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『遁げろ家康』([[朝日新聞社]])は[[司馬遼太郎]]の『[[覇王の家]]』との類似点を指摘され、[[2002年]][[12月25日]]に絶版・回収となる。同じく『島津奔る』([[新潮社]])も司馬の『[[関ヶ原 (小説)|関ヶ原]]』との類似の問題で、[[2003年]][[4月3日]]に絶版・回収となった。池宮は、「家内の病気や引っ越し、連載が重なり混乱し、資料と先輩作家たちの作品が混ざってしまった。自戒の意味から絶版をお願いした」とのコメントを発表した。ネタ元があまりにも有名すぎるだけに、この弁明にはある程度の信憑性もあるが(常識で考えて露見しないはずがなく、その危険に考えが及ばなかったこと自体、混乱した精神状態であったことを伺わせる)、一方で話題性も大きく、作家生命を痛撃することになった。 |
『遁げろ家康』([[朝日新聞社]])は[[司馬遼太郎]]の『[[覇王の家]]』との類似点を指摘され、[[2002年]][[12月25日]]に絶版・回収となる。同じく『島津奔る』([[新潮社]])も司馬の『[[関ヶ原 (小説)|関ヶ原]]』との類似の問題で、[[2003年]][[4月3日]]に絶版・回収となった。池宮は、「家内の病気や引っ越し、連載が重なり混乱し、資料と先輩作家たちの作品が混ざってしまった。自戒の意味から絶版をお願いした」とのコメントを発表した。ネタ元があまりにも有名すぎるだけに、この弁明にはある程度の信憑性もあるが(司馬作品はいずれも現役のロングセラーであり、同ジャンルで読者層も共通している以上、常識で考えて露見しないはずがなく、その危険に考えが及ばなかったこと自体、混乱した精神状態であったことを伺わせる)、一方で話題性も大きく、作家生命を痛撃することになった。 |
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この2作以外にも「類似」を指摘する声があり、事件以後は連作の『平家』を除いて新作が出版されることはなかった。ただし、その後も『密約―西郷と大久保』を雑誌『[[小説野性時代|野性時代]]』に連載していたが、第一部で未完となった。 |
この2作以外にも「類似」を指摘する声があり、事件以後は連作の『平家』を除いて新作が出版されることはなかった。ただし、その後も『密約―西郷と大久保』を雑誌『[[小説野性時代|野性時代]]』に連載していたが、第一部で未完となった。 |
2012年9月30日 (日) 10:28時点における版
池宮 彰一郎(いけみや しょういちろう、1923年5月16日 - 2007年5月6日)は、日本の脚本家、小説家。本名の池上 金男(いけがみ かねお)で脚本家として活動、『十三人の刺客』など数多くの映画・テレビドラマの制作に関わった。1992年に小説『四十七人の刺客』を発表して以降、池宮彰一郎のペンネームを用いて歴史小説を著したが、2002年に司馬遼太郎作品との「類似」問題により活動をほぼ停止した。 戦記作家の池上司は息子。
経歴
東京府に生まれる。静岡県沼津市に育ち、静岡県立沼津商業学校(現・静岡県立沼津商業高等学校)を卒業する。
第二次世界大戦中は満州で陸軍に徴兵される。兵舎に放火して南方送りとなり、ペリリュー島逆上陸作戦に参加、3000名いた部隊で生き残ったのは20~30名だったという。その後、台湾に引き上げる際も輸送船が撃沈され、またもや生還率1%の中で生き残った。
戦後、三村伸太郎への師事を経て、映画脚本家となる。本名で脚本を書き、『十三人の刺客』『大殺陣』で京都市民映画脚本賞を受賞する。
1992年、69歳の時に池宮彰一郎として執筆した、小説家としては随分遅いデビュー作『四十七人の刺客』で新田次郎文学賞を受賞する。1999年、『島津奔る』で柴田錬三郎賞を受賞する。脚本作家である経歴を生かし、特に戦争や戦闘のシーンにおいて軽妙で迫力のある文章を得意として、人気を博した。
