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'''メッシーナ地震'''<ref name="kishocho">「1800年以降に世界で5万人以上の死者を生じた地震の一覧」、{{cite web|url=http://www.jma.go.jp/jma/press/1002/05b/kaisetsu100205.pdf|title=平成22年1月13日のハイチの地震について|format=PDF|publisher=[[気象庁]]|date=2010-02-05|accessdate=2014-06-23}}。[[宇津徳治]]の「世界の被害地震の表」による、としている。なお、「世界の被害地震の表」は[[国際地震工学センター]]のサイトにおいて[http://iisee.kenken.go.jp/utsu/ 検索可能]とされている。</ref>(メッシーナじしん、{{lang-en|1908 Messina earthquake}}{{refnest|group="注釈"|このほか、「メッシーナレッジョ地震」に相当する表現(1908 Messina and Reggio earthquake)も用いられる。<ref name="Santini">{{cite book|editor=Santini A. & Moraci N.|title=2008 Seismic Engineering Conference: Commemorating the 1908 Messina and Reggio Calabria Earthquake (AIP Conference Proceedings)|url=http://www.bookdepository.co.uk/2008-Seismic-Engineering-Conference-Adolfo-Santini/9780735405424|accessdate=December 30, 2011|year=2008|publisher=[[American Institute of Physics]]|isbn=978-0-7354-0542-4}}に相当する表現も用いられる。</ref>}}は、[[1908年]][[12月28日]]に[[イタリア南部]]の[[シチリア島]]から[[カラブリア州|カラブリア]]にかけて発生した[[地震]]。地震と[[津波]]により、大都市である[[メッシーナ]]と[[レッジョ・ディ・カラブリア]]が壊滅的な被害を受けた<ref name="Pino">{{cite journal|last=Pino|first=N.A.|last2=Piatanesi|first2=A.|last3=Valensise|first3=G.|last4=Boschi|first4=E.|year=2009|title=The 28 December 1908 Messina Straits Earthquake (Mw 7.1): A Great Earthquake throughout a Century of Seismology|journal=Seismological Research Letters|volume=80|issue=2|pages=243–259|doi=10.1785/gssrl.80.2.243|url=http://www.earth-prints.org/bitstream/2122/5235/2/1908_Pino%20et%20al%20revised.pdf|accessdate=February 14, 2011}}</ref>。犠牲者数には諸説あるが、10万人から20万人の死者が出たと言われる<ref name="Woolfson2013" />{{refnest|group="注釈"|日本の地震学者である[[宇津徳治]]は「世界の被害地震の表」で8万2000人と推計しており、日本の気象庁もこの数字を引用している。<ref name="kishocho" />}}
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== 地震 ==
== 地震 ==
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救助隊は数週間にわたってがれきの中を捜索し、数日後に一家全員が救出されたケースもあったが、数千人はそのまま埋もれてしまった<ref>{{cite book| last = Mowbray| first = Jay Henry| title =Italy's Great Horror or Earthquake and Tidal Wave| year = 1909}}</ref>。この地域の建築物は、地震に耐えられるような構造ではなく、脆弱な基礎の上に重い屋根を載せて建てられていた<ref>{{Cite book | last = Tarr | first = Ralph Stockman | authorlink = Ralph Stockman Tarr | first2 = Lawrence | last2 = Martin | title = College Physiography | publisher = The Macmillan Company | year = 1914 | location = New York, New York | pages = 413 | url = http://books.google.com/books?id=Au3yEzkzgr0C&pg=PA413#v=onepage&q&f=false}}</ref>。
救助隊は数週間にわたってがれきの中を捜索し、数日後に一家全員が救出されたケースもあったが、数千人はそのまま埋もれてしまった<ref>{{cite book| last = Mowbray| first = Jay Henry| title =Italy's Great Horror or Earthquake and Tidal Wave| year = 1909}}</ref>。この地域の建築物は、地震に耐えられるような構造ではなく、脆弱な基礎の上に重い屋根を載せて建てられていた<ref>{{Cite book | last = Tarr | first = Ralph Stockman | authorlink = Ralph Stockman Tarr | first2 = Lawrence | last2 = Martin | title = College Physiography | publisher = The Macmillan Company | year = 1914 | location = New York, New York | pages = 413 | url = http://books.google.com/books?id=Au3yEzkzgr0C&pg=PA413#v=onepage&q&f=false}}</ref>。

