海鷹 (空母)
海鷹 | |
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基本情報 | |
建造所 | 三菱重工業長崎造船所[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 航空母艦 |
母港 | 横須賀 |
艦歴 | |
起工 | 1938年2月5日 |
進水 | 1938年12月9日 |
竣工 | 1939年5月31日(「あるぜんちな丸」として)[1] |
就役 | 1943年11月23日空母へ改造完了[1] |
最期 |
1945年7月24日触雷 のちに擱座、船体放棄 |
除籍 | 1945年11月20日[1] |
その後 | 1948年1月31日解体完了[1] |
要目(特記無きは計画) | |
基準排水量 |
計画:15,400英トン[2] 13,600英トン[注釈 1] |
公試排水量 |
計画:17,300トン[2] 16,700トン[注釈 1] 最終時:16,748トン[3] |
満載排水量 | 計画:18477.10トン[4] |
全長 | 166.55m[2] |
水線長 | 159.59m[2] |
垂線間長 | 155.00m[2] |
水線幅 | 21.90m[2] |
深さ | 22.80m(飛行甲板まで)[2] |
飛行甲板 | 長さ:160.0m x 幅:23.0m[2]エレベーター(13x12m)2基[5] |
吃水 |
公試平均:8.25m[2] 満載平均:8.68m[2] |
ボイラー | ロ号艦本式缶x4基[6] |
主機 | 艦本式タービン2基[6] |
推進 | 2軸 x 340rpm、直径:3.900m[6] |
出力 |
計画:52,000shp[2] 公試成績:52,510shp[7] |
速力 |
計画:23.0ノット[2] 公試全力 23.82ノット[7] |
燃料 | 2,500トン[2] |
航続距離 |
計画:7,000海里/18ノット[2] 公試成績:8,358海里/18ノット[7] |
乗員 | 計画乗員:587名[8] |
搭載能力 |
九一式魚雷x36本[9] 250kg爆弾x96個[注釈 2]、同補用192個、60kg爆弾x192個[10] 飛行機用軽質油x150トン[4] |
兵装 |
12.7cm連装高角砲x4基[11] 25mm 3連装機銃x8基[11] 手動爆雷投下台1組[9] 九五式爆雷x8個[9] |
搭載艇 | 12m内火艇x1隻、12m内火ランチx1隻、9mカッターx2隻、13m特型運貨船x2隻[5] |
搭載機 |
計画:(常用+補用)[10] 艦上戦闘機x18機 艦上攻撃機x6機 合計24機 補用機なし |
レーダー | 竣工時:21号電探x1基、13号電探x2基[12] |
海鷹(かいよう)は、日本海軍の航空母艦[13][14]。 元は1939年(昭和14年)に竣工した大阪商船所属の客船あるぜんちな丸である[15][16]。 日本海軍が徴用および買収、最終的に軽空母へ改造した[15][17]。 海軍が定めた艦艇類別等級(別表)では、大鷹型航空母艦に属する[18][19][注釈 3]。
概要
日本海軍は空母の不足を補うために高速貨客船建造に助成金を与え、代償として有事には特設艦船に改造する計画であった[15][20]。1939年(昭和14年)6月に竣工した大阪商船所属のあるぜんちな丸も、そのなかの1隻である[21][22]。あるぜんちな丸級貨客船2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)は優秀船舶建造助成施設に基づく政府の補助を受けて南米航路の貨客船として建造された[23][15]。
