鈴木尚広
読売ジャイアンツ #12 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福島県相馬市 |
生年月日 | 1978年4月27日(46歳) |
身長 体重 |
180 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1996年 ドラフト4位 |
年俸 | 4,500万円(2009年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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鈴木 尚広(すずき たかひろ、1978年4月27日 - )は、福島県相馬市出身のプロ野球・セントラル・リーグの読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(外野手)。
略歴
福島県立相馬高等学校からドラフト4位で巨人へ入団。走力の評価は高かったが1年目からすぐに故障離脱し、故障体質を示す。本人もこの改善の必要性は強く自覚しており1年目のオフシーズンから年俸の半額近い費用で個人トレーナーとの契約を行っている。入団時は右打者だったが、その走力を生かすためにスイッチヒッターを経て左打者に転向、高田繁2軍監督・緒方耕一守備走塁コーチなどの下で地道に走塁技術の修練に励み、1999年 - 2000年の秋季キャンプではヘッドコーチだった原に快足を認められ「一番の成長株」との評価を得る。
内野手から外野手に転向。イースタン・リーグでリーグ2位の27盗塁をマーク。またランニングホームランも記録。この年、プロで初めて怪我無く過ごす。
監督が原辰徳に交代すると、4月2日の中日ドラゴンズ戦で1軍初出場し、初盗塁を記録。日本シリーズでも代走で活躍し、2盗塁をマーク。球団史上初の4連勝日本一に貢献した。鈴木の存在は「原辰徳の野球」の象徴とまで取り上げられた。
再び内野手(二塁手)に挑戦し、レギュラーの仁志敏久が故障、プレーに不安を見せると二塁と外野を兼任し104試合に出場する。また長打力の向上も見られた。
堀内恒夫が監督に就任、堀内が守備重視の戦略を採ったため再び外野に専念。堀内は原ほど鈴木を重用せず、また選手層の豊富な外野ではレギュラーを奪うまでには至らずに、代走での出場が主になる。
前年同様に代走起用がほとんどだったが、シーズン後半にタフィ・ローズが戦線離脱するとスタメンを獲得。9月に故障で離脱したものの、27試合出場で11盗塁をマークしている。このペースは146試合換算で約59盗塁という数字となり、単純な計算では盗塁王の赤星憲広の60とほぼ同じ数字となる。打撃面も99打数ながら3割をマーク、向上を見せる。
原辰徳が監督に復帰、走力を重視する原の元で外野のレギュラー争いの中での立場を強くする。シーズン当初は代走での登場が多かったが、レギュラー中堅手だった高橋由伸の離脱後はスタメンで出場。シーズン後半からは監督の起用方針もありルーキー脇谷亮太と共に、2番打者として走力重視の1・2番を形成する。当時のシーズン自己最高の25盗塁をマークし盗塁成功率も.862と、走塁面は誇れる数字を残した。課題である打撃面の改善が見られず特に左投手との対戦成績が悪かった。その打開策として本来の利き手側である右打席で打撃を行うように原監督より通達され、異例のシーズン中のスイッチヒッター転向を遂げる。8月15日の試合でプロ入り後初めての右打席で押し出しの四球を選び大量得点の一翼を担った。最終的に打撃面は.241と低調な成績に終ったが、シーズン終盤には右打席にも慣れ、左打席.245、右打席.236と左右でほぼ変わらない成績を残した。
原監督がチーム内競争の活性化を示唆、矢野謙次や新加入の谷佳知などと改めてレギュラーを争う事となった。その中で原監督が「良い選手はいらない、強い選手が欲しい」と発言し怪我リスクの高さがマイナスになるかと思われたが、走塁面の切り札として招聘した伊原春樹ヘッドコーチが鈴木を絶賛、走塁面での核にしたいと発言。オープン戦では前シーズンの2番打者の経験を生かし、与えられた少ない打席でチーム最多四球を選び、高い出塁率を残す。3月30日横浜ベイスターズとの開幕戦に8番センターでスタメン出場。プロ入り11年目にして初の開幕スタメンの座を勝ち取り、両打席でヒットを放ち、3連戦勝ち越しに貢献した。デーモン・ホリンズの台頭や、清水隆行の復活により、後半戦は代走の切り札としてベンチ要員にあることが多かったが、スイッチに本格転向した1年目、右打席の打率は.333をマーク。両打席で変わらない出塁率を記録した。
シーズン前半は代走や守備固めとしての出場が主だったが、7月から1番に定着し、8月からのチームの快進撃に貢献。9月19日の阪神戦では江草仁貴から右打席での初本塁打も記録した。盗塁も2006年の25盗塁を上回り、巨人では1990年の緒方耕一(現・外野守備走塁コーチ)以来となる30盗塁(緒方は33盗塁)をマークし(盗塁成功率は.857)、メークレジェンドと言われたリーグ連覇の立役者となった。同年、初のタイトルとなるゴールデングラブ賞を受賞。日本シリーズでは西武の片岡易之が盗塁を5つ成功する一方で鈴木は1つのみと、レギュラーシーズンで見せた足を十分に生かすことができなかったものの、打つほうではチーム最多の4打点を記録し、自身初の日本シリーズ優秀選手賞を受賞した。
エピソード
- 高校までは右バッターで遊撃手。プロ入り直後から俊足を生かすため左打ちも始めてスイッチヒッターとなり、その後負担を減らすために左に専念した。2006年より課題の打撃の改善のために再度右打席にも立つようになった。
- 2006年12月11日に行われた契約更改にて、チーム全体で厳冬更改となる中、400万円増の2800万円で更改。同時に背番号が「12」に変更されることが決まった。『柴田勲が7番を付ける前に付けていた、盗塁王を3度記録した番号』という意味づけである。2005年も契約更改の場で「背番号2(この年引退した元木大介、かつての巨人の1番打者・松本匡史が着けていた背番号)を背負いたい」と直訴したが、時期尚早と判断され、背番号2は移籍してきた小坂誠に与えられた。
