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朝田静夫

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朝田 静夫(あさだ しずお、1911年10月13日 - 1996年11月8日)は、元運輸事務次官および元日本航空社長。大阪府大阪市出身。

来歴・人物

生野中学旧制浪速高校を経て、東京大学法学部を卒業し、逓信省(総務省日本郵政の前身)に入省。戦後の省庁再編で運輸省に移り、官房長、海運局長を経て、事務方トップの事務次官に就任。海運業界再編などを手掛けた。

退官後、政府の特殊会社だった日本航空に天下り、専務、副社長を経て、1971年、社長に就任した。日航機のニューヨーク乗り入れ、日ソ、日中の路線開設交渉に手腕を発揮したが、1972年にモスクワでの日航機墜落事故、1974年に羽田発那覇行きジャンボ機の乗っ取り事件が起き、安全管理体制の再構築も迫られた。1981年に社長を退任し、相談役になった。

日本航空協会会長、国際博覧会協会会長など多数の公職を歴任。趣味の囲碁は六段の腕前で、日本棋院の理事長、総裁を務めた。人当たりは良いが、芯は強く、頭の回転が早いことから「カミソリ」と呼ばれた。高天原山での日本航空123便墜落事故を主題にした山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」に登場するワンマン経営者「小暮社長」のモデルともいわれる。

先代
松尾静馬
日本航空社長
第3代:1971年 - 1981年
次代
高木養根
先代
色部義明
日本棋院理事長
第10代:1988年 - 1993年
次代
渡辺文夫
先代
稲山嘉寛
日本棋院総裁
第7代:1993年 - 1996年
次代
今井敬
先代
秋山龍
日本航空協会会長
第7代:1995年 - 1996年
次代
若狭得治