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ミツアキサイレンス

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ミツアキサイレンス
2005年11月3日 名古屋競馬場にて JBCクラシック
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1997年4月20日
エイシンサンディ
ユウコウターナ
母の父 ターナボス
生国 日本の旗 日本北海道平取町
生産者 広川牧場
馬主 山本光明
調教師 粟津豊彦(笠松
競走成績
生涯成績 60戦13勝
獲得賞金 3億3053万2000円
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ミツアキサイレンス日本競走馬種牡馬である。佐賀記念2連覇など交流重賞4勝を含む重賞10勝を挙げ、未出走のまま種牡馬入りした父・エイシンサンディの名を上げた。

戦績

1999年

9月15日、デビュー戦となったJRA2歳認定競走で初勝利。連勝で臨んだJRAの芝レースは6,7着に終わる。

2000年

地元に帰って皐月賞トライアルの選定競走・ゴールドジュニアを制し、出走権を得た若葉ステークスはクリノキングオーの5着。新緑賞を制し、地元5戦無敗で出走した第1回兵庫チャンピオンシップはゴール手前で先行集団を一気に差し切り交流重賞初制覇。その後3歳交流重賞は4,6,2着だったがダービーグランプリではレギュラーメンバーには大差を付けられたものの、2着で地方馬最先着を果たす。あまり目立たないが、次走に中日新聞杯を選び、芝の重賞でも3着に入線。2000年のNARグランプリサラブレッド系4歳最優秀馬に選出される。

2001年

1月1日の東海ゴールドカップで勝利をあげると、その勢いを持続し、佐賀記念ハギノハイグレイドを破って交流重賞2勝目。その後は他場の交流重賞を中心に使われ、帝王賞4着、JBCクラシック5着などGIでも好走している。年度末には、新設された名古屋グランプリでハギノハイグレイドを再び撃破し、交流重賞3勝目をあげた。

2002年

年明け緒戦に佐賀記念を選び、マンボツイストを破って連覇達成。天皇賞出走権をかけて臨んだ阪神大賞典ジャングルポケット(2着)と大接戦も4着に敗れる。ダートでも2000メートル以上の距離に良績が集中した同馬にとって、春の天皇賞は絶好の舞台だったが、出走はかなわなかった。その後オグリキャップ記念の2着などをはさんで、宝塚記念にも挑んだが、11着に終わった。秋は3戦して勝ち星をあげられず、この年は佐賀記念の1勝のみに終わった。

2003年以降

ローテーションはあまり変わらないまま着順が落ち込み、徐々に衰えが見えるようになる。2004年は福島テレビオープンで60キロを背負いながら2着に突っ込んだ他、オータムカップで2年半ぶりに勝利しているが、衰えは隠せなくなる。交流重賞申請を取り下げ地区交流重賞となった2005年のオグリキャップ記念を勝利。これが最後の勝利となった。5度目の挑戦となった2006年の佐賀記念で8着に敗れた後、戦列を離れていたが、9月18日付で引退した。

引退後

2007年から北海道日高の優駿スタリオンステーションで種牡馬として供用を開始し、その年の種付けシーズン終了後にオーナーが開設したミツアキ牧場に移動した[1]

血統表

ミツアキサイレンス血統サンデーサイレンス系/5代内アウトブリード (血統表の出典)

エイシンサンディ
1993 鹿毛
父の父
* Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
父の母
エイシンウイザード
1986 芦毛
* Northerly Northern Dancer
Politely
シルバーナイキ *Don
ケープルビー

ユウコウターナ
1991 黒鹿毛
* Tyrnavos
1977 鹿毛
Stilvi Hethersett
Windmill Girl
Blakeney Derring-Do
Djerella
母の母
ユウコウルビー
1986 栗毛
*Ladiga Graustark
Celia
ユウコウ St.Paddy
*Indiana Way F-No.9-h


出展