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春夏連覇、夏春連覇は[[高校野球#エピソード|高校野球]]を参照されたい。
春夏連覇、夏春連覇は[[高校野球#エピソード|高校野球]]を参照されたい。

===表彰式の演奏曲===
夏はスタンダードな「見よ、勇者は帰る」([[ヘンデル]]作曲)が使用されるが、春は別の曲(大会オリジナルの演奏曲か?)が用いられる。


==各種記録==
==各種記録==

2006年8月21日 (月) 11:44時点における版

選抜高等学校野球大会(せんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、例年3月下旬から4月にかけて兵庫県西宮市阪神甲子園球場で行われる高校野球の大会。センバツと略されることもある。通称「の(高校野球)大会」「春の甲子園」とも。英文名称はNational High School Baseball Invitational Tournament。主催は毎日新聞社財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)。優勝は紫紺。 5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施されている。

概要

出場校の選抜

出場校は、選考委員会によって定められる。一般に、新チームで臨む最初の公式大会(実質的な新人トーナメント戦)となる秋季各都道府県大会・地域大会(全国10ブロック)がこの大会出場校・並びに補欠校の選考資料となる。そのため、夏の高校野球とは違い、出場校が1校もない都道府県も毎回生じる(現時点出場校が最大32校と定めているから)。また、同一府県から2校出る事もあるのが夏の大会と違う点の一つでもある。なお、東京都北海道は1つのブロックに定められているため確実1校選出する。

出場校決定後に組み合わせ抽選会を行い、トーナメント方式で頂点を決める。

通常枠

基本的には秋季大会の成績に、地域性を考慮して決定。ここで出場28校と補欠(各地区につき1~2チーム程度)を選出。

21世紀枠

第73回大会(2001年)から設けられる。部員不足などの困難を克服したチームや、他校の模範となるチームを選出。各ブロックから1校ずつ出してもらい、その中で2校(東日本・西日本各1校)を選出。なお、21世紀枠の推薦は基本的に各都道府県の秋季新人大会のベスト8(参加校数が128校を上回る都道府県はベスト16)以上のチーム。

明治神宮枠・希望枠

第75回大会(2003年)から設けられる。明治神宮枠は11月の明治神宮大会で優勝した地区に与えられ、この地域の通常枠が1つ増えるかたちとなる。この枠ができ、通常枠の1都道府県2校までが確定した。

希望枠は明治神宮枠以外の地区の補欠校(補欠チームが複数ある地域は補欠出場順位第1位の学校を対象)の中から、データを比較の上、守備力に長けているチームを1校選出。

1日に割り当てる試合数

  • 1日の試合数は以前は最大4試合で、1994年までは2日目-4日目(1回戦)と準々決勝開催日(8日目)がその当該日だった。しかし阪神・淡路大震災による交通障害で応援団の来場スケジュール調整が必要なこと、また選手の健康管理面の問題などを考慮し、1995年から4試合日は準々決勝(9日目)のみとし、1、2回戦の全開催日(初日-8日目)は1日3試合とするようになった。
  • 更に2004年から大会後半の選手の連戦による疲労を避けるという意味合いで夏の大会と同じように、準々決勝を1日2試合ずつ割り当てることにした。(但し雨天中止などによる日程の過密化で消化しきれない場合は4試合一括開催となる場合あり)よって現在は最大1日3試合まで開催されていることとなる。
  • 第1試合の基本的な開始時間
3試合開催日 9:30(初日は開会式直後の10:20)
2試合開催日(主として準々決勝、準決勝) 11:00
1試合開催日(主として決勝) 12:30、ないしは13:00
参考 4試合開催日(日程編成の都合で4試合消化しなくてはいけない場合) 8:30
  • 次の試合はグランド整備や事前練習の関係もあり、原則として前の試合終了から30分程度の時間を置いてから行う。

試合

DH制(指名打者)は採用しない。

試合は9回で同点の場合には延長戦。ただし延長15回でも決着しない場合には、翌日再試合。コールドゲームは得点差では認められておらず、雨天などの天災で7回以降の均等回を消化した場合のみに採用される。

