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* 1000試合出場:2007年5月24日、対[[サンディエゴ・パドレス]]5回戦([[ペトコ・パーク]])、1番・[[左翼手]]として先発出場{{refnest|group="注釈"|2007年5月14日、対ニューヨーク・メッツ1回戦ではNPB・MLB通算での1000試合出場も記録}}
* 1000試合出場:2007年5月24日、対[[サンディエゴ・パドレス]]5回戦([[ペトコ・パーク]])、1番・[[左翼手]]として先発出場{{refnest|group="注釈"|2007年5月14日、対ニューヨーク・メッツ1回戦ではNPB・MLB通算での1000試合出場も記録}}
* 250本塁打:2008年5月16日、対[[ピッツバーグ・パイレーツ]]7回戦([[リグレー・フィールド]])、2回裏に[[トム・ゴーゼラニー]]から左中間越3点本塁打
* 250本塁打:2008年5月16日、対[[ピッツバーグ・パイレーツ]]7回戦([[リグレー・フィールド]])、2回裏に[[トム・ゴーゼラニー]]から左中間越3点本塁打
* 1000三振:2008年5月30日、対[[コロラド・ロッキーズ]]4回戦(リグレー・フィールド)、3回裏に{{仮リンク|Aaron Cook|en|Aaron_Cook_(baseball)}}から空振り三振{{refnest|group="注釈"|2008年5月25日、対ピッツバーグ・パイレーツ12回戦ではNPB・MLB通算での1000三振も記録}}
* 1000三振:2008年5月30日、対[[コロラド・ロッキーズ]]4回戦(リグレー・フィールド)、3回裏に[[アーロック]]から空振り三振{{refnest|group="注釈"|2008年5月25日、対ピッツバーグ・パイレーツ12回戦ではNPB・MLB通算での1000三振も記録}}
* 300二塁打:2008年8月13日、対アトランタ・ブレーブス5回戦(ターナー・フィールド)、4回表に{{仮リンク|Jorge Campillo|en|Jorge_Campillo}}から右中間越適時二塁打
* 300二塁打:2008年8月13日、対アトランタ・ブレーブス5回戦(ターナー・フィールド)、4回表に{{仮リンク|Jorge Campillo|en|Jorge_Campillo}}から右中間越適時二塁打
* 250盗塁:2009年4月12日、対[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]3回戦([[ミラー・パーク]])、3回表に二盗(投手:[[ジェフ・スーパン]]、捕手:[[ジェイソン・ケンドール]])
* 250盗塁:2009年4月12日、対[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]3回戦([[ミラー・パーク]])、3回表に二盗(投手:[[ジェフ・スーパン]]、捕手:[[ジェイソン・ケンドール]])
* 350二塁打:2010年5月30日、対[[セントルイス・カージナルス]]3回戦(リグレー・フィールド)、4回裏に{{仮リク|Adam Wainwright|en|Adam_Wainwright}}から左中間二塁打
* 350二塁打:2010年5月30日、対[[セントルイス・カージナルス]]3回戦(リグレー・フィールド)、4回裏に[[アダム・ウェイライト]]から左中間二塁打
* 300本塁打:2010年6月11日、対[[シカゴ・ホワイトソックス]]1回戦((リグレー・フィールド)、2回裏に[[ジェイク・ピービー]]から中越2点本塁打
* 300本塁打:2010年6月11日、対[[シカゴ・ホワイトソックス]]1回戦((リグレー・フィールド)、2回裏に[[ジェイク・ピービー]]から中越2点本塁打
* 1500安打:2010年9月3日、対ニューヨーク・メッツ5回戦(リグレー・フィールド)、4回裏に[[R.A.ディッキー]]から左越2点本塁打{{refnest|group="注釈"|2010年8月31日、対ピッツバーグ・パイレーツ15回戦ではNPB・MLB通算での1500本安打も記録}}
* 1500安打:2010年9月3日、対ニューヨーク・メッツ5回戦(リグレー・フィールド)、4回裏に[[R.A.ディッキー]]から左越2点本塁打{{refnest|group="注釈"|2010年8月31日、対ピッツバーグ・パイレーツ15回戦ではNPB・MLB通算での1500本安打も記録}}
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* 1500試合出場:2011年5月10日、対セントルイス・カージナルス1回戦(リグレー・フィールド)、5番・[[左翼手]]として先発出場{{refnest|group="注釈"|2011年4月26日、対コロラド・ロッキーズ5回戦ではNPB・MLB通算での1500試合出場も記録}}
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*1500三振:2011年7月24日、対[[ヒューストン・アストロズ]]9回戦(リグレー・フィールド)、2回裏に[[ジョーダ・ライルズ]]から空振り三振{{refnest|group="注釈"|2011年7月19日、対[[フィラデルフィア・フィリーズ]]5回戦ではNPB・MLB通算での1500三振も記録}}
* 400二塁打:2011年9月15日、対[[シンシナティ・レッズ]]18回戦([[グレート・アメリカン・ボール・パーク]])、9回表に{{仮リク|Francisco Cordero|en|Francisco_Cordero}}から適時左中間二塁打
* 400二塁打:2011年9月15日、対[[シンシナティ・レッズ]]18回戦([[グレート・アメリカン・ボール・パーク]])、9回表に[[フラシスコ・コルデロ]]から適時左中間二塁打
* 350本塁打:2012年6月8日、対[[ミネソタ・ツインズ]]1回戦([[ターゲット・フィールド]])、1回表に{{仮リンク|P. J. Walters|en|P._J._Walters}}から中越2点本塁打
* 350本塁打:2012年6月8日、対[[ミネソタ・ツインズ]]1回戦([[ターゲット・フィールド]])、1回表に{{仮リンク|P. J. Walters|en|P._J._Walters}}から中越2点本塁打
* 1000打点:2012年8月18日、対シンシナティ・レッズ11回戦(グレート・アメリカン・ボール・パーク)、1回表に[[ジョニー・クエト]]から左越2点本塁打
* 1000打点:2012年8月18日、対シンシナティ・レッズ11回戦(グレート・アメリカン・ボール・パーク)、1回表に[[ジョニー・クエト]]から左越2点本塁打

