吉村信良
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吉村 信良(よしむら のぶよし、1933年3月3日 - 2009年3月31日)は、日本の合唱指揮者である。
来歴
兵庫県神戸市出身、兵庫県立星陵高等学校、京都大学経済学部卒業。
京都で印刷会社の経営に携わる一方、多くの合唱団で指揮者として活動する。全日本合唱コンクール全国大会において京都産業大学グリークラブを指揮し、1981年(昭和56年)から1989年(平成元年)まで9年連続金賞1位[1]に導いた。古希を過ぎてからも、創立に関わった混声合唱団京都木曜会をはじめとした多くの団体を指揮し、精力的に演奏活動を行った。また、2005年(平成17年)に開催された「世界合唱シンポジウム~世界合唱の祭典 京都~」では、実行委員長を務めた。
1998年から2006年まで8年間全日本合唱連盟理事長を務め、後に名誉会長。日本合唱指揮者協会会員。平成13年(2001年)春に藍綬褒章受章。
2009年3月31日、慢性腎不全のため京都市で死去。76歳没。[2]
人物
- 大学卒業後、一時は大阪の会社に就職するが、乞われて京都の老舗、西湖堂に入社。社長令嬢と結婚して、1975年に社長に就任する[3]。西湖堂は全日本合唱コンクール全国大会のパンフレットの印刷を受注するなど、合唱連盟との関係も深い。
- 京都産業大学グリークラブの指導を乞われて開始したのが1973年。当初は学生指揮者を立てていたが、学生たちの要請により1981年の全国大会から自ら指揮をした。当時の大学合唱は「男声が隅に追いやられてきた」[4]「それ以前の十年間くらい大学の部には、これといったトップスターのような団体がなかったように思います」[5]とされ、大学男声合唱での連続金賞は吉村を「『第2世代』の代表選手のひとりといえよう」[6]といわしめるきっかけとなった。一方、吉村傘下の合唱団の中核である京都木曜会は「コンクールには出ない」をそのポリシーとしていて、それは吉村が合唱連盟の要職に就いても変わることはなかった。
- 全日本合唱連盟役員への登用は、コンクールの実績もさることながら、会社経営者としての手腕を期待されてのもので、連盟では事務局長兼任副理事長を務め、主に財務畑を歩む。「ある年の総会に赤字予算を提出したんですよ。どうにもしょうがなかったので-ところがみなさんいとも簡単に承認なさったんです。そこでぼくはびっくりして、このままこれを実行したら、九百万円の赤字分をみなさんに出していただくことになるんですよと言ったんです。」[7]と語ったように、昭和~平成初期の合唱連盟は「商店のどんぶり勘定の世界」[8]であって、財政の確立とリストラが吉村にとっての急務であった[9]。その後経費削減と、事業収入・広告収入の拡大により、元副理事長の前田二生から「吉村さんがきっちりソロバンをはじくようになって、だんだん安定してきましたね。」[10]と評されるに至っている。いっぽう、吉村と同時期に副理事長を務めた辻正行は、当時の執行部を評して「年齢順は関屋・佐藤・辻・吉村 いばってる順は吉村・佐藤・関屋・辻」「一番まじめなのは佐藤、なんだか判らないのが吉村」と述べている[11]。
参考文献
- 「創立50年記念特別企画 合唱50年史PART4 金賞連続記録いっせいにスタート!」-社団法人全日本合唱連盟機関誌「ハーモニー」No.95、1996年1月10日発行。
- 「理事長・副理事長への質問状」-社団法人全日本合唱連盟機関誌「ハーモニー」No.100、1997年4月10日発行。
- 「50年スペシャル 縁の下の力持ち 仲間意識が支える事務局・センター」-社団法人全日本合唱連盟機関誌「ハーモニー」No.101、1997年7月10日発行。
- 「新理事長・副理事長抱負を語る」-社団法人全日本合唱連盟機関誌「ハーモニー」No.105、1998年7月10日発行。
- 「吉村信良さんの死去を悼む」-社団法人全日本合唱連盟機関誌「ハーモニー」No.149、2009年7月10日発行。
外部リンク
脚注
- ^ 大学部門では9年間すべてで金賞が京都産業大の1団体のみであった。
- ^ 吉村信良氏死去 全日本合唱連盟名誉会長 - 京都新聞 2009年4月2日閲覧
- ^ 「ハーモニー」No.149 p.16
- ^ 「ハーモニー」No.95 p.80
- ^ 「ハーモニー」No.95 p.82
- ^ 「ハーモニー」No.149 p.16。ここでは終戦後の1947年に全日本合唱連盟が創設され、直後からの秋山日出夫など「戦後派」を第1世代とし、そこから新しい時代に移行した吉村などを「第2世代」としている。
- ^ 「ハーモニー」No.101 p.49
- ^ 「ハーモニー」No.105 p.65
- ^ 「ハーモニー」No.105 p.66
- ^ 「ハーモニー」No.101 p.50
- ^ 「ハーモニー」No.100 p.25