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「ノート:南京事件」の版間の差分

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:::::・3番目のご質問→記載場所にかんしては、Xefonさんの問題行動について論じた関連であること。また他の方も書かれていたので、そちらで問題ないのかと思っておりました。
:::::・3番目のご質問→記載場所にかんしては、Xefonさんの問題行動について論じた関連であること。また他の方も書かれていたので、そちらで問題ないのかと思っておりました。
:::::・最後にMokeさんに質問です。私の発言は、Xefonさんの問題行動について論じた延長でのTENさんの発言についての発言であるのに、Xefonさんの行動についての話題なく、TENさんへの発言のみを取り上げるのは何故でしょうか?--[[利用者:Harukaikeda|Harukaikeda]]([[利用者‐会話:Harukaikeda|会話]]) 2024年2月26日 (月) 07:23 (UTC)
:::::・最後にMokeさんに質問です。私の発言は、Xefonさんの問題行動について論じた延長でのTENさんの発言についての発言であるのに、Xefonさんの行動についての話題なく、TENさんへの発言のみを取り上げるのは何故でしょうか?--[[利用者:Harukaikeda|Harukaikeda]]([[利用者‐会話:Harukaikeda|会話]]) 2024年2月26日 (月) 07:23 (UTC)
::::::{{確認}} Harukaikedaさんは「Wikipediaのペナルティには不案内」との事で理解しました。Wikipediaのルールを確認せずに、他のユーザーにペナルティを課すべきと発言された事になります。重要なので、まずその点を確認しました。以下、返信です。
::::::*Xefonさんにもペナルティを課すべきとHarukaikedaさんが考えているなら、Xefonさんも含まれます。その場合は、Harukaikedaさんの発言で影響をこうむるアカウントが増えたと私は解釈します。
::::::*「Xefonさんの問題行動について論じた関連」とありますが、ユーザーにペナルティを課すべきという主張は記事のノートで書く事柄ではありません。意図的にWikipediaのルールに反する事を書いたのでしょうか。意図的でない場合は、このノートでは発言の撤回をおすすめします。
::::::*「他の方も書かれていたので、そちらで問題ないのかと思っておりました」というのは、Harukaikedaさんご自身の発言と矛盾します。Emmanuel Chanelさんに同調していないという主旨の発言が2024年2月20日 (火) 13:10にあるので、他の方の発言は無関係です。Harukaikedaさんご自身の判断で、TENさんとXefonさんにペナルティを課すべきと考えた事になります。
::::::--[[利用者:Moke|Moke]]([[利用者‐会話:Moke|会話]]) 2024年2月26日 (月) 20:22 (UTC)
{{確認}} 長谷亮介さんが無期限ブロックとなっていました。理由は「sockpuppet」です[https://w.wiki/9Eaj]。以前この節に、くまくま第二さんとPiyopiyoko2さんのブロックについて書いたのと同様に、経緯の確認として記録しておきます。これらのアカウントからは現時点で意見をいただけないのでご留意ください。--[[利用者:Moke|Moke]]([[利用者‐会話:Moke|会話]]) 2024年2月22日 (木) 00:07 (UTC)
{{確認}} 長谷亮介さんが無期限ブロックとなっていました。理由は「sockpuppet」です[https://w.wiki/9Eaj]。以前この節に、くまくま第二さんとPiyopiyoko2さんのブロックについて書いたのと同様に、経緯の確認として記録しておきます。これらのアカウントからは現時点で意見をいただけないのでご留意ください。--[[利用者:Moke|Moke]]([[利用者‐会話:Moke|会話]]) 2024年2月22日 (木) 00:07 (UTC)



2024年2月26日 (月) 20:22時点における版

この項目がここに移動される以前に同一名称だった項目にはノートページが存在します。詳細はノート:南京事件 (1937年)(移動以前の過去ログ)を確認してください。--Himetv 2010年6月14日 (月) 10:49 (UTC)[返信]

この項目が南京大虐殺から移動された際にノートページが移動されませんでした。移動が行われた2010年6月14日 (月) 05:39以前のノートについては、ノート:南京大虐殺をご覧下さい。--Himetv 2010年6月14日 (月) 10:56 (UTC)[返信]


記事の再構成について

  • 一般的な構成に基づいて、論争を排除した上で、どんな事件か説明できるなら、それに反対する理由はないでしょう。しかしそもそもどんな事件か自体が論争になっていると思うのですが、本当にそのような構成が可能なのでしょうか。--フューチャー会話2023年12月11日 (月) 09:10 (UTC)[返信]
  • 返信 概説書や事典類などでは「南京事件」の概略を説明する際に基本的に「どんな事件か自体」の論争には言及していないので、これらから記述を作るならば自然と南京事件論争への言及は限定的なものになると思います。現在の版の冒頭文の出典が事典類であるのに「この事件の存在は、連合国軍占領下の日本において行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)で認定され~」という論争の話題に入るところから突然、東京裁判の判決文のような一次資料、産経新聞・朝日新聞のようなマスコミ記事、刑法史の論文といった出典に切り替わるのは恐らくこれに起因しているでしょう。また、論争に言及する場合にも、笠原『南京事件』、秦『南京事件』といった概説書における論争への言及の仕方というのは基本的に実際に起きた事象と論争をきちんと区別していますし、臼井『新版 日中戦争』では論争には言及せず単なる事実として描写が行われています。これらの中では基本的に南京事件が「どんな事件か自体」ははっきりしていて、細部はどうあれ日本軍による虐殺事件という取り扱いは確固たるものがあります。不明なものとして取り扱われているのは「犠牲者の正確な数」という点に尽き、実際「論争」に関連して『戦争犯罪事典』や『現代アジア事典』などで言及されている論争も犠牲者数に関わる点なので、この点を節にまとめて記述すれば論争への言及としては一般的な形になると思いますがいかがでしょうか。--TEN会話2023年12月11日 (月) 16:50 (UTC)[返信]
    いかんせん形がないと分かりづらいですから、改稿に向けての草案のようなものを作っていただくことは可能でしょうか。笠原・秦・臼井はいずれも手元にありますので、加筆および査読にはお力添えできると思います。--Nux-vomica 1007会話2023年12月13日 (水) 05:56 (UTC)[返信]
    返信 ありがとうございます。そうですね、一部書いてみたりはしていたので、一応全体的にこんな風にしたら良いのでは的なものを下書きに置いて見ようと思います。--TEN会話2023年12月13日 (水) 16:22 (UTC)[返信]
    コメント とりあえず、利用者:TEN/sandbox2に主に笠原『南京事件』と秦『南京事件』の記述をベースにするとこんな形になるのではないかというものを置いて見ました。まだ全く中身も無い節もありますが、あんまり時間を置いても何なので一旦ここで共有します。基本的には
    • 前史
    南京事件
    南京戦および占領時の日本軍の編成
    事件を引き起こした要因
    史料
    というあたり骨格に構成するのが良いのではと思っています。--TEN会話2023年12月17日 (日) 18:16 (UTC)[返信]
    すみません、このページからの履歴継承がないようですが大丈夫ですか?--フューチャー会話2023年12月20日 (水) 22:15 (UTC)[返信]
    返信 下書きの内容で現行の南京事件の記事から引き継いでいるのは原剛氏の引用を紹介している注釈だけなので、特に継承する履歴はないと思っています。部分的に反映する場合に備えてタグの形式を揃えるために参照タグはコピーしていますが、これは多分履歴継承は不要だろうと考えます。もし問題があるようであれば別途対処します。--TEN会話2023年12月21日 (木) 11:59 (UTC)[返信]
    報告 さしあたり、こういう感じにしてはどうだろうかというものを下書きにまとめました(誤字脱字や文法のおかしな文章の調整などはまだしていません)。笠原・秦それぞれの『南京事件』をベースにはしていますが、資料部分などはちょっと当初とは変えて別の出典を主に用いてしまってはいます。提案としてはこれを採用するしないは別としても、現在の記事の構成は全面的に見直すべきだというものになります。先だって議論していたXefonさんの編集内容は敢えて独自に組み込むことはしていませんが、必要に応じてそれも併せても良いかもしれないと思います。--TEN会話2024年1月11日 (木) 16:59 (UTC)[返信]
    執筆お疲れ様です。適切な資料を適切に要約した、よい記事になっているものと考えます。形式面で気になった部分を挙げます。
    • これだけ分量のある記事でしたら、概要節は必要になってくるかなと思います(WP:LEAD)。
    • 「南京戦における日本軍の編成」節の、上海戦から南京戦にかけての日本軍現地部隊の編成の出典が欠けているため(おおむね本文中に記述がありますが、各師団の師団長などについてはこの部分が初出になってくると思います)、出典を追補するべきでしょう(具体的には、秦2007:330-337)。
    • 各所に「(秦)」といった表記が見られますが、これは{{harv}}テンプレートなどを用いたほうがスマートなのではないかなと思います。
--Nux-vomica 1007会話2024年1月12日 (金) 10:29 (UTC)[返信]
  • 返信 確認ありがとうございます。一通り修正してみました。また、一応東京裁判と南京軍事法廷についての記述も追加しました。
    • 概要節:追加してみました。一文あたりに出典を付けるのが難しいので、編集合戦を誘発しやすい記事であることを考慮すると概要の作り方はちょっと悩みますが、大雑把にはこんな感じかなと思います。
    • 日本軍現地部隊の編成の出典:出典追加しました。
    • {{harv}}テンプレート:とりあえず証言など一次資料引用の孫引きは{{Quote}}テンプレート、参考文献の著者の引用は括弧だけで統一してみました。{{harv}}は現時点だと、参照情報の表記法に統一感がなくなってしまうので、実際に記事の方に記述を適用した後に全体の参照表記法の整理と一緒に適用できれば良いかなと思います。--TEN会話2024年1月13日 (土) 15:16 (UTC)[返信]
    ありがとうございます。私としては、現状の記事はこの草案で上書きしてよいものと思いますが、他の方の意見を待ちたいです。--Nux-vomica 1007会話2024年1月14日 (日) 23:02 (UTC)[返信]
    I think this is a significant improvement, thank you for your work. The article still lacks images; is there a plan for their inclusion?
    これは大きな改善だと思います。ご尽力いただきありがとうございます。 この記事にはまだ画像がありません。 彼らを含める計画はありますか?--Toobigtokale会話2024年1月15日 (月) 05:46 (UTC)[返信]
    返信 At least, I have no plans to add any images to the draft. This is because dealing with the authenticity of photos related to Nanjing Massacre is quite complicated, and I am concerned about the spread of discussion and lose its focus. And, there is nothing about photography of the incident among the references that I have collected for this draft. However, I believe it would be better to include some images. It might be easier to bring them from the English version, but I also think it is better to think about them separately from the process of rewriting contents of the article. --TEN会話2024年1月16日 (火) 03:35 (UTC)[返信]
    I had suspected that was the reason; images are indeed difficult to prove. Still, this draft is an improvement.
    If you or anyone else can, in the future, work on adding in images, that would be appreciated.
    それが理由ではないかと私は思っていました。 画像を証明するのは確かに困難です。 それでも、この草案は改善されています。
    あなたまたは他の誰かが将来的に画像の追加に取り組むことができれば、それは幸いです。--Toobigtokale会話2024年1月16日 (火) 08:09 (UTC)[返信]
コメント あまりに節が長くなりすぎてて見通しが悪いので、ちょっと中途半端な位置ですが節をわけました。とりあえず、今週いっぱい程度異論が出なければ、下書きを本文に反映したいなと思います。コメント等あれば随時下書きを手直しするなり対処したいと思います。--TEN会話2024年1月17日 (水) 15:04 (UTC)[返信]
  • 報告 とりあえず提案から一週間以上経過し、新しい意見もつかなかったため記述を本文に反映しました。何かあれば随時調整ということになるかと思います。--TEN会話2024年1月21日 (日) 15:14 (UTC)[返信]
コメント 議論活性化のためのコメント依頼を見て来ました。出典に関する議論がなされ、笠原『南京事件』と秦『南京事件』をもとにした改稿をTENさんが行ったのを確認しました。基本的にTENさんの改稿に同意します。
改稿に関連して、TENさんが2023年11月9日 (木) 14:00に書いた「論壇誌やマスコミ記事の記述を主たる出典にすべきではない」という意見、常陸のクマさんが2023年11月9日 (木) 14:51に書いた、秦『南京事件』・北村『南京事件の探究』・笠原『南京事件』くらいを基礎として書き直すという意見に基本的に同意します。Xefonさんが2023年11月9日 (木) 06:08に書いた「信頼に値しない出典に基づく記述の削除」という意見は、表現がやや攻撃的に見えますけれど、大筋としてTENさんや常陸のクマさんと同じだと解釈しました。私は文献が手近にないので、Nux-vomica 1007さんが2023年12月13日 (水) 05:56で提案したようなお手伝いはできないと思いますけれど、何かあれば随時書きます。
花蝶風月雪月花警部さんが2023年12月12日 (火) 14:45 に書いた論争についての指摘は改稿において重要だと考えますけれど、今後の課題とさせてください。
フューチャーさんが2024年1月21日 (日) 16:37 に書いた参考文献のノートについての提案に同意します。--Moke会話2024年1月30日 (火) 12:52 (UTC)[返信]
追記。フューチャーさんが 2024年1月31日 (水) 11:57 で議論にもとづいた編集であると発言されているのを確認しました。--Moke会話2024年2月1日 (木) 05:11 (UTC)[返信]

「論争」について

コメント 「保守」の言論空間では、一部の新聞・雑誌や通俗的な歴史本にて、「虐殺」または「事件」の存在を否定する主張が見られるものの、空間内にとどまっており空間の「外」との「論争」には至っていない。また、「肯定派」と「否定派」は共通の活動(や議論)の場所を持っておらず、それぞれの場で互いの研究や主張を批判することはあっても、「論争」がおこる状況にはない。したがって、現状「どんな事件か自体」についての論争は「存在しない」といっても過言ではない状況にある。--花蝶風月雪月花警部会話2023年12月12日 (火) 14:45 (UTC)[返信]
デタラメ。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月27日 (水) 13:47 (UTC)[返信]
論争が存在しないならそれぞれの出張を載せても論争に参加することにはならないといますが。それとKonnnitihaseizinnnosabuさんは「デタラメ」とだけ返信しても意味不明ですので返信は具体的にお願いします。--フューチャー会話2023年12月28日 (木) 05:27 (UTC)[返信]
  • 返信 個人的な意見としては、それぞれの主張を載せるというのは、以前にも書いた通り実質的にWikipedia記事を論争の場として使うのに等しいものだと思うので、基本的には言及しない方が良いと考えます。花蝶風月雪月花警部さんの表現を借りて言えば「『肯定派』と『否定派』は共通の活動(や議論)の場所を持っていない」わけですが、Wikipedia上であたかも議論が成立しているかのように両論併記してしまうのは適切でないように思います。一応、現在の南京事件の記事で使われているものの中からそうした議論についての出典も確認はしてみたのですが、敢えて論争に言及するとすれば「犠牲者数」をそれぞれがどのように算出しているか、について言及するのが良いのではないかと思いますが自信はないです。
  • まず、論壇誌等での議論においても、実際のところ「否定」されているのは主として中国政府の公式見解となっている「30万人」や数万人~20万人という犠牲者数であって、事件そのものを否定する見解は少なくとも主流でなさそうです。原剛「南京大虐殺はあったのか」『昭和史20の争点 日本人の常識』(2003)では原剛氏は現代の研究では「①の三〇万人説や②の二〇万人以上説、⑤の虐殺否定説(まぼろし説)は、以下に述べるように実証性・論理性に欠けていることが判明してきた」と要約しています。本文のあとがきによれば月刊誌『諸君!』2003年7月号に掲載された記事を加筆訂正・改題したものということなので、いわゆる保守系の「場」においての議論の要約として参考になるかとは思います。加えて、新しい歴史教科書をつくる会の発起人の藤岡信勝『自由主義史観とは何か』(1997)でもp. 34で「今日、南京事件の存在自体を否定する者はほとんどいない。しかし、犠牲者数については長い論争があり...」となっていて、やはり虐殺そのものを否定する見解が極めて少数の例外的な立ち位置であることはこうした「場」においても基本認識と言えるように思います。
  • 一方で『南京大虐殺否定論13のウソ』(1999)に掲載されている笠原十九司「『数の論争』のトリック」で主張されている内容は「否定派が仕掛ける『数の論争』のトリックは、今となっては数の問題に正確な結論は出せないということを利用して、数の問題が解明されなければ南京大虐殺も『まぼろし』『虚構』であるかのごとく思わせ、実態認識にいたろうとする思考の道を妨げるところにある。」といった具合で、「否定派」の議論の内容というより手法について批判を向けており、この両者は歴史学的な意味での「論争」をしているわけではないんですよね。
  • 実際見てみると南京事件が「どんな事件か自体」についてはそれぞの「場」内部においてさえ争われてはいないように思えます(そしてこれらの多くは、「信頼できる情報源」として取り扱うのは難しいようにも思います)。端的にいってこれらについて解説・紹介するのは基本的に南京事件自体についての説明にはならないと思います。--TEN会話2023年12月28日 (木) 18:58 (UTC)[返信]
>教科書について
それは当たり前です。しかし、日本国の場合、歴史教科書と政府見解は一致しています。人間は多かれ少なかれ自分の属する国家の見解の影響を受けるはずなので、日本語使用者が最も多い日本国政府の見解の影響を受けている可能性が高いと思います。また、日本語使用者自身の多くが、日本国で教育されています。Wikipediaの記述の変化から日本国の歴史教科書の改変はある程度予想できます。
※実際、前々回の中学歴史教科書で「南京大虐殺」が完全少数派となると、ここの名前も2010年には「南京事件」に転換されました。その後、いろいろな箇所で「南京事件」と教わった世代が浸透しているため、学界などでも「南京大虐殺」は完全少数派化してる節があります。本来は、通説に基づいて教科書が編纂されますが、日本国の公民・歴史教科書の場合は違うようです。例えば、昭和30年代から公民教科書が当時の日本国政府が発表した学習指導要領の規定を無視する形で「日本国憲法三原則説」を唱えると、その後、7原則説や5原則説は衰退し、「三原則説」が多数派となりました。採択率が最も低い自由社は三原則説を唱えたのちに残りの「4原則」を唱え、7原則説を主張しています。
あとはちょっと手に蕁麻疹ができたのと、謎のバグでエンターキーを押すと文字が消える不具合(?)に悩まされているので後で(Wikipediaだけ。じゃがいもサーバーだし。エーペックスかよ。)。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月15日 (金) 16:45 (UTC)[返信]
  • 返信 本当にWikipediaの記述の変化から日本国の歴史教科書の改変はある程度予想できるとすれば、単に不適切な編集が継続的に行われているというだけであるように思います。なお、履歴を見る限り本記事が「南京大虐殺」から「南京事件」へ改名されたのは「歴史学の分野では、南京事件と呼ぶのが主流であるから。 また、虐殺に関する論争でも多数派であるので。」となっており、教科書の記述が理由にはなっていないです。いずれにせよ編集にあたって中学・高校レベルの教科書は基本的に関係がありません。--TEN会話2023年12月17日 (日) 18:16 (UTC)[返信]
    >本当にWikipediaの記述の変化から日本国の歴史教科書の改変はある程度予想できるとすれば、単に不適切な編集が継続的に行われているというだけであるように思います。
    「不適切な編集」であっても、その人の意識も社会全体の意識としてカウントされます。
    >歴史学の分野では、南京事件と呼ぶのが主流であるから。 また、虐殺に関する論争でも多数派であるので。
    当時の歴史学者の多くが「南京事件」として教えられた世代です。今後、「南京大虐殺」が復活するでしょう。現在の教科書との関連はちょっと自分でもよく分からなくなりましたが、学者が受けた教育にだいぶ影響されていると感じます。日本国憲法三原則説もそうです。昭和30年の指導要領(https://erid.nier.go.jp/files/COFS/s33j/chap2-2.htm)では「日本国憲法は,基本的人権の尊重,平和主義,国民主権,三権分立,代議制,議院内閣制等の基本的な原則に基いている」となっていますが、教科書には三原則説が載っていました(このとき、学者も検定担当者も基本的に戦前・戦時中(占領下を除く。)の教育を受けた世代です)。現行版では指導要領も三原則説となり、検定では自由社など三原則説をもとにした書き方を強制され、残りの原則は補足的になるなど、学問の自由への侵害も行われています。
    >いずれにせよ編集にあたって中学・高校レベルの教科書は基本的に関係がありません。
    表面上はそうでしょう。それは間違いありません。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月27日 (水) 13:45 (UTC)[返信]
    これに関しては「だから何」としか言いようがありません。記事と関係ない演説はご遠慮ください。--フューチャー会話2023年12月28日 (木) 05:30 (UTC)[返信]
    To all, please remember to continue this conversation. I wish everyone a healthy and productive 2024. I am sorry to hear of the recent disasters in Japan; I hope you are all not affected by it.
    There is still work to do. This article has had these problems for over a decade now, it is time to fix it.
    皆さん、この会話を忘れずに続けてください。 皆様にとって、2024 年が健康で実りある年になりますようお祈り申し上げます。最近の日本での災害のことを聞いて残念に思います。 皆さんが影響を受けないことを願っています。
    やるべきことはまだあります。この記事にはこれらの問題が 10 年以上存在しており、修正する時期が来ました。--Toobigtokale会話2024年1月6日 (土) 11:58 (UTC)[返信]

Note

I am writing this to let you know of my intentions.

The current page does not reflect the international consensus (I understand that @Konnnitihaseizinnnosabu has expressed skepticism that such a consensus can be ascertained, I don't agree.) Ask yourself: what if the current article is wrong, and that it gives too much weight to fringe theories that only have popularity within Japan? The article would represent an erasure of and insult to the deaths of the millions across East Asia who died during the 20th century.

If this article does not more closely represent the international consensus by February 2024, I will reach out to the international press about this issue. I plan to contact 200 journalists across the world at first, then if it does not change by March, I will contact 400 more journalists. I will not stop until it reflects the international consensus.

My plan is for people in both rural Finland and Mexico to be aware of this issue. They will not have a good image of the Japanese Wikipedia.

I understand that my tone has been rude. This is an intentional choice. I have been far kinder than the rest of the world will be.

I love Japan, and visit it often. I think Japan is one of the greatest civilizations in world history, and think you have much to be proud of. I am advising you, do not shame Japan by leaving this article in this state.

私の意図をお知らせするためにこれを書いています。

現在の記事は国際的な合意を反映していません。(@Konnnitihaseizinnnosabuさんがそのような合意が確認できるかどうかについて懐疑的であることを表明していることは理解していますが、私は同意しません。)もし現在の記事が間違っていて、日本国内でのみ人気がある非主流の理論を重視しすぎているとしたらどうなるだろうか、と自問してみてください。この記事は、20世紀に東アジアで亡くなった何百万人もの人々の死を抹殺し、侮辱するものとなるだろう。

この記事が 2024 年 2 月までに国際的なコンセンサスをより正確に反映していない場合、私はこの問題について国際報道機関に連絡するつもりです。

まずは世界中のジャーナリスト200人に連絡し、3月までに状況が変わらなければさらに400人のジャーナリストに連絡するつもりだ。 国際的な合意を反映するまではやめません。

私の計画は、フィンランドの田舎とメキシコの両方の人々にこの問題を知ってもらうことです。 彼らは日本語版ウィキペディアに対して良いイメージを持っていないでしょう。

私の口調が失礼だったことは理解しています。 これは意図的な選択です。 私は世界の他の人々よりもずっと親切でした。

私は日本が大好きで、よく日本を訪れます。 日本は世界史上最も偉大な文明の一つだと思います、誇るべきことがたくさんあると思います。 この記事をこのまま放置して日本に恥をかかせないでください、と忠告します。--Toobigtokale会話2023年11月13日 (月) 11:35 (UTC)[返信]