- 2006年日米野球の前日の『巨人対米国選抜』の試合で2安打1盗塁をマーク、単打と思われた当たりを快足を飛ばし二塁打にするなど活躍。米国人記者から「イチローの親戚か?」とのジョークも飛んだ。
- 2007年のCS放送G+のインタビューで「足だけは負ける気がしないし、絶対に負けてはならないものだと思う」と話す。
- 打席に立つときのテーマ曲は、THE BLUE HEARTSの『TRAIN-TRAIN』。応援コールはタカヒロ。
- 実家は相馬市内の焼肉店「すずや」で、何度か取材で話題になったことがある。店内では巨人戦が映ったテレビが置かれており、鈴木の母は、鈴木が画面に映ると見ていられなくなって、画面から顔を背けてしまい、一緒にテレビを見ている客に打席での結果を聞くという模様が放送された。
- 2007年に同姓の鈴木誠が入団したため(翌2008年オフに退団)、2年間スコアボードには「鈴木尚」と表示されたが、横浜ベイスターズの鈴木尚典(2008年引退、現・湘南シーレックス打撃コーチ)と同じであるため、一部のベイスターズファンからブーイングを受けたこともある。ちなみに氏名の読み(すずきたかひろ)はタカアンドトシのタカ(本名・鈴木崇大)と同じである。
- 週刊ベースボールの選手名鑑によると、趣味はタンバリンとなっているが、得意なのではなく他の選手より目立つ為という理由であったことをJスポで告白した。
- 前述のとおりチャンスメーカーに必要な全ての能力を備えた選手に成長したが、持病の腰痛のため時折守備や帰塁の反応が鈍くなることを「センスが無い」などと評する巨人ファンもいる。
これは2007年の優勝決定戦で微妙なタイミングで帰塁に失敗し牽制死を喫するなど、節目の試合でチームのミスの全てを背負うような印象的なミスを犯す不運な面があるためと思われるが、通算盗塁成功率は8割以上をマーク。ひとたび塁に出れば俊足を生かしホームへは6割の確率で帰還する。
また打撃も2007年のイニング先頭打者としての出塁率は5割近くを記録し、全安打33本中8本の内野安打を記録した。 - 前述の2008年9月19日の対阪神戦で右打席での初本塁打をマークしたが、その日の試合終了後に帰宅した際、息子から「次、ホームランを打ったら怒るよ」と説教されたという。息子は父が進塁のために自慢の快足を飛ばす姿が大好きなので、俊足を見せることのない本塁打は嫌いだとのことである。しかし、2008年10月5日の対中日戦で本塁打を打った際には「ナイス!」と喜んでくれたという。
年度別成績
年 度 |
球 団 |
背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1997年 | 巨人 | 68 | 一軍出場なし | |||||||||||||||||||||
1998年 | 一軍出場なし | |||||||||||||||||||||||
1999年 | 一軍出場なし | |||||||||||||||||||||||
2000年 | 一軍出場なし | |||||||||||||||||||||||
2001年 | 一軍出場なし | |||||||||||||||||||||||
2002年 | 30 | 8 | 8 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .250 | .250 | .250 | .500 | ||
2003年 | 104 | 215 | 200 | 39 | 45 | 4 | 3 | 3 | 64 | 11 | 18 | 1 | 11 | 0 | 4 | 0 | 33 | 5 | .225 | .240 | .320 | .555 | ||
2004年 | 57 | 59 | 55 | 11 | 15 | 3 | 0 | 0 | 18 | 1 | 9 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 7 | 0 | .273 | .310 | .327 | .637 | ||
2005年 | 27 | 107 | 99 | 19 | 30 | 7 | 0 | 1 | 40 | 5 | 11 | 3 | 5 | 0 | 3 | 0 | 15 | 1 | .303 | .324 | .404 | .728 | ||
2006年 | 89 | 263 | 245 | 34 | 59 | 4 | 2 | 1 | 70 | 9 | 25 | 4 | 6 | 0 | 12 | 0 | 38 | 5 | .241 | .276 | .286 | .562 | ||
2007年 | 12 | 96 | 124 | 111 | 36 | 33 | 3 | 2 | 0 | 40 | 10 | 18 | 4 | 3 | 1 | 8 | 1 | 25 | 2 | .297 | .347 | .360 | .707 | |
2008年 | 105 | 270 | 247 | 56 | 75 | 9 | 4 | 3 | 101 | 17 | 30 | 5 | 2 | 1 | 17 | 3 | 43 | 0 | .304 | .354 | .408 | .762 | ||
通算:12年 | 508 | 1046 | 965 | 201 | 259 | 30 | 11 | 8 | 335 | 53 | 115 | 22 | 28 | 2 | 47 | 4 | 164 | 13 | .268 | .305 | .347 | .652 |
タイトル・表彰・記録
- ゴールデングラブ賞:1回(外野手部門・2008年)
- 日本シリーズ優秀賞:1回(2008年)
背番号
関連項目
外部リンク
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