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全日本柔道選手権大会

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全日本柔道選手権大会
2007年決勝
赤:鈴木桂治(右)、白:石井慧(左)
開始年 1948
主催 全日本柔道連盟
講道館
加盟国 日本の旗 日本
前回優勝 中野寛太(1)
最多優勝 山下泰裕(9回)
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全日本柔道選手権大会(ぜんにほんじゅうどうせんしゅけんたいかい)は、年に一度開催される男子柔道無差別級日本一を決める大会。後援NHK、朝日新聞社、日本武道館。

概要

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令和4年 全日本柔道選手権大会 優勝決定戦 斉藤立vs.影浦心 (2022年4月29日 日本武道館)

戦後、全国柔道人が一堂に会して互に久闊を叙し、平和日本の再建について語り合い、技を競い合う大会として、嘉納治五郎没後10年の催しを開催したのが全日本柔道選手権大会の始まりである[1]

のちにオリンピック世界柔道選手権の開催年には体重の重い階級の代表選考会となる[注釈 1]。毎年4月29日日本武道館で開催。優勝者には天皇杯、朝日新聞優勝旗、日本武道館杯など、副賞として特別協賛の東洋水産よりマルちゃん赤いきつねと緑のたぬき1年分が贈られる。大会の模様はNHK BSおよびNHK総合テレビにて生中継されている。前日には講道館で全国柔道高段者大会が開催されることが慣例となっている。

日本人柔道家には五輪世界選手権と共に柔道三冠の1つとされている。

なお、戦前の1930年から1941年まで[注釈 2]は、日本全国から男子の選手を招集する大会として、全日本柔道選手権大会の前身とも言える全日本柔道選士権大会が開催されていた。しかしこの大会は、「専門」・「一般」の2つに分類されていたのに加え、第8回大会(1938年)までは4つの年齢別[注釈 3]に細分化されていたため8人の優勝者が存在していた。第9回大会(1939年)および第10回大会(1941年)は大会名も日本柔道選士権大会と改称し、年齢別が廃止され「専門」・「一般」の2区分で開催されている。このように、唯一無二のチャンピオンを決める現在の大会とは、かなり質を異にするものであった。

また、1949年の決勝戦は2度の延長戦にも拘らず両者とも技が殆どなく、主審の三船久蔵の判断により引き分けとされたため両者優勝という記録が残っているが、ポイント、判定およびゴールデンスコア方式による延長戦で勝敗を決するのちの試合規定では起こりえない裁定である。

かつて当大会での審判員は男性のみと規定されていたが、2017年からは審判員15名のうち、女性の審判員を3名登用することに決まった[2]

2019年の大会では史上初となる両者反則負けが言い渡された[3]

2020年の大会はオリンピック代表の選考対象から外されることになった。また、従来は前回大会の決勝進出者や前年のオリンピック、世界選手権の各階級優勝者、最重量級のメダリストらが推薦で大会に出場できたが、今大会では大会の価値を維持するために、それらに加えてオリンピック各階級の代表及び補欠選手、さらにはグランドスラム・大阪2019の各階級優勝者にも出場資格が与えられることになった[4][5]。また、東京オリンピックに向けての日本武道館改修により千葉ポートアリーナで開催することに。しかしながら、新型コロナウイルスの影響により、4月に開催予定だった今大会を史上初めて延期することになった[6]。その後、12月26日に講道館の大道場において無観客で実施されることに決まった[7]

2021年の大会は新型コロナウイルスの影響で地区予選の実施が困難となったために、通常の4月開催から前年同様12月26日に延期されることとなった[8]

ルール

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  • 2010年までは講道館試合審判規定、2011年からは国際柔道連盟試合審判規定に基づいて行われている[9]
  • 2016年までは試合時間は6分、同点の場合は延長は行わず旗判定を行っていた。
  • 2017年は大会規定が一部変更され、旗判定を廃止しゴールデンスコア方式による時間無制限の延長戦を採用するとともに、試合時間を6分から5分に短縮した[10]。一方、2017年の国際柔道連盟試合審判規定で「有効」と「合わせ技一本」が廃止されたが[11]、本大会においてはこれらの規定は存続することになった[10]。しかし2024年大会から再び旗判定復活[12]
  • 2018年以降試合時間を4分に短縮[13]。2024年の大会から試合時間を5分、決勝のみ8分に変更した[12]。さらに指導4回で反則負けとなった。
  • 2025年には相手の上衣を掴んでいる状態からの相手の帯より下へ触ること「脚掴み」が解禁となった。上衣掴みと脚掴みがほぼ同時の場合は指導のままとなった。ただし、外無双を使った背負落など直接的でない場合や補助的に掴む(触る)場合は反則とはならない。攻撃をされた受の者も脚掴みは許されることになった[14]