  • 返信 Hello Toobigtokale, Excuse me for interrupting. I generally agree with you that there are many problems with the content of this article.
However, the way you have made your request is not appropriate. I think that you are free to contact anyone regarding this article, it is not acceptable to use this as a condition to demand specific edits from others. According to Japanese Wikipedia's policy, it is inappropriate for a user to arbitrarily set a deadline or force others to make specific edits.
Personally, I think that foreign Wikipedia or international agreements are not very important when editing Wikipedia. However, there is a fundamental problem with this article: it is that denying 'Nanjing massacre' is not a common stance in the Japanese academic community. This article does not accurately reflect the general view in Japanese academic circles, as it takes quotations from some sources very out of context. The content of this current article has never been common in Japanese historical societies. This will have to be corrected. But, please refrain from making requests like this. --TEN会話2023年11月13日 (月) 13:58 (UTC)[返信]
Thanks for the thoughtful reply, I agree with your post, although I will still maintain this timeline. I've been thinking about the consequences of this for a month now. I know it's not normal practice and against Wikipedia policy. The issue is that this article has remained like this for around a decade without significant momentum to change. And as I'm sure you're aware, the moral implications of this are severe.
The Japanese Wikipedia is among the most viewed websites in Japan. Think of how many people read this article and thought of it as truth.
And even if I was banned from Wikipedia because of this, it still wouldn't prevent me from being able to go to the press. I will still sleep comfortably at night regardless of the outcome. My intentions are good.
If people would rather that I don't set deadlines, I could instead go to the international press immediately. However, that would likely be extremely disruptive and make it difficult for you guys to make thoughtful edits on this article. I want to make sure you guys have the opportunity to actually fix this page.
他の人への翻訳:
思慮深い返信をありがとうございます。私はあなたの投稿に同意しますが、今後もこのタイムラインは維持します。この一ヶ月間、この結果がどうなるかを考えてきた。それが通常の行為ではなく、ウィキペディアのポリシーに反することは承知しています。問題は、この記事が約10年間、大きな変更の勢いもなくこのままになっているということです。 ご存知かと思いますが、これがもたらす道徳的影響は深刻です。
日本語版ウィキペディアは、日本で最も閲覧されているウェブサイトの 1 つです。 どれだけの人がこの記事を読んで真実だと思ったか考えてみてください。
たとえこれが原因でウィキペディアから追放されたとしても、それでも報道機関に行くことができなくなるわけではありません。結果に関係なく、夜は快適に眠れます。 私の意図は良いです。
私が期限を設定しないことを人々が望んでいるなら、代わりに私はすぐに国際的な報道機関に行くこともできます。ただし、これは非常に混乱を招く可能性が高く、この記事を慎重に編集することが困難になります。この記事を慎重に修正する機会を皆さんに与えたいと思います。--Toobigtokale会話2023年11月13日 (月) 22:24 (UTC)[返信]
Your assertion is quite odd. Are you aiming to utilize the press as a means of causing "extreme disruption" rather than raising the existing problems to seeking the solution? In my opinion, third-party coverage of this issue is not problem and rather preferable. It could foster constructive discussions.
By the way, your talk in JAWP is inherently problematic, as it appears to violate policies such as POINT; NOTBATTLEGROUND; NOTCOMPULSORY. Resorting to intimidation to the community without appropriate disscussion are in itself more extremely disruptive than you are to do.--Nux-vomica 1007会話2023年11月14日 (火) 08:19 (UTC)[返信]
No, my goal is not to disrupt discussion, that's why I'm offering to delay going to the press.
The reason why I say the press may be disruptive is because there would be potentially hundreds of thousands of people who are even less familiar with the Japanese Wikipedia's practices who would pour onto this talk page and article. It may also potentially cause experienced editors to avoid contributing because of fear of backlash. This historical topic is so complicated that it needs space for discussion from experienced editors.
If people think it'd be better that I go to the press immediately, I can do so. I'm also generous on what "close to the international consensus" can look like. If it's clear that significant progress has been made, I will not contact the press. I'm not unreasonable; my goal is to not go to the press at all. I'm just doubtful that this push to change the article is anything different than anything that's happened in the past ten years.
Again, this article has been like this for around ten years. Please prove me wrong and fix it.--Toobigtokale会話2023年11月14日 (火) 08:46 (UTC)[返信]
  • 返信 Unfortunately, despite your intentions, your action may not contribute to this article. Editing any articles shouldn't take into account what an user does outside of Wikipedia. Additionally, when a user who ignores Wikipedia policy participates, it becomes inevitable that the discussion will focus more on the user's actions than on the content of the article. I believe there are many problems with this article that should be corrected, but I hesitate to make these corrections under the request you made.
Even if this article were to be correctd, it would continue to be edited. If, at that time, the corrected version is labeled as 'made due to inappropriate behavior against Wikipedia's policy', then that version would no longer has a basis in Wikipedia. It would be reverted immediately, and it would take a lot of effort to explain its suitability. Please do not ignore Wikipedia's policy.--TEN会話) 2023年11月14日 (火) 14:47 (UTC) --TEN会話2023年11月14日 (火) 15:26 (UTC)[返信]
If I contact the press immediately, that should abide by Wikipedia policy. It may cause some chaos in the short term, but in the long term maybe it will contribute to quality discussions as @Nux-vomica 1007 suggests.--Toobigtokale会話2023年11月15日 (水) 00:14 (UTC)[返信]
  • 返信 What I want to say is please do not force others to make certain edits. Whether or not you contact journalists is a personal matter for you and it is not an issue for others to resolve. And I think journalists should be free to discuss any articles on Wikipedia.
It is unacceptable to attempt to control the editing of others througgh your actions. And, if your actions outside of Wikipedia lead to a series of posts that create some 'chaos' in this note, they will simply be treated as meatpuppets. This is a very simple situation. There may be long and fruitless discussions on how to deal with it. Editing Wikipedia is not guided by a shepherd. --TEN会話2023年11月15日 (水) 14:27 (UTC)[返信]
Understood and agreed. I will contact journalists anyway. I encourage you all to block out and ignore any unproductive visitors that arrive as a result of my actions.--Toobigtokale会話2023年11月15日 (水) 14:53 (UTC)[返信]
  • 返信 I have difficulty understanding about your approach in anticipating unproductive visitors. If journalists mention this article, I hope it's useful.
the sources used in this article, such as 笠原十九司『南京事件』、臼井勝美『新版 日中戦争』、『世界戦争犯罪事典』, provide explanations of the massacres commited by Japanese Army. Based on these references, the article should not be in the current form. I believe it is necessary to correct the conscious omission in this article. This article should reflect the references, but I also believe that discussions should proceed according to Wikipedia's policy. --TEN会話2023年11月15日 (水) 17:23 (UTC)[返信]
  • 返信 Your claim is somewhat threatening and may violate the policy of WP:LEGAL,WP:POINT. If you think the article is incorrect, you can edit the article based on the correct source. If your Japanese is not good, you can use AI translation.--薔薇騎士団会話2023年11月16日 (木) 12:29 (UTC)[返信]
    Have already responded to the other user. I'm contacting journalists immediately with no set timeline, which abides by Wikipedia policy.--Toobigtokale会話2023年11月16日 (木) 13:12 (UTC)[返信]
    Looking at your contribution history, you have not edited a single article. You should first make an effort to edit what you think is wrong according to Wikipedia's rules. If your Japanese is not good, you can use AI translation or ask Japanese contributors to translate for you. --薔薇騎士団会話2023年11月17日 (金) 04:01 (UTC)[返信]
    I'm not really required to do that, so I won't do it. If an oil spill happened, are local people not allowed to be upset unless they personally went to go clean it up?
    I am allowed to contact the press, so I will. In the spirit of making suggestions, you should work hard to fix this page before any observers come; it would make me look bad if I made all this effort for something that was already fixed.--Toobigtokale会話2023年11月18日 (土) 12:15 (UTC)[返信]
強行措置に対して断固として抗議し、最大限の厳しい言葉で非難します(岸田文雄風)。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年11月19日 (日) 17:26 (UTC)[返信]
I already changed the terms to fit Wikipedia policy. Note to other commenters, I will stop replying to this thread unless someone has something more interesting to say.
ウィキペディアのポリシーに合わせて条件をすでに変更しました。他のコメント投稿者に注意してください。誰かがもっと興味深いことを言わない限り、私はこのスレッドに返信するのをやめます。--Toobigtokale会話2023年11月19日 (日) 23:28 (UTC)[返信]
  • コメント ノートでの議論に日本語話者しか参加できないということは多分ないと思うのですがいかがでしょうか。記事の本文には正確な日本語が求められると思いますが、Meta wikiでもA guide to the Japanese Wikipediaで「Your contribution to the Japanese Wikipedia is always welcome.」と案内されていますし、Wikipedia:Help for Non-Japanese Speakersなどのようにそれを前提としたコミュニケーションの場もあります。非日本語話者の参加は日本語版Wikipediaの方針に沿う限り前提として歓迎されるものとされていると思います。--TEN会話2024年1月16日 (火) 02:58 (UTC)[返信]
    @TEN
    日常的に日本語を使用していない方も参加して良いとは思うのですが、「議論の場」である以上、ある程度の日本語能力は必要ではないかと感じます。機械翻訳しただけの日本語では、しばしば意味が分かりにくい箇所もあり、円滑な議論が進行できません。英語や中国語、韓国語、スペイン語、フランス語、ドイツ語など、世界中には多種多様な言語がありますが、それらの言語でノートページに記述された場合、日本語版のWikipediaであっても、外国語を正確に理解して返信しなければならないのでしょうか。それとも、外国語に自信がない場合は無視しても問題ないのでしょうか。おそらく、英語版など、他言語版のWikipediaのノートページに日本語で書き込んでも、議論に応じてもらえない可能性が高いと思うので、「日本語版なので、原則、日本語でコミュニケーションしてほしい」と要求することは問題ないと考えます。--Bitcoiner001会話2024年1月17日 (水) 04:18 (UTC)[返信]
    返信 日本語でコミュニケーションしてほしいというのは当然ありだと思うのですが、元のコメントは「日本語の使用に不自由のある編集者の方はご遠慮いただきますよう」なのでちょっと違うかなと思う次第です。Wikipedia:ノートページのガイドライン#日本語を使うの記述だと、「誰に対して投げかけるコメントであっても、ウィキペディア日本語版のノートページでは日本語を使うのが望ましいです(中略)。日本語以外の言語の使用が避けられない場合には、コメントの日本語訳を添えるように努力してください」とあるので、Toobigtokaleさんが行っている英文とその和訳を表記する方式は、ガイドラインで努力目標として推奨されている方式です(むしろ、返信する側は日本語で返信して英訳を付記した方が良かったりするでしょうか)。また和訳も不自然さがあれどコミュニケーションに齟齬が生じる問題は特になさそうに思います。ついでに、ノートページの議論であれば原文が付記されているなら機械翻訳でも不都合はない気がします。基本的には誰でも参加できるというのがWikipediaの立てつけですので、日本語の問題を理由に参加を拒むというのはこの場ではかなり違和感が強いと思いました。
    余談ですが、英語の社会的な地位はかなり特殊なので日本語圏に話者人口が少ない他の言語と同列に取り扱うのは現実に即していない気もします。ざっと見ると、中国語版のように、「如果您無法使用漢語交流,請盡量使用他人便于理解的语言文字(如英语)或提供留言的翻譯版本(Google翻訳:中国語でコミュニケーションできない場合は、他の人が簡単に理解できる言語 (英語など) を使用するか、メッセージの翻訳版を提供してください)」としている言語版もあるようです。いずれにせよ、この場では少なくとも「日本語」に起因する問題は発生していないと思います。--TEN会話2024年1月17日 (水) 10:40 (UTC)[返信]
    @TEN
    「意図的な選択です」「死を抹殺」などは、機械翻訳的な言い回しで、正直、中学生とか高校生でも国語のテストで書くとアウトになる表現だと思います。端的に、日本語として通用せず、意味が判然としません。英語が添えられていても、機械翻訳で日本語話者が解読しても結局、機械翻訳による違和感がある文章を読解してのコミュニケーションとなるので、複雑かつ高度な議論の妨げになることは否めません。そもそも、「英語の地位は高いのだから、地位の低い日本語話者は、英語話者に合わせるべき」というのはナンセンスです。言語帝国主義的な発想で、それなら「日本語版」など不要で、Wikipediaは英語版のみで良いという考え方になってしまいます。--Bitcoiner001会話2024年1月17日 (水) 11:44 (UTC)[返信]
    そういうことは言っていないです。単純に英語は広範囲で(学術分野では特に)事実上の国際共通語として使用されているという意味で特殊な立ち位置にあると思うので、現実としてあるユーザーが自分が使用できない言語版でコミュニケーションを取る場合には英語が使われることが多いだろうということいいのでは?と個人的には思っただけです。もっとも、余談と書いた通りこの点について深掘りする気はないです。ここでコメントしたのはシンプルに「日本語以外の言語の使用が避けられない場合には、コメントの日本語訳を添える」という形は、ガイドラインで示されている通りの方法ですし、他のガイドラインも日本語版Wikipediaに参加する場合に必ずしもネイティブ水準の日本語能力を必須のものとして要求していない、という話です。そしてここは別に国語のテスト会場ではないので何が言いたいのか理解できればそれでよく、意味不明瞭な表現が議論上重要だと考えることならそこは改めて質問すれば良いでしょう。これは別にネイティブスピーカー同士の会話でも普通にあることです。よく言われるJPOVなどの点を考えれば多様な背景を持つユーザーの参加は基本的にWikipediaとして好ましいことのはずで、「日本語の使用に不自由のある編集者の方はご遠慮」くださいよりは、可能な限りは包摂するのがWikipedia的には望まれることだろうと思います。--TEN会話2024年1月17日 (水) 14:45 (UTC)[返信]
    @TEN
    そこは「不自由」の定義かと。やはり、難しい議論をしている際に、つたない機械翻訳で書き込まれても、コミュニケーションに齟齬をきたすことはあるでしょう。「せめて、きちんとコミュニケーションできるくらいの日本語能力は欲しい」って意味で、「不自由ならお断り」と言ってるなら正当な主張かと。「少しでもおかしければ排除せよ」という意味合いで使ってるのなら、包摂の理念からかけ離れますが。しかし、「英語」を事実上の国際共通語だから、日本語話者も理解するように努力せよという姿勢こそ、非寛容で包摂主義に反するのではないかと思いますけどね。さまざまな言語版があり、ここは日本語版なのですから、英語を特別な地位に置くべきではありません。--Bitcoiner001会話2024年1月18日 (木) 11:44 (UTC)[返信]
    返信 方針やガイドラインの記述上、そうではないであろうということです。英語云々については主義がどうとか特別な地位とかそんな仰々しい話ではなく、可能な限りはまず理解する努力が望まれるであろうというだけです。そして単に様々な場面で国際共通語として普及している(これを社会的地位と表現したのが誤解の元かもしれませんが)英語は「可能な限り」の範囲がどういう言語版のコミュニティでも単なる事実としてある程度広いだろうと個人的に思っただけです。別に他の言語でも参加者の努力によってコミュニケーションが成立しそうならそれでいいはずです。必要に応じて「翻訳をしてくれる第三者」に依頼するよう案内するなり(これもガイドラインに書かれていることです)まずは対話が成立するよう努力するというのは言語の問題に限らず基本的にWikipediaの方針・ガイドラインに一貫していることで、地位が劣る日本語の話者は努力すべしみたいな話は全くしていません。--TEN会話2024年1月18日 (木) 14:56 (UTC)[返信]

参考文献のノートについて

ノート:南京事件 (1937年)/関連文献には標準記事用のカテゴリがついており、また南京事件に関する参考文献という標準記事からのリダイレクトがあり、かなり異質です。カテゴリについては除去し、リダイレクトは南京事件#参考文献へのリダイレクトに変更するか削除し、当該節から当該ノートへの直接の誘導は行わないのがよいと思いますが、いかがでしょうか。--フューチャー会話2024年1月21日 (日) 16:37 (UTC)[返信]

先の差し戻しによりリンクも戻っていますので、リンク除去について合意を取り直したいと思います。なおリダイレクト削除依頼は同時進行中です。--フューチャー会話2024年2月10日 (土) 06:35 (UTC)[返信]

画像について

  • 一応、あんまり画像について検証できる資料は揃ってないのですが、とりあえずこちらの編集で「写真の出典が明示されてない」として削除されているこの画像についてだけ、そこそこ確認ができたので長くなりますが共有します。現時点で把握している限り、写真の信頼性・出典という観点では掲載に問題はなさそうですが、著作権的な問題がクリアであるのか良くわからないです。掲載可否はこれが大丈夫かどうか次第かなと思います。
  • 出典について:まず第一に、出典は画像の詳細ページに「村瀬守保写真集 私の従軍中国戦線,日本機関紙出版センター,1987年12月20日,46頁,写真139,ISBN 4-88900-218-9」とあり、明記されています。従って出典的な問題はないです。実際にこの写真が掲載されていることも確認しました。
  • 第三者言及:次にこの写真には第三者言及があります。『南京大虐殺否定論13のウソ』(1999)には笠原十九司「南京大虐殺はニセ写真の宝庫ではない」という写真の問題についての「否定派」に対する反論が掲載されていますが、229頁から230頁にかけて村瀬守保氏の写真について「これらの写真は、集団虐殺の現場から奇跡的に死を免れて逃げ帰った中国人の証言にある、射殺・銃殺、再度生存者を点検して刺殺したあと、最後は薪と石油で焼殺、焼却するという集団大量虐殺の手段が事実であることを証明するものである」と評されており、特にこの写真は「『虐殺されたのち薪を積んで、油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが平服の民間人でした』というキャプションの写真が三枚ある。(四六-四七頁)」(230頁)として特記されているものの1つです。
  • 撮影者(村瀬守保)について:撮影者の村瀬守保氏は『村瀬守保写真集 私の従軍中国戦線』の説明によれば1937年7月に召集され31日に入営、兵站自動車第17中隊・第2小隊に所属。個人で写真機を持ち込んでおり、このために検閲を通さない写真を個人的に所持することになったとのことで、1987年に日中戦争中に撮影した写真を写真集として出版したものがこの書籍となります。
  • 撮影時期について:同写真集の記述から、この写真は南京事件最中の1937年12月末~1938年1月初頭のいずれかの時点で撮影されたものと特定できます。同中隊は北京方面への派遣を経て上海方面に転進、11月19日に天津から貨物船で出向、11月22日上海着。12月13日には南京にいたようですが、「十三日夕刻には、十六師団が中山門を占領し、完全に南京を制圧しました。私達輸送部隊はなぜか、二週間ばかり、城内に入ることを許されず、場外に足止めされていました」となっているので、村瀬氏が南京に入城したのは12月27日頃以降。南京陥落後いずれかの時点で長江をわたって徐県城(徐城県?)に移動してしばらく駐屯。1938年2月3日に北上命令を受けて第13師団と共に徐州作戦に参加するため移動。となっているため、村瀬氏の記述から撮影時期がかなり絞り込めます。
  • 撮影地点について:これはWikipedia的には独自研究に該当すると思われますが、この画像の詳細ページには、写真に移っている川が秦淮河であり、橋が石城橋(石城桥)であるとの記載があります。Discussionページの議論を見るとMtBellというユーザーが現地の写真から特定しているようです。この石城橋は百度百科に掲載されていて位置が確認できます。また、検索したところ清朝末期および、日中戦争中の橋の写真がありました(現代では架け替えられているようです)。確かに橋脚の数や形などは一致していそうで、しかるべき技能を持った画像解析の専門家が検証すればメートル単位で撮影地点を特定できそうにも見えます。
  • 著作権的な要確認事項:詳細ページでPermissionが「Author died more than 70 years」となっているのですが、少なくとも村瀬守保氏は1987年12月時点で存命であったのは間違いなく(本人による写真集のあとがきの日付)、このPermissionの記述は事実ではないです。写真集の性質的に掲載許可が下りないようなものではないと予想はされますが、public domainになっているという詳細ページの権利記載が本当なのかよくわかりません。この点がクリアになるならば、この写真自体は南京事件のページに掲載するものとして非常に適切性の高いものと言えるように思います(撮影地点についてはこの写真集の記述からはわからないので掲載できないですが)。この点どなたか著作権に詳しい方のコメントをいただきたいところです。--TEN会話2024年1月22日 (月) 16:09 (UTC)[返信]
{{PD-Japan-oldphoto}}が付与されているようです。日本国内の著作物の場合、1946年以前に撮影された写真はすべて旧著作権法に基づきパブリックドメイン扱いになるので、権利の問題は発生しないのではないでしょうか。--Nux-vomica 1007会話2024年1月23日 (火) 05:21 (UTC)[返信]
@TENさんへ
  • 村瀬守保氏は、Amazonの書籍情報[1]によると、1988年7月にお亡くなりになったようです。そのため、詳細の情報は誤りであることは確定かと思われます。
  • 現行著作権法(1971年施行法)が施行される前の旧著作権法(1899年施行法)によれば、写真の著作権はその創作又は発行後13年[2]とされています。そして、現行著作権法の保護期間が適用されるのは、現行著作権法が施行された時点において現に保護期間中のものとされています。
  • 撮影が1937年又は1938年とすれば、その13年後の1950年又は1951年の12月末日となりますから、現行著作権法が適用される前に保護期間は終了しているものとできます。
  • なお、旧法における「発行後」が適用されるとなった場合は、現行法にる保護期間(死後70年(2058年末)まで)となります。
  • 村瀬氏の写真は1971年までに「公開」されたものではないことから、現行法の規定が適用される余地があります。単純に1971年までに撮影されているから保護期間が終了しているとはできないと思われます。
--Kodai99会話2024年1月23日 (火) 09:29 (UTC)[返信]
  • 返信 Nux-vomica 1007さん、Kodai99さんありがとうございます。著作権関連は難しいですね・・。自分でも検索してみたのですが、確信をもってこうだと言えるような情報は見つからず。ただ、一般的な傾向としてはこちらのコラムの説明などのように、基本的には戦時中に撮影された写真の保護期間というのは終了しているものとして取り扱われているようには見えます。日本写真著作権協会が発行している雑誌の説明では「創作又は発行後」という文言について次のように説明されているのを確認しました。
  • 「写真の著作物の保護期間は、1899年(明治32年)に施行された旧著作権法では発行後10年(未発行の場合、製作後10年)と規定された。」(強調は引用者)
  • 「1956年(昭和31年)12月31日までに発行又は製作した(写真撮影)著作物の著作権は1966年(昭和41年)12月31日までに消滅してしまった。著作者が生存していても同様である。」
  • 村瀬氏の写真について上記を適用すれば、「創作又は発行後」というのは1987年まで発行されていないことから「製作」の時点から保護期間の計算が行われるはずで、著作者は生存していても1956年(昭和31年)12月31日までに発行又は製作した(写真撮影)著作物の著作権は残っていないのでパブリックドメインとして使用できる、という解釈になりそうですが、こういうものの最終判断ってWikipedia的にはどういう形で意思決定が行われるものでしょうか。法律のことなのであまり適当な解釈で進むのも良くないとは思いますが、一般論的には日本の法制度下での戦前の写真の利用についてはWikipedia上で普通使用できるものと考えるのに問題はなさそうな気がしますし、利便性という点で言えば一般論に従った処理が出来た方が好ましいとは思うのですが。--TEN会話2024年1月25日 (木) 15:14 (UTC)[返信]

1/21のTEN氏による大幅書換えについて

なんか勝手な解釈で大幅に書換えられたようですが、根本的な誤りが多いので、元に戻した方がよいかと思います。 まず、国際委員会をつくったのは残留した22人の欧米人ではありません。 南京戦時に既に南京を出ている方(デンマーク人など)もいます。22人でも無いです。 諸々ありますが、最低限の知識を持った方が編集された方が良いかと思います。残念ながら偏見の強い勝手な書換えに見えます。--Harukaikeda会話2024年1月28日 (日) 01:51 (UTC)[返信]

私が歴史学の根本的な素養が無いまま未熟な編集を行い、イデオロギー的な言及をしてしまったために、論争が続いてしまっていて申し訳ありません。粗い形で提示した問題点を汲み取り、信頼できる二次資料を基に記事を再構築したTENさんの編集方針に賛成し、感謝いたします。
(私はともかく)TENさんや他の編集者の方々は、歴史観的な論争からは一歩引いて、質の高い文献に沿った中立な記述を目指していると思います。各論的な反対意見はあると思いますが、党派的な言及より、文献に基づいた建設的な議論になると良いと思います。--Xefon会話2024年1月31日 (水) 13:48 (UTC)[返信]
○党派的な言及より、文献に基づいた建設的な議論になると良いと思います。
→全く同感ですし、私は以前もその様にして編集に参加してきました。
○信頼できる二次資料を基に記事を再構築したTENさんの編集方針
→秦氏・笠原氏に拠ったニ次資料が信頼できるのかだいぶ疑問があります。あくまでも一意見と思います。
何より、以前の版の中では、彼らも論争の中の一論者でしたので。そこに格段の信頼を置ことは根拠に欠けるかと思います。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 14:00 (UTC)[返信]

追記: 海外の論説と日本のものが異なるので、海外に合わせるべきという説がありますが、日本は当事国であるので、それなりに研究が進んでいるという事情があります。 海外の説を取り込みたいのであれば、その説と日本の説との併記、またはどちらの方が筋が通っているかという事実に基づいた視点の提供はありえるかと思われます。

