コンテンツにスキップ

「ノー・マンズ・ランド」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Addbot (会話 | 投稿記録)
m ボット: 言語間リンク 22 件をウィキデータ上の d:q845235 に転記
m 原題を追加
2行目: 2行目:
{{Infobox Film|
{{Infobox Film|
| 作品名 = ノー・マンズ・ランド
| 作品名 = ノー・マンズ・ランド
| 原題 = No Man's Land
| 原題 = Ničija zemlja / No Man's Land
| 画像 =
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像サイズ =
24行目: 24行目:
| 次作 =
| 次作 =
}}
}}
『'''ノー・マンズ・ランド'''』(''No Man's Land'')は、[[ボスニア紛争]]([[1992年]] - [[1995年]])を題材にした反戦映画。[[2001年]]公開。
『'''ノー・マンズ・ランド'''』(原題 {{lang-bs|Ničija zemlja}}、英語タイトル {{lang|en|No Man’s Land}})は、[[ボスニア紛争]]([[1992年]] - [[1995年]])を題材にした反戦映画。[[2001年]]公開。


俳優は広く[[ヨーロッパ]]から選ばれている。
俳優は広く[[ヨーロッパ]]から選ばれている。

2015年6月28日 (日) 09:02時点における版

ノー・マンズ・ランド
Ničija zemlja / No Man's Land
監督 ダニス・タノヴィッチ
脚本 ダニス・タノヴィッチ
製作 フレデリック・デュマ
マルク・バシェ
チェドミール・コラール
音楽 ダニス・タノヴィッチ
撮影 ウォルター・ヴァンデン・エンデ
編集 フランチェスカ・ジカルヴァリ
配給 ビターズ・エンド
公開 フランスの旗 2001年5月21日
カンヌ国際映画祭
日本の旗 2002年5月25日
上映時間 98分
製作国 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ
スロベニアの旗 スロベニア
イタリアの旗 イタリア
フランスの旗 フランス
イギリスの旗 イギリス
ベルギーの旗 ベルギー
言語 ボスニア語
英語
フランス語
ドイツ語
製作費 FRF 14,000,000
テンプレートを表示

ノー・マンズ・ランド』(原題 ボスニア語: Ničija zemlja、英語タイトル No Man’s Land)は、ボスニア紛争1992年 - 1995年)を題材にした反戦映画。2001年公開。

俳優は広くヨーロッパから選ばれている。

あらすじ

霧の夜、ボスニア軍前線に赴いた交代要員8人は、双方の前線の間の無人地帯(ノー・マンズ・ランド)のセルビア軍前線寄りに迷い込んだ末、夜明けとともにセルビア側からの一斉射撃を受ける。そのうちの2人、チキとツェラは両軍中間にある無人の塹壕線付近まで逃げるものの戦車砲で吹き飛ばされる。その一人、肩を撃たれたチキは塹壕の中で意識を取り戻し銃を拾って帰り道を探すが、そこへボスニア側の意図を探りに2人のセルビア兵がやってくる。

キャスト

ボスニア兵
チキ:ブランコ・ジュリッチ
ツェラの親友、彼を残して塹壕を去らないと誓う。
ツェラ:フィリプ・ショヴァゴヴィッチ
意識を失っている間に身体の下に地雷を仕掛けられる。
セルビア兵
ニノ:レネ・ビトラヤツ
人見知りをしない入隊ホヤホヤの新兵。
老兵:ムスタファ・ナダレヴィッチ
死体と思ってツェラの身体の下に地雷を仕掛ける。
UNPROFOR(国連防護軍)監視哨アリゾナ2のフランス兵
マルシャン軍曹:ジョルジュ・シアティディス
何とかツェラと二人の負傷兵を助けようとする。
ピエール:アラン・エロワ
ミシェル:サシャ・クレメール
経験の浅い若い兵士、状況を深刻に考えない彼の不注意がとんだ結末を招く。
UNPROFPOR上官
何とかして面倒に巻き込まれまいとする。
ソフト大佐:サイモン・キャロウ
デュボワ大尉:セルジュ=アンリ・ヴァルケ
マスコミ
リヴィングストン特派員:カトリン・カートリッジ
マルシャン軍曹と取引して独占映像を得ようとする。

吹き替え

受賞

外部リンク

  • 公式サイト
  • エラー: subst: がありません。Movielink ではなく subst:Movielink としてください。
  • エラー: subst: がありません。Movielink ではなく subst:Movielink としてください。