犠牲者数には諸説ある。
*8万2000人([[宇津徳治]]「世界の被害地震の表」。日本の気象庁もこの数字を引用している<ref name="kishocho" />。)
*12万3000人<ref>[http://www.cbc.ca/world/story/2008/05/08/f-natural-disasters-history.html The world's worst natural disasters Calamities of the 20th and 21st centuries]</ref>
*10万人から20万人<ref name="Woolfson2013" />


== 救助活動 ==
== 救助活動 ==

2014年6月23日 (月) 07:23時点における版

メッシーナ地震
震源の位置(USGS)
本震
発生日 1908年12月28日
座標 北緯38度09分00秒 東経15度40分59秒 / 北緯38.15度 東経15.683度 / 38.15; 15.683座標: 北緯38度09分00秒 東経15度40分59秒 / 北緯38.15度 東経15.683度 / 38.15; 15.683
規模    M7.1
津波 発生
被害
死傷者数 10万 - 20万人[1] 死亡
被害地域 イタリア
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
テンプレートを表示

メッシーナ地震[2]: Terremoto di Messina del 1908; : 1908 Messina earthquake[注釈 1]は、1908年12月28日イタリア南部シチリア島からカラブリアにかけて発生した地震。地震と津波により、大都市であるメッシーナレッジョ・ディ・カラブリアが壊滅的な被害を受けた[4]。犠牲者数には諸説あるが、10万人規模の死者が出たと言われる。

地震

Aftermath of the Messina earthquake and tsunami

1908年12月28日午前5時20分から21分にかけて、シチリア島北東部の都市メッシーナを震央として、モーメント・マグニチュード7.1[4][注釈 2]の地震が発生した。メッシーナの対岸にあたるイタリア本土のレッジョ・ディ・カラブリア(以下、レッジョ)でも深刻な被害を受けた。地震の揺れは30秒から40秒続き、半径300km以内の地域で破壊が発生した。地震後、12メートルの津波が付近の海岸を襲い、さらなる破壊をもたらした。メッシーナでは建築物の91%が破壊され、約7万人の住民が犠牲となった[5]

救助隊は数週間にわたってがれきの中を捜索し、数日後に一家全員が救出されたケースもあったが、数千人はそのまま埋もれてしまった[6]。この地域の建築物は、地震に耐えられるような構造ではなく、脆弱な基礎の上に重い屋根を載せて建てられていた[7]

犠牲者数には諸説ある。

  • 8万2000人(宇津徳治「世界の被害地震の表」。日本の気象庁もこの数字を引用している[2]。)
  • 12万3000人[8]
  • 10万人から20万人[1]

救助活動

震災の情報はイタリア海軍魚雷艇によって、電信線が生き残っていたニコーテラにもたらされたが、それはようやくその日の深夜になってのことであった。鉄道路線・鉄道駅もまた破壊されていた[5]。イタリア海軍と陸軍は、捜索と負傷者の手当て、被災者の避難(艦船によって行われた)もあたった。まもなく、略奪者には発砲が行われることになった。国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世夫妻は無事であった[5]

震災は世界各地にトップニュースとして伝わり、国際的な救助活動が行われた。国際赤十字の支援を受け、ロシア海軍イギリス海軍の水兵による捜索と瓦礫撤去がすすめられた。ロシア海軍からは戦艦「ツェサレーヴィチ」「スラヴァ」および巡洋艦「アドミラル・マカロフ (Russian cruiser Admiral Makarov」「ボガティル (Russian cruiser Bogatyr」、イギリス海軍からは戦艦「エクスマス (HMS Exmouth (1901)」、巡洋艦「ユーライアス (HMS Euryalus (1901)」「ミネルヴァ (HMS Minerva (1895)」「サトレッジ (HMS Sutlej (1899)」が支援を命じられた。イギリスの貨物船 SS Afonwen はメッシーナ港に停泊しており、地震後に避難民を満載して出港したが、80mであった投錨地点の水深は、出港時に 55m しかなかったと記録している。また、フランス海軍からは戦艦「ジュスティス (French battleship Justice」「ヴェリテ (French battleship Vérité」と駆逐艦3隻が派遣され、アメリカ海軍は世界一周航海を行っていたグレート・ホワイト・フリートと補給艦2隻に支援を命じた。また、ほかの国々の艦船も支援活動に応えた[5][9]