2019年6月29日 (土) 13:05時点における版

アルフォンソ・ソリアーノ
Alfonso Soriano
ニューヨーク・ヤンキースでの現役時代
(2013年9月11日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス
生年月日 (1976-01-07) 1976年1月7日(48歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 左翼手二塁手
プロ入り 1996年
初出場 NPB / 1997年8月5日
MLB / 1999年9月14日
最終出場 NPB / 1997年8月17日
MLB / 2014年7月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国代表
WBC 2006年

アルフォンソ・ギレアルド・ソリアーノAlfonso Guilleard Soriano1976年1月7日 - )は、ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手外野手内野手)。右投右打。

日本メディアではソリアーノソリアノのように表記されるが、実際には「ソリーアノ(発音:sore-ee-ah-no)」である[1]

経歴

広島時代

プロ野球選手としての経歴は日本プロ野球広島東洋カープから始まる。同球団が所有するドミニカ共和国の野球スクール「カープアカデミー」で才能を認められ来日。広島時代の背番号は74

1996年はカープで二軍のウエスタンリーグで三塁と遊撃を守り、57試合に出場し、打率.214(131打数28安打)、本塁打0、13打点

1997年に一軍登録され、9試合出場。17打数で2安打。身体が細いにもかかわらず、この頃からすでに振り回すバッティングフォームであった。また足が遅いことで有名だったためあだ名はロバと呼ばれていた[2]。広島で遊撃手として守った時が、人生で一番精神的に疲れたという。当時を振り返り、「19歳(鯖読みをしており実際は21歳)だったんだ。自分の手は震えが止まらずにいたよ。誰も自分に向かってゴロを打って欲しくなかった。ポロリと落とすってわかっていたからね」と語った[3]黒田博樹は1997年の一年間、カープの寮「三省寮」で、同じ釜の飯を食べた仲[4][5]