1941年(昭和16年)9月、日本海軍に徴傭される[22]。太平洋戦争開戦後の1942年(昭和17年)5月1日、姉妹船2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)は特設運送船となる[24]。 直後の6月上旬、2隻は兵員輸送船としてミッドウェー作戦に参加した[25]。同海戦で日本海軍は正規空母4隻を喪失[22]。海軍は6月30日に本級2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)の空母改造を決定した(ぶらじる丸は改造直前に沈没)[26][27]。 あるぜんちな丸は同年12月9日に買収され、同月より三菱重工業長崎造船所で空母改造工事を実施[13][22]。翌1943年(昭和18年)11月23日に改造完成[13][15]。船籍も日本海軍に移り、軍艦(航空母艦)海鷹に改名[14]および航空母艦へ類別変更された[19]。
本艦を含め大鷹型航空母艦は小型・低速のため機動部隊としての戦闘には投入できず、当初は航空機輸送任務に従事した[17][28]。続いて海上護衛総司令部部隊に編入され[28][29]、日本からシンガポール方面への長距離輸送(ヒ船団)の船団護衛、または台湾、海南島への中距離輸送の護衛を行った[30]。
1945年(昭和20年)3月中旬、海鷹は呉軍港空襲で小破[13]。修理後の本艦は瀬戸内海において特攻兵器の訓練標的艦として行動した[31][注釈 4]。 同年7月24日、海鷹は四国の佐田岬沖で機雷に触雷して航行不能となり[17]、随伴していた駆逐艦夕風に曳航された後、大分県の別府湾(日出町城下海岸)に擱座した[13][31]。7月28日の空襲により大破、船体放棄に至り、終戦を迎えた[31]。 戦後、日鮮サルベージ[32]の手によって浮揚解体された。
構造
貨客船時代の構造および性能については、上記項目参照のこと。客船あるぜんちな丸時代の主機はディーゼルエンジンで、16,500馬力で21.5ノットを発揮可能だった[21][33]。航空母艦への改造時に陽炎型駆逐艦用のボイラーとタービンへ換装され[34]、約5万2000馬力で速力23ノットに増速した[15][22]。11月15日の公試では16,630トン、軸馬力52,600で速力23.7ノットを記録している[35]。
あるぜんちな丸は、全長約167.3m、幅21.6m、排水量12,755トンで、新田丸級貨客船より若干小型であった[36][37]。空母改造後の基準排水量は13,600トン、公試排水量16,700トン、全長166.55m、全幅21.90mで、新田丸貨客船改造の大鷹型航空母艦3隻(大鷹、雲鷹、冲鷹)より若干小型である[37]。飛行甲板の長さも大鷹型172mに対し160mほどだった[21][37]。さらに大鷹型含めて小型低速の空母であり、太平洋戦争中の艦上機を多数運用する事は困難であった[21][36]。カタパルトを装備した連合国軍の軽空母や護衛空母と比較して、大鷹型の航空機展開能力は非常に限定されていたのである[38]。
自衛武装として、12.7㎝(連装砲)を船体後方に4基(右舷2基、左舷2基)[34]、25mm三連装機銃を8基(右舷2基、左舷3基、艦尾2基)、船体外周各部に装備した[37][39]。昭和19年中旬、両舷に25mm三連装機銃を増備したとみられる[39]。艦後尾の両舷にも三十連装対空噴進砲4基を増設した[39][40]。飛行甲板上にも25mm単装機銃を20基ほど増備したという[34]。
海鷹の航空機搭載機数は24機(零式艦上戦闘機18、九七式艦上攻撃機6、補用機なし)[21][36]。ただし海鷹を含め大鷹型空母は実戦投入には不適であることから、航空機輸送任務もしくは船団護衛に投入された[21][39]。船団護衛空母として行動する時には、九七式艦上攻撃機を12-14機搭載[21]。数機ずつを船団の周囲に2-3時間交代で飛ばし、対潜哨戒を行った[21]。本艦の輸送および護衛任務は、太平洋戦争末期に連合国軍が南方の制空権と制海権を奪取するまで続いた。
艦歴
あるぜんちな丸
軍艦(ぐんかん)海鷹(かいよう)の前身は[14][41]、1938年(昭和13年)2月2日に三菱重工業長崎造船所で起工、同年12月9日進水、1939年(昭和14年)5月31日に竣工した大阪商船のあるぜんちな丸級貨客船1番船あるぜんちな丸である[42][43]。貨客船時代の行動詳細は、当該記事を参照のこと。
