フランス国立行政学院
種別 | 公立 |
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設立年 | 1945年 |
校長 | Nathalie Loiseau[1] |
職員数 | 229 |
学部生 | N/A |
大学院生 | 533人 |
所在地 |
フランス ストラスブール サント=マルグリット通り1番地 |
公式サイト |
www |
フランス国立行政学院(フランスこくりつぎょうせいがくいん、École nationale d'administration、略称はENA (エナ)[2])は、グランゼコール (Grandes Ecoles) のひとつであり、フランス随一のエリート官僚養成学校。
2019年4月、黄色いベスト運動が沸き起こり、エリート主義への民衆の風当たりが強まったことから、同校の卒業生でもあるエマニュエル・マクロン大統領によって、閉校が宣言された[3][4]。
概要
他の多くのグランゼコールと異なり、大学または他のグランゼコールを卒業後入学する高等教育機関(3e cycle:第三課程)であり、日本の博士後期課程に相当する[要出典]。
設立背景には、コーポラティズムやネポティズム(縁故主義)等の歴史的な理由があった。第二次世界大戦後1945年に設立され、歴史は浅いがフランス社会において絶大なる影響力を持っている。とりわけ政界官界において、その存在感が大きいが、フランス資本主義もエナルクが主導している。政権中枢をエナルク(Enarque、ENA卒業生)が占めていることをエナルシー (Enarchie、エナ帝国)と呼ぶ。ヴァレリー・ジスカール・デスタン以降のフランスの大統領では、フランソワ・ミッテラン[5]やニコラ・サルコジ大統領以外は全てエナルクになる。政権閣僚も、サルコジ政権以外ではエナルクによる高い占有率が見られる。
合格者の多くは、グランゼコールの一つであるパリ政治学院の卒業生によって占められている。
1991年にストラスブールのサント=マルグリット通り (rue Sainte-Marguerite) 1番地に移転後も、およそ10年間、パリ7区の創設の地、サン=ペール通り (rue des Saints-Pères) 56番地、及び同区ユニヴェルシテ通り (rue de l'Université) 13番地にも校舎があった。
ENAストラスブール校には毎年、選抜試験により、初期養成コースに90人から120人の学生を受け入れており、また学生の中には、一般的マスター、専門的マスターの学生、そして120名の留学生がいる。パリ校 (6区オプセルヴァトワール通り2番地、2 avenue de l'Observatoire) では、2500人以上の公務員や経営者幹部などが短期間の生涯学習粋で登録している。
役割
養成
この学校は、実力ある学生たちを受け入れ、この学校出身者は、フランスの高等公務職の地位に就く権利を有する。また一般的に、国家公務の中心の貴重なキャリアを保障される。俗に「エナ帝国」などと呼ばれたりする所以である。
研究
ENAはまた、行政学研究の役割を次のように担っている。
- 公職における主な争点について、一連した討議の展開
- 現在検討されている諸問題における、エナ学生の研究への助成
- 海外の行政システム比較を推進
海外交流
1945年の設立以来、ENAはその二つの国際課程の中で、2000人以上の各国からの留学生を卒業させた。 各学年は80〜100人当たりのフランス人学生につき、30〜40人余りの30ヶ国に及ぶ外国人留学生を抱え、同一の養成がなされる。
ENAはいくつかの国とパートナーシップを結んでいる。また、学校間や国家間の援助協定を結んでいる(マグレブの国々、中国、ポーランド、タイ、シリアなど)。協定などにより、行政管理や公的管理運営についてのエンジニア講習を行っている。日本からも外務省、財務省、経済産業省、警察庁、国土交通省、農林水産省などから新人官僚が定期的に留学している。
著名な出身者等
60年前の創立以来、ENAは5600名のフランス人と2600名の外国人を世に出した。
- 大統領
- ヴァレリー・ジスカール・デスタン(元フランス大統領)
- ジャック・シラク(元フランス大統領)
- フランソワ・オランド(元フランス大統領)
- エマニュエル・マクロン(現フランス大統領)
- 首相
- リオネル・ジョスパン(元フランス首相)
- アラン・ジュペ(元フランス首相)
