パピルス
パピルス(Papyrus)は、カヤツリグサ科の植物の名。または、この植物の地上茎の内部組織から作られ、古代エジプトで使用された文字筆記のための媒体をも指す。パピルス紙と呼ばれる場合があるが,繊維が絡み合っていないため正確には紙ではない。ただし、これは、中国で発明された「紙」を基準に、紙の定義が後に定められたからで、英語などの言語で紙を意味する paper や、フランス語の papier は、papyrus に由来する。
パピルス(筆記媒体)
製法
パピルス紙は次のような工程によって作られたとされる。
- 皮を剥いで長さを揃えた茎を縦に薄く削いで,長い薄片を作る。
- 薄片をしばらく川から汲んだ水に漬け、細菌が繁殖してある程度分解が始まるまで放置する。
- フェルトや布を敷いた台の上に少しずつ重ねながら並べ,更にその上に直交方向に同じように並べ、さらに布で覆う。
- 配列を崩さないように注意しながら槌などで強く念入りに叩いて組織を潰し、更に圧搾機やローラーなどで圧力を加えて脱水する。
- その後さらに乾いた布で挟んで乾かし、日陰などで乾燥させる。
- 表面を滑らかな石や貝殻などでこすって平滑にし、その後、縁を切り揃えて完成となる。
製作にはかなりの人手と日数(浸漬に一、二日、叩打・圧搾に二日、乾燥に四日ないし一週間)を要し、高価だった。プトレマイオス朝時代のペルガモン王国への禁輸も、同国の図書館と蔵書の数を競った為だけでなく、生産が間に合わずに品薄だったともいわれる 。
それぞれの薄片が接着して一枚の紙葉となる機序は長い間謎となっていたが、今では膨潤して潰された植物組織が細菌の繁殖により粘性の物質に変化し、乾燥と同時に薄片どうしを強く接着するということが明らかになっている。
パピルス紙の製法は、生産がエジプトで廃れていらい失われていた。大プリニウスはその著書「博物誌」の中で、自身で調査した製法を記していたが、薄片の接着については記述が曖昧であったので、その部分は後世論議の的になった。幾人かの人々が大プリニウスの記述をたよりに試行錯誤を重ね、一応の復元に成功している。
特性と使用法
完成した一枚のサイズは大判で30x40cm程度、厚さは0.1ないし0.25mmであった。
薄片を接着して作るという構造上、表裏で繊維の向きが異なり、また折り曲げに弱いため冊子状にすることは難しいので,長く繋ぎ合わせて巻物として使用された。また筆記用パピルスの、ギリシャなどへ盛んに輸出される前までの主な用途は副葬品である死者の書が大部分であったので巻物でも不便はなかった。製品には材料の薄片を取る部位などによって数等の等級があり、「博物誌」には八種類の名称が挙げられてある。 高級品は純白で、罫線つきのものもあった。最低級品は包装用であった。高価なため、しばしば古いものは表面を削って再利用されたり裏を使ったりされた。エジプトほど気候が乾燥していない地方ではパピルスは注意していないとカビなどに侵されやすかった。
巻物にする場合はゴムや膠(にかわ)で20枚程度をつないで一巻とした。一枚目をprotokóllonといってローマ人はそこに巻物の産地と日付を記した。この言葉は今でもプロトコルとして外交や通信の用語として残っている。開いたり巻いたりの頻度の高い外側ほど強い良質紙を使い、一番外側にはしばしば標題を記した羊皮紙のカバーを付けた。後にキリスト教徒が聖書を筆写するようになると、冊子としても使われるようになったが、強度上の問題があった。
パピルスに筆記するためにはエジプトでは葦のペンを使い、ローマでは葦や青銅製のペンを使った。
普及と衰退
プトレマイオス朝時代には,エジプトの輸出品として各地に広まった。フェニキア人の都市ビブロス(現在のレバノンのジュバイル)がそのギリシャ向けの積み出し港だったのでビブロスの名がパピルスを意味する語に、また本を意味するようにもなり、現在英語で聖書を意味するBibleという言葉もそこから来ているとされる。
後に小アジアのヘレニズム国家、ペルガモン王国に対する禁輸がもとで同国で羊皮紙の生産や文芸書への使用が奨励され、使いやすい羊皮紙が生産されるようになった。羊皮紙を意味するパーチメントはこのペルガモンに由来すると言われている。羊皮紙も高価ではあったが強度があり両面に書けるなど冊子としての利用に適していたので、エジプトから遠い地方で普及したが、全ての書き物を羊皮紙で置き換えるのは高くつくため、手紙やノートなどにはパピルスが使われ続けた。800年頃に中国から紙の製法が伝わるとやがてパピルスは使われなくなった。
パピルス(植物)
パピルス (和名:カミガヤツリ、カミイ、学名:Cyperus papyrus L. )多年生の草本でアフリカ奥地の湖や河畔の浅い緩やかな流れの中に繁茂し、4-5mほどの高さになる。茎は3角形の断面をしていて最大6cmほどの太さになる。通常、根茎(地下茎)によって増殖する。
パピルス(植物)の歴史
パピルスはもともと中央アフリカのナイル源流から洪水の際にデルタ地帯に流れてきた株が自生していた。それを人手をかけて栽培し、記録のための媒体はもちろん儀式祭礼用品や生活雑貨、綱のような建築材料さらには舟の材料として利用していたものである。そのためエジプトのキリスト教化や、中国からの製紙法の渡来により需要が少なくなるとともに、自然にナイル下流部からは消滅した。今日パピルスの自生する土地はコンゴ・ウガンダ・スーダン・エチオピア・シチリアとシリアの一部である。
関連項目
- 紙
- 写本
- アレクサンドリア図書館
- 英語版ウィキペディア:Papyrology (パピルス学)
- 英語版ウィキペディア:Thor Heyerdahl (トール・へイエルダール):人類学者・パピルスの舟「ラー号」で大西洋を横断した
外部リンク
- パピルス研究所(パピルスの製法を再発見した一人、エジプトの故ラガーブ博士の研究所の公式サイト)
参考文献
大沢 忍 「パピルスの秘密」 みすず書房 1978年