「豊里町 (宮城県)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: リクルートホールディングス改名に伴うリンク修正 - log |
||
44行目: | 44行目: | ||
* [[縄文時代]]の遺跡、[[長根浦貝塚]]が発掘されている。 |
* [[縄文時代]]の遺跡、[[長根浦貝塚]]が発掘されている。 |
||
* [[平安時代]] 長根に[[竪穴式住居]]の集落があった。 |
* [[平安時代]] 長根に[[竪穴式住居]]の集落があった。 |
||
* 平安時代末期から[[鎌倉時代]]にかけて、[[奥州藤原氏]]一族の居館があり、滅んだ後は、[[葛西氏]]の臣族が居住したことが知られている<ref name=Akozuyakataato1>{{cite web|url=http://www.jalan.net/kankou/spt_04545af2170132870/|title=赤生津館跡|publisher=[[リクルート]]ライフスタイル|accessdate=2015-03-12}}</ref>。 |
* 平安時代末期から[[鎌倉時代]]にかけて、[[奥州藤原氏]]一族の居館があり、滅んだ後は、[[葛西氏]]の臣族が居住したことが知られている<ref name=Akozuyakataato1>{{cite web|url=http://www.jalan.net/kankou/spt_04545af2170132870/|title=赤生津館跡|publisher=[[リクルートホールディングス]]ライフスタイル|accessdate=2015-03-12}}</ref>。 |
||
* [[天文 (元号)|天文]]9年([[1540年]]) 月輪六郎・七郎兄弟が赤生津村に月輪館を築いた。 |
* [[天文 (元号)|天文]]9年([[1540年]]) 月輪六郎・七郎兄弟が赤生津村に月輪館を築いた。 |
||
* [[天正]]12年([[1584年]]) 赤生津村本地に月輪山香林寺ができる。 |
* [[天正]]12年([[1584年]]) 赤生津村本地に月輪山香林寺ができる。 |
2019年9月13日 (金) 06:13時点における版
豊里町 | |
---|---|
香林寺 山門(県指定有形文化財) 山門としては宮城県最古 | |
廃止日 | 2005年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 (登米郡迫町、登米町、東和町、中田町、豊里町、米山町、石越町、南方町、本吉郡津山町) → 登米市 |
現在の自治体 | 登米市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 登米郡 |
市町村コード | 04545-4 |
面積 | 32.85 km2 |
総人口 |
7,194人 (推計人口、2005年3月1日) |
隣接自治体 |
登米郡:登米町、米山町 遠田郡:涌谷町 桃生郡:桃生町 本吉郡:津山町 |
町の木 | イチョウ |
豊里町役場 | |
所在地 |
〒987-0362 宮城県登米郡豊里町上町裏130番地の1 |
座標 | 北緯38度35分2.9秒 東経141度14分56.6秒 / 北緯38.584139度 東経141.249056度 |
特記事項 | 世帯数:1,987世帯(2004年8月31日) |
ウィキプロジェクト |
豊里町(とよさとちょう)は、宮城県北東部にあった町である。2005年4月1日の市町村合併により廃止し、旧町域は登米市の一部となっている。
地理
宮城県北部に位置した町である。北上川、旧北上川、迫川に囲まれたほぼ平坦な地形である。
隣接していた自治体
歴史
- 約5000年前、狩りを主とした生活が行われていた。
- 縄文時代の遺跡、長根浦貝塚が発掘されている。
- 平安時代 長根に竪穴式住居の集落があった。
- 平安時代末期から鎌倉時代にかけて、奥州藤原氏一族の居館があり、滅んだ後は、葛西氏の臣族が居住したことが知られている[1]。
- 天文9年(1540年) 月輪六郎・七郎兄弟が赤生津村に月輪館を築いた。
