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専門職大学院としては海外のロースクールに倣って創設された[[法科大学院]]が代表的であるのはいうまでもないが、その他の専門職大学院には[[公共政策大学院]]、[[会計大学院]]なとがあり、その他では[[ビジネス・スクール]]が多い。今後は[[法曹]]育成を行う法科の他、[[政治家]]、[[行政官]]、[[NPO]]や[[NGO]]のリーダー、[[ジャーナリスト]]などの方面に人材を供給する公共政策の他、企業戦略、ファイナンス、会計、助産師、学校教育つまり教員養成、大学経営、医療経営、社会福祉、医療系、工業系、原子力系、情報技術系、心理系、環境系、健康科学系、デザイン系、日本が誇る文化であるアニメーションをはじめ[[メディア]][[コンテンツ]]などの分野など序々に高度専門教育の裾野が広がりつつあり、専門職学位の種類も増えていくことが期待される。 |
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特に[[高齢化社会]]の進展する中で[[生涯学習]]の時代に突入した21世紀の教育環境は社会に出た後もキャリアアップを目的として再び教育を受けようとする人口が増え、[[社会人大学院]]や[[夜間大学院]]が脚光を浴びてきており[[キャリア教育]]の重要性が高まっている。実践的な[[スキル]]修得や専門的教育を施す機関として社会人大学院の中でも有力な受け入れ先である専門職大学院には取得する学位の代表的なものとして[[MBA]]、[[技術経営|MOT]]、[[MPH]]、[[MPA]]、[[公共経営修士|MPM]]などがある。これは、今まで優秀な人材が海外の大学で取得していた様な学位が日本でも本格的に置かれることとなった専門職大学院に注目が集っていることを如実に示しているといえよう。 |
2006年6月22日 (木) 00:55時点における版
専門職学位(せんもんしょくがくい)とは、日本においては、専門職大学院(大学院の専門職学位課程)を修了した者に授与される学位のことである。
専門職学位制度創設の参考とされた米国の職業学位
日本では、学位令発足以来、学位といえば、アカデミックな学位をさした。しかし、米国では、研究学位と職業学位に分けられ、学術的な研究に従事する研究者と実務に携わる専門家双方に別個の教育・学位の授与がなされてきた。その代表例が、ロー・スクールと、メディカル・スクールなどである。 職業学位の種類としては、以下のように実に多彩な職業学位が設置され、多彩な専門教育のプログラムを有している。
職業学位の目的及び種類
- 医師養成 M.D.
- 獣医師養成 D.V.M
- 歯科医師養成 D.D.S
- 法曹養成 J.D.
- 政策立案者養成 MPP及びMPMなど
- 教師養成 M.Ed.及びEd.D.
- 薬剤師養成 D.Phar.
- 技術者養成 D.Eng.
- 経営者養成 MBA及びDBA
専門職学位の意義
全国の大学に設置認可された法科大学院のすべてにおいては一律、[[法務博士(専門職)|法務博士の学位が授与されるが、その他の分野においてはまさに各大学により多彩である。
専門職大学院としては海外のロースクールに倣って創設された法科大学院が代表的であるのはいうまでもないが、その他の専門職大学院には公共政策大学院、会計大学院なとがあり、その他ではビジネス・スクールが多い。今後は法曹育成を行う法科の他、政治家、行政官、NPOやNGOのリーダー、ジャーナリストなどの方面に人材を供給する公共政策の他、企業戦略、ファイナンス、会計、助産師、学校教育つまり教員養成、大学経営、医療経営、社会福祉、医療系、工業系、原子力系、情報技術系、心理系、環境系、健康科学系、デザイン系、日本が誇る文化であるアニメーションをはじめメディアコンテンツなどの分野など序々に高度専門教育の裾野が広がりつつあり、専門職学位の種類も増えていくことが期待される。
特に高齢化社会の進展する中で生涯学習の時代に突入した21世紀の教育環境は社会に出た後もキャリアアップを目的として再び教育を受けようとする人口が増え、社会人大学院や夜間大学院が脚光を浴びてきておりキャリア教育の重要性が高まっている。実践的なスキル修得や専門的教育を施す機関として社会人大学院の中でも有力な受け入れ先である専門職大学院には取得する学位の代表的なものとしてMBA、MOT、MPH、MPA、MPMなどがある。これは、今まで優秀な人材が海外の大学で取得していた様な学位が日本でも本格的に置かれることとなった専門職大学院に注目が集っていることを如実に示しているといえよう。
