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* 2004年5月~ 230円(240円)
* 2004年5月~ 230円(240円)


== 週刊少年ジャンプ内での年代の発行部数 ==
== 週刊少年ジャンプ内での年代の発行部数 ==
*1968年創刊号 10万5000部
*1968年創刊号 10万5000部
*1971年新年号 115万8000部
*1971年新年号 115万8000部
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*1993年3-4号 638万部 36-37号 643万部
*1993年3-4号 638万部 36-37号 643万部
*1994年3-4号 648万部 36-37号 650万部
*1994年3-4号 648万部 36-37号 650万部
::1994年19号『[[るろうに剣心]]』連載開始
::1994年19号『[[るろうに剣心]]』連載開始
::1994年32号『幽☆遊☆白書』終了。
::1994年32号『幽☆遊☆白書』終了。
*1995年3-4号 653万部 歴代最高部数記録
*1995年3-4号 653万部 歴代最高部数記録
::1995年25号『ドラゴンボール』終了。部数下降始まる。
::1995年25号『ドラゴンボール』終了。部数下降始まる。
*1996新年号 588万部
*1996新年号 588万部
::1996年27号『SLAM DUNK』終了。部数低下に拍車が掛かる。
::1996年27号『SLAM DUNK』終了。部数低下に拍車が掛かる。
::1996年28号『[[封神演義]]』連載開始。
::1996年42号『[[遊☆戯☆王]]』連載開始。
::1996年42号『[[遊☆戯☆王]]』連載開始。
::1996年52号『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』終了。
::1996年52号『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』終了。
*1997年 405万部(年間平均)
*1997年 405万部(年間平均)
::1997年[[週刊少年マガジン]]に発行部数で抜かれる。
::1997年[[週刊少年マガジン]]に発行部数で抜かれるも、部数低下は緩やかに
::1997年『[[ONE PIECE]]』連載開始。
::1997年33号『[[世紀末リーダー伝たけし!]]』連載開始。
::1997年34号『[[ONE PIECE]]』連載開始。
*1998年 360万部(年間平均)
*1998年 360万部(年間平均)
::1998年14号『[[HUNTER×HUNTER]]』連載開始。
::1998年14号『[[HUNTER×HUNTER]]』連載開始。
::1998年31号『[[シャーマンキング]]』連載開始。
*1999年 363万部(年間平均)
*1999年 363万部(年間平均)
::1999年2・3号『[[ヒカルの碁]]』連載開始。
::1999年2・3号『[[ヒカルの碁]]』連載開始。
::1999年32号『[[テニスの王子様]]』連載開始。
::1999年32号『[[テニスの王子様]]』連載開始。
::1999年43号『[[NARUTO -ナルト-]]』連載開始。同時に『るろうに剣心』終了。
::1999年43号『[[NARUTO -ナルト-]]』連載開始。同時に『るろうに剣心』終了。
*2000年 363万部(年間平均)
*2000年 363万部(年間平均)
::2000年47号『封神演義』終了。
*2001年 340万部(年間平均)
*2001年 340万部(年間平均)
::2001年12号『[[ボボボーボ・ボーボボ]]』連載開始。
::2001年36号『[[BLEACH]]』連載開始。
::2001年36号『[[BLEACH]]』連載開始。
*2002年 320万部(年間平均)
*2002年 320万部(年間平均)
::2002年34号『[[アイシールド21]]』連載開始。
::2002年34号『[[アイシールド21]]』連載開始。
*2003年 300万部(年間平均)
*2003年 300万部(年間平均)
::2003年22・23号『ヒカルの碁』終了。
*2004年 300万部(年間平均)
*2004年 300万部(年間平均)
::2004年1号『[[DEATH NOTE]]』連載開始。
::2004年1号『[[DEATH NOTE]]』連載開始。
::2004年2号『[[銀魂]]』連載開始。
::2004年2号『[[銀魂]]』連載開始。
::2004年15号『遊☆戯☆王』終了。
::2005年も雑誌発行部数は低迷するが、単行本の売れ行きは過去最高を記録
::2004年27号『[[D.Gray-man]]』連載開始。
::2004年40号『シャーマンキング』終了。
::2005年も雑誌発行部数は低下を続けるが、単行本の売れ行きは過去最高を記録
*2005年 295万部(年間平均)
*2006年新年号 295~300万部前後
*2006年新年号 295~300万部前後



