若原雅夫
わかはら まさお 若原 雅夫 | |
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生年月日 | 1917年1月1日(107歳) |
職業 | 俳優 |
若原 雅夫(わかはら まさお、1917年1月1日 - )は、日本の俳優。
経歴
幼少期
出身地は東京市牛込区。1917年1月1日生れ。 児玉家の姉の次に生まれた長男としての誕生は、一家の大きな喜びとなり、父は『生命長く、男として立派なものになるように』との願いから『稔』と命名。
家業は映画館経営。東京、北海道小樽市、福島県郡山市などで経営。そのため、幼児の時から映画に興味を覚え、父が経営する映画館で、映画を観ることに親しんだ。小樽には4歳まで生活し、そのあと福島県郡山市を経て、7歳の時、学校へ入るため再び上京し、以後、学生時代を東京の学校で過ごした。[1]
学生時代 - 新興キネマ
府立二中から早稲田第一高等学院に入学。在学中、新興キネマで俳優募集をしていたので、友人二人と共に応募して若原だけが合格。俳優学校で一年間の研修期間を経て、昭和11年、新興キネマに正式入社する。その時の講師に千旦是也、菅井一郎がいた。仕事は未だエキストラの役であったが、撮影所の仕事の方が面白くなり、学校は自然退学した。[1]
入社して半年目に召集されたが、15年の春、鎖骨を損傷して除隊となる。再びスタジオの門をくぐり、既知の脚本家と監督に出会い、二人の熱心な勧めで俳優を続けることに。その時、芸名を『若原雅夫』とした。由来は,早稲田野球部の人気選手、若原投手より『姓』を、新興で世話になった今村正夫氏の名をアレンジして『雅夫』とし、若原雅夫の誕生となる。[2]
新興キネマ - 大映時代
新興キネマについて
1940年代まで映画制作をつづけ、のちに大映となった新興キネマについて。
『新興キネマ モダニズム篇』(立花忠男著『新興キネマ(現代劇)の歴史』4頁より ワイズ出版)によると、『新興キネマは日活と共に統合されて大映となる。そして経営不振の帝国キネマに松竹が資本を投入して発足した会社。現代劇は昭和17年(昭和17年)の戦時下の映画企業統制により、日活の制作部門大都との統合で大映になるまで続いた。現代劇は大泉撮影所で稼働されるようになり、昭和16年ごろには、若原雅夫、宇佐美淳などが主演俳優として売り出された。浦辺粂子、菅井一郎、山路文子、河津清三郎などの中堅が脇を固める陣容であった。昭和10年の第一回作品『国境の町』から、昭和16年まで、277本の作品が制作された』とある。[3]
新興キネマ入社後の初出演映画は、1940年2月、真山くみ子の相手役として主人公に抜擢された『荒野の妻』で、初出演初主役として評判となった。新興キネマに所属中の約2年2か月間、21本の映画に出演。その後大映に代わってからは、『誰か故郷を想わざる』『南進女性』『真人間』『南国絵巻』『愛の花束』『春遠からじ』『母よ嘆く勿れ』などに、主役、準主役で出演した。
更に、大映時代では『風雪の春』、『別れも楽し』、戦中最後の映画『最後の帰郷』。一方、戦後最初の出演映画で、且つ、戦後初の日本で初めて接吻のシーンを描いた話題作『或る夜の接吻』、『修道院の花嫁』、『花咲く家族』、『君かと思ひて』などに主演。以後、『土曜夫人』、昭和初期に繁栄していた製糸産業の内部問題として女性の生き方を取り上げた『時の貞操』、『誰に恋せん』では、水戸光子、原節子、高峰三枝子と組んで、品格のある二枚目としての評価が定着し、着実にスターの道を登って行った。
松竹時代
高峰は1948年、上原謙と『懐かしのブルース』で共演した。映画はこの後も音楽映画として続く予定だったが、上原が松竹を退社したため、高峰は、次回作『別れのタンゴ』の相手役を誰にするかマネージャーと相談して、前年に『誰に恋せん』で共演した大映スターの若原を引き抜くことにした。この映画も、映画、レコード共にヒットしたので、翌年に予定していた『想い出のボレロ』、さらに『情熱のルンバ』と、コンビが続いた。
