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'''磯貝 浩'''(いそがい ひろし、[[1864年]]9月26日([[元治]]元年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]<ref>衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、12頁。</ref>{{R|大日}}{{R|現代}}<ref name=人4>『人事興信録 第4版』い96頁。</ref>)- [[1951年]]([[昭和]]26年)8月22日<ref name=議衆>『議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑』67頁。</ref><ref name=貴参>『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』187頁。</ref>)は、[[明治]]から昭和前期の[[実業家]]、[[政治家]]。[[衆議院|衆議院議員]]、[[貴族院 (日本)#勅任議員|貴族院多額納税者議員]]。
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==経歴==
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==脚注==
== 家族 ==
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== 人物 ==
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== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
* 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
*手島益雄名古屋百物評論日本電報通社名古屋支局、1915年。
* 人事興信所編『人事興信録 第4版人事興、1915年。
* 手島益雄『名古屋百人物評論』日本電報通信社名古屋支局、1915年。
* 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
* 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
*細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
* 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
*長江銈太郎『東京名古屋現代人物誌』柳城書院、1916年。
* 長江銈太郎『東京名古屋現代人物誌』柳城書院、1916年。
*衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
* 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
* 『楊城縉紳集:昭和甲戌』珊珊社、1934年。
* 『楊城縉紳集:昭和甲戌』珊珊社、1934年。
*『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
* 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
*『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
*『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
*衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
* 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
*衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
* 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


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2021年11月4日 (木) 12:02時点における版

磯貝 浩(いそがい ひろし、1864年9月26日(元治元年8月26日[1][2][3][4])- 1951年昭和26年)8月22日[5][6])は、明治から昭和前期の実業家生魚問屋[4]政治家衆議院議員貴族院多額納税者議員。族籍は愛知県平民[4]

経歴

三河国碧海郡大浜村[2][3][7][8]愛知県[5][6]碧海郡大浜町を経て現碧南市)で、磯貝安左衛門の二男として生れる[2][4]大学予備門で学んだが中退した[3][7]

経営難となった熱田の親族・大森家経営の老舗・魚問屋を継承して再建した[7]。熱田実業協会理事、名古屋商品取引所理事、大阪火災海上運送保険取締役、鉄道車両製造所監査役、名古屋商業会議所議員、愛知県農工銀行頭取、相続税審査委員、揖斐川電力監査役、名古屋劇場監査役、御園座取締役会長、東洋倉庫取締役会長などを務めた[2][3][4][5][6][9][10]。その他、名古屋織物同業組合名誉顧問、阿由地耕地整理組合長にも在任した[10]

1889年(明治22年)熱田町会議員に就任[10]。1892年(明治25年)愛知県会議員に選出され、同参事会員も務め、名古屋市会議員にも選ばれ、同参事会員にも就任した[3][4][7][8][10]

1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に愛知県名古屋市から立憲同志会所属で出馬して初当選[3][7][11]。その後、1917年(大正5年)4月、第13回総選挙(愛知県名古屋市、憲政会所属)[12]、1920年(大正9年)5月の第14回総選挙(愛知県第1区、憲政会公認)でも再選され[13]、衆議院議員に連続3期在任した[5][6][8]

また、1925年(大正14年)愛知県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され[14]、同年9月29日[15]に就任し、1932年(昭和7年)9月29日に再任されたが[16][17]、1933年(昭和8年)3月29日に辞職した[18][19]補欠選挙で互選され[20]、1937年(昭和12年)11月13日に貴族院多額納税者議員に再任し[21]同成会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[6]

家族

磯貝家
  • 妻・とみ1866年 - ?、東京、本多栄之助の三女)[4]
  • [4]

人物

貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[22]。住所は愛知県名古屋市南区熱田木之免町[4]

脚注

  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、12頁。
  2. ^ a b c d 『大日本人物誌』い之部71頁。
  3. ^ a b c d e f 『現代日本の政治家』同志会11-12頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第4版』い96頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月4日閲覧。
  5. ^ a b c d 『議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑』67頁。
  6. ^ a b c d e 『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』187頁。
  7. ^ a b c d e 『東京名古屋現代人物誌』196-198頁。
  8. ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』48頁。
  9. ^ 『名古屋百人物評論』252-253頁。
  10. ^ a b c d 『楊城縉紳集』216-217頁。
  11. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』55頁。
  12. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』88頁。
  13. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』12頁。
  14. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、35頁。
  15. ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。
  16. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、42頁。
  17. ^ 『官報』第1727号、昭和7年9月30日。
  18. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、43頁。
  19. ^ 『官報』第1872号、昭和8年3月30日。
  20. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、45頁。
  21. ^ 『官報』第3262号、昭和12年11月15日。
  22. ^ 『貴族院多額納税者名鑑』251頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月4日閲覧。

参考文献

  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 手島益雄『名古屋百人物評論』日本電報通信社名古屋支局、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 長江銈太郎『東京名古屋現代人物誌』柳城書院、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『楊城縉紳集:昭和甲戌』珊珊社、1934年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。