松山容子
まつやま ようこ 松山 容子 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ボンカレーパッケージ | |||||||||
本名 | 田中 曠子(旧姓・出井) | ||||||||
別名義 | 松山 清子 | ||||||||
生年月日 | 1937年11月30日(87歳) | ||||||||
出生地 | 日本、愛媛県松山市 | ||||||||
職業 | 女優 | ||||||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ・舞台 | ||||||||
配偶者 | 棚下照生 | ||||||||
主な作品 | |||||||||
琴姫七変化 | |||||||||
|
松山 容子(まつやま ようこ、1937年11月30日 - )は、日本における昭和期に活躍した女優。本名・田中 曠子(旧姓・出井)。旧芸名は松山 清子。愛媛県松山市出身。
1968年の「ボンカレー」(大塚食品)発売以来、長らくパッケージモデルを務め[1]、CM、ホーロー看板[2]でも知られる。
略歴
愛媛県松山市で銀行を経営する名士の家に生まれる。愛媛県立松山南高等学校在学中、『アサヒグラフ』(1956年2月5日号)の表紙モデルを務めたのがきっかけで、松竹の役員の目にとまり、卒業と同時に松竹ニューフェイスとして入社する。
1957年6月4日公開の『勢揃い桃色御殿』に新人女優・松山清子として、端役デビューする。11月19日公開の『侍ニッポン』で本格デビューを飾る。主に時代劇映画で活躍する。1959年、芸名を松山容子に改名する。
1960年(昭和35年)、テレビドラマ『天馬天平』(日本電波映画 / フジテレビ)で演じた、男装で新撰組と闘う勤皇の姫君・千也姫役が評判となった。ちょうど『崑ちゃんのとんま天狗』(東宝 / 讀賣テレビ放送)の後番組の企画を練っていたスポンサーの大塚製薬がこの人気に着目、この千也姫をモチーフとして、松山を主演に「男を凌ぐ剣の腕をもつ若武者姿の姫君」を主役にしたドラマ企画を打診し、『琴姫七変化』(日本電波映画 / 讀賣テレビ)が製作された。毎回若武者姿だけでなく、芸者、くノ一、鳥追い・・と、文字通り次々替わる「七変化ぶり」も相まって、番組は2年間にわたり継続され、その容姿と華麗な立ち回りから「アクション女優の先駆け」として人気を博す。
その後も『旅がらすくれないお仙』(東映京都テレビプロダクション / NET)などに主演。その他、舞台や映画で活躍する。
1971年(昭和46年)3月、『くれないお仙』や主演映画『めくらのお市』シリーズ[注釈 1][3]の原作者である漫画家、棚下照生と結婚。人気の絶頂期に芸能活動を縮小〜休止し、事実上の引退となった。ただし、その後も稀にドラマ等にゲスト出演することがある[注釈 2]。
2018年1月22日、ボンカレーの50周年記念イベントにあたってビデオメッセージを送った[4]。
人物
- 『琴姫』への起用とその人気が契機となり、大村崑と並び、「大塚グループの顔」として長く起用されることとなった。
- 彼女の殺陣の上手さは映画関係者の間で非常に評価が高く、「古今のチャンバラ女優ナンバーワン」「並ぶ者のいない太刀捌き」との声も多い[5]。
出演作品
テレビドラマ
- 変幻三日月丸(1959年-1960年、フジテレビ)
- 天馬天平 (1960年-1961年、フジテレビ) -千也姫
- 風の武士(1960年-1961年、関西テレビ)
- 琴姫七変化(1960年-1962年、讀賣テレビ) - 琴姫
- 月姫峠(1963年、日本テレビ)
- 霧姫さま(1963年-1964年、日本テレビ) - 霧姫
- 噂の錦四郎 (1963年-1965年、讀賣テレビ) -百合姫
- 里見八犬伝(1964年-1965年、フジテレビ) - 伏姫
- 柔(1964年-1965年、日本テレビ) - 羽衣
- 続・柔(1965年-1966年、日本テレビ) - 矢野須賀子
- 明治天皇(1966年、日本テレビ) - 中山慶子
- 新吾十番勝負(1967年、TBS / 松竹テレビ室)
- 第27話「剣に花を」- 浅茅
- 第36話「濡れ髪殺法」- 萩江(浅茅の妹)
- うどん(1967年、関西テレビ) - きぬ