単に海外に合わせるということで、国内の既存の論をなぎ倒し、一定の史観に統一を図ったこの改訂は、一言で言えば、退化であると思います。

せっかくのWikipediaの場が、一定の史観に立つ一説の、単なる押し売りの場にならないことを願っています。

  • 返信 南京安全区国際委員会について:「南京に残留した22人の外国人によって」という記述は笠原『南京事件』p. 172の「ドイツ人商社員、アメリカ人宣教師・教授ら外国人二二名が南京国際委員会を組織して~」という記述および、秦『南京事件 「虐殺」の構造 増補版』p. 6の「正確に言うと、ジャーナリストたちが引きあげたのちも、南京にふみとどまり、日本軍とともに正月を迎えた外国人は二二名を数える。主力はドイツ人とアメリカ人で、難民区または国際安全区と呼ばれた南北三キロ、東西二キロの一角に集まった一〇万人近くの中国人難民を世話しよう、と起源を覚悟で残留した篤志家たちだった」という記述をベースにしています。厳密に言えば、南京安全区国際委員会の設立時にメンバーとして記載されているのは15人であり、22人というのは委員長のラーベらが連絡を取り合い、南京に残留して年を越したことを把握している欧米人の数、ということになるとは思いますが、この記事では委員会の細かい組織の話は本筋ではないので、この記述に合わせています。笠原氏は別の著作ではより細かく国際委員会について述べては言いますが、「南京事件」という括りで解説する時の大雑把なまとめとしてはこういう表現になるのでしょう。基本的に粒度をこの二冊をベースにして調整しています。
  • 根本的な誤り:私はWikipediaでは基本的に古代史・中世史分野で活動していますし、普段は近現代史についてあまり細かく調べているわけではないので当然不備は予測されるのですが、それだけに基本的に使用した出典の枠組みからはみ出た記述はしていないつもりです。具体的に根本的な誤りとは何になるでしょうか。
  • 海外の論説その他:改稿の提案については海外に合わせるという話でしたものではないので、過去の議論を参照下さい。本文への反映は現時点では日本語の出典からしか行っていません。また、また「南京事件」という主題の記事であるので、「史観」というものの解説は基本的に載せていません。--TEN会話2024年1月28日 (日) 13:26 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。
国際委員会の性格というものが、南京事件を理解する鍵でありますので、勝手に人数を変えると、そこが見えなくなります。
例えば、設立に携わった欧米人の一部(デンマーク人・イギリス人)が、残留22人の中に居ないというのは何故か?
ということも見えなくなります。
また、以前の版には国際委員会が非公認であったことも記載されていたはずですが、それは削除したのですか?
※念の為かきますが、国際委員会を公認組織としている研究者は皆無の筈です。
この様にいろいろ国際委員会について(人員、誕生の経緯、宣教師との関係等)端折る事で、多くのものが見えなくなっています。
そこがまず根本的な誤りです。
前の版の記載をご参考下さいな。前の版で引用元もついていますので。
こういったことを無視することが退化であろうと思います。ほんの一例ですが。
史観に関しては、笠原氏、秦氏の考えをベースにして、それに沿わないものを弾くとすれば、特定の史観に寄っていると言われても仕方ないのではないでしょうか?--Harukaikeda会話2024年1月28日 (日) 14:17 (UTC)[返信]
  • 返信 以前書いたことと同じ内容もあるので、基本的には過去の議論を参照いただきたいですが、指摘されている事柄については概ね以下の通りです。
  • 基本となる出典の選択について:まず、笠原・秦両氏の『南京事件』をベースに選定したのは、多くの概説書で基本文献として挙げられているのがこれらの書籍だからです。これは例えば臼井勝美『新版 日中戦争』が南京事件の詳細についての説明をこの2冊を参照という形体を取っていることなどからわかります。「歴史・基本的な考え方」「適当な重み付け」等の方針からわかるように、まず信頼できる情報源において一般的な説明を行う形にすべきという理由から、この2冊を骨格として全体を構成することにしました。
  • 南京安全区国際委員会:この記事は「南京安全区国際委員会」の記事ではないので、概説書に記載されている範囲を超えて委員会の説明をする理由がないと思います。勝手に人数を変えたのではなく、出典の記述粒度に合わせたのみです。
  • 全体の改稿について:元々の版にある問題として出典の文脈を無視した利用法がありました。臼井『新版 日中戦争』を出典とした記述の非常に選択的な記述の抽出を去年の書き込みで指摘しましたが、これは元版の全体に通底する問題です。紹介いただいた、元版の「国際委員会が非公認」という記述と、その出典となっている"The Nanjing Safety Zone Unapproved" by Marcia Ristaino "Jacquinot Safe Zone: Wartime Refugees In Shanghaiの記述を確認しましたが、ここも同じ問題があります。ちょっと長くなりますが、同書のp. 81から始まる§The Jacquinot Zone Copiedの内容を要約すると大体以下のようになります。
  • ジャキノー神父(Father Jacquinot)が上海に設立した安全区は中国当局・日本当局双方の協力を確保し、難民の保護に大きな役割を果たした。この成功の噂は各地に広まり、日本軍の前進に伴ってこれを模倣した難民区の設置が南京や漢口で試みられた。南京安全区の着想はここにある。
  • ジャキノーの安全区が大きな成果を収めたのに対して、南京安全区国際委員会は日本軍から効果的に難民や敗残兵・女性を保護することはできなかった。
  • ラーベにまつわる要因:ジャキノーは難民の保護のためなら日本当局とも積極的に協力することを厭わなかったが、ラーベは直接的な性格で日本に対する苛立ちを表に出しがちであった。また、ラーベはジャキノーと違って日本軍の現地当局とも各国の外交団(その多くは上海にいた)とも緊密な人脈を持っておらず現地での交渉が拙かった。その結果、交渉や外交的圧力を望むにあたって、ベルリンや東京に電報を送って対応を望むなど遠回りな方法を取らなければならなかった。
  • 南京と上海の違い:ジャキノーが活動した上海は国際港として通信・郵便のインフラが十分整備されていたのに対し、南京の通信・郵便網は著しく貧弱であった。南京安全区国際委員会は日本軍とのやり取りを軍用無線などで行っており、アメリカの外交使節とのやり取りはアメリカの軍艦を通していた。また、郵便も軍艦による輸送に依存しており、それが到着するかどうかは軍艦が出航するかどうかに依存していた。この結果、委員会の交渉には通信面において障害が多く円滑なコミュニケーションに難があった。
  • こうした様々な要因から、南京安全区国際委員会はその立ち位置について日本側から公式な承認を得ることができなかった。
  • 元版では大体このような内容の出典から「上海安全区とは異なり中立性に疑義があったため日本からは承認されず、非公式なものであった」という文章が作られていますが、これは出典の内容を正しく反映した記述になっていないです。
  • また、この文章は池田悠氏の出典から作られた文章に連続されているのですが、Marcia Ristaino氏は同書の中で「こうした(引用注:20万、30万という犠牲者数の推計とは)対照的に、日本の修正主義者たちは南京虐殺(Nanjing Massacre)など存在せず、ヨーロッパのホロコースト否認論者の如く歴史の捏造に過ぎないと主張している(中略)「正しい」数字がどうあれ、また多くの学者・研究者が東京裁判の数字を受け入れているように見られるが、1937-38年の南京虐殺が恐るべき出来事であったことに疑問の余地はない(p. 91)」と記述しています。『一次史料が明かす南京事件の真実ーアメリカ宣教師史観の呪縛を解く』という書名からして、池田氏とRistaino氏の立ち位置は真逆であることは確実で、にもかかわらずRistaino氏の出典と池田氏の出典の記述が文脈を共有しているかのように接続されているのも適切とは思われません。こうした出典の利用法がこの記事にあった「根本的な問題」の1つであると認識しているので、改稿を提案した次第です。私としては記述が退化しているとは思いません。--TEN会話2024年1月29日 (月) 15:41 (UTC)[返信]
    ○多くの概説書で基本文献として挙げられているのがこれらの書籍だからです
    →その多くの、の基準が分かりませんし、例に挙げられた臼井勝美氏のご著書をスタンダードであるとする理由は何でしょうか?
    ○出典の記述粒度に合わせたのみです。
    →人数を適当に書いた笠原氏の出典に合わせて、事実に反して人数を変えることは、粒度の問題では無く、単なる誤りです。不正確であると認識されているのなら、なおさら不誠実です。読者にとって。
    粒度の問題ではありません。
    ○南京安全区は不承認であったとしていることは、日本軍の回答を見ればわかることです。(池田悠の本でも引用されています)
    Marcia Ristaino氏は単に一例で引いているに過ぎません。
    また、Marcia Ristaino氏の南京事件についての見解ではなく、安全区が公認されたものか、不承認であったかということについてのみ論じています。
    Marcia Ristaino氏は、明確に不承認と書かれていたかと思います。
    安全区は非公認/不承認であったということは明確に示すべきです。
    もしMarcia Ristaino氏を引用することにご不満でしたら、日本軍の回答を引かれれば良いかと。
    私がお伝えしているのは、まるで公認されたものの様に記述されているのは明確な誤りであるということです。
    そういった点を指して退化と指摘しています。--Harukaikeda会話2024年1月29日 (月) 16:13 (UTC)[返信]
  • 大胆な編集じたいウィキペディアで否定される行為ではありませんが、当記事は膨大な資料を元に多数の執筆者により加筆されてきた経緯があり、今般の編集によりそのうちのいくつもが無断で除去され(おそらくは特定の引用元の記述と矛盾すると考えられたためなのでしょう)ており、Wikipedia:中立的な観点から非常に問題があると考えております。いったんすべて巻き戻して、加筆したい論点、あるいは除去すべきと考える論点について、ひとつひとつ再検討すべきではないでしょうか。中立的な観点というのは「主題に関して、信頼できる情報源によって公表されている、すべての重要な観点を、各観点の比重に応じて公平に描写」し、仮に信頼できる情報源の間での記述が互いに矛盾していても、その引用元が信頼できる文献であるかぎり、中立的に(但しその矛盾点はwikipedia読者に理解できるよう)両論併記するべき(Wikipedia:中立的な観点で言うところの「均衡」の原則)との趣旨で申し述べています。--大和屋敷会話2024年1月29日 (月) 17:53 (UTC)[返信]
  • 今回のTENさんの編集は#記事の再構成についてにおける議論の結果であり無断ではありません。特に大和屋敷さんは以前からこのノートでの議論に参加されているためご存知のはずですが。「膨大な資料を元に多数の執筆者により加筆されてきた」としても問題があれば除去されます。それと「おそらくは特定の引用元の記述と矛盾すると考えられたためなのでしょう」という推測で「Wikipedia:中立的な観点から非常に問題がある」と断ずることも問題があります。それとHarukaikedaさんは出典に基づく記述に対して「自分が間違ってると思うから」で異議を唱えるのではなくきちんと反対の出典を出してください。その出典の信頼性が認められれば大和屋敷さんのいう「出典が矛盾していて両論併記が必要な状態」が真に発生することになるでしょう。--フューチャー会話2024年1月31日 (水) 10:30 (UTC)[返信]
    元々、出典付きで解説してあったものを、比較もなく、勝手に(とりあえず私は書き換えられるまで知りませんでした)削除して書き換えたから、指摘しているのですよ。
    そもそも元々の記述に対して、その出典を確認しつつ、修正するのが筋なのではないでしょうか?
    また、今回特に指摘している国際委員会のメンバー・人数の誤りに関しては、
    やり取りを見ていただければ分かるように、事実としてTEN氏も私の指摘が正しい事を認めつつ、笠原氏の記述の粒度に合わせることが良いという、不思議な論理をかざしておられる。
    両論併記という問題でも無く、誠実性の問題かと思います。
    こういった点でも現行の記述は問題があるのではないでしょうか?--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 11:03 (UTC)[返信]
    議論に基づく編集なので「勝手」ではありません。それと元々の記事には単に出典通りに書き直すだけでは済まないレベルの問題がありました。#記事の再構成についてをご覧下さい。22人については確かに委員会の人数ではないので、この資料のみを基にするなら書かない方がいいでしょう。--フューチャー会話2024年1月31日 (水) 11:57 (UTC)[返信]
    〉議論に基づく編集なので「勝手」ではありません。
    以前、一部の編集に携わったことのある私はその議論は知りませんでしたし、また、議論参加メンバーの方々がどんな属性の方々かも存じあげません。
    既存編集関与者の知らぬ特定の場所で、ごく一部の方々が議論した結果が全体の正となるという、論理は私は承服しかねますが。
    ただ、それがウィキペディアの流儀と言われれば、何も言うことはありませんが。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 12:09 (UTC)[返信]
    ひとまず、論点は具体的には国際委員会関係だけでしょうか。ならば、その点に絞って改善案の文言を提案された上で、合意を目指すというのが建設的かと思いますが。 --2001:240:242F:85FD:E452:18FA:AC82:7346 2024年1月31日 (水) 13:23 (UTC)[返信]
    単に、一番目立ち、一目でわかる明らかな誤りが、国際委員会です。
    そもそも論で言えば元に戻すべきと思います。全体として退化していると思いますので。
    旧版で、東京裁判から始まるのは不自然ではないと思います。何故なら一般の日本国民が知ったのがその時であり、国際的な判定が初めてなされたのがその時だからです。
    また何よりの問題は、元の版では冒頭部分で、虐殺の有無、も論争があると記載されていたところを、
    TEN氏の版では、標準を秦氏(いわゆる中間派)と笠原氏(いわゆる大虐殺派)に定めるたことで、虐殺の程度問題だけが論争の対象となっているとしていることです。
    これでは、実態を無視して、いわゆる無かった派が存在しないことになります。
    ウィキペディアは論争を併記する方針であったかと思います。
    何派の意見であれ、根拠がある論述は残されるべきであるかと思います。
    この点に於いて、
    以前は記載されていた根拠付きの論述を秦・笠原ラインに合わないものは削除された様ですので、
    現行のTEN氏の版は圧倒的に退化していると思います。
    私の意見は、一度元に戻すべきと思います。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 13:42 (UTC)[返信]
    他の方のご意見では、大和屋敷氏のコメント
    ー当記事は膨大な資料を元に多数の執筆者により加筆されてきた経緯があり、今般の編集によりそのうちのいくつもが無断で除去され(おそらくは特定の引用元の記述と矛盾すると考えられたためなのでしょう)ており、Wikipedia:中立的な観点から非常に問題があると考えております。いったんすべて巻き戻して、加筆したい論点、あるいは除去すべきと考える論点について、ひとつひとつ再検討すべきではないでしょうか。
    の通り、無断で削除されたものが数多あるので、いったんすべて巻き戻して、ひとつひとつ再検討するというのが正論かと思います。
    それが出来ない理由は無いでしょう。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 14:41 (UTC)[返信]
  • 国際委員会に関して、Askew氏の記述 https://chinajapan.org/articles/14/14.03-23askew.pdf が詳しいです。"22人"とも"15人"とも言い切れないようです。現在の記述を微修正すれば良い話かなと思います。国際委員会に関する主張も含め Harukaikeda さんの編集や意見の大部分は、池田悠 氏の著作に基づいていると推測されるのですが、一般に、歴史家ではない人の著作に大きなウェイトを置くべきではないと思います。原版が、秦・笠原の文献に大幅に依存しているという問題意識について、現版の中で明らかに誤りのある部分は他の信頼できる出典によって補強されるべきだと思いますが、雑多な出典から都合の良い記述だけ採用していた旧版 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=97929446 に戻す理由は無いでしょう。各論的な内容については詳しい知識が無いため判断しかねますが、池田悠氏の主張のみをもって記述内容を変えるのは難しいと思います。--Xefon会話2024年1月31日 (水) 15:50 (UTC)[返信]
    引用されたアスコー氏の論文に国際委員会のメンバーが22名という記述はありません。(私の読み落としでしたら、ココに書いてあると具体的に明示下さい)
    当該論文では日本側に提出された15名のリストを掲示されています。
    また、一応他の当時の資料について触れると、ラーベの日記では、多少メンバーが変わり、16名の記載があります。
    (アスコー氏が当該論文で別途注釈しているフィッチ氏はラーベ日記では委員会のメンバーに入っています)
    池田悠の著作は書名の通り、主に(欧米の)一次史料の引用で出来ており、その史料は全て公開されております。その引用元の資料が述べるところは、池田の意見ではありませんので信頼されて然るべきと思います。
    ご指摘の、
    ○雑多な出典から都合の良い記述だけ採用していた旧版
    の、
    雑多な出典とは何ですか?
    また都合の良い記述だけ採用していたとはどの部分を指しますか?
    信の置けない出典、解釈の不備があれば都度直すべきかと思います。
    一方で、秦氏笠原氏の論述が、他と比べて特に信頼がおけるというのは、恣意的な判断、または単なる一意見かと思われます。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 16:29 (UTC)[返信]
返信 とりあえず、まずHarukaikedaさん宛にいくつか返信します。
出典の選定について:「多くの概説書で基本文献として挙げられている」については、具体的には以下のようなものになります。
  • 臼井勝美『日中戦争-和平か戦線拡大か』2000 中央公論新社⇒笠原『南京事件』・秦『南京事件』(とりあえずこれを挙げたのは元々この記事で使用されていた出典だからです。)
  • 内田知行「第二章 中華民国」『世界歴史大系 中国史5』2002 山川出版社:⇒笠原『南京事件』
  • 石川禎浩『シリーズ中国近現代史③ 革命とナショナリズム 1925-1945』2010 岩波書店:⇒秦『南京事件』
  • 戸部良一『日本陸軍と中国「支那通」に見る夢と蹉跌』2016 筑摩書房:⇒秦『南京事件』
他にも何冊もありますが、こういったより全般的な単位の概説書・学術書が「南京事件」について端的に触れている時、その参考文献にこれら2冊のいずれかがほぼ確実に入っています。これらから、この2冊に基づいて書けば学界において最も一般的な見解から大きく乖離しないであろうと判断できますし、こうした書籍から「ある主題」について「誰が」「どのような媒体・出版社で」出した文献が参照されるものなのかを判断するというのは歴史学においては文献の検索方法として普通の手法で、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史「§信頼できる情報源の発見・アクセス方法」に記載されている方法でもあります。また、どのような媒体で発表されたものであるのかも重要です。秦氏は『正論』や『諸君』、笠原氏は『週刊金曜日』のような、党派的な性質が明白な媒体に寄稿実績がありますが、こうした概説書やその他の学術書の参照を見れば、同一人物の著作であっても、こうした媒体に出されたものは、滅多に参照されないことがわかります。これは、誰それが「〇〇派」だとか「中間」だとかいう話とは関係が無いことです。
両論併記:これについては前にも一度書いたのでそちらを参照いただきたいです。あとはWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けを良く確認ください。基本的に概説書や学術書の類で、南京事件の有無について「両論」併記されていることはありません。これは重みづけの観点で極めて重要なことです。
南京安全区国際委員会:委員会の詳細に特別な重要性はないだろうと思うので、数字を省くなり別の出典の記述を使用することで合意できるならそれで良いとは思います。確認した出典による限り、南京安全区国際委員会が南京事件において果たした役割は限定的であり、基本的にどの出典もその動向を詳述はしていません。彼らが事件において重視されるのは「目撃者」であることによるように思われます。実際、Harukaikedaさんが提示されたMarcia Ristaino "Jacquinot Safe Zone: Wartime Refugees In Shanghai"の記述も「なぜ南京安全区国際委員会は効果的な活動ができなかったか」について分析しているわけですし、彼らの残した記録の史料の性質について記述されていれば他の点は些細なことかと思います。
「勝手に」:既に書いて下さってる方がいますが、改稿は議論の中で提案したもので「勝手に」と形容されるのははっきり言って理不尽に感じます。ある人はWikipediaに新しく参加し、ある人はWikipediaから離れているわけで、全ての人が気付くように議論するのは不可能です。このノートにはコメント依頼が出されており、記事にはテンプレートが貼られたままで、ノートへの導線は十分ある状態であったと思います。最初に下書きを提示してから記事に反映するまで1か月の時間があり、この点に問題があったとは考えていないです。--TEN会話) 2024年1月31日 (水) 16:39 (UTC)--TEN会話2024年1月31日 (水) 17:07 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。何よりも現状の学(術)会のスタンダードに合わせるべきだとのお考えと、理解しました。
現状、そのスタンダード見解に反する証拠(信頼できる一次資料)を削除して、見えなくし、無条件にその見解の維持に寄与しているかと思います。
私は、その反証となる証拠も参照することが出来、自分の頭で検討することが出来ることがウィキペディアの価値であると思っていましたが、ご意見が異なる様ですね。
論拠よりも権威を優先しているように感じます。
○委員会の詳細に特別な重要性はないだろうと思う
というのも、既存の学会のスタンダードの見方の延長ならば、そうなろうかと思います。
私は確かな論拠資料に基づく事実は書くべきであろうと思います。安全区が非公認であったことも含め。
既存の見方を盲目的に記載するのではなく、論拠資料を元に自分の頭で考える機会を提供することが重要なのではないかと。
○ノートへの導線は十分ある状態であったと思います
に関しては、既存の編集参加者である私は気づきませんでした。またアラートも来ていません。記事が根拠を示されず、突然、削除されたわけで、やはり勝手に、と感じています。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 17:43 (UTC)[返信]
厳しいことを言いますが、「既存の編集参加者」であるにもかかわらずノートでの議論に気づかないのは普段からノートをチェックしていない重大な過失だと思いますよ。私が#記事の再構成についてへのリンクを2回も示したのに、「既存編集関与者の知らぬ特定の場所」とあたかもこのノート以外の別の場所で議論されたかのような書き方をするぐらいですし。まず#記事の再構成についてを読んでください。そうすれば「根拠を示されず、突然」「勝手に、と感じています」がとてつもない勘違いだとわかると思います。--フューチャー会話2024年1月31日 (水) 22:15 (UTC)[返信]
自分の編集が議論の対象になったのでしたらアラートも来るでしょうし、確認するかと思います。
南京事件に関して色々な議論がある中、通知もなく、ノートの確認が必須とされるご意見は違うと思います。--Harukaikeda会話2024年2月1日 (木) 01:17 (UTC)[返信]