2006年2月10日 (金) 11:44時点における版

週刊少年ジャンプ(しゅうかんしょうねんじゃんぷ) は、日本において集英社が発行する週刊の少年向け漫画雑誌である。

概要・来歴

通称は「ジャンプ」、略称WJ (Weekly Jump)。1968年7月に創刊。創刊当時は月2回(第2・第4木曜日)の発売だったが、1969年の10月から週刊化。かつては毎週火曜日発売であったが、2006年現在は毎週月曜日発売。ただし、火曜日以降になる地域もあるため、長いこと紙面では火曜日発売という表示のままであったが、2006年現在では予告にも月曜日発売と書かれるようになった。シンボルマークは海賊マーク(ジャンプパイレーツ)、キーワードは『友情』『努力』『勝利』。

少年漫画雑誌としては後発だったために、人気漫画家はほとんど他の雑誌に取られてしまっていた。そこで本誌は連載陣を全て新人で揃えるという戦略を取った。この方針は、最大級の人気雑誌となってからも続いている。また、他誌は漫画中心ではあるが、本誌創刊の時点では少年向け総合誌の体裁を採っていた。これに対し、本誌は始めから漫画専門誌として売り出した。これについては、やがて他誌も追従することになる。

なお、表紙や巻頭でのアイドルのグラビアは、講談社週刊少年マガジンや、小学館週刊少年サンデーでは採用されているが、本誌では採用されていない。1990年代前半の一時期に試験的にグラビアページを設けていたことはあったものの、すぐに廃止された。 <--! グラビアページの存在=読者年齢層が高いとは言い切れない。マンガ以外の記事を望まない読者が多いだけという可能性もありうるので不適切。 -->

歴史

創刊~1970年代
ハレンチ学園』、『男一匹ガキ大将』、『トイレット博士』、『アストロ球団』、『マジンガーZ』などのヒット作が飛び出し、1973年8月には、週刊少年マガジンを抜いて発行部数で首位となる。さらにその後も、1975年には『サーキットの狼』、1977年には『リングにかけろ』、1979年には『キン肉マン』が始まり、また1976年には少年漫画雑誌中、最長の連載記録を今尚更新中である『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の連載を開始した。
1980年代
1980年代に入っても『Dr.スランプ』、『キャプテン翼』、『北斗の拳』、『聖闘士星矢』などヒット作を立て続けに出した。1984年には本誌を代表する作品ともいえる『DRAGON BALL』が始まり、のちにこの作品の冒険漫画からバトル漫画への路線変更により本誌の発行部数は飛躍的に上がっていった。これらの作品はテレビアニメ化もされ、大人気となった。
1990年代前半
1990年になると、『SLAM DUNK』と『幽☆遊☆白書』が始まり、これらに『DRAGON BALL』を合わせて俗に3本柱と呼ばれる強力な看板作品が名を連ねることになった。『幽☆遊☆白書』は1994年に終了したが、『DRAGON BALL』と『SLAM DUNK』の2大連載の影響で、1995年には、653万部という驚異的な発行部数に到達する。
1990年代後半
1995年に『DRAGON BALL』が10年間の長期にわたる連載を終了。これ以来本誌の発行部数は下落し始め、さらにその1年後に『SLAM DUNK』も終了してしまった。その後に本誌を牽引する作品は『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』、『封神演義』ぐらいしか無く、『地獄先生ぬ~べ~』、『みどりのマキバオー』、『BØY -ボーイ-』、『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』などといった作品も人気はあったがファンの年齢層が狭く、看板作品になるには至らなかった。その結果、大きな読者離れを起こして、1997年に週刊少年マガジンによって発行部数首位の座を奪われた。
1990年代末期~2000年代
全盛期と比較して200万部以上も部数を落としてしまった本誌だが、マガジンに首位を奪われたのとほぼ同時期に始まった『ONE PIECE』を始めとして、1998年に『HUNTER×HUNTER』、1999年に『ヒカルの碁』、『テニスの王子様』、『NARUTO -ナルト-』とヒット作が続き、2002年8月には、再び発行部数でマガジンを抜き、ナンバーワンの座を手にしている。また『I"s』や『いちご100%』等の美少女やお色気をメインにした作品も男性に人気がある。2006年現在は、『ボボボーボ・ボーボボ』、『BLEACH』、『アイシールド21』、『DEATH NOTE』、『銀魂』などがヒット作となっている。

