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反グローバリゼーションは必ずしも統一された[[イデオロギー|理念]]や運動ではなく、[[グローバル資本主義]]に反抗する様々な理念や社会運動を包括した呼称である。こうした理念や運動は、環境・開発などの[[非政府組織|NGO]]や学生・労働者・農業団体などから幅広く支持を集めている。 |
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反グローバリゼーションは必ずしも統一された[[イデオロギー|理念]]や運動ではなく、[[グローバル資本主義]]に反抗する様々な理念や社会運動を包括した呼称である。参加者の国籍は多様である。経済学者の[[ジャグディーシュ・バグワティー]]は、その社会層についても、新興国・途上国から低価格の商品が入ることで雇用が脅かされると懸念する先進国の[[労働組合]]関係者、グローバル化が地球環境を破壊すると主張する人々、グローバル化によって途上国の[[労働者]]が搾取されていると主張する人々、[[市場経済]]にそもそも反対な[[共産主義者]]など、さまざまなバックグラウンドをもっていると指摘している<ref>[http://diamond.jp/articles/-/41346 伊藤元重の新・日本経済「創造的破壊」論 TPP反対論に決定的に欠けている「マクロ」の視点]ダイヤモンド・オンライン 2013年9月9日</ref>。経済学者[[ジョセフ・E・スティグリッツ]]は実態を分析して、彼らはグローバリゼーションの必要性を認めた上で、[[G8]]・[[WTO]]合意など[[ワシントン・コンセンサス]]に対する反対を示すものと見ている<ref>『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』 p313と、「[[ル・モンド・ディプロマティーク]]」編集長[[イグナシオ・ラモネ]]の2003年5月号巻頭言。</ref>。彼によると[[ガラパゴス化]]は杞憂である。実際、参加者はラウンドや二国間条約の特定条項を問題にしている。反グローバリゼーションの参加者には、催涙ガスを浴びながら座り込みに徹するような穏健な者と、覆面をして新聞入れや店舗を破壊して回る者がおり、行動は完全にまちまちである。警察の捜査と各種メディアの調査で過激派をふくむ参加者への直接インタビューがなされ[[YouTube]]で公開されるほどの現状にかかわらず、マスコミでは一向に共謀や連携の実態が分析される気配がない。反グローバリゼーションの烙印を押されたグループはしばしば自身に対する呼称を否定しており、その代わりに"Global Justice Movement" や"Movement of Movements"、または「下からのグローバリゼーション」といった用語を用いている。アメリカでは[[三色同盟]]として[[ステレオタイプ]]化されることもある。 |
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反グローバリゼーションの嚆矢になった出来事は、[[1999年]][[11月30日]]~[[12月2日]]に[[シアトル]]で開かれた[[第3回世界貿易機関閣僚会議|WTO総会]]反対デモである。この時期は、他にも[[2000年]][[4月15日]]~[[4月16日]]の[[国際通貨基金|IMF]]年次総会反対デモなど、ワシントンD.C.の世界機関が主導するグローバリゼーションに抗議するデモが特徴である。 |
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グローバリゼーションも反グローバリゼーションも、経済の地球規模化を議論するものである。しかしこれらの用語は[[国際金融市場]]の沿革において、歴史家が用語の素地である要点を見過ごしてきたきらいがある。[[マネーゲーム]]による[[ブラック・マンデー]]は、議論の起点として遅すぎる。そもそも国際金融市場の成立こそグローバリゼーションの原点である。その弊害は[[第一次世界大戦]]を経験した時代人が分析するところとなった。バルカン諸国は戦前からグローバル化により財政主権を剥奪されていた。[[ナショナリズム]]の勃興は性質として明らかに反グローバリゼーションであったが、戦後[[ヴェルサイユ体制]]と[[民族自決]]の実現により[[ウクライナ]]分割に収斂された。1919年1月には合衆国でゼネストが巻き起こり、ドイツでは[[ローザ・ルクセンブルク]]が殺害された。彼女は国際金融市場の動向について詳細を著し、反グローバリゼーションに根拠を与えた。彼女自身は特に反グローバリゼーションを主張しなかった。所属する[[ドイツ社会民主党]]の方針であろう。[[ドイツ帝国]]は20世紀初頭から米国資本の虜となっていた。