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「朝鮮」の版間の差分

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== 「朝鮮」の由来 ==
== 「朝鮮」の由来 ==
朝鮮の名は、中国古典の『[[山海経]]』(紀元前400~300年頃)で最初に見られる<ref>山海経</ref>。中国古典の『[[尚書大傳]]』(起元前200年頃)には、朝鮮の由来は『'''朝日鮮明の土地'''(中国から見て東にある土地)』と書かれている<ref>尚書大傳</ref>。『[[史記]]』(紀元前100年頃)の[[箕子]]にも見られる。[[李氏朝鮮]]時代に広まった<ref name="伊藤ほか2014-580">「地域・国名編-朝鮮」【監修】[[伊藤亜人]]+[[大村益夫]]+[[高崎宗司]]+[[武田幸男]]+[[吉田光男]]+[[梶村秀樹]]『[新版] 韓国 朝鮮を知る事典』[[平凡社]]、2014年3月19日 新版第1刷発行、ISBN 978-4-582-12647-1、580頁。</ref>。南北朝時代に編纂された史記の注釈書『[[史記集解]]』<ref name="史記三家註朝鮮列傳">[[s:zh:史記三家註/卷115|Wikisource 中国語版 「史記三家註/卷115」冒頭]]</ref>には{{仮リンク|張晏|zh|張晏}}の説で「朝鮮には[[湿水]]、[[洌水]]、[[汕水]]が有り、3つの[[川]]は洌水として合わさる。恐らくここから[[楽浪郡|楽浪]]は朝鮮と名付けたのだろう」とある。唐代の史記注釈書『[[史記索隠]]』では「朝鮮とは潮汕の音写である<ref group="注">原文「朝音潮 直驕反 鮮音仙 以有汕水故名也 汕一音訕」</ref>」と記されており、史記の時代から唐代までの中国では、川に因んだ地名と見做されていた。[[李氏朝鮮|朝鮮王朝]]の官選地理書『[[東国輿地勝覧]]』には「朝日が鮮明なるところ」<ref group="注">「國在東方 先受朝日之光鮮 故名朝鮮」</ref>とあり、[[李瀷]]は「朝は東方、鮮は[[鮮卑族]]の意」と解釈した<ref name="伊藤ほか2014-580"/><ref group="注">意味によって発音も異なり、鮮麗の鮮は「xiān」、鮮少の鮮は「xiǎn」である(郑春兰『传统文化经典读本 汉字』四川辞书出版社, 2018.01, P.209)。</ref>。
朝鮮の名は、中国古典の『[[山海経]]』(紀元前400~300年頃)で最初に見られる<ref>山海経</ref>。中国古典の『[[尚書大傳]]』(起元前200年頃)には、朝鮮の由来は『'''朝日鮮明の土地(中国から見て東にある土地)'''』と書かれている<ref>尚書大傳</ref>。『[[史記]]』(紀元前100年頃)の[[箕子]]にも見られる。[[李氏朝鮮]]時代に広まった<ref name="伊藤ほか2014-580">「地域・国名編-朝鮮」【監修】[[伊藤亜人]]+[[大村益夫]]+[[高崎宗司]]+[[武田幸男]]+[[吉田光男]]+[[梶村秀樹]]『[新版] 韓国 朝鮮を知る事典』[[平凡社]]、2014年3月19日 新版第1刷発行、ISBN 978-4-582-12647-1、580頁。</ref>。南北朝時代に編纂された史記の注釈書『[[史記集解]]』<ref name="史記三家註朝鮮列傳">[[s:zh:史記三家註/卷115|Wikisource 中国語版 「史記三家註/卷115」冒頭]]</ref>には{{仮リンク|張晏|zh|張晏}}の説で「朝鮮には[[湿水]]、[[洌水]]、[[汕水]]が有り、3つの[[川]]は洌水として合わさる。恐らくここから[[楽浪郡|楽浪]]は朝鮮と名付けたのだろう」とある。唐代の史記注釈書『[[史記索隠]]』では「朝鮮とは潮汕の音写である<ref group="注">原文「朝音潮 直驕反 鮮音仙 以有汕水故名也 汕一音訕」</ref>」と記されており、史記の時代から唐代までの中国では、川に因んだ地名と見做されていた。[[李氏朝鮮|朝鮮王朝]]の官選地理書『[[東国輿地勝覧]]』には「朝日が鮮明なるところ」<ref group="注">「國在東方 先受朝日之光鮮 故名朝鮮」</ref>とあり、[[李瀷]]は「朝は東方、鮮は[[鮮卑族]]の意」と解釈した<ref name="伊藤ほか2014-580"/><ref group="注">意味によって発音も異なり、鮮麗の鮮は「xiān」、鮮少の鮮は「xiǎn」である(郑春兰『传统文化经典读本 汉字』四川辞书出版社, 2018.01, P.209)。</ref>。


