をはじめ昭和30年代後半から建てられ始めた比較的新しい鉄筋コンクリート造の公共建築物の被害が目立った。この地震を契機に、1971年には「建築基準法施行令」の改正及び「日本建築学会鉄筋コンクリート構造計算規準」の改定がなされている。
また、激震で本州と北海道を結ぶ海底ケーブルが切断され、通信が途絶、北海道は一時孤立状態になった。また放送用のマイクロウェーブ回線も青森県で途切れ、北海道の局に東京や大阪からビデオテープが空輸される事態となった。これを教訓に災害時応急復旧用無線電話・孤立化防止用無線電話が開発配備されている。
脚注
- ^ a b 千島海溝沿いの地震活動の長期評価(第二版) (PDF) 地震調査研究推進本部
- ^ 三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価 (PDF) 地震調査研究推進本部
- ^ a b 日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会(第10回) 資料4 500年間隔地震について (PDF) - 中央防災会議、2005年6月22日
- ^ a b c 地質研究所調査研究成果報告会資料集 (PDF) - 北海道立総合研究機構、地質研究所、2011年5月18日
- ^ a b 【津波・活断層地震から十勝を守る】(上)切迫する500年間隔地震 - 十勝毎日新聞、2011年9月
- ^ 千島海溝プレート間地震の連動が巨大な津波をもたらした(産総研)
- ^ 「500年間隔地震」 巨大津波 道南も 朝日新聞
- ^ http://www.kagakunavi.jp/document/show/53/documents 予測されていた十勝沖地震
- ^ a b c 宇津徳治、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎 『地震の事典』 朝倉書店、2001年
- ^ 「平成23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」について(第28 報) (PDF)
- ^ Magnitude 8.3 Hokkaido, Japan region September 25, 2003
- ^ 文部省震災予防評議会 『大日本地震史料 増訂』 1940年
- ^ 地震総覧 十勝沖地震青森県
関連項目
- 地震の年表 (日本)
- 根室半島沖地震 - 東隣の領域で発生する海溝型地震。本地震と連動する可能性がある。
- 釧路沖地震 - 北隣の領域で発生するスラブ内地震。
- 北海道東方沖地震 - 北隣の領域で発生するスラブ内地震。
- 三陸沖地震
- 三陸はるか沖地震
- 東北地方太平洋沖地震 - 2011年に発生した、千島海溝の隣の日本海溝の地震。
- 新冠泥火山
- 浜中町
- 潮風の診療所〜岬のドクター奮戦記〜 - 十勝沖地震津波被害の街へ復興のため派遣される医師と被災住民の実話をドラマ化(派遣された医師もその後の津波により被災する)。