特徴

新人漫画家の雑誌

本誌では、他誌から移籍してきた作家は数えるほどしかいない。連載作家のほとんどは、集英社の漫画賞である手塚賞赤塚賞、ホップ☆ステップ賞などを受賞した作家である。そのため、他の少年誌と比べると新人の作品が掲載されることが多く、漫画家のタマゴ達にとって自分の力を試す絶好の場と言える。その反面、連載がすぐに打ち切られてしまうと、アシスタント代や画材代などで借金を抱えてしまう作家もいるので、必ずしも新人に優しい雑誌とはいえない。

厚さの理由

本誌では、1作品辺り4~5分で読み終えられるよう計画的に作られている。これは山手線一駅につき4分かかることに着目し、列車内で読む場合は一駅分で切り良く読み終えられるように、また小学校低学年の児童の集中力の持続時間が平均4~5分であることから、きちんと読み終えられるように、との理由による。さらに購買層が小学生からなので、本来出版物の紙としては使いにくい再生紙をあえて使い、変化をつけるため薄く色をつけ、厚みをつけることにより購買欲を引き出させようとする緻密な計算のもとに体裁が整えられている。

アンケート至上主義

本誌では、各号に付属されているアンケートはがきにより連載作品の人気を調べている。アンケート自体は他の漫画雑誌でも行われているが、本誌の場合は特にこれが重視される。つまり、たとえ単行本の売上げが他作品よりも良かったとしても、アンケートで人気がないと認められれば掲載順を巻末に追いやられ、ついには打ち切られてしまう場合もある。この主義は『アストロ球団』の連載中、「アンケートの結果を1週で出すようにして、サバイバルにせよ」という提案が中島徳博によって出されたことが発端であり、必ずしも本誌発刊当時のアイデアではない。

アンケートの対象となっているのは漫画作品だけでなく、『ジャンプ放送局』(以下JBS)などの読者コーナーも該当していた。このため、JBSより人気の低かった漫画が打ち切られるという事態も発生した。ちなみに、JBSを担当していたさくまあきらによると、読者の投稿に頼る内容から自分たちではどうする事も出来ず、JBSもいつ打ち切られるかという不安がつきまとっていたという。

また、購買力は高いがアンケートはがきはほとんど出さない10代後半~30代のいわゆるオタク層に支持される漫画の場合、いくら人気があってもアンケートに反映されないために、打ち切りまたは他誌に移籍させられることがある。インターネット上で評判の良くない作品が本誌で長期連載するためには一部の層の絶大な支持があればあるほど生き残る確率が高いことが伺える。逆にインターネット上で人気があっても、アンケートの評価が良くなければ打ち切り、別紙移籍などの処置がとられる。

この主義により、作者の意図とは違う方向へと話を進めようと編集部から圧力が掛かる事も昔からたびたびあった。これが元で漫画家は精神的にダメージを受けた事で作品自体のパワーダウンを招いた末に連載が打ち切りになったり、他誌に移籍されてしまったりする。これに該当すると思われる漫画家は、桐山光侍冨樫義博井上雄彦鈴木央八神健などがいる。

格闘漫画化

年齢に関係なく、男性には格闘技が好きな人が多い。本誌の編集部もそのことをよくわかっており、闘いが始まると人気が出る為、人気がなくなり始めると格闘路線に変更することがよくあり、事実、一見格闘とはほとんど無縁の『電影少女』のような恋愛漫画でも格闘路線になった。本誌の歴史の中でも特に人気の高かった『DRAGON BALL』や『幽☆遊☆白書』も、最初は必ずしも格闘がメインではないテーマであったが、格闘漫画路線に移行してから人気が高まった。しかし、この2作品の人気の影で本誌の特徴範囲が狭くなり、その後に連載した他の作品がこの2作品に影響を受けて作品1つ1つの個性を失ったため、1991年以降の本誌は発行部数が600万部を超えた影で質的に下火を迎えた、といった見方もある。