過去の大会

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開催年 開催日 会場 入賞者
優勝 準優勝 3位
1948年 5月2日 旧・講道館 松本安市 伊藤徳治 吉松義彦 香月光雄
1949年 5月5日 仮設国技館 木村政彦
石川隆彦
醍醐敏郎 伊藤徳治
1950年 5月5日 芝スポーツセンター 石川隆彦 広瀬巌 松本安市 醍醐敏郎
1951年 5月5日 旧・両国国技館 醍醐敏郎 吉松義彦 石川隆彦 羽鳥輝久
1952年 5月18日 旧・両国国技館 吉松義彦 石川隆彦 醍醐敏郎 山本博
1953年 5月5日 旧・両国国技館 吉松義彦 伊藤秀雄 石川隆彦 松本安市
1954年 5月5日 旧・両国国技館 醍醐敏郎 中村常男 柄本芳孝 夏井昇吉
1955年 5月5日 蔵前国技館 吉松義彦 夏井昇吉 曽根康治 伴庭一秀
1956年 第1回世界選手権のため中止[注釈 4]
1957年 5月5日 蔵前国技館 夏井昇吉 曽根康治 山舗公義 橋元親
1958年 5月5日 東京都体育館 曽根康治 山舗公義 小田雄三 河野雅英
1959年 5月5日 東京都体育館 猪熊功 神永昭夫 渡辺喜三郎 高橋彰
1960年 4月30日 - 5月1日 東京都体育館 神永昭夫 猪熊功 重松正成 小田雄三
1961年 4月29日 - 30日 東京都体育館 神永昭夫 猪熊功 山岸均 田中章雄
1962年 4月28日 - 29日 東京都体育館 竹内善徳 長谷川博之 佐藤和久 松永満雄
1963年 4月28日 - 29日 東京都体育館 猪熊功 長谷川博之 刀禰政弘 村井正芳
1964年 4月25日- 26日 東京都体育館 神永昭夫 坂口征二 長谷川博之 猪熊功
1965年 5月1日 - 2日 日本武道館 坂口征二 松阪猛 古賀武 前田行雄
1966年 4月30日 - 5月1日 日本武道館 松永満雄 坂口征二 松阪猛 前島延行
1967年 4月29日 - 30日 日本武道館 岡野功 佐藤宣践 佐藤幸二 松阪猛
1968年 4月28日 - 29日 日本武道館 松阪猛 岡野功 佐藤宣践 松永満雄
1969年 4月27日 日本武道館 岡野功 前田行雄 村井正芳 園田勇
1970年 4月29日 日本武道館 篠巻政利 河原月夫 園田勇 安斉奏人
1971年 4月29日 日本武道館 岩釣兼生 佐藤宣践 村井正芳 二宮和弘
1972年 4月29日 日本武道館(仮設会場) 関根忍 岩田久和 西村昌樹 佐藤宣践
1973年 4月29日 日本武道館(仮設会場) 上村春樹 高木長之助 藤猪省三 諸井三義
1974年 5月5日 日本武道館 佐藤宣践 二宮和弘 重松義成 遠藤純男
1975年 4月29日 日本武道館 上村春樹 高木長之助 山下泰裕 篠巻政利
1976年 4月29日 日本武道館 遠藤純男 上口孝文 高木長之助 上村春樹
1977年 4月29日 日本武道館 山下泰裕 遠藤純男 二宮和弘 高木長之助
1978年 4月29日 日本武道館 山下泰裕 高木長之助 遠藤純男 河原月夫
1979年 4月29日 日本武道館 山下泰裕 遠藤純男 松井勲 上村春樹
1980年 4月29日 日本武道館 山下泰裕 遠藤純男 松井勲 河原月夫
1981年 4月29日 日本武道館 山下泰裕 遠藤純男 松井勲 白瀬英春
1982年 4月29日 日本武道館 山下泰裕 松井勲 日蔭暢年 斉藤仁
1983年 4月29日 日本武道館 山下泰裕 斉藤仁 藤原敬生 正木嘉美
1984年 4月29日 日本武道館 山下泰裕 斉藤仁 松井勲 正木嘉美