1998年、球団は4万5000ドルを提示するも代理人の団野村は18万ドルを要求したため年俸調停を申し立てたが、球団の提示額を妥当と調停が下るも、それに納得しなかったため任意引退公示で退団[2]

ヤンキース時代

1998年の9月29日にニューヨーク・ヤンキースがソリアーノの保有権を持っていた広島に310万ドルを支払い契約を結んだ。この一連の問題に関しては「カープに対しては恨みなどはない。確かにいざこざはあったが、感謝している。僕に初めてプロでプレーする機会をくれたチームだから」と語っている[2]

1999年、AA級ノーウィッチ・ナビゲイターズで89試合に出場。打率.305、15本塁打、24盗塁を記録し、マイナーリーグ版オールスター、オールスター・フューチャーズゲームではMVPに選出された[6]。9月14日にはメジャーデビューを果たし、同月24日には自身メジャー初安打となる本塁打を放った。この年、メジャーリーグでは9試合に出場した。

2000年は開幕ロースター入りを果たした。シーズン序盤には重要な局面で本塁打を放つなどし、スタメン出場の機会も増えたが、打撃・守備面の不安定さからメジャー定着には至らず、AAA級コロンバス・クリッパーズを中心にプレーした。メジャーでは合計22試合に出場し、初盗塁も記録した。

2001年オープン戦でも内野手として悪送球を連発したが、正二塁手チャック・ノブロックが肩を痛めたため、守備には目を瞑って二塁手に抜擢された[要出典]。158試合に出場し、打率.268、18本塁打、73打点、リーグ3位の43盗塁を記録した。新人王の投票ではイチローC.C.サバシアに次ぐ3位に入った[7]

2002年、リーグ1位となる128得点、209安打、41盗塁を記録し、球団新記録となる打数696、157三振を記録した[8]。本塁打が39と40本塁打に1本足りず40-40クラブ入りを逃した。MVP投票ではミゲル・テハダアレックス・ロドリゲスに次ぐ3位に入った[9]

2003年、打率.290、38本塁打、91打点を記録し、1996年ブレイディ・アンダーソンが記録した先頭打者本塁打のシーズン記録12本を更新する13本塁打を放った[10]。また、35盗塁を記録し、史上5人目となる2年連続で30-30を達成[10]ワールドシリーズでヤンキースはフロリダ・マーリンズに敗退。シーズン中は不動のリードオフマンだったが、ポストシーズン中、特にこのワールドシリーズで不振に陥り、両チーム最多の9三振を喫してしまい、5戦目にはついにスタメン落ちした。

レンジャーズ時代

2004年2月16日にアレックス・ロドリゲスがヤンキースへ移籍した大型トレードに伴いテキサス・レンジャーズへ移籍。また、この移籍の際にこれまで1978年生まれとされていたプロフィールが誤りで、実は1976年生まれであることが発覚した[要出典]

2004年5月8日のデトロイト・タイガース戦では、レンジャーズ球団史上初となる1試合6安打を記録した[11]オールスターではファン投票トップで選出され、先発二塁手として出場。初回にロジャー・クレメンスから3ラン本塁打を放ち[12]オールスターMVPにも選ばれた。

2005年にはレンジャーズ球団史上初、自身3度目の30本塁打30盗塁(36本塁打30盗塁)を達成。

ナショナルズ時代

2005年12月13日に、リーグ最低の得点力を改善するため、強打者を必要としたワシントン・ナショナルズ[13]ブラッド・ウィルカーソンターメル・スレッジ及びアーマンド・ガララーガとの1対3の交換トレードでソリアーノを獲得[14]。ナショナルズの正二塁手には堅守のホセ・ビドロがいたため、ソリアーノは外野手(左翼手)へ転向された。

2006年開幕前の3月に開催された第1回WBCドミニカ共和国代表に選出された[15]