原因

この地震は、プレート境界で生じた断層地震である。イタリアはアフリカプレートユーラシアプレートの境界に位置しており、アフリカプレートがヨーロッパ大陸(ユーラシアプレート)の下に毎年25mmずつ沈み込んでいる。こうして生じたずれが、地震を引き起こすのである[10]。近年の研究では、この津波を発生させたのは地震そのものではなく、地震を引き金とした大規模な地滑りであるとの説も提唱されている[11]。また、地震によって破壊された家屋から生じた火災も、被害を大きくした。

その後

明けて1908年、再建が始まるとともに、防災措置が取られることとなった。建築物は、この地震と同規模の地震に耐えられるように設計された。しかし、復興の進まない中でイタリアのほかの地域に移住する住民も多く、アメリカ合衆国への移民を余儀なくされた人々もいた。震災による移民がたどった苦難の出来事としては貨客船「フロリダ」の事故が挙げられる。1909年、移民850人の乗客を載せてナポリから出港した「フロリダ」は、霧の中で進路を見失い、豪華客船「リパブリック」に衝突した。「フロリダ」では3人が即死し、パニックが生じた。「フロリダ」の Angelo Ruspini 船長は、空中に向けて銃を撃つなどの手段で乗客への統制を取り戻した。生存者は救助されてニューヨーク港に運ばれ、新しい生活を送ることとなった[12]

脚注

注釈

  1. ^ このほか、「メッシーナ=レッジョ地震」(: 1908 Messina and Reggio earthquake[3]; : terremoto di Messina e Reggio del 1908)や、「カラブリア=シチリア地震」(: terremoto calabro-siculo del 1908)に相当する名称も用いられる。
  2. ^ 宇津徳治「世界の被害地震の表」では、マグニチュード7.0としている[2]

出典

  1. ^ a b M. M. Woolfson. Time, Space, Stars & Man: The Story of the Big Bang. World Scientific; 2013. ISBN 978-1-84816-933-3. p. 405.
  2. ^ a b c 「1800年以降に世界で5万人以上の死者を生じた地震の一覧」、平成22年1月13日のハイチの地震について” (PDF). 気象庁 (2010年2月5日). 2014年6月23日閲覧。宇津徳治の「世界の被害地震の表」による、としている。なお、「世界の被害地震の表」は国際地震工学センターのサイトにおいて検索可能とされている。
  3. ^ Santini A. & Moraci N., ed (2008). 2008 Seismic Engineering Conference: Commemorating the 1908 Messina and Reggio Calabria Earthquake (AIP Conference Proceedings). American Institute of Physics. ISBN 978-0-7354-0542-4. http://www.bookdepository.co.uk/2008-Seismic-Engineering-Conference-Adolfo-Santini/9780735405424 December 30, 2011閲覧。 
  4. ^ a b Pino, N.A.; Piatanesi, A.; Valensise, G.; Boschi, E. (2009). “The 28 December 1908 Messina Straits Earthquake (Mw 7.1): A Great Earthquake throughout a Century of Seismology”. Seismological Research Letters 80 (2): 243–259. doi:10.1785/gssrl.80.2.243. http://www.earth-prints.org/bitstream/2122/5235/2/1908_Pino%20et%20al%20revised.pdf February 14, 2011閲覧。. 
  5. ^ a b c d The Messina 1908 earthquake
  6. ^ Mowbray, Jay Henry (1909). Italy's Great Horror or Earthquake and Tidal Wave 
  7. ^ Tarr, Ralph Stockman; Martin, Lawrence (1914). College Physiography. New York, New York: The Macmillan Company. pp. 413. http://books.google.com/books?id=Au3yEzkzgr0C&pg=PA413#v=onepage&q&f=false 
  8. ^ The world's worst natural disasters Calamities of the 20th and 21st centuries
  9. ^ http://www.northeastmedals.co.uk/britishguide/colonial/messina_earthquake_awards.htm
  10. ^ Sicilian culture: 1908 Messina – Reggio Earthquake & Earthquake Prone Italy
  11. ^ On the cause of the 1908 Messina tsunami, southern Italy
  12. ^ PBS Article

外部リンク