コンテンツにスキップ

ジミー・マクレー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。219.117.176.151 (会話) による 2011年4月7日 (木) 04:11個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ワルター・ロール)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ジミー・マクレー
93年スコットランドにて
93年スコットランドにて
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
スコットランドの旗 スコットランド
WRCでの経歴
活動時期 1976 - 1989
所属チーム ボクスホールオペルMGローバー
出走回数 20
チャンピオン回数 0
優勝回数 0
表彰台回数 2
ステージ勝利数 56
通算獲得ポイント 626
初戦 1976 RACラリー
最終戦 1989 RACラリー
テンプレートを表示

ジミー・マクレーJimmy McRae1943年10月28日 - )はイギリス人ラリードライバー。スコットランドのラナーク出身。世界ラリー選手権ドライバーのアリスター・マクレー1995年WRCチャンピオン、コリン・マクレーの父親である。ラリードライバーとしての仕事とは別に、故郷で配管業を営み続けている。

2008年コリン・マクレー・フォレスト・ステージ・ラリーにて

英国ラリー選手権においてマクレーは1981年1982年1984年1987年、そして1988年の5度のタイトルを獲得する偉業を達成した。ヨーロッパラリー選手権では1982年に2位だったにもかかわらず、彼のWRCでの最高位は1983年の15位であった。

キャリアを通して、マクレーは多くのチームに所属した。ロスマンズ・ラリーチームではオペル・マンタ400をドライブした。ロスマンズで彼のチームメイトだったのはアリ・バタネンワルター・ロール、そしてヘンリ・トイボネンだった。そしてMG・メトロ6R4のドライバーへと進む。

モータースポーツからほぼ引退した今となっても、マクレーはまれにヒストリックラリーやスコットランドラリー選手権で戦い、ラリーGBに参戦もした。2006年にはストバートモータースポーツのスポンサードを受け、ロジャー・アルバート・クラーク・ラリーにフォード・エスコートMk2を駆り出場、見事優勝を手にした。

2008年9月、マクレーは多くの著名なラリードライバーたちとともに、2007年にヘリコプター事故で死去した彼の息子、コリン・マクレーを追悼する「コリン・マクレー・フォレスト・ステージ・ラリー」に参加し、ポルシェ・911をドライブした。イベントにはハンヌ・ミッコラアリ・バタネンビヨン・ワルデガルドスティグ・ブロンクビストマルコム・ウィルソンアンドリュー・コーワンらも参加した。