天文館
天文館(てんもんかん)は、鹿児島県鹿児島市にある中心繁華街・歓楽街の総称。一帯は繁華街と歓楽街が隣接し、一大商業、娯楽エリアとなっている。 地元では、特に若年層を中心に天街(てんまち)という愛称で呼ばれている。
概要
天文館は鹿児島県及び南九州最大の繁華街・歓楽街であり、天文館及びその周辺には、各企業が鹿児島県及び宮崎県(いわゆる南九州地域)を管轄する支社等を設置しており、南九州地域の中心地としての機能も有している[1][2]。
天文館の中心部では、天文館本通りアーケード、天文館G3アーケード(千日通り)及び天文館電車通り(いづろ通り)が縦横に貫き、その周辺をアーケードやカラー舗装された通りが網の目状に連なる。これらの通りでは、古くからの個人商店のほか、ブティック、カフェなど洒落た店が立ち並び、またアミューズメント施設や無数の飲食店が軒を連ね、昼夜・年中を問わず多くの人で賑わう。
天文館では、アーケードがアーチ型、片屋根型を合わせて約2kmにも及び、アーケード抜きには天文館を語ることは出来ない。これは、桜島の降灰対策や、夏の強い日差しを避けるためである。
なお、天文館とは、天文館交差点や天文館通電停を中心とした繁華街・歓楽街エリア全体を指す通称であり、固有地名でないことから、その定義は非常に曖昧かつ漠然としている。したがって、地元住民の間でさえ、天文館の範囲について議論が交わされることがある。
歴史
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天文館の成立と繁栄江戸時代、第25代薩摩藩主・島津重豪が天体観測や暦の研究施設として明時館(別名「天文館」)を建設したことに由来する[2]。 明治期までは天文館一帯は薄の生える空き地も目立つような寂しい場所であったが、大正時代前期に南林寺墓地が移転し、大正時代後期から昭和初期にかけては路面電車が開通したことから、同時に鹿児島座(1918年火災により焼失)をはじめとした多数の映画館や劇場が開館した[3]。それに伴い鹿児島各地から昼夜の別なく多くの人々が押し寄せるようになり、まもなく周辺に映画客目当てとした飲屋や赤線、食堂などが自然発生的に現れた。千日町や山之口町界隈の歓楽街は、その頃に原型が形成された。 その後、山形屋呉服店が大正時代初頭に神戸以西で初の鉄筋コンクリート造の大型デパートを開業すると、その周辺の商店や町屋が次第にショッピングゾーンに変貌し、戦前には現在の街並みがほぼ完成された[3]。 現代の天文館天文館は、ショッピング・歓楽ゾーンとして地元では絶大なブランド力を持ち続けていたが、近年、九州新幹線の開業などによって鹿児島中央駅周辺や鹿児島市中南部で新興繁華街や大型商業施設が台頭した影響を受け、天文館一帯の空洞化が深刻化してきている。 特に2009年5月の三越鹿児島店の撤退は地元経済界に大きな驚きとショックを与えたが、それから約1年後の2010年4月には後継店舗として複合商業施設「マルヤガーデンズ」が開業したほか、2012年5月には全国初となる、繁華街が運営主体のシネコン「天文館シネマパラダイス」が開業するなど、天文館復活への取り組みも進められている。 空洞化傾向天文館では、以前は路地裏や地下のような動線の劣悪な場所でも空き店舗はほとんど見られなかったが、近年はアーケード内や電車通りに面した建物の1階でも空き店舗が見られるようになり、空洞化が懸念されている。 2006年10月に天文館からいったん映画の灯りが消え(2010年4月に復活)、銀行・証券会社等の統廃合により店舗ビルが取り壊され青空駐車場となる例も見られた。電車通りに面した一等地に建っていた「いわさきホテル・ザビエル450(旧:かごしま林田ホテル)」や、夜の鹿児島の顔であった千日町の「エンパイヤビル」はいずれも解体され、現在のところ明確な再開発計画はなく更地となっている(当面の間、「ザビエル450」跡地は駐車場として、「エンパイヤ」跡地はイベント広場として活用)。更に、2009年5月には天文館の核店舗の1つであった三越鹿児島店が閉店し、鹿児島市内の百貨店は山形屋本店を残すのみとなった。 天文館の歩行者通行量は、2000年から2010年までの10年間に、天文館本通りアーケードで約26%、天文館G3アーケードで約40%(いずれも週末)の大幅な減少となっており[1]、南日本新聞の記事でも2002年からの5年間で2割減少したとある。なお、天文館の空き店舗率は2011年で9.9%に上ったが、2012年には6.6%に改善している。 