3月20日のオープン戦ではレフトの守備を拒否し、試合出場をボイコットした[16]。これに対して、球団側は契約違反であるとして「今後、指示に従わない場合は給料の支払いをストップする」などの強硬手段をとると通告した。このため、一時は「メッツがソリアーノと松井稼頭央のトレードに関心」と報道される騒ぎになった[17]。結局、コンバートを受け入れたため騒動はひとまず落ち着いた。

シーズンでは俊足を活かした強打の1番打者として順調に本塁打と盗塁を積み重ねた。8月18日のフィリーズ戦で30個目の盗塁を決め、39本塁打と合わせて自身4度目の30本塁打30盗塁を達成。8月25日のブレーブス戦で、通算200個目の盗塁を決め、MLB史上最速の929試合目で200本塁打200盗塁を達成し、1993年エリック・デービスが記録した1053試合目での記録達成を更新[18]。9月16日のブルワーズ戦で、自身初、MLB史上4人目の40本塁打40盗塁を達成した。また、二塁打も40本以上記録し、MLB史上初の40本塁打40盗塁40二塁打を同時に達成した選手になった。本塁打数で初の40本台の大台に乗せ自己最多を更新した。オフの10月29日にFAとなった。ナショナルズは5年総額7,000万ドルで契約延長を打診したが拒否した[19]

カブス時代

2006年11月20日にシカゴ・カブスと当時史上5番目の大型契約である、総額1億3,600万ドルの8年契約に合意した[20]

2007年シーズン開幕からは中堅手にコンバートされたが、若手の中堅手フェリックス・ピーエイなどの成長もあり、4月終盤から左翼手を守ることになった。6月に打率.336、11本塁打、18打点を記録し、月間MVPを受賞した。9月にはMLB記録となる7本の月間先頭打者本塁打を含む14本塁打を放ち、カブスの中地区優勝には貢献した。

2008年は4月15日に左太腿裏を痛め故障者リスト入り。4月は打率.175・2本塁打・5打点と不調だったが、5月1日に復帰を果たし、5月は打率.345・10本塁打・29打点と復調。復調の理由をソリアーノは「自分ではよくわからないが、開幕直後はバットの振りがブレていたのが、今は投球に対して真っ直ぐにバットが出ているからだと思う」と語っている[21]。しかし、6月11日に死球を受け、左手骨折で故障者リスト入り。シーズン2回の故障者リスト入りの影響でメジャー定着後最低の109試合にしか出場出来なかったが、29本塁打を放ち、9月6日の試合では1試合で3本塁打5打点を記録。

2009年は、故障の影響で117試合の出場に留まりながらも9年連続で規定打席に到達した。しかし、成績は自己最低と言っていい数字が残った。得点・安打・打点・盗塁・打率・出塁率・長打率・塁打・OPS・死球・犠打・犠飛は自己最低ないし最低タイであり、出場試合数・打数・三塁打・本塁打は自己ワースト2位となる数字である。

2010年は、4年ぶり・カブス移籍後では自身初となる140試合以上の試合に出場した。しかし、本塁打は3年連続で20本台に留まり、盗塁もレギュラー定着後では自己最低の5盗塁に終わった。

2012年は、自己最多の108打点を記録、32本塁打と5年ぶりに30本台に乗せた。

ヤンキース復帰

2013年7月26日にコーリー・ブラックとのトレードで、ヤンキースに復帰した[22]8月7日にNPB/MLB通算2000本安打を達成し、外国人選手としてはアレックス・ラミレスに続く史上二人目となる名球会入りの資格を得た[23]。その直後の8月27日にはブルージェイズ戦でメジャー通算400号となる28号ホームランを放ち、2013年のシーズンは打率.255・34本塁打・101打点・18盗塁を記録。2年連続で30本塁打と100打点をクリアした。特に本塁打は、2009年以降5年連続で本数が増加している。また、2ケタ盗塁を記録したのは、2008年以来5年ぶりの事であった。