審判員は球審、3人の塁審、予備審判2人と控え審判員1人の計7人。ただし、ナイター下では2人の予備審判員が外審として試合に加わる。

大会歌・その他

  • 1931年に初代大会歌が制定。しかし歌詞に英語が含まれていたため1年で廃止。
  • 1934年に2代目大会歌「陽は舞いおどる甲子園」が制定され、1992年まで使われた。
  • 1993年からの3代目大会歌は阿久悠の作詞、谷村新司が作曲した、「今ありて」が採用されている。
  • また1955年から現在に至るまで、連続的に神戸山手女子高等学校が大会歌の合唱を担当している。
  • 国旗、大会旗、プラカードを持つのはボーイスカウト日本連盟所属の高校生。

歴史

  • 1924年 第1回 選抜中等学校野球大会として山本球場(八事球場)で開催。
  • 1925年 第2回 会場を夏の大会と同じ甲子園に変更。以降、甲子園で開催するようになる。
  • 1926年 第3回 ラジオ中継開始。
  • 1927年 第4回 大正天皇崩御の関係で4月下旬から開催し、決勝戦は5月に開催。優勝校のアメリカ遠征制度が開始。
  • 1929年 第6回 この大会から勝利校の校歌演奏と校旗掲揚が開始される。
  • 1932年 第9回 優勝校のアメリカ遠征制度廃止。
  • 1933年 第10回 前年度優勝校の無条件出場制度が廃止される。
  • 1942年から1946年までは太平洋戦争と、その終戦の混乱により大会は中止。
  • 1954年 第26回 テレビ中継開始。
  • 1959年 第31回 皇太子(現・今上天皇)の結婚式によって、決勝戦のテレビ中継が中止になる。
  • 1962年 第34回 準々決勝の作新学院八幡商の試合が春の甲子園としては初の延長18回引き分け再試合となった(春夏通じて2回目)。
  • 1995年 第67回 外野のフェンスが特殊なバージョンとなった。ライト・レフト共に『阪神・淡路大震災』に関する事が書かれていた。
  • 1997年 第69回 期間中連続して雨天に悩まされ、当初予定より4日間も延期。決勝戦は4月9日に開催されたが、当日も雨天予報であったことや、新年度の授業が始まったことも考慮し試合開始を午前10時に変更する異例の処置が行われた。また、分校として初めて日高中津分校が出場。
  • 1998年 第70回 この年から初戦の応援を対象に、応援団コンクールを初めて実施。
  • 1999年 第71回 前年夏の全国高等学校野球選手権大会で採用された新審判服がお目見え。センバツでは水色の長袖シャツにグレーのスラックス。気候や天候に応じて、シャツの上からブレザーセーター、Vジャン、ウインドブレイカーを着用する(それまではブレザーにネクタイ、紺色スラックス)。また球審インサイドプロテクターでの審判となった。沖縄尚学高等学校が沖縄県勢として初優勝を果たす(「海を渡る」参照)。
  • 2002年 第74回 4日目第2試合の福岡工大城東宇都宮工戦で、福工大城東副部長がスタンドからボールボーイを使い、ベンチにメモを渡すという不正行為が行われた。
  • 2003年 第75回 準々決勝の東洋大姫路花咲徳栄戦が春・夏大会通じて初の「引き分け再試合の延長戦」となった(延長15回まで試合を行ったが決着がつかず、翌日正午頃開始された再試合は延長10回。再試合当日はこの試合のみ開催された)。
  • 2004年 第76回 この大会から、準々決勝を選手の健康負担を理由に「1日2試合ずつ、2日間の日程」で開催。
  • 2005年 第77回 大会史上唯一、大会第0日目が設定された。(雨天のため、開会式のみ行い、開幕試合を翌日に順延した為)
  • 2006年 第78回 全国で唯一、選抜未勝利地区だった新潟県勢(日本文理)が初勝利をあげ、全ての地区が白星を手にした。

エピソード

入場行進曲における流行曲使用

1962年の第34回大会以降、入場行進曲においては前年の流行曲が使われることになった。記念すべき1曲は坂本九の『上を向いて歩こう』。

選抜高等学校野球大会入場行進曲を参照

近畿以外の地域での全国大会開催

1924年の第1回大会だけ名古屋市山本=八事球場)で開いた理由として、主催者の毎日新聞社は「夏の大会(全国中等学校優勝野球大会)で関西近郊の学校が優勝確率の高い(注:当時、夏の大会では関西近郊学校が8回中8回とも決勝に進出し、優勝は8回中5回であった)のは開催地の風土に関係するかを試すこと」と「東海地方の野球ファン拡大につなげるため」の2点を挙げていた。なお、開催地の風土に関しては、本大会では代表校8校中3校であった関西近郊の学校は、2校が初戦敗退、1校が二回戦敗退という結果になっている。

