「糠塚 (八戸市)」の版間の差分
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== 歴史 == |
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'''糠塚村''' |
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*江戸期 - [[1889年]]([[明治]]22年)[[三戸郡]]'''糠塚村''' |
* 江戸期 - [[1889年]]([[明治]]22年)[[三戸郡]]'''糠塚村''' |
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**[[1665年]]以前まで 盛岡藩領 三戸郡糠塚村。 |
** [[1665年]]以前まで 盛岡藩領 三戸郡糠塚村。 |
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**[[1618年]](元和4年)の記録<ref>南部利直知行宛行目録(南部家文書)</ref>によると、1697年の「元禄10年高帳」は、八戸通村の枝村糠塚の名前で206[[石]]余り(田51石余り、畑154石余)、「旧高旧領」の記録では糠塚村の名前で192石余の記述が残る。当時、北には八戸城下があり、地内西には[[登り街道]](現在の[[国道340号]])が南北に通っていた。また、地内の北側に位置する[[長者山]]は、[[八戸城]]下の南方の防衛拠点として役割を備えていたと考えられる<ref>角川日本地名大辞典編纂委員会 (1985)「角川日本地名大辞典 青森県」角川書店 pp716 </ref>。 |
** [[1618年]](元和4年)の記録<ref>南部利直知行宛行目録(南部家文書)</ref>によると、1697年の「元禄10年高帳」は、八戸通村の枝村糠塚の名前で206[[石]]余り(田51石余り、畑154石余)、「旧高旧領」の記録では糠塚村の名前で192石余の記述が残る。当時、北には八戸城下があり、地内西には[[登り街道]](現在の[[国道340号]])が南北に通っていた。また、地内の北側に位置する[[長者山]]は、[[八戸城]]下の南方の防衛拠点として役割を備えていたと考えられる<ref>角川日本地名大辞典編纂委員会 (1985)「角川日本地名大辞典 青森県」角川書店 pp716 </ref>。 |
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**[[1665年]]([[寛文]]5年)、八戸藩領、[[八戸廻り]]に属する。 |
** [[1665年]]([[寛文]]5年)、八戸藩領、[[八戸廻り]]に属する。 |
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**[[1665年]]([[寛文]]5年)、長者林=[[長者山]]の記録が残る。 |
** [[1665年]]([[寛文]]5年)、長者林=[[長者山]]の記録が残る。 |
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**[[1668年]]([[寛文]]8年)、板橋山(現在の大字糠塚字板橋)の山守(森の管理者)が木を切りすぎて処分を受ける。 |
** [[1668年]]([[寛文]]8年)、板橋山(現在の大字糠塚字板橋)の山守(森の管理者)が木を切りすぎて処分を受ける。 |
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**[[1679年]]([[延宝]]7年)、長者山内でのキジ狩りが禁止される。 |
** [[1679年]]([[延宝]]7年)、長者山内でのキジ狩りが禁止される。 |
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**[[1708年]]([[宝永]]5年)、糠塚と板橋山で[[松虫]]が大量に発生し、虫祭りが開かれる。 |
** [[1708年]]([[宝永]]5年)、糠塚と板橋山で[[松虫]]が大量に発生し、虫祭りが開かれる。 |
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**登り街道は大名行列が通る重要な路線であったため、1744年から沿道の街道植樹を行った。 |
**登り街道は大名行列が通る重要な路線であったため、1744年から沿道の街道植樹を行った。 |
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**[[1744年]]([[延享]]元年)、1000本の[[ウルシ|漆の木]]が植えられる。(枡形から一ノ坂の区間:現在の平中交差点付近) |
** [[1744年]]([[延享]]元年)、1000本の[[ウルシ|漆の木]]が植えられる。(枡形から一ノ坂の区間:現在の平中交差点付近) |
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**[[1751年]]([[宝暦]]元年)、4月に100本の[[ウルシ|漆の木]]が植えられる。 |
** [[1751年]]([[宝暦]]元年)、4月に100本の[[ウルシ|漆の木]]が植えられる。 |
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**[[1753年]]([[宝暦]]3年)、4月に大杉平(現在の大字糠塚字大杉平)と、根城通りに1864本の[[ウルシ|漆の木]]が植えられる。 |
** [[1753年]]([[宝暦]]3年)、4月に大杉平(現在の大字糠塚字大杉平)と、根城通りに1864本の[[ウルシ|漆の木]]が植えられる。 |
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**[[1754年]]([[宝暦]]4年)、4月に大杉平で1770本の[[ウルシ|漆の木]]が植えられる。<ref>「八戸藩日記」</ref> |
** [[1754年]]([[宝暦]]4年)、4月に大杉平で1770本の[[ウルシ|漆の木]]が植えられる。<ref>「八戸藩日記」</ref> |
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**[[1756年]]([[宝暦]]6年)、病気や飢えなどで路上に倒れている人が34人発生した。<ref>「八戸藩史料」</ref> |