1941年(昭和16年)9月、あるぜんちな丸は日本海軍に徴傭された[22]。12月上旬、イギリスやアメリカ合衆国などの連合国との間に太平洋戦争が勃発。 1942年(昭和17年)5月1日、日本海軍は姉妹船2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)を特設運送艦と類別する[24][44]。 2隻とも横須賀鎮守府所管[45]。連合艦隊附属となる[46]。同日附で渡部威中佐が、あるぜんちな丸監督官に任命された[47]。
同月下旬より、あるぜんちな丸級2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)はミッドウェー作戦に参加[48]、他の輸送船や護衛の第二水雷戦隊及び同隊所属の駆逐艦雪風等と共に行動した[49][50]。 本海戦で、日本海軍の正規空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)が沈没する[51]。海軍は、喪失した主力空母の急速増勢を行うことを決定した[51]。 6月30日、日本海軍は昭和18年度においてあるぜんちな丸、シャルンホルスト、千歳、千代田、ぶらじる丸の空母改造を決定する[52][53]。 このうち、姉妹船ぶらじる丸は空母改造のためトラック島から日本本土に向け出港した直後の同年8月5日、アメリカ海軍潜水艦グリーンリングの雷撃により撃沈された[54][55](9月15日、除籍)[56]。
ミッドウェー海戦後、横須賀に帰投していたあるぜんちな丸は、アリューシャン攻略作戦に従事する[57]。アッツ島とキスカ島の長期確保を企図し、ミッドウェー島占領のため編成されていた海軍陸戦隊を北方方面に輸送することになった[57]。6月28日、千代田艦長原田覚大佐指揮下の輸送隊(水上機母艦〈千代田〉、特設運送船〈あるぜんちな丸〉、第18駆逐隊〈不知火、霞、霰〉)は横須賀を出発する[58]。7月4日夕刻から5日未明にかけて輸送隊はキスカ島に到着、あるぜんちな丸は同島キスカ湾に入港した[58]。だが米潜水艦グロウラーの襲撃により、第18駆逐隊は霰轟沈、不知火と霞は大破航行不能(のち船体切断)という大損害を蒙った[58]。 7月10日、あるぜんちな丸は軽巡洋艦阿武隈(同日夜まで)と駆逐艦電(第6駆逐隊)と共にキスカ湾を出発[59]。7月15日、2隻(あるぜんちな丸、電)は横須賀に戻った[59]。
同年12月9日、渡部中佐(あるぜんちな丸監督官)は横須賀鎮守府附となる[60]。12月20日、三菱長崎で空母への改造作業に着手[13][61]。仮称艦名第1005号艦[15][44]。貨客船時代のディーゼルエンジンを、駆逐艦用の蒸気タービン機関に換装する大工事となった[41]。
1943年(昭和18年)2月、空母へ改造中の3隻(千代田、千歳、あるぜんちな丸)は、臨時に戦時編制から除かれることになった[62]。 11月23日、工事完成[44][63]。日本海軍はあるぜんちな丸を軍艦(ぐんかん)海鷹(かいよう)と改名した[14]。遠藤昭によると、候補艦名として蒼隼があったという[64]。 大鷹型航空母艦に類別[19][65]。横須賀鎮守府籍[66]。連合艦隊附属[61]。高尾儀六大佐(前職、水上機母艦秋津洲艦長)[67]が海鷹艦長に任命された[68]。
軍艦 海鷹
海鷹が竣工する直前の1943年(昭和18年)11月15日、日本海軍は海上交通保護および対潜掃蕩を主任務とする海上護衛総司令部を設置した[69][70]。 主要職員は、司令長官及川古志郎海軍大将、参謀長島本久五郎少将、首席参謀後藤光太郎大佐、作戦参謀大井篤中佐等[71][72]。 12月15日、日本海軍はシーレーン防衛飛行隊として第九〇一海軍航空隊(司令上田俊二中佐)を編成した[73][74]。また同日附で大鷹型空母3隻(大鷹、雲鷹、海鷹)は海上護衛総司令部部隊(附属部隊)に編入[75][76][77]。 12月20日附で空母神鷹(元ドイツ貨客船シャルンホルスト。12月15日竣工)も海上護衛総司令部部隊に編入された[75][78]。だが海上護衛総司令部部隊は大鷹型空母4隻(大鷹、雲鷹、海鷹、神鷹)を揃えたものの[79]実際に活動する準備が出来ておらず[注釈 5][80]、3隻(海鷹、神鷹、雲鷹)は連合艦隊の指揮下に入り航空機輸送任務に投入された[81][82]。最初の任務は、第二十三航空戦隊の南西方面輸送任務である[83]。