15名とする史料と16名とする史料があるようなので、そのように記しました。国際委員会が、残留した約20人の外国人を中心に結成されたことが重要で、細かい人数は微修正で済む些細な問題だと思います(22人の外国人の大部分によって、とかでしょうか。22人も諸説あるようですが。)。この部分一番目につく誤りであるならば、他の部分も細かい修正で済む話だと思います。
Wikipedia:信頼できる情報源 『学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。』とあるように、池田氏・展転社は信頼性の高い二次資料とは言い難いと思います(本の内容が間違っていると批判しているわけではありません)。比較して(軽く調べただけですが)秦・笠原両氏の著作は広く引用されていて、この分野の第一人者といってさしつかえないように感じられました。(他に東中野氏の著作も広く知られているようですが、中立性に疑問が残ります)
雑多な出典や都合の良い記述に関しては、私や他の方がノートで指摘しているとおりです。問題は旧版がそのような記述が多すぎることです。
--Xefon会話2024年1月31日 (水) 17:23 (UTC)[返信]
加筆修正--Xefon会話2024年1月31日 (水) 17:35 (UTC)[返信]
○国際委員会が、残留した約20人の外国人を中心に結成されたことが重要
→申し訳無いですが適当に書くのを辞めて頂きたいです。
国際委員会の設立に携わりながら、残留しなかった(つまり22人に入っていない)メンバーも複数います。
こういったところを誤魔化すと、それは何故か?といった考える機会が失われる訳です。国際委員会の性質を考える際に重要なポイントです。
○東中野氏同様に、秦氏、笠原氏も中立性き欠け、また、論述に問題があると考えています。ベースにする信頼性は無いと思います。
だからこそ旧版では、様々なポイントで論争が起きていたと思われます。
言い換えれば、信頼できる二次資料が確定出来ないので、論争があったのだろうなと思われます。
それを突然、無理やり、秦・笠原ラインをスタンダードと決めるのはやはり退化だと思います。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 18:03 (UTC)[返信]
再三説明していますが突然でも無理矢理でもないですし、現状の版に問題があるとしても以前の版にはもっと重大な問題があるため、戻す方が退化します。一つの資料で両論併記されていないことは、直ちに両論併記すべきでない理由にはなりませんが、両論併記すべきなのは信頼できる資料同士が矛盾している場合であり、併記するほどの信頼性がないなら併記すべきでないことになります。逆にどの資料も信頼できないなら、極論ですが記事自体を削除することになります。また、Wikipediaでは資料の内容自体の真偽の判断を禁じられているため、信頼性の判定にはある程度権威に頼らざるを得ません。--フューチャー会話2024年1月31日 (水) 22:28 (UTC)[返信]
信頼出来る二次資料が無いのなら、おっしゃるとおり、スタンダードを削除すれば(定めなければ)よいのでは?
一例として、ここでの国際委員会についての議論で、笠原氏の論述が信頼に値しないことはご理解頂けたでしょう。
旧版では信頼出来る一次資料の引用もそこそこあり、それが併記されることで、信頼性を保っていましたが、そこを勝手に削除されたことで、明らかに退化したと思われます。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 23:45 (UTC)[返信]
コメント 私は編集が行われたのちにノートに参加した者として、議論をへた編集であることを確認し、同意しました。私の意見は#記事の再構成についてで2024年1月30日 (火) 12:52 に書いた通りで、これまでの議論をへた編集を取り消しにする提案には反対します。この節について、ひとまずコメントします。
  • 節について。この節は「1/21のTEN氏による大幅書換えについて」ですけれど、ノートページのガイドラインWikipedia:ノートページのガイドライン#ノートページでの見出しづけに書かれている「見出しで特定の利用者に呼びかけない」に近く、適切ではありません。すでにある「記事の再構成」に書けばよかったのではないでしょうか。「記事の再構成」に書ける内容を別の節にすることで、議論が分散して記録が追いにくくなっています。
  • Harukaikedaさんの表現について。(1)「なんか勝手な解釈」「単なる押し売り」「退化」「偏見の強い」などは、利用者の行動のルールにあるWikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:腕ずくで解決しようとしないに該当するのではないでしょうか。発言内容とあわせると、節名も特定の編集者を攻撃する意図があるように見えますが、大丈夫でしょうか。(2)「既存編集関与者の知らぬ特定の場所」というのは、Wikipedia:記事の所有権を誤解していると考えます。Wikipediaにはウォッチリストなどの機能もありますので、私はフューチャーさんの 2024年1月31日 (水) 22:15 の発言に同意します。
  • Harukaikedaさんは「そもそも論」という表現を使ってらっしゃいますけれど、そもそも論ということでしたら上記のようなWikipediaの方針や機能についての再確認をおすすめします。こうした状況でも、Harukaikedaさんに丁寧に対応している他の方々には敬意を評します。 --Moke会話2024年2月1日 (木) 05:04 (UTC)[返信]
    ・本文上の特定の大修正の投稿について言及したく、分かり易い題名にしました。
    ・本文でウォッチリストは登録していましたが、アラートが来なかったことはお伝えしておきます。
    既存編集参加者がタイムリーに変更に気付く(=反論の機会を提供する)仕組みが働かなったのは問題ではないかと感じてはいます。
    ・色々と表現についてご指摘頂いていますが、所有権を誤解、という表現も決めつけで失礼な表現と思いますが、いかがでしょうか?--Harukaikeda会話2024年2月1日 (木) 06:29 (UTC)[返信]
    • 私は、節名に編集者名を入れるのは不適切だと考えますけれど、Harukaikedaさんは適切だと考えているということで理解しました。
    • Harukaikedaさんが「特定の大修正の投稿について」とする言及は、「記事の再構成」に書けば問題ないように見えます。あえて議論を分散させて分かりにくくするのは反対です。ただ、TENさんの編集について「修正」という解釈をなさっている点は了解いたしました。修正されたのであれば大筋の方向は問題ないのではないでしょうか。細部について具体的にご指摘を「記事の再構成」で提案すればよろしいかと思います。
    • 「既存編集関与者の知らぬ特定の場所」でなされた議論に従えないという主張であれば、このノートにかぎらずWikipedia全体に関わる話題なので、Harukaikedaさんは記事の所有権について誤解をなさっていると私は考えます。「既存編集関与者の知らぬ特定の場所」でなされる議論の問題視や改善については別の場所での提案をおすすめします。
    • Harukaikedaさんは、ご自身の表現は問題ないとお考えでしょうか? 私が 2024年2月1日 (木) 05:04 で指摘した表現について訂正はありませんか?
    • Harukaikedaさんは、すでに他の方からさまざまな指摘をされていますけれど、 2024年2月1日 (木) 06:29 のお返事は、Wikipediaの方針や機能についての再確認はしないという発言として受け取ってよろしいでしょうか?
    --Moke会話2024年2月1日 (木) 07:06 (UTC)[返信]
    ・題名は、本文の、どの投稿か分かり易いかと。私は修正履歴で探して分かりましたので。
    ・〉修正されたのであれば大筋の方向は問題ないのではないでしょうか。
    →私はすべての手入れを修正と認識しています。適切かどうかに関わらず。
    ・所有権への誤解は無いと思います。またそういった主張はしていないかと。
    ・まず、個人攻撃の意図はないです。
    その上で、新原稿については退化だと思っています。
    ・ご教示頂いたWikipediaの方針については拝見しています。ありがとうございます。--Harukaikeda会話2024年2月1日 (木) 07:29 (UTC)[返信]
    通常本文をウォッチリストに登録すればノートも登録されます。私は本文のみ登録する方法を知らないのですが、Harukaikedaさんがその方法を知っていて意図的にそうしていたのなら、アラートが来ないのは自己責任です。--フューチャー会話2024年2月1日 (木) 07:38 (UTC)[返信]
    その様な操作はしていません(知りません)、としか言えませんが。。--Harukaikeda会話2024年2月1日 (木) 07:41 (UTC)[返信]
    それではまず、ご自身のウォッチリストにこのノートが入っているかを確認してください。--フューチャー会話2024年2月3日 (土) 07:27 (UTC)[返信]
    本文にも、ノートにも★はついています。
    ただ、ノートの中の、この節?スレッド?(私が立ち上げたココ)にだけ、購読解除のマークが表示されるので、現状それ以外は購読されていないということでしょうね。
    ここは私が書いたから自然に購読登録されたのでしょう(たぶん)。--Harukaikeda会話2024年2月3日 (土) 08:00 (UTC)[返信]
    リストの側にこのノートは表示されているでしょうか。--フューチャー会話2024年2月3日 (土) 23:15 (UTC)[返信]
    Harukaikedaさんはアラートが来ていないことを「勝手」に編集された根拠の一つにしています(2024年1月31日 (水) 17:43や2月1日 (木) 01:17)。しかし、Harukaikedaさんが想定しているアラートの機能は、Wikipediaには存在しないのかもしれません。フューチャーさんが確認しようとしている点もそこに関連しています。
    「自分の編集が議論の対象になったのでしたらアラートも来る」という発言(2024年--1月31日 (水) 17:43や2月1日 (木) 01:17)も、私には意味が分かりませんでした。
    まずWikipediaの機能について確認をした方がよいのではないでしょうか。フューチャーさんの2024年1月31日 (水) 22:15の発言、TENさんの2024年2月3日 (土) 15:55の発言と重複する指摘になります。 --Moke会話) 2024年2月4日 (日) 08:14 (UTC), --Moke会話2024年2月4日 (日) 08:23 (UTC)[返信]
    以前、私の編集した部分への新編集はアラートが来ていた様な気がするもので。
    そもそも無い機能でしたら、アラートに関しては忘れて頂いて結構です。
    ご確認ご教示ありがとうございました。--Harukaikeda会話2024年2月4日 (日) 08:32 (UTC)[返信]
    Harukaikedaさんの「自分の編集が議論の対象になったのでしたらアラートも来る」「既存編集関与者の知らぬ特定の場所」等の発言は、Wikipediaの機能に関する誤解ということで理解しました。また、その点についてフューチャーさんや私などが時間を費やしたことも再確認しておきます。--Moke会話2024年2月5日 (月) 05:48 (UTC)[返信]
    一応、1/21に書き換えがあって、その後、偶々、書き換え後の本文を確認して、初めて大幅なかつ私の以前の編集も含めての書き換えがあった事に気付いたという経緯は、改めてお伝えしておきます。--Harukaikeda会話2024年2月5日 (月) 05:55 (UTC)[返信]
    そういえば余談ですが、他にも最近新たに気付いた方が書き込まれているみたいですね。
    私同様、改定への議論を知らなかった方は多いと思いますので、今後もそういった方は増えるのではないでしょうか。--Harukaikeda会話2024年2月5日 (月) 06:00 (UTC)[返信]
    Wikipediaの機能についてご理解くださり、ありがとうございます。今後も参加する方々はいるでしょうから、もしHarukaikedaさんと同様にアラートについてのご意見を書く方がいらしたら、フューチャーさんが労をとられたようにHarukaikedaさんも対応していただければ幸いです。Harukaikedaさんは当初ご自身でよく確認されずに書かれており、そのために私はさておいてもフューチャーさんやTENさんが時間を費やしております。--Moke会話2024年2月5日 (月) 06:22 (UTC)[返信]
    返信 提案時に気付けなかったというのは申し訳ありません。しかし、その議論をしていた場所はこのノートであり、どこか見えない場所でしていたわけではありません。前にも書いた通り、Wikipediaの機能的に過去の編集者全員に確実に伝わるように議論をすることはできないことをご理解ください。--TEN会話2024年2月6日 (火) 03:39 (UTC)[返信]
  • Harukaikedaさんの主張する事実は、池田氏の著作に基づく「委員会が、アメリカ宣教師によって、国民党に協力するために作られた組織だった」という結論に、読者が"自分の頭で考えて"達するようにために必要なのでしょう。
そのために「安全区のメンバーが15人でアメリカ人中心だった」「中立性に疑問があるため、安全区が日本に承認されなかった」 という部分を強調されているのだと思います。このうち後者の「中立性」の部分は通説と異なり、池田氏の意見に過ぎないと思います。
「委員会は勇敢に残った西洋人が中国民間人を保護するために設立され、彼らの努力により犠牲者数が減った」という通説に基づけば、正確な構成メンバーもあまり重要ではない記述です。そのため厳密に書けば「約22人の西洋人が残り、そのうち約15人の西洋人が委員会を設立した」を、出典に沿って「22人によって設立された」と書くのは確かに事実に反していますが、重大な誤りとまでは言えないと思います。
ただ、誤りなのもどうかなと思うので、「残留した22人の外国人の大部分によって立ち上げられた」に訂正するのはどうでしょうか。 --Xefon会話2024年2月2日 (金) 11:22 (UTC)[返信]
事実を追うことで、何らかの結論に辿り着いたのなら、それが真相なのでは無いでしょうか?
国際委員会のメンバーにつきましては、前回も指摘したと思いますが、設立メンバーに加わりつつも、南京戦前に離脱したメンバーが複数います。不思議だと思いませんか?
因みにこの事実は、ご自身が提示されたアスコー氏の文献の15人と22人のリストを比べれば明らかですのでご確認頂ければと思います。
通説に合うように事実を作り変えることは本末転倒でしょう。
正確に言えば中立性の維持に疑問ですかね。あまり意味は変わらないと思いますが。
日本軍の国際委員会への回答(ジャキノ神父経由のもの、直接の回答)を確認されれば、それは明らかと思いますよ。--Harukaikeda会話2024年2月3日 (土) 07:55 (UTC)[返信]
返信 とりあえず、Wikipediaでは前版への差し戻し以外でアラートが来ることは基本的にないはずなので、それがなかったというのは特に変なことではないです。また、HarukaikedaさんもまずWikipediaの方針とガイドラインをある程度把握していただきたいです。
信頼できる一次資料:Wikipediaの方針(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)を参照ください。一次資料が信頼できるかどうかはWikipediaの編集者の判断ではなく信頼できる二次資料によって専門家がそう評価していることを確認して評価しなければならないです。「その反証となる証拠も参照することが出来、自分の頭で検討することが出来ることがウィキペディアの価値であると思っていましたが、ご意見が異なる様ですね。論拠よりも権威を優先しているように感じます」というのもまず方針を確認ください。Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価にあるように、「権威ある情報源」を利用して記事を構成することが要求されますし、スタンダードに反する証拠というのも、それが取り上げるに足るべきものであることは「信頼できる情報源」に基づいて確認しなければなりません。さらに、その重要性についてもWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けにある通り、信頼できる情報源に従って説明の比重や掲載する・しないを考える必要があります。
委員会の重要性:「〇委員会の詳細に特別な重要性はないだろうと思う(改行)というのも、既存の学会のスタンダードの見方の延長ならば、そうなろうかと思います」というのであれば、上記の方針の下、Wikipediaでは学会のスタンダードに従った記述をするべき、という話で終わりだと思います。学会のスタンダードに対してWikipedia編集者が自分の頭で考えた、あるいは自分が発見した反証を記述するのは独自研究そのものですし、「学会ではこのように言われているが、そうではない反証がある。自分の頭で考えましょう」というスタンスでの記述は文体をどのようにせよ、演説・宣伝そのものです。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかを良く確認ください。個々人の考え方どうであれ、Wikipediaというのはそういう基本方針で運用されているのであり、この記事ではこれらがあまりに無視・曲解されていたのが問題の根本にあります。
Marcia Ristainoについて:一応、池田悠『一次史料が明かす南京事件の真実 アメリカ宣教師史観の呪縛を解く』(2020)の記述も確認してみました。そしてわかったこととして、「上海安全区とは異なり中立性に疑義があったため日本からは承認されず、非公式なものであった」という部分を含めて、この部分の本当の出典は池田 2020であるということがあります。同書p. 50の記述は「南京の安全区は、上海と異なり日本側から認められず、非公式なものであったことは上海安全区を研究されたマーシャ・リスタイーノ(Marcia Ristaino)氏の著作『ジャキノ安全区:上海の戦争難民(Jacquinot Safe Zone: Wartime Refugees In Shanghai)』P八一にも『南京安全区 不承認(unupproved)』と明らかなのであるが(以下略)」とあり、参照箇所、一文のみを抽出して著作自体の文脈を無視している部分まで元版の記述と全く同じになっています。なお、このRistaino 2008 p. 81の"THE NANJING SAFETY ZONE UNAPPROVED"は本文でもなく、"The Jacuinot Zone Copied"という章の中の小節のタイトルであり、"THE HANKOW UPPROVED SAFE ZONE"とともにジャキノー神父の活動に触発されて各地に設置された安全区がどのような進展を辿ったかを説明した箇所ですが、池田 2020 p. 51にあるような「南京安全区が不承認であったという事は、これは"Safety Zone(=安全区)"ではなかったということを意味する。つまり、南京の安全区は挙行の存在であった」というような内容を全く含んでいません。出典元自体でそれが行われているという点が特殊なケースですが、はっきり言ってこれはWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の具体的な実例で、Wikipedia的には許容されない出典の用い方であろうと思います。『現代アジア辞典』から「とされる」という4文字だけが(同書の他の部分はほぼ無視して)記述の根拠とされていたように、「THE NANJING SAFETY ZONE UNAPPROVED」というたった5単語が208ページもある書籍から引き抜かれて、全く異なる文脈に接続されていたのであり、元々の南京事件の記事の問題が出典の取り扱いに対する、根本のところで共通した姿勢によるものであることがこの点からも明らかであるように思います。--TEN会話2024年2月3日 (土) 15:55 (UTC)[返信]
〇結局信頼できる二次資料が編集のカギであり、TENさん他、以前の議論でそれは学術書で多く引用されている、笠原氏・秦氏のものと決まったと理解しました。
それに対し私が委員会メンバーを例に指摘したのが、その信頼できるとされた二次資料に誤り(他の一次資料や二次資料を正とした場合)がある場合はどうするのかということです。
TENさんのご回答をみると、一次資料や他の二次資料に信憑性があろうと、既に委員会については笠原氏の記述を正としたのだから、訂正は必要がない、というご意見と思います。
Wikipediaのルールの解釈によると、それも一つの考えなのかもしれませんが、
学術界の権威を優先するあまり、事実を追求するという点では、逆に記述の信頼性を欠くということになるのではないかと懸念します。
これまで多くの記載があったのは、学術的に権威あるとされる二次資料が、一次資料に対し多く矛盾あるなどの状態の解決を図った結果なのではないかとも思われます。
ここで、改めてwiki上で笠原氏秦氏を標準と定めることが、適切なのか、いまだに釈然としません。
〇Marcia Ristaino氏が安全区を不承認としている件について、コメントを頂きましたが、
『一次史料が明かす南京事件の真実 アメリカ宣教師史観の呪縛を解く』の該当部の記述について、①本来、離れているものをくっつけて、また②併記してある一次資料の記述を無視することで流れがわからなくなって、
不思議な読み方をされているなと思います。
①についてですが、
p. 51の「南京安全区が不承認であったという事は、これは"Safety Zone(=安全区)"ではなかったということを意味する。つまり、南京の安全区は虚構の存在であった」
という文を、まるで、Marcia Ristainoの南京安全区不承認(unapproved)という記述の説明のよう解釈されていますが、池田の本の原文を確認しますと、マーシャ氏を引用した部分はp50で終わっています。
別の文を挟んで「ところで、」と池田悠のunapproved安全区についての考察部分での話です。この部分をマーシャ氏の意見であると誤解する方は一般にはいないと思います。
②についてですが、
P50「南京の安全区は、上海と異なり日本側から認められず、非公式なものであったことは上海安全区を研究されたマーシャ・リスタイーノ(Marcia Ristaino)氏の著作『ジャキノ安全区:上海の戦争難民(Jacquinot Safe Zone: Wartime Refugees In Shanghai)』P八一にも『南京安全区 不承認(unupproved)』と明らかなのであるが(以下略)」
について、
日本側から認められずというのは、それを示す以下の資料に拠ります。
「日本当局は安全区設置の要望を確かに認識しましたが、残念ながら、認めることができません。中国軍による市民や財産に対する非違行為について責任を負うことは出来ず、しかし、軍事上の要件〔=非軍事・中立性〕が満たされている限りにおいて、そのエリアを尊重するよう日本軍は努力します」 (1937/12/2 ジャキノ神父からの国際委員会への返答 *Yale)
“Japanese authorities have duly noted request for safety zone but regret cannot grant it. In the event of Chinese forces misbehavior towards civilians and/or property cannot assume responsibility but they themselves will endeavor to respect the district as far as consistent with military necessity.”
この文書は上海安全区創設者のジャギノ神父が書いた手紙であり、ジャギノゾーンの研究者であるマーシャ氏が確認しないはずはありません。また確認したからこそ『南京安全区 不承認(unapproved)』と表記したのでしょう。根拠なくunapprovedとは書かないでしょうから。
また、マーシャ氏の著書は、上海安全区についての著書であり、南京安全区非公認というのも、公認された上海との対比であることは間違いないでしょう。上海と異なりという記述はマーシャ氏の意図に沿ったものと思います。
「THE NANJING SAFETY ZONE UNAPPROVED」
が何百ページの中の単なる一記述であると、不思議な過小評価をされている様に思いますが、一か所であろうと、マーシャ氏が、研究の結果、責任をもって書かれたものであろうことは間違いがありません。
また、①でご説明したように、池田もマーシャ氏のその記述にそれ以上の意味を持たせてはいません。
・・・
そこで疑問なのは、池田もマーシャ氏も、単純に、南京安全区を非公認であると言っているところ、
また、逆に公認されたものであると反証している研究者が皆無な中、
なぜ、その非公認の事実を伏せようとするのでしょうか?--Harukaikeda会話2024年2月3日 (土) 23:35 (UTC)[返信]
返信 Wikipediaの方針について:「学術的に権威あるとされる二次資料が、一次資料に対し多く矛盾あるなどの状態の解決」というのはWikipediaですることではありません。改めて記載しますがWikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性をはじめとした方針を確認ください。
記述の誤りについて:信頼できる二次資料間で矛盾があるならば、記事主題、他の文献の記述、内容などからより信頼性の高いであろう記述を採用することになるでしょう。以前にも書いた通り委員会の詳細に特別な重要性はないだろうと思うので、数字を省くなり別の出典の記述を使用することで合意できるなら私としてはそれで構いません。
出典に対する言及の仕方について:「南京事件」の記事の元版でも池田 2020のp. 50-51の記述でもそうですが、①日本は南京安全区を承認しなかった→②日本軍の回答はこれである→③南京安全区が不承認であったことは安全区は虚構の存在であったことを意味する、という文脈の中で、①のみの論拠としてRistaino 2008のp.81から出典自体が持つ趣旨を無視して小節タイトルの5単語のみを抽出し組み込むやり方は、一般的な先行研究への言及の仕方として非常に不適切ですし、Wikipedia的にもやってはならない出典の利用方法だということを指摘しています。なお、Harukaikedaさんが引用するジャキノーの文章をRistaino 2008は同じ章の中で一部引用していますので推測によらずともRistaino氏はその史料も確認していることは確実です。そして、先に書いたように、Ristaino 2008がこの章で述べていることは、「上海と異なり南京安全区が成功しなかった理由、日本側から承認を獲得できなかった要因は何か」という観点での上海の事例との比較であり、その概要は以前書いた通りです。この出典を池田氏の論考と接続するのはつとめて不適当です。Ristaino 2008を「南京事件」の記事に出典として付け加えたのは履歴を見る限りHarukaikedaさんだと思うのですが、小節のタイトル以外の記述を確認されているでしょうか。
安全区の不承認について:なお、Ristaino 2008は信頼できる情報源として扱えると思いますので、南京安全区国際委員会の不承認に関する情報をもっと詳細に記述する必要があるということであれば、Ristaino 2008に基づいて概要を記述するのはありだと思います。--TEN会話2024年2月4日 (日) 04:22 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。
一応お伝えしますが、池田悠の論考を採用せよ、という趣旨で書いていませんので。
南京安全区がさも公認であるかの様な記述になっているのが事実と明確に異なることを指摘しました。
①②は明確であると思いますので、
それではマーシャ氏の文脈で安全区が非公認であることを明示すればよいのでは無いでしょうか。
繰り返しになりますが、さも公認であったかのように扱われていることで世間の誤解の元になっていますので。
※因みにマーシャ氏の記述なら採用となる理由は何でしょうか?知見が狭くて恐縮ですが、国内で多くの学術書に参照されていることは知らないのですが。
安全区のメンバーについては事実に即した記述であれば当然ながら言うことはありません。
さて、今回の件で指定した誤りがあった様に、果たして笠原氏の記述が信頼に足りうるのか?という疑問はやはり残ると思います。
笠原氏(今回秦氏について議論していないので今回こちらは問いませんが)をスタンダードとする決定は適切なのでしょうか?--Harukaikeda会話2024年2月4日 (日) 04:48 (UTC)[返信]
追記:今回ご提示頂いた基準、また実際の改訂を拝見し、理解を記します。
これまでの、主に一次資料を元にした、今回の基準では信頼出来る二次資料とは判定されない、既存の膨大な研究(学者によるものを含む)が、今回の改訂基準では不採用となると理解しています。
その中には、信頼出来る有用な知見もあったかと思いますが、それは今回の基準による信頼出来る学術研究者により取り上げられるまでお蔵入り、ということですね。少なくともこのwikiの場では。
やはり権威主義的なものを感じ、また情報の提供という観点からは退化を感じますが、wikiの提供する情報はその様なものなのですね。--Harukaikeda会話2024年2月4日 (日) 05:29 (UTC)[返信]
一つだけ。非公認であると書かれていないことは、公認であると書かれていることにはなりません。ご理解ください。--フューチャー会話2024年2月4日 (日) 05:34 (UTC)[返信]
安全区は、最初に作られ、日中が合意して公認された上海安全区が標準であると思います。
普通に安全区、という言葉遣いは公認されたものであるという誤解をあたえます。
当時も、日本側が否定していたからだと思いますが、ジョンソン大使は非公認安全区を、The zoneと、面白い呼び方をしています。--Harukaikeda会話2024年2月4日 (日) 05:43 (UTC)[返信]
返信 Ristaino 2008の日本語文献での引用例(というより南京国際区の承認不承認について特別に言及している例)は今回の編集にあたって確認した資料の中では私も見ていません。一応Google Scholarで複数の引用例があることが確認でき、出版元的にもWikipedia:信頼できる情報源#歴史的には該当するのはないかと考えます。もっとも非常に雑な確認であることは自覚しており、自信をもっているわけではないですが、安全区の承認の問題についての記述について共通点が見出せるならという感じです。--TEN会話2024年2月6日 (火) 03:39 (UTC)[返信]
マーシャ氏の文献は、出版元的にも、Wikipedia:信頼できる情報源に該当するのでは、との記述了解しました。
私も、出版元、またご本人のご経歴的にもその様に思います。
ところで、笠原氏とともに、信頼があるとしてTENさんがスタンダードに据えられた、秦氏の記述についても言及いたします。
秦氏については、ご提示いただいた、上記、信頼できる情報源に示された、歴史の専門教育を受けた方ではありません。
秦氏については、信頼できるとする根拠は、偏に、学術書での参照実績があるというところであろうと思います。
(出版元でしたら他にも多く同様に信頼できる文献があろうと思います)
先に笠原氏について、南京安全区国際委員会のメンバーという南京事件関連の基本的な事項にすら誤りがあるので、信頼性に欠けるのではないかと、申し上げました。
ここで秦氏の著作の信頼性に関しても疑義を申し上げます。
具体的に一例を挙げますと、著書「南京事件」(中公新書)で、小説「生きてゐる兵隊」(石川達三著)について、南京事件について描いたものとして賞賛をささげています。しかし、その内容は現在では原著者(石川達三氏)本人により全否定されているという事実があります。
※その石川氏が否定したという証拠資料は、「決定版「南京事件」日本人50人の証言」(阿羅健一著 扶桑社)の扉部分に、石川氏直筆の手紙<現物写真>に採録されています。wikiでは一次資料は慎重な取り扱いの上でしたら有効であったかと思います。この資料もその基準に準じるのではないかと思われます。
この一例からも秦氏の記述においても、笠原氏と同様に、他の著者のものと比べて南京事件において、スタンダードとするまでの信頼性は無いかと思います。
記述そのものに明確な誤りがあったり、原著者によりすでに否定された著作を称賛するなどの事実を無視して、
偏に、学術関連での参照が多いことによる信頼性を優先して、笠原氏や秦氏の文献には信頼性があるとみなすとは、権威の押し売りになるのではないでしょうか?
ここで、再度申し上げますが、上記の理由により、笠原氏秦氏の著書を信頼ありとして、wikiの論述のスタンダード・または骨格とするTEN氏のご提案には反対します。
改定の検討は結構ですが、まず、あまり多くの方に知られることなく、結果的に、ごく一部の方々の間で決定された、1/21改定版はキャンセルして、一度元に戻すべきかと存じます。
その前の会合に参加された大和屋敷さんも、同様の意見であったかと思います。--Harukaikeda会話2024年2月6日 (火) 09:43 (UTC)[返信]
Harukaikedaさんがスタンダードという表現を使っているので、笠原、秦を出典のスタンダードとしたのはTENさん個人の判断によるものではなく、議論をへたうえでの編集である点は再確認しておきます。私は2024年1月30日 (火) 12:52に確認して発言しました。--Moke会話2024年2月6日 (火) 10:01 (UTC)[返信]
勿論、個人ではなく前回の議論の参加にされたごく一部の方々によるOutputだと認識しております。--Harukaikeda会話2024年2月6日 (火) 10:18 (UTC)[返信]

戦時国際法からの批判

本「書き換え」においては「虐殺、および略奪・暴行・強姦・放火など」を不法行為と定義しており、これは犯罪と同義で用いられていると理解しています。

戦闘行動については一般刑法は適用されないので、その行動が慣習国際法違反となる場合に犯罪となりますが、書き換えでは特に構成要件や違法性阻却事由を意識せずに記述しているように見受けられる。

例えば、

①徴発は占領者の正当な権利ですが、徴発が略奪と異なるのは、部隊指揮官の命令により、軍需品を、対価を支払ってまたは支払を約束して供出させることです。

部隊に法幣や軍票の持ち合わせがなければ、引換証(徴発証券)を交付すればよく、また権利者が不在なら引換証を直接交付する必要はなく置き手紙でもよい。(信夫淳平、戦時国際法講義2)

ところが書き換えでは徴発ではなく略奪であった事例として、9D渡辺卯吉の証言を挙げているけれども、これは引換証の記載に不備があったことを示すだけで(権利者は経理部に出頭できているのだから)、支払いの約定が無かったことにはならないし、また、そのような引換証でも経理部が受け付けていることが証言から見受けられる。

②進軍中の放火も同様、慣習法では軍事的必要があれば文化財などでない限りは民用物を破壊できるので、中国兵やゲリラの拠点となりそうな民家への放火は違法ではない。

③「掃討の延長として敗残兵や捕虜の殺害も頻繁に行われた」とされるが、当時の国際慣習法では、投降兵(捕虜)が戦闘行動中に足手まといとなり、かといって解放もできない場合は殺害できる。(佐藤和夫、信夫淳平、Oppenheim 他) 「掃討の延長として」ならば違法では無かった可能性の方が高い。

そうすると、日本軍がもっぱら略奪放火殺人を(違法行為を)しながら進軍したという、南京事件発生の理由のひとつが成り立たなくなってしまう。

このような杜撰な記述となったのは、書き換えが準拠した歴史学者、笠原、吉田、秦が国際法の門外漢であり、かつ国際慣習法を真面目に調査しなかったからだが、

違法性の有無が争点なのに歴史学者のみに依拠して、東京裁判録、「戦史叢書」「南京戦史」などを考慮しなかった書き換え者の重大な過誤でもある。

--くまくま第二会話2024年2月5日 (月) 00:36 (UTC)[返信]

