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'''菊原 静男'''(きくはら しずお、[[1906年]] - [[1991年]]<ref name=":0">前間孝則(2013年)、235頁</ref>8月6日)は、日本の航空技術者。[[兵庫県]][[姫路市]]出身。[[飛行艇]]の設計には特に造詣が深い。 |
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2020年8月6日 (木) 14:57時点における版
菊原 静男(きくはら しずお、1906年 - 1991年[1]8月6日)は、日本の航空技術者。兵庫県姫路市出身。飛行艇の設計には特に造詣が深い。
生涯
1906年、兵庫県姫路市の商家に長男として生まれる。三高へ入学する頃、航空の道を選択。1930年(昭和5年)東京帝国大学工学部航空学科卒[1]。卒業設計では、シュナイダーカップ用の水上競争機の機体を担当した[2]。卒業論文のタイトルは「Torsion of Prismatic Bar.」[3]。
卒業後、川西航空機(現新明和工業)に入社する。入社理由は、川西航空機が自宅に近く、少年時代から海が好きであったからという[2]。イギリスのショート・ブラザーズに設計委託した「KF飛行艇」などを基に設計、強度計算、様々なことを学んだ[4]。九四式水上偵察機の胴体の強度設計[5]、九七式飛行艇の開発全般(設計主任補佐)[6]を担当した。九七式飛行艇の翼は箱型構造とし、倉庫の屋根のトタン板にヒントを得て、波板加工にすることで軽量化に成功した[7]。また、主翼と胴体の固定には、支柱で柔構造のようにして支えた[7]。九七式飛行艇は、海軍の要求性能を越え、菊原独自の設計スタイルを確立したためか、後述する二式飛行艇よりも愛着を持っていたようである[8]。その後、二式飛行艇では主任設計者として関わり、水飛沫を抑えるために艇底前部に「かつお節」と名付けた出っ張りをつける他、艇体の嵩上げや徹底した軽量化などをすることで、欧米の飛行艇を大きく上回る性能の飛行艇を完成する[9]。紫電、紫電改などの設計に関わる[1]。
戦後は新明和工業で飛行艇PS-1の開発を行った[1]。また日本航空機製造のYS-11の叩き台となった「中型輸送機」の基本研究・基本設計を手掛けた[10]。
明和自動車常務取締役、新明和工業取締役、同社顧問を歴任[1]。
博士論文は「飛行艇が水上滑走中にたてる飛沫の研究」(1959年(昭和34年)2月20日、東京大学)[11]。
脚注
- ^ a b c d e 前間孝則(2013年)、235頁
- ^ a b 前間孝則(2013年)、242頁
- ^ “Torsion of Prismatic Bar.利用統”. 東京大学. 2020年8月6日閲覧。
- ^ 前間孝則(2013年)、244-245頁
- ^ 前間孝則(2013年)、246頁
- ^ 前間孝則(2013年)、248頁
- ^ a b 前間孝則(2013年)、250-252頁
- ^ 前間孝則(2013年)、252-254頁
- ^ 前間孝則(2013年)、257-258頁
- ^ 前間孝則(2013年)、239頁
- ^ “飛行艇が水上滑走中にたてる飛沫の研究”. 国立情報学研究所. 2020年8月6日閲覧。
参考文献
- 前間孝則『YS-11―国産旅客機を創った男たち』 講談社, 1994年8月, ISBN 4062071347
- 前間孝則『日本の名機をつくったサムライたち 零戦、紫電改からホンダジェットまで』 さくら舎, 2013年11月10日, ISBN 4906732577