13世紀に成立した朝鮮の史書『[[三国遺事]]』には、伝説的な人物である[[檀君]]が国を建てる際に「朝鮮」と号したという話があるが、[[三国時代 (朝鮮半島)|三韓時代]]の[[百済]]、[[新羅]]、[[高句麗]]、日本の史書、中国の史書にはこのような記載はなく{{sfn|矢木毅|2008|pp=46}}、[[後漢]]時代にはこの伝説は生まれていなかったと見られている{{sfn|矢木毅|2008|pp=46}}。
13世紀に成立した朝鮮の史書『[[三国遺事]]』には、伝説的な人物である[[檀君]]が国を建てる際に「朝鮮」と号したという話があるが、[[三国時代 (朝鮮半島)|三韓時代]]の[[百済]]、[[新羅]]、[[高句麗]]、日本の史書、中国の史書にはこのような記載はなく{{sfn|矢木毅|2008|pp=46}}、[[後漢]]時代にはこの伝説は生まれていなかったと見られている{{sfn|矢木毅|2008|pp=46}}。

2021年1月10日 (日) 03:46時点における版

朝鮮

Location of 朝鮮
首都 ソウル特別市 / 平壌直轄市
最大都市 ソウル特別市
公用語 朝鮮語
民族
朝鮮民族
統治体制 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
大韓民国の旗 大韓民国
面積
• 合計
219,140 km2 (84,610 sq mi)[1][2] (84位)
• 水面積率 (%)
2.8
人口
• 2013年の推計
73,675,610[3] (18位)
• 人口密度
336.2/km2 (870.8/sq mi)
通貨 ウォン () (/)
時間帯 UTC+9 (KST/PYT)
韓国 / 朝鮮
各種表記
ハングル 한국 / 조선
漢字 韓國 / 朝鮮
発音 ハングク / チョソン
日本語読み: かんこく / ちょうせん
ローマ字 Hanguk / Joseon(2000年式
Hanguk / Chosŏn(MR式
英語表記: Korea
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統一旗

朝鮮(ちょうせん、チョソン、조선)は、朝鮮半島および済州島巨文島鬱陵島など周囲の島嶼海域を併せた地域を表す呼称。ユーラシア大陸の東端に位置し、北西に中華人民共和国、北東にロシア、南東に対馬海峡西水道(朝鮮海峡)を隔てて日本と隣接する。

この地の全域を、大韓民国(韓国)も朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)も共に自国の領土に定めており、両国の領土は完全に一致重複している。しかし現実は朝鮮戦争以降、軍事境界線38度線)を境に北半部は北朝鮮が、南半部は韓国が実効支配している。

朝鮮歷史
朝鮮の歴史
考古学 朝鮮の旧石器時代
櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC
無文土器時代 1500 BC-300 BC
伝説 檀君朝鮮
古朝鮮 箕子朝鮮
辰国 衛氏朝鮮
原三国 辰韓 弁韓 漢四郡
馬韓 帯方郡 楽浪郡

三国 伽耶
42-
562
百済
高句麗
新羅
南北国 熊津都督府安東都護府
統一新羅
鶏林州都督府
676-892
安東都護府
668-756
渤海
698-926
後三国 新羅
-935

