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雨森文也

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雨森文也(あまもり ふみや、1959年 - )は、日本の合唱指揮者岐阜県出身。日本合唱指揮者協会会員。

現在8団体の常任指揮者・音楽監督をつとめ、国内外のコンクール等で高い評価を受けている他、コンクールの審査員や各種講習会の講師なども積極的に務める。

来歴

岐阜県立大垣東高等学校を経て名古屋大学経済学部卒業。卒業論文は「ウラディミール・ホロヴィッツのピアノ演奏について」[1]。銀行へ12年間勤務の後、1997年より合唱指揮者として独立する。指揮法を黒岩英臣、ピアノを立川のぶみに師事。

全日本合唱コンクール全国大会においても数多くの金賞を受賞している。

  • 1992年には「合唱団MIWO」を指揮し、一般部門Aグループで金賞を受賞。さらに最高賞たる文部大臣奨励賞・コンクール大賞を併せて受賞。雨森にとって初の金賞が同時に全国一にもなった。「合唱団MIWO」は以後5年連続金賞を受賞し、1995年には文部大臣奨励賞・特別賞たるカワイ奨励賞を併せて受賞、1996年にも文部大臣奨励賞を受賞している。
  • 1998年には「合唱団まりもあ」を指揮し、一般部門Bグループで金賞を受賞。全日本合唱連盟に「おかあさん」で登録している合唱団が金賞を受賞したのは史上初のことであった。
  • 2005年、2006年には「CANTUS ANIMAE(カントゥス・アニメ)」を指揮し、一般部門Aグループで2年連続して金賞、さらに最高賞たる文部科学大臣奨励賞(2006年は文部科学大臣賞)を併せて受賞。2005年には特別賞たるカワイ奨励賞も併せて受賞。
  • 2013年には聖カタリナ学園光ヶ丘女子高等学校合唱部を指揮し、高等学校部門Bグループで金賞・文部科学大臣賞・カワイ奨励賞を併せて受賞。「CANTUS ANIMAE」を指揮し、混声合唱の部で金賞・文部科学大臣賞を受賞。同一年度に2部門を制覇した。
  • 2014年には「HIKARI BRILLANTE」(光ヶ丘女子高の在校生・卒業生合同合唱団)を指揮し、同声合唱の部で金賞・文部科学大臣賞・カワイ奨励賞を併せて受賞。「CANTUS ANIMAE」を指揮し混声合唱の部で金賞・文部科学大臣賞を受賞。2年連続で2部門を制覇した。

音楽

音楽学者の皆川達夫が「ポリフォニーはお習字でいえば楷書です。まず合唱団は楷書を勉強してください。」[2]と語った言葉に深く共鳴した雨森は、合唱団MIWOの結成後、モンテベルディなどルネサンス期の作品を多く取り上げ、雨森が合唱界で頭角を現すきっかけとなった。その後合唱団MIWOは現代音楽に転じ[3][4]、のちに雨森も合唱団MIWOを離れるが、CANTUS ANIMAEにおいても第一回の演奏会のプログラムはすべてルネサンス作品であった[5]。現在は時代や地域にとらわれず幅広い選曲となるに至る。

脚注

  1. ^ 「ハーモニー」No.101 p.6
  2. ^ 「ハーモニー」No.96 p.17
  3. ^ 「ハーモニー」No.96 p.23。
  4. ^ ただし雨森は「(モンテベルディ以外にも)ほかのものもずっとやっていましたから、合唱団としてはとくに方向転換をしたわけではないんです」と反論している。
  5. ^ 「ハーモニー」No.108 p.29

参考文献

  • 「創立50年記念特別企画 合唱50年史PART5 変革の時代、21世紀への架け橋」- 社団法人全日本合唱連盟機関誌「ハーモニー」No.96、1996年4月10日発行。
  • 「次代を担う指揮者たちが語る こうありたい、これからの合唱界」- 社団法人全日本合唱連盟機関誌「ハーモニー」No.101、1997年7月10日発行。
  • 「私のプログラムビルディング5 『自分が心底惚れた曲を』」- 社団法人全日本合唱連盟機関誌「ハーモニー」No.108、1999年4月10日発行。

外部リンク