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「日本とカンボジアの関係」の版間の差分

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1953年1月、日本とカンボジアは正式な外交関係を結んだ<ref>{{Cite web|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/cambodia/kankei.html |title=最近のカンボジア情勢と日カンボジア関係 |publisher=[[外務省]] | accessdate=2014-5-25 }}</ref>。しかし、[[ポル・ポト]]時代の1975年以降、両大使館は閉鎖されていた。ポル・ポト政権崩壊後の1992年より在カンボジア日本国大使館が、1994年12月には日カンボジア大使館が運営を再開している<ref name="khemb">{{Cite web|title=二国間関係|url=https://www.kh.emb-japan.go.jp/political/gaikyo/gaikyo%20Apr%202012-8.pdf|publisher=在カンボジア日本国大使館|date=2012-04|accessdate=2013-05-21}}</ref><ref>{{Cite web|title=日本・カンボジアの外交|url=http://www.cambodianembassy.jp/?option=com_content&view=article&id=75|publisher=在日カンボジア大使館|date=2010-10-06|accessdate=2013-05-21}}</ref>。
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=== 在日カンボジア大使館 ===
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*住所:東京都港区赤坂八丁目6-9
*住所:東京都港区赤坂八丁目6-9
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== 関連項目 ==
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* [[駐日カンボジア王国大使館]]
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* [[日本の国際関係]]
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2022年12月17日 (土) 17:18時点における版

日本とカンボジアの関係
CambodiaとJapanの位置を示した地図

カンボジア

日本

日本とカンボジアの関係(にほんとカンボジアのかんけい、クメール語: ទំនាក់ទំនងជប៉ុន-កម្ពុជា英語: Cambodia–Japan relations)は日本カンボジア二国間関係を指す。日柬関係とも呼ぶ。カンボジアは東京駐日カンボジア王国大使館を、日本はプノンペン在カンボジア日本国大使館を置いている。

1953年1月、日本とカンボジアは正式な外交関係を結んだ[1]。しかし、ポル・ポト時代の1975年以降、両大使館は閉鎖されていた。ポル・ポト政権崩壊後の1992年より在カンボジア日本国大使館が、1994年12月には駐日カンボジア王国大使館が運営を再開している[2][3]

2020年時点の在日カンボジア人は約15,656人、2021年時点の在カンボジア日本人は4,502人となっている[4]

貿易

対カンボジアの貿易輸出入額は2020年時点で以下のようになっている。日本への主要輸出品目は靴や衣類、日本からの主要輸出品目は小型船舶、車両部品、縫製用機械などとなっている[4]

  • 対カンボジア輸出額: 1731億円 (2020年)
  • 対カンボジア輸入額: 518億円 (2020年)

カンボジアに対する日本の投資政府開発援助(ODA)関係の商社や建設会社が中心となってきたが、2008年以降はヤマハ発動機(オートバイ)やスズキミネベアなどの車両製造業、現代スイスと日本のSBIグループ合弁企業であるプノンペン商業銀行英語版三井住友海上火災保険が投資するアジア・インシュアランスなどの金融・保険業、味の素ヤクモF&Bなどの食品産業など多彩な分野の企業が進出するようになっている[2]

援助

日本は1992年以降政府開発援助(ODA)において2010年時点で19.6億ドル(対カンボジアODA額全体の18%)を援助し、カンボジアにとって最大の開発援助国となっている[2][5]。また、ペルシャ湾派遣に続く2度目の自衛隊の海外派遣カンボジア派遣が行われた。

2007年6月、日本とカンボジア両政府は投資の自由化や促進に関する日カンボジア投資協定を締結した。

日本政府は地雷除去や教育の分野で大きな援助を行なっている[6]。また、日本は1993年にアンコール遺跡救済国際会議を東京で開催、以降この会議で設置されたアンコール遺跡保存修復国際調整委員会(ICC)で日本はフランスとともに共同議長を務めている[4]

自衛隊は、定期的にカンボジアに対して、地雷除去を主とする能力構築支援事業を実施している[7]