1907年の[[第二インターナショナル]]はドイツ社会民主党の主催で表向き反戦の立場をとったが、その会場は[[ロスチャイルド家]]の支配してきた[[ヴュルテンベルク王国]]のシュトゥットガルトであった。世界大戦が迫ると、彼女のドイツ社会民主党は、[[外債]]に依存して重税を避けた軍備拡張予算に賛成したのである。[[戦間期]]は世界各地で乱開発が行われ[[世界恐慌]]がおこった。[[ヤング案]]はグローバリゼーションを加速させた。この後、[[アメリカ合衆国の経済史#世界恐慌: 1929年-1941年|ペコラ委員会]]と[[ナイ委員会]]が[[JPモルガン]]など国際金融市場の不正を暴いた。両委員会による調査はグローバリゼーションに反対する報告結果を提出した。ここに反グローバリゼーションは限られたインテリの業績として始まり、世界各地で共有されたのである。反グローバリゼーションは合衆国でがなり声を上げたが、欧州各国の政治に対しては無力であった。ローザの故郷[[ポーランド]]は1935年に憲法が[[ファシズム]]を採用し、[[ド・ゴール]]の先駆であるかのような大統領権限を与えた。 |
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[[2008年]]秋の[[世界金融危機 (2007年-)|世界同時不況]]でグローバル資本主義が臨界点に達し、[[2010年代]]後半には自由貿易など地球規模(グローバル)の枠組みや移民受入れを拒否し、自国第一(ドメスティック)を主張する風潮が表面化した。[[2016年]][[6月24日]]、イギリスでは[[イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票|欧州連合からの離脱の是非を問う国民投票]]が行われ、移民流入制限などを唱えた離脱派が勝利した(ブレグジット)。[[2016年アメリカ合衆国大統領選挙]]で勝利した[[ドナルド・トランプ]]も、[[環太平洋連携協定]](TPP)などの枠組みを拒否し、米国第一を掲げる[[保護主義]]的政策を打ち出した結果、グローバル化を嫌悪する有権者の投票を集めた。 |
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== 反独占 == |
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デモとしての反グローバリゼーションは、[[マハトマ・ガンディー]]の非暴力・非服従運動に始まった。生き馬の目を抜く[[南アフリカ共和国]]で下積みをしたインド人法律家は、[[デビアス]]のような英国資本を切り口として、国際金融市場を見透かすまで研究していた。仲間が英軍に虐殺されても運動は続けられた。軍費を発生せず、インドはドイツの轍をよけた。それでも英国資本が財政に干渉して[[パキスタン]]を切り離した。[[インド準備銀行]]は国内に投下されている外資を全国調査した。[[世界銀行]]が[[タタ財閥]]を支援していることなどが分かった。1953年以来、本格的な調査は行われていない。インドは食品でこそ[[保護主義]]を通したが、それも1969年で挫折した。[[ベクテル]]と[[ゼネラル・エレクトリック]]がタラプールに[[原子力発電所]]を竣工したのである。この原発は従業員の被爆に全く無頓着であった。 |
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しかしながら、反[[グローバリゼーション]]の烙印を押されたグループはしばしばこれを否定しており、その代わりに"Global Justice Movement" や"Movement of Movements"、または「下からのグローバリゼーション」といった用語を用いている。また、特に[[フランス]]では「もう一つの世界を志向する人たち」という意味で"Altermondialiste"(アルテルモンディアリステ、彼らの理念や行動はAltermondialisme―[[アルテルモンディアリスム]])という用語も頻繁に使われる。 |
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アメリカ資本は[[西ドイツ]]を通してインドへ工業製品を輸出していた。彼らの[[独占]]はヤング案の時分と相変わらずであった。[[ブレトンウッズ協定]]は内憂外患で揺れた([[赤狩り]]と[[CFAフラン]])。その間に大銀行が[[投資信託]]を[[反トラスト法]]の脱法に利用して勢力を拡大した。それをライト・パットマン([[:en:Wright Patman|Wright Patman]])が問題とするより早く、脱法が[[ファンド・オブ・ファンズ]]という形でグローバル化した。インフレした[[ユーロダラー]]が世界各国の政治を左右し、これに反応して反戦運動や[[学生運動]]が流行した。運動は特に反グローバリゼーションを標榜しなかったが、それが対抗した各国の政治はグローバリゼーションの結果であった。ブレトンウッズ体制が崩壊し[[管理通貨制度]]が世界各国で採用された。資金がバブルと[[ジャンクボンド]]と世界各国の公債へ向かった。世界のあらゆるものが銘柄として差別化されるようになった。[[ブラックマンデー]]や[[LTCM]]破綻といった事件がインテリの詮索に貢献した。 |
