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2020年11月2日 (月) 12:09時点における版
ジミー・マクレー | |
---|---|
93年スコットランドにて | |
基本情報 | |
国籍 |
イギリス スコットランド |
生年月日 | 1943年10月28日(80歳) |
WRCでの経歴 | |
活動時期 | 1976年 - 1989年 |
所属チーム | ボクスホール、オペル、MGローバー、三菱 |
出走回数 | 20 |
チャンピオン回数 | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台回数 | 2 |
ステージ勝利数 | 56 |
通算獲得ポイント | 626 |
初戦 | 1976 RACラリー |
最終戦 | 2004 GB |
ジミー・マクレー(Jimmy McRae、1943年10月28日 - )はイギリス人のラリードライバー。スコットランドのラナーク出身。世界ラリー選手権 (WRC) ドライバーのアリスター・マクレーと1995年WRCチャンピオン、コリン・マクレーの父親である。ラリードライバーとしての仕事とは別に、故郷で配管業を営み続けている。
英国ラリー選手権においてマクレーは1981年、1982年、1984年、1987年、そして1988年の5度のタイトルを獲得する偉業を達成した。ヨーロッパラリー選手権では1982年に2位だったにもかかわらず、彼のWRCでの最高位は1987年の25位であった。
キャリアを通して、マクレーは多くのチームに所属した。ロスマンズ・ラリーチームではオペル・マンタ400をドライブした。ロスマンズで彼のチームメイトだったのはアリ・バタネン、ワルター・ロール、そしてヘンリ・トイボネンだった。そしてMG・メトロ6R4のドライバーへと進む。1989年のアクロポリスでは三菱ワークスからギャランVR-4をドライブし総合4位入賞を果たした。
モータースポーツからほぼ引退した今となっても、マクレーはまれにヒストリックラリーやスコットランドラリー選手権で戦い、ラリーGBに参戦もした。2006年にはストバートモータースポーツのスポンサードを受け、ロジャー・アルバート・クラーク・ラリーにフォード・エスコートMk2を駆り出場、見事優勝を手にした。
2008年9月、マクレーは多くの著名なラリードライバーたちとともに、2007年にヘリコプター事故で死去した彼の息子、コリン・マクレーを追悼する「コリン・マクレー・フォレスト・ステージ・ラリー」に参加し、ポルシェ・911をドライブした。イベントにはハンヌ・ミッコラ、アリ・バタネン、ビヨン・ワルデガルド、スティグ・ブロンクビスト、マルコム・ウィルソン、アンドリュー・コーワンらも参加した。