百済

892
-936
後高句麗
901-918
女真
統一
王朝
高麗 918-
遼陽行省
東寧双城耽羅
元朝
高麗 1356-1392
李氏朝鮮 1392-1897
大韓帝国 1897-1910
近代 日本統治時代の朝鮮 1910-1945
現代 朝鮮人民共和国 1945
連合軍軍政期 1945-1948
アメリカ占領区 ソビエト占領区
北朝鮮人民委員会
大韓民国
1948-
朝鮮民主主義
人民共和国

1948-
Portal:朝鮮

「朝鮮」の由来

朝鮮の名は、中国古典の『山海経』(紀元前400~300年頃)で最初に見られる[4]。中国古典の『尚書大傳』(起元前200年頃)には、朝鮮の由来は『朝日鮮明の土地(中国から見て東にある土地)』と書かれている[5]。『史記』(紀元前100年頃)の箕子にも見られる。李氏朝鮮時代に広まった[6]。南北朝時代に編纂された史記の注釈書『史記集解[7]には張晏中国語版の説で「朝鮮には湿水洌水汕水が有り、3つのは洌水として合わさる。恐らくここから楽浪は朝鮮と名付けたのだろう」とある。唐代の史記注釈書『史記索隠』では「朝鮮とは潮汕の音写である[注 1]」と記されており、史記の時代から唐代までの中国では、川に因んだ地名と見做されていた。朝鮮王朝の官選地理書『東国輿地勝覧』には「朝日が鮮明なるところ」[注 2]とあり、李瀷は「朝は東方、鮮は鮮卑族の意」と解釈した[6][注 3]

13世紀に成立した朝鮮の史書『三国遺事』には、伝説的な人物である檀君が国を建てる際に「朝鮮」と号したという話があるが、三韓時代百済新羅高句麗、日本の史書、中国の史書にはこのような記載はなく[8]後漢時代にはこの伝説は生まれていなかったと見られている[8]

朝鮮の異称や雅号に「三千里錦繍江山」、「槿域」、「青丘」、「鶏林」、「」、「海東」などがある[6]

古代における朝鮮の場所

かつての朝鮮は半島全体を示す地域名称ではなかったが、その地域は史書によって相違点もある。

漢書』巻28下には、「箕子が朝鮮に赴いて民を教化した」という記述がある[9]。箕子はいわゆる王朝としての箕子朝鮮の祖である。前漢代に設置された楽浪郡の都は朝鮮県と呼ばれており、かなり狭い範囲のものであった。現在では発掘調査の結果、「朝鮮県」は現在の平壌付近を指すことが定説となっている[10]。『三国志』が引く『魏略』には、箕子が統治した「朝鮮」は、の東、遼東、遼西を含めた地域であると説明されている[11]。『魏書』には、北魏の支配する平州には楽浪郡があり、その下に朝鮮県があったと記述されている。『遼史』では東京遼陽府、現在の遼寧省遼陽市がかつて朝鮮と呼ばれていたという記述があるが、同時にかつて「平壌城」と呼ばれていたという記述もある[12]

李氏朝鮮による採用

高麗を打倒して王位に就いた李成桂は、重臣達と共に国号変更を計画し、「朝鮮」(朝の静けさの国)と「和寧」(平和の国)の二つの候補を準備し、洪武帝に選んでもらった[13]。「和寧」は北元の本拠地カラコルムの別名であったので、洪武帝は、むかし前漢武帝にほろぼされた王朝(衛氏朝鮮)の名前であり、平壌付近の古名である「朝鮮」を選んだ。そして李成桂を権知朝鮮国事に封じたことにより、朝鮮は正式な国号となった。和寧というのは単に李成桂の出身地の名であり、朝鮮はかつての衛氏朝鮮箕子朝鮮檀君朝鮮の正統性を継承する意味があったためにこちらが本命とされており、国号変更以前からそれを意識する儀式が行われていた[14]

「朝鮮/韓」などの相違

日本語を含む漢字文化圏では、「○○半島」(○○반도、○○バンド)、「○○民族」」(○○민족、○○ミンジョク)、「○○語」(○○、○○オ)などの様々な局面において、この地域を何と呼称するかが問題となる。