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== 活動 == |
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[[1990年代]]以降、国際会議の開催地に結集し、集会や[[デモンストレーション]]などを行い[[グローバル化]](globalization)に反対する<ref>警察庁 2010年APECの成功に向けて [http://www.npa.go.jp/archive/keibi/biki/apec/text/p03-1.html 反グローバリズムを掲げる過激な勢力の脅威] 活動が列挙されている。活動の背景や動機は書かれていない。</ref>。反グローバリズム運動が広く注目されるようになったきっかけは、[[1999年]]に[[シアトル]]で開催されたWTO閣僚会議([[第3回世界貿易機関閣僚会議]])の際に、[[人間の鎖]]による会場包囲で開会式が中止となり、約5万人が参加したデモの最中に一部暴徒化した参加者が商店を破壊し警察と衝突したことにより緊急事態宣言が出され、これが主要メディアで報道されたことによる<ref>[https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten275/pdf/P08-P11.pdf 反グローバリズムを掲げる団体による過激な行動]北海道洞爺湖サミット開催成功に向けて、警察庁、2007年12月</ref>。 |
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[[1999年]][[11月30日]]~[[12月2日]]に[[シアトル]]で開かれた[[第3回世界貿易機関閣僚会議|WTO総会]]に反対する[[人間の鎖|大規模なデモ]]が以降のラウンド交渉を挫折させたので、後に反グローバリゼーションの嚆矢とされるようになった<ref>[https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten275/pdf/P08-P11.pdf 反グローバリズムを掲げる団体による過激な行動]北海道洞爺湖サミット開催成功に向けて、警察庁、2007年12月</ref>。この時期は、他にも[[2000年]][[4月15日]]~[[4月16日]]の[[国際通貨基金|IMF]]年次総会反対デモなどが展開され、ワシントンD.C.の世界機関が主導するグローバリゼーションに抗議した。グローバリゼーションは二国間の[[自由貿易協定]]と[[経済連携協定]]を活用して妨害を回避する方針をとった。理論も[[アルテルモンディアリスム]]として合理化された。アジア各国でも散発的に反対デモが起こった<ref>警察庁 2010年APECの成功に向けて [http://www.npa.go.jp/archive/keibi/biki/apec/text/p03-1.html 反グローバリズムを掲げる過激な勢力の脅威] リンク切れ。</ref>。[[米韓自由貿易協定]]は追加交渉も含めると5年以上も攻撃対象となった。 |
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== 識者の見解 == |
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[[経済学者]]の[[伊藤元重]]は「グローバル化の動きが、世界の[[経済成長]]に大きな貢献をしたことは否定できない事実であるが、一方で国家間の格差を広げ、地球環境悪化の原因にもなっているという厳しい批判が出ている。批判は途上国の政府だけでなく、先進国のNPOのような[[市民団体]]も反グローバル化活動の中心となっている」と指摘している<ref>伊藤元重 『はじめての経済学〈上〉』 日本経済新聞出版社〈日経文庫〉、2004年、27頁。</ref>。 |
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経済学者の[[ジャグディーシュ・バグワティー]]は、反グローバル化運動の参加者たちは、新興国・途上国から低価格の商品が入ることで雇用が脅かされると懸念する先進国の[[労働組合]]関係者、グローバル化が地球環境を破壊すると主張する人々、グローバル化によって途上国の[[労働者]]が搾取されていると主張する人々、[[市場経済]]にそもそも反対な[[共産主義者]]など、さまざまなバックグラウンドをもっていると指摘している<ref>[http://diamond.jp/articles/-/41346 伊藤元重の新・日本経済「創造的破壊」論 TPP反対論に決定的に欠けている「マクロ」の視点]ダイヤモンド・オンライン 2013年9月9日</ref>。 |