2014年は開幕ロースター入りし、5月12日にはヤンキースおよびレンジャーズでの通算安打数が1000本に達し、史上7人目となる両リーグで1000本安打を達成した。しかし67試合の出場で、打率.221と結果を残せず、7月6日にDFAとなった[24]。7月14日に自由契約となった[25]

現役引退

2014年11月4日、母国ドミニカ共和国で記者会見し、現役引退を表明した[26]

選手としての特徴

初球から積極的に打ちにいき、四球は少なく三振が多いため打率は伸び悩む傾向にある。大きなスイングであるにも関わらず右打席から一塁まで4.0秒で走るスピードを誇り[27]、シーズン40盗塁以上を3度達成した。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1997 広島 9 19 17 2 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2 0 0 4 0 .118 .211 .118 .329
1999 NYY 9 8 8 2 1 0 0 1 4 1 0 1 0 0 0 0 0 3 0 .125 .125 .500 .625
2000 22 53 50 5 9 3 0 2 18 3 2 0 2 0 1 0 0 15 0 .180 .196 .360 .556
2001 158 614 574 77 154 34 3 18 248 73 43 14 3 5 29 0 3 125 7 .268 .304 .432 .736
2002 156 741 696 128 209 51 2 39 381 102 41 13 1 7 23 1 14 157 8 .300 .332 .547 .880
2003 156 734 682 114 198 36 5 38 358 91 35 8 0 2 38 7 12 130 8 .290 .338 .525 .863
2004 TEX 145 658 608 77 170 32 4 28 294 91 18 5 0 7 33 4 10 121 7 .280 .324 .484 .807
2005 156 682 637 102 171 43 2 36 326 104 30 2 0 5 33 3 7 125 6 .268 .309 .512 .821
2006 WSH 159 728 647 119 179 41 2 46 362 95 41 17 2 3 67 16 9 160 3 .277 .351 .560 .911
2007 CHC 135 617 579 97 173 42 5 33 324 70 19 6 0 3 31 4 4 130 9 .299 .337 .560 .897
2008 109 503 453 76 127 27 0 29 241 75 19 3 0 4 43 11 3 103 9 .280 .344 .532 .876
2009 117 522 477 64 115 25 1 20 202 55 9 2 0 2 40 6 3 118 7 .241 .303 .423 .726
2010 147 548 496 67 128 40 3 24 246 79 5 1 1 3 45 3 3 123 12 .258 .322 .496 .818
2011 137 508 475 50 116 27 1 26 223 88 2 1 0 2 27 4 4 113 15 .244 .289 .469 .759
2012 151 615 561 68 147 33 2 32 280 108 6 2 0 3 44 5 7 153 18 .262 .322 .499 .821
2013 93 383 362 47 92 24 1 17 169 51 10 5 0 3 15 2 3 89 9 .254 .287 .467 .754
NYY 58 243 219 37 56 8 0 17 115 50 8 4 0 1 21 1 2 67 2 .256 .325 .525 .850
'13計 151 626 581 84 148 32 1 34 284 101 18 9 0 4 36 3 5 156 11 .255 .302 .489 .791
2014 67 238 226 22 50 15 0 6 83 23 1 0 0 4 6 1 2 71 3 .221 .244 .367 .611
NPB:1年 9 19 17 2 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2 0 0 4 0 .118 .211 .118 .329
MLB:16年 1975 8395 7750 1152 2095 481 31 412 3874 1159 289 84 9 54 496 68 86 1803 123 .270 .319 .500 .819
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

MLB

表彰

MiLB
MLB

記録

NPB初記録
MiLBの記録
MLB初記録
MLB節目の記録
MLBその他の記録

背番号

  • 74 (1996年 - 1997年)
  • 66 (1998年)
  • 58 (1999年)
  • 53 (2000年)
  • 33 (2001年)
  • 12 (2002年 - 2014年)