1985年 4月29日 日本武道館 山下泰裕 斉藤仁 滝吉直樹 正木嘉美
1986年 4月29日 日本武道館 正木嘉美 藤原敬生 松井勲 斉藤仁
1987年 4月29日 日本武道館 正木嘉美 元谷金次郎 岡田龍司 岡田弘隆
1988年 4月29日 日本武道館 斉藤仁 正木嘉美 森成寿 大迫明伸
1989年 4月29日 日本武道館 小川直也 関根英之 渡辺直勇 山本旗六
1990年 4月29日 日本武道館 小川直也 古賀稔彦 三谷浩一郎 金野潤
1991年 4月29日 日本武道館 小川直也 金野潤 吉田秀彦 中谷弘
1992年 4月29日 日本武道館 小川直也 大漉賢司 甲斐康浩 三谷浩一郎
1993年 4月29日 日本武道館 小川直也 金野潤 養父直人 増地克之
1994年 4月29日 日本武道館 金野潤 吉田秀彦 小川直也 養父直人
1995年 4月29日 日本武道館 小川直也 篠原信一 養父直人 中村佳央
1996年 4月29日 日本武道館 小川直也 三谷浩一郎 賀持道明 竹村典久
1997年 4月29日 日本武道館 金野潤 村元辰寛 増地克之 石田輝也
1998年 4月29日 日本武道館 篠原信一 井上康生 中村佳央 増地克之
1999年 4月29日 日本武道館 篠原信一 棟田康幸 猿渡琢海 三谷浩一郎
2000年 4月29日 日本武道館 篠原信一 井上康生 下出善紀 藤原康博
2001年 4月29日 日本武道館 井上康生 篠原信一 村元辰寛 小嶋新太
2002年 4月29日 日本武道館 井上康生 棟田康幸 猿渡琢海 大村昌弘
2003年 4月29日 日本武道館 井上康生 鈴木桂治 篠原信一 森大助
2004年 4月29日 日本武道館 鈴木桂治 井上康生 棟田康幸 森大助
2005年 4月29日 日本武道館 鈴木桂治 村元辰寛 生田秀和 高井洋平
2006年 4月29日 日本武道館 石井慧 鈴木桂治 泉浩 生田秀和
2007年 4月29日 日本武道館 鈴木桂治 石井慧 井上康生 片渕慎弥
2008年 4月29日 日本武道館 石井慧 鈴木桂治 棟田康幸 高井洋平
2009年 4月29日 日本武道館 穴井隆将 棟田康幸 生田秀和 立山広喜
2010年 4月29日 日本武道館 高橋和彦 立山広喜 穴井隆将 棟田康幸
2011年 4月29日 日本武道館 鈴木桂治 穴井隆将 本郷光道 高井洋平
2012年 4月29日 日本武道館 加藤博剛 石井竜太 鈴木桂治 百瀬優
2013年 4月29日 日本武道館 穴井隆将 原沢久喜 石井竜太 垣田恭兵
2014年 4月29日 日本武道館 王子谷剛志 上川大樹 西潟健太 永瀬貴規
2015年 4月29日 日本武道館 原沢久喜 七戸龍 王子谷剛志 西潟健太
2016年 4月29日 日本武道館 王子谷剛志 上川大樹 原沢久喜 七戸龍
2017年 4月29日 日本武道館 王子谷剛志 ウルフ・アロン 七戸龍 加藤博剛
2018年 4月29日 日本武道館 原沢久喜 王子谷剛志 加藤博剛 小川雄勢
2019年 4月29日 日本武道館 ウルフ・アロン 加藤博剛 小川雄勢 太田彪雅
2020年 12月26日 講道館 羽賀龍之介 太田彪雅 佐々木健志 石内裕貴
2021年 12月26日 講道館 太田彪雅 羽賀龍之介 垣田恭兵 王子谷剛志
2022年 4月29日 日本武道館 斉藤立 影浦心 小川雄勢 原沢久喜
2023年 4月29日 日本武道館 王子谷剛志 羽賀龍之介 田嶋剛希 太田彪雅
2024年 4月29日 日本武道館 中野寛太 原沢久喜 グリーンカラニ海斗 王子谷剛志