日本の援助で、1963年にプノンペンにカンボジア日本友好橋英語版が作られた。2001年にはメコン川にきずな橋、2015年にはつばさ橋が作られた。2014年に発行された500リエル札には、きずな橋とつばさ橋が日章旗と共に描かれている[8]

外交使節

在カンボジア日本大使・公使

在日カンボジア大使館

  • 住所:東京都港区赤坂八丁目6-9
  • アクセス:東京メトロ銀座線・半蔵門線/都営地下鉄大江戸線青山一丁目駅4番出口
  • 1975年までは赤坂に大使館が存在した。大使館の縮小計画に沿って1974年に日本の不動産業者に売却された後にクメール共和国が消滅したため、旧政権に支払った代金がこげつくトラブルが生じた[9]

在日カンボジア大使

在日カンボジア王国大使

在日クメール共和国大使

  1. シム・ヴァル英語版(再任、1970~1974年、1974年3月に日本を出国してフランス亡命した)
  2. クン・ウィッグ(1975年4月17日まで)[要出典]

民主カンプチアポル・ポト政権)から日本への駐箚なし

ソン・サン派駐日代表

在日カンボジア王国大使

  1. トゥロン・メアリー(1994~1999年、信任状捧呈は12月26日[11]
  2. イン・キエト(イン・キエット、1999~2005年、信任状捧呈は6月24日[12]
  3. プー・ソティレアッ英語版(2005~2009年、信任状捧呈は4月11日[13]
  4. ハオ・モニラット(2009~2015年、信任状捧呈は2月23日[14][15]
  5. チア・キムター(2015~2018年、信任状捧呈は9月3日[16]
  6. ウン・ラチャナ(2018~2021年、信任状捧呈は10月18日[17]
  7. トゥイ・リー(2022年~、信任状捧呈は3月10日[18]

脚注

  1. ^ 最近のカンボジア情勢と日カンボジア関係”. 外務省. 2014年5月25日閲覧。
  2. ^ a b c 二国間関係”. 在カンボジア日本国大使館 (2012年4月). 2013年5月21日閲覧。
  3. ^ 日本・カンボジアの外交”. 在日カンボジア大使館 (2010年10月6日). 2013年5月21日閲覧。
  4. ^ a b c 二国間関係 - カンボジア王国”. 外務省. 2022年6月3日閲覧。
  5. ^ Gordon Jones (2008年8月31日). “A regular column concerning business in an emerging market, and its relationship with Japan”. Japan Inc Communications. 2013年5月21日閲覧。
  6. ^ Eri KOMUKAI. “Section 6. Demining, Mine Victims Assistance, and Assistance for Demobilized Soldiers”. JICA. 2013年5月21日閲覧。
  7. ^ カンボジアにおける能力構築支援事業”. 防衛省. 2014年5月25日閲覧。
  8. ^ カンボジアで「つばさ橋」開通——ベトナム・カンボジア・タイが1本の道路でつながった 国際協力機構、2015年3月26日
  9. ^ 20億円の献金の代償 六億円の安い契約価格 飼い主側、背景明かす『朝日新聞』1977年(昭和52年)3月30日夕刊、3版、11面
  10. ^ シハヌーク殿下一行名簿 日本国外務省南東アジア第一課
  11. ^ 信任状捧呈式(平成6年) - 宮内庁
  12. ^ 信任状捧呈式(平成11年) - 宮内庁
  13. ^ 新任駐日カンボジア王国大使の信任状捧呈について | 外務省 - 2005年4月8日
  14. ^ 外務省: 新任駐日カンボジア王国大使の信任状捧呈について - 2009年2月23日
  15. ^ カンボジア大使館フォーラム - NPOアクティブミドル国際協会のプレスリリース
  16. ^ 新任駐日カンボジア大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2015年9月3日
  17. ^ 駐日カンボジア大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2018年10月18日
  18. ^ 駐日カンボジア大使の信任状捧呈 | 外務省

関連項目

外部リンク