捕虜の「解決」と民間人の殺傷の項についても、
①ハーグ陸戦慣例規則には、「戦意を喪失し組織的な行動能力を失った敗残兵に対しては降伏を勧告し捕虜として待遇する」と解釈できる条項は存在しないし、そのような慣習法の存在も実証されない。慣例規則23(c)は 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコトとあり、敵兵の投降が捕虜となる前提条件である。(尚、23(c)は戦闘でのあらゆる場合に適用されるものではない(田岡良一 Oppenheim他)
② 「自軍の補給にも窮していた日本軍は制圧当初から全体として捕虜を殺害する方針で臨んでいた」
「捕虜ヲ取ラヌ方針ニテ」という中島日記の記述等が根拠だが、まず大本営、方面軍、軍共にそのような方針があったことは確認できず、派遣軍では逆に捕虜を取れと支持している(飯沼日記)。16Dも捕虜を取っており、全体として捕虜を殺害する方針はまったく実証されない。
(大本営の方針につき立川京一、方面軍ー師団までの統一した方針がなかったことにつき南京戦史)
③ 敗残兵・便衣兵の掃討と良民の選別
書き換えでは、この戦闘員掃討の違法性の有無(争点)が明らかでなく、それに拠って異なってくる誤殺された良民の殺害の違法性も明らかでない。
便衣兵につき吉田は違法とまではいえない。秦は無裁判だったことが違法、笠原は無抵抗な敵兵の殺害が違法としているが、書き換え者はおそらく違いを理解していない。
笠原、秦を採るなら住民殺害は全部違法、吉田を採るなら、抽出方法に重過失があるなら違法となる。
日焼け痕や銃だこで決定したというのが重大な過失となるかは議論がある(佐藤和夫)
また、水谷日記などによると、日焼け痕などのみで決めたというわけでもない。
ここでも引用史料は違法性の根拠として十分ではない。
いずれにせよ--くまくま第二会話2024年2月5日 (月) 01:20 (UTC)[返信]
くまくま第二くまくまさんの「書き換え者の重大な過誤でもある」などの表現は、個人または単独のアカウントを指すようにも見えるので一応書きます。(1) 議論をへた上での編集である点は確認しておきます。これまでの議論をご確認ください。(2) 意図していないと思いますけれど、くまくまさんの表現だと個人攻撃にも読めます。Wikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:個人攻撃はしない をご確認ください。たとえば「国際慣習法からの議論が充分になされていない」という主旨のことをおっしゃりたいのでしょうか?--Moke会話) 2024年2月5日 (月) 06:35 (UTC) アカウント名を間違えて大変失礼いたしました。--Moke会話2024年2月5日 (月) 06:39 (UTC)[返信]
信頼すべき資料に基づいた記述を編集方針とするのであれば、南京事件での「不法行為」は戦時国際法(あるいは一般刑法)違反の有無ということになるから、法学者による著述などを援用するべきです。具体的にいくつか指摘しましたが、笠原も秦も違法とする慣習法の存在を実証して記述しているのではない。
個人攻撃だとおっしゃるが、南京事件を一人であるいは数人で全部書き換えるというならば、当然に持っているべき知見を明らかに缺いているという事実を指摘したまでです。--くまくま第二会話2024年2月5日 (月) 19:32 (UTC)[返信]
返信 上に書いたように、普段近代史を細かく調べているわけではないので知見が十分でないのはその通りだとは思います。しかし、一次資料の取り扱い信頼できる情報源の指針がWikipedia的には方針・ガイドラインとしてあるのであり、元版に対する問題意識はこれを始めとした各種の方針やガイドラインが基本的に無視されている点です。これはWikipediaに参加する人が従うべき、あるいは従うことが推奨されているものであり、元版はこの点において問題が放置されている点がWikipediaの記事として過誤があります。そして歴史分野の記事としては現状の学(術)会のスタンダードに合わせるというのはWikipedia上基本的なことになると理解しています。日記にせよ戦史にせよ 一次資料の評価は二次資料によるのが基本となります。
法学者による出典があるべきというのは個人的にはその通りと思いますが、正直私は法学に関して信頼できる情報源を識別する能力はなく現状は使っていません。南京における戦時国際法の適用について学術的なスタンダードまたは有力な見解があるなら拡充されるべきだと思います。ただ、基本的に何が起きたかとそれが法的にどうであるかというのは別の話であり、戦闘員掃討や住民の誤殺というのが歴史学者によって説明されているならそれがまず記述されるように思います。違法性の有無が争点というのは少なくとも論争の話で、南京事件論争が記述を担当するところだと思うのですがいかがでしょうか。--TEN会話2024年2月6日 (火) 04:27 (UTC)[返信]
コメント 上記のコメントのように個人的には考えるのですが、正直なところ現状は合意形成の道筋が想像できません。賛同してくださったMokeさん、Zefonさん、説明の労をとっていただいたフューチャーさんには本当に大変申し訳ないのですが、大和屋敷さんの言うように一旦2024年1月13日 (土) 09:34版まで戻った方が良いかもしれません。一定期間反対がなければ合意と見なすというのはWikipediaの慣習ではありますが、この場で現実にそぐわないのは明らかで(実際、下書きを置いていた期間反対意見が付かないのは奇妙ではありました)、少なくとも「合意済み」で押し通すのはちょっと無茶があるように思います。議論に気付かなかった方々が気付いたところで一区切り、とするしかないように思います。--TEN会話2024年2月6日 (火) 06:16 (UTC)[返信]
TEN様 ご返信ありがとうございます。
2024年1月13日 (土) 09:34版がTEN様書き換え前の元版を指すのであれば、いったんそこに戻して冷静な議論が可能な状況とした上で再協議するのが適当と思います。
元版には石も含まれるのですが、ただ学術界の通説をなぞるのではなく、その不備を補う水準にある情報が多々あります。専門家による事典に対するWikiの意義は集合知による知見の深化発展にあります。
Wikiの編集基準をどこまで徹底するかは、おそらく20年近くにわたって積み重ねられてきた知見を喪うことの不利益との衡量でなければならないと思料します。
今後の議論の方向性ですが、南京事件をどう捉えるかといった大きな問題の合意には時間がかかると思う。まず個別の記述、出典につき適否を議論する形でボトムアップする方法を提案します。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 06:35 (UTC)[返信]
宛TEN 様
不法行為・違法性の議論について
南京事件関係のページは他に3つ4つありますが、この「南京事件」のページはその名称からポータルとしての性格、役割を持っています。
他のページと連携、分担が望ましいのですが、南京事件を日本軍による戦時国際法、一般刑法違反行為(笠原)と定義した場合、どの行為が違法となるのかの議論は避けられません。
違法性の問題はかなり専門的な議論になるので、これを避けるには「南京事件」のページでは違法性を問わずに殺害などの事実として記述するしかないでしょう。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 06:49 (UTC)[返信]
私への言及があったので来ました。ありがとうございます。
  • 私は2024年2月6日 (火) 04:27 のTENさんのコメントに基本的に同意します。
  • TENさんの2024年2月6日 (火) 06:16の書き込みについて1点書きますと、「議論に気付かなかった方々が気付いたところで一区切り」というのは、それまでの議論と編集をリセットするので、議論に参加した方々を含めて慎重な検討が必要だと考えます。私が2024年1月30日 (火) 12:52に若干まとめ的に書いたように、秦、北村、笠原を基礎として書き直すという方針に異議がなかったのは、TENさんが2024年2月6日 (火) 06:16に書いた3名の他にもいらっしゃると考えます。他にもありますけれど、ひとまずということで。
--Moke会話2024年2月6日 (火) 07:02 (UTC)[返信]
宛Mike様 ご返信ありがとうございます。
以前の会話はざっとでしか見ていないのであくまで印象ですが、
南京事件を把握する上で必ず挙げられる文献であるところの南京戦史、日中歴史共同研究における波多野・庄司論文、あるいは軍事史学会の論文集にある板倉論文が、
会話上では討論対象になっていなかったところに、基礎が狭すぎるのではないかと思いました。
実際のところこれらを一度は検討されていたのでしょうか?--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 07:17 (UTC)[返信]
訂正のうえ再送 (名宛人の名称誤記m(_ _)m)
宛Moke様 ご返信ありがとうございます。
以前の会話はざっとでしか見ていないのであくまで印象ですが、
南京事件を把握する上で必ず挙げられる文献であるところの南京戦史、日中歴史共同研究における波多野・庄司論文、あるいは軍事史学会の論文集にある板倉論文が、
会話上では討論対象になっていなかったところに、基礎が狭すぎるのではないかと思いました。
実際のところこれらを一度は検討されていたのでしょうか?
--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 07:22 (UTC)[返信]
返信 Mokeさん。基本的には私としては提示した案が最適だろうと考えます。ので私の提案としては基本的には下書き(現在)案に置き換えるというのがまずあります。ですがすみません、確かに議論と履歴をリセットすることになりますね・・これはこれでWikipedia的には多分おかしいのでちょっと軽率でした。「勝手に」という批判に対応するべく、改めて置き換えを提案する趣旨でした(あと、反対意見が付かないのは議論の流れ的に奇妙と感じたのは正直な感想ではあります)。--TEN会話2024年2月6日 (火) 08:19 (UTC)[返信]
返信 -くまくま第二さん。私宛のコメントではないものもまとめてになりますが返信します。すみません、上の通りですが、基本的な話としては私はこの記事の置き換え(現行版)がより良いと思っていますので、元版に戻すにせよしないにせよ、まずいくつかの文献を基にまず骨格を作るべきというのが意見になります。これは元版の構成自体に問題があるためと考えているからです。具体的には概説書で一般的に参照される秦・笠原をベースにするということになります。前の議論はできれば読んでいただければと思います。個人的には出典に関しては、使用したもの以外にもいろいろ確認はしていますが、『南京戦史』は(今は手元にないですが)資料集の方はWikipedia的には一次資料の評価は二次資料によるという点から基本的には直接引用は避けた方が良いと考えています。記述の方も基本どれが取りあげるべき記述かというのは学者の判断に依った方が良いかなと思っています。波多野・庄司論文は確認はしましたが、むやみに各論の出典を増やさない方がまとまりが良いだろうと考えて私の書いたものの中では使用していません。板倉氏に関しては少なくとも私は検討・確認していません。どの道、私が書いたものが最終版ではないのは厳然たる事実なので時間とともに新しい出典は肉付けされていくだろうとも思います。
一応今回の改定の趣旨なのですが、基本的にまず歴史学の学術的な通説に従った記述をする(Wikipedia:中立的な観点#適当な重み付け)べきというのは、Wikipediaの基本原則であり「中立的な観点 (Neutral Point Of View, NPOV) は、ウィキペディアの根本的な方針の一つです」とある通りで、「学術界の通説をなぞるのではなく、その不備を補う水準にある情報」というのはWikipedia:信頼できる情報源の趣旨に沿って判定しなければならないです。これはどのような種類の記事であっても原則として同様で、「Wikiの編集基準をどこまで徹底するか」というのは可能な限り適用すべきという以外の判断はWikipediaの方針的には出てこないと考えています。方針の原則論ばかりになってしまいますが、あまりに無原則に歩んできたからこそ、まず原則を適用することをしなければならないと思っています。--TEN会話) 2024年2月6日 (火) 08:19 (UTC)--TEN会話2024年2月6日 (火) 08:43 (UTC)(訂正)[返信]
TEN様
確認ですが、 以下確認したく。
①一旦2024年1月13日 (土) 09:34版というのは、貴殿が書き換える前の版(元版という)を指すのか
②元版に差し戻しする意思はあるのか--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 09:36 (UTC)[返信]
TEN 様
①Wikiの原則を可能な限り適用することの正当性は、適用によって有用な情報も消去されることによる損失との衡量であることを再度主張します。またWikiの原則は情報源についてのものであって、元版の構成それ自体をまったく変えてしまう理由にはなりません。
② 学問上の中立的観点というのは、対抗論文があれば必ず対照し、また在野の論文であっても考慮すべきは参考として掲げて、議論の余地のあることを明らかにすることです。人口に膾炙している(と思われる)論文に絞るというのは中立とは違う。
対抗論文の権威についても、波多野・庄司論文(ご存知なかったのはいかがなものかと思う)、南京戦史を疑う者はいないはずで、構成のまとまりを理由に排除したとするなら、正しい執筆姿勢ではない。
富澤繁信氏の一連の著作はアカデミーの権威ではないが査読論文の水準にあると思われるし、東中野氏、阿羅氏についてもアカデミーではないからというだけで排除できる水準のものではありません。
③情報源の信頼性をどうやって評価するのかについて貴殿らはアカデミーの権威と人口に膾炙していることを選択した。しかしそもそもアカデミーであるかという判断基準はwikiには存在せず、信頼性の判断は、選択する側の知見の深さに委ねられる。上述の富澤氏らの論文内容の信頼性を否定する根拠を、アカデミーではないという以外に貴殿はお持ちなのか。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 10:18 (UTC)[返信]
くまくま第二さんが私におっしゃりたいのは、南京戦史、波多野・庄司論文、板倉論文が出典として重要であるという主旨でしょうか? でしたら、重要だと考えているくまくま第二さんに代わって、なぜ私が9つある過去ログを含めて前述の文献についての意見を探さなければいけないのか、理由が分かりませんでした。お力になれず申し訳ありません。
また、本題ではありませんけれど、「基礎が狭すぎる」というのはこれまで議論に参加してきた皆さんに対して強い表現だと考えます。--Moke会話2024年2月6日 (火) 10:13 (UTC)[返信]
宛Moke 殿
①私の発言は、貴殿に過去ログを探すようにお願いする主旨ではありません。
②テーマに対して当然参照検討すべき先行研究を一顧だにしない論文に対する評価として、私のような言い方は優しい方だと思います。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 10:23 (UTC)[返信]
「優しい方」というのは、Wikipediaでの議論において、という意味でしょうか? 「ざっとでしか見ていないのであくまで印象」ということであれば、議論に参加している皆さんについてかなり強い調子の印象を持たれていると考えます。
くまくま第二さんの表現は当初から強めですけれど、もし本項目についてご自身の知見を述べたいのであれば、Wikipedia:エチケットにある「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」もご参考になるかもしれません。--Moke会話2024年2月6日 (火) 10:48 (UTC)[返信]
宛Moke殿
ご指摘ありがとうございました。
私の発言は、南京事件について自分の知見に沿った内容に記述を変えさせようとする主旨ではなく、歴史学およびwikiにおいての叙述の在り方としてどうかという主旨であります。
そのこと、叙述の在り方、についてのご批判であれば、正面からお受けいたします。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 10:54 (UTC)[返信]
コメント 個人的な意見としては基本的には前と同様なのですが、正直議論を落着させるような説明を持たず、一旦改めて2024年1月13日 (土) 09:34版への巻き戻しを提案したいと思います。版についてはページの履歴を確認いただければ時刻でわかると思います。賛同いただいた方々には改めて大変申し訳ないのですが、問題点については個別の提案とさせてください。--TEN会話2024年2月6日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
宛TEN様
ご提案ありがとうございました。
haruka氏もご意見をお持ちと思いますので、同氏の諒解も得たいと思います。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 11:15 (UTC)[返信]
私にも確認のお声がけ頂きありがとうございます。
2024年1月13日 (土) 09:34版への巻き戻し
ということでしたら、
それが1/21の大改訂版の取り消しということになると思いますので、私がお願いしていたことと重なると思います。
よろしくお願いいたします。--Harukaikeda会話2024年2月6日 (火) 11:48 (UTC)[返信]
宛TEN様、Haruka ikeda様
Harukaikedaさんもご確認されたということなら、TENさんの差し戻し案に異存はありません。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 12:05 (UTC)[返信]
TENさんの2024年2月6日 (火) 10:59のコメントを確認しました。コメントをありがとうございます。--Moke会話2024年2月6日 (火) 11:08 (UTC)[返信]

2024年2月9日の無断大幅書き換えについて

Wikipedia のルールにも信義則にも反しているので、直ちに元版への差し戻しを要求する。(取り急ぎ)--くまくま第二会話2024年2月9日 (金) 10:26 (UTC)[返信]