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経済学者の[[ジョセフ・E・スティグリッツ]]は、グローバリゼーションの必要性は認めた上、反グローバリゼーションはむしろ[[G8]]・[[WTO]]合意など[[ワシントン・コンセンサス]]に対する反対を示すものと見ている<ref>『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』 p313、また「[[ル・モンド・ディプロマティーク]]」編集長[[イグナシオ・ラモネ]]の2003年5月号巻頭言より。</ref>。 |
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[[2010年代]]前半には[[LIBOR]]を一例とする国際金融市場の様々な不正が報道されるようになり、ヨーロッパ中で反グローバリゼーションが巻き起こって参加者が血を流した。2010年代後半は南米諸国の[[ポピュリズム]]が、自由貿易や移民受入れを拒否するなど、自国第一(ドメスティック)を主張した。[[2016年]][[6月24日]]、イギリスでは[[イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票|欧州連合からの離脱の是非を問う国民投票]]が行われ、移民流入制限などを唱えた離脱派が勝利した(ブレグジット)。[[2016年アメリカ合衆国大統領選挙]]で勝利した[[ドナルド・トランプ]]も南米・中東諸国に対しドメスティック政策を打ち出した。そして[[環太平洋連携協定]](TPP)も拒否したので保護主義という筋を通すかに見えた。しかしこれは[[1MDB]]スキャンダルをめぐる反グローバリゼーションが落ち着くまでのことであって、2018年初頭に早くもTPP復帰が検討されている。[[三橋貴明]]は一概に「自由」「保護」と区分できるわけではなく、ある国が置かれた環境も考慮すべきと述べている<ref>[http://www.gci-klug.jp/mitsuhashi/2011/05/26/012802.php 三橋貴明の「もう経済記事にはだまされない!」 第103回 自由貿易と経済成長(3/3)]Klugクルーク 2011年5月26日</ref>。[[南北問題]]を考えれば、南米と北米のドメスティック政策を同列には議論できない。そしてアメリカの国際金融資本は、TPP不参加のままでも太平洋の領土・[[ミューチュアル・ファンド|ファンド]]を駆使してグローバリゼーションを推進することができる。 |
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[[三橋貴明]]は一概に「自由」「保護」と区分できるわけではなく、ある国が置かれた環境も考慮すべきと述べている<ref>[http://www.gci-klug.jp/mitsuhashi/2011/05/26/012802.php 三橋貴明の「もう経済記事にはだまされない!」 第103回 自由貿易と経済成長(3/3)]Klugクルーク 2011年5月26日</ref>。 |
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<!--(反グローバリゼーションの主張とかみあった反論や論拠がない。そもそも節を設けるまでもなく「グローバリゼーション」の項目に書けば良い。)== 反論 == |
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=== 思想 === |
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⚫ | [[経済学]]者の[[野口旭]]は「反グローバリズム派によるグローバリズム批判は、国内経済・地域経済の自律性を確保すべきという性質を持っている<ref>野口旭 『グローバル経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2007年、44頁。</ref>」「世界中の根強い『反グローバリズム』の根底にあるのは、自国の経済が貿易という捉えどころの無いものによって変えられていく嫌悪感なのかもしれない<ref>野口旭 『ゼロからわかる経済の基礎』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、204頁。</ref>」「グローバル化それ自体への感情的な反発は、ある種の排外主義と言わざるを得ない<ref name="keizaironsen319">野口旭 『経済論戦―いまここにある危機の虚像と実像』 日本評論社、2003年、319頁。</ref>」と指摘している。 |
