「霞ヶ丘町」の版間の差分
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町域南西部には、かつて都営霞ヶ丘アパート(霞ヶ丘団地)があり、かつての当町の[[居住]][[人口]]はほぼ全て同[[アパート]]の[[住民]]であった。[[1946年]]に100戸の[[都営住宅]]として長屋形式で建てられ、[[1964年]]の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]に際して1960年代に建て替えられた(10棟300戸)<ref>[http://kasumigaoka2020.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html 都営霞ヶ丘アパートの歴史と移転強制の経緯] 霞ヶ丘アパートを考える会</ref>。多くはオリンピック前からの霞ヶ丘の住民で、開催にあわせて立ち退き、このアパートに入居となったという<ref>[http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/414189/ 立ち退き問題難航 五輪のための転居に反発] - 東スポ、2015年6月24日</ref>。[[新国立競技場]]建設の敷地拡張によって、取り壊しとなり、霞ヶ丘町町会も[[2016年]]1月31日付けで解散となった。元は兵舎があった土地で、馬小屋も[[戦争]]で被害に遭い、[[馬頭観音]]だけが残っているという<ref>[http://hangorin.tumblr.com/post/79559426423/都営霞ヶ丘アパート住民jさんが語る霞ヶ丘町での暮らし前編 都営霞ヶ丘アパート住民Jさんが語る「霞ヶ丘町での暮らし」(前編)] 反五輪の会 NO OLYMPICS 2020</ref>。 |
町域南西部には、かつて都営霞ヶ丘アパート(霞ヶ丘団地)があり、かつての当町の[[居住]][[人口]]はほぼ全て同[[アパート]]の[[住民]]であった。[[1946年]]に100戸の[[都営住宅]]として長屋形式で建てられ、[[1964年]]の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]に際して1960年代に建て替えられた(10棟300戸)<ref>[http://kasumigaoka2020.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html 都営霞ヶ丘アパートの歴史と移転強制の経緯] 霞ヶ丘アパートを考える会</ref>。多くはオリンピック前からの霞ヶ丘の住民で、開催にあわせて立ち退き、このアパートに入居となったという<ref>[http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/414189/ 立ち退き問題難航 五輪のための転居に反発] - 東スポ、2015年6月24日</ref>。[[新国立競技場]]建設の敷地拡張によって、取り壊しとなり、霞ヶ丘町町会も[[2016年]]1月31日付けで解散となった。元は兵舎があった土地で、馬小屋も[[戦争]]で被害に遭い、[[馬頭観音]]だけが残っているという<ref>[http://hangorin.tumblr.com/post/79559426423/都営霞ヶ丘アパート住民jさんが語る霞ヶ丘町での暮らし前編 都営霞ヶ丘アパート住民Jさんが語る「霞ヶ丘町での暮らし」(前編)] 反五輪の会 NO OLYMPICS 2020</ref>。 |
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跡地は[[2020年]]に明治公園として開園する予定となっている。 |
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敷地の一部が霞ヶ丘町の[[外苑ハイツ]]も解体され、高級マンションの「THE COURT 神宮外苑」に建て替えられている。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
2018年12月5日 (水) 10:11時点における版
霞ヶ丘町 | |
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日本青年館 | |
北緯35度40分48.6秒 東経139度42分52.66秒 / 北緯35.680167度 東経139.7146278度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 新宿区 |
人口 | |
• 合計 | 2人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
160-0013[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
霞ヶ丘町(かすみがおかまち)は、東京都新宿区にある地名・町名。住居表示実施済み地域で、「丁目」の設定がない単独町名である。郵便番号は160-0013[2]。
地理
新宿区の最南部に位置し、明治神宮外苑が町域の大部分を占める。町域北部はJR中央線の線路を挟んで新宿区大京町及び信濃町に接し、北東部は、新宿区南元町に接する。町域の東及び南は神宮外苑内に港区との区境があり、港区北青山に接している。町域の西部は、渋谷区神宮前及び千駄ヶ谷に接する。
町域の主要部分を明治神宮外苑と都立明治公園が占め、明治神宮外苑内の国立霞ヶ丘競技場、明治神宮野球場、聖徳記念絵画館などが当町域に属する。ただし明治神宮外苑のうち、南部の秩父宮ラグビー場や銀杏並木付近などは港区北青山に属する。
町域南西部には、かつて都営霞ヶ丘アパート(霞ヶ丘団地)があり、かつての当町の居住人口はほぼ全て同アパートの住民であった。1946年に100戸の都営住宅として長屋形式で建てられ、1964年の東京オリンピックに際して1960年代に建て替えられた(10棟300戸)[4]。多くはオリンピック前からの霞ヶ丘の住民で、開催にあわせて立ち退き、このアパートに入居となったという[5]。新国立競技場建設の敷地拡張によって、取り壊しとなり、霞ヶ丘町町会も2016年1月31日付けで解散となった。元は兵舎があった土地で、馬小屋も戦争で被害に遭い、馬頭観音だけが残っているという[6]。
跡地は2020年に明治公園として開園する予定となっている。
敷地の一部が霞ヶ丘町の外苑ハイツも解体され、高級マンションの「THE COURT 神宮外苑」に建て替えられている。
歴史
かつては「霞岳町」(読みは同じく「かすみがおかまち」)という表記であったが、2003年に住居表示が実施され、旧・霞岳町のほぼ全域が霞ヶ丘町となった。現在は信濃町駅前の交番付近のごく一部の区画が住居表示未実施で、旧名の「霞岳町」が残っている。
町名の変遷
- 江戸時代 - 千駄ヶ谷町、千駄ヶ谷甲賀町
- 1872年5月 - 千駄ヶ谷町が千駄ヶ谷一丁目~三丁目となる。(当町域は千駄ヶ谷一丁目になる。)
- 1878年11月 - 郡区町村編制法施行により四谷区に属する。
- 1879年4月 - 千駄ヶ谷一丁目、千駄ヶ谷甲賀町が南豊島郡千駄ヶ谷村に編入され消滅、字霞岳・川向・甲賀町となる。
- 1889年5月 - 市制施行による東京市四谷区の発足と同時に千駄ヶ谷村字霞岳・川向・甲賀町は四谷区に編入され、四谷霞岳町となる。
- 1911年5月 - 四谷霞岳町から霞岳町に改称。
- 2003年9月 - 住居表示実施、霞岳町のほぼ全域と南元町の一部が霞ヶ丘町となる。なお、当該住居表示実施後は、四谷警察署信濃町交番(霞岳町無番地)の所在地のみが「霞岳町」として残存している。
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 新宿区立四谷第六小学校 | 新宿区立四谷中学校 |
交通
鉄道駅として都営地下鉄大江戸線の国立競技場駅、および中央・総武緩行線の信濃町駅と千駄ケ谷駅が利用可能である。
主な施設
- 明治神宮外苑
- 日本青年館
- 都立明治公園
- 都営霞ヶ丘アパート
脚注
- ^ “住民基本台帳人口 町丁別世帯数及び男女別人口”. 新宿区 (2017年12月1日). 2017年12月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
- ^ 都営霞ヶ丘アパートの歴史と移転強制の経緯 霞ヶ丘アパートを考える会
- ^ 立ち退き問題難航 五輪のための転居に反発 - 東スポ、2015年6月24日
- ^ 都営霞ヶ丘アパート住民Jさんが語る「霞ヶ丘町での暮らし」(前編) 反五輪の会 NO OLYMPICS 2020
- ^ “通学区域”. 新宿区 (2017年9月19日). 2017年12月22日閲覧。