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中舘英二

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中舘英二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都荒川区
生年月日 (1965-07-22) 1965年7月22日(59歳)
身長 152.0cm
体重 50.0kg
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 加藤修甫(1984年 - 1998年)
フリー(1998年 - 2001年)
田村康仁(2001年 - 2002年)
フリー(2002年 - 現在)
初免許年 1984年
重賞勝利 27勝(うち地方交流1勝)
G1級勝利 3勝
通算勝利 15264戦1589勝
(2009年終了時点)
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中舘 英二(なかだて えいじ、1965年7月22日 - )は日本中央競馬会(JRA)の騎手である。美浦トレーニングセンター所属。三度の年度表彰を受賞したヒシアマゾンなどに騎乗し、GI級競走3勝、通算1500勝以上を挙げている(2009年終了時点)。東京都荒川区出身。

来歴

1965年、東京都荒川区に生まれる。父は競馬関係者ではなかったが、競馬評論家・予想家の宮城昌康と親交があり[注 1]、また母もパートタイムで中山競馬場内の馬券売り場に勤めるなど、競馬との繋がりを持つ家庭であった[1]。中学校在学中に騎手を志し、その卒業後、中央競馬の騎手養成長期課程に第31期生として入所。この翌年から競馬会が千葉県白井市競馬学校を開設したため、従来使用された東京都世田谷区馬事公苑で養成された最後の世代となった。主な同期生には木幡初広鹿戸雄一がいる。

自身の回想によれば、養成所では「馬乗りが半端じゃなく下手で、超劣等生」であったが[2]、当時の教官であった中俣修の叱咤激励を受けて努力を重ね[2]、1984年に騎手免許を取得。2年次の厩舎実習を行った美浦トレーニングセンターの加藤修甫厩舎所属としてデビューを迎えた。

騎手時代

同年3月に初戦を迎え、5月6日にトドロキキングで初勝利を挙げる。しかし以後二度の騎乗停止処分を受けるなど精彩を欠き、初年度は7勝に終わった。しかし翌1985年は、加藤の後押しもあり39勝と躍進。さらに当年の秋から厩舎の期待馬であるアサヒエンペラー主戦騎手を任された。しかし自身の騎乗ミスもあり皐月賞東京優駿といった大競走でいずれも惜敗し、ファン・評論家等から批判を集める結果となった。後に中舘は「あれがあったから、今もめげないで頑張れるんだと思います」と語っている[2]。以後は騎乗数の少なさもあり、長らく年間20-30勝前後の成績で推移する中堅騎手として過ごした。

デビュー9年目を迎えた1992年、ブランドアートでフラワーカップを制し、重賞初勝利を挙げる。さらに翌1993年12月、ヒシアマゾンに騎乗して阪神3歳牝馬ステークスをレコードタイムで制し、GI競走初制覇を果たした。中舘と同馬のコンビは翌1994年にGI・エリザベス女王杯を含む重賞6連勝を達成。1995年には大きな獲得タイトルこそなかったものの、通年で戦線の中心を担う活躍を見せた。

ヒシアマゾンの登場と前後して騎乗依頼が増え始め、1990年代後半からは関東の上位騎手として定着。2000年以降は主戦場をローカル開催[注 2]に移して騎乗数を増やし[3]、2001年には自身初の年間100勝を達成した。2005年からは毎年100勝以上の成績を維持しており、2005年、2006年には目標としていたワールドスーパージョッキーズシリーズ出場を果たしている。2007年にはアストンマーチャンスプリンターズステークスを制し、ヒシアマゾンのエリザベス女王杯以来13年ぶりのGI勝利。2009年3月には史上12人目となる通算1500勝を達成した。

騎手としての特徴

デビュー4年目の1987年に、年頭から4ヶ月間未勝利を記録するスランプに陥った。このとき加藤から「追い込み馬でも構わないから、どの馬でもどのレースでもハナ行ってみろ[注 3]」と助言され[4]、以来逃げ戦法を得意としている。「逃げの中舘」とのイメージを完全に定着させたのは、大逃げで人気を博したツインターボとのコンビで[5]、この頃には同じく逃げを得意とした2000勝騎手・増沢末夫に擬え、「増沢二世」とも称された[6]。また、増沢は福島競馬場を大の得意としていたが、やはり中舘も福島を得意としており、毎年福島開催の最多勝を獲得している。また、関西圏の中京小倉での活動も増やしており、ローカルを主戦場として以降、勝利の半数以上は関西馬で挙げている[7]