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野口は「グローバル化の中で、[[比較劣位]]の産業が厳しい構造調整を強いられてきた。絶えざる構造調整のしわ寄せを受け続けてきた労働者・農業生産者がグローバリゼーションを制限することで苦痛から逃れたいと運動することは、当事者にとっては当然の行動である」と指摘している<ref>野口旭 『グローバル経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2007年、42頁。</ref>。 |
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⚫ | [[中野剛志]]は、[[リーマンショック]]による世界同時不況で[[ユーロ]]バブルが崩壊すると、[[ギリシャ]]の[[デフォルト (金融)|デフォルト]]問題が生じたが、EUは財政的に統合されていないため、ドイツなどの財政上余裕がある国の判断でデフォルトの救済が決定した<ref>中野剛志・柴山桂太 『グローバル恐慌の真相』 127頁。</ref>。その際にドイツ国民がギリシャ救済に拒否感を示したことについて、グローバル化にナショナリズムや民主主義が抵抗している構図であったと述べている。また、[[ブリュッセル]]に集まる[[ヨーロッパ]]のエリートには[[コスモポリタン]]の伝統があり、グローバル化を推進したが、[[民主主義]]主体である一般層にはその国の文化や伝統に密接に関っており、そう簡単に国境を越えられず、[[フランス]]の農家・[[ジョゼ・ボヴェ]]の例を出し、民主主義の民主的な声というのはアンチグローバル化であるとしている<ref>中野剛志・柴山桂太 『グローバル恐慌の真相』 127、130-132頁。</ref>。 |
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<!--又、経済学者の[[エマニュエル・トッド]]は、以下のように主張する。「ビジネスに放縦(無制限の自由、やりたい放題)さえ与えれば、富も雇用も創出され、最大限の成長があると信じられて来たが、それは偽だった。冷戦後のグローバル経済は国による規制を敵視しているが、実はアメリカにしても日本にしても、国による産業保護という規制が経済成長を生んだ。資本主義市場は、国などのルールによってしっかりと統治されて、初めて機能する。」<ref>エマニュエル・トッド『グローバリズムが世界を滅ぼす』 頁</ref>--> |
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野口旭は「グローバリゼーションの波はいくつか残っている『閉じられた社会』にも、二十一世紀の早い段階に必ず及んでくる。[[カール・マルクス|マルクス]]はかつて、その過程を『資本の[[文明開化]]作用』と呼んだ。行うべきは、その作用を阻碍するのではなく、むしろ推進することである」と指摘している<ref name="keizaironsen319"/>。 |
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* [[アルテルモンディアリスム]] |
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* [[モンロー主義]] - アメリカでは戦間期まで孤立主義が主張されていた。 |
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* [[ガラパゴス化]] |
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* [[アジア・モンロー主義]] - [[金解禁]]で国際金融市場に冷遇されたことをきっかけに採用された。 |
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* [[モンロー主義]] - [[アジア・モンロー主義]] |
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* [[鎖国]] - [[海舶互市新例]]は[[金銀比価]]のグローバル化を止められず、[[幕末の通貨問題|幕末に通貨問題を持ちこした]]。 |
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* [[鎖国]] |