短期連載作品の量産

改変期と呼ばれる時期があり、年に4~5回ほど訪れる。改変期では、2~4作品が一気に連載を開始するので、必然的に連載作の中から2~4作品が連載終了を迎える。前述したとおり、打ち切りはアンケートの結果によって決められるため、新連載は現連載陣にも劣らない人気を獲得しなければならない。このような「弱肉強食」のシステムのため、10~20回ほどで連載が終了した作品が非常に多い。

ストーリー漫画の場合、それまでの伏線を全て無視して中途半端なところで「○○(主人公)の本当の戦いはこれからだ!」といったあおり文句で終了することが多く、同様の終わり方で打ち切られる作品は別の雑誌の作品であっても「ジャンプの打ち切り漫画パターン」と呼ばれる。

短期打ち切り作品が続出した時期は本誌が絶頂期の時でもあり、短期とはいえ作品のレベルは高いものが多かった。アンケートが悪ければ例え大御所であろうが容赦なく打ち切られた。長期連載を見込んで伏線を張りまくったがあっさりと打ち切られ、ラストシーンに「未完」と大きく描かれた車田正美の『男坂』はいまや伝説である。

黒岩よしひろ次原隆二は短期打ち切りが非常に多いことで有名な作者である。打ち切りが故に上記に述べた「本当の戦いはこれからだ!」のパターンで終わるケースが多い。

ちなみに、最短記録は『セコンド』の4週。タイトル通りにボクシングのセコンドの実話漫画なのだが、あまりにも読者の年齢層と合っていなかった。


次号予告

連載作品の場合、最終ページの下段やページの左端、次号予告ページに次回予告文が書かれるが、その予告内容はほとんど当てにならず、次回は全然違う内容になることが多い。そのため、読者からは、このような予告文はあまり信用されていないようである。和月伸宏が『るろうに剣心』連載当時、コミックスのコラムでこの予告を取り上げ、『ウソ予告』と表現していた事もある。

特殊能力

『聖闘士星矢』や『DRAGON BALL』を皮切りに、主人公やその周囲の人間が何かしらの「超人的な特殊能力」を持ったバトル系、スポーツ系の作品が爆発的に増えた。そういった作品では、連載が長期化するにつれ、主人公たちの壁となるより強い敵を出さなくてはならなくなり(古くから、生身の人間同士のボクシング漫画『リングにかけろ』でも既に同様の傾向が出ていた)、大抵の場合、その能力や周囲の強さにハイパーインフレーションが発生してしまう。これにより、当初強いキャラであったはずのキャラでも、インフレについていけなければ、ただの雑魚キャラとなっていき、活躍させる事ができなくなる。また、当初はあまり強くなかったが人気があったので再利用したいというキャラがいた場合、余裕があればそのキャラが強くなるエピソードを盛り込めるが、そうでなければ「実は凄まじく強いが、それを隠していた」などの強引な後付け設定で強化せねばならず、描写が破綻するなどの問題を生み出してしまう。

これに対処するため、『ジョジョの奇妙な冒険』を初めとする「主人公たちがそれぞれ異なる特殊能力」を持つ漫画では、特殊能力に質的な工夫が施され、「いかに自分の能力を活かしつつ相手の能力の弱点を突破することができるか」という頭脳戦の要素が盛り込まれるようになった。さらに、能力同士の相性なども重要視されるようになり、誰が強いかを簡単には決められなくなったことも大きい。また同時に、どのようなキャラクターでも、たとえ美形の優男、華奢な少女、身体に何らかの障害を持つなど従来の超人バトルでは参加しにくかったキャラクターであっても、設定次第で幾らでもバトルに参加できるという利点が誕生した。

結果、多くの漫画がこのスタイルに追随するようになったが、頭脳戦を展開させるのは難しいこともあり、どのようなキャラクターでも戦えるという利点を活かすのみにとどまり、やはりインフレが発生している漫画も多い。

例えば『テニスの王子様』は当初、本格派テニス漫画であったはずだったが、後にインフレのおかげで登場人物が超人化してしまう。このように、登場人物に特殊能力を設定すると、漫画の路線が変更されることも少なくない。

「漫画家つぶし」

上記で述べた、同誌に連載を持つ作家にとって過酷なまでの同誌の方針は、俗に「漫画家つぶし」と言われているものであり、一部では「ジャンプ名物」とも言われるほどである。また、滅多な事では休載を認めず、休載した作家はどんなに人気があってもすぐさま打ち切られる例も数知れなかった(後にそれは緩和されるのだが)。故に連載作家が以下の例に陥った例も古くから多数見られた。