現地における呼称

現地の朝鮮語では、統治する国家によって南北で2種類の異なる呼び方がなされている。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では「朝鮮」(조선、チョソン)、大韓民国(韓国)では「大韓」(대한、テハン)ないし「」(、ハン)ないし「韓国」(한국、ハングク)と呼ばれ、互いに他方の名で呼ばれることを好まない。これらは北半分や南半分の一方を指す名称ではなく、共に全体の名称である。

これは、直接には両国における自称の国名が北朝鮮では「朝鮮」になったのに対し、韓国では朝鮮という国名は使われなくなり、「韓」が国家のみならず民族や半島をも含めた名称として受け入れられているためである。従って、現在の韓国では「朝鮮民族」や「朝鮮半島」という呼称はめったに使われず、「韓民族」「韓半島」が使用される。

この煩雑さを避け、政治的中立性を保つ意図で「コリア」、稀に「高麗」(こうらい、고려、コリョ)と呼ばれることがある。

日本語における呼称

この記事名である「朝鮮」(歴史的仮名遣では「てうせん」)は、この地域や民族の名称として日本語において広く用いられる呼称である。古くは、この地域の人々を指す言葉として「韓人」(からひと)、「高麗人」(こまびと)などがあり、李氏朝鮮時代には李朝の国号から「朝鮮人」(ちょうせんじん)という呼称が生まれた。李氏朝鮮が大韓帝国に国号を変えると、「韓国人」(かんこくじん)という呼称が生まれた。

韓国併合によって大韓帝国が消滅すると、日本は韓国の地名を朝鮮とし[15]、朝鮮に本籍地を有する日本臣民となった者が法律上、「朝鮮人」と称されることになった。本国(内地)と植民地という力関係を反映し、「朝鮮人」やこれを略した「鮮人」という呼び方には見下すようなニュアンスがこめられがちであるため、「朝鮮出身者」「朝鮮の方」といった遠まわしな言い方がしばしば使われた。朝鮮総督府は内地人に「鮮人」と呼ばないようしばしば呼びかけ、多くの文書で「朝鮮(半島)同胞」との呼称を用いた。旧陸軍においても朝鮮人兵士に対して「朝鮮人」や「鮮人」の語を使用しないよう指導がなされていた[16][17][18]

日本の朝鮮統治が終わった後もこのような傾向は続き、現在に至るまでも面と向かって「朝鮮人」と言うのを憚る風潮が存在する。しかし、「朝鮮」を統一名称とみなしている、または韓国を支持しない等々さまざまな理由から、在日朝鮮人が好んで「朝鮮人」を自称するケースもあるため、必ずしも蔑称とはみなされていない。韓国・北朝鮮の成立後は、全体を漠然と指すときは従来通りの「朝鮮人」が多く用いられ、特に韓国の国籍を保持する者を「韓国人」と呼んで区別している。「韓国人」の対立概念として「朝鮮人」を使用する場合には、北朝鮮を正統国家として支持する者や、または朝鮮籍の在日朝鮮人を限定して指すこともある。マスコミでは、「韓」と「朝鮮」との区別が問題になることを避けるために漠然と「朝鮮民族」と称することが多い。

日本語では朝鮮族という言い方も存在するが、これは中国吉林省延辺朝鮮族自治州を中心に、中国東北部満州)やロシア沿海地方などに住む朝鮮民族を特に指す語として使われる。

その他の言語における呼称

英語など、漢字文化圏以外の多くの言語では、中世高麗王朝に由来する Korean Coréen Koreaner などで呼んでおり、朝鮮と韓との区別はない。

「李氏朝鮮」の呼称

朝鮮通寶

日本においては王室の姓をとり「李氏朝鮮」もしくは「李朝」の呼称が用いられていたが、近年では「李氏朝鮮」を「朝鮮王朝」と言い換え、古朝鮮と朝鮮とで呼び分ける立場が日本の朝鮮史研究者の間では主流となってきた。文部科学省2002年に「李氏朝鮮」という呼称について「表記が不適切」との検定意見をつけた。その理由を、日本における学術研究の成果を反映したためとし[19]、特に朝鮮史学界での呼び方に倣ったことを強調した[20]