代表歴

脚注

  1. ^ Alfonso Soriano Stats” (英語). Baseball Reference.com. 2017年10月27日閲覧。
  2. ^ a b c 無限の可能性 アルフォンソ・ソリアーノ『月刊スラッガー』2003年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、42-43頁。
  3. ^ [1][リンク切れ]
  4. ^ 黒田 広島で同僚ソリアーノと再会.東京スポーツ(2008年5月28日).2016年12月22日閲覧。
  5. ^ ソリアーノ感激 「11年たってまさかアメリカで対戦するとは思わなかったよ。今日みたいな投球ができれば、メジャーで成功できると太鼓判を押した」.日刊スポーツ(2008年5月29日).2016年12月22日閲覧。
  6. ^ Alfonso Soriano Awards” (英語). The Baseball Cube. 2009年3月26日閲覧。
  7. ^ Baseball Awards Voting for 2001 - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。
  8. ^ New York Yankees Batting Leaders - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。
  9. ^ Baseball Awards Voting for 2002 - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。
  10. ^ a b 2003 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。
  11. ^ 2004 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。
  12. ^ July 13, 2004 All-Star Game at Minute Maid Park Play by Play and Box Score - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。
  13. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、292頁。ISBN 978-4-331-51146-6 
  14. ^ Alfonso Soriano Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年3月26日閲覧。
  15. ^ 2006 Tournament Roster” (英語). The official site of World Baseball Classic. 2015年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
  16. ^ Ladson, Bill (2006年3月21日). “ソリアーノ、外野での出場をボイコット”. MAJOR.JP. 2009年3月26日閲覧。
  17. ^ MAJOR.JP編集部 (2006年3月22日). “松井稼とソリアーノがトレード? NY紙報じる”. MAJOR.JP. 2009年3月26日閲覧。
  18. ^ Elias Says ... ESPN.com” (英語). 2008年1月30日閲覧。
  19. ^ 村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、383頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  20. ^ Carrie Muskat (2006年11月20日). “Cubs complete blockbuster with Soriano Eight-year, $136 million contract richest in team history” (英語). 2016年11月7日閲覧。
  21. ^ 澤田敏典 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 シカゴ・カブス/CHC チームに勢いをもたらしてきたが……」『スラッガー』2008年8月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-8、83頁。
  22. ^ Josh Vitale (2013年7月26日). “Yankees bring Soriano's bat back to Bronx” (英語). MLB.com. 2016年11月7日閲覧。
  23. ^ ソリアーノ、大台到達に「ハッピー」=米大リーグ”. 時事通信社 (2013年8月8日). 2013年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
  24. ^ Alex M. Smith (2014年7月6日). “Yankees designate Soriano for assignment” (英語). MLB.com. 2016年11月7日閲覧。
  25. ^ MLB公式プロフィール参照。2016年11月7日閲覧。
  26. ^ 元広島のソリアーノが引退表明「愛情と意欲を失った」日米2000安打”. スポーツニッポン (2014年11月5日). 2014年11月5日閲覧。
  27. ^ スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2003年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、44-47頁。

注釈

  1. ^ 2006年6月21日、対ボストン・レッドソックス3回戦ではNPB・MLB通算での1000本安打も記録
  2. ^ 2007年5月14日、対ニューヨーク・メッツ1回戦ではNPB・MLB通算での1000試合出場も記録
  3. ^ 2008年5月25日、対ピッツバーグ・パイレーツ12回戦ではNPB・MLB通算での1000三振も記録
  4. ^ 2010年8月31日、対ピッツバーグ・パイレーツ15回戦ではNPB・MLB通算での1500本安打も記録
  5. ^ 2011年4月26日、対コロラド・ロッキーズ5回戦ではNPB・MLB通算での1500試合出場も記録
  6. ^ 2011年7月19日、対フィラデルフィア・フィリーズ5回戦ではNPB・MLB通算での1500三振も記録
  7. ^ 2013年8月7日、対シカゴ・ホワイトソックス3回戦ではNPB・MLB通算での2000本安打も記録

関連項目

外部リンク