取得できる学位の中で最も代表的なのはビジネスマンのステータスであるMBA即ちMaster of Business Administrationであるが、新しく出来た専門職大学院の中では経営管理学修士(専門職)または経営学修士(専門職)として置かれている場合が多い。MBAの上位には通常DBA即ちdoctor of Business Administration(和文呼称 経営管理学博士)の学位もあるが、専門職大学院の制度が未発達段階にあることとニーズの関係から専門職大学院の学位としては未だおかれていない。その他、企業戦略やファイナンス大学院、会計大学院で授与する学位も、和文表記では個々の専攻領域だが、英文表記としてはMBAとして一律化しているのも特徴である。MOT即ちMBA in Technology Managementの学位も日本では技術経営管理学修士(専門職)などの名称で置いている。その他、法政大学の様にMBITという学位を置く大学もあるが、これはMaster of Business information technologyといい、情報技術修士(専門職)という和文表記が主に用いられている。
専門職大学院の前身である専門大学院制度の下で成立した公衆衛生大学院では疫病の治療予防の研究を目的とした人材育成がなされ、当該大学院修了者にはMPH、つまりMaster of Public Health和文呼称 公衆衛生修士号の学位を授与している。またDPH(Doctor of Public Health、和文呼称 公衆衛生博士号)やPh.D.(Doctor of Philosophy、和文呼称 学術博士)を授与する大学院もある。また、次に代表的なものは公共政策大学院の学位である。これらの大学院で取得できる学位にはMPAやMPP、MPMという学位などがある。MPAはMaster of Public Administrationの略で日本では行政修士と訳す。MPPはMaster of Pablic Policyの略で日本では公共政策学修士(専門職)または公共政策修士(専門職)としている。MPMはMaster of Pablic Managementの略で日本では早稲田大学が公共経営研究科という公共政策大学院を設置し、このMPMにあたる公共経営修士(専門職)の学位を授与している。
専門職学位の実情
専門職学位において便宜上、博士なり修士という呼称を用いているが、学術上の博士、修士のそれとは同じではない。専門職学位の制度ははじまったばかりであり、取得そのもののメリットはそうクローズアップされるものではない。今後専門職学位が定着を見るには年月がかかることは予想に難くないといえよう。
いずれにせよ、2003年度以降はじめて高度専門職教育を受けて晴れて学位を受けた人口の活躍と、それを受け入れて活用する社会のインフラをどの様に定着させていくかが課題である。日本では学位といえば博士であり、名刺に刻む肩書きとしても、専門職ではない博士号所有者がほぼ大半である。
研究者向けの学位としての適性を与えるものではない以上、大学院という教育機関の持ち味と社会の即戦力となる人材育成の観点を如何に融合させていくか。それも専門職学位という称号の信用性を付加させていく上での要件となろう。
日本では学士号はもちろんだが修士号をとっても、それを肩書きとして表記する文化はあまりない。これは現代の日本があまり称号という文化が一般化していないという事情もあると思われるが、一面的には学位のうち博士の学位が他の学位に比較してかなり権威化されているという部分もある。しかし、専門職修士号に関しては既存の修士号とは異なり、社会が尊重していける風潮が定着していけば、専門職大学院という制度もより付加価値が高まると考えられる。新しい学位である専門職学位が大きな信用となり、そして社会的に通用する称号として定着していくことが期待される。
また専門職学位の中でビジネスマンのステータスであるMBAの様な分野が先駆けとなって人口を拡大することにより、次第にそれぞれの職域においても専門職学位が認定され、リクルートメントを確立していくことができれば、日本の高等専門教育の水準は非常に高まることとなろう。また、専門職大学院にはそうした取り組みにこそ期待されるところである。また、司法制度改革が急務であったとはいえ、法科大学院だけが専門職大学院でも突出した評価を得、学位呼称としても唯一博士と表記できる点などには多分野からは不可解にもとられるという向きもある。
法科大学院の課題 理論と実務の統合へ
法科大学院は法曹人口の少ない日本にあって、司法試験制度改革を推進し、法律家を増やしていくための国家戦略としてつくられた教育機関である。専門職大学院制度でもとりわけ法科大学院は別格として優遇されてきた。他の専門職大学院に比較して標準修学年限は一年ほど長い分、学位呼称が専門職学位では唯一、法務博士(専門職)とされるなど、その手厚い保障が特徴である。
