オウム真理教男性信者殺害事件
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オウム真理教男性信者殺害事件(オウムしんりきょうだんせいしんじゃさつがいじけん)とは、1989年2月10日に発生したオウム真理教信者による殺人事件。
概要
事件の被害者となった男性信者は、オウム出版の責任者であった宮前一明の下で営業させられていたが、1988年9月22日のオウム真理教在家信者死亡事件を目の当たりにし、オウムのやり方に疑問を持ち、責任者の宮前に不満を述べた。宮前は男性信者の不満を麻原彰晃に報告すると、麻原は男性信者を富士山独房に監禁し、両手両足を縛らせたが、益々反発して教団から脱会する旨を主張。麻原は脱会させると、オウム信者死亡事故が露見される恐れがあり、宗教法人取得を目指す教団にとって痛手になると考え、殺害するしかないと決意。
1989年2月深夜、サティアンビル4階の図書館に、早川紀代秀・村井秀夫・宮前一明・新実智光・大内利裕の5人を集め、「ポアするしかないな」といって、男性信者の殺害を命じ、大内がコンテナ外で見張りを担当し、残る4人で殺害を実行した。当初の計画では、男性信者に目隠しをし、羽交い絞めにした末にロープで首を絞めて窒息死させる手筈であったが、男性信者が抵抗したため、慌てた新実によって首の骨を折られて殺害された。先の事件の在家信者同様、死体を焼却して粉々に砕いた後、敷地内にばら撒いた。
この後、麻原は殺人を肯定する「ヴァジラヤーナの教え」を初めて実行犯らに説いた。実行犯5人のうち、大内以外の4人が坂本堤弁護士一家殺害事件においても実行犯となった。オウム真理教ぐるみでの最初の殺人事件である。
参考文献
- 『オウム法廷1 下』(朝日新聞社 1998年)