1944年(昭和19年)1月8日、空母2隻(神鷹、海鷹)、吹雪型駆逐艦3隻(電、響、薄雲)はシンガポールに向け内海西部を出発したが、神鷹の機関故障[30][84]により佐伯市(大分県)に仮泊した[85][86]。 神鷹は呉に回航され[87]、シンガポールには3隻(空母〈海鷹〉、駆逐艦〈電、響〉)のみが向かった[88][89]。 1月12日に佐伯を出発後[89]、16日にマニラ到着[61]。18日に出発[61]。21日、3隻(海鷹、電、響)はシンガポールに到着した[90]。同地で艦上攻撃機天山21機[41]もしくは26機(第五五一海軍航空隊)を搭載する[91][92]。天山は飛行甲板に固縛された[91]。五五一空主計長の門司親徳主計大尉は、ミッドウェー作戦時に呉鎮守府第五特別陸戦隊主計長としてあるぜんちな丸に乗船しており、貨客船時代との違いに驚いている[91]。
1月31日、3隻(海鷹、電、響)はシンガポールを出発[92][93]。2月3日-4日はタラカン(タラカン島)[91]、2月7日-8日はパラオ滞在、2月11日にトラック泊地に到着した[61][94]。ただちに天山を陸揚げする[41][95]。2月13日[92]、海鷹はトラック泊地を出発[61][95]。だが本艦が輸送した天山は、2月17日以降のトラック島空襲で破壊されてしまった[41][96]。3隻(海鷹、電、響)はサイパンを経由し、2月20日に呉へ戻った[92][97]。同日附で、海鷹は連合艦隊の作戦指揮下を離れる[97]。
当時、連合艦隊はメジュロ環礁(マーシャル諸島)を根拠地とするアメリカ海軍機動部隊に対し、奇襲攻撃を計画していた(雄作戦)[98][99]。日本海軍の保有空母13隻全力(大鳳〈3月7日、竣工〉、翔鶴、瑞鶴、隼鷹、飛鷹、龍鳳、瑞鳳、千歳、千代田、大鷹、雲鷹、神鷹、海鷹)を投入する大規模作戦である[98][99]。本作戦において、大鷹型は各艦零戦24機を搭載予定だった[98]。だが3月下旬の海軍乙事件で連合艦隊司令長官古賀峯一大将遭難、福留繁参謀長捕虜という事態により、立ち消えとなった[98][99]。
その頃、着艦訓練を終えた海鷹は[100][101]、3月17日附で第一海上護衛隊に編入されていた[82][102][103]。 第九三一海軍航空隊の九七艦攻12機を海鷹に搭載[104][105]。 海鷹の護衛空母としての初任務は[106]、ヒ57船団である[107][108]。 この船団はタンカー8隻と陸軍特殊艦神州丸[107][30]の合計9隻から成り[109]、護衛艦艇は7隻(空母〈海鷹〉[110]、海防艦〈択捉、壱岐、占守、第8号、第9号〉、水雷艇〈鷺〉)であった[111][112][113]。 4月3日午前6時[113]、ヒ57船団は六連泊地(山口県関門海峡沖合)を出撃[108][114]。 4月16日、シンガポール(昭南)に到着[109][110]。改めてヒ58船団となり、5隻(海鷹、択捉、壱岐、占守、第9号海防艦)は加入船舶7隻を護衛して4月21日に昭南を出発[115][113]。5月3日、門司に帰還した[36][116]。瀬戸内海回航後に呉海軍工廠で入渠、修理を行う[117][118]。
5月下旬、海鷹は二回目の船団護衛任務に従事する[30][119]。 5月29日、第七護衛船団司令官松山光治少将は香取型練習巡洋艦3番艦香椎に乗艦[119]、空母海鷹、海防艦(淡路、千振、19号)[118][120]、駆潜艇60号、敷設艇燕、陸軍特殊艦神州丸と油槽船11隻からなるヒ65船団を指揮して日本本土(北九州門司港)を出撃、シンガポールへ向かった[116][121]。 火焼島沖合を航行中の6月2日午前2時45分[122]、米潜水艦ギターロ (USS Guitarro, SS-363)[105][123]の雷撃で海防艦淡路が沈没した[121][124]。続いて回避行動中に貨客船有馬山丸と神州丸が衝突[123]。神州丸は搭載爆雷の誘爆で大破、香椎は神州丸を台湾基隆市まで曳航した[123][125][126]。 6月11日(12日とも)[123][127]、ヒ65船団はシンガポールに到着[121][128]。帰路のヒ66船団(軍艦〈香椎、海鷹〉、海防艦〈千振、7号、11号〉、護衛対象4隻)は6月17日にシンガポールを出発[129][130]。損傷艦なく6月26日に門司へ帰投した[127][131]。