新たな商業地区の出現天文館では、他の地域と同様、大店立地法(まちづくり3法)による郊外の大規模商業施設やロードサイド店舗の増加による集客力の低下が起きているものと思われる。 鹿児島市は、諸般の理由により以前は県外資本の進出がさほど活発でなかったが、九州新幹線が部分開業した2004年の鹿児島中央駅ビル「アミュプラザ鹿児島」の開業や、鹿児島湾岸エリアにおける都市計画の用途地域指定緩和に伴い、中心部に近接したエリアに大型商業施設が複数開業し、天文館に影響を与えている。とりわけ2007年に鹿児島県内初、県内最大規模のイオンモール鹿児島が開業したことで、天文館、鹿児島中央駅周辺、近郊大型商業施設の間で三つ巴の集客競争が起きている。アミュプラザ開業後、天文館地区の売り上げは額およそ30%減少[4]している。 都市間競争九州新幹線が2011年3月に全線開業し、鹿児島中央駅と福岡市の博多駅の間が約1時間20分で結ばれている。相互交流や観光の面では利点が多いものの、ビジネス・商業の面で福岡市へのストロー現象が起こった場合、さらなる空洞化が懸念される。 対策・変化天文館では、九州新幹線の全線開業を見据えて、各所で再開発事業、貸ビルの建て替え、不動産流動化等が段階的に実施されており、リサイジング・店舗入れ替え・業態転換などが見受けられる。主なものとしては、山形屋の3号館増床の正式発表(その後、無期延期発表)やいづろドーム跡の再開発ビル建設、中央資本による新規ビジネスホテルの建設等があり、業種や業態によって好不況が分かれている。また近年では、中央の不動産会社による投機目的を含めた不動産取引も活発になってきている。 また、天文館の「中央地区商店街振興組合連合会(中振連)」や商店主は、ここ数年、手弁当でイベントを開催するなど地道な努力を行ってきており、2007年には中振連が中心となり、加盟する各商店会や非加盟の商店会(G3アーケードや歓楽街の通り会)、更には天文館の百貨店、大型商業施設を巻き込んだ「We Love 天文館協議会」が立ち上げられている。これは、それまで利害関係や諸般の事情により天文館全体での地域活性化に向けた取り組みが実現することはなかったが、イオンが県内最大の大型商業施設を開業するという危機感の共有が契機となってようやく実現したものである。設立当時の主な活動としては、加盟商店会のアーケードや通り沿い、店舗内や百貨店などに共通のロゴマークが入った幟・垂れ幕・ステッカーを掲示することや、山形屋、三越鹿児島店を巻き込んだ協賛セールの開催などであったが、協議会設置の先頭に立ってきた三越鹿児島店が閉店することで、協議会としては出鼻を挫かれた格好となった。 一方、三越鹿児島店閉店から約1年後の2010年4月28日、跡地にテナント型商業施設「マルヤガーデンズ」が開業した。大手書店のジュンク堂書店鹿児島店(約1,300坪)やミニシアターなど76のテナントを擁し、天文館復活への期待を高めている。また、かつてのライバルであった山形屋もオープン歓迎の垂れ幕を掲げるなど、天文館復活に向けて共に手を取り合う姿勢が明確になってきている。更に、2012年5月3日には、「We Love 天文館協議会」が中心となって建設、運営するシネコン「天文館シネマパラダイス」が開業するなど、天文館復活への取り組みが進められているが、入場者数の伸び悩みなど問題点も露呈しはじめている[5]。 2012年9月21日の報道によれば、電車通り両サイド千日町1番街区と千日町4番街区の一帯と、2008年秋に解体され現在は有料駐車場として利用されている「いわさきホテル・ザビエル450(旧:かごしま林田ホテル)」の跡地の再開発が計画されており、[6]うち後者の「いわさきホテル・ザビエル450」跡地については観光を前面に打ち出した商業施設を2016年春[7]に開業予定だったが、2018年2月時点では駐車場のままである。 アーケード及び通りの総称
周辺施設
ホール・アミューズメント2010年4月28日、天文館として約4年ぶりの復活となる「Gardens Cinema」が開業し、更に2012年5月3日には「天文館シネマパラダイス」が開業し、天文館の映画館は2館8スクリーンとなっている。
過去に存在した映画館映画館以外にも、1960年代まで大衆演舞場、1980年代前半までストリップ劇場、1996年頃までディスコがそれぞれ複数軒存在。
公営競技場外発売所
祭事
アクセス脚注
関連項目外部リンク
座標: 北緯31度35分26.6秒 東経130度33分18.5秒 / 北緯31.590722度 東経130.555139度 |