記録

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氏名 回数等 年度
優勝回数 山下泰裕 9回 1977-1985年
連続優勝記録 山下泰裕 9連覇 1977-1985年
最年少優勝記録  石井慧 19歳4ヶ月 2006年
最軽量の覇者 岡野功 80kg 1967年、1969年
関根忍 1972年
出場最多回数 棟田康幸 15回 1999-2013年
出場連続最多回数 棟田康幸 15回 1999-2013年

高校生の全日本選手権出場者

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出場年度  選手名   高校名   大会成績
1960年 関勝治 千葉商大付属第一高校 予選リーグ敗退(1勝1敗)[注釈 5]
1974年 松井勲 関高校 初戦敗退
1975年 山下泰裕 東海大相模高校 3位
1996年 井上康生 東海大相模高校 2回戦敗退
2013年 佐藤和哉 静岡学園高校 3回戦敗退
2014年 香川大吾 崇徳高校 3回戦敗退 
2014年 田中源大 高川学園高校 初戦敗退
2017年 松村颯祐 開星高校 初戦敗退
2018年 村尾三四郎 桐蔭学園高校 2回戦敗退 
2018年 中野寛太 天理高校 初戦敗退
2019年 斉藤立 国士舘高校 3回戦敗退 

脚注

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注釈

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  1. ^ 男子100kg級、100kg超級、無差別級、女子78kg超級、無差別級は、全日本柔道選手権大会後に代表が決定する。その他の階級は全日本選抜柔道体重別選手権大会後に代表が決定されている。
  2. ^ 1933年1940年は除く。
  3. ^ 壮年前期(20歳-29歳),壮年後期(30歳-37歳),成年前期(38歳-43歳),成年後期(44歳- の4区分。
  4. ^ 1956年には公式には大会中止という扱いになっているが、世界選手権の代表決定戦として、事実上の全日本選手権とも言える「世界柔道選手権日本代表決定戦」が世界選手権直前の4月29日に蔵前国技館で慌ただしく開催されている。この大会は、全国10地区選出の32選手をA,Bの2ブロックに分け、それぞれのブロックの優勝者2名を日本代表として選出するというものだった。Aブロックでは決勝戦を夏井昇吉と醍醐敏郎で争い2分22秒に夏井が体落で一本勝ち、Bブロックでは松本安市と吉松義彦という武専出身者同士の顔合わせで試合時間20分一杯を闘い、判定の末に吉松が勝利を収めた。柔道評論家の工藤雷介によるこの大会の戦評が、ベースボール・マガジン社発刊の雑誌『近代柔道』(1981年3月号)の「名勝負シリーズ」という特集記事で詳しく紹介されている。なお、4日後に開催された世界選手権では夏井が金メダル、吉松が銀メダルを獲得している。
  5. ^ この年の全日本選手権では、指定選手16名と全国10地区から選出された32名の計48名による出場者が3名1組によるリーグ戦を初日に行い、各組の勝者16名が翌日の決勝トーナメントで優勝を争う形式で大会が開催された。

出典

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  1. ^ “講道館機関誌「柔道」で振り返る全日本柔道選手権大会60年”. 激闘の轍 -全日本柔道選手権大会60年の歩み- (財団法人講道館・財団法人全日本柔道連盟). (2009年4月29日) 
  2. ^ 全日本選手権に初の女性審判を起用 全柔連が規定 サンケイスポーツ 2016年12月15日
  3. ^ 柔道 伝統の全日本選手権で初の「両者反則負け」 - 柔道 日刊スポーツ 2019年4月29日
  4. ^ 五輪代表、早期決定で調整=全日本選手権は対象外に-柔道 時事通信 2019年4月5日
  5. ^ 五輪代表、補欠らに推薦枠 来年の柔道全日本選手権 時事通信 2019年12月10日
  6. ^ 柔道史上初「全日本」延期 年内開催を目標 スポーツニッポン 2020年4月1日
  7. ^ 柔道全日本と全日本女子を講道館で12月に開催へ 日刊スポーツ 2020年9月14日
  8. ^ 男女の全日本柔道は12月に開催 コロナで延期、講道館で サンケイスポーツ 2021年3月25日
  9. ^ 平成23年全日本柔道選手権大会(日本武道館) 大会結果”. 全日本柔道連盟 (2011年4月29日). 2019年12月28日閲覧。 “全日本選手権大会として初となる国際柔道連盟試合審判規定”
  10. ^ a b “柔道全日本選手権、国際新ルールを一部採用 旗判定廃止など”. 日本経済新聞. (2017年2月17日). https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50840_X10C17A2000000/ 
  11. ^ 国際柔道連盟試合審判規定(2017-2020)改正の要点” (PDF). 国際柔道連盟 (2017年3月17日). 2017年4月19日閲覧。
  12. ^ a b 柔道・全日本選手権で8年ぶりに旗判定が復活「攻撃を高く評価」 国際ルール準拠から方針転換 スポーツ報知 2024年1月30日
  13. ^ 平成30年全日本柔道選手権大会要項” (PDF). 公益財団法人講道館. 2018年4月30日閲覧。
  14. ^ 【審判規程解説】令和7年全日本柔道選手権大会/第40回皇后盃全日本女子柔道選手権大会 - YouTube KODOKANチャンネル

関連項目

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