7月上旬、2隻(香椎、海鷹)は呉海軍工廠で修理を行う[132]。 7月中旬、海鷹はフィリピンへの輸送作戦に参加[133][134]。門司出航のヒ69船団に加わる[135][136]。同行する空母3隻(大鷹、海鷹、神鷹)のうち対潜哨戒機を搭載していたのは神鷹のみである(神鷹も雷電を輸送)[137][134]。大鷹と海鷹は航空機輸送艦として、零戦95機、艦爆彗星1機、艦攻天山5機、局地戦闘機雷電10機、夜間戦闘機月光9機を輸送した[138][139]。 ヒ69船団旗艦は練習巡洋艦香椎(指揮官、第五護衛船団司令官吉富説三少将)[140]、護衛部隊は6隻(香椎、神鷹、千振、佐渡、第七号海防艦、第十七号海防艦)[135]。 7月13日-14日、ヒ69船団は北九州を出撃[135][141]。7月18日[142]、第十七号海防艦が米潜水艦タイルフィッシュ (USS Tilefish, SS-307)[139]の雷撃で中破[136]、高雄市(台湾)に回航された[105][143]。 他に被害はなく[135]、20日にマニラ(フィリピン)到着[144][145]。ここで輸送用航空機を陸揚げした大鷹と海鷹は、神鷹と分離[139]。神鷹はヒ69船団としてシンガポールに向かった[146][147]。大鷹はヒ68船団として帰投した[148][149]。
一方、海鷹はマモ〇一船団(空母〈海鷹〉、輸送船〈浅間丸、護国丸〉[150]、護衛艦艇〈駆逐艦秋風〔第30駆逐隊〕、駆逐艦初霜〔第21駆逐隊〕[151]、掃海艇28号、駆逐艦栂〉)として[152]、7月25日にマニラを出発[153][154]。 27日、マモ〇一船団は高雄(台湾)に到着[155][156]。ここで秋風はマニラへ戻った[157]。 マニラ滞在中の7月29日、高尾大佐(海鷹艦長)は呉鎮守府附となる[158]。北村昌幸大佐は臨時海鷹艦長に任命された[158]。 7月31日、マモ〇一船団は高雄を出発[159]。航海中の8月1日、有田雄三大佐は海鷹艦長に補職される[160]。8月3日、船団は九州に到着[161][162]。海鷹は呉に到着[148]。機関故障修理のため、ただちに呉海軍工廠に入渠した[163][164]。8月から10月中旬にかけて、呉海軍工廠で整備と修理に従事した[164][165][166]。
10月17日、海鷹は連合艦隊の指揮下に入る[167][168]。空母2隻(龍鳳、海鷹)は台湾沖航空戦に伴って損害を受けた高雄市(台湾)の航空廠や、各航空部隊向けの資材を輸送することになった[169][170]。 部隊指揮官は有田雄三大佐(海鷹艦長)[171][172]。 10月25日、緊急輸送部隊(空母〈海鷹、龍鳳〉、松型駆逐艦〈桃、梅、樅、榧〉)[172]は佐世保を出撃[61][173]。27日[61]、基隆に到着[174][175]。物資を揚陸し、帰路はアルコールや砂糖(燃料用)を積載[169]。30日に基隆を出発[173][176]。11月1日-2日、艦隊は無事に内地に到着[173][177]。それぞれ原隊に復帰した[178][179]。 11月21日まで、海鷹は呉海軍工廠で修理と整備を行う[180]。
11月下旬、海鷹は最後の護衛任務に従事する[31][181]。11月25日、北九州を出撃[182][183]。護衛艦艇(空母〈海鷹〉[182]、駆逐艦〈夕月、卯月、檜、樅、榧〉[184]、海防艦[185][186]〈第25号、第35号、第63号、第64号、第207号〉)[187]、貨物船5隻とタンカー3隻、他2隻から成るヒ83船団を護衛してシンガポールに向かった[31][181]。 11月30日、第九三三海軍航空隊基地物件搭載の第30駆逐隊(夕月、卯月)は分離して馬公市に向かう[183][188]。海鷹含めヒ83船団は高雄市に到着[182][187]。 12月1日、高雄市でマニラ行きの駆逐艦と貨物船を分離する[181]。12月3日朝、第六十四号海防艦は米潜水艦パイプフィッシュ (USS Pipefish, SS-388) に撃沈された[181][189]。 航海中の12月10日、海鷹は第一護衛艦隊に編入される[190]。 12月13日、海鷹以下ヒ83船団はシンガポールに到着[61][31]。同地では、損傷した妙高型重巡洋艦と遭遇した[169]。有田艦長は羽黒と回想しているが[169]、同艦は12月25日に僚艦妙高を曳航してシンガポールに到着している[181]。 12月26日、ヒ84船団はシンガポールを出撃[138][31]。1945年(昭和20年)1月4日、香港到着[61]。翌日出発[61]、1月13日に門司に到着した[31][181]。その後は、艦載機や燃料が枯渇してきた上に制海権が連合国軍に握られたこともあり大規模船団は運航停止に追いこまれ、海鷹は瀬戸内海で標的艦(目標訓練艦)となった[138][181]。