** [[1756年]]([[宝暦]]6年)、病気や飢えなどで路上に倒れている人が34人発生した。<ref>「八戸藩史料」</ref> |
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**[[1836年]]([[天保]]7年)、大慈寺の住職が、藩から飢民の救護を命ぜられ、寺の裏門に作った救助小屋に収容する。<ref>「八戸藩勘定所日記」</ref> |
** [[1836年]]([[天保]]7年)、大慈寺の住職が、藩から飢民の救護を命ぜられ、寺の裏門に作った救助小屋に収容する。<ref>「八戸藩勘定所日記」</ref> |
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**[[1871年]]([[明治]]4年)、家数は本村106、板橋18、平中8、鍛冶丁6、下屋敷5。<ref>「国誌」</ref> |
** [[1871年]]([[明治]]4年)、家数は本村106、板橋18、平中8、鍛冶丁6、下屋敷5。<ref>「国誌」</ref> |
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**[[1877年]]([[明治]]10年)、八戸区裁判所、八戸区検事局が、地内、[[常泉下]]に設置される。 |
** [[1877年]]([[明治]]10年)、八戸区裁判所、八戸区検事局が、地内、[[常泉下]]に設置される。 |
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**[[1879年]]([[明治]]12年)、本村の戸数91・人口591(男292・女299)、寺院5、学校1、牛7、馬85。板橋の戸数18・人口133(男66・女67)、牛3、馬28、物産は麦、雑穀、麻糸、鳥類。<ref>「共武政表」</ref> |
** [[1879年]]([[明治]]12年)、本村の戸数91・人口591(男292・女299)、寺院5、学校1、牛7、馬85。板橋の戸数18・人口133(男66・女67)、牛3、馬28、物産は麦、雑穀、麻糸、鳥類。<ref>「共武政表」</ref> |
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'''長者村時代''' |
'''長者村時代''' |
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*[[1889年]]([[明治]]22年) - [[1929年]]([[昭和]]4年)三戸郡長者村大字糠塚 |
* [[1889年]]([[明治]]22年) - [[1929年]]([[昭和]]4年)三戸郡長者村大字糠塚 |
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**[[1891年]]([[明治]]24年)、戸数146、人口982、厩(馬小屋)2、学校1、水車場1<ref>「徴発物件一覧」</ref> |
** [[1891年]]([[明治]]24年)、戸数146、人口982、厩(馬小屋)2、学校1、水車場1<ref>「徴発物件一覧」</ref> |
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**[[1898年]]([[明治]]36年)、[[八戸市立長者小学校|長者尋常小学校]]が開校。類家尋常小学校と糠塚尋常小学校の統合による。 |
** [[1898年]]([[明治]]36年)、[[八戸市立長者小学校|長者尋常小学校]]が開校。類家尋常小学校と糠塚尋常小学校の統合による。 |
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'''八戸町時代''' |
'''八戸町時代''' |
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*[[1901年]]([[明治]]34年) - [[1929年]]([[昭和]]4年)三戸郡[[八戸町]]大字糠塚 |
* [[1901年]]([[明治]]34年) - [[1929年]]([[昭和]]4年)三戸郡[[八戸町]]大字糠塚 |
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**[[1903年]]([[明治]]36年)、八戸刑務所が設置される。 |
** [[1903年]]([[明治]]36年)、八戸刑務所が設置される。 |
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**[[1908年]]([[明治]]41年)、[[青森県立八戸高等学校|県立八戸中学校]]が[[八幡 (八戸市)|八幡村]]から移転。 |
** [[1908年]]([[明治]]41年)、[[青森県立八戸高等学校|県立八戸中学校]]が[[八幡 (八戸市)|八幡村]]から移転。 |
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**[[1922年]]([[大正]]11年)、青森供託局八戸出張所が設置される。 |
** [[1922年]]([[大正]]11年)、青森供託局八戸出張所が設置される。 |
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'''八戸市時代''' |
'''八戸市時代''' |
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*[[1929年]]([[昭和]]4年) - 現在 |
* [[1929年]]([[昭和]]4年) - 現在 |
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**[[1959年]]([[昭和]]34年)、[[八戸市営バス大杉平営業所]]が開設。 |
** [[1959年]]([[昭和]]34年)、[[八戸市営バス大杉平営業所]]が開設。 |
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**[[1959年]]([[昭和]]34年)、[[青森県立八戸中央高等学校|八戸第一高校]]が旧長者小学校内に移転。(その後[[1979年]]に諏訪へ移転) |