  • そのプレッシャーに耐え切れずに精神的に磨耗し、漫画家として再起不能状態に追い込まれた
  • 作家自身が作品を完結させたいと思っても、人気のあるうちは編集部側からあの手この手で引き止められ、半ば無理矢理連載を継続せざるを得ない状況に追い込まれる。途中で作風がいきなり不自然に変わったり、何の脈絡も無く後付けの設定が加わったりした場合、当の作家がこの状況下に追い込まれていた例が多い。そしていざ人気が低下すると掌を返すように呆気なく打ち切られる。『北斗の拳』『聖闘士星矢』などがその代表例で、他誌でも見られる例ではあるが、ジャンプの場合は特にそれが顕著であった。

この過酷さは読者にも少なからず知られていたほどであった。目次ページの連載作家のコメントなどや、急な打ち切りもしくは路線変更劇等を見れば、部外者にもその一端が一目瞭然だった。一方、他の週刊漫画誌では、取材と言う名目で定期的な休載が古くからある程度認められている。このため、「漫画家つぶし」を恐れた新人漫画家は他誌へ流出し、やがて全盛期には600万部余りに達した本誌の勢いは、それを支えて来た作家陣の相次ぐ離脱も重なって、みるみるうちに凋落傾向になる。

本誌を巨大規模に育て上げた同誌の方針が、皮肉にも自らの首を絞める結果を招いた事に対しては流石に堪えたか、近年ではその方針を緩和させる方向に進んでいる。もっとも、それが連載作家陣の安易な休載を多発させる温床にもなっているとの批判も受けている。


週刊少年ジャンプ内での不名誉な出来事

これまでに本誌が回収騒ぎになったことは2回ある。また、漫画表現の過激さや作者の不祥事により連載が打ち切り寸前もしくは打ち切りに至ったケースもある。それらの原因となった作品とそれぞれの詳細について以下に示す。

ハレンチ学園(ハレンチな内容によるPTAからの苦情)

ハレンチ学園』(永井豪)が問題となった現象。

1968年の創刊号から連載したこの作品の影響で全国の学校でスカートめくりなどのハレンチ行為が流行してしまいPTAから抗議が来たが、ジャンプは漫画表現の多様性という名のもとに連載を続行。むしろ権力に負けずに連載を続けたことを誇りにしている節がある(ジャンプ30周年の時の特集でそのようなコメントが見られた)。後に、この作品の作者永井豪は数多くの名作漫画を生み出し、日本を代表する漫画家の一人となった。

私立極道高校(実在学校名記載)

私立極道高校』(宮下あきら)が問題となった事件。

回収の理由は、実在の中学校名と校章、そして卒業生の名前が漫画内に掲載されたため。この事件で1980年の第9号と第10号が回収され、『私立極道高校』は第11号で打ち切りにされてしまった。なお、回収に協力した人には、アドレス帳が送られた。

燃える!お兄さん(用務員差別表現)

1990年第45号の『燃える!お兄さん』(佐藤正)が問題となった事件。

内容は、主人公の担任である教諭が仕事上の失敗から担任を外され用務員をやらされることになり、主人公が「先生ではなく用務員になったのだから何をしても構わない」という理屈の元に、その先生にやりたい放題するというもの。

他の作品でも用務員が登場する事はあるが、ここまで露骨な差別表現に至ったものはなく、この号が発売された直後から「用務員をバカにしている」などの抗議が用務員組合や読者等から殺到し、事態を重く見た本誌編集部は、その掲載号を回収するという決断に至った。掲載号を集英社に郵送すると、本誌のマークが入ったシャープペンシルが貰えた。後に発行された単行本でもこの回は不掲載となった。

この話以前から既に、主人公の性格が連載開始当初とはまるで別人の「見るに耐えないただの悪ガキ」化しているとの批判もあったが、これが最悪の形で噴出する結果を招き、この一件以後の作者のモチベーション低下があったのか、本誌掲載時の最終回は相当投げ遣りな内容になっている(単行本化にあたっては多少穏便な内容に修正はされた)。

なお、問題の掲載回「サイボーグ用務員さんの巻」及び編集部の謝罪文、新聞での報道内容はこのサイト(用務員関連のサイト)を参照。

世紀末リーダー伝 たけし!(作者逮捕)