若原は 昭和24年(1949年)、5年契約で松竹の専属となり、作品に恵まれて、年間10数本の映画に出演。高峰三枝子との共演では『別れのタンゴ』『情熱のルンバ』など音楽映画3作、永井隆のベストセラー『長崎の鐘』、木下恵介監督がパリ滞在中に学んだ前衛作品に影響された『カルメン純情す』、三島由紀夫の話題作『夏子の冒険』、中村登監督の『旅路』などが評判を得た。
永井隆のエッセイの集大成である、『長崎の鐘』は、10数冊に及ぶエッセイに綴られ、自らの体験を基に、原爆で大きな被害を受けた様子がまとめられている物語。エッセイは、当時のGHQに戦場の悲惨さと戦争非難が描かれているとして、何度もクレームをつけられながら修正したり、難題を克服して、49年に完成。遂に出版が許可された。映画は、1950年、松竹が永井の亡くなる10ヶ月前に『長崎の鐘』として完成した貴重な作品。
映画で若原は永井隆を演じた。原爆が投下された長崎の様子、最愛の妻を失い、自身も大学で研究中に被爆。その中で、結核予防のために学生や長崎市民等に行ったレントゲン撮影。更に、放射能による自身の『白血病』との闘いの中で、人類愛に満ちた生涯を送った本人を好演した。
1940年代から50年代に掛けて映画主題歌が全盛に
1940年代から50年代に掛けて、映画主題歌が流行歌として毎日ラジオから流れた。若原の映画も例外ではなく、今でも多くの映画の主題歌が『懐かしのメロディー』として、親しまれている。その主題歌には、映画『長崎の鐘』と同名で藤山一郎が、『誰か故郷を思はざる』は、初め歌が大ヒット。その評判を得て大映が映画化の権利を獲得して製作。映画も同じ題名で、霧島昇が歌っている。『宵待草恋日記』の『宵待草』(映画には出演していないが、高峰三枝子が同名の歌を歌ってヒットした)。『或る夜の接吻』に出演した奈良光枝の『悲しき竹笛』も大ヒットして長い間歌い継がれた。1948年に高峰三枝子が主演して歌った『誰に恋せん』と同名の主題歌、1951年に『父恋し』で共演した美空ひばりの『私は街の子』も愛唱された。
1954年以降の俳優時代
松竹を退職して1954年にフリーになってからは、佐田啓二に代表される若手の俳優との世代交代の波に押されていた。日活、東宝、東京映画、歌舞伎座などで、主に助演として出演した。その頃の映画産業は、徐々に台頭してきたテレビ映画にその座を譲ることになり、自身もテレビ出演に方針を替え、再び多くの作品に出演した。一方、若原は商業映画以外にも作品に出演している。1961年にリリースされた『昭和30年代の日本・家族の幸福 親子編』記録映画社、桜映画社、日本映画新社制作がそれである。この『家庭の幸福 親子編』は一時間以内の短い3部作を含むDVDで、その中に若原出演の『風光る日に』(55分)がある。テレビでの一度だけの放送か、一般の映画館では上映されなかったためか『長崎の鐘』のように全国的に知られていない。
【物語のあらすじ】
主人公(森田)の、戦後まもなく生まれた娘は、この世に僅か5日間しか生きられなかったが、父としてずっと我が娘を思い続けていた。15年ほど経った或る夏の日、田舎の旅館に滞在中、旅館の娘が亡くなった我が娘と同じ生年月日であることを知る。更に、その娘の父には戦時中世話になったこともあり、毎年、誕生プレゼントを送っていた。ある日、森田氏が滞在中、あるきっかけで理由が分かる。
旅館の女将と娘、それに若原演ずる泊り客との和やかな交流を描いた抒情詩のような美しい作品と評される。
出演作品一覧
映画
(題名の後の名前は配役名、" "内は映画の主題歌)
- 荒野の妻(1940年2月、新興東京) 日本画家 下田露風