主催者の毎日新聞社は毎年開催地を変えて、全国各地で開催する構想であったが、1925年の第2回大会以後は高校野球(当時は中学野球)の聖地として知られる甲子園球場での開催に定着するようになり、近畿地域以外での全国大会開催(国体明治神宮大会を除く)は春・夏を通してこれが最初で最後となっている(夏の大会における甲子園以外の開催は、豊中球場、鳴尾球場西宮球場があるが、いずれも近畿地域の開催である)。

第1回大会では12本のホームランが出たが、山本球場はとても狭かったために、第2回以降の甲子園と同列にはできないということで、1988年までホームランは参考記録扱いとなっていた。1989年に第1回大会のホームラン12本が公式記録として認められるようになった。

前年度優勝校の無条件出場

1924年の第1回大会から1932年の第9回までは、前年度優勝校は地方大会に出場しなくても、無条件で全国大会に出場することができた。1933年からこの制度は廃止されたが、優勝校は次年度全国大会に出場し続けていた。1942年の大会が戦争で中止になったのを除き、優勝校が次年度全国大会に出場できなかったのは、1948年に優勝した京都一商(京都)が最初である。

優勝校のアメリカ遠征

1927年の第4回大会から、主催の大阪毎日新聞社が野球の本場であるメジャーリーグの見学や日米親善という趣旨により、この年から優勝校のアメリカ遠征が行われるようになった。この制度によってアメリカに遠征した優勝校は和歌山中(和歌山)、関西学院中(兵庫)、第一神港商(兵庫)、広島商(広島)の4校。
アメリカ遠征は夏休みを利用して行い、7月中旬から9月中旬までの長期に渡り、メジャーリーグの試合見学や地元高校との親善試合も行った。夏の大会開催中に主力選手がアメリカ遠征に行っているため、春の優勝校は控え選手で夏の大会予選を戦うことになった。その中で1927年の春の優勝校であった和歌山中は控え選手で夏の大会の予選を制し、全国大会に出場した。
1932年、外国チームとの試合を禁止する野球統制令を政府が出したことにより、それ以降は優勝校のアメリカ遠征は中止になった。
なお、春の優勝校のアメリカ遠征に関しては、春の大会を主催していた毎日新聞社が、朝日新聞社が主催していた夏の大会の興味をそぐ目的があったという陰謀説も存在する。

同県から4校の出場

1933年の第10回大会では出場校32校中、海草中、和歌山商、海南中、和歌山中と和歌山県から4校出場していた。また、1937年の第14回大会では出場校20校中、中京商、東邦商、享栄商、愛知商と愛知県から4校出場している。

優勝旗

  • 選抜大会の優勝旗は「大紫紺旗」と称されている。これは紫に近い色の糸を使っているためで、赤い糸を使っている夏の全国高等学校野球選手権大会の優勝旗は「大深紅旗」と称されている。現在の旗は二代目で、第35回記念大会が行われた1963年に第1回大会から使用されていた初代に代わり新調されたもの。初代と現在の旗との相違点は以下の三点。
  1. 大会名・・・初代は「全国選抜中等学校野球大会」に対し、現在は「全国選抜高等学校野球大会」。
  2. 主催新聞社名・・・初代は「大阪毎日新聞社」に対し、現在は「毎日新聞社」になっている(1943年「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」が題号を「毎日新聞」に統一した事により、商号も毎日新聞社に変更したため ※東京日日新聞・日報社と大阪毎日新聞社は1911年に合併している)。
  3. VICTORY」の文字・・・初代は染めぬきであるが、現在は金の糸を使って織られており、少し文字が大きくなっている。
  • 初代の優勝旗を最後に手にしたのは作新学院(栃木)で、現在の優勝旗を最初に手にしたのは下関商(山口)だった。
  • 春の全国大会には準優勝旗が存在する(夏の全国大会には存在しない)。色は夏の優勝旗と同じ深紅である。