司馬遼太郎を深く尊敬しており、口演にて「日本の小説は私小説が主体であったが、司馬遼太郎の歴史小説は大河的であり、日本の小説の流れを変えた作家であった」との内容を述べている。また、「歴史小説はそれまでの歴史考証にとらわれ過ぎてもならないし、逆に歴史を全く無視してもならない」と述べ、独自の歴史考証を行うことで新感覚の歴史小説を生み出していた。
『四十七人の刺客』では大胆な考証を多数織り交ぜ、映画化を果たしたこともあり話題となった。例えば、江戸の町は治安のため、夜間は町ごとに門を設けて通行できないようにしてあった。当然四十七士は移動のための工夫が必要であったはずで、池宮は大胆にも水路の移動が最も合理的であると判断し、作中でそのように描いた。
作品全体を見れば、独自の視点を沢山盛り込んでおり、クリエイティブな作家であったが、デビュー当初ですでに老齢でもあり、以下のような盗作疑惑が持ち上がることとなった。
- 盗作疑惑
『遁げろ家康』(朝日新聞社)は司馬遼太郎の『覇王の家』との類似点を指摘され、2002年12月25日に絶版・回収となる。同じく『島津奔る』(新潮社)も司馬の『関ヶ原』との類似の問題で、2003年4月3日に絶版・回収となった。池宮は、「家内の病気や引っ越し、連載が重なり混乱し、資料と先輩作家たちの作品が混ざってしまった。自戒の意味から絶版をお願いした」とのコメントを発表した。ネタ元があまりにも有名すぎるだけに、この弁明にはある程度の信憑性もあるが(司馬作品はいずれも現役のロングセラーであり、同ジャンルで読者層も共通している以上、常識で考えて露見しないはずがなく、その危険に考えが及ばなかったこと自体、混乱した精神状態であったことを伺わせる)、一方で話題性も大きく、作家生命を痛撃することになった。
この2作以外にも「類似」を指摘する声があり、事件以後は連作の『平家』を除いて新作が出版されることはなかった。ただし、その後も『密約―西郷と大久保』を雑誌『野性時代』に連載していたが、第一部で未完となった。
2007年5月6日午後8時26分、肺癌のため自宅で死去した。享年83。
受賞歴
脚本家・池上金男としての受賞
- 1963年 京都市民映画祭脚本賞
- 1992年 シナリオ功労賞(日本シナリオ作家協会)
小説家・池宮彰一郎としての受賞
主要作品
映画脚本
池上金男名義。
- 十三人の刺客(1963年、東映)
- 大殺陣(1964年、東映)
- 嵐を呼ぶ男(1966年、日活)
- 紅の流れ星(1967年、日活)
- 喜劇 “夫”売ります!!(1969年、東映)
- 影狩り(1972年、東宝)
- 雲霧仁左衛門(1978年、松竹)
- 忠臣蔵 四十七人の刺客(1994年、東宝) - 池上金男名義で脚本にも参加
テレビドラマ脚本
池上金男名義。
小説
池上金男名義。
以下、池宮彰一郎名義。各文庫化され、数作品が角川文庫で再刊
- 四十七人の刺客(1992年、新潮社)
- 四十七人目の浪士(1994年、新潮社) - 「最後の忠臣蔵」に改題再刊
- 高杉晋作(1994年、講談社)
- 風塵(1995年、講談社)- 短編集
- その日の吉良上野介(1996年、新潮社)
- 島津奔る(1998年、新潮社)※絶版・回収
- 遁げろ家康(1999年、朝日新聞社)※絶版・回収
- 受城異聞記(1999年、文春文庫)- 短編集
- 本能寺(2000年、毎日新聞社)
- 天下騒乱 鍵屋の辻(2000年、角川書店)
- 辛亥革命(2001年~未完、文藝春秋) ※「別冊文藝春秋」で連載したが休止し、出版化されず
- 平家(2003年、角川書店)
その他の著書
池上金男名義。
- 鉄血の島―沖縄に燃えるいのち(1985年、東洋堂企画出版社)
池宮彰一郎名義。
- 義、我を美しく(新潮社、1997年、新潮文庫 2000年)
- 忠臣蔵夜咄 (角川書店 2002年、角川文庫、2006年)