- エドゥアール・バラデュール(元フランス首相)
- ミシェル・ロカール(元フランス首相)
- ローラン・ファビウス(元フランス首相)
- ドミニク・ドビルパン(元フランス首相、元フランス外務大臣)
- エドゥアール・フィリップ(現フランス首相)
- その他
- ジャック・アタリ(ミッテラン元大統領顧問)
- エリザベート・ギグー(元フランス法相)
- ジャン=ベルナール・レイモン(元フランス外務大臣)
- ジャン=クロード・トリシェ(欧州中央銀行総裁、フランス銀行総裁)
- アラン=ピエール・レノー(現日産自動車常務)
- ユベール・ヴェドリーヌ(元フランス外務大臣)
- エルヴェ・ド・シャレット(元フランス外務大臣)
- パスカル・ラミー(元欧州委員会貿易政策担当委員、現WTO事務局長)
- ミシェル・カムドシュ(元IMF専務理事)
- アントワーヌ・ヴェイユ(財政監察局財政監査官などの高級官僚、シモーヌ・ヴェイユ (政治家)の夫)
- シモン・ノラ(財政監察局財政監査官などの高級官僚、元首相秘書官)
- ドミニク・ペルベン(元フランス海外領土大臣)
- クララ・ゲマール(現対フランス投資庁長官)
- エルヴェ・ゲマール(元経済・財政・産業大臣)
- ヴァレリー・ペクレス(現イル=ド=フランス地域圏知事, 2015年- 、元経済・財政・産業大臣, 2011-2012年)
- ミッシェル・サパン(元経済・財政・産業大臣, 2014-17年)
- ベルナール・ド・モンフェラン(駐日フランス大使)
- フィリップ・セガン(会計検査院院長、元フランス社会大臣)
- アラン・リシャール(元フランス国防大臣)
- フランソワ・アスリノ(財務上級監査官、人民共和連合の創設者兼党首)
- マルティーヌ・オブリー(元フランス労働大臣)
- フルール・ペルラン(元フランス文化・通信大臣)
- セゴレーヌ・ロワイヤル(2007年フランス大統領選候補者)
- シルヴィ・グラール(元フランス軍事大臣)
- フロランス・パルリ(現フランス軍事大臣)
- 海外
- テア・ツルキアニ(ジョージア法相)
- アドリー・マンスール(2013年エジプト暫定大統領)
- ヘンリク・シュミーゲロー(駐日ドイツ大使)
- 日本
- 内海孚(財務官、大蔵官僚)
- 村田吉隆(国家公安委員長、衆議院議員、大蔵官僚)
- 片山さつき(参議院議員、大蔵・財務官僚)
- 古澤満宏(IMF副専務理事、財務官、大蔵省理財局長)
- 伊吹迪人(通産研究所次長、通産官僚)
- 古田肇(岐阜県知事、通産・経産官僚)
- 八幡和郎(評論家、通産官僚)
- 羽藤秀雄(特許庁長官、通産・経産官僚)
- 高橋文明(駐スペイン大使)
- 小田部陽一(ジュネーヴ国際機関政府代表部大使)
- 鈴木庸一(駐フランス大使)
- 西村篤子(駐ルクセンブルク大使)
- 桂誠(駐フィリピン大使)
- 山田文比古(東京外国語大学教授、外務官僚)
- 川田晃(国際刑事警察機構警察局長、皇宮警察本部長)
- 安藤隆春(警察庁長官)
- 北村滋(国家安全保障局長、内閣情報官)
脚注
- ^ La diplomate Nathalie Loiseau a été nommée mercredi 3 octobre 2012 en Conseil des ministres directrice de l'Ecole nationale d'administration (ENA), devenant ainsi la deuxième femme à diriger la prestigieuse école qui forme les hauts fonctionnaires
- ^ 田中素香『ユーロ危機とギリシャ反乱』岩波書店、2016年、142頁。ISBN 978-4-00-431586-5。
- ^ “Unconvinced by Macron's promises, Yellow Vests keep up the pressure” (英語). France 24 (2019年4月27日). 2019年5月13日閲覧。
- ^ “母校を生贄!「エリート」マクロンの反エリート主義 窮地のマクロンが超名門「国立行政学院」の廃止を宣言するまで” (日本語). JBpress (2019年5月15日). 2019年6月24日閲覧。
- ^ 但し、ミッテランは第二次世界大戦前にパリ政治学院(シアンスポ)の前身校出身、なおかつ当時エナは未だ設立されていなかった。