「大森 (印西市)」の版間の差分
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2013年12月6日 (金) 07:33時点における版
大森 | |
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北緯35度49分51秒 東経140度8分30.6秒 / 北緯35.83083度 東経140.141833度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
地区 | 大森地区 |
標高 | 21 m |
人口 (2013年(平成25年)11月30日現在) | |
• 合計 | 4,788人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
270-1327 |
市外局番 | 0476 |
※座標・標高は大森青年館付近 |
大森(おおもり)は、千葉県印西市の大字。2013年11月30日現在の人口は4,788人[1]。郵便番号270-1327。
地理
北は浅間前、茨城県利根町布川、北東は木下、東は竹袋、南東は別所、南は鹿黒南、草深、南西は鹿黒、西は亀成、北西は発作に隣接している。
小字
小字は以下の通り[2]。
- 中峠(なかびょう)
- 高堀(たかぼり)
- 大割(おおわり)
- 小割(こわり)
- 新畑(しんはた)
- 野辺場(のべば)
- 東台(ひがしだい)
- 古新田(こしんでん)
- 西台(にしだい)
- 宮脇(みやわき)
- 蒲ヶ沢(かばがさわ)
- 三高台(さんこうだい)
- 割野(わりの)
- 迎山(むかいやま)
- 鹿黒下(かぐろした)
- 仲田(なかた)
- 迎田(むかいだ)
- 小屋ノ内(こやのうち)
- 坪田(つぼた)
- 種井尻(たにいじり)
- 大山谷津(おおやまやづ)
- 飯島(いいじま)
- 新迎田(しんむかいだ)
- 谷津(やづ)
- 下田(しもだ)
- 鹿黒橋(かぐろはし)
- 長田(ながた)
- 儘田(ままだ)
- 八夜下(はちやした)
- 和田(わだ)
- 角田(つのだ)
- 堂下(どうした)
- 花輪下(はなわした)
- 蓬田(よもぎだ)
- 大畑(おおはた)
- 森内(もりうち)
- 前畑(まえばた)
- 下の辺田(しものへだ)
- 八夜台(やこうだい)
- 二畝割(にせわり)
- 呑内(のみうち)
- 下宿(しもじゅく)
- 原ノ宿(はらのじゅく)
- 上宿(かみじゅく)
- 東ノ下(ひがしのした)
- 池ノ内(いけのうち)
- 池ノ上(いけのうえ)
- 曽谷窪(そやくぼ)
- 狸穴(まみあな)
- 町田(まちだ)
- 池下(いけのした)
- 太田(おおた)
- 馬坂(まさか)
- 天王前(てんのうまえ)
- 後庵(ごわん)
- 宮ノ入(みやのいり)
- 杉ノ内(すぎのうち)
- 小山崎(こやまざき)
- 中の口根方(なかのくちねかた)
- 舟戸(ふなと)
- 西埜原(にしやわら)
- 丸山下(まるやました)
- 東埜原(ひがしやわら)
- 六軒(ろっけん)
- 七畝割(ななせわり)
- 中ノ口(なかのくち)
- 築留(つきどめ)
歴史
江戸期は大森村[3]・大森新田[4]の2村、明治7年頃からは大森村である。
大森村(おおもりむら)は下総国印旛郡のうち。印西領に属す。寛文年間から幕府領、元禄10年から幕府・旗本西山氏の相給、同14年から佐倉藩領、享保8年から淀藩領。村高は「元禄郷帳」1,069石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,062石余。なお寛文12年の検地により、新田582石余が高請されている。当村に、幕府領期に代官の出張陣屋、淀藩領期に飛地支配の陣屋が置かれた。享保8年「淀領郷村帳」によれば、小物成として夫銭永2貫139文余・山銭永1貫906文余・百姓林銭永820文余・夏苅銭永744文を上納(田辺家文書)。明治6年千葉県に所属。明治5年の戸数560・人口1,375。同7年頃に大森新田を合併。神社は火皇子神社・鳥見神社、寺院は天台宗長楽寺・星光院(印旛郡誌)。明治22年大杜村の大字となる[3]。
大森新田(おおもりしんでん)は下総国印旛郡のうち。印西領に属す。利根川支流亀成川左岸に位置する。もと小金牧のうち印西牧の一部。寛文10年惣深新田開発請負主鰭ケ崎村清重郎らが近隣村との対立を避けて草深野の一部を16か村に分与した。それを切添新田として大森村が開発し延宝4年の検地により高請され成立。幕府領。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに98石余。延宝4年の反別下畑20町8反余・屋敷1反余。明治6年千葉県に所属。同7年頃本村である大森村の一部となるが、以来「古新田」と通称される[4]。
年表
- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1874年(明治7年)頃 - 大森村と大森新田が合併し大森村が成立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行し大森村、鹿黒村、発作村、亀成村が合併し印旛郡大杜村が発足。大杜村大字大森になる。
- 1913年(大正2年)3月1日 - 大杜村が町制施行・改称して大森町となる。大森町大字大森となる。
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 木下町・大森町・船穂村と永治村の一部が合併し印西町が発足。印西町大森となる。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 印西町が市制施行して印西市となる。印西市大森となる。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
地域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 大森小学校 | 印西中学校 |
人口
各丁目の人口は以下の通り[1]。
地域 | 人口 |
---|---|
全域 | 4,788 |
施設
- 印西市役所
- 印西警察署
- 大森図書館
- 印西市立大森小学校
- 印西市立印西中学校
- 印西市立大森幼稚園
- 天神幼稚園
- 大森保育園
- 中央公民館
- 印西市商工会館
- 印西市中央保健センター
- 農林水産省手賀排水機場
- 印西自動車学校
- 印西中央自動車学校
- 印西変電所
- 老人ホームみどり荘
- 老人保健施設シルバーヴィラ大森
- JA西印旛
- 千葉銀行印西支店
- 六軒コミュニティーセンター
- 中の口公民館
- 西埜原会館
- 大森青年館
- 古新田集会所
- 干拓稲荷神社
- 厳嶋神社
- 浅間神社
- 大杉神社
- 大森鳥見神社
- 火皇子神社
- 長楽寺
- 西埜原公園
- 西埜原公園
- おおた幼児公園
- まみあな幼児公園
- 七畝割第1幼児公園
- 七畝割第2幼児公園
- 馬坂幼児公園
交通
鉄道
道路
脚注
- ^ a b 大字別人口表(平成25年11月末現在) - 印西市公式ウェブサイト、2013-12-04閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1449頁
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 198頁
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 199頁
- ^ 印西市立小・中学校の通学区域、2013-12-04閲覧。
関連項目
発作 | 浅間前、茨城県利根町布川 | 木下 | ||
亀成 | 竹袋 | |||
大森 | ||||
鹿黒 | 鹿黒南、草深 | 別所 |