- 素晴らしき喧嘩(1940年2月、新興東京) 下駄屋の倅 長谷川啓
- 誰か故郷を想はざる(1940年4月、新興東京) 銀行重役の息子 木崎誠 “誰か故郷を想はざる”
- 母の願い(1940年4月、東京新興) ボート部選手 若原
- 娘たづねて三千里(1940年5月、新興東京) 建築技師 青木二郎
- あべこべ劇場(1940年 6月、新興東京) 呉服屋 東久一
- 花嫁の喧嘩(1840年7月)、泰三の長男で医学生 小山陽太郎
- 真人間(1940年9月、新興東京) 生野英吉
- 闘ふ母(1940年10月、新興東京) 虎雄の戦友 篠崎進
- 南進女性(1940年11月、新興東京) 三男 大井順八郎
- 笑ふ父(1940年12月、新興東京)、 社員 志村政一
- 南国絵巻(1941年2月、新興東京)、 若松信吉
- 新生の歌(1941年2月、新興東京)、松波博士の門下生 江崎克己
- 母の灯(1941年6月、新興東京)、小学校教師 北崎
- 素晴らしき結婚(1941年6月、新興東京) 啓一の弟 杉山浩二
- 愛の花束(1941年7月、新興東京) 同僚 佐伯
- 北極光(1941年8月、新興東京) 艶歌師 角田座吉
- 舞ひ上がる情熱(1941年11月、新興東京) 飛田周一
- 春遠からじ(1942年1月、新興東京) 常吉の息子 次郎
- 逞しき愛情(1942年3月、新興東京) 三男 祐三
- 母よ嘆く勿れ(1942年4月、新興東京) 民の次男 隆太
- 香港攻略 英国崩るるの日(1942年11月、大映第一)
- 風雪の春(1943年3月、大映第一) 広田聡一
- 出征前十二時間(1943年12月、東京大映)
- 父子桜(1944年、3月、大映東京) 福佳教諭
- 肉弾挺身隊(1944年、9月、大映)
- 海の虎(1945年、2月、大映)
- 最後の帰郷(1945年、7月、大映) 栗原軍曹
- 別れも愉し(1945年、9月、大映)
- 犯罪者は誰か(1945年12月、大映東京) 息 太郎
- 街の人気者(1946年3月、大映東京) 岡村純造
- 或る夜の接吻(1946年5月、大映東京) 貝殻一郎 “悲しき竹笛”
- 君かと思ひて(1946年7月、大映東京) 泉
- 雷雨(1946年8月、大映東京) 山上洋介 “愛の雷雨”
- お嬢様お手を(1946年9月、大映東京) 中村博士
- 修道院の花嫁(1946年9月、大映東京) 相原
- 花嫁の正体(1947年2月、大映東京)
- 花咲く家族(1947年5月、大映東京) 徹也 キネマ旬報9位
- 女囚36号(1947年7月、大映東京) 真木刑事
- 夜行列車の女(1947年8月、大映東京) 幸田千代次
- 東京の夜(1947年9月 大映東京) 杉村順吉
- 土曜夫人(1948年1月、大映東京) 木崎三郎 “まぼろしの妻” ”すべて忘れて”
- われの泣きぬれて(1948年2月、松竹京都) 石川啄木
- 舞台は廻る(1948年4月、大映東京) 丹羽稔
- 時の貞操 前篇(1947年 6月、大映東京) 津島東三
- 時の貞操 後編
- たそがれ密会(1948年7月、 松竹大船) 清水敏夫
- 母(1948年 8月、大映東京
- 殺すが如く(1948年 9月、大映東京) 西田一平
- 誰に恋せん(1948年、10月、大映東京) 直木五郎 “誰に恋せん”
- すいれん夫人とバラ娘(1948年11月、東横) 松方専務
- 虹を抱く処女(1948年 11月、新東宝) 三津田剛
- 新妻会議(1949年1月、東横) 山井 役
- 男が血を見た時(1949年1月、大映) 北沢一郎
- ボス(1949年 2月、C・A・C)
- 麗人草(1949年3月、松竹京都) 水野弘
- 別れのタンゴ(1949年4月、松竹大船) 宮田浩三 “別れのタンゴ” ”しのび泣くブルース”
- 流星(1949年5月、新東宝) 速水恭輔