- 天正12年(1584年) 赤生津村本地に月輪山香林寺ができる。
- 江戸時代は、登米伊達藩の領地として開墾が進められた。
- 寛文7年(1667年) 登米伊達家による新田開発(灌漑水路や土手を含む)が開始される。伊達宗倫の命により、大曲地区の北西側に隣接する登米市米山町桜岡より流来する悪水を排除する目的で秋山源兵衛が指揮して大曲から十五貫の迫川堤防付近まで[2]の土手を築いた[3][4]。
- 貞享2年(1685年) 野谷地開墾により赤生津村の戸数が、奉公人屋敷150戸、足軽屋敷50戸に至った。
- 安永3年(1774年) 赤生津村戸数476戸、人口2,050人、鴇波村戸数54戸、人口332人[5]。
- 1889年(明治22年) 4月1日 市町村制施行により、赤生津村と鴇波村が合併して豊里村が成立する。
- 1896年(明治29年) 北上川、迫川で洪水
- 1898年(明治31年) 9月 北上川、迫川大洪水
- 1910年(明治43年) 8月 北上川、迫川の大洪水で町村財政が苦しくなり、教員俸給不払いをきたした。
- 1915年 電灯線建設開始、1917年・新田地区開通、以後全村へ
- 1927年(昭和2年) 4月 北上川大洪水
- 1928年(昭和3年) 電話開設
- 1932年(昭和7年) 4月から1940年(昭和15年)3月 流域下流の度重なる水害から地域を守るため、山吉田水門付近から剣先(のの岳駅の東方)までのおよそ11.7kmを、ほぼ一直線に[6]開削した[7]。(新迫川)
- 1934年(昭和9年) 佐藤省三ほか3名の出資で有料橋・赤生津橋(木造の固定橋)が架設される。
- 1950年(昭和25年) 4月1日 豊里大橋架設、豊里村が町制施行し、豊里町となる。
- 1954年(昭和29年) 豊里中学校新校舎完成町の年譜表
- 1960年(昭和35年) 竹花小学校が全国学校植林コンクールで第1位となる。
- 1962年(昭和37年) 上水道工事に着手、1966年(昭和41年)に終了。
- 1963年(昭和38年) 豊里病院が移転 鉄筋コンクリート建てとなる。
- 1968年(昭和43年) 柳津線(気仙沼線)、前谷地~柳津間、部分開通、陸前豊里駅、御岳堂駅が開業。
- 1971年(昭和46年) 豊里大橋永久橋架替完成
- 1973年(昭和48年) ビデオテック株式会社操業開始
- 1978年(昭和53年) 10月から12月にかけて、沼崎山遺跡を発掘調査[8]
- 1980年(昭和55年) 豊里小学校の新校舎が完成、竹花小学校、鴇波小学校、二ツ屋小学校を統合(併合)する[9]。
- 1982年(昭和57年) 豊里中学校新校舎完成
- 1984年(昭和59年) 豊里幼稚園園舎完成[10]
- 1990年(平成2年) 公立豊里病院が新築される。
- 1994年(平成6年) カントリーエレベーターができる[11]。
- 2000年(平成12年) 恒例の夏祭りをYOSAKOI&ねぷたinとよさととして、会場を駅前通りに移し、よさこいとのコラボとして実施。
- 2003年(平成15年) 産直がんばる館宮城県公式サイトJR豊里駅前に完成
- 2005年(平成17年)4月1日 登米郡各町および本吉郡津山町と合併し、登米市となる。
行政
- 最後の町長:只野九十九
教育
- 中学校
- 小学校
- 幼稚園
- 豊里幼稚園
- 保育所
- 豊里保育所
交通
鉄道
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 鴇波洗堰(北上川河川歴史公園)
- 平筒沼
- 笑沢自然公園
- 香林寺山門(県指定文化財)[12]
- 赤生津館跡(史跡)[12]
- 豊里・津山渡船場跡
- 産直がんばる館
- 愛宕神社
- 大曲古土手(史跡)[12]
- 長根浦貝塚(史跡)[12]
- 沼崎山遺跡(史跡)[12]
祭り・イベント
- 豊里夏まつり⇒「YOSAKOI&ねぷたinとよさと」に発展
- 秋葉山神社まつり
- まめからさん祭り(稲荷神社)(県指定無形民俗文化財)
- 平筒沼ふれあい公園桜まつり
- YOSAKOI&ねぷたinとよさと