韓国における「朝鮮」

韓国においては「チョソン」は古称・雅名としても認知され、そのような文脈に限っては抵抗なく使われることもあるが、北朝鮮式の呼称であることによる忌避のみならず、日本語読みの「ちょうせん」は差別の意味合いを持って受け取られることがある。また、ヘル朝鮮にみられるように、朝鮮王朝時代の後進性からネガディブなイメージの呼称として受け取られることがある。南北をひっくるめて論じるときなどは「韓民族」「韓半島」などというのが普通であり[要出典]、かつて日本の保守系親韓派知識人の一部[注 5]もこのような用語法を用いた例もある。

北朝鮮における諸事情

北朝鮮では「ハングル」など読み方が「韓」を連想させるような語彙は嫌われることもある(ただし「ハングル」のハンは「韓」ではなく「偉大な」の意味である)。北朝鮮の日本向け日本語放送国際放送)『朝鮮の声放送』では「チョソン」の呼称が用いられる。

脚注

注釈

  1. ^ 原文「朝音潮 直驕反 鮮音仙 以有汕水故名也 汕一音訕」
  2. ^ 「國在東方 先受朝日之光鮮 故名朝鮮」
  3. ^ 意味によって発音も異なり、鮮麗の鮮は「xiān」、鮮少の鮮は「xiǎn」である(郑春兰『传统文化经典读本 汉字』四川辞书出版社, 2018.01, P.209)。
  4. ^ 文部科学省は前年2001年に「つくる会教科書」における「李氏朝鮮」という呼称について大韓民国から修正を要求されたが「明白な誤りとは言えない」として拒絶したことがあった。その翌年2002年の検定意見で「李氏朝鮮」という呼称を不適切としたことについて文部科学省は、韓国の要求に応じたのではなく、学術研究の反映であると説明した。同年の検定意見では「任那日本府説」の是非に絡む「倭日本は加羅を根拠地として百済をたすけ、高句麗に対抗」との記述にも検定意見をつけて「近年は任那の恒常的統治機構の存在は支持されていない」(日本経済新聞2002年4月10日朝刊)と説明した。
  5. ^ 山本七平など

出典

  1. ^ "North Korea". World Reference Atlas (2nd American ed.). New York: Dorling Kindersley. 1996. p. 413. ISBN 0-7894-1085-0
  2. ^ "South Korea". World Reference Atlas (2nd American ed.). New York: Dorling Kindersley. 1996. p. 498. ISBN 0-7894-1085-0
  3. ^ MT.co.kr
  4. ^ 山海経
  5. ^ 尚書大傳
  6. ^ a b c 「地域・国名編-朝鮮」【監修】伊藤亜人+大村益夫+高崎宗司+武田幸男+吉田光男+梶村秀樹『[新版] 韓国 朝鮮を知る事典』平凡社、2014年3月19日 新版第1刷発行、ISBN 978-4-582-12647-1、580頁。
  7. ^ Wikisource 中国語版 「史記三家註/卷115」冒頭
  8. ^ a b 矢木毅 2008, pp. 46.
  9. ^ 矢木毅 2008, pp. 45.
  10. ^ 矢木毅 2008, pp. 41、50.
  11. ^ 矢木毅 2008, pp. 61.
  12. ^ 矢木毅 2008, pp. 50–51.
  13. ^ 矢木毅 2008, pp. 42–43.
  14. ^ 矢木毅 2008, pp. 42–44.
  15. ^ 韓国ノ国号ヲ改メ朝鮮ト称スルノ件(明治43年勅令第318号)
  16. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードC01007778900
  17. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードC01007819700
  18. ^ アジア歴史資料センター、レファレンスコードC01007867000
  19. ^ 毎日新聞2002年4月10日朝刊。
  20. ^ 日本経済新聞2002年4月10日朝刊[注 4]

参考文献

  • 矢木毅「近世朝鮮時代の古朝鮮認識 (特集 東アジア史の中での韓國・朝鮮史)」(2008年)hdl:2433/152116

関連項目