** [[1959年]]([[昭和]]34年)、[[青森県立八戸中央高等学校|八戸第一高校]]が旧長者小学校内に移転。(その後[[1979年]]に諏訪へ移転) |
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**[[1974年]]([[昭和]]49年)、[[南部バス八戸営業所]]が地内二ツ家に移転。(かつては類家に存在した) |
** [[1974年]]([[昭和]]49年)、[[南部バス八戸営業所]]が地内二ツ家に移転。(かつては類家に存在した) |
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**[[1975年]]([[昭和]]50年)、糠塚の一部が[[根城 (八戸市)|根城]]1丁目~8丁目に含まれる。 |
** [[1975年]]([[昭和]]50年)、糠塚の一部が[[根城 (八戸市)|根城]]1丁目~8丁目に含まれる。 |
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**[[1977年]]([[昭和]]52年)、[[八戸市立図南小学校]]が開校。 |
** [[1977年]]([[昭和]]52年)、[[八戸市立図南小学校]]が開校。 |
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**[[1984年]]([[昭和]]59年)、[[八戸市立図書館]]が移転設立。(旧[[八戸市立長者小学校]]敷地内) |
** [[1984年]]([[昭和]]59年)、[[八戸市立図書館]]が移転設立。(旧[[八戸市立長者小学校]]敷地内) |
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== 人口 == |
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== 施設 == |
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*[[八戸市立図書館]] |
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*[[八戸市営バス大杉平営業所]](大字糠塚字大杉平) |
* [[八戸市営バス大杉平営業所]](大字糠塚字大杉平) |
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*[[南部バス八戸営業所]](大字糠塚字二ツ家) |
* [[南部バス八戸営業所]](大字糠塚字二ツ家) |
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*[[長者まつりんぐ広場]](旧[[八戸市立市民病院]]) |
* [[長者まつりんぐ広場]](旧[[八戸市立市民病院]]) |
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=== 教育 === |
=== 教育 === |
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*[[八戸市立図南小学校]] |
* [[八戸市立図南小学校]] |
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*[[八戸市立長者中学校]](地内南部に隣接する[[八戸市]]大字[[沢里]]字沢里山に立地) |
* [[八戸市立長者中学校]](地内南部に隣接する[[八戸市]]大字[[沢里]]字沢里山に立地) |
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== 小字 == |
== 小字 == |
2015年11月3日 (火) 01:11時点における版
糠塚 | |
---|---|
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 八戸市 |
人口 (2008年(平成20年)4月30日現在) | |
• 合計 | 3,786人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
031-0022 |
市外局番 | 0178 |
ナンバープレート | 八戸 |
糠塚(ぬかづか)は、青森県八戸市の町名・地名の一つである。26の小字がある。当地域の人口は3,786人である。
概要
糠塚は八戸市中央部から南寄りの馬淵川の右岸と新井田川左岸の中筋に位置する。北に長者、東に吹上、中居林、南に是川、西に沢里に隣接する。鉄道の駅は無い。幹線道路は、地内西外縁に国道340号が通る。地内は北側は宅地が多いが、南側は山林が広がっている。地内の字南糠塚や字板橋からは縄文時代後期の土器や石器が発見されている。
地名の由来
糠塚の地名の由来は糠と長者山に関係する。民俗学者柳田國男の自書によると、「大昔に長者が住み、地中より糠が出たという糠前伝説」[1] の記述が残る。一方、1790年(寛政2年)の高山彦九郎の「北行日記」にも「城下を南に出て右の方長者山松茂る。上古長者が住みし所と伝えふ、今に地中より籾(もみ)ぬか出るといふ」とある。
このことから、大昔から長者山の上には大金持ち(長者)が住んでおり、その地面からは精米した後の籾と糠が出てきたことによる伝説から「糠塚」の地名が残ったと考えられる。
歴史
糠塚村
長者村時代
八戸町時代
八戸市時代
人口
小字 | 世帯数 | 人口 |
蟹沢 | 212世帯 | 493人 |
長久保 | 158世帯 | 435人 |
平中 | 155世帯 | 340人 |
大杉平 | 188世帯 | 381人 |
南長市 | 149世帯 | 318人 |
大開 | 119世帯 | 296人 |
合計 | 1,638世帯 | 3,786人 |
施設
- 八戸市立図書館
- 八戸市営バス大杉平営業所(大字糠塚字大杉平)
- 南部バス八戸営業所(大字糠塚字二ツ家)
- 長者まつりんぐ広場(旧八戸市立市民病院)
教育
小字
字板橋、字鶉久保、字大沢、字大杉平、字大開、字蟹沢、字狐森、字小沢、字五郎兵衛前、字下道、下屋敷、字惣善前、字平中、字長者山、字長者山下、字土取場、字長久保、字二ツ家、字古常泉下、字前谷地、字桝形、字南長市、字柳ノ下、字山内、字葭谷地、字柳下