法科大学院は、法曹人口の増加に伴い質の高い人材、教育を提供していけるかが課題である。特に法学以外の多様なバックグラウンドを有する層を取り込むことにメリットの一つが求められることから、法学未経験者に対する教育や指導法については細かく丁寧な対応が求められている。
また、司法試験が新制度に移行した場合は法科大学院の法務博士(専門職)を取得が要件となり、学歴問わず志願できた現行司法試験の様に多彩な人材が応募しにくくなるのではないかという側面もある。同時に新司法試験制度下では法科大学院修了者の受験の権利ははじめての受験から数えて3回までとし、合格者数を増やす代わりに多々基準も高く設定された。ちなみに3回受験に失敗した司法試験受験生は権利を失うことから、これを俗に「三振」と呼ぶこともある。
こうしたことから、法曹になることや、法務に従事できない法務博士も出るのではないかという懸念もある。今後において司法試験合格者数を増やした代わりに法科大学院修了を受験要件とし、さらに受験回数を制限することが今後どういう影響をもたらすかが問われているところである。
従来から、日本では、実務と研究が乖離していることが問題とされた。法律とは純粋な意味での学問とはいいにくいことは否定できない。すなわち、文学のような純粋な「学問」とは異なり、優れて実証的な考察を必要とすることから、理論と実践の架橋が必要不可欠である。法科大学院制度の発足に伴い、今後は実定法学の研究者は、原則として法曹資格を有さなければ話にならないことになる。これにより、訴状の書き方も知らない人間が民事訴訟法を教えたりする弊害が是正されると共に、民事訴訟理論が民事実務の基本とされる要件事実論に与える影響も少なからぬものがあることになることが期待される。
専門職大学院の課題
公共政策大学院等の専門職学位の課題
公共政策大学院は例えば官界の場合、中央官庁や地方公共団体などでの公務員試験にて優遇策はなく公務員制度改革の途にある中である。また、政界への人材輩出も期待されるが、この場合でも政治家には選挙という試練がともない実力本位である。
今後において新分野として人材輩出が期待されるNPO・NGOなどは組織の財政基盤が脆弱であり未成熟であり、受け皿を如何に確立していくかも課題である。
国会では公共政策大学院の学位取得者には国会議員の公設秘書として主に政策立案の補佐を担当する国会議員政策担当秘書(通称 政策秘書)の資格を認定したらどうかという意見もあり、政治分野の政策スタッフ基盤が比較的弱い日本においてはこうした優遇措置もおおいに期待されているところである。
その他、有力な進路先として期待されるマスメディアの分野では学位そのものを評価するというには未だ認知も低い。いずれにせよ、公共政策大学院の学生は実力本位であることがより課せられやすいのが現状である。ただ、だからこそただのエリートではなく現状を打開できる人材を求め、偏差値教育の延長線ではない、リーダーシップと哲学、または歴史観、倫理観、社会観、構想力といった人間力と、そして政策立案・実現能力といったスキルを持った人材の必要性が問われているともいえる。その点では能力や政策スキル習得に終始せずに人物重視の教育が期待できる分野でもある。
ビジネス・スクールの挑戦 MBAへの期待
以上の点から専門職学位保有者のリクルートメントの面では苦戦も予想されるが、専門職学位のうちその先駆け的存在であるMBAなどは日本の専門職学位創設以前から海外などで取得するビジネスマンも多く取得人口も政財官界には多いことから、ビジネス・スクールにて授与されるMBAの学位の知名度と信用、あるいは人脈のあるところから次第に機会が広がっていくのではないかという期待もある。
とりわけMBAはつい先年までキャリア形成において社会的にかなり注目を集め、MBAブームというものもあったが、最近はやや落ち着きを見せ始めたものの依然として資格関係の著籍や経済雑誌等を通じて注目され続けている。MBAはあくまで職業上の学位であることから学位そのものの評価というよりも、ネゴシエーションやマネジメントのスキルやそれ以上に学び舎で得た人脈に対しての期待の方が大きいという傾向もある。また、DBAつまり経営管理学博士に匹敵する課程が必要かどうかという点でも専門職大学院の制度的な部分での考察も必要になるかもしれない。
専門職学位の将来
多様性のある教育を可能たらしめる上で、実務にかなった専門職大学院は非常に有意義な制度である。しかし、法科大学院のみが博士と表記され、一般的な学位と比較した場合は修士に相当するという点は、国際標準的には妥当かもしれないが、他の専門職大学院でも、正真正銘の博士としての評価に値する学位を置きたいと考えても、法務博士ですら修士としての評価しかないという点はネックとなる。法務以外の分野で専門職博士を取得できる道を開いても、法務博士同様に修士と同等の評価ということになる。国際的に活躍する人材を輩出する上で実務教育を受けた博士を育成することは次なる国家戦略として課題となる。専門職大学院でもPhDを取得できる道を作るか、あるいは今までの研究職大学院で実践的指導も含めた博士課程を置くか。今後においてそうした手段を講じる必要がある。
