「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の版間の差分
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|caption = ピアノ初版譜の表紙({{仮リンク|カール・ハスリンガー|de|Carl Haslinger (Verleger)}}出版) |
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|image3 = {{sound|Johann Strauss Jr «Tritsch-Tratsch-Polka» trascrizione per pianoforte.ogg|トリッチ・トラッチ・ポルカ(ピアノ版)}} |
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|label1 = ジャンル |
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2016年11月26日 (土) 00:40時点における版
『トリッチ・トラッチ・ポルカ』 | |
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ドイツ語: Tritsch-Tratsch-Polka | |
ピアノ初版譜の表紙(カール・ハスリンガー出版) | |
ジャンル | ポルカ・シュネル |
作曲者 | ヨハン・シュトラウス2世 |
作品番号 | op.214 |
初演 | 1858年11月 |
『トリッチ・トラッチ・ポルカ』(ドイツ語: Tritsch-Tratsch-Polka)作品214は、ヨハン・シュトラウス2世が1858年に作曲したポルカ・シュネル。
楽曲解説
ヨハン・シュトラウス2世は1856年より16年にわたって、夏半期はツァールスコエ・セロー市に所在地を置く鉄道会社がオファーする、高収入を見込める話に応じて、ロシア帝国の首都であったサンクトペテルブルク市近郊のパヴロフスク市でコンサート活動をした。ここでシュトラウス2世は、ロシア貴族の令嬢オルガ・スミルニツカヤと恋仲になったが[1]、彼女の両親からは認められない秘密の恋であった[1]。
当時のサンクトペテルブルクやその近郊は、貴族階級や裕福なヨーロッパ人の避暑地のひとつであったので、パヴロフスクでのコンサートによって、シュトラウス2世は世界的に有名になった。そのため、「ジャン」という愛称で呼ばれていたシュトラウス2世の恋も、遠いウィーンにまで伝わってゴシップとなっていた。冬半期にウィーンに戻ったシュトラウス2世は、街角で人々が「シャン」「シャニ」の恋をうわさするのを聞く[注釈 1]。
ウィーンには当時、"Tritsch-Tratsch" という著名人のうわさを掲載した雑誌があった[3]。この題名は、ウィーンで活躍したビーダーマイヤー作家であり、今日でもブルク劇場などで作品が上演され続けている劇作家ヨハン・ネストロイの戯曲 "Der Tritschtratsch" を借りたものである[3]。トラッチ(Tratsch)はうわさを意味するドイツ語で、トリッチ・トラッチ(Tritschtratsch)と並べることで音遊び感覚になる。シュトラウス2世は街角の「うわさ」「おしゃべり」を歌うポルカを作曲し、雑誌を揶揄してその題名を冠したのである。
この曲の雰囲気は、多くのヨハン・シュトラウス2世のポルカと同じく、軽快で威勢が良い。なおシュトラウス2世の最初の妻ヘンリエッタ・トレフツが飼っていたプードルもまた「トリッチ・トラッチ」という名であった[要出典]。もともとは合唱つきで、ウィーン少年合唱団などのレパートリーとして残っているのはその名残である。
日本においては、小学校の運動会などで比較的よく流される曲であり、知っている人も多い。
ニューイヤーコンサート
ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの登場は以下の通りである。
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脚注
注釈
出典
参考文献
- ピーター・ケンプ 著、木村英二 訳『シュトラウス・ファミリー――ある音楽王朝の肖像』音楽之友社、1987年10月。ISBN 4276-224241。
- Peter Keuschnig著 『Johann Strauß (Sohn) 』2000年11月7日(オーストリア、ウィーン、オーストリア航空のための書き下ろし)
- 小宮正安『ヨハン・シュトラウス ワルツ王と落日のウィーン』中央公論新社〈中公新書〉、2000年12月10日。ISBN 4-12-101567-3。
- 増田芳雄「ロシアのヨハン・シュトラウス」(帝塚山大学『人間環境科学』第12巻、2003年)
- 加藤雅彦『ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産』日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2003年12月20日。ISBN 4-14-001985-9。
- 若宮由美「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2012 曲目解説」より〈トリッチ・トラッチ・ポルカ〉。