長江三峡下り
長江三峡下り(ちょうこうさんきょうくだり)は、「三峡」が他にもあるが単に「三峡下り」ともいい、長江の中流、特に長江三峡を船で下ることである。
三峡下りの歴史
古くから行われてきた。
現地発の三峡下り
現代の現地発の代表的な観光では、三峡下りは通常重慶市が出発点で、朝天門埠頭(朝天門)あたりで観光船に夕方乗船して、4泊5日だと次のような観光地を船から見たり、一時下船して観光したりして、湖北省宜昌市が終点になる。 [1]
- 重慶市朝天門埠頭で乗船 - 夜間乗船では夜景が美しい
- 豊都で一時下船して「豊都鬼城」を観光
- 石宝塞で一時下船して観光 - しばしば夜間になるのでスキップ
- 奉節(三峡ダムに沈んだ家の人たちの大ビル群の町)で下船して白帝城を観光
- 瞿塘峡を船上で見る
- 巫山で中型船に乗り換えて小三峡を船から見て、さらに小さな船に乗り換えて小々三峡を船から見る
- 巫峡を船から見る
- 巴東長江大橋の下を通過 - 中国G209国道(China National Highway 209、フフホト市~巴東~北海市)の斜張橋 [2]
- 西陵峡を船から見る - 夜間に通過する場合もある
- 三峡ダムの5段ロックゲートを通過する様を船上で見る - この日は三峡ダム見学なので未明のこととなる
- 三峡ダム下で下船し、壇子嶺という小山へ登り三峡ダムとダム湖と二列の(下り・上り)5段ロックゲートを見下ろす
- 黄梅峡を船上で見る
- 宜昌市の葛洲ダムの手前で終点、下船
近隣諸国からのツアー
なお、日本からのツアーでは全体で6泊7日で[3] [4]、三峡下りの前に重慶市を観光し、川下りでは上の現地発の三峡下りに
を追加して、黄梅峡の後は
- 葛洲ダムを通過
- 宜昌市内の主要埠頭で終点、下船
さらに荊州市を観光して、武漢市を観光して帰国するようにしている。
その他の三峡下りツアー
宜昌市からさらに下って、赤壁を見て、武漢まで行く船もあれば、さらに下って南京・揚州・上海まで行く船もある。 [5]
三峡上り
長江を下った遊覧船は元の港へ遡る必要があり、長江を遡る「三峡上り」ともいうべきツアーも盛んにおこなわれている。[6]上りは下りよりツアー日数が1日以上多く必要になる。
写真アルバム
(長江の上流から下流へ)
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重慶では長江が手前左から右へ流れ、出発点は長江の向こう岸の朝天門埠頭
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豊都で一時下船して、「豊都鬼城」(道教と仏教の社寺)を見学
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三峡ダム完成後の石宝寨
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奉節の埠頭で [7] 一時下船して白帝城へ移動
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バスにも乗って、白帝城入り口へ
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瞿塘峡の入り口・夔門(きもん)
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さらに小舟に乗り換えて馬渡河の「少々三峡」を見る
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巫峡を通る
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巫山十二峰(神女峰など)を見る
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巴東長江大橋の夜景
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壇子嶺から西へ、三峡ダムを眺める
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壇子嶺から東へ、5段ロックゲートを見下ろす
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西陵峡を通過
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葛洲ダムの閘門を下る
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宜昌市の主要埠頭
交通
三峡下り、三峡上りはそれぞれ重慶市、湖北省宜昌市(または武漢市)がおもな出発点になる。両市の間の長江添いの村には鉄道や大きな道路はなく、長江の少し北に上海~武漢~重慶~成都への国道があって、そこから山越えの地方道で結ばれていた。最近上海・成都高速道路(G42 Shanghai–Chengdu Expressway)が建設され[8]、2014年12月重慶の建設難所内(奉節~巫山)が完工して、全線が開通した。 [9]
三峡ダムの影響
長江の水は重慶市では急流だが、三峡ダムの影響で白帝城あたりではすでに停滞しているように見えて、それ以降は山に囲まれた平地の細長い湖を航行するのでしばしば退屈で、支流の小三峡・小々三峡、神女渓、神農渓でも水は停滞しているように見える。
川下りの船では
豪華船では毎晩何かしらのパーティー、乗組員による歌と踊り、操舵室の見学、船長との夕食などもある。
事故
鉄道、トラックによる陸運が発展した現在も、長江上の水運は盛んで、様々な荷船・客船が行き交い、このため衝突事故もしばしば起っている。またおもに自然災害によると思われる事故もあり、2015年6月には突風により「三峡上り」の遊覧船が転覆・沈没した東方之星沈没事故でほぼ全乗組員・乗客の400余名が死亡している。
脚注
- ^ 三峡游輪 (中国語)
- ^ 巴東長江大橋 (百度百科) (中国語)
- ^ 長江三峡クルーズ
- ^ 長江三峡クルーズ旅行・ツアー
- ^ 長江の船旅で訪れるみどころ(10泊11日の旅:重慶~上海)
- ^ Yangtze River Cruises
- ^ 三峡ダム湖底に家を失った人々のアパート群が見える。
- ^ 滬蓉高速公路 (中国語)
- ^ 滬蓉高速全線貫通 成都・武漢・重慶の三大都市が慶祝深度結合 (中国語)