Xefon氏による、2024年2月8日 (木) 21:45‎ 以降の編集についての事ですね。
先の
・1/21のTEN氏による大幅書換えについて
・戦時国際法からの批判
での議論から明らかなように、
以前にノートでなされた議論は、ごく一部の方々の意見であることが確認されている。
また、両スレッドによる議論では、元に戻すこと以外は何の合意も取れていないことが明らかである。
編集の始まりである、Xefon氏の、2024年2月8日 (木) 21:45 において、
 (ノート:南京事件で概ね合意が取れている、不適切な出典による記述の削除)
と、記載され、さも何らかの合意が取れているような書きぶりをしているが、上記の議論を辿れば明かなように、その事実は全くない。
私も、すぐに元に戻すことを要求します。--Harukaikeda会話2024年2月9日 (金) 10:47 (UTC)[返信]
とりあえず、一連の投稿でしたので、一度全て、元に戻しました。--Harukaikeda会話2024年2月9日 (金) 11:02 (UTC)[返信]
Xefonさん、アラートが飛ぶように、こちらで一応お名前貼りますね。--Harukaikeda会話2024年2月9日 (金) 11:08 (UTC)[返信]
宛Harukaikeda様
お手数をおかけしました。こういう作業を強いられたことは大変遺憾です。
無断で書き換えたxefon氏には二度とないようにしていただきたい。--くまくま第二会話2024年2月9日 (金) 11:24 (UTC)[返信]
再発防止は、このウィキペディア日本語版が、韓国人による日本人へのヘイトクライム事件の項目を削除して復帰させなかった実績があるのに鑑みれば、こういう悪質編集者・管理者・理事を無期限ブロックして追放していくしかないのでしょうね。 Xefon 氏も勿論無期限ブロック追放で。--Emmanuel Chanel会話2024年2月9日 (金) 12:41 (UTC)[返信]
I want to point this comment out for future readers. This discussion had nothing to do with race, but this user for some reason felt it necessary to bring it in.
For reference, in the next several weeks I will be contacting hundreds of international journalists about this talk page. Your comment does not give you a good image.
今後の読者のためにこのコメントを指摘しておきたいと思います。 この議論は人種とは何の関係もありませんでしたが、このユーザーは何らかの理由でそれを持ち込む必要があると感じました。
参考までに、今後数週間のうちに、私はこのトークページについて何百人もの国際ジャーナリストに連絡を取る予定です。あなたのコメントは良いイメージを与えません。--Toobigtokale会話2024年2月12日 (月) 10:18 (UTC)[返信]
Furthermore, nobody else in this thread called out this behavior.
さらに、このスレッドの他の誰もこの行為を非難しませんでした。--Toobigtokale会話2024年2月12日 (月) 10:31 (UTC)[返信]
Harukaikedaさん、元に戻していただき、ありがとうございました。
Xefonさん、1昨日にTENさんが書き換え版を元の版に戻されたばかりですが、その議論をご覧になっていましたよね。にもかかわらず、合意を得ることもなく無断で大幅に書き換えるというのは、どういうことでしょうか?
これまで長きに渡りこの分野にお詳しい皆さんが多くの時間を費やして編集してきたものを無にするような行為だと思います。Harukaikedaさんが元に戻してくださいましたが、このようなことを繰り返さないようにお願いします。--Piyopiyoko2会話2024年2月9日 (金) 13:09 (UTC)[返信]
Xefon 氏は悪質な確信犯として対処した方が良いと思います。投稿ブロック依頼のページを見ると、いきなり依頼するな、話し合えと書いてあるので、いきなり無期限ブロック提案をしても合意にこぎつけないのかも知れませんが、話し合って合意した後で無断書き換えしているので、今すぐブロック依頼しても問題ないかと思います。
私よりくまくまさんの方が状況に詳しそうなので、くまくまさんから提案して貰った方がいいのかも知れないと思います。--Emmanuel Chanel会話2024年2月9日 (金) 14:23 (UTC)[返信]
To-TENさん (cc:Mokeさん、フューチャーさん)
諸々意見が出ておりますが、TENさんが先の議論の中心でしたので、率直なご意見を伺いたく思います。
今回のZefonさんのような行動を慎むべきだと思いますか?(明確にY/Nが分かるようなご回答をお願いいたします)--Harukaikeda会話2024年2月9日 (金) 21:36 (UTC)[返信]
共同作業に当たっては是々非々で譲れる部分は譲るということが重要だと思います。「「南京事件に関する参考文献」も参照」({{See also|南京事件に関する参考文献}})を除去することが合意され除去されていた所、[3]ではそれが再追加されています。この点は明確に合意に反している状態であり、除去がいいと思います。そしてその除去の状態が、ここでいう「無断大幅書き換え」の一部です。 --2001:240:2404:447D:C8E4:A3CF:7B25:4017 2024年2月10日 (土) 03:21 (UTC)[返信]
どなたでしょうか? Zefonさんは、既にアカウントを削除されたようですが。非難が集まると、アカウントを削除して逃げるということは非常に不誠実な態度であると思います。
決まったことを確認しますと、今回、TEN氏による大幅な書換えを元に戻すことに合意がありました。以前の議論は一部の方々でされ、反論なく決められたものであることも、TEN氏が認められているとおもいます。
よって、それ以前の議論は一度、クリアになったので、「合意され」というのは間違いです。改めて有用な書換えを提案されたいのでしたら、合意事項としてでなく、新たにご提案頂くべきです。
また、一部の書き換えに正当性があることを主張されていますが、一連の書き換えでそれ以外の追加削除もされていますよね。その部分を伏せてのこの様な主張は非常に問題であると思います。
再度、TENさんにお尋ねしますが、このZefonさんの行動を黙認されるのでしょうか?もし問題ないと考え黙認されるということでしたら、今後も同様の行動を誘発することにつながると思いますので、非常に問題であると思います。(今回の合意は直接的には、TENさんとくまくま第二さん、私の合意でありますので合意の当事者としてお尋ねしています)
他の方から、Zefonさんへのブロック提案などが出ていますが、もし、TENさんが、この行為を引き続き黙認されるということでしたら、私はTENさんにもペナルティが課されるべきであると考えます(理由は上記です)。今回のみで実際にペナルティが課されるかは疑問ですが、同様の行為が続くようであれば、調査対象となるでしょう。
以上の理由により、改めてZefonさんの一連の行為に対しての、TENさんのご意見をお聞かせください。日本時間で、明日(2/11)中にはご回答をお願いできればと思います。よろしくお願いいたします。--Harukaikeda会話2024年2月10日 (土) 03:55 (UTC)[返信]
対立が深まっているようなので、争いがないならところから歩み寄りを進めてはどうか、ということです。意見の対立があったとしても、共同で編集をしているボランティアだということを思い出していただきたいと思います。参考文献部分の「See also」を入れるかどうかについては、入れた方がいいという意見とそうでないという意見の両方がある訳ではなく、単に、巻き添えで再追加されただけと思われます。この部分についてもどうしても譲りたくない理由があるなら、お伺いしますが。Zefonさん(以前ここで発言していたことのあるXefonさんの間違いでしょうか?)については、詳しく存じ上げませんが、別人であり、私とは無関係です。因みに、合意形成期間の目安は1週間です。 --2001:240:2404:447D:C542:36D1:E54:D97F 2024年2月10日 (土) 05:37 (UTC)[返信]
TENさんの1月21日の編集は合意に基づくものですが、その合意は新たな提案と合意により覆され、TENさん自身によって2月6日に差し戻されています。従って1月21日の合意は現在は無効になっています。ですのでXefonさんのいう「概ね合意が取れている」というのは誤りです。この無断差し戻しはTENさんの苦渋の決断をも踏みにじる行為でしょう。なおXefonさんのアカウントは消えてはいないようです。--フューチャー会話2024年2月10日 (土) 06:29 (UTC)[返信]
2001:240:2404:447D:C542:36D1:E54:D97Fさん(長いので、失礼ながら以後2001さんと呼ばせてください)、フューチャーさん、
〇Xefonさんへの、私のZefonさんとの誤表記、またアカウント削除との誤認識、失礼しました。訂正します。ご指摘ありがとうございます。
〇フューチャーさん、合意についてのご認識の確認ありがとうございます。
〇2001さんのご指摘の、参考文献のノートについて での議論の結果についての書き換えですが、1/21のTEN氏による大幅書換えについて とは無関係の旨、確認しました。ただ2/8から始まるXefon氏の一連の投稿の中途に当該投稿が入っており、大きく問題があった最初の投稿に辿り着いて削除するために、一連の投稿を削除する必要があったことご理解ください。
当該部分の再修正(再投稿)に関して、私は異議はないです。(そもそも論じておりませんでしたので)
〇以上、2001さんに追加頂いた 最近の議論の経緯の確認、も確認しつつ、回答いたします。--Harukaikeda会話2024年2月10日 (土) 07:02 (UTC)[返信]
返信 正直気が進まないですが、ほったらかしにするのも無責任だと思うので返信します。Harukaikedaさんにおかれましては、コメントの内容云々以前に既に紹介されているWikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:個人攻撃はしないなどのWikipediaの方針を最低限でもまず把握し理解してから参加いただきたいです。まずもってWikipediaにはアカウントを削除する手段など無いですし、これを含めたXefonさんに対する言いがかりをやめるべきです。また、このノートで全くほとんど同じ話を過去にしていますが、Wikipediaにおいてあるユーザーが勝手に期限を決めて回答を迫るような行為は容認されません。
加えて、私は正直に言って自分の編集について更に議論しWikipediaの方針と出典の選定の仕方について合意を得るだけの議論をする心理的・時間的な余裕もないと感じたので、自分の編集の一端差し戻しについては合意しましたが、私の編集自体以外の過去の議論や合意について無効化するような話はしていないつもりです。Xefonさんの編集に問題があるとは思いませんし、問答無用で差し戻されるようなものではないです。
そして、管理者伝言板に挙がっているようなカンバス行為が行われているとなるとはっきり言って話が全く異なり、またこれは完全の私の不手際なので申し訳ないですが、Wikipedia:合意形成にあるように、提案で合意を得たとするには提案から実施まで1週間程度置くこととなっているので、提案から1日で実行してしまった私の差し戻しについての合意についてははっきり言って正当性がない状態であると思います。その意味でもXefonさんの編集を制限するような話にはならないと思います。--TEN会話2024年2月12日 (月) 12:23 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。期限設定の件、大変失礼しました。また、Xefonさんのアカウント削除の件、前にも書きましたが、私の勘違いでした訂正してお詫びいたします。ただ、個人攻撃の意図はないことはお伝えしておきます。
TENさんのコメント、
>自分の編集の一端差し戻しについては合意しましたが、私の編集自体以外の過去の議論や合意について無効化するような話はしていないつもりです。Xefonさんの編集に問題があるとは思いませんし、問答無用で差し戻されるようなものではないです。
>提案で合意を得たとするには提案から実施まで1週間程度置くこととなっているので、提案から1日で実行してしまった私の差し戻しについての合意についてははっきり言って正当性がない状態であると思います。その意味でもXefonさんの編集を制限するような話にはならないと思います。
→すると、TENさんは、TENさんの1/21の版を差し戻しには合意したけれど、別の方が、以前の議論に基づいて、TENさんの1/21の版と同様のものを再投稿するのは、問題がないというご認識ということでしょうか。
今回、Xefonさんがあらためて投稿されたものは、TENさんが1/21に投稿されたものの多くを含んでいます。一例を挙げさせていただければ、笠原氏をスタンダードとすることには、根拠を示しつつ私は疑義を唱え、TENさんとの会話では、結論がでていなかったはずです。TENさんが元に戻すことに応じられたので、その議論は一旦フリーズしたと考えていました。しかし、その議論の場(1/21のTEN氏による大幅書換えについて)にいらっしゃったXefonさんが、その議論を無視し、以前の議論の合意のみに基づいて、改めてご自身で投稿されたということは、おかしいのではないでしょうか。仮に、Xefonさんが元に戻すという合意に不満であれば、そこに書き込んで、議論を続け、合意を得てから実行するべきだったのではないでしょうか?
また、
>一定期間反対がなければ合意と見なすというのはWikipediaの慣習ではありますが、この場で現実にそぐわないのは明らかで(実際、下書きを置いていた期間反対意見が付かないのは奇妙ではありました)、少なくとも「合意済み」で押し通すのはちょっと無茶があるように思います。議論に気付かなかった方々が気付いたところで一区切り、とするしかないように思います。--TEN(会話) 2024年2月6日 (火) 06:16 (UTC)
との言及がありますが、以前の議論について、TENさんが「合意済み」で押し通すのはちょっと無茶がある、との認識を示されていますので、今回示された、
>過去の議論や合意について無効化するような話はしていないつもりです。
というのは以前のコメントと齟齬があるのではないでしょうか?--Harukaikeda会話2024年2月12日 (月) 13:36 (UTC)[返信]
返信 まず先に1月21日の編集の差し戻しについての合意について述べます。管理者伝言板の通報からくまくま第二さんがTwitterで活動されているくまくまさんと同一人物であることはほとんど確実であることを把握しました。くまくまさんのツイートを確認したところ、2月3日にこのノートへの記事書き換えへの反対意見の書き込みを誘引している他のユーザーの書き込みに返信とリツイートしており、「くまくま第二」というWikipediaユーザーが登録されたのが2月5日ですから、くまくまさんがこの勧誘に応じてWikipediaに参加したことにはほぼ疑問の余地がありません。勧誘したユーザー自体がWikipediaの編集者かどうかはわかりませんが、これはWikipediaとして許容されない行為です。1月21日時点でくまくま第二さんはWikipediaに参加されていないのだから、それ以前のWikipediaの議論について気付くも気付かないもありません。さらに、カンバス行為に相当する行為を行っており、Wikipediaの外部から記事をコントロールしようとしていることも把握されます。これはWikipedia上重大な問題であり、このようなユーザーの介入によって議論の結論が出されたことは、私の手続きの不備の問題以上に不適当であると言わざるを得ません。先に参加者の編集履歴をもっときちんと検証すべきでしたし、私の杜撰な行動で参加者を撹乱することになってしまって本当に申し訳ないのですが、南京事件についての議論どうこう以前の問題としてこの点は解決されなければならないと思います。
1月21日の編集を「合意済み」で押し通すのはちょっと無茶があるというのは、こういった行為を前提としない場合の話で(正直もう話を切り上げたいという感情が強く出てしまった面は否定できないですが)、上記のような行動が行われていたことを把握した以上、同じ判断はできません。
Xefonさんの編集については厳密に言えば編集内容について先にノートで書いた方がスマートだったとは思いますが、編集合戦とならないのであれば書き込みが戻されてから議論でも重大な問題があるとは思わないです。こうした点に関して言えば、以前フューチャーさんが指摘したように、1月21日の編集の差し戻しを提案された大和屋敷さんは1月21日以前からこのノートでの議論に時折コメントを残しており、議論に気付かなかったはずはないのですから、話が終わってから一旦全て巻き戻しではなく議論してる最中に明確に反対意見を述べるのがより適切であったと思います。しかし、Wikipedia上重要なことは、最終的に方針に沿って結論が得られることなのであって、こうした細かい問題点についてはそれが議論の進行上重大な障害にならない限りは深掘りする必要をあまり感じません。--TEN会話2024年2月13日 (火) 14:09 (UTC)[返信]
くまくま第二さんは2月12日をもって、sockpuppetとして無期限ブロックされたようです[4]。2月7日の差し戻しは非常に拙速かつ不適切な形でおこなわれたものであり、合意形成が有効であったかについてはきわめて強い疑念があります。--Nux-vomica 1007会話) 2024年2月13日 (火) 21:11 (UTC) 修正--Nux-vomica 1007会話2024年2月13日 (火) 21:13 (UTC)[返信]
コメント Nux-vomica 1007さんにも指摘いただいた通りであり、少なくとも1月21日の記事の再構成の合意、および参考文献のノートに関する合意はWikipediaにおける合意形成の過程上、全く問題がないこと。2月7日の差し戻しの合意に重要な問題があることから、記事を2024年2月1日 (木) 07:44版(版番99071152)の状態にしたいと思います。二転三転して大変申し訳ありませんが、これは少なくとも不適切な形で行われた合意による変更がそのまま既成事実化してしまわないために必要であろうと思います。一応、事前にこの点についてこちらに書き込んでおきます。--TEN会話2024年2月15日 (木) 14:18 (UTC)[返信]
ちょっとすいません。
私はまだご意見申し上げられておりませんので(またこちらの合意形成の時間も経っておりませんと思いますので)少々待って頂けますか。
丸一日下さい。(別件で動けずこ二三日コメント出来ず失礼しました)--Harukaikeda会話2024年2月15日 (木) 14:36 (UTC)[返信]
確認 TENさんの 2024年2月7日 (水) 06:05の編集から1週間以上たったので来ました。当時のTENさんの編集が適切な合意形成を経ていないものとして、Nux-vomica 1007さんが差し戻しをしたのを確認しました。私の見解は、2024年1月30日 (火) 12:52 に書いたものと同じです。基礎とする出典について、TENさん、Nux-vomica 1007さん、常陸のクマさん、Xefonさん、私については2024年1月30日時点で同意が取れていたと考えています。その後に意見が変わった方がいらしたら、ご指摘いただければ助かります。--Moke会話2024年2月20日 (火) 11:38 (UTC)[返信]
コメント遅くなり失礼しました。
〇全体の所感としてましては、くまくま第二さんのwikiルール上の不正行為(ソックパペットの、友人知人を口説いてアカウントを作らせ論争の一方に肩入れさせる だと思われます)に、全ての問題の責任を押し付けている様に思えます。
(もちろん、くまくま第二さんのwikiルール違反への対処は、wiki上で適切な議論をするための適切な対処と理解しており、その上での意見です)
〇(くまくま第二さんの不正発覚・ブロックの以前、)TENさんが以前の版(1/13版)に戻すことに合意された際には、以前の合意は反論もなく十分なものと言えないというご認識であったことは再度ご確認頂けたかと思います。
〇Xefonさんの行為に関しては、結局、TENさんのご意見としては、事前にノートで議論した方が良かったが、ノートでの議論なく直接本文を編集したことも許容されているように思えます。今回の編集は、TENさんのご意見の方向に沿った編集でしたが、逆向きの編集でも許容されるのでしょうか?もし許容されないのであるとすると、ルールの恣意的な適用方針と思えますし、もし許容するということでしたら、編集合戦の火種を抱えることになるかと思われます。そういった点で、今回のコメントには問題があるのではないでしょうか?今後の適切な合意形成にあたって、重要なことであると思い、論じております。
〇さて、くまくま第二さんの不正行為の合意形成への影響についてですが、私は、今回は合意形成には影響はないと考えております。その理由は、合意時点(2/6)において、くまくま第二さんが声をかけwikiにつれてきたであろうあろうお仲間(例えばEmmanuel Chanelさんでしょうか-私の推測の域を出ませんが)は、誰も、まだwikiノートでの議論に参加していないからです。かれらのwikiノートへの書き込みは、2/9以降であり、しかもテーマはXefonさんの行為についてです。
くまくま第二さんの、戦時国際法を考慮するべきでないかという論点の提示は、合意形成に影響を与えたと思われますが、くまくま第二さんの不正行為は1/13の版に戻すことへの合意形成には影響を与えていないように思われます。
〇また、くまくま第二さんが、1/21の合意形成の際には未だwikiアカウントを持っていなかったことをもって、その1/21の合意に関して言及する資格に欠けるのではないか、といったご意見がありましたが、wikiは公開サイトであり、アカウントをも持たずとも、閲覧できるのであって、その時点でのアカウントの保持を、以前の合意について議論する資格とされることは違うのではないかと思います。
〇2/6の、1/13の版に戻すことへの合意に関して、くまくま第二さんは、自身が不正行為をしていたことをもって、合意の主体として問題があるのではないか、という論は十分にあり得ると思います。
しかし、当該合意は、TENさんとくまくま第二さんの間の合意であると同時に、またTENさんと私の合意でもありますので、たとえくまくま第二さんとの合意が無効になるにしても、私との合意は残ると思います。そういった点で、2/6の、1/13の版に戻すことへの合意は有効であると考えております。
〇これは単なる雑感ですが、現在wikiノートへの新規参入書き込みが収まっているのは、くまくま第二さんの不正行為が発覚しブロックされたからだけではなく、版を元に戻されたからだと思っています。1/21版への外の世界の反応をみるとご意見を持つ方がそれなりにいらっしゃるようにに思われました。無理に1/21の版にすると、くまくま第二さんの様に、ご意見を開陳にし、wikiに参入される方が再度現れるのではないかと思われます(もちろん不正をするという意味ではないです)。以前の版は、(長い議論の果てに)どの立場からも十分に満足されないが、どの立場からもなんとか(?)許容範囲という、それなりの中庸を保ってきたのではないかとも思われました。以上雑感ですが、世間とwikiとの距離についてということで、ご一瞥頂ければ幸いです。--Harukaikeda会話2024年2月16日 (金) 06:00 (UTC)[返信]
  • 1月22日の改稿について:TENさんの改稿作業がはじまったのが2023年12月18日、ドラフトが完成したのが2024年1月14日、実際の改稿がおこなわれたのが1月22日であると認識しています。この間の議論はノートページにおいて公開されており、第三者が異論を差し挟む余地は十分にありました。この改稿に向けては合意形成のための時間が十分に設けられていたと考えるべきであり、手続き上問題はなかったものと考えています。
  • 2月7日の差し戻しとXefonさんの編集について:差し戻しに向けての提案がおこなわれたのが2024年2月6日、実際の差し戻しがおこなわれたのが2月7日であり、1日未満しか議論の期間が用意されなかったことになります。これではWP:CONを満たしているとは言いがたいです。同9日にXefonさんにより差し戻し前の記述をもととする再改稿がおこなわれましたが、7日の差し戻し自体に手続き上の不備がある以上、これに問題があるとは思いません。この再改稿は合意形成違反とみなされ、同日中に差し戻されることとなりますが、これに関する議論には複数の多重アカウントが参加し、きわめて不適切な形で同編集の追認がおこなわれることになりました(WP:MEAT)。
  • 1月22日の改稿に対する合意形成に手続き上の問題がなかったのに対して、2月7日の差し戻しには手続き上の問題があり、それに対する議論も非常に不健全なかたちで展開されたというのがこれまでの総括になると思います。改稿に向けての合意形成は1月22日時点で十分に達成されており、それを覆す合意は現在までにおこなわれていないと考えるべきであり、方針上は oldid=99071152 への即時差し戻しが適切であると考えます(これは、同版を同記事の決定稿とするべきであるという意見ではありません)。
--Nux-vomica 1007会話2024年2月16日 (金) 08:08 (UTC)[返信]
くまくま第二さん及びEmmanuel ChanelさんをWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックに報告した者です。
まず、はっきりさせておいたほうが良いと思うのですが、くまくま第二さんは「2月9日に発生したwikipediaの南京事件の項目の勝手な書き換えですが、同日中に編集者の一人であるH.I 氏が差し戻し作業を行って元に戻しました」、「Wiki編集者間で論陣を張られたH.I 様、Xでご反応いただいた皆さまに心よりお礼申し上げます」と投稿しておられ、この「H.I 様」はHarukaikedaさんを指していると思われます。Harukaikedaさんは単に知らないところでくまくま第二さんに言及されただけであり、カンバス行為には一切関与していないということでよろしいのですよね?
Nux-vomica 1007さん、TENさんがおっしゃっておられるように、TENさんによる改稿に手続き上の問題はあまりなく、それ以降の議論は手続き上の問及びカンバス行為が絡んでおりますので問題があると思います。とりあえずはoldid=99071152への差し戻しに賛成いたします。
Harukaikedaさんは「無理に1/21の版にすると、くまくま第二さんの様に、ご意見を開陳にし、wikiに参入される方が再度現れるのではないかと思われます」(これはwikiではなくウィキペディアのことであろうと思いますが)とおっしゃってられますが、これではカンバス行為への怖れや外部からの圧力をもってウィキペディアの記事の方針を決めることを是としているように聞こえ、そのようなことが是認されるとしたら、ウィキペディアの記事編集の方針として非常に問題があると思います。「世間とwikiとの距離」とおっしゃっておられますが、カンバス行為による記事内容への介入は少数のユーザによる単なる問題行動であり、「世間」の考えの反映でも何でもありません。--さえぼー会話2024年2月17日 (土) 03:46 (UTC)[返信]
さえぼーさん、ご確認ありがとうございます。
〇>Harukaikedaさんは単に知らないところでくまくま第二さんに言及されただけであり、カンバス行為には一切関与していないということでよろしいのですよね?
くまくま第二さんとは面識もありませんし、そのご理解で結構です。
〇ご指摘の後半部分ですが、以下の様に、私は続けてかっこ部分も書いております。当然カンバス行為を是認したものでは無いです。※この見落としによる誤解は興味深い事象ですね。
>wikiに参入される方が再度現れるのではないかと思われます(もちろん不正をするという意味ではないです)
私がお伝えしたいのは、(もしや皆さんのようなウィキペディアマスターの方々には思いもしないことかもしれませんが、)多くの一般の方は、ウィキペディアの本文が改定されてから初めて気づくということです。私もそうでしたし、たぶんくまくま第二さんもそうだったと思われます。
1/21の版に戻すということは、それを見て新たに問題に気づいた方からまた様々なご意見が来るのではないか、ということです。現状は(表面的には)1/21版は見えませんので、当然意見も来ないかと。そういう意味です。
〇今回の問題(1/21改定)の根本は、あまりに影響の大きな変更が、反論も出ないような一部の意を同じくする方々の間のみで決定され、その影響範囲に比して、事前検討段階での認知が圧倒的に小さかったということであろうと思います。この釣合いの視点も必要なのではないでしょうか?
〇私が指摘した、くまくま第二さんのカンバス行為の2/6合意への影響範囲についても検討頂ければ幸いです。--Harukaikeda会話2024年2月17日 (土) 10:58 (UTC)[返信]
>「※この見落としによる誤解は興味深い事象ですね。」
()の部分はもちろん見ております。見落としではなく、もちろん読んだ上で懸念を申し上げております。Harukaikedaさんがどのような留保をつけようとも、傍目から見ればカンバス行為への譲歩に見えると指摘しております。
>「それを見て新たに問題に気づいた方からまた様々なご意見が来るのではないか」
かりに「様々なご意見が来る」として、それにどういう問題があるのかよく理解できません。ウィキペディアは様々な意見をもって議論を行うところです。現在はoldid=99071152に戻していないせいで様々な意見が出ています。カンバスによって左右されたと考えられる記事内容が保存されるほうが、TENさんがおっしゃるように「不適切な形で行われた合意による変更がそのまま既成事実化」することになるので問題と思います。
>「この釣合いの視点も必要なのではないでしょうか?」
その後はカンバスで方針を作用しようとする動きがありましたので、その後に何らかの「釣り合い」がとれた議論が行われたとは思えません。よってそのような「視点」は不要と思います。
Harukaikedaさんは「当該合意は、TENさんとくまくま第二さんの間の合意であると同時に、またTENさんと私の合意でもあります」とおっしゃっておられますが、私は「TENさんと、くまくま第二さん及びHarukaikedaさんの間の合意」であるととらえておりますので、片方のくまくま第二さんがHarukaikedaさんを支持するためのカンバス行為を行っていたことが明らかになった今となっては手続き上問題があると考えます。--さえぼー会話2024年2月17日 (土) 11:17 (UTC)[返信]
>現在はoldid=99071152に戻していないせいで様々な意見が出ています。
私が意図する意見というのは、記述の内容についての事でして。このコメントはちょっとかみ合っていないと思います。
>「この釣合いの視点も必要なのではないでしょうか?」その後はカンバスで方針を作用しようとする動きがありましたので、その後に何らかの「釣り合い」がとれた議論が行われたとは思えません。よってそのような「視点」は不要と思います。
1/21の改定それ自体について述べています。カンバスは後のことで全く関係ありません。
>くまくま第二さんがHarukaikedaさんを支持するためのカンバス行為を行っていたことが明らかになった
くまくま第二さんが、ご自身の意見を強化するためにお仲間を呼び寄せたのでは?私を支持するためと思ったことは無いです。
以前にも書きましたが、くまくま第二さんのwikiルール上の不正行為(・・略)に、全ての問題の責任を押し付けている様に思えます。--Harukaikeda会話2024年2月17日 (土) 11:34 (UTC)[返信]
Harukaikedaさんは心外でいらっしゃるのかもしれませんが、こちらこちらの投稿からしてくまくま第二さんはHarukaikedaさんに味方したい気持ちが強かったと推定されます。--さえぼー会話2024年2月17日 (土) 11:48 (UTC)[返信]
私に味方したいと思っていたというよりは、結果的に私の書きこみが、くまくま第二さんの主張(戦時国際法の視点が抜けている-だから1/13版へ戻せ)に役立ったということでしょう。
私の論点(安全区・笠原氏・秦氏をテーマとした疑義)自体に何らかの支援コメントがあったということではありませんし。--Harukaikeda会話2024年2月17日 (土) 12:09 (UTC)[返信]
再度書きますが、
〇今回の問題(1/21改定)の根本は、あまりに影響の大きな変更が、反論も出ないような一部の意を同じくする方々の間のみで決定され、その影響範囲に比して、事前検討段階での認知が圧倒的に小さかったということであろうと思います。この釣合いの視点も必要なのではないでしょうか?
これは今回のカンバス騒動とは関係なく、真剣に検討すべきところだと思いますよ。以前大和屋敷さんがコメントされたのも、こういった意図と思います。--Harukaikeda会話2024年2月17日 (土) 12:16 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── コメント まず2月7日の合意は私が途中で投げ出すような形で編集を取り消してしまったのでややこしいことになってしまってはいるのですが、Twitter上で行われたカンバス行為と実際にそれに沿った編集者が参加していた議論で決定されたものであること、当該ユーザーがWikipedia外からの記事のコントロールを企図していたことと合わせ、現状ではこれを有効なものとして扱うことはWikipediaにおける基本的なルールを逸脱した行動の結果を容認することに他ならず、まずこれは是正される必要があります。元々編集内容については大きな反論を予想していたので以前のように書きはしましたが、カンバスが実際に行われている(いた)状況では、所定の手順を逸脱して有効な合意をなかったことにするわけにはいかないです(これは私の大きな誤りでした)。

Wikipediaの編集に参加するにあたっては、まずWikipediaの方針を受け入れることが大前提となります。その意味で所定の方針に沿った形で行われた合意は遵守されなければならないです。以前にも書いたのですが、この記事はコメント依頼が出されており、記事本文にはノートへの議論のTemplateが付けられたままであり、Wikipedia的にノートへの議論の導線は複数設定されている状態でしたし、合意形成の期間を含めて1月21日の合意についてこの点に過誤がないです。Wikipediaに普段参加していない人にこれが伝わらないのはどうしようもないことですし、普段参加していないが特定の編集だけは参加している人々の間で合意が成立したとしても認められないという参加姿勢は基本的には間違っています。Wikipediaで基本的に運用されているプロセスに沿う必要があります

1月21日版に限らず、記事や編集の内容についてカンバス行為と関係なく検討するのはノートの用途として間違っていませんので、Harukaikedaさんの言う論点は方針にそって検討すれば良いと思いますが(以前にも書いた通りWikipediaの記事には最終稿はありませんので、より改善されることが期待されます)、2月7日の合意はWikipedia:合意形成に必要な手順を踏んだものになっておらず、新しい議論を始めるにしてもまず一旦1月21日の合意の状態から始める必要があります。これはWikipediaにおける合意形成の運用の話であってHarukaikedaさんの言う「論点」以前の話になります。--TEN会話2024年2月18日 (日) 07:03 (UTC)[返信]