ただ、一方で専門職学位である以上、国内で働く上では、実務面で博士を必要としない、あるいは修士で十分とする意見もある。もし、法務博士以外の専門職博士を設置したとしても、修士相当の評価で構わないという指摘もなくはない。
そうした場合、法科大学院で法務博士取得までの標準修了年限として、法学既習者が二年、未習者が三年かかることを踏まえ、他の専門職大学院でも標準年限として専門職博士を取得できる三年コースと、専門職修士の二年ないし一年コースを分けて設置してもよいだろう。
専門職博士の三年コースの入学資格を大学卒業以上とし、修士・専門職学位取得者は一年で修了でき、学士号のみ保有する学生は三年かけて取り組むという手法もあるだろう。 いずれにせよ、そもそも法務博士が修士と同様であって、専門職学位を博士と修士で分けるにはどこまでの意味付けができるかは、もちろん課題として残る。
学術的な能力よりも専門職としてのスキル習得こそがこの専門職大学院の意義であって、この専門職大学院が定着しきっていない段階にあっては、専門職修士取得までの二年間で十分なスキルを身に付けられるとは限らず、上級課程を求めるニーズはあってもおかしくはない。学位としての評価よりもスキル面での差別化という観点から法科以外の専門職大学院のグレードアップ化を求める声は起こりえる。
一番重要なことは、グローバル化と社会の多様化の中で、どの様な人材・スキルが求められるかであり、学位がただの肩書きや称号であっては意味がないのである。そうした長期的な教育政策の視野にたって、専門職大学院は絶えず可能性の追求と同時に反省と改善を図っていく努力を怠ってはならないだろう。
専門職大学院及びそれらの大学院が授与する学位の課題としては、カリキュラムにおける社会のスキルの面とアカデミックな面との調整である。体質としてアカデミックな要素を多分に含んでいる場合、学問としてのクオリティは追求できる反面、社会に対する新たな付加価値としての意義を損ないかねない。特に専門職大学院では法的に学位論文を課すものではないが、大学によっては学位論文を課している場合もある。在学期間中の集大成として論文を著すこと自体においては大きな意義は有するが、しかし、それが社会に互換性を有するのか、学位論文という形にしなければいけない理由はあるのか。そこは検討が必要である。大学院のカテゴリーや運営方針にもよるが、やはり大学院の論文の必要性についてもケースバイケースによって柔軟さが求められよう。一番の課題は学生と社会との関係性にあるといえる。専門職大学院に通学すること自体、負担、リスクは大きなものがともなう。ただ、最近の大学院人気で年々入学者が増加傾向にある。それだけに得られる知識・経験・スキル・人脈は魅力的であるということの証左でもあるが、学費も高く、そして負担もけして軽くない以上、専門職大学院という場自体が学生にとってはリスキーな場でもある。実務家として社会に出て行かなければならない人間に論文執筆は大きな負担でもある。中にはリサーチペーパーを論文の代替としているケースも多いが、終了における評価体系はより柔軟かつ学生のリスク、そして人材育成の可能性を殺さない、より有効なものとしていく必要もある。
クオリティを追求すれば、専門職大学院の教育も当然、厳しいものとなる。それ自体はよいことである。しかし、問題はそのバランスである。本来の目的とするところを追求していく上で、社会との需給関係、社会構造の改革に向けた広い視野を以って学生が将来的に期待できるところまで能力が達しているかという評価と、大学院の成績評価が果たして同一といえるのか。修了者のキャリアは依然、大きな保障はない。その点から一定の厳しい評価を課すこと自体は社会的信用にはつながるが、実務的な志向で入学した学生のニーズ、志向、リスクを反映したものかどうか。また、社会が求める資質として論文としての評価が重要なのか、あくまで実務経験かという議論はある。専門職学位の志向する分野が求める資質とのマッチングを最大限考慮しなければならないだろう。その上で論文を任意にしたり、共著で論文を書くことができたり、論文を課すか否かについては選択肢を検討することも不可欠であるし、これから専門職大学院を受ける志望者はあらかじめ大学院のスタイルや入学する上でのリスク、コストは把握しておく必要もある。専門職大学院という場は形式主義やアカデミックに走っていないかという批判は常につきまとう場合も多い。その点において、専門職大学院の将来においては、大学人(生え抜きの教授陣)の役割も重要だが、実務家教授の果たす役割・要素は大きな意義を持っており、そうした学と実の融合した真の専門職教育の場として、そして独立研究科として社会に根ざした試行錯誤が求められる。