座礁および解体
1945年(昭和20年)3月15日、有田雄三大佐(海鷹艦長)は海軍水雷学校教官へ転任[191]。後任の海鷹艦長は、国府田清大佐(当時、海軍運輸本部総務課長)[191]。だが国府田大佐はしばらく着任できず、引き続き有田大佐が艦長として指揮をとった[192]。 3月19日、アメリカ海軍機動部隊艦載機は呉軍港(呉市)を空襲する。海鷹は雲龍型航空母艦2隻(天城、葛城)附近に停泊しており[193]、飛行甲板を貫通した爆弾1発が海面で炸裂[194]。戦死者3名[194]。重油タンクや左舷機械室に浸水する被害を受けた[169][194]。 比較的損傷の小さかった海鷹は、他の残存空母(龍鳳、鳳翔、天城、葛城)と共に飛行甲板に植物を置くなどの偽装を行った[192][195]。3月28日、呉鎮守府護衛部隊に編入[195]。
4月20日、海鷹は連合艦隊附属となる[130][196]。呉海軍工廠で入渠修理を実施[192][197]。その後、伊予灘(瀬戸内海西部)にあって、雷撃機や特攻兵器(桜花、回天)の目標艦(標的艦)として行動した[192][197]。 5月15日、国府田清大佐(海鷹艦長)は呉鎮守府出仕となる[198]。後任の海鷹艦長は大須賀秀一大佐(当時、空母鳳翔艦長)[199]。
7月18日、海鷹はアメリカ軍のB-29が空中投下した磁気機雷に触雷して損傷、別府湾に引き返した[200]。 7月24日、米海軍機動部隊艦載機の空襲時も、対空砲火と回避行動によって被害なく切り抜ける[192][201]。だが夕刻になり別府湾を出発したところ、再び磁気機雷が起爆[138]。舵破壊と機関部損傷により航行不能となる[201]。駆逐艦夕風に曳航され、翌日には別府近郊の日出湾に座礁した[201]。7月28日、米軍機動部隊艦載機の空襲を受ける[192]。直撃弾3発、戦死者約20名[202]。発電機が損傷して排水ポンプが作動せず、浸水が増大[203]。完全に着底した[204]。また排気ファンの停止により艦内の環境も悪化、船体放棄に至った[202]。
8月15日(終戦の日)、大須賀大佐(海鷹艦長)は横須賀鎮守府附となる[205]。同日附で海鷹は第四予備艦に指定された[206]。
戦後、座礁現場で解体された[15]。
年表
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
公試成績
日本空母物語p.324による。
年月日 | 種別 | 排水量(トン) | 速力(ノット) | SHP | rpm |
---|---|---|---|---|---|
1943-11-08 | 過負荷全力(10.5/10) | 16,921 | 54,930 | 340.4 | |
1943-11-08 | 公試全力(10/10) | 16,958 | 23.82 | 52,510 | 335.2 |
1943-11-15 | 終末公試(10/10) | 16,629 | 23.72 | 52,640 | 334.7 |
歴代艦長
※脚注なき限り『艦長たちの軍艦史』74-75頁、『日本海軍史』第10巻の「将官履歴」に基づく。
特設運送船あるぜんちな丸
監督官
軍艦海鷹
艦長
- 高尾儀六大佐[68]:1943年11月23日[68]-1944年7月24日[158]
- (臨時)北村昌幸大佐[158]:1944年7月24日[158] - 1944年8月1日[160](本職:第一海上護衛隊運航指揮官)
- 有田雄三大佐:1944年8月1日[160] - 1945年3月15日[191]
- 国府田清大佐:1945年3月15日[191] - 1945年5月1日[198]