連覇

本大会においての連覇は現在2例ある。

春の大会の連覇
開催年 学校 連覇 備考
6 1929年 第一神港商(兵庫) 2連覇 優勝校のアメリカ遠征2連続
7 1930年
53 1981年 PL学園(大阪) 2連覇 学制改革後の連覇
54 1982年

春夏連覇、夏春連覇は高校野球を参照されたい。

表彰式の演奏曲

夏はスタンダードな「見よ、勇者は帰る」(ヘンデル作曲)が使用されるが、春は別の曲(大会オリジナルの演奏曲か?)が用いられる。

各種記録

高校野球全国大会の記録一覧を参照。

中継

  • 1954年の第26回大会から放送され、1959年の第31回大会より総合テレビ教育テレビのリレー方式で完全生中継を行っている。(総合テレビはニュースや12時台の定時放送枠、大相撲中継国会中継=開催時=による中断があるため。)地上デジタル放送でも同様にリレー方式をとるため、マルチ編成は行わない。デジタル衛星ハイビジョンでも全試合中継(BSアナログハイビジョン実用化試験放送の頃から続いている 大相撲期間は16:00で中継終了)。衛星第2は開会式、準々決勝、準決勝、決勝、閉会式のみ放送(東京都小笠原諸島、沖縄県大東島地方の地上波テレビの衛星再送信中継局ができるまでは東京代表と沖縄県代表出場校の試合も放送されていた)。
基本的な放送時間帯(3試合日の場合、2006年のケース)
総合テレビ
平日 9:25-11:45、13:05-17:30(最大18:00まで延長)
土曜日 9:25-11:54、13:50-17:30(最大18:00まで延長)
日曜日 10:05-11:54、13:05-17:30(最大18:00まで延長)
教育テレビ
平日 11:45-13:05、(18:00-最終試合終了)まで
土曜日 11:54-13:50、(18:00-最終試合終了)まで
日曜日 9:30-10:05、11:54-13:05、(18:00-最終試合終了)まで
デジタル衛星ハイビジョン 9:30-17:30(最大19:00まで延長)
ラジオ第1 9:25-11:50、12:15-最終試合終了まで

※但し、大相撲中継国会中継その他重要な事件などで総合テレビ、ラジオ第1、衛星第2で中継が出来ない場合はそれぞれ教育テレビ、FM放送衛星第1で振り替えて中継する(FM放送については、原則関西地方と当該試合に地元校が出場する地域のみ)。
※かつてはラジオ第2で放送されていた。(他の野球中継も同様。)

※海外でもNHKワールド・プレミアム(準々決勝以降)、NHKワールドラジオ日本(決勝・閉会式のみ)でも放送。

解説者については、高校野球解説者一覧を参照。

  • 毎日放送(MBS)テレビでは1959年の第31回大会から2002年の第74回大会までは1回戦から決勝戦まで生中継していた。
    初期は完全放送を実施していたが、やがて昼間時には東京局(NET(現・テレビ朝日、~1975年3月)→TBS(同年4月~))発の全国ネット番組を編成するようになっていた。しかし、ABCのようなサンテレビ等の近畿圏UHF局経由のリレー形式を取り入れる事は、すでにABCがこれらUHF局と包括的な提携を結んでいたため毎日放送にはできなかった。このため、2003年の第75回記念大会からは準決勝の2試合と決勝戦の生中継だけとなった(途中、JNNニュースを放送するため生中継は一旦中断される)。なお、毎日放送系のCATVCS放送のチャンネル「GAORA」は全試合完全生中継している。
    毎日放送テレビ製作の高校野球中継は、東京地区では当初NETで、1965年からは東京12チャンネル(現・テレビ東京)で多く放送され、特に当時放送番組に窮していた東京12チャンネルでは完全中継を実施した事もあった。名古屋地区では当初東海テレビで、のち名古屋テレビから中京テレビで放送された。いずれも1975年のいわゆる「腸捻転解消」で、毎日放送がTBS系になったことに伴い殆ど放送されなくなった。(1978年までは決勝戦のみTBS系で放送された)
  • MBSラジオでは全試合完全生中継を行い、JRN系列で全国に配信している。また毎日放送のホームページではラジオの実況とMBSのカメラワークを用いたリアルタイムネット中継を実施していたが、2006年の第78回大会では見送られた。
  • なお、深夜にはその日の試合の模様を数々のエピソードなどを交えながら伝える(みんなの甲子園)。

関連項目

外部リンク