- 嘆きの女王(1949年6月、松竹大船)
- グッドバイ(1949年6月、新東宝) 多田敬太
- 悲恋模様 前篇東京編(1949年8月、松竹大船) 永門修太郎
- 大都会の顔(1949年9月、新東宝) 村川謙二
- 悲恋模様 後篇東京編(1949年9月、松竹大船)
- 真昼の円舞曲(1949年10月、松竹大船) 西条実道
- 花の素顔(1949年11月、松竹大船) 蓼真吉
- 花も嵐も(1949年12月 松竹大船) 佐貫英太郎
- 東京カチンカ娘(1950年1月、新東宝=青柳プロ)里見宏
- 宵待草日記(1950年1月、松竹大船) 竹久夢二 “宵待草”
- 想い出のボレロ(1950年4月、松竹大船) 堀江浩一 “想い出のボレロ”
- 母(1950年5月、松竹京都)
- 春の潮 前篇(1950年6月、松竹大船)
- 春の潮 後篇(1950年6月、松竹大船)
- 接吻第一号(1950年5月、松竹大船)
- 長崎の鐘(1950年9月松竹大船) 永井隆 “長崎の鐘”
- お嬢さん罷り通る(1950年10月、松竹大船) 吾妻英策
- 東京新選組(1950年11月、松竹大船) 浦島真吉
- 奥様に御用心(1950年12月、松竹大船=田中絹代プロ) 相沢良太郎
- 情熱のルムバ(1950年12月、松竹大船)宮原武治 “情熱のルムバ”
- ザクザク娘(1951年1月、松竹大船) 中川好夫
- 父恋し(1951年3月、松竹大船) 牧田雄二 “私は街の子”
- 感情旅行(1951年4月、松竹京都) 楠卓治
- 伊豆物語(1951年4月、東宝) 今田
- あゝ青春(1951年6月、松竹京都) 仙谷雷介 キネマ旬報8位
- 若い季節(1951年7月、松竹大船) 宇津木勇吉
- 東京悲歌 (1951年9月、大映) 田沼慎吾
- 南風(1951年9月、松竹大船) 濱誠一郎 “南風の唄”
- あわれ人妻(1951年11月、松竹大船) 友田浩内
- 適齢三人娘(1951年11月、松竹大船) 竹林七郎
- 牝豹の地図(1951年12月、新東宝=連合映画】西方清 “牝豹の地図”
- この春初恋あり(1952年1月、松竹大船) 原一平
- 早春二重奏(1952年3月、松竹大船) 武田壮太
- 二つの花(1952年4月、松竹大船) 池島清紀
- お景ちゃんと鞍馬先生(1952年6月、松竹大船) 馬淵章八
- 母の山脈(1952年7月、松竹大船) 西脇宏一郎
- うず潮(1952年11月、松竹大船) 杉本晃吉
- カルメン純情す(1952年11月、松竹大船)須藤一 キネマ旬報5位、”カルメン純情す”
- 情火(1952年12月、松竹京都) 梅村速水
- 夏子の冒険(1953年1月、松竹大船) 井田毅
- 夢見る人々(1953年2月、松竹大船) 伴真也
- 姉妹(1953年4月、松竹大船) 矢口一平
- 愛慾の裁き(1953年5月、松竹大船) 槙伊之吉
- 旅路(1953年7月、松竹大船) 阿多捨吉
- 南十字星は偽らず(1953年9月、新東宝) ワッテンキン
- 家族あわせ(1953年11月、松竹大船) 天知
- この太陽 第一部 暁子の巻、第二部 多美枝の巻(1954年1月、東映東京) 杉山喬太郎 “この太陽”
- 今宵誓いぬ(1954年1月、マキノ) 神崎龍一 “今宵誓いぬ”
- 美しき鷹(1854年2月、大映東京) 九里万作
- 別離(1954年3月、松竹大船) 佐貫駿一
- かくて夢あり(1954年6月、日活) 桜谷宏
- 次郎長三国志 第九部 荒神山(1954年㋆、東宝) 吉良の仁吉
- お景ちゃんのチャッカリ夫人(1954年10月、松竹大船)夫 五郎
- この子この母(1954年12月、松竹大船) 尾形誠
- お月様には悪いけど(1954年12月、日活) 桑原昭太郎
- 青春温泉夜話 湯の町椿(1955年2月、日活) 梶原