- 大須賀秀一大佐[199]:1945年5月1日[199] - 1945年8月15日[205]
参考文献
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- 牧野茂、福井静夫/編 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
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- 森山嘉蔵『終焉の夏が逝く 歴戦の空母「海鷹」の青春』元就出版社、2004年7月。ISBN 4-86106-011-7。 著者(海鷹操舵員)の体験を元にした小説。
- 横井俊之ほか『空母二十九隻 日本空母の興亡変遷と戦場の実相』潮書房光人社、2016年2月。ISBN 978-4-7698-1611-9。
- 元三十五突撃隊・海軍二等兵曹・艦艇研究家正岡勝直『鷹型ミニ空母五隻が辿った薄幸の生涯 客船改造の大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹の船団護衛と潜水艦との戦い』
- 『悲運の護衛輸送空母たちの航跡』より、元「海鷹」甲板士官・海軍中尉徳富敬太郎『日本最少空母「海鷹」の終焉』
- 戦史研究家伊達久『日本海軍航空母艦戦歴一覧 伊吹および雲龍型未成艦をふくむ空母二十九隻の太平洋戦争』
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脚注
注釈
- ^ a b #海軍造船技術概要p.295。ただし、次頁で計画値に改められている
- ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.31では25番爆弾36個になっているが、戦後複写版では35個になっている。
- ^ 便宜上、日本海軍が商船改造空母を『大鷹型』に分類したものであり、実際の同型艦は3隻(大鷹・雲鷹・冲鷹)
- ^ 別府湾内では人間魚雷回天の訓練基地・大神基地があった関係で、回天が唯一空母を標的艦として訓練を実施している
- ^ 海鷹と神鷹は竣工したばかり。大鷹は前年9月に被雷して大破、修理中。
出典
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- ^ a b c d e f g h i j k l m n 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.4
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- ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.56。ただし、同書p.4では計画の満載排水量を18,478トンとしている
- ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.46
- ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.35
- ^ a b c #日本空母物語p.324
- ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.42
- ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.12
- ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.31
- ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.8
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- ^ a b c d e f g h i 日本空母物語324-326頁『海鷹』
- ^ #叢書46海上護衛戦378頁『海鷹(旧名あるぜんちな丸)』
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