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* [[三色同盟]] |
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* [[サパティスタ国民解放軍]] - 1994年1月1日の[[北米自由貿易協定|NAFTA]]発効に際して、NAFTAはメキシコの農民や、インディオを著しく貧困化させる協定であったため、反グローバリゼーションを掲げて蜂起した。 |
* [[サパティスタ国民解放軍]] - 1994年1月1日の[[北米自由貿易協定|NAFTA]]発効に際して、NAFTAはメキシコの農民や、インディオを著しく貧困化させる協定であったため、反グローバリゼーションを掲げて蜂起した。 |
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* [[エマニュエル・トッド]] - 2014年に『グローバリズムが世界を滅ぼす』を共著で出版した経済学者。 |
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2018年1月31日 (水) 13:50時点における版
反グローバリゼーション(はんグローバリゼーション、英: Anti-globalization)または反グローバリズム(英: Anti-globalism)は、グローバリゼーションに反抗する主張や運動などを指す呼称。
概要
反グローバリゼーションは必ずしも統一された理念や運動ではなく、グローバル資本主義に反抗する様々な理念や社会運動を包括した呼称である。こうした理念や運動は、環境・開発などのNGOや学生・労働者・農業団体などから幅広く支持を集めている。
反グローバリゼーションの嚆矢になった出来事は、1999年11月30日~12月2日にシアトルで開かれたWTO総会反対デモである。この時期は、他にも2000年4月15日~4月16日のIMF年次総会反対デモなど、ワシントンD.C.の世界機関が主導するグローバリゼーションに抗議するデモが特徴である。
2008年秋の世界同時不況でグローバル資本主義が臨界点に達し、2010年代後半には自由貿易など地球規模(グローバル)の枠組みや移民受入れを拒否し、自国第一(ドメスティック)を主張する風潮が表面化した。2016年6月24日、イギリスでは欧州連合からの離脱の是非を問う国民投票が行われ、移民流入制限などを唱えた離脱派が勝利した(ブレグジット)。2016年アメリカ合衆国大統領選挙で勝利したドナルド・トランプも、環太平洋連携協定(TPP)などの枠組みを拒否し、米国第一を掲げる保護主義的政策を打ち出した結果、グローバル化を嫌悪する有権者の投票を集めた。
しかしながら、反グローバリゼーションの烙印を押されたグループはしばしばこれを否定しており、その代わりに"Global Justice Movement" や"Movement of Movements"、または「下からのグローバリゼーション」といった用語を用いている。また、特にフランスでは「もう一つの世界を志向する人たち」という意味で"Altermondialiste"(アルテルモンディアリステ、彼らの理念や行動はAltermondialisme―アルテルモンディアリスム)という用語も頻繁に使われる。
活動
1990年代以降、国際会議の開催地に結集し、集会やデモンストレーションなどを行いグローバル化(globalization)に反対する[1]。反グローバリズム運動が広く注目されるようになったきっかけは、1999年にシアトルで開催されたWTO閣僚会議(第3回世界貿易機関閣僚会議)の際に、人間の鎖による会場包囲で開会式が中止となり、約5万人が参加したデモの最中に一部暴徒化した参加者が商店を破壊し警察と衝突したことにより緊急事態宣言が出され、これが主要メディアで報道されたことによる[2]。
識者の見解
特徴
経済学者の伊藤元重は「グローバル化の動きが、世界の経済成長に大きな貢献をしたことは否定できない事実であるが、一方で国家間の格差を広げ、地球環境悪化の原因にもなっているという厳しい批判が出ている。批判は途上国の政府だけでなく、先進国のNPOのような市民団体も反グローバル化活動の中心となっている」と指摘している[3]。
経済学者のジャグディーシュ・バグワティーは、反グローバル化運動の参加者たちは、新興国・途上国から低価格の商品が入ることで雇用が脅かされると懸念する先進国の労働組合関係者、グローバル化が地球環境を破壊すると主張する人々、グローバル化によって途上国の労働者が搾取されていると主張する人々、市場経済にそもそも反対な共産主義者など、さまざまなバックグラウンドをもっていると指摘している[4]。
経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは、グローバリゼーションの必要性は認めた上、反グローバリゼーションはむしろG8・WTO合意などワシントン・コンセンサスに対する反対を示すものと見ている[5]。
