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巨福呂坂

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巨福呂坂(旧道)を南側(鎌倉方面)から望む(2004年11月9日撮影) - このすぐ奥は、私有地のため通行できなくなっている
巨福呂坂洞門(新道)を南側(鎌倉方面)から望む(2004年11月9日撮影) - 1993年5月に竣工した落石防護施設。巨福呂坂の近くにあることから、竣工時にこう名付けられた。(古くからの名前ではないことに注意。)

巨福呂坂こぶくろざか)は神奈川県鎌倉市に存在する切通し鎌倉七口のひとつ。巨福路坂小袋坂とも呼ぶ。仁治年間に鎌倉幕府執権北条泰時が命じて作らせた切通しと伝わる。鶴岡八幡宮裏手の雪ノ下から山之内(今のJR北鎌倉駅付近)を結ぶ道。

鎌倉時代末、第16代執権赤橋守時新田義貞率いる倒幕軍をこの地で迎え撃った。

なお現在の巨福呂坂は明治19年に明治政府が新たに開鑿した道で、旧道はこの新道のさらに西方の尾根に位置する。(なお現在旧道は一部が私有地となっているため通行不可となっている)

新道は大正12年の関東大震災で壁面の崩落に遭い通行ができなくなったがその後拡張され、車両の通行が可能となった。