取り急ぎ、oldid=99071152 に差し戻しました。TENさんのおっしゃる通り、記事の内容に対する議論と、手続きに関する議論をないまぜにすべきではないと思います。2月7日の差し戻しには手続き上の非常に大きな不備があり(詳細については先述のとおりです)、これを既成事実化すべきではありません。適切な合意形成に基づく限り、再度の差し戻しに向けての議論提起がおこなわれることに問題はないと思います。--Nux-vomica 1007会話2024年2月19日 (月) 00:22 (UTC)[返信]
1/21版に戻されたようですが、それにあたっての合意は必要ないのでしょうか? 私が昨日TENさんから返答を頂き、TENさんのコメントから1日も経たずに、私の返答も待たず、Nux-vomica 1007さんが戻されたようですが。10日の合意形成期間はどうなったのでしょうか?今回はまだ合意形成すらないと思いますが。Xefonさんの行為への判断といい、今回のことといい、ルールの適用に関して、恣意的な判断を感じます。私は編集合戦を招きたいわけではないので、特に対抗はしませんが。
特に問題と思われる点を簡潔に指摘します。
① 一部編集者によるカンバス行為の影響は限定的であり、2/6の合意への影響はないと思われる(なぜなら追加参加者は2/9以降の参入であるから)。単にざっくりとカンバス行為が発生したというだけで、その合意を無効とすることは無理があるのではないか。
② 1/21の改定に当たっての合意については、本改定は既存文書(旧版)の全面的な書換えであり、異論が出て当然だが、全く異論がなかった。結果的に意見の方向性を共有する一部の編集者のみによる、歪な合意形成であった。形式上の告知の有無に関わらず、旧版支持者の参加の無い議論は、相手の無い議論であり、移行の可否の議論としてそれ自体なんら効力の発生し得ない意味のない議論である。(実際のところ「記事の再構成について」は、旧版から1/21版への移行の合意というよりは、1/21版について支持者間で細部の微調整を確認したものである)
(1/21版の内容(論点)については、議論の中で諸々ご指摘しましたので、ここでは省きます)
私は、②の理由で、1/21版はやはり旧版からの移行の合意としては不適切であったと考えております。特に②につきまして、ご回答をお願いいたします。--Harukaikeda会話2024年2月19日 (月) 14:40 (UTC)[返信]
私の意見は2月16日の投稿のとおりです。「1/21版に戻されたようですが、それにあたっての合意は必要ないのでしょうか」とありますが、その通りであるというのが私の見解です。2月7日の差し戻しには手続き上多くの不備があり、とりあえずはこれを巻き戻す必要がありました。これは基本的には手続き面の問題ですから、内容面の問題とは無関係です(後者に関する議論を軽視しているというわけではなく、今回の差し戻しの焦点は前者にあるという意味です)。
  • ①について:2月7日の差し戻しについては、大きく分けて2つの問題がありました。ひとつめは合意形成の手続き上の不備、もうひとつはカンバス行為によるその後の議論の妨害です。いずれも方針違反です。詳細については先述したとおりですが、この「合意形成」は2月6日から7日にかけての極めて短い期間の間におこなわれたものです。これに対して事後的にでも議論ができれば好ましかったのですが、実際にはカンバス行為によってそれも妨害されてしまいました。少なくとも私については、「単にざっくりとカンバス行為が発生したというだけで、その合意を無効とする」という意見ではありません。
  • ②について:改稿に向けてのドラフト作成作業についてはおよそ1ヶ月の期間が割かれており、この間ドラフトの内容に積極的に異を唱える議論などは特になかったものと認識しています。ドラフトが完成してから実際の改稿がおこなわれるまでの間だけを見ても1週間の合意形成期間が割かれています。どなたかが異論を唱えるための期間は、方針上適切な形で確保されていました。また、この議論はすべてノートページで公開されていたものであり、その告知も十分になされていたと考えます。そもそも、過去ログをご参照いただければお分かりいただける通り、同ノートでの議論に参加している編集者はまったく均質ではありません。「意見の方向性を共有する一部の編集者のみによる、歪な合意形成であった」というご指摘は、いかなる意味でも当てはまらないと考えます。
--Nux-vomica 1007会話2024年2月20日 (火) 00:41 (UTC)[返信]
Nux-vomica 1007さん、ご回答ありがとうございます。
①についてですが、
>この「合意形成」は2月6日から7日にかけての極めて短い期間の間におこなわれたものです。これに対して事後的にでも議論ができれば好ましかったのですが、実際にはカンバス行為によってそれも妨害されてしまいました。
とのご意見ですが、Xefonさんの行為は、事後的に議論を開始されたのではなく、ノートでの議論無く、1/21版の一部を再掲するという行動に出られました。議論が始められなかった原因をカンバス行為に帰するのは、事実に反すると思われます。
仮に、Xefonさんが編集権の停止という事態にでもなっていれば、それを主張していたEmmanuel Chanelさんの影響もあると推測され、カンバス行為が影響したと判断できると思います。
2/6の合意形成に当たっては、そのようなことは無いので、カンバス行為の影響はないと思われます。
②についてですが、後半部分をご認識頂けていなかった様なので、詳しく書きますが、
「記事の再構成について」で、議論されていたのは、4名(TENさん、フューチャーさん、Nux-vomica 1007さん、Toobigtokaleさん)(そして事後的にMokeさん)ですが、
その中で合意されたのが、A. 改稿候補内容の決定(つまり1/21改定版の確定)とB. 旧版から1/21版への移行の是非の2点であると思います。
このうち、Aにつきましては、意を同じくする方々の間の議論でも構わないと思いますが、Bにつきましては、旧版を支持する方がいるわけで(だから今まで旧版は存在したわけで)、その方の参加が無くては、相手の無い議論になります。形式上の告知をしようと、議論相手が参加していない議論であったわけですから、そもそも議論として成立していおらず、合意も何もないわけです。
ちなみにその告知にしても、本文中に全面改稿を伺わせる文言は無いですし、Bの告知として、非常に不十分なものであったことを付記します。
ご確認をよろしくお願いいたします。--Harukaikeda会話2024年2月20日 (火) 04:26 (UTC)[返信]
ご返答ありがとうございます。
①について: 繰り返しますが、カンバス行為単体に問題を帰する意図は一切ありません。まず基本的前提として、2月7日の差し戻しにあたっての合意形成には手続き上の問題があります(1日未満の議論をもって合意形成が成し遂げられたと主張するのは、難しいと思います)。ゆえに、2月16日の投稿でご説明した通り、これを事実上差し戻したXefonさんの編集を私はあまり問題視していません。その後の経緯にきわめて強い問題があったことについては、すでに同じ見解を得られているのではないかと思います。結果として、2月7日の差し戻しは既成事実として押し切られる形になっていましたが、とりまずこれは差し戻される必要がありました。これが私の2月19日の編集です。
②について:参考までにWikipedia:合意形成を引用しますが、「合理的な期間(通常は168時間程度〈約7日間=約1週間〉が妥当でしょう)内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります」。先述した通り、議論の透明性は十分でしたし、B. に的を絞った議論だけをみても、合意形成に向けての合理的期間は十分に確保されています。それでもなお異論を挟む人がいなかったわけですから、「議論相手が参加していない議論であったわけですから、そもそも議論として成立しておらず、合意も何もないわけです」という意見にはあまり意味がありません。繰り返しますが、同ノートでの議論に参加している編集者はまったく均質ではありません。同ノートページをウォッチリストに登録している人は述べ476人存在し、それらの利用者の大部分にはおよそ1ヶ月にわたり更新の通知が来ていたはずです。--Nux-vomica 1007会話) 2024年2月21日 (水) 01:21 (UTC) 修正--Nux-vomica 1007会話2024年2月21日 (水) 01:23 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。
①ですが、2/7の1/13版への差し戻しの合意形成上、合意期間が短かったということでしたら、その点を指摘し、追加で新論点をノートで発言されればよいのではないでしょうか?その後そのような議論は行われなかったように思われます。
そして、コメントなく、1/21版を基に部分的な編集行為を実行された、Xefonさんの行為はやはり問題だと思われます(事実上差し戻したという表記も正しくないです)。
カンバス行為が合意形成に影響があったので、2/19に差し戻したとのことでしたが、以下の様に今回もやはり、ざっくりとしたご説明しか頂いていないように思います。
>その後の経緯にきわめて強い問題があったことについては、すでに同じ見解を得られているのではないかと思います。 
やはり、カンバス行為の合意形成への具体的影響はないということでよいでしょうか? 具体的にどこに影響があったと、一度も明示頂いておりませんので。(さきにNux-vomica 1007が示された、Xefonさんが議論を始めようとしてそれをカンバスが妨げたという見解は誤りであると今はご理解いただいていると思います)
結論として、2/7の合意形成の期間が短かった。けれどもその後、Xefonさんによる議論無しの書き換えは発生したが、議論による新論点は提起されなかった。ということでしたら、2/7の合意は有効であると思われます。
②ウィキペディアのルールを引かれましたので、私もお示しいたします。
Wikipedia:合意形成 の合意のレベル より
ある場所のある時点における限られた編集者グループでの合意は、より大きな規模のコミュニティの合意を無効にすることはできません。方針とガイドラインに関する場合、他のページ以上に関与と合意に高い基準が期待されます。いずれの場合でもコミュニティに対して十分な告知が行われる場合のみ、沈黙を同意とみなすことができます。
とありまして、今回の全面改稿に当たって、沈黙を同意みなすに値するコミュニティに対しての十分な告知があったのかが問われると思います。
1/13時点の本文への告知を確認しましたが、
『この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2019年3月)』
のみでおり、1/21版への全面改稿を伺わせる文言はありません。
旧版は、現今のコミュニティの潜在的な合意を受けて存在しているのであり、そのコミュニティへの告知が、かように全く不十分でありますので、沈黙を同意とみなすことはできないことは明らかです。よって、沈黙(反論無し)により1/21版への移行は合意を得られているとの論はウィキペディアのルールに照らして問題があります。
※あと補足として、一応ご指摘しますと、ウォッチリストについては、ご認識が間違っています。私も一度ノートの場で議論しました。私もウォッチリストに登録しておりましたが、アラートは来ませんでした。以下TENさんから頂いたアドバイスご確認ください。
>とりあえず、Wikipediaでは前版への差し戻し以外でアラートが来ることは基本的にないはずなので、それがなかったというのは特に変なことではないです --TEN(会話) 2024年2月3日 (土) 15:55 (UTC)--Harukaikeda会話2024年2月21日 (水) 09:47 (UTC)[返信]
  • 「通知」と「アラート」が同じ機能を指すのか、確認した方がよろしいと考えます。たとえばウォッチリストの表示とアラートは違います。私の 2024年2月4日 (日) 08:14 の発言にも関連しますが。
  • 「沈黙を同意みなすに値するコミュニティに対しての十分な告知があったのかが問われる」というのは、このノートに限ったことではなくWikipedia全体の議論と機能のあり方なので、問題提起をする場所が違うのではないでしょうか。1記事のノートで結論を出すのはWikipediaの機能的に無理でしょう。
  • 念の為ですけれど、Harukaikedaさんはカンバス行為が問題ないと見なしているようにも読み取れるのですけれど、そうなのでしょうか。
--Moke会話2024年2月21日 (水) 10:03 (UTC)[返信]
まずMokeさんにお答えします。
私は、ルールは守られるべきであると思っており、またルール違反に関しては、それが誰であれ、秩序維持の為、適切なペナルティを課されることは仕方のないことであると思っております。そしてルール違反による合意形成過程への影響があれば、その影響範囲を確定し、正されるべきであると考えております。私の先の議論は、カンバス行為による影響範囲の確認です。ルール違反を許容するという話ではありません。
また、以下は、Mokeさんのお答えから、私が先に示した規約:合意形成ー合意のレベル について今回のケースと関連して咀嚼されていないように思えましたので、僭越ながら詳説いたします。※こちらは、TENさん、Nux-vomica 1007さんには、自明な冗長なご説明でしたらお許しください。(そして、大和屋敷さんのコメントとも関係すると思いますので、お名前リンクします。また、近くのスレッドでご活躍されている、Konnnitihaseizinnnosabuさんも、ご関心のテーマであると思いますので、お名前リンクします。)
さて本題ですが、
1/21版への改定の合意が適切になされたのか、ということが、一つの大きな議論であると思いますが、それは、以下のウィキペディアのルールにより明確であるかと思います。
Wikipedia:合意形成 合意のレベル
「ある場所のある時点における限られた編集者グループでの合意は、より大きな規模のコミュニティの合意を無効にすることはできません。方針とガイドラインに関する場合、他のページ以上に関与と合意に高い基準が期待されます。いずれの場合でもコミュニティに対して十分な告知が行われる場合のみ、沈黙を同意とみなすことができます。」
これは、今回の南京事件の全面改訂に関して言えば、
ノートの特定の場所における限られた編集者グループでの合意は、南京事件コミニュティ(=南京事件ページを見ている人、書いてる人、といえると思います)の合意(利用されていたので、当然元ページの利用も含む)を無効にすることはできません。
南京事件コミニュティに対して十分な告知が行われる場合のみ、沈黙を同意とみなすことができます。
と読み取れます。
そして、今回の改定に際して、上記に定めるように十分な告知が行われたかどうかですが、
本文ページへの告知を確認すると、
『この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2019年3月)』
のみでおり、1/21版への全面改訂を伺わせる文言はありません。
私も個人的に全く気付かなったことはお伝えしました。そして「勝手に」変更されたと感じているとお伝えしました。同様の感覚を持つ方はいらっしゃると思います。通常の修正レベルの告知をされたかと思いますが、今回は南京事件コミュニティ全てに影響する全面改訂です。規約に定める、コミュニティへの十分な告知が行われておりませんので、沈黙を同意とみなすことはできません。
よって、1/21版への改定は無効でありますので、即時、1/13版に戻していただきますようお願いいたします。
また、ご意見ある方はお願いいたします。--Harukaikeda会話2024年2月23日 (金) 15:51 (UTC)[返信]
  • ルール違反(具体的には、くまくま第二さんのカンバス行為)は許容しないというお返事をありがとうございます。
  • 「ウォッチリストに登録しておりましたが、アラートは来ませんでした」と書かれていますけれど、ウォッチリストに登録してもアラートは来ません。その違いはご理解いただけているでしょうか? Wikipediaの機能としては問題はありませんし、もしWikipediaの機能について問題提起をしたいのでしたら、1記事のノートではない場所でどうぞ。
  • 「コミュニティへの十分な告知」とは、Wikipediaの具体的な機能のどこにあたるのでしょうか。Harukaikedaさんの2024年2月23日 (金) の発言では、その点が明記されておらず、いかなる基準で十分な告知とされるのかが判断できませんでした。
  • このノートについての告知は、Wikipedia:コメント依頼#議論活性化のためのコメント依頼で昨年11月から公開されています。議論活性化のためのコメント依頼は、多くの利用者に議論への参加を呼びかけたい等の場合に推奨されていて、全てのユーザーに向けた告知です。前述の指摘と重なりますけれど、これよりも十分な告知とは、具体的に何を指すのでしょうか。
--Moke会話2024年2月24日 (土) 02:19 (UTC)[返信]
I concur with Moke-san. Even if I didn't think the newer version of the article was better, I'd still agree with them. Based on my understanding of the Japanese and English Wikipedia's policies, there was a clear and reasonable effort to request participation from others over an adequate length period of time. It's unfortunate that Harukaikeda-san did not spot it in time, but I don't think any significant policy irregularities occurred here.
私もMokeさんの意見に同意します。たとえ記事の新しいバージョンの方が優れているとは思わなかったとしても、私はそれでも同意するでしょう。日本語版と英語版のウィキペディアのポリシーに関する私の理解に基づくと、適切な期間にわたって他者の参加を求める明確かつ合理的な取り組みが行われていました。Harukaikedaさんが間に合わなかったのは残念ですが、ここでは重大なポリシーの不正は発生していないと思います。--Toobigtokale会話2024年2月24日 (土) 05:29 (UTC)[返信]
To clarify, by "significant", I mean "meriting a reversion to an older version".
明確にするために、「重大」とは「古いバージョンに戻すのに値する」ことを意味します。--Toobigtokale会話2024年2月24日 (土) 05:31 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。
コミュニティへの十分な通知に関しては、ノートへの記載のみでは不十分であろうと思います。一部のウィキペディア熟練者の方々は、問題ないでしょうけれど。
今回、熟練者の方々のみでなく、「コミュニティへ」への十分な告知が行われた場合「のみ」沈黙が同意となるとされています。
南京事件コミニュティについては、編集者のみではなく、南京事件ページを見ている人も含まれれると思われます。
多くのコミュニティの参加者は、本文ページしか通常見ません。ですから、1/21ページの公開後に、初めて、議論が沸騰しているわけです。
本文のページには以下の文言しか確認できず、1/21の全面改訂をうかがわせる文言はありませんでした。
『この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2019年3月)』
これでは、沈黙を同意とみなす に足る、
条文の、コミニュティに対して十分な告知が行われる場合のみ、
という条件を満たさないことは明白です。そういった点から、ウィキペディア上の規約違反となると思われます。--Harukaikeda会話2024年2月24日 (土) 08:51 (UTC)[返信]
  • WP:CONLIMITEDの解釈について: 「より大きな規模のコミュニティの合意」というのはwikipedia内のコミュニティを指します。これは例えば、project内で全体の方針に反するルールが制定された場合などを想定したものだと思います(en:WP:CONLEVELにはこのあたりのことが明示的に書かれています。日本語版の場合 プロジェクト‐ノート:ボクシング/過去ログ3#新王者の記事乱立の禁止を提案します。などが先例になると思います)。このノートページでおこなわれている議論は、誰が参加するかには関わらず、「ある場所のある時点における限られた編集者グループでの合意」以上のものにはなり得ないと理解しています。また、同ガイドラインにおける「沈黙」とは、文字通りの沈黙、すなわち提起された議論に賛否が生じないことを意味していると理解しています。(en:WP:SILENCEは「Of course, it is impractical to wait forever for affirmation: in the meantime then, sometimes it is best to assume that silence implies consensus.」と、沈黙を合意とみなしてよい例として「提案に対して賛同が得られなかった状態」を挙げています)。今回のケースに関して言えば、議論参加者は決して少なくはなかったと思いますし、合意形成期間も十分にとられています。また、wikipediaの編集者コミュニティに対し、ノートページにおける議論に参加するよう求める告知は、先述の通り複数箇所でおこなわれています。合意の強度は相当程度に固いと考えるべきなのではないかと思います。
  • ウォッチリストについて:特別:ウォッチリストの一般の機能について言及したつもりでした。たしかにWikipedia:通知(Harukaikedaさんがおっしゃる「アラート」はこの機能のことだと思います)と紛らわしい書き方だったことは事実ですから、この点に関してはお詫び申し上げます。
--Nux-vomica 1007会話2024年2月24日 (土) 16:38 (UTC)[返信]
Harukaikedaさんは直前のMokeさんの「コメント依頼にも告知されている」という発言を無視し、「ノートへの記載のみでは不十分」と発言されていますがこれはどういうことでしょうか。他者のコメントはきちんと読んで頂くようお願いいたします。その上で1月21日の合意についてまとめると、告知場所は十分、参加人数も十分、議論期間も十分で、告知の文面が適切だったかが問題視されている状況です。ちなみに本文しか見ていないのはその人の責任なので関係ありません。コメント依頼にも掲載されていた以上そちらを見れば議論にたどり着けるからです。なお、もし1月21日の合意が無効なら、2月7日の合意も当然無効です。告知の文面は同一であり、その上で議論期間が圧倒的に短いからです。告知の文面に問題があるなら尚更です。これはカンバスの影響がなくても変わりません。前者が無効で後者が有効であるというパターンは一番あり得ません。--フューチャー会話2024年2月24日 (土) 20:08 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。
フューチャーさんは、私が提示したウィキペディアの規約の 合意のレベル をめぐる論点を誤解されているようですので、論点を以下に示します。私は大きく2点あると思っております。
一点目は、ウィキペディアの規約の 合意のレベル を今回のケースに適用することの妥当性についてと思います。
(Nux-vomica 1007さん、調査ありがとうございます。規約は日本語版が正と思われますので、英語版は参考とされればよいかと思います)
この規約は、要するに限られた編集者グループによる決定が、より大きなコミュニティの(根本的な)合意事項に関わる場合に、どう考えるかということとおもいます。今回の南京事件1/21版への改定は、今まで使っていた版の構成を根本的に変え、さらに編集方針も根本的に変える(これまで one of them であった笠原氏・秦氏をスタンダードとする等)というものですので、まさしく、南京事件コミュニティの根本的な合意事項を変更しようとするものであり、この規約の適用は妥当であると考えます。
二点目は、今回の1/21版はノートにおいて一部の編集者間により決定され、特定の場所で確認を実施した際に反論が出なかったわけですが、その沈黙をコミュニティの同意とみなして良いか、ということであると思います。
規約によると、沈黙を同意とみなすことができるのは、
「コミニュティに対して十分な告知が行われる場合のみ」であるとされています。
南京事件コミュニティは、大別すると、
主に本文ページのみを使う人(主に本文を見る人)、ノート他機能を使いこなす人(熟練編集者)とによって構成されていると思います。
※ちなみに私は、これまで自分からノートを利用したことはありませんので、前者と思います。ウォッチリストによるアラートも通知も来ていませんが、これはここで重要なテーマではないので議論は省きます
今回、皆さんは、後者の熟練編集者に向けては、ノートに記載され(さらにコメント依頼を記載され)、告知に努められたと思います。しかし、前者の、主に本文を見る人に対しては、本文ページ上での「全面改訂の告知」が存在しなかったことによる、告知不備の指摘は逃れられません。
フューチャーさんのご意見「本文しか見ていないのはその人の責任なので関係ありません」の様に、本文ページしか見ない人のことは全く気にする必要が無いというご意見は、南京事件コミュニティを、一部の熟練編集者のみによるものとみなすものです。読者はコミュニティの一員ではなく、与えられたものを見るだけでよいという考えであり、一種の熟練編集者エリート主義とも言うべきもので、開かれたサイトを志向するウィキペディアの根本的な価値観に反するのではないでしょうか?
以上より、ウィキペディアの規約 合意のレベル、またウィキペディアの根本的な価値観に基づけば、今回の1/21版への全面改定は、南京事件コミュニティへの告知不備により、無効であると結論付けることが適切であると考えます。
以上ご確認をよろしくお願いいたします。--Harukaikeda会話2024年2月25日 (日) 05:27 (UTC)[返信]

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正直言ってWikipediaの方針・ガイドライン文書の読解として特殊に過ぎると思われます。まず「南京事件コミュニティ」などといった単位で方針やガイドラインが適用されるというような運用がされることはありませんし、英語版の例を引くまでもなくここで言うより大きなコミュニティとはNux-vomica 1007さんが指摘されているようにWikipediaのプロジェクトや方針のノートにおける合意など、Wikipedia内のコミュニティであるとしか言えません。さらに言えば「南京事件コミュニティの根本的な合意事項」というのはWikipediaのどこで、いつ議論され合意されたものでしょうか(そもそも「南京事件コミュニティ」という名前で呼ばれるコミュニティへの言及すら過去に存在しないです)。
二点目にある「特定の場所で確認を実施」という特定の場所とはこのノートですが、Wikipediaにおいてある記事の編集について議論し決定する場所は原則としてその記事のノートであり、記事の編集について同意を得る場所も基本的にはここしかありません。あらゆる議論がこの型に沿って行われ決定されており、どの記事でもそれは例外とはなりえないと思います。Wikipediaの南京事件の記事の編集方針について議論し、合意を確認する場所はここしかないです。そして、この南京事件のノートは去年11月頃以降には日本語版Wikipediaで最も活発に書き込みが行われたノートの1つであり、十分な範囲に議論の存在が知られていました。
ノートやコメント依頼を確認するのも、そうしないのも、個人の裁量の問題であって読者はコミュニティの一員であるとかないとか言う話とは無関係です。別に誰に対してもノートの議論は閉じられていませんし、Wikipediaに置いてコミュニティの参加者を熟練編集者と本文のみを見る人間というように区分して取り扱うようなこともありません。以前にも書きましたが、普段自分は参加していないが、参加している人々の間で合意が成立したとしてもそれは認められないという参加姿勢は基本的には間違っています。--TEN会話2024年2月25日 (日) 16:51 (UTC)[返信]
To add to this, while Harukaikeda-san suggests the existence of a community of people interested in this topic who may have been impacted, even after the change it seems like relatively few people have expressed opposition to it. If there were dozens of people here I would maybe understand the sentiment, but it seems to just be Harukaikeda-san and Konnnitihaseizinnnosabu-san who are still here and in opposition, as 長谷亮介-san was blocked. Of course, this is not to say proposals on Wikipedia are decided purely by the number of supporters, but still, number has some impact.
これに加えて、@Harukaikeda さんは、影響を受けた可能性のあるこのトピックに興味のある人々のコミュニティの存在を示唆していますが、変更後でも、反対を表明する人は比較的少数のようです。ここに何十人もいたら気持ちはわかるかもしれないが、長谷亮介さんがブロックされたので、まだここにいて反対しているのHarukaikedaさんとKonnnitihaseizinnnosabuさんだけのようです。もちろん、ウィキペディアでの提案が純粋に支持者の数だけで決まるわけではありませんが、それでも数はある程度の影響力を持ちます。--Toobigtokale会話2024年2月25日 (日) 19:53 (UTC)[返信]
TENさんご回答ありがとうございます。
一定期間、安定的に使われていれば、そのページの利用に際して利用者の間で合意が成立していると見做すことは、法律論として一般的です。これまで、編集にしろ、見ることにせよ、多くの修正が入りつつも、元版をベースに行われていたのであって、その元版の編集ルール・大枠を根本的に変えるということは、以前の暗黙の合意を破ることになります。これを根本的な合意事項と表現したまでです。
「南京事件コミュニティ」など聞いたこともないとのことですが、今回、編集方針を、”笠原氏・秦氏の記述をスタンダードとする”という、これまた聞いたことのない「南京事件に特化した編集方針の制定」をするのですから、それを告知するに相当するコミュニティが南京事件コミュニティ(=南京事件ページを利用している人々の集まり)となるのではないでしょうか。
さて本題ですが、ノートで議論・合意をすることは結構ですが、ノートにおいて一部の参加者による合意結果としての 全面改訂・新編集方針(笠原氏・秦氏をスタンダードとする)が、議論当事者間の合意だけではなく、南京事件ページ全体としての合意となる根拠はどこにあるのでしょうか? 規約上の根拠をお示しください。
私は、ノートでの限られた人々による合意が、南京事件ページ利用者全体(コミュニティ)の合意となる根拠として、規約の「合意のレベル」を示したつもりです。当該規約が適切でないと感じるのならば、ノートでの限られた人々による合意(今回特に編集方針)が、全体を拘束する合意となる、別の規約上の根拠を示す必要があります。
仮に、ノート上の一部の人々の間で合意したことが、何でも全体に適用できるのであれば、たとえば、こっそり数人でノート上で南京事件ページを廃止したいと合意して、一週間誰にも気づかれなければ、廃止できることになります。TENさんがおっしゃっているのはそういうことでしょうか?
また、言及を避けられていますが、南京事件の本文ページに、全面改訂・編集方針変更の告知を実施しなかったのは何故ですか?
本文ページに、全面改訂・編集方針変更の告知を実施すれば、ページ利用者全員(スマホ利用者は見れないかもしれませんが、)に告知がなされたと思いますが。(個人的なことを言えば私も気づいたと思います)。こんな簡単なことを実施されなかったことが不思議でなりません。何かそれを避ける理由があったのでしょうか?
いずれにせよ、本文ページへの全面改訂・編集方針変更告知が欠けていたので、十分な告知となっていなかったことを指摘しております。
Toobigtokaleさん、1/21版がRE OPENとなりましたので、これからご意見のある方がまた入ってくるのではないでしょうか? わかりませんが。--Harukaikeda会話2024年2月26日 (月) 13:06 (UTC)[返信]
Harukaikedaさんの2024年2月26日 (月) 13:06 の発言で不明点がありましたので書きます。主に具体的な内容の確認です。
  • 再確認となりますが、「十分な告知」とはどの機能でしょうか。広範さや開かれているという点では、本文記事よりも全ユーザーに向けたコメント依頼の方が広範で開かれていますが、コメント依頼よりも十分な告知とは何を指すのでしょう。
  • 「元版の編集ルール・大枠」と書いてらっしゃいますけれど、それはどのような内容で、どこの記録で確認できるのかご指摘ください。存在が確認できない事を議論のテーマにするのは有意義ではありません。
  • 「本文ページに、全面改訂・編集方針変更の告知」というのは、Wikipediaのどのような機能を指すのでしょうか? 「こんな簡単なこと」という表現ではなく、具体的に書いていただきたいです。
  • 「ノートでの限られた人々による合意」という表現で現状に反対されていますが、それでは「ノートでの限られた人々ではない合意」とはどのような状況でしょう。Harukaikedaさんが提案する合意のイメージが分かりません。
  • ウォッチリストによるアラートや通知が重要ではないという主旨の発言を2024年2月25日 (日) 05:27にしていますが、アラートや通知を問題にしたのはHarukaikedaさん自身です(2024年1月31日 (水) 17:43など)。そのために私の他にもTENさん、フューチャーさん、Nux-vomica 1007さんが説明に時間を費やしたのですけれど、いつから重要な問題ではなくなったのでしょうか。
--Moke会話2024年2月26日 (月) 20:00 (UTC)[返信]

最近の議論の経緯の確認

下記の点については争いがないと思いますが、いかがでしょうか。

  • 1. #記事の再構成については2023年12月11日開始、2023年12月17日に書き換え案提示、2024年1月21日に書き換え、という経緯でした。
  • 2. #参考文献のノートについては2024年1月21日開始でした。2月1日にこれに基づいて書き換えが行われました。
  • 3. #1/21のTEN氏による大幅書換えについてはその名の通り、1. に対する議論で、2024年1月28日に開始。2月6日にこれに基づいて書き換えが行われました。
  • 4. 1.と2.は互いに関係がありません。
  • 5. 2.と3.は並行して進んでいました。

--2001:240:2404:447D:C542:36D1:E54:D97F 2024年2月10日 (土) 05:53 (UTC)[返信]

整理ありがとうございます。4.については不明ですが、他は概ねその通りと思います。
今後の対応については、 2024年2月9日の無断大幅書き換えについて で触れました。宜しくお願い致します。--Harukaikeda会話2024年2月10日 (土) 07:31 (UTC)[返信]

確認 経緯の確認として、この節に追加します。すでに別の方が書いている内容もありますけれど、議論が長いのでまとめる必要があると考えました。

  • アカウントのブロック:くまくま第二さんとPiyopiyoko2さんが無期限ブロックとなっています。理由は「sockpuppet」とされています。[5], [6]。残念ながら、このアカウント2つの意見は今後いただけない前提になるかと考えています。Emmanuel Chanelさんは現時点でブロックはされていないようなのでご意見を書けるでしょうか。
  • 他のアカウントへの攻撃的発言:Emmanuel Chanelさんが 2024年2月9日 (金) 12:41 で「悪質編集者・管理者・理事を無期限ブロックして追放しかない」と書いています。また、Harukaikeda さんが 2024年2月10日 (土) 03:55 でTENさんにもペナルティが課されるべきと書いています。お二人ともこの意見を現時点でも取り消しておらず、ノートでの議論の進め方として問題はないのでしょうか。Harukaikeda さんの上記の発言からは、Emmanuel Chanelさんの意見(悪質編集者・管理者・理事を無期限ブロックして追放)に同意しているようにも読めるので、違うのであれば明確に否定していただければ助かります。--Moke会話2024年2月20日 (火) 11:54 (UTC)[返信]
Mokeさん、ご確認ありがとうございます。私の上記コメントは、Emmanuel Chanelさんのご意見に同調したものでは無いです。
私の当該発言の理由は、以下の様に同投稿(当該部分の前後)に記載されております。※ZefonさんはXefonさんの誤り
>TENさんにお尋ねしますが、このZefonさんの行動を黙認されるのでしょうか?もし問題ないと考え黙認されるということでしたら、今後も同様の行動を誘発することにつながると思いますので、非常に問題であると思います。
>今回のみで実際にペナルティが課されるかは疑問ですが、同様の行為が続くようであれば、調査対象となるでしょう。
また、同趣旨の発言は、以下の様に2/16にも、しております。
>Xefonさんの行為に関しては、結局、TENさんのご意見としては、事前にノートで議論した方が良かったが、ノートでの議論なく直接本文を編集したことも許容されているように思えます。今回の編集は、TENさんのご意見の方向に沿った編集でしたが、逆向きの編集でも許容されるのでしょうか?もし許容されないのであるとすると、ルールの恣意的な適用方針と思えますし、もし許容するということでしたら、編集合戦の火種を抱えることになるかと思われます。そういった点で、今回のコメントには問題があるのではないでしょうか?今後の適切な合意形成にあたって、重要なことであると思い、論じております。
以上の様に、TENさんが、Xefonさんの行為を容認されているように思われるので、今後、同様の行為が誘発されれば、なんらかその責任を負われるべきなのではないかと論じております。攻撃的な意図ではなく、責任論の観点から論じております。--Harukaikeda会話2024年2月20日 (火) 13:10 (UTC)[返信]
TENさんが何らかの責任を負われるべきと書かれているようですけれど、具体的なWikipediaのルールに照らしてどのような責任を負わせるべきとお考えでしょうか?--Moke会話2024年2月20日 (火) 13:18 (UTC)[返信]
一般的な責任論を論じたのみで、具体的に考えたことはありません。--Harukaikeda会話2024年2月20日 (火) 13:30 (UTC)[返信]
Harukaikedaさんのお返事には現時点で追記がありませんけれど、確認が必要な点があるので書きます。
  • ここは記事のノートであり、個人の行動にペナルティを課すべき否かを論じる場合は、Wikipediaでは別の場所があります。記事のノートで、TENさんにペナルティを課すべきだと書いた理由は何でしょう? 記事のノートの使い方を誤解されている可能性があります。
  • TENさんに課すべきペナルティの内容を「具体的に考えたことはない」との事ですが、Harukaikedaさんが 2024年2月10日 (土) に書いた「ペナルティ」や「調査対象」とは、何を指すのでしょうか。Wikipedia内のルールでないとすれば、目的外利用の可能性があります。
  • 具体的な内容は考えていないがペナルティを課すべきというのは、矛盾しているのではないでしょうか。「先に罰することを決め、理由はあとから考える」というようにも読めますけれど、そういうご意見なのでしょうか?
--Moke会話2024年2月26日 (月) 04:32 (UTC)[返信]
・3番目のご質問→理由は以前にも記載しております。再掲します。
>TENさんにお尋ねしますが、このZefonさんの行動を黙認されるのでしょうか?もし問題ないと考え黙認されるということでしたら、今後も同様の行動を誘発することにつながると思いますので、非常に問題であると思います。
>今回のみで実際にペナルティが課されるかは疑問ですが、同様の行為が続くようであれば、調査対象となるでしょう。
・2番目のご質問→調査対象ということは、TENさんの発言により今後、Xefonさんと同様の問題行動が誘発されたとすれば、その関連が調査されるのではないか、との意です。wikipediaのペナルティには不案内なもので、すいません。
・3番目のご質問→記載場所にかんしては、Xefonさんの問題行動について論じた関連であること。また他の方も書かれていたので、そちらで問題ないのかと思っておりました。
・最後にMokeさんに質問です。私の発言は、Xefonさんの問題行動について論じた延長でのTENさんの発言についての発言であるのに、Xefonさんの行動についての話題なく、TENさんへの発言のみを取り上げるのは何故でしょうか?--Harukaikeda会話2024年2月26日 (月) 07:23 (UTC)[返信]
確認 Harukaikedaさんは「Wikipediaのペナルティには不案内」との事で理解しました。Wikipediaのルールを確認せずに、他のユーザーにペナルティを課すべきと発言された事になります。重要なので、まずその点を確認しました。以下、返信です。
  • Xefonさんにもペナルティを課すべきとHarukaikedaさんが考えているなら、Xefonさんも含まれます。その場合は、Harukaikedaさんの発言で影響をこうむるアカウントが増えたと私は解釈します。
  • 「Xefonさんの問題行動について論じた関連」とありますが、ユーザーにペナルティを課すべきという主張は記事のノートで書く事柄ではありません。意図的にWikipediaのルールに反する事を書いたのでしょうか。意図的でない場合は、このノートでは発言の撤回をおすすめします。
  • 「他の方も書かれていたので、そちらで問題ないのかと思っておりました」というのは、Harukaikedaさんご自身の発言と矛盾します。Emmanuel Chanelさんに同調していないという主旨の発言が2024年2月20日 (火) 13:10にあるので、他の方の発言は無関係です。Harukaikedaさんご自身の判断で、TENさんとXefonさんにペナルティを課すべきと考えた事になります。
--Moke会話2024年2月26日 (月) 20:22 (UTC)[返信]