- 花のゆくえ(1955年4月 日活) 山岡昭二
- 春の夜の出来事(1955年6月、日活) 大内郷太郎
- 森繁よ何処へ行く(1956)年6月、東京映画) 芹沢
- ある女の場合(1956年8月、東宝) 細川茂也
- いで湯の姉妹(1956年11月、東宝) 原田康三
- 歌う不夜城(1957年1月、東宝) ハル子地の父 菊麿
- 忘却の花びら 完結篇(1957年 ㋆ 東宝) 庄田昭則
- 大当り三色娘(1957年7月、東宝) 板倉章太
- ドジを踏むな(1958年9月、東宝) 沢井清二郎
- 真夜中の顔(1958年9月、歌舞伎座) 遠山
- 煙突娘(1858年10月、歌舞伎座) 神山啓三
テレビドラマ
- 1958年9月 おかあさん
- 1958年12月 影のない女
- 1959年2月 春は雪にまみれてくる
- 1959年1、2、3月 裁判
- 1959年3月 青空通り
- 1959年3月 飼育
- 1959年4月 あの波の果てまで
- 1959年4 - 12月 屋根の下に夢がある
- 1959年5月 光は歌声より
- 1959年7月 黄色いカーテン
- 1959年7,8月 裁判
- 1959年8、9月 母と子
- 1959年11月 パパの秘密
- 1959年11月 寒い朝
- 1959年12月 蜘蛛の巣
- 1959年12月 現代幸福論(女の幸せについて)
- 1959年12月 子を取ろうの霊
- 1960年1月 真冬の夜の夢
- 1960年1月 お母さん(東京の宿)
- 1960年1月 大江戸の鷹
- 1960年1月 豪傑秘伝(諸岡一羽の三人の弟子)
- 1960年2月 最後の楽譜
- 1960年2月 雨の扇
- 1960年3月7&14日 赤い雪
- 1960年3月 妻女とカンガルー
- 1950年3月 お母さん(春のクリスマス)
- 1960年3月 蒼氓
- 1960年3月 まぼろし
- 1960年4月 春近き日に
- 1960年4月 契約結婚
- 1960年4月 極印
- 1960年4月 花環
- 1960年5月 源助横丁
- 1960年5月 こわれた花瓶
- 1960年6月 剣豪秘伝(秘剣虎飛崩し)
- 1960年6月 まわれ人生(純愛)
- 1960年6月 赤いすずらん
- 1960年6月 明日ある白衣
- 1960年6月 浪人祭
- 1960年6月&7月 女の四季(家出する時)
- 1960年7月 新しいBF
- 1960年7月&8月 女の四季(孤独な女)
- 1960年7月 いつでも空は澄んでいる(誘蛾灯)
- 1960年8月 人生うらおもて(臨時昇給)
- 1960年8月 死と恋と波と
- 1960年8月 パンと恋
- 1960年8月 家庭新聞
- 1960年9月 剣豪秘伝
- 1960年9月 暇すぎた罪
- 1960年10月 銀座慕情
- 1960年10月 7日 - 14日 二十三年
- 1960年10月 黄山瀬
- 1960年10月 影と実体
- 1960年10月 挿絵の女
- 1960年11月 誂えた恋
- 1960年11月 剣豪秘伝:血の果て
- 1960年12月梅樹
- 放送日或いは映画館上映日不詳 風光る日に
- 1961年1月 マダムは夜歩く
- 1961年1月 銀座の雪
- 1961年1月 雪国
- 1961年1月 オリーブ地帯
- 1961年1月 不法所持
- 1961年2月 悪人往生
- 1961年2月 ともしびの街
- 1961年3月 おかあさん あるうららかな晴れた日々
- 1961年3月 部長とその秘書
- 1961年3月 傍観者
- 1961年3月 裏長屋物語
- 1961年5月 おかあさん 若いママさん
- 1961年5月 - 6月 女が階段を上る時
- 1961年5月 指名手配 仮面の男
- 1961年6月 - 8月 ある落日
- 1961年7月 女舞
