阿部寿一
阿部 寿一 あべ じゅいち | |
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生年月日 | 1959年8月17日(65歳) |
出生地 | 山形県酒田市 |
出身校 | 東京大学法学部 |
前職 | 国家公務員(建設省) |
所属政党 | 無所属 |
選挙区 | 山形3区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2012年12月18日[1] - 2014年11月21日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2005年 - 2012年9月14日 |
旧 酒田市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1999年 - 2005年10月31日 |
阿部 寿一(あべ じゅいち、1959年8月17日 - )は、日本の政治家、建設官僚。
衆議院議員(1期)、山形県酒田市長(旧酒田市長2期、現市2期)を歴任した。
来歴
山形県酒田市生まれ。山形県立酒田東高等学校、東京大学法学部卒業。東大卒業後、建設省に入省。本省勤務の他、鳥取県や総理府への出向を経験する[2]。1999年、建設省を退官。同年の旧酒田市長選挙に無所属で出馬し、初当選した。以後新設合併による現酒田市を含めて通算4期連続当選。
2012年、自由民主党は第46回衆議院議員総選挙に向け、山形3区の現職加藤紘一を公認。阿部も、自民党公認での山形3区からの出馬を模索しており、山形県連内でも岸宏一参議院議員らが阿部を山形3区の候補者に推していたものの、県連内での阿部擁立論が広がらず、自民党からの出馬は不調に終わる。同年9月、阿部は酒田市長を辞職し、山形3区から無所属で出馬する意向を表明した[3]。同年12月16日の総選挙では、自民党参議院議員である岸宏一のほか、元民主党衆議院議員である和嶋未希らの支援を得て、加藤や、社会民主党元職の吉泉秀男ら4候補を破り、当選した。当選後、自民党への入党希望を示唆した[4]。
2013年10月上旬、自民党山形県連の酒田市第一支部において自民党への入党手続きを行った。これを受け、自民党所属の酒田市議会議員10名が10月23日に、衆議院の会派「自由民主党・無所属の会」への阿部の入会を認めるよう山形県連に要望書を提出[5]。しかし、現職の国会議員が入党する場合は県連ではなく党本部が可否を判断するのが自民党の規定であったため、この規定の存在を知らなかった自民党山形県連が10月25日に阿部に謝罪した上で、阿部に対し既に交付された党員証の返還を求め、阿部の事務所もこれに応じた[6]。
2014年6月、自民党3区支部長公募に名乗りを挙げるが、山形県連の提示した「投票に敗れた際は次期総選挙への立候補をせず、支部長を支援する」という条件に反発し、応募を辞退する[7]。
同年12月の第47回衆議院議員総選挙に無所属で出馬するが、加藤紘一の娘で、自民党公認候補の加藤鮎子に敗れ落選[8]。
政策・主張
- 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の交渉への参加に反対[9]。
- 村山談話および河野談話について、いずれも見直すべきではないとしている[10]。
- 2013年11月26日、特定秘密保護法案の採決で賛成票を投じている[11]。
脚注
- ^ 平成24年(2012年)12月18日山形県選挙管理委員会告示第77号(衆議院小選挙区選出議員選挙において当選人となった者の住所及び氏名並びに当該当選人に係る候補者届出政党)
- ^ 基本データあべ寿一 Facebookページ
- ^ “加藤紘一氏の選挙区、酒田市長が6人目出馬表明”. 読売新聞. (2012年9月16日)
- ^ “「やむを得ず無所属」 阿部氏が自民入り希望示唆 山形”. 朝日新聞デジタル. (2012年12月18日)
- ^ “衆院3区阿部議員、自民に入党”. 読売新聞. (2013年10月23日)
- ^ “現職の衆院議員、自民入党を取り消された理由”. 読売新聞. (2013年10月26日)
- ^ “自民公募、現職衆院議員も断念した誓約書の存在”. 毎日新聞. (2014年6月30日) 2014年12月16日閲覧。
- ^ “衆院選:加藤鮎子氏に当確 阿部寿一氏ら破る 山形3区”. 毎日新聞. (2014年12月15日) 2014年12月16日閲覧。
- ^ “【2012衆院選】当選者に聞く(3) 県3区・阿部寿一氏(無所属)”. 山形新聞. (2012年12月20日)
- ^ “2014衆院選 山形3区 阿部寿一”. 毎日jp (毎日新聞社)
- ^ “特定秘密保護法 国会議員の投票行動”. 東京新聞. 2014年12月13日閲覧。
外部リンク
- 阿部寿一 (Abejuichi) - Facebook
- 阿部寿一 (@abe_juichi) - X(旧Twitter)
公職 | ||
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先代 大沼昭 |
酒田市長 1999年 - 2012年 |
次代 本間正巳 |