2002年、『世紀末リーダー伝たけし!』の作者であった島袋光年が、児童買春の疑いで警察逮捕された事件。

人気のあった同作品であるが、この事件を受けて、同作品は同年37・38合併号での掲載を最後に打ち切られ、単行本も発売中止となってしまった。39号には、その旨を読者に知らせる文面が編集部によって書かれ、掲載された。

その後島袋光年は青年漫画誌スーパージャンプにて復帰し、絶版となっていた単行本も「完全版」として再刊が始まっていたが、2005年6月より『世紀末リーダー伝たけし!完結編』としてスーパージャンプで連載を完結させた。

連載作品

週刊少年ジャンプ連載作品の一覧を参照。

サブコーナー

読者コーナー

  • ジャンプ海賊ワールド(?~1982年
  • ジャンプ放送局(JBS)(1982年~1995年) - 1レース(半年)ごとにポイント集計し優勝者を決める方式。読者コーナーとしては珍しく、単行本化された。さくまあきら土居孝幸榎本一夫横山智佐らが出演。
  • ジャンポスト(1996年) - 地方別のリーグ戦形式であったが、人気低迷で1レースのみ(半年)で打ち切られ、それ以降『ジャンプ団』開始までは読者コーナーのない状態が続いた。
  • ハガキ戦士 ジャンプ団1997年2001年) - ハガキ紹介に漫画の要素をプラス。シーズンごとに設定されたノルマをクリアできればシーズン終了。出演は井沢ひろし石塚祐子など。
  • じゃんぷる2001年2005年) - 『ジャンプ団』終了の数週間後より、スタッフの一部を変更してリニューアルスタート。井沢、石塚は引き続き出演。『JBS』に近い形式だった。
  • ジャンプ魂2006年~) - 『じゃんぷる』をリニューアルさせてスタート。読者の投票によって勝負が決まる。井沢は引き続き参加。『じゃんぷる』ではアルバイトだった山下慎一郎が正規メンバー、アシスタントには中川翔子を迎えた。

ゲーム紹介コーナー

価格の変遷

()は特別定価、あるいはサービス定価。消費税導入以降は税込み価格。

  • 創刊時~1970年夏頃? 90円(100円?)
  • 1970年秋頃?~1971年秋頃? 80円(不明)
  • 1971年冬頃?~1973年春頃? 90円(100円)
  • 1973年夏頃?~1973年11月 100円(不明)
    (1973年11月16日 第一次オイルショックに伴う「石油緊急対策要綱」を閣議決定)
  • 1973年12月~1976年春頃? 130円(150円)
  • 1976年夏頃?~1980年春頃? 150円(170円)
  • 1980年夏頃?~1989年3月 170円(180円、または190円)
  • 1989年4月~1990年8月 180円(190円)
    (1989年4月1日に消費税3%が導入された)
  • 1990年9月~1995年12月 190円(200円、または210円)
  • 1996年1月~1997年3月 200円(210円、または220円)
  • 1997年4月~1998年6月? 210円(220円)
    (1997年4月1日に消費税税率が5%に変更)
  • 1998年7月?~2004年4月 220円(230円)
  • 2004年5月~ 230円(240円)