- 俺は用心棒 第1シリーズ 第18話「月明柳の馬場」(1967年、NETテレビ) - もん
- 銭形平次 第65話「秩父の姉妹」(1967年、フジテレビ) - お房
- 海の次郎丸(1968年、朝日放送) -雪姫
- 西陣物語(1968年、関西テレビ) - 橘ゆき/芸者・君竜
- 大奥 第12話「元祿 雪の十四日」(1968年、関西テレビ) - 琴
- 帰って来た用心棒 第2話「赫い月の夜」(1968年、NETテレビ)
- 旅がらすくれないお仙(1968年-1969年、NETテレビ) - お仙[6]
- 母恋横丁(1969年、フジテレビ)
- あゝ忠臣蔵(1969年、関西テレビ) - 不破数右衛門の妻・きぬ
- ごちそうさん(1969年、関西テレビ) - 桂子
- 女のうず潮(1970年、朝日放送) - 郁代
- 女系家族(1970年、フジテレビ) - 矢島藤代
- めくらのお市[3](1971年、日本テレビ) - お市
- 二人の素浪人 第12話(1972年、フジテレビ) - 不知火のお紋
- 幻之介世直し帖 第3話「はやぶさ尼寺に舞う」(1981年、日本テレビ) - 行徳院
- 大江戸捜査網 第543話「お市乱れ花 三味線殺法」(1982年、テレビ東京 / 三船プロ) - お市
- 暴れん坊将軍II 第23話「美女三千! 呪われた大奥」(1983年、テレビ朝日) - お美代
- 遠山の金さん(1983年-1985年、テレビ朝日) - おもん
- 遠山の金さんII(1986年、テレビ朝日) - おもん
映画
- 勢揃い桃色御殿(1957年、松竹) - 女芸人・お八重
- 侍ニッポン(1957年、松竹) - 菊乃
- 怪談色ざんげ 狂恋女師匠(1957年、松竹) - 女弟子まさ
- 二等兵物語 死んだら神様の巻(1958年、松竹) - 露子
- 夜の波紋(1958年、松竹) - 墨江
- 女ざむらい只今参上(1958年、松竹) - 駒奴
- 昨日は昨日今日は今日(1958年、松竹) - 女給・花子
- 紅蝙蝠(1958年、松竹) - 初音
- 七人若衆大いに売り出す(1958年、松竹) - 腰元・雪路
- 朝やけ雲の決闘(1959年、松竹) - 久美
- 伝七捕物帖 幽霊飛脚(1959年、松竹) - お市
- 伴淳の駐在日記(1960年、松竹) - 百合子
- 新・二等兵物語 敵中横断の巻(1960年、松竹) - 雪子
- 黒潮秘聞 地獄の百万両(1960年、松竹) - お民
- 番頭はんと丁稚どん(1960年、松竹) - 美代子
- 柔旋風 明治の風雪(1965年、松竹) - 矢野須賀子
- 続・柔旋風 四天王誕生(1965年、松竹) - 矢野須賀子
- 柔旋風 怒涛の対決(1965年、松竹) - 矢野須賀子
- 天下の快男児(1966年、松竹) - 小野良子
- めくらのお市物語 真っ赤な流れ鳥(1969年、松竹・京都映画) - お市
- めくらのお市 地獄肌(1969年、松竹・京都映画) - お市
- めくらのお市 みだれ笠(1969年、松竹大船) - お市
- めくらのお市 命貰います(1970年、松竹大船) - お市
オリジナルビデオ
脚注
注釈
出典
- ^ “松山容子さんの初代 『ボンカレー』を100万食限定で発売”. 大塚食品株式会社. 2023年2月7日閲覧。
- ^ “ボンカレーの歴史|ボンカレー公式サイト”. ボンカレー公式サイト❘世界初の市販用レトルトカレー. 大塚食品. 2023年2月7日閲覧。
- ^ a b “めくらのお市 - ドラマ詳細データ -”. テレビドラマデータベース. 2014年7月28日閲覧。
- ^ “松山容子さん:ボンカレーの看板女優が50周年にコメント”. まんたんウェブ. 毎日新聞社 (2018年1月22日). 2022年7月14日閲覧。
- ^ 高瀬将嗣『技斗番長活劇映画行進曲』(洋泉社、2011年、p.218)
- ^ “旅がらすくれないお仙 伜と呼びたい | 東映ビデオオフィシャルサイト”. 東映ビデオ株式会社 (2015年3月6日). 2023年2月7日閲覧。
外部リンク
- 松山容子 - 日本映画データベース
- “松山容子全仕事”. 永遠のヒロイン・松山容子. 2013年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月8日閲覧。