三橋貴明は一概に「自由」「保護」と区分できるわけではなく、ある国が置かれた環境も考慮すべきと述べている[6]。
思想
経済学者の野口旭は「反グローバリズム派によるグローバリズム批判は、国内経済・地域経済の自律性を確保すべきという性質を持っている[7]」「世界中の根強い『反グローバリズム』の根底にあるのは、自国の経済が貿易という捉えどころの無いものによって変えられていく嫌悪感なのかもしれない[8]」「グローバル化それ自体への感情的な反発は、ある種の排外主義と言わざるを得ない[9]」と指摘している。
野口は「グローバル化の中で、比較劣位の産業が厳しい構造調整を強いられてきた。絶えざる構造調整のしわ寄せを受け続けてきた労働者・農業生産者がグローバリゼーションを制限することで苦痛から逃れたいと運動することは、当事者にとっては当然の行動である」と指摘している[10]。
中野剛志は、リーマンショックによる世界同時不況でユーロバブルが崩壊すると、ギリシャのデフォルト問題が生じたが、EUは財政的に統合されていないため、ドイツなどの財政上余裕がある国の判断でデフォルトの救済が決定した[11]。その際にドイツ国民がギリシャ救済に拒否感を示したことについて、グローバル化にナショナリズムや民主主義が抵抗している構図であったと述べている。また、ブリュッセルに集まるヨーロッパのエリートにはコスモポリタンの伝統があり、グローバル化を推進したが、民主主義主体である一般層にはその国の文化や伝統に密接に関っており、そう簡単に国境を越えられず、フランスの農家・ジョゼ・ボヴェの例を出し、民主主義の民主的な声というのはアンチグローバル化であるとしている[12]。
反論
野口旭は「グローバリゼーションの波はいくつか残っている『閉じられた社会』にも、二十一世紀の早い段階に必ず及んでくる。マルクスはかつて、その過程を『資本の文明開化作用』と呼んだ。行うべきは、その作用を阻碍するのではなく、むしろ推進することである」と指摘している[9]。
経済学者の八代尚宏は、「若者の雇用機会減少や賃金格差の拡大を改善するためには、政治的圧力のみならず、市場の活用を推進するべきである。世界的に貿易が拡大する中で、労働生産性・賃金の差の拡大が生じている。反グローバリズムを唱えても、世界の潮流から取り残されじり貧になるだけである」と指摘している[13]。
脚注
- ^ 警察庁 2010年APECの成功に向けて 反グローバリズムを掲げる過激な勢力の脅威 活動が列挙されている。活動の背景や動機は書かれていない。
- ^ 反グローバリズムを掲げる団体による過激な行動北海道洞爺湖サミット開催成功に向けて、警察庁、2007年12月
- ^ 伊藤元重 『はじめての経済学〈上〉』 日本経済新聞出版社〈日経文庫〉、2004年、27頁。
- ^ 伊藤元重の新・日本経済「創造的破壊」論 TPP反対論に決定的に欠けている「マクロ」の視点ダイヤモンド・オンライン 2013年9月9日
- ^ 『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』 p313、また「ル・モンド・ディプロマティーク」編集長イグナシオ・ラモネの2003年5月号巻頭言より。
- ^ 三橋貴明の「もう経済記事にはだまされない!」 第103回 自由貿易と経済成長(3/3)Klugクルーク 2011年5月26日
- ^ 野口旭 『グローバル経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2007年、44頁。
- ^ 野口旭 『ゼロからわかる経済の基礎』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、204頁。
- ^ a b 野口旭 『経済論戦―いまここにある危機の虚像と実像』 日本評論社、2003年、319頁。
- ^ 野口旭 『グローバル経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2007年、42頁。
- ^ 中野剛志・柴山桂太 『グローバル恐慌の真相』 127頁。
- ^ 中野剛志・柴山桂太 『グローバル恐慌の真相』 127、130-132頁。
- ^ 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、66頁。
関連項目
- アルテルモンディアリスム
- ガラパゴス化
- モンロー主義 - アジア・モンロー主義
- 鎖国
- 三色同盟
- ダーウィンの悪夢 - グローバリズムの悪夢を描いた2004年のドキュメンタリー映画。
- サパティスタ国民解放軍 - 1994年1月1日のNAFTA発効に際して、NAFTAはメキシコの農民や、インディオを著しく貧困化させる協定であったため、反グローバリゼーションを掲げて蜂起した。