週刊少年ジャンプ内での年代毎の発行部数

  • 1968年創刊号 10万5000部
  • 1971年新年号 115万8000部
1976年42号『こちら葛飾区亀有公園前派出所』連載開始
  • 1977年新年号 188万部
  • 1978年新年号 210万部
  • 1979年新年号 280万部
  • 1980年新年号 304万5000部
1980年5・6号『ドクタースランプ』連載開始
  • 1981年新年号 308万部
1981年18号『キャプテン翼』連載開始
1981年40号『キャッツ♥アイ』連載開始
  • 1984年4号 318万部
1984年51号『ドラゴンボール』連載開始
  • 1985年4-5号 403万部 37号 405万部
1985年13号『CITY HUNTER』連載開始
1986年1・2号『聖闘士星矢』連載開始
  • 1986年5号 435万5000部
1987年1・2号『ジョジョの奇妙な冒険』連載開始
  • 1987年5号 450万部
  • 1988年5号 485万部
  • 1989年3-4号 500万部
1989年45号『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』連載開始
  • 1990年5号 530万部 21-22号 503万部 37号 520万部
1990年42号『SLAM DUNK』連載開始
1990年51号『幽☆遊☆白書』連載開始
  • 1991年3-4号 602万部 21-22号 585万部 36-37号 615万部
  • 1992年3-4号 618万部
  • 1993年3-4号 638万部 36-37号 643万部
  • 1994年3-4号 648万部 36-37号 650万部
1994年19号『るろうに剣心』連載開始。
1994年32号『幽☆遊☆白書』終了。
  • 1995年3-4号 653万部 歴代最高部数を記録。
1995年25号『ドラゴンボール』終了。部数下降始まる。
  • 1996新年号 588万部
1996年27号『SLAM DUNK』終了。部数低下に拍車が掛かる。
1996年28号『封神演義』連載開始。
1996年42号『遊☆戯☆王』連載開始。
1996年52号『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』終了。
  • 1997年 405万部(年間平均)
1997年週刊少年マガジンに発行部数で抜かれるも、部数低下は緩やかに。
1997年33号『世紀末リーダー伝たけし!』連載開始。
1997年34号『ONE PIECE』連載開始。
  • 1998年 360万部(年間平均)
1998年14号『HUNTER×HUNTER』連載開始。
1998年31号『シャーマンキング』連載開始。
  • 1999年 363万部(年間平均)
1999年2・3号『ヒカルの碁』連載開始。
1999年32号『テニスの王子様』連載開始。
1999年43号『NARUTO -ナルト-』連載開始。同時に『るろうに剣心』終了。
  • 2000年 363万部(年間平均)
2000年47号『封神演義』終了。
  • 2001年 340万部(年間平均)
2001年12号『ボボボーボ・ボーボボ』連載開始。
2001年36号『BLEACH』連載開始。
  • 2002年 320万部(年間平均)
2002年34号『アイシールド21』連載開始。
  • 2003年 300万部(年間平均)
2003年22・23号『ヒカルの碁』終了。
  • 2004年 300万部(年間平均)
2004年1号『DEATH NOTE』連載開始。
2004年2号『銀魂』連載開始。
2004年15号『遊☆戯☆王』終了。
2004年27号『D.Gray-man』連載開始。
2004年40号『シャーマンキング』終了。
2005年も雑誌発行部数は低下を続けるが、単行本の売れ行きは過去最高を記録。
  • 2005年 295万部(年間平均)
  • 2006年新年号 295~300万部前後

新人漫画家募集企画

  • 年に1回行われる企画
    • ストーリーキング(199?年~2005年)
    • ストキン炎(2006年~)
    • ギャグキング(1989年~199?年、2000年)
    • 金未来杯(2004年~)
  • 年に2回行われる企画
    • 手塚賞 - 月刊少年ジャンプと共同募集
    • 赤塚賞 - 月刊少年ジャンプと共同募集
  • 毎月行われる企画
    • 新人漫画賞(1968年~1972年?)
    • ヤングジャンプ賞(1973年?~1979年)
    • フレッシュジャンプ賞(1979年~1982年)
    • ホップ☆ステップ賞(1982年~1996年)
    • 天下一漫画賞(1996年~2002年)
    • 十二傑新人漫画賞(2003年~)

関連ゲーム

以下に挙げるのは、週刊少年ジャンプをテーマに扱ったゲームソフトである。

関連書籍

さらばわが青春の『少年ジャンプ』(西村繁男、飛鳥新社、1994年)
創刊から立ち会った元編集長が綴った内幕。文庫版は幻冬舎より発売
天然まんが家(本宮ひろ志、集英社、2001年)
週刊少年ジャンプ黎明期の看板作家の自伝。マンガ家側から見た少年ジャンプ史としても読める。

歴代の編集長

日本国外の少年ジャンプ

2005年現在、『少年ジャンプ』は日本国外でも発行され、『DRAGON BALL』『ONE PIECE』などの名作が翻訳されている。

ドイツ版少年ジャンプ "BANZAI!" (月刊)
2001年10月、ドイツの企業カールセンにより創刊。公式サイト(ドイツ語)
アメリカ版少年ジャンプ "SHONEN JUMP" (月刊)
2002年11月26日創刊。VIZ Comminucation Inc.(現VIZ Media) 発行。公式サイト(英語)

関連項目

外部リンク