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「モントレー・ポップ・フェスティバル」の版間の差分

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「Summer of Love」と呼ばれた[[ヒッピー]]・ムーブメントの真っ只中で行われ、20万人以上の観客を動員した。当時世界的には(あるいはアメリカでは)無名に近かった[[ジャニス・ジョプリン]]や[[ジミ・ヘンドリックス]]など、このフェスティバルで知名度と人気を得たミュージシャンも多い。
「Summer of Love」と呼ばれた[[ヒッピー]]・ムーブメントの真っ只中で行われ、20万人以上の観客を動員した。当時世界的には(あるいはアメリカでは)無名に近かった[[ジャニス・ジョプリン]]や[[ジミ・ヘンドリックス]]など、このフェスティバルで知名度と人気を得たミュージシャンも多い。


コンサートの模様は、[[D・A・ペネベイカー]]が監督してフィルム撮影され、様々な形で映像作品が発表されている。ジミ・ヘンドリックスと[[オーティス・レディング]]のステージだけを抜き出した映画『ライブ・アット・モンタレー ジミ・ヘン&オーティス』(邦題)などが有名<ref>[http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=10182 ジミ・ヘン&オーティス/ライブ・アット・モンタレー(1969)](allcinema ONLINE)</ref>。ただしカメラワークが稚拙で、重要な演奏シーンが撮影されていないなど、現在の目で見ると完成度が低いという意見もある。報道映像を除いて、フォーク、ロックの分野で、屋外収録によって多数のミュージシャン、グループを長時間に渡り撮らえたものでは初期の作品にあたり、後年公開された未公開映像の長時間の映像からは、技術的限界で粗い画像、不手際による録音失敗がみられ、また、予算の制約、撮影条件と扱いに不慣れな被写体に錯誤のなか収録した様子が見て取れる。
コンサートの模様は、[[D・A・ペネベイカー]]が監督してフィルム撮影され、1968年12月26日に『[[:en:Monterey Pop|Monterey Pop]]』にというタイトルで公開された。その他様々な形で映像作品が発表されている。ジミ・ヘンドリックスと[[オーティス・レディング]]のステージだけを抜き出した映画『ライブ・アット・モンタレー ジミ・ヘン&オーティス』(邦題)などが有名<ref>[http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=10182 ジミ・ヘン&オーティス/ライブ・アット・モンタレー(1969)](allcinema ONLINE)</ref>。ただしカメラワークが稚拙で、重要な演奏シーンが撮影されていないなど、現在の目で見ると完成度が低いという意見もある。報道映像を除いて、フォーク、ロックの分野で、屋外収録によって多数のミュージシャン、グループを長時間に渡り撮らえたものでは初期の作品にあたり、後年公開された未公開映像の長時間の映像からは、技術的限界で粗い画像、不手際による録音失敗がみられ、また、予算の制約、撮影条件と扱いに不慣れな被写体に錯誤のなか収録した様子が見て取れる。


[[アニマルズ|エリック・バードン&ジ・アニマルズ]]は、本フェスティバルを題材にした楽曲「Monterey」を1967年末に発表した。モンタレーは、その後の1969年の[[ウッドストック・フェスティバル|ウッドストック]]、70年の[[ワイト島音楽祭|ワイト島]]、71年のバングラデシュ救済、75年のSNACKコンサート、76年のラスト・ワルツ、79年のノー・ニュークスなどの大規模ロック・フェスティバルの先がけとなった。そういう意味でも歴史的なロック・フェステイバルだったといえる。
[[アニマルズ|エリック・バードン&ジ・アニマルズ]]は、本フェスティバルを題材にした楽曲「Monterey」を1967年末に発表した。モンタレーは、その後の1969年の[[ウッドストック・フェスティバル|ウッドストック]]、70年の[[ワイト島音楽祭|ワイト島]]、71年のバングラデシュ救済、75年のSNACKコンサート、76年のラスト・ワルツ、79年のノー・ニュークスなどの大規模ロック・フェスティバルの先がけとなった。そういう意味でも歴史的なロック・フェステイバルだったといえる。

2017年2月13日 (月) 09:55時点における版

モントレー(モンタレー)・ポップ・フェスティバルMonterey Pop Festival)は1967年6月16日から18日までの3日間、アメリカ合衆国カリフォルニア州モントレーモンタレー)で開かれた、ロックがメインで行われた大規模な野外コンサート

概要

30組以上のミュージシャンが出演し、今日のロック・フェスティバルの源流とされる。ただし出演者はロック系に限定されてはおらず、ジャズ系、フォーク系、民族音楽系などのミュージシャンも出演している。当時はロックミュージックの勃興期で、ポピュラーミュージックが現在のように細分化されていなかったためという論評がある。

コンサートのプロモーターのアラン・パリザーが1966年に行われたモントルー・ジャズ・フェスティバルを観て思いついたのが発端。そのアイデアをもとにママス&パパスのジョン・フィリップスと、彼らのアルバムのプロデューサーのルー・アドラーが中心となって開催された。

「Summer of Love」と呼ばれたヒッピー・ムーブメントの真っ只中で行われ、20万人以上の観客を動員した。当時世界的には(あるいはアメリカでは)無名に近かったジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックスなど、このフェスティバルで知名度と人気を得たミュージシャンも多い。

コンサートの模様は、D・A・ペネベイカーが監督してフィルム撮影され、1968年12月26日に『Monterey Pop』にというタイトルで公開された。その他様々な形で映像作品が発表されている。ジミ・ヘンドリックスとオーティス・レディングのステージだけを抜き出した映画『ライブ・アット・モンタレー ジミ・ヘン&オーティス』(邦題)などが有名[1]。ただしカメラワークが稚拙で、重要な演奏シーンが撮影されていないなど、現在の目で見ると完成度が低いという意見もある。報道映像を除いて、フォーク、ロックの分野で、屋外収録によって多数のミュージシャン、グループを長時間に渡り撮らえたものでは初期の作品にあたり、後年公開された未公開映像の長時間の映像からは、技術的限界で粗い画像、不手際による録音失敗がみられ、また、予算の制約、撮影条件と扱いに不慣れな被写体に錯誤のなか収録した様子が見て取れる。

エリック・バードン&ジ・アニマルズは、本フェスティバルを題材にした楽曲「Monterey」を1967年末に発表した。モンタレーは、その後の1969年のウッドストック、70年のワイト島、71年のバングラデシュ救済、75年のSNACKコンサート、76年のラスト・ワルツ、79年のノー・ニュークスなどの大規模ロック・フェスティバルの先がけとなった。そういう意味でも歴史的なロック・フェステイバルだったといえる。

出演者

6月16日(金)夜の部

6月17日(土)昼の部

6月17日(土)夜の部

6月18日(日)昼の部

6月18日(日)夜の部

注釈

  1. ^ ジミ・ヘン&オーティス/ライブ・アット・モンタレー(1969)(allcinema ONLINE)

外部リンク

関連項目