- 1961年7月 純白の夜
- 1961年9月 鬼の夜ばなし
- 1961年9月 正義の人
- 1961年10月 - 1962年3月 宗方姉妹
- 1961年11月 ある愛情
- 1961年12月 - 1962年1月 波
- 1962年1月 愛する権利
- 1962年2月 - 1962年7月 青い足音
- 1962年2月 水
- 1962年2月 お仙の家
- 1962年4月 - 1962年7月 風の視線
- 1962年4月 - 1962年6月 野望
- 1962年5月 おかあさん 匂いある花
- 1962年6月 - 1962年7月 お嬢さん
- 1962年6月 - 1962年7月 人 妻よ横にねむれ
- 1962年7月 - 1963年5月 欲ぼけ色ぼけ
- 1962年8月 人生の四季 花火馬鹿
- 1962年9月 =女= 雌しべの季節
- 1962年9月 おせっかいな季節
- 1962年9月 濁った陽
- 1962年10月 - 1962年12月 息子の縁談
- 1962年10月 愛人 愛するということ
- 1962年10月 おかあさん ある日本人の妻
- 1962年11月 - 1963年5月 あゝ美しき人ゆえに
- 1962年12月 火山湖
- 1962年12月 純愛シリーズ 冬の表情
- 1963年1月 - 1963年10月 愛のうず潮
- 1963年1月 女の園 縁むすび
- 1963年3月 ドライママ
- 1963年4月 - 1964年3月 虎の子作戦
- 1963年4月 母の初恋
- 1963年5月 美しき悪魔
- 1963年5月 おかあさん 遠い人
- 1963年6月 - 1963年11月 その影を砕け!
- 1963年6月 嫁ぐ日まで つゆ晴れ
- 1963年6月 破壊された男
- 1963年12月 二十四才の憂うつ
- 1963年12月 寒い朝
- 1964年3月 示談屋
- 1964年3月 お菊はん
- 1964年3月 彼岸花
- 1964年4月 喪われた街
- 1964年4月 朝の花
- 1964年5月 - 6月 女が階段を上る時
- 1964年6月 - 1985年1月 結婚作戦
- 1964年7月 しあわせ・はんと ズバリ答えます
- 1964年8月 復讐
- 1965年1月 巳年のふぐはよく当る
- 1965年1月 - 4月 寒い朝
- 1965年2月 - 9月 ミスター・シャネル
- 1965年3月 - 9月 泣虫小僧
- 1965年6月 母の記録 梅の木とともに
- 1966年7月 花莚
- 1966年8月 日曜日
- 1966年8月 ああ!夫婦 雲の上の夫婦
- 1966年9月 土性つ骨
- 1966年10月 夫婦百景 殴られ損
- 1966年10月 喜劇役者
- 1966年11月 ああ!夫婦 売り言葉に買い言葉
- 1967年1月 謹賀新婚
- 1968年2月 - 9月 西陣物語
- 1968年10月 - 1969年2月 若い川の流れ
- 1969年1月 - 6月 母恋横丁
- 1969年8月 - 11月 見合い恋愛
- 1970年8月 - 9月 熱砂の慕情
- 1973年4月 - 6月 結婚許しません
脚注
参考文献
- 立花忠男 編著『新興キネマ モダニズム篇』ワイズ出版、2002年1月30日。ISBN 4-89830-127-4 C0074
- 月刊『近代映画』1950年 - 1951年代。
- 月刊『大映ファン』 1940年代 - 1949年代
- 映画作品一覧
- テレビドラマ作品一覧:若原雅夫『テレビドラマデータベース』
- 永井誠一『永井隆』サンパウロ、2000年5月1日。ISBN 4-8056-6407-X
外部リンク
- 若原雅夫 Movie Walker
- 若原雅夫『テレビドラマデータベース』「テレビドラマ人名録」
- リサーチナビ “あゝ懐かしの日本映画主題歌集1”