ローカル開催での活躍が顕著である一方、重賞・GI級競走での勝利が、通算勝利数といった数字上の実績からは極端に少ないことも指摘される。これについて中舘は、「表舞台で重賞・クラシックに乗るか、それとも裏に回って数多く勝つか。ぼくは迷うことなく後者を選びました」と語っている[3]。この背景には、2002年まで「1000勝騎手は調教師免許試験の第一次が免除される」という規定があったことが大きく関係しており、将来調教師を目指すに当たり「まさかその恩恵がなくなるとは思わなかったので」1000勝を達成するためにローカルを回るしかないと決意したという[3]。大舞台を諦めてどのようにモチベーション保つのか、との問いに対しては、「確かにGIと未勝利戦での喜びの大きさは違うのかも知れないけど、どんなレースでもひとつ勝つと凄く嬉しいんです。乗り役は、1着でゴールを過ぎてから馬を止めるまでの間に、なんともいえない充実感にひたることができるんです」と語っている[3]

通算成績

年度別成績

区分 1着 2着 3着 4着以下 騎乗数 勝率 連対率 備考
1984年 平地 7 11 10 87 117 .060 .171
障害 0 2 0 2 4 .000 .500
1985年 平地 39 27 30 245 341 .114 .194
1986年 平地 35 32 31 186 284 .123 .236
1987年 平地 20 26 35 194 275 .073 .167 通算100勝達成(11月27日)
1988年 平地 27 29 35 211 302 .089 .185
1989年 平地 31 39 17 200 287 .108 .244
1990年 平地 30 23 27 232 312 .096 .170
1991年 平地 24 19 28 217 288 .083 .149
1992年 平地 38 27 43 302 410 .093 .159
1993年 平地 47 45 36 365 493 .095 .187
1994年 平地 67 56 40 377 540 .124 .228
1995年 平地 48 51 48 428 575 .083 .172
1996年 平地 60 55 61 411 587 .102 .196
1997年 平地 59 54 48 462 623 .095 .181 通算500勝達成(7月4日)
1998年 平地 57 44 54 464 619 .092 .163
1999年 平地 58 46 64 551 719 .081 .145
2000年 平地 72 84 52 546 754 .095 .207
2001年 平地 100 85 81 549 815 .123 .277
2002年 平地 92 89 72 629 882 .104 .205
2003年 平地 73 74 74 553 774 .094 .190
2004年 平地 81 78 94 639 892 .091 .178 通算10000回騎乗達成(史上11人目・1月5日)
通算1000勝達成(史上19人目・3月28日)
2005年 平地 105 91 79 591 866 .121 .226
2006年 平地 103 95 69 642 909 .113 .218
2007年 平地 107 73 66 600 846 .126 .213
2008年 平地 105 78 76 615 874 .120 .209
2009年 平地 104 86 58 636 884 .118 .215 通算1500勝達成(史上12人目・2月15日)
平地 1,589 1,421 1,328 10,932 15,260 .104 .197
障害 0 2 0 2 4 .000 .500
総計 1,589 1,423 1,328 10,934 15,264 .104 .197
  • 初騎乗:1984年3月4日中山競馬第8競走 レイズタガ(9着)
  • 初勝利:1984年5月6日東京競馬第7競走 トドロキキング

表彰

主な騎乗馬

※括弧内は当該馬の中舘騎乗時の勝利重賞競走、太字はGI級競走。

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ 後に中舘は宮城の長女と結婚している。
  2. ^ 中央競馬場全10場のうち、東京、中山、京都、阪神を「中央」、それ以外の6場を「ローカル」と呼ぶ。
  3. ^ ハナに行く=先頭からレースを進める、逃げるを意味する俗語。
  1. ^ 木村(1997)p.155
  2. ^ a b c 『優駿』2009年4月号 p.46
  3. ^ a b c d 『優駿』2009年4月号 p.44
  4. ^ 木村(1997)p.159
  5. ^ 『優駿』2009年4月号 p.47
  6. ^ 木村(1997)p.153
  7. ^ 『優駿』2009年4月号 p.45
  8. ^ 木村(1997)p.156

参考文献

  • 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1997年)ISBN 978-4896912982
  • 『優駿』2009年4月号(日本中央競馬会)島田明宏「優駿ロングインタビュー 中舘英二 - この道に迷いなし」