確認 長谷亮介さんが無期限ブロックとなっていました。理由は「sockpuppet」です[7]。以前この節に、くまくま第二さんとPiyopiyoko2さんのブロックについて書いたのと同様に、経緯の確認として記録しておきます。これらのアカウントからは現時点で意見をいただけないのでご留意ください。--Moke会話2024年2月22日 (木) 00:07 (UTC)[返信]

今回の書き換えに関して

突然失礼致します。私は長谷亮介というもので、歴史認識問題を専門にする者です。wikiの南京事件に関する記述が短期間で大幅に書き換えられ、学術的な議論を進めずに特定の派閥が主張する学説のみを記載していると聞きました。実際に拝読しましたが、確かに問題のある記述と言わざるを得ません。

私が何よりも危惧している点は、「「南京事件は全く存在しない」という意見は、日本のいわゆる保守論壇でしか確認できません。」と言って、所謂「虐殺否定派」の説を一切紹介していない点です。

個人的な話で恐縮ですが、私は熊本大学の歴史学科にて「第六師団と南京事件」という卒業論文を書き上げましたが、その中で「虐殺否定派」の主張も紹介し、笠原先生や秦先生が見落としていた事実(崇善堂や紅卍会の埋葬記録は誇張されている等)が明らかになったことを書きました。指導教官は小松裕先生で、思考的には今回の書き換えを主導したXefonさんと似ていると思います。しかし、小松先生は私の論文を「学術的である」と判断しました。

さらに、法政大学大学院に進学した私はそこでも「日本の学界における『南京事件』研究の考察」を修士論文にして合格しました。指導教官は中国人の先生と日本人の先生(相良匡俊先生)でしたが、そこでも「虐殺否定派」の主張には正当性があるということを認めました。因みに、私が所属したところは国際日本学インスティテュートで、当時は田中優子先生が取り仕切っており、私の修士論文にも目を通しています。私は博士論文の「『戦後歴史学』から見る戦後日本における歴史学の変遷」でも南京事件を取りあげて「虐殺否定派」の主張を紹介しています。

このように、日本の国立・私立の大学(院)は「虐殺否定派」の主張は学術的に説得力があることを認めているのです。にもかかわらず、なぜwikiは彼らの主張を紹介しないのでしょうか?南京事件について「知りたい」と考えた人もwikiを訪れると思いますので、そのような人たちに対して過不足なく種々の学説を紹介して説明することもwikiの役割ではないでしょうか。

今回の様な一部の派閥の意見のみを紹介して、他の人々の意見を黙殺あるいは排除することは学問の自由性・公平性を著しく損なう行為であると思います。少なくとも日本は民主主義の国です。独裁国家のように情報統制をして学ぶ機会を奪うかのような行為は一人の研究者としても見過ごせません。

早急に書き換え前の状態に戻し、学問の自由を確保して頂きたいと思います。--長谷亮介会話2024年2月21日 (水) 04:31 (UTC)[返信]

こんにちは。長谷さんは研究者とのことですけれど、Wikipediaにおいては個人の背景は意見の根拠や補強にはならないのではないでしょうか。また、ご自身の研究について言及されていますけれど、ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありませんや、Wikipedia:エチケットにある「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」をあげておきます。--Moke会話2024年2月21日 (水) 06:21 (UTC)[返信]
Moke様、ご指摘下さりありがとうございます。wikiのエチケットに関してですが、私の上記の主張は「ウィキペディアにおけるエチケットの原則」における「主張を個人的な見解として表現してください」の範囲内であると考えています。Moke様がご指摘された「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」は「中立的な記事を書くため」の注意事項であると理解しております。したがって、私の発言は「個人的な見解として主張」し、中立性を損なわぬように書いた文章だと考えております。
もし、私の先の文章に中立性の無い箇所がありましたら、ご指摘頂けますと幸いです。頂戴したご意見を吟味し、必要性を認識しましたら、修正したいと思います。
取り急ぎ、「虐殺否定派」の主張を紹介した博論が合格したことによって日本の大学を始めとした学問の世界において彼らの主張には説得力があることに関しては異論ないとのことで了解いたしました。--長谷亮介会話2024年2月21日 (水) 07:33 (UTC)[返信]
お返事をありがとうございます。以下、数点書きます。何か気づくことがありましたら、また書きます。
  • 一応確認しておきますけれど、長谷亮介さんが「wiki」と書いているのはWikipediaを指すのでしょうか。「wiki」ですと不正確な呼び方にあたります。
  • 長谷亮介さんは博論を書いた「長谷亮介」ご本人である事を前提で書いていますが、現時点で他者には確認できていない事をご理解ください。また、ご本人であるか否かに私は関心がなく、2024年2月21日 (水) 06:21 に書いた通りです。
  • 博論について私は意見を述べておりません。ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありませんを再度ご確認ください。仮に私が長谷亮介さんの発言に「異論がない」と書いたとすると、長谷亮介さんの研究を宣伝した行為に効果があった事になり、Wikipediaにおける宣伝として問題と見なされる可能性があります。また、私が同意したか否かに関わらず、長谷亮介さんの2024年2月21日 (水) 04:31 の発言は宣伝にあたるという解釈も可能ではあります。
--Moke会話2024年2月21日 (水) 08:11 (UTC)[返信]
Moke様、ご返信ありがとうございます。以下、ご回答致します。
・私の文中にある「wiki」は「wikipedia」のことです。
・長谷亮介本人で間違いございません。
・「意見を述べていない」ということは「異論がない」と同義あると考えておりました。また、私の先の文章の具体的にどの部分が「演説台、広告宣伝の手段」と捉えられたのでしょうか。後学のためにお教え頂けましたら幸いです。
以上、失礼致しました。--長谷亮介会話2024年2月21日 (水) 08:50 (UTC)[返信]
現在の版にも問題はありますが、書き換え前の状態にも問題が指摘されており、また差し戻しの手続きにも重大な問題があったため現在の状態になっています。ここからどう改善するかはこれから話し合われますが、早急に戻すという訳にはいきません。そもそもWikipediaは国家ではなく民間のサイトですので、学問の自由を確保する義務も、公平性を損なわない義務もありませんし、情報統制をして学ぶ機会を奪うかのような行為も存在せず、言いがかりです。Wikipediaから排除されても外部で意見を主張するのは自由ですし、Wikipediaがどのような状態であってもWikipediaや外部で自由に学べますし、外部の情報は統制できませんし、学ぶ機会は奪われません。Wikipediaに国家が人権を保障するレベルの特別な義務があると思ってらっしゃる方が結構いらっしゃいますが、Wikipediaはむしろそのような義務がないという意味で自由です。--フューチャー会話2024年2月21日 (水) 06:41 (UTC)[返信]
@フューチャーさん
記事の内容に関して言うならば、「公平性を損なわない義務」はwikipediaの三大方針のひとつですよ(WP:NPOV)。もちろんWP:WEIGHTの観点から、単純な両論併記が公平性を担保することに繋がらないことには注意すべきですが。--Nux-vomica 1007会話2024年2月21日 (水) 07:07 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。記事の内容の公平性についてはそうですが、長谷さんは閲覧者の学習機会の公平性について述べているように見えたので、Wikipediaの状態に関わらず自由に公平に学ぶことはできるという意味でコメントしました。--フューチャー会話2024年2月21日 (水) 07:13 (UTC)[返信]
>現在の版にも問題はありますが、書き換え前の状態にも問題が指摘されており
それで書き換え後の版を維持するというのはおかしな感じがしますし、現在の版は中立的な観点、情報の更新出典の明記、正確性、独自研究などの問題があり、前の版とは比較になりません。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2024年2月22日 (木) 18:08 (UTC)[返信]
>個人的な話で恐縮ですが、私は熊本大学の歴史学科にて「第六師団と南京事件」という卒業論文を書き上げましたが、その中で「虐殺否定派」の主張も紹介し、笠原先生や秦先生が見落としていた事実(崇善堂や紅卍会の埋葬記録は誇張されている等)が明らかになったことを書きました。指導教官は小松裕先生で、思考的には今回の書き換えを主導したXefonさんと似ていると思います。しかし、小松先生は私の論文を「学術的である」と判断しました。
さらに、法政大学大学院に進学した私はそこでも「日本の学界における『南京事件』研究の考察」を修士論文にして合格しました。指導教官は中国人の先生と日本人の先生(相良匡俊先生)でしたが、そこでも「虐殺否定派」の主張には正当性があるということを認めました。因みに、私が所属したところは国際日本学インスティテュートで、当時は田中優子先生が取り仕切っており、私の修士論文にも目を通しています。私は博士論文の「『戦後歴史学』から見る戦後日本における歴史学の変遷」でも南京事件を取りあげて「虐殺否定派」の主張を紹介しています。
適当な出典を示して追加すれば良いと思います(論文もあるみたいですし)。自分の主張ではなく第三者の主張して取り上げれば(自分の主張でも第三者の主張的に取り上げることは可能)問題無いと思います。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2024年2月21日 (水) 08:07 (UTC)[返信]
I agree that the historiography of the event is complicated, but think this version should be kept for previously-discussed procedural reasons and expanded upon. So much of the incident is controversial and studied in great detail, and we should record the research.
However, I want to again emphasize that most academics outside of Japan would view the previous version (before 1/21) with extreme skepticism. They'd view it as excessively emphasizing narratives that are nearly exclusive to Japan. And anecdotes about those narratives being taken seriously again from nearly exclusively within Japan is unconvincing to me. Respectfully, it's worrying to me that you didn't address this issue while advocating for returning to the previous version.
I understand some think international perspectives don't necessarily need to be strongly represented on this page, but I still disagree. This is a controversial event with international scope. If it were me, I would be working very hard to get more international perspectives. Especially those from people with no clear incentive (nationalism or wanting to be accepted in a foreign country) to support certain theories.
この事件の歴史が複雑であることには同意しますが、以前に議論された手続き上の理由からこのバージョンは維持され、拡張されるべきだと思います。この事件の詳細の多くは物議を醸しており、詳細に研究されており、私たちは彼らの研究を記録する必要があります。
しかし、日本国外のほとんどの学者は以前のバージョン (1月21日 以前) を極度の懐疑的な目で見ているだろうということをもう一度強調したいと思います。彼らは、これがほぼ日本独自の理論を過度に強調していると見なすだろう。そして、それらの理論がほぼ日本国内だけで再び真剣に受け止められているという逸話は、私には説得力がありません。敬意を表しますが、以前のバージョンへの復帰をサポートしながら、この問題に対処しなかったことが心配です。
このページでは必ずしも国際的な視点を強く表現する必要はない、と考える人もいると思いますが、私はそうは思いません。これは国際的な範囲で物議を醸す出来事です。私だったら、もっと国際的な視点を身につけるために一生懸命努力するでしょう。 特に、特定の理論を支持する明確な動機(ナショナリズムや外国で受け入れられたいという欲求)のない人々によるものです。--Toobigtokale会話2024年2月21日 (水) 08:46 (UTC)[返信]
To be clear, I advocate for the inclusion of skeptical theories on this page; they are important. My concern is that I think they were overrepresented in the previous version.
誤解のないように、私はこのページに懐疑的な理論を含めることを主張します。 それらは重要です。 私の懸念は、以前のバージョンではそれらが過剰に表現されていたのではないかということです。--Toobigtokale会話2024年2月21日 (水) 08:55 (UTC)[返信]
Toobigtokale様、ご意見くださり、ありがとうございます。まさしく仰る通り、日本人はもっと国際的な視点を身につけることは非常に大事なことであると同意いたします。
それを踏まえたうえで、次の点を発言させてください。国際社会が過去の歴史において日本を批判的に見ているという点は正しいと思います。しかし、例えば慰安婦問題は現在どうなっているでしょうか?1990年代から2000年代では国際社会は日本を批判していましたが、今では真逆の風潮、すなわち日本は事実無根の汚名を被っているという主張が海外で巻き起こっています。それが韓国の『反日種族主義』であり、アメリカのラムザイヤー教授の論文です。学問的な研究というものは新事実が発掘されれば、結論が変化する可能性が常に存在します。これは南京事件に関しても同じことが言えます。そしてその新事実は「虐殺否定派」によって既にもたらされています。
日本に関係する過去の事件であるならば、日本人の意見も国際社会で尊重されるべきです。その中には「虐殺否定派」も含まれています。彼らのここが非学術的だから削除する、というのならば理解できます。しかし、「日本国外のほとんどの学者は以前のバージョン (1月21日 以前) を極度の懐疑的な目で見ているだろう」という曖昧な理由ならば、日本人はいつまで経っても自己主張のできない民族になってしまいます。
海外の学者は具体的に旧バージョンのどこを、どのように懐疑的に思っていたのでしょうか。私は旧バージョンの内容は分かりませんが、それが「虐殺否定派」の意見であったのであれば、海外の学者はどのように学術的な反論をしたのでしょうか。Wikipediaは民間のサイトだから学問の自由を確保する義務も公平性を損なわない義務もない、と考えるのではなく、皆が訪れる場所だからこそ学問の自由を確保し、公平性を保つ必要があるのではないかと私は愚考します。ナショナリズムな観点ではなく、アカデミックな観点で編集されれば、Wikipediaは素晴らしい場所になると私も思います。--長谷亮介会話2024年2月21日 (水) 10:07 (UTC)[返信]
My response, grouped by topic.
  1. I'm skeptical of your description of these theories as intentionally trying to criticize Japan or being anti-Japanese ("日本を批判" and "反日種族主義"). This is not an "us vs. them" scenario, and Japan is not being silenced. Again, the views of skeptical scholars in Japan should be expressed on the page, but put into the context of the international consensus on the incident per WP:NPOV. Furthermore, if the unflattering theories were exclusive to China or South Korea, maybe I'd understand your point, but what incentive would scholars in Sweden ([8]) have to be anti-Japanese? Sometimes history is just unflattering. I know that firsthand; I'm an American.
  2. Also, I'm not sure we have the same understanding of how the comfort women controversy is perceived by the non-Japanese academic community. If anything, the extreme backlash J・マーク・ラムザイヤー (en:J. Mark Ramseyer) received is an example of how these kinds of beliefs are considered fringe outside of Japan and treated with extreme skepticism. Ramseyer has been virtually quarantined by the rest of the international academic community; his work is widely rejected and few want to be associated with him. To prove my point, can you think of many other examples of Western scholars who share his views?
  3. Examples of criticisms about this article and the Japanese Wikipedia in general can be found here: en:Nanjing Massacre denial#Japanese Wikipedia and en:Japanese Wikipedia#Allegations of historical revisionism. Please let me know if you'd like me to attempt a translation of these.
私の回答をトピック別にまとめました。
  1. これらの理論が意図的に日本を批判しようとしている、あるいは反日的であるというあなたの説明には私は懐疑的です。これは「我々対彼ら」のシナリオではないし、日本は沈黙を強いられているわけでもない。日本の懐疑的な学者の見解はこのページで表明されるべきですが、WP:NPOV によるこの事件に関する国際的合意の文脈に入れられるべきです。 さらに、その媚びない理論が中国や韓国に限定されたものであれば、おそらくあなたの言い分は理解できるでしょうが、スウェーデンの学者([9])はどのようなインセンティブを持って反日的になるのでしょうか?歴史はお世辞にも言えないこともあります。 私はそれを直接知っています。 私はアメリカ人です。
  2. また、慰安婦論争が外国の学界によってどのように認識されているかについて、私たちが同じ理解を持っているかどうかはわかりません。むしろ、J・マーク・ラムザイヤー (en:J. Mark Ramseyer) が受けた極端な反発は、この種の信念が日本国外では周縁とみなされ、極度の懐疑的な目で扱われる一例です。 ラムザイヤー氏は残りの国際学術コミュニティから事実上隔離されている。 彼の作品は広く拒否されており、彼と関わりを持ちたいと思う人はほとんどいません。私の主張を証明するために、彼の見解を共有する西洋の学者の例を他にたくさん思い浮かべることができますか?
  3. この記事および日本語版ウィキペディア全般に関する批判の例は、ここにあります: en:Nanjing Massacre denial#Japanese Wikipediaen:Japanese Wikipedia#Allegations of historical revisionism。翻訳をご希望の場合はお知らせください。
--Toobigtokale会話2024年2月21日 (水) 11:34 (UTC)[返信]
Toobigtokale様、ご返信くださり、ありがとうございます。ご指摘された3点に関してご回答いたします。
1,Toobigtokale様は「中立的な観点」を重要視されているようですが、「虐殺否定派」の具体的にどこが「非中立的」なのかをご教授ください。スウェーデン学者の反日については日本語訳機能が作動しなかったので読めませんでしたが、彼はきちんと「虐殺否定派」の文献を全て読んでいるのでしょうか?もとより、そのスウェーデン人学者は一次史料に基づいた歴史考察をしているのでしょうか?そのあたりを明確にしなければ建設的な議論はできないと思いますので、ご回答のほどお願いいたします。
2、少なくとも、現在のアメリカ社会で表立ってラムザイヤー教授を支持するということはできないと思います。ラムザイヤー教授以外に韓国系米国人のジョセフ・リー漢陽大学政治外交学科教授も激しい攻撃を受けました。彼は「慰安婦と学問の自由に関して」と題したコラムで、ラムザイヤー教授の学問追求の自由を認めるべきだと主張しただけです。リー教授は言論人として当たり前のことを主張しただけでしたが、「学問の自由は確保されなければならない」と言っただけでバッシングを受けました。実際、ラムザイヤー教授は「友人がいなければ潰れていた」とビデオメッセージで話していますので、陰ながら彼を応援しているアメリカ人は相当数存在すると考えます。自由の国アメリカで言論の弾圧が行われていることは、日本人である私も胸が痛みます。一日も早く、アメリカの人々が冷静になれる日が来ることを願っております。
余談ですが、こちらに「慰安婦問題に関するラムザイヤー教授論文撤回を求める経済学者声明の 事実関係の誤りについて」があります。学術的分析となっておりますので、よろしければご覧下さい。ラムザイヤー教授の論文撤回請求に批判的な声明文は日本と韓国とで共同で発表されており、英文もあります。日本人だけでも110名もの支持者がおり、ここに韓国の人々を合わせれば膨大な人数になります。このように、言論の自由が保障されていれば、ラムザイヤー教授を支持する人々は大勢います。その中には、南京事件で紹介されていた秦郁彦先生も入っています。
3、ご紹介いただいたwikipediaを日本語訳してみましたが、フロリアン・シュナイダー氏にせよ、カール・グスタフソン氏にしても学術的な反論が紹介されていません。文章を読む限りですと、「日本軍をあまり否定的に描いていない」から駄目だと読み取れます。なぜ駄目なのでしょうか?日本軍の行軍や南京戦、南京を陥落させた後の日本軍の様相を一次史料を用いて考察した学術書があります。結論は、日本軍の行動は素早く、南京を落としてもほとんどの軍隊は城の外で駐屯していた、というものでした。当時の南京城内の写真や映像が残っていますが、生きている人々で賑わい、建物もほとんど燃えていません。このような学術的成果がある以上、「日本軍をあまり否定的に描いていない」という主張だけでは「中立性が侵されている」とは言えないと思います。
何度も申し上げますが、私は「学問の自由と公平性は確保されるべきだ」と考えています。また、ご不快に思われるかもしれませんが、Toobigtokale様の文体は少々攻撃的になってると拝見いたします。wikipediaのガイドラインに則り、冷静な議論を進めてまいりましょう。--長谷亮介会話2024年2月21日 (水) 12:37 (UTC)[返信]
To my understanding, this user is now indefinitely blocked and can no longer reply. I will reply regardless for other readers.
  • The Swedish scholar I referenced was simply an example of how scholars from countries with little incentive to dislike Japan accept the international mainstream understanding of this event.
  • Speculation about other scholars secretly supporting Ramseyer is unconvincing to me. And while it is possible to name a handful of non-Japanese scholars who support skeptical theories, like Ramseyer, they are still extremely few in number and overwhelmingly rejected and isolated. Per WP:NPOV: "Giving due weight and avoiding giving undue weight means articles should not give minority views or aspects as much of or as detailed a description as more widely held views or widely supported aspects."
  • In this thread, I was not attempting to be rude; perhaps I made a translation mistake or two. I apologize for that.
私の理解では、このユーザーは現在無期限にブロックされており、返信することはできません。 他の人が私の返信を読めるように返信します。
  • 私が言及したスウェーデンの学者は、日本を嫌う動機がほとんどない国の学者が、この出来事に対する国際的な主流の理解をどのように受け入れているかを示す一例にすぎません。
  • 他の学者が密かにラムザイヤーを支持しているという憶測は私には説得力がありません。そしてラムザイヤーのような懐疑的な理論を支持する外国人学者の名前を何人か挙げることは可能だが、その数は依然として極めて少なく、圧倒的に拒否され孤立している。
  • WP:NPOV による:"妥当な重み付けをすることと不当な重み付けをしないようにすることは、少数意見や少数派の観点について、より広く主張されていたり支持されていたりするような意見や観点と同じぐらい多量または詳細な説明をするべきではないことを意味します。"
  • このスレッドでは、私は失礼なことをしようとしたわけではありません。 おそらく翻訳を一箇所か二箇所間違えたのかもしれません。 それについてはお詫び申し上げます。
--Toobigtokale会話2024年2月22日 (木) 20:41 (UTC)[返信]

以前の版にあった「南京暴行事件」などの呼称の復活などについて

現在、南京事件については記事名の南京事件と冒頭の箇所に「南京大虐殺」、「南京虐殺事件」、概要の箇所では「「南京事件」の他、「南京虐殺事件」「南京大虐殺」とも呼ばれ、適切な呼称を巡っては様々に議論がある。研究者によって、「南京事件」という用語は「南京大虐殺事件」の略称であるとも、不法な殺害の他に略奪や強姦なども含めた不祥事全体を意味しているようだとも説明される。中国では「南京大屠殺」という呼称が使われ、日本などにも「南京大虐殺」という形で普及している。」と記述されています。しかし、以前の版では「南京アトロシティー」や「南京暴虐事件」、「南京残虐事件」、「南京大残虐事件」、「南京暴行事件」などもあり、これらを直ちにすべて復活させることを提案します。また、2024年1月13日 (土) 00:34時点における版に差し戻すことを提案します。さらに、英語版Wikipediaなどで使用されている、「南京虐殺」を、新たに加えることを提案します。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2024年2月21日 (水) 06:53 (UTC)[返信]

WP:Vを満たすような記述であればそのまま加筆すればよいと思います。2024年1月13日 (土) 00:34の版への差し戻しのみ、他の議題と大きく趣旨が異なりますから、必要ならば別に議論を提起すべきでしょう。--Nux-vomica 1007会話2024年2月21日 (水) 07:34 (UTC)[返信]
Konnnitihaseizinnnosabuさんの提案内容が多岐にわたるため、申し訳ありませんがイメージができませんでした。たとえばTENさんが行ったような下書きがあればイメージを共有しやすいかもしれません。--Moke会話2024年2月21日 (水) 08:12 (UTC)[返信]
上記提案の内容は以下の通りです。
①直ちに、「南京アトロシティー」や「南京暴虐事件」、「南京残虐事件」、「南京大残虐事件」、「南京暴行事件」を復活させる。
時間をかけて、2024年1月13日 (土) 00:34時点における版に差し戻す。その上で「南京虐殺」を新たに加える。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2024年2月21日 (水) 08:52 (UTC)[返信]
  • 申し訳ありませんが、「復活させる」「新たに加える」が具体的にどのような編集を指すのか分かりませんでした。①の「直ちに」は、議論の現状と、合意形成期間の目安を考えると困難と考えます。
--Moke会話2024年2月21日 (水) 10:38 (UTC)[返信]
「直ちに」はルール上無理ですが、出典があれば別名を追加するのは問題ないと思います。--フューチャー会話2024年2月22日 (木) 07:34 (UTC)[返信]
前の版の時は別名に関する箇所の出典にページ数が記載されておらず、要ページ数テンプレートがついていたので、別名に関する記述を復活させるのであればページ数をきちんとつけるべきであろうと思います。--さえぼー会話2024年2月22日 (木) 07:42 (UTC)[返信]
なるほど。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2024年2月22日 (木) 18:27 (UTC)[返信]
コメント 別名に関しては掲載するのであれば頻繁に使われる名称と、滅多に使用されない名称を適切に重みづけする必要があるだろうと思います。--TEN会話2024年2月25日 (日) 16:51 (UTC)[返信]

提案

2024年1月13日 (土) 00:34時点における版に差し戻すことを提案します。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2024年2月21日 (水) 08:06 (UTC)[返信]

  • 理由が示されておらず、当該版にも問題があることが以前より指摘されているため、 反対 します。
--フューチャー会話2024年2月22日 (木) 07:35 (UTC)[返信]

推定有罪へのリンク

下の方のリンクのリストに推定有罪がありますが、これは曖昧さ回避ページで、リンクすべきではありません。消して構わないのではないかと思います。もし、曖昧さ回避内で案内されているどれかが適切だと言う人がいれば、それに置き換えることでも構いませんが。 --2001:240:2411:5F2:C542:36D1:E54:D97F 2024年2月21日 (水) 10:52 (UTC)[返信]

仮にリンクを変えるとしたら無罪推定の原則の方でしょうか。--フューチャー会話2024年2月22日 (木) 07:36 (UTC)[返信]
そもそも「推定有罪」だけ関連項目の中では歴史的事項ではなく、関連がよくわからないので外したほうがいいと思います。--さえぼー会話2024年2月22日 (木) 07:42 (UTC)[返信]

提案

現行版も以前の版も問題が多く指摘されており、ここは2023年9月30日 (土) 10:28時点における版に差し戻すことを提案します。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2024年2月22日 (木) 13:31 (UTC)[返信]

  • 理由が示されていないので 反対 します。その版が現行版よりどうマシなのかといった論拠が示されていません。見たところそちらの版のほうが現行版よりも要出典箇所も多いですし、かなり煩雑な箇条書きがあります。
なお、Konnnitihaseizinnnosabuさんにおうかがいいたしますが、この編集で出典の明記テンプレートを貼った理由はなぜですか?見たところ、現行版に作品の箇条書き以外で出典が無いところはほぼありません。--さえぼー会話2024年2月23日 (金) 14:04 (UTC)[返信]
  • 反対 少なくとも2023年9月30日 (土) 10:28版は「以前の版」の問題をほとんどすべて内包しており、2024年1月13日 (土) 00:34版の差し戻し提案との違いが良くわかりません。--TEN会